私のともだちのこと ―映画「トイ・ストーリー」シリーズの話―

 小さい頃、まだ私が母よりもずっと背が低かった頃のこと。お気に入りのバッグのなかにはひとりだけ友達を――ぬいぐるみを連れて、母と手を繋いでスーパーまでの道のりを歩いていた。

 「今ごろ、お留守番してるぬいぐるみたちはうちのなかで遊んでるんだよ」

 そんな話を、飽きずに毎日毎日していた。まだ「トイ・ストーリー」という映画を観る前のことだ。そんな私が「トイ・ストーリー」を大好きになるのは、全然不思議なことじゃなかった。

 小学生の頃に1作目を観た。どうも絵のタッチに慣れずにそこまでドハマリすることはなかったけれど、人間の見ていないところでおもちゃが動くというのは私がずっと考えていたことだったから、話はすごく気に入った。私は「おもちゃ」というか「ぬいぐるみ」に限定された考え方だったけれど、イメージする世界の根幹は同じだと思う。「トイ・ストーリー2」もそういう気持ちで見た。小学生の頃だから、明確にこう思った!という記憶は残っていない。おそらくどちらも映画館ではなく家で観たのだと思う。映画館でどうしても観たい、という意思を持つ前のことだった。

 

 

 転機となったのは「トイ・ストーリー3」。3作目が公開されたのは2010年で、2が公開された2000年にはまだ小学生だった私も大学生になっていた。CGアニメーションの映画も珍しくなくなり、あの絵柄にも違和感を覚えなくなった頃。当時しょっちゅう遊んでいた高校時代の友達となんとなく遊ぼうという話になり、特にやることもないけど映画とか観たいねと話していた。公開時期がちょうどよかったこととたまたま二人とも過去の「トイ・ストーリー」2作を観ていたことから、じゃあ最新作を観ようということでまとまった。私はディズニー映画にもピクサー映画にもあまり思い入れがなかったし、初めて映画館で観たピクサー映画がこの「トイ・ストーリー3」だった。

 大学生になったアンディと、アンディに遊ばれなくなったおもちゃたち。彼らの物語に、べしょべしょに泣いた。大学生になった、もうぬいぐるみたちと「遊ぶ」という行為をしなくなった私に、痛いほど刺さる内容だった。家にいるあの子たちも、私のベッドの隅に置かれているよりも遊んでくれる誰かのところに行ったほうが幸せなのだろうかと悩んだ。それでも、手放すことを考えると寂しくて、手放せないという結論に至った。手放せないなと思ってしまったことが映画のアンディみたいに優しくなくて嫌だったけど、でも本当だから仕方なくてまた泣いた。映画館から出る頃には、ハンカチを持っていないことに苛立つくらいに泣いていた。隣を見ると、友達も同じように泣いていて、なんとなく観にきたけど観てよかったなと思った。

 そして、「トイ・ストーリー」という作品は私のなかでとても大切な作品のひとつになった。

 

 

 一昨年、結婚のために実家を出ることになった。私はすべてのぬいぐるみを連れていくつもりだったが、母からは持っていくなと強く言われた。また新しく増やしていけばいいと。子どもが生まれたら増えることになるのだからと。そういうことじゃなかった。ぬいぐるみならなんでもいいわけじゃない。私が今まで一緒に過ごしてきたぬいぐるみだから大切なのに。

 じゃあ持っていけない子たちはどうするのか?私は実家に置いてもらうつもりでいたが、実家に残した私のものは捨てると言われた。すごくショックだった。こんなにも思い出が詰まっていて、こんなにも大切なのに、捨てなければならないなんて。

 絶対に持っていくと話をして、ちょっと揉めて、せめて段ボール1つ分までということになった。それだって全然足りないと思った。だって残りの子たちとはさよならしなければならない。

 私はいきものを飼うのが嫌だった。私より先に死ぬから。だから余計にぬいぐるみが好きというのはあると思う。こんなにもふもふしているのに、彼らは死なない。でも、死なないから、私が最期を決めなくちゃいけない。ぬいぐるみを大好きでいる気持ちがこんなにつらいものになるなんて思っていなくて、実家を出る前はぬいぐるみたちのことを思って泣いてばかりいた。ともだちに最期をつきつけなければならないなんて。

 確かに、大きくなってからはぬいぐるみで「遊ぶ」ということはしなくなった。けれど、私はベッドの上に並べたぬいぐるみたちのおかげで眠れていた。大切にしていないくせにって言われたけど、並べるだけの、ただのディスプレイやインテリアじゃなくて、ただそこにいるだけで、あの子たちは現役で私のことを安心させてくれていたのに。

 母を含め、周りの人は私がどれだけぬいぐるみを大事に思っているか知らない。だから気軽に「片づけないとね」なんて言う。そのたびに悲しくて、家だろうが外だろうが構わず泣いた。ともだちに最期をつきつけないとね、って言ってるのと同じなのに、どうしてそんな簡単に言えるんだろうって思った。

 

 

 実家で過ごした最後の夜、明日にはさよならしないといけない子たちのホコリを取ったり毛並みを整えたりしていたら全然眠れなかった。ひとりひとりとの思い出が蘇ってずっと泣いていた。2か月前からずっと泣いていたのに、まだ泣いた。

 家族旅行でサファリパークに行ったときに出会ったダチョウ。彼にはカンガルーのガールフレンドがいた。似たようなブラウンの色合いで、並んでいるとすごくお似合いのふたりだった。

 おなかを押すと音がする猫、たま。もうおなかの音はとっくの昔に鳴らなくなっていた。首には、小さい頃の私が作ったオレンジの折り紙の首輪がまだついていた。昔、バスの中に置き忘れて、母がバスを追いかけて取り戻してくれた。

 もみじまんじゅうのキーホルダー。父が出張先で買ってきてくれた。小さいけれど手触りが良く、もみじまんじゅうのことはよく知らなかったけれど大好きだった。キーホルダーなのに一緒に寝ていた。

 黄色地に黒の斑点のある犬、ポチ。弟とお揃いで買ってもらって、確か弟はなくしてしまったんじゃなかったっけ。小学生のときに好きだった男の子になんとなく似ていた。その子は転校してしまったけど、ポチを見ると「似ていたなぁ」って思い出してた。

 これ以上書くと泣いてしまうからもうやめるけど、書ききれないほどの思い出がある。みんなみんな大好きだった。いらない子なんてひとりもいなかった。みんな、すごく大事なともだちだから。ごめんねとありがとうを告げて、段ボールにしまった。全部で2箱になった。新しい家に連れていける子は1箱だから、さよならをする子たちのほうが多い。それがまた悲しくて泣いた。

 翌日、私の荷物を新居に運び入れるとともに、さよならする子たちを近所の神社に連れていった。大きい神社だから潰れるということはないだろうし、毎年初詣にくるくらいには近所だからすぐ来られるし、人形供養もしているようだから、そこの神社にお炊き上げをお願いした。私のともだちは「ゴミ」ではないので、収集車に回収されるようなさよならの仕方はできなかった。神社でもまた泣いた。さよならをしたすぐあと、あの子たちのことを好きだった気持ちをブログに残そうと思って記事を書いたけれど、罪悪感が重たすぎて公開することなく下書きのまま消した。

 

 

 沢山のともだちとさよならをしたのがショックすぎて、引っ越してからぬいぐるみの増える速度は今まで以上になってしまった。またいつかつらい思いをするとわかっていても、我が家に来るために生まれてきたと思えてしまう子たちに出会ってしまうともうどうしようもない。最近のお気に入りはすみだ水族館で出会ったマゼランペンギンの赤ちゃんのぬいぐるみ・ふわ子です。

 

 

 そして、今年公開された「トイ・ストーリー4」。あの完璧な3のあとを描く以外の前情報はなるべく入れずに観に行った。そして、我が家のぬいぐるみや私が今まで一緒に過ごしてきたぬいぐるみのことを思い浮かべ、この記事を書いている。

 物語が新たな局面を迎えるということで賛否両論あるラストだったろうとは思うが、私はこれもアリだなと思った。すべてのおもちゃが幸せな道を歩んでほしい。

 これは映画の感想記事ではないから詳しい内容は語るつもりはないけれど、神社に連れていった子たちのことを思った。あの子たちも、新しい持ち主を見つけるべきだったのだろうか。でも、もし新しい持ち主が大切にしてくれなかったら。そんな不幸なことになるかもしれないと思うとつらかったし、もう古いので貰い手もないかもしれない。だったら、私は責任をもってあの子たちの最期を決めようと思った。3作目の最後でボニーにウッディやバズたちを譲ったアンディの行動も、たぶん私の行動も、彼らを愛しているからなんだって、伝わっていたら嬉しいな。

 きっとウッディは、ボニーのもとに来たことは後悔していないんじゃないかと思う。さよならしてしまった私のともだちも、私のもとに来てよかったと思ってくれていたらいいなぁ。

 そんなふうに思ったら、あの子たちのことを書いておきたいなと、そんな気分になった。

 

 

 このブログは、私が私の好きなものを記録しておくために書いているブログだ。だから、私の大好きなぬいぐるみのことも書いておきたい。

 「トイ・ストーリー」シリーズの主題歌「君はともだち」を聴くと、やっぱりあの子たちのことは「ともだち」としか呼びようがないのだ、と思う。つらいことがあって、誰にも話せなかったときも、ぬいぐるみを抱きしめていたら落ち着いた。みんな、誰よりも私のことをわかってくれる「ともだち」だった。

 いま私の手元にあるぬいぐるみのなかで一番古いのは、おそらく3代目であるピングーのぬいぐるみだ。すぐなくしてしまうくせに、一度なくすと沈み続けるのでまた新しい子を迎えて、で3代目。それでも私が幼稚園に通っていたくらいからうちにいる。今は見えるところに置いておきたくて、我が家のリビングにある棚に置かれている。ここ最近はピングーの新しいグッズも出るようになったので、新参ピングーたちと一緒だ。

 

 

f:id:penguinkawaii:20190724200809j:image

 

 

 この記事の落としどころがいまいち見つからない。何かを言いたくて書いたというよりは本当にただの記録だからだ。ただ、すべての「ともだち」が、幸せであってほしいなと、ウッディやバズ、そして今はもういない私のともだち、小さいときから一緒にいるともだち、新たに加わったともだちのことを思い浮かべながら、願う。