私の「いのち」の重さは ーポルノグラフィティ「フラワー」感想ー

 ポルノグラフィティ最新曲「フラワー」が配信リリースされました。感想というか、私の話です。興味ない人は記事は読まなくていいので「フラワー」聴いてください。

 

 要約:映画「こんな夜更けにバナナかよ 愛しき実話」のために書き下ろされた、いのちを花にたとえて描いた壮大なバラードです。すごくいいから聴いてね

 

 

フラワー

フラワー

  • provided courtesy of iTunes

 

 

 

 

 この曲を初めて聴いたときの感想を率直にいうと、「怖い」。怖かった。よくよく考えてみると、それぞれ違う二種類の怖さを感じていた。

 

 まずひとつ、いのちというものを圧倒的に肯定するこの曲が、怖い。いのちというものは、ただそれがいのちであるということだけで、どこでどんなふうにあろうと尊いものであるということが、私には怖い。

 いのちというものがとても大切で尊いものであるということはわかっている。価値や重さといった言葉では決してはかることができないものだということも、わかっている。この曲、「フラワー」が言わんとしていることも、わかる。

 報道番組で誰かが亡くなったニュースでつらくなってしまうくらいには、他者のいのちについては(ときには必要以上に)重たく感じがちという自覚がある。私には全く関係のない人だったとしても悲しくなるし、遺族の方の言葉をきくと「こんなにも心を痛めている人がいるのに、どうして私は生きているんだろう」と思ってしまう。

 そう、「どうして私は生きているんだろう」と思ってしまう。私が軽視しているのは、私のいのちだ。

 この曲は、私が軽視している私のいのちすら肯定している。なんの役にも立たなくて、人に迷惑をかけてばかりの私のいのちすらも、肯定してしまう。存在してもいいと思われるだけの有用性を証明しなければと思い、そのために苦しんでいる、少なくともそうやって苦しんでいるあいだは生きていていいような気がしている、そんな私のいのちさえも。

 

そこに咲いてるだけで こんなにも美しい

弱さと強さを持つ花よ

愛でられるためでなく 色を誇るためでなく

息づいてる

 

 誰かに認められることがなくても、そこに生きているというだけで「美しい」なんて。自分以外の誰かのいのちについては素直にそう思えるけれど、私には適用されないものだと思ってここまで生きてきたのに。誰かに褒められたり、感謝されたり、そうやって「そこにいてもいい」って誰かから許可されなくちゃ駄目なんだって思ってきたのに。

 20数年をそうやって生きてきたので、急に圧倒的な肯定が降りかかってきて、戸惑っている。私はこの肯定を、素直に受け入れることができない。私もそうしたいのちのひとつなんだと、どうしても思えない。

 自己肯定力とか自尊感情とか、そういった言葉を目にする機会も増えたけれど、私にはちっとも備わってないなと思う。自分が世の中で最も無価値な人間だと思ってる。そう思うことはつらいことでもあるけれど、一方で楽でもある。自分の人生すら背負わないでいられるような気がする。自分で自分に「そこにいていい」って言えないから、誰かに言ってほしいのかもしれない。でも本当は、誰かが許可を出すまでもなく「そこにいていい」ものなんだと思う。私以外のいのちがそうであると思えるのと同じように、私もまたそういういのちのひとつなのだ。

 と言葉では書けるけれど、やっぱり受け入れることに抵抗がある。無条件で生きていていいなんて、私のいのちがそんなに重いなんて、どうしても思えない。だって、こんな私が。そうやってまた思ってしまうのだけれど、いつかは違う考えになっていくのかな。

 

 

 そして、そんな壮大で尊いいのちが、自分のなかにあるということも、怖い。そんな大きなもの、持て余してしまう。だから自分のいのちを小さくて軽いものだと思っていたいのだろうか。こんな大きなものを抱えているなんて、怖い。そんな価値のあるものを持っていたくない。持つに値しない人間だと思う。でも、そんなことを思う思わないにかかわらず、それはもう自分のなかにある。どうしようもなく不安になる。

 この気持ちを、上手く言葉にすることができない。自分でもこの気持ちの正体を掴めていないし、とても漠然としている。

 小さい頃、「どうして手はこの形をしているんだろう」と考えて眠れないことがあった。いろんな進化を繰り返し、長い年月をかけてこの形になったとして、それを私が今もっているということに怖くなって眠れなかった。中学生のときに学校でプラネタリウムに行って、宇宙の大きさについての解説をきいて、あまりにも壮大すぎてやっぱりその夜は眠れなかった。どうして宇宙が始まったのかということや、そもそも宇宙に始まりがあるということについて、考えれば考えるほど眠れなくなった。

 そういうときに感じていた怖さと、この曲の怖さには似たところがある。多分この怖さや不安に答えはないのだと思う。ただ漠然と、この先も怖いものであり続ける気がしている。

 

 

 これだけ「怖い」を連発しておきながら、それでも私はこの曲が好きだ。

 いのちという生々しいものを題材としてはいるけれど、作品として完成されている。誰かの生々しい叫びではなく、「いのち」というものをテーマに一輪の花を描いている。フィクションが好きで、たくさん描いてきた新藤さんだから書ける歌詞なのだろう。映画の題材となっている方について考えて書いたということは新藤さんも言っていたけれど、でもこの曲は彼そのものを描いているわけではなく、もっと広く大きいものについて書いている。もっと特定の個人に寄り添う内容だったら、私にとってはなかなか聴けない曲になっていたかもしれない。

 アレンジも、Aメロあたりのピアノの下がっていく音はちょっと不安になるけれど、サビで大きく開いていくような感じがして、そのためにこの不安な音も必要なのだと思える。あと、ドラマティックすぎないアレンジがすごくいいなと思う。アレンジの力で、重たくなりすぎずいい意味でポップさが出ているというか。

 岡野さんの力強い歌声は、歌っている言葉より先に胸にせまる。ファルセットで歌っている部分がないのも、力強さを感じる一因かもしれない。岡野さんのはっきりとした強くそれでいて余計な色をつけていないフラットな歌声は、聴き手が楽曲にこめられた世界を自分の胸のなかに持ち帰りやすいというか、この楽曲から様々に想像をふくらませる余地があることを見せてくれているような気がする。

 怖いことは怖いのだけれど、そんないのちの壮大さを作品として昇華させることができるポルノグラフィティすごくないですか?信頼しかない。これからもついていきます。

 

 

 最後にこの曲の歌詞の好きなところについても書いておきたい。

 

冬の気配が荒野を満たせば 風もないのに花びらが落ちてゆく

長い眠りが近づいていることを知って 小さな種を地面に落とした

 

 これってただ単に「子孫を残す」という意味ではなくて、他者との関わりなくしては生きていけない世界で誰かと関わることによってその人の心になにかを残す、ということを言っているように思える。その花がそこに咲いていた証が、残っている。これより前の部分に出てくる「命の記憶」というのも、そういうことも意味しているのかなと思う。隣にいなくても、誰かが私の心に蒔いた種が眠っている。

 誰かの心に何も残さない人なんて、多分いない。大学の最寄駅を出たら雨が降っていたけど傘がなくてそのまま歩いていたら「大学までですよね?一緒に行きましょう」って傘に入れてくれた女の子のことも覚えている。あの女の子の名前も知らないけれど、横断歩道で隣に並んだ人が傘を持っていなかったから入れてあげようと思って行動できるってすごいなと思って、折に触れてはあのときのことを思い出している。広い大学なのでその子とはそのとき会ったきりだったけれど、彼女の行動は私に影響を与えている。

 そういう沢山の出来事が私のなかにはあって、だとしたら、私も誰かに影響を与えているのだろうか。生きるということは他者と関わることと同義である世界で、私も何かを残せているのだろうか。

 たとえば、私が本を読んだ感想を書いていることで、その本を読んだみた人がいたとして、もしかしたらそれはその人の心に深く残る本だったかもしれない。そうじゃなくても、ただただ私が生まれたというそれだけのことでも、両親の心には喜びが芽吹いたことだろう。誰かの心に何かを残せたら、それはきっと素敵なことだ。

 

 

 結婚するという話になったときに、私はこの人から必要とされているんだ、と思った。少なくとも、この人は私を求めている。この世界には私を求めている人が、最低でもひとりはいる。そう思ったら、「死にたい」という気持ちはだいぶ薄まった(結婚していない人に対してどうこう思うわけではない。あくまで私について私がどう思うかという話)。だからこうして言葉にできているのだと思う。でも、死にそうだった頃だったらどうだろうな、と思った。この曲の大きさに、この曲が歌うものの大きさに、何を思っただろう。やっぱり怖いと思うのだろうけれど、今以上に怖いと感じているかもしれない。仮定の話でしかないけれど、怖いと感じる理由をあれこれ考えて、自分を見つめるきっかけになったかもしれない。

 

 

 

 あとポルノグラフィティ2018年やばくないですか?春には妖しい魅力漂う「カメレオン・レンズ」、夏には爽やかな風が吹く「ブレス」、秋には音の圧力で殴るロック「Zombies are standing out」、そして冬には壮大なバラード「フラワー」。こんな色とりどりな楽曲をリリースしといて、15日からはどんな曲がくるかわからないライブツアー「UNFADED」が始まるの、やばくないですか?こんな色とりどりの楽曲たちを携えて、過去の曲もそりゃあもう色鮮やかで、ちっとも色あせてなくて。あーやばいやばい。やばい以外の言葉がなくなる。急に雑でごめんなさい。

 

 

 もっと年月が経ってこの曲を聴いたらまた違ったことを思うのかもしれないけど、今のところはこんな感じです。