自分のために唄う歌―「シャララタンバリン」メモ―

 Q:なんで今更「シャララタンバリン」?
 A:永遠に不動の1位の曲だから。
 あまりにも好きすぎる「シャララタンバリン」の話です。以下、好きなところ(のうち言葉にできるところ)の羅列です。

 

 

・1番と2番の対比

 

 見上げてみれば 透き通る空に
 咲いていたんだ オレンジの花ひとつ
 もしもあなたが それだとしたなら
 僕はいつまでも 笑えると思うんだ

 

 「オレンジの花」は太陽を喩えたものでは。あなたが太陽だったなら僕はいつまでも笑える、という文の流れもありうるものだと思う。太陽はいつまでも照らしてくれるもんね。1番はあたたかみを感じるけれど、その源は「オレンジの花」=太陽のせいだと思う。

 

 瞳閉じれば まぶたの中に
 咲いていたんだ 金色の月ひとつ
 もしもあなたが それだとしたなら
 僕はいつまでも 生きれると思うんだ

 瞳を閉じるのは1番との対比だろう。「オレンジの花」が太陽であれば、「金色の月」とも対になる。もしかしたら「金色の月」は「月」そのものではなくて、なんらかの花の比喩なのかもしれない。ちなみに「黄金の月」という楽曲がスガシカオさんの曲にあるんだけど加藤さん好きそうじゃない?エレカシの「今宵の月のように」とかも。
 「僕はいつまでも 生きれると思うんだ」って歌うけど、なにも「永遠の命だ!」と言っているわけではないと思う。あなた=黄金の月をめじるしにどこまでも行けるとか、そういうことなんじゃないかな。
 1番の「オレンジの花」=太陽は目に見える確かなものとして表現されているように見えるが、2番では「瞳閉じれば」「まぶたの中」なので、ここに出てくる「金色の月」は実際のものというよりイメージとしてのものであるとわかる。心象としての「金色の月」、「僕」が思い浮かべるそれは、現実の月とは違って心のなかを表すものに思える。心のなかのものだったら「いつまでも 生きれる」という表現もわかるなぁと思う。心のなかでは一秒と千年のあいだに違いはない*1論を支持しているので。一瞬は永遠になりうる。
 あと単純に「月」=夜=死のイメージがあるところで「生」が出てくるのよくないですか?私は好きです。多分私に限らず一般的なイメージとして「月」とか夜は死を背負いがちだと思うんだけど、だからこそそこで「生」っていうのが、どれだけ「あなた」が大切かがうかがえるような気がして好き。

 

 

・最後のサビ 

 シャララ ラララ 歌を唄おう愛するあなたのために
 シャララ ラララ 歌を唄おう花咲く世界のために
 シャララ ラララ 歌を唄おう弱虫な自分のために
 シャララ ラララ タンバリンが壊れるまで叫ぶんだ

 それまでのサビではずっと「愛するあなたのために」「歌を唄」っていたのに、最後のサビでは「花咲く世界のために」そして「弱虫な自分のために」と変化していく。
 「花咲く世界」は「オレンジの花」=「あなた」であることを踏まえると「あなた」のいる世界のことかなぁ、と思う。視点が「あなた」から「世界」へと広がる。そしてその先では「自分」と、広がった世界が一点へ収束する。しかもただの自分のためではなく、「弱虫な自分のため」だ。「愛するあなた」を思うことは「花咲く世界」を思うことであり、ひいては「弱虫な自分」を思うことなのかもしれない。
 私個人の話になるが、私は「あなたのため」という言葉を信用していない。その言葉のもつ重さに沢山苦しんできたし、どこまでいってもそれは「私のため」でしかないと思っている。もしかしたら重さなどもたない「あなたのため」もあるのかもしれないが、私は未だ出会えていない。
 だから、何度も「あなたのため」と歌うくせに、最終的に「自分」に行きつくところがめちゃくちゃ信用できる、と歌詞を見るたびに思う。「あなたのため」は「あなたのために何かしたい自分のため」。人間は自分のために生きてるし自分のために死ぬ。そういう自分勝手さを根本的にもっているものだと思う。このあたりは、この歌詞を書いたあとに書くこととなる小説たちとも共通していることなのではないかな。
 この歌詞を書いた人がどんな意図でそう書いたのかは知らないし知りようもない。ただ聞こえのいいように言葉を並べただけかもしれない。それでも、私はこの「あなた」から「世界」を経て「自分」へと辿りつくこの歌詞がとても好きだ。ほんとうは誰のためでもなく、「自分」のために唄う歌。

 

 

・「タンバリン」とは

 どこにもなんにも書いてないけどさ……こんなの「命」じゃん……?
 歌詞を読んだり聴いたりした直感でしかないけど、命の限りあなたを守るっていえるくらいあなたのことが好きだよ、という内容を歌っているものだと初めて聴いたときから思っている。そういうまっすぐで飾り気のない気持ちのうた。だからこそ「生歌」じゃないとダメだったんだろうなって思う。
 加藤さんのそれまでのソロ曲(少なくともコンサート映像が残っている「カカオ」「Happy Music」)は生歌ではない(もしかしたら現場は生歌だったのかもしれないけど、コンサート映像で確認できるのは音源)。それでも生歌でやる必要がこの「シャララタンバリン」にはあったんだろう。それってやっぱり「命」を、今ここにひとりの人間がいるということを歌うために「声」が必要だったからなのでは?と思う。
 私は視覚認知が弱く、目で見たものを記憶しておくのが苦手だ。けれど音を記憶するのはさほど難しいことではない。だから余計に、この曲で初めて「加藤成亮」という人を知ってしまったから好きなんだろうな~って気がしている。

 


・曲のシンプルさ

 たぶんコード進行から作ったんだろうなってメロディで、すごくシンプルなところが好き。あまり音域が広い曲が好みではないというか、1回聴いたら絶対覚えちゃうくらいのメロディが好きなので、この圧倒的に覚えやすい歌詞とメロディがすごく好き。んでこのシンプルな歌詞とメロディがあの加藤成亮という人から出てきたってことも……この話はしんどいからあんまりできないけど……
 私はおそらくとてもシンプルな人間で、それゆえにこの曲のもつシンプルさに共鳴してるんじゃないかなとたまに思う。

 

 

 

 この曲の思い入れとかそういうものを言葉にしちゃうとそれは私の内臓になってしまうので、内臓ではない部分=書き残しておきたい部分を書きました。言葉にできない部分も沢山あるんでそれは個別に飯食いながら話しましょう。

 

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*1:ポルノグラフィティ「グラヴィティ」