一筋縄ではいかないファンタジー「八咫烏シリーズ」が面白い

 八咫烏シリーズ、とても面白かったので紹介する記事を書きたいな~と思ったんですが面白いところを書こうとするとどうしたってネタバレになってしまいます。何も知らない状態で読みたい人は今すぐ本を開き、どこが面白いのかお前の意見を聞かせろという人はこの先を進んでください。

 

 

 

 

八咫烏シリーズとは

 阿部智里さんの書くファンタジー。既刊6冊(第一部が完結している)と外伝1冊。烏と人、ふたつの姿をとることができる「八咫烏」たちが暮らす「山内」という平安風の世界と、山内を統べる者=金烏になるべきは兄宮・若宮のどちらかというお家騒動、そして山内に訪れた危機を描く。

 1巻の『烏に単は似合わない』では、若宮(次の金烏となるべき皇太子的存在)の后を決めるためのバチェラー八咫烏が繰り広げられる。しかしバチェラーたる若宮は后候補である女性たちの前にはほとんど姿を現さない。そして2番『烏は主を選ばない』では、1巻の裏側で若宮が何をしていたのかを、なりゆきで若宮の側近となってしまった少年・雪哉に寄り添いつつ描く。

 3巻『黄金の烏』では、このシリーズ第一部の盛り上がりを予想させる「猿」が登場する。八咫烏ばかりの世界に突如登場し、八咫烏を襲う猿とは何者なのか。これ以降『空棺の烏』も、その秘密を探りながら話が進んでいく。

 5巻玉依姫では話ががらっと変わり、八み咫烏でも猿でもない「人間」の女子高生が登場し、彼女の視点から話が進んでいく。で、シリーズ第一部の完結作『弥栄の烏』へと続く。5巻を八咫烏側から描いた作品となっていて、八咫烏とはなんなのかが明かされる。

 

 

 

 

八咫烏シリーズのここが面白い

・各巻が色とりどり

 基盤となるのは八咫烏が暮らす山内という世界だ。テーマや世界観はしっかり軸が通っているが、各巻により何を描くかが大きく異なっている。

 1巻『烏に単は似合わない』は、先ほども書いたがバチェラー八咫烏である。静かに、ときに激しくバチバチと火花を燃やす女たちの戦いが描かれる。平安時代をモチーフとされているような宮中の華やかな様子は、読んでいるだけでも色彩豊かに感じられる。

 2巻『烏は主を選ばない』は若宮と従者(なりたかったわけではないがなりゆきで従者になってしまった)の雪哉の冒険譚で、1巻の華やかな描写とはがらっと印象が変わる。

 3巻『黄金の烏』では地方の様子も描かれる。1巻が宮中の描写に絞られ、2巻では中央(都的なところ)の描写へと広がり、3巻では地方で起きる事件を描いている。今まで見えなかった「山内」という世界がどういったものなのか、次第にわかってくる巻でもある。

 4巻『空棺の烏』は学園もの。ここにきて学園ものである。八咫烏の宗家に仕える山内衆となるための学校にて、雪哉が友達を作ったり頭角をあらわしたりする。作者がハリー・ポッターシリーズのファンだと言っていたが、まさしくそれを思わせるような作品である。

 5巻『玉依姫』は人間の視点から描かれていて、今までとは大きく異なる。6巻『弥栄の烏』では再び八咫烏の視点に戻るが、今までの比較的平和だった山内とは違い、猿との戦いに備えた臨戦態勢の山内を描いている。

 というように、同じシリーズであり同じ時間軸で物語を追いながら、書き方が様々なのだ。ひとによっては『空棺の烏』の学園設定だけでひとシリーズ書けてしまいそうなものだが、それを贅沢にも1巻分にとどめている。

 それを可能としているのは、主人公を固定しない手法だ。若宮や雪哉は中心人物として描かれているが、視点は彼らにだけ寄り添うわけではない。必要に応じて別の人物の側につくこともある。それでも物語が成立するのは、シリーズを貫く軸がしっかりしているからだろう。

 

 

 

・視点が変われば見えるものも変わる

 『烏に単は似合わない』では、若宮はほとんど姿を見せない。若宮の后候補である4人の姫たちが、それぞれの家を背負った政治的な思惑や個人としての複雑な思いを抱き、我こそ后にとバチバチに戦うのである。話は東家の姫・あせびの君を中心に進んでいくが、最終的には彼女の恐ろしさがあらわとなる。姉の代わりに入内したあせびは宮中の常識もまだよく知らず、周囲に笑われることも少なくない。そのなかで若宮の后となるべく努力している姿はとてもかわいらしくて、そんな彼女に寄り添う視点で書かれたら誰だって肩入れしたくなる。しかし、あせびに寄り添う視点だからこそ覆い隠してきたものが、最後に明らかとなる。

 6巻『弥栄の烏』では、5巻『玉依姫』の人間に寄り添った視点から書かれた物語では見えなかったものが次々に明らかとなる。名もなき者として倒れていったのが実は誰々であったとか(なんとなくそんな気はしていたがめちゃくちゃショックだった)。猿と八咫烏の関係は。そして、八咫烏とはなんなのか。八咫烏の真実を読んでいると、あまりのやばさに目には見えないなんらかの汁がでろでろに出てくる感じがする。

 1巻で、読み手の誰もがあせびの感情と同調するように書かれているのに、あせびがあせび側の視点から描かれてきたような「いい子」ではないとわかったときの恐ろしさ。もしかしたら今まで読んできた本のなかでも似たことが起こっていたのではないか?という疑問がわいてきてしまう。否、本のなかだけではない。現実にもそういうことが起こっているのではないか?今まで考えてこなかっただけで。そんな疑念を読者の胸に巻き起こすのが、この作者の(いい意味で)意地悪なところだと思う。

 

 私の好きな曲、ポルノグラフィティの「カメレオン・レンズ」はこのような歌い出しで始まる。

 

ありのままの真実など 誰も見ていやしない

 

 視点によって見えないものがある。単純な「事実」すら、見方によっていくらでも変わる。「客観的」な事実など存在せず、そこには主観とまた別の主観があるだけなのかもしれない。そんな主観によるものの見方の差を上手く利用して書くのが、八咫烏シリーズの特徴ともいえるだろう。

 

 

 

・人間世界の描き方

 この八咫烏シリーズの注目すべき点は、現実世界(現代日本)とつながっているという点だ。でも現代日本の人間が八咫烏の世界に行くという展開になるわけでもない。人間が入り込むのは八咫烏たちの山内と現代日本のどちらともつながっている山=神域までだ。それ以上は踏み込まない。山内という異界と現代日本が繋がっているにも関わらず、そのつながりを描かない。

 そもそも、最初は八咫烏側の世界しか言及されておらず、八咫烏と呼ばれる人にも烏にもなれる存在がいる世界を描いたファンタジーであると想像される。というか、読み手には意図的にそう思わせる。しかし、若宮が遊学していた「外界」についてあまり触れられないことや「八咫烏」と書いて「にんげん」と読むことなど、疑問に思う部分がだんだんと増えてくる。そして3巻の猿の出現により八咫烏たちの世界に「外側」があることが明らかになる。なんだか不穏な感じがしてくる。私が今読んでいるのは、どういう世界なのか?作中の八咫烏さえも知らないことが、まだまだあるのではないか?

 3巻あたりから「人間」の存在が匂わされるものの、明らかとなるのは5巻。急に人間の視点に切り替わり、山内の外側が描かれることになる。今まで私が読んできたのは、山の中に築かれた、扉の向こうの異界の話だったと知らされる。そんなそぶりなんて見せなかったのに!騙される快感というか、視点によって見えないものを上手く隠して面白さを引っ張る手法がとても気持ちいい。

 そして猿と八咫烏の関係、彼らの起源も、脳からなんらかの汁が出るくらい面白い。なにもかもネタバレしちゃつまらないので、そこは自分で読んでほしい。

 

 

 

 ひとつの本のなかで完結するくらいの小さな謎については、わかりやすくヒントをちりばめてあるので真相に辿り着く前にある程度把握できる。言い方を変えれば、先が読めてしまう。が、それがどうした?という気持ち。文章についても、洗練された部分とそうではない部分とムラがあるように感じるところもあるが、で?という感じ。そんなものはこの本の面白さを邪魔しない。おかげでこちらとしてはキレながら「は!?面白いんだが!?」って気持ちで読み終えることができる。

 その本に出会えたことを神に感謝しながら静かに祈るタイプの小説も好きだが、キレ散らかしそうになるほど心を揺さぶる面白い小説も好きだ。私にとって、八咫烏シリーズは後者です。

 

 

 

 

 2019年のうちに第二部がスタートすると予告されている。6巻までは文庫化もされているので、今が読みどきではないだろうか。ていうか超面白いから紹介したい!という気持ちで書いた記事でした。

 

烏に単は似合わない? 八咫烏シリーズ 1 (文春文庫)

烏に単は似合わない? 八咫烏シリーズ 1 (文春文庫)