しまなみロマポルライビュ感想、あるいは彼らと生きてきた19年間について

 10/20、ポルノグラフィティ初の試みである「しまなみロマンスポルノ'18 ~Deep Breath~ THE LIVE VIEWING」に行ってきました。あまりにも良すぎたのと、思うことがありすぎたので、感想を残しておきたいと思います。

 ※「しまなみロマンスポルノ'18 ~Deep Breath~ THE LIVE VIEWING」の内容について触れているので、ディレイビューイング参加までネタバレを控えたい方はこの先を読まないことを推奨致します

 

 

 開演予定時刻の16時を少し過ぎた頃、空撮の映像がスクリーンに映し出される。その場に足を運んでこの目で実際に見たことはまだ一度もないのに、私はこの景色を知っている。因島だ。
 建物の屋上に人影が見える。岡野さんの声がして、だんだん人影にカメラが寄っていく。ポルノのお二人の姿だった。ちょっと眩しそうにしながら、10月20日のしまなみの景色を見せてくれた。そしてこのライビュが9月8日の映像と因島から中継するプレミアムライブで構成されていることと、タオルを回したり歌ったり手拍子したり普段のライブのように盛り上がって欲しいことを伝えて、映像が始まる。

 9月8日の映像、すごく良かった。しまなみテレビで新藤さんが「横のモニターの映像だから顔のアップが多い」と言っていたけれど本当に顔のアップ(というか胸より上)が多い。映画館のスクリーンに映るお二人のアップ。当時43歳、圧倒的に顔がいいので眼福でしかない。
 それに、彼らが故郷を自慢する表情が見られて本当によかった。誇らしげというか、嬉しそうというか。私は生まれ育った実家から車で15分程度のところに住んでいるので、「遠く離れた故郷」という感覚がよくわからない。だからこそ、二人がしまなみの景色を自慢する表情が眩しく思えた。

 途中で、SONGSの映像が入る。2005年の因島ライブの映像、そしてライブで歌うはずだった「愛が呼ぶほうへ」をカラオケで歌っているところ。そして、映像が切り替わる。因島高校の生徒たちの前に立ったポルノのお二人の姿が映し出される。
 きっと沢山練習したであろう、しっかりと揃っていて声もよく出ている合唱。岡野さんは笑顔で、新藤さんは生徒たちと同じように手を振って揺れながら歌っていた。その光景がすごく良かった。本当に、すごく良かった。
 2005年の因島ライブのとき、中学生だった私はなんであの島の子どもに生まれなかったんだろうと悔しく思っていた。生まれる場所なんて選べないけど、もし選べるなら私は今いるここじゃなくてあそこがよかったって思っていた。なんで東京の中学生なんかに生まれたんだろうって嘆いていた。
 けれど、「愛が呼ぶほうへ」を歌う高校生の子たちを見ながら、これがあの子たちにとっていい思い出になったらいいなぁと素直に思った。ポルノと歌ったことも、学校のみんなと歌ったってことも、いい思い出とか青春の一幕として彼ら彼女らの胸のなかに残っていてほしいなぁと思った。この先、この子たちの未来にいいことがたくさんあって、幸せであってほしいと願った。そう思ったら涙が止まらなくて、べしょべしょに泣きながら見ていた。悔しいとか羨ましいとかそういう気持ちは全然なくて、ポルノが楽しそうに歌っているのを見て幸せな気持ちになった。
 そんなふうに思うようになったのは、私が大人になったからに他ならない。中学生や高校生の私だったら、2005年と同じような感情を抱いていたかもしれない。そう考えると、私の成長のそばにはポルノグラフィティがいるのだと強く実感する。奇しくも20日は2005年のツアー「SWITCH」のドクロTシャツを着ていて、13年ぶん私も成長したんだって思って、ずっとそばにいてくれたポルノへの感謝の気持ちがぶわっと溢れてきて、もう何に泣いているんだかわからなくなりながらも泣いていた。

 続いて、因島市民会館の外からの演奏。いい感じに夕暮れの景色で、たぶんこのあたりで二人が「多島美が素晴らしい」って言っていて、最初は「たとうび」をうまく漢字変換できなかったけれど島がいくつも浮かぶ海を見てなるほどと思った。いつかこの景色を自分の目でも見てみたい。
 そんな景色と、近くの公園から聞こえる子どもたちの声が、彼らの愛する地元なんだなぁとほっこりした。遠くには秋祭りの太鼓の音も聞こえる。私の故郷じゃないのに、勝手に郷愁というのはこういうことなのかなと思ったりした。そして披露される「Aokage」。音源や2011年のライブではサビの高音がファルセットだったのに、今回は普通に声が出ていて進化を止めないボーカルモンスター岡野昭仁の恐ろしさを思い知った。
 続いて、「邪険にしないで」を披露。気づいたら康兵さんがスタンバイしていた。キーボードがイントロを奏で始めて、しかしすぐに止める岡野さん。びっくりする康兵さん。康兵さんを紹介し忘れたので止めたらしい。この思わず笑っちゃうような流れも非常にポルノグラフィティを感じた。そういうところ、むしろ永遠になくしてほしくない。

 ここからまた9月8日の映像に戻る。
 今回はライビュだからか歌詞が出るようになっていて、「サボテン」の歌詞を見ながらポルノの歌詞で初めて知った言葉だらけだなぁと考えていた。
 聞き慣れた言葉にも漢字をあてることができるということ。「どこ」に「何処」という字をあてることができると知って感動したのを覚えている。「どこ」というのは疑問を表す場所だから「何」という字が入るのもわかるし、「処」が場所を表すということも知っていたから、なるほどと思ったし他にもこういうのがあるのかなとわくわくした。「出会う」に「出逢う」という字をあてることができるのも最高だなと思った。「出会う」という言葉は知っていたけれど、「出逢う」と書くと途端にロマンチックになる。「顧る」という言葉は「省みる」と同じ読み方だが、そもそも「かえりみる」の意味をいまいち理解していなかったので辞書を引いて調べたりした。
 当時小学4年生だった私は小説を読むのが好きだったこともあって文字や言葉に関心が強く、漢字検定の本を買ってもらって受けはしなくても練習して満足する子どもだった。そんな子どもにとって、歌詞はいい遊び相手だった。書き写してみると、この言葉にはこの漢字をあてることもできるのかという気づきがたくさんあったし、知らない言葉がたくさんあった。本来ならその読みではない字をあてているところもあるし、とにかく楽しかった。
 歌詞を見ながら岡野さんの歌声を聴いていたら、ポルノの歌詞で初めて覚えた言葉ばかりだということに改めて気づいて、10歳の私がその向こうにいる気がしてまた涙が出てしまった。あの頃小学生だった私は18年の時を経て社会人になって、変わらずこうしてポルノのことを見つめている。変わらずその歌詞や表現に驚かされている。それって簡単なことじゃないし、奇跡みたいにすごいことだと思う。

 その後、ゆるキャラが出てくる「Century Lovers」までが映像で、大勢のゆるキャラとポルノの味わい深さを感じていたら生中継の映像に切り替わった。今度はバンドスタイルで、さっき一緒に歌っていた高校生たちを前にライブを行う。まずは「ミュージック・アワー」で、ポルノの後ろにはスクリーンがあって9月8日の映像が映し出されていてすごく贅沢な画面になっていた。高校生たちも楽しそうで、見ていてこっちもにこにこしてしまった。

 次は「そらいろ」。その前に岡野さんが、この曲ができた背景を語り始める。
 何年前って言っていたかは忘れてしまったんだけど(この曲が収録されているアルバム『PORNO GRAFFITTI』が2007年にリリースされているのでそのあたりではあると思う)、昔夜中に地元の幼なじみから電話がかかってきたのだという。仕事はどうだ、というような内容だったそうで、岡野さんは特に考えず「好きなことをやっているので楽しい」というような言葉を返した。そしたら岡野さんの友人はそれを聞いてすっきりした、と言ったのだそう。仕事でいろいろと悩んでいて、こんな気持ちのまま家族の待っている家に帰ることはできないと思って車のなかで岡野さんに電話をかけて、お互い仕事が大変だねという話をして落ち着こうとしていたのに岡野さんが「楽しい」と答えたことで、逆にすっきりしたのだと。自分も仕事を楽しいと思えるくらいに好きになろうとか頑張ろうとか、そんなふうに思ったらしい。そんな話から、この「そらいろ」が生まれたのだと話していた。
 ポルノのことは大好きだし楽曲も概ね好きだけれど、どうしても全然琴線に触れないどころか好きではないというよりも強い感情で「どうして」と思う曲がいくつかある(あくまで好みの問題であって楽曲そのものの価値の話ではない)。そのうちのひとつがこの「そらいろ」だった。その後に出たベストに入った理由も、私にはいまいちわからなかった。
 でも、20日にこの曲を聴いて、あんまりにも胸にしみて涙が出た。自分でも驚いたけれど、おそらくライビュ冒頭の因島の美しい景色や市民会館前からの景色がすごくきれいだったこととか、岡野さんが演奏前にしていた話が響いたからだろう。
 私は実家から車で15分のところに住んでいるから遠く離れたふるさとというものがよくわからないし、それでいて小学校・中学校の頃の知人とは縁が切れているため連絡を取り合える友達というのもいない。高校時代からの友達はいるけれど、私の高校は東京の各地から人が集まっていたから、地元の友達という感じではないし。だから、私は「そらいろ」が歌っているものがなんなのか、身をもってわかっているとは言えない。でもその代わり、この曲を聴くことで追体験することができた。岡野さんと幼なじみの友人の関係がとてもいいものだなぁと思ったり、遠く離れたふるさとを思う気持ちって素敵だなぁと思ったりしていたら、「そらいろ」が胸に響いた。
 そんなふうに思えるようになったのも、私が歳を経た証拠なんだろう。楽曲がリリースされた当時は高校生だったし、実家で暮らしていて地元の友達もひとりもいなくて、そんななかで故郷を懐かしく思うのは少し難しい。今だからこそ、この曲の良さがわかるようになったのだ。
 本来ならわかるはずのないものを、楽曲を通して疑似的に「わかる」と感じられることって、すごく幸せだとも思う。

 その後、段取りを間違えて一曲分とばして説明し始めてしまう岡野さん。しかも「ビールケース」と言おうとして何度も「ビール瓶」を繰り返してしまう。もう何がなんだか。でも楽しい。
 それと、どのあたりだったか忘れたけれど、新藤さんが「各会場に4、5人入るくらいかと思っていたら全国で25000人もの人が見てくれているからカメラ目線を多めにしないと」みたいな話もしていた。カメラ目線を多めにしたいがために喋っている岡野さんの後ろに映り込もうとして邪魔!って言われてるの、時々出てくるいたずらっ子はるいちくんだ~!と思って圧倒的恋だった。人生最初で最後、唯一のリア恋枠の新藤さんには今日も恋でした。

 おかわりがたくさんの「ハネウマライダー」、全国で合唱する「アゲハ蝶」、そして最後は「ジレンマ」。
 たぶんジレンマだったと思うんだけれど、岡野さんが「北海道のみなさん!」から始まって「東北のみなさん!」「関東のみなさん!」って各地方の名前を挙げていって、それがものすごくぐっときた。「全国各地」という言葉だとぼんやりしているのが、岡野さんが各地方の単位でひとつひとつ挙げていくことで、少しずつはっきりしてくる。あちこちで、今、この映像を見ている人がいる。同じように盛り上がっている人がいる。それってすごいことだ。奇跡みたいにすごいことだ。それがじわじわと実感できて、思わず泣いてしまった。もう泣いてばっかじゃん。
 それと、高校生たちが顔を見合わせて笑っている場面も、ちらっと映った。それがなんていうか、すごくよくて。全国各地とつながっている大きくて広い愛と、隣の人と顔を見合わせて笑っている小さな愛。それが両立しているこのライブビューイングという空間はすごいことなんだって実感した。こんなのすごいんだって、すごいとしか言いようがない。奇跡みたいな、って言ったけど奇跡だったのかも。そしてその奇跡の中心にいるのが、ポルノグラフィティだ。

 


 9月のロマポルは夫の休みが取れなかったために遠征を諦めた。そのかわりWOWOWあたりで中継があるだろうからそれは絶対に見るから、と夫にも宣言していた。そんなところに舞い込んだ、9/9公演はライブビューイングを行うというニュース。それなら私も行ける。嬉しすぎてチケット申し込みの日を心待ちにしていた。
 ライビュ会場となる映画館に向かう途中で、中止の知らせを見た。すごく悲しくて、それなら一人でも無理しても9/8に行っておくんだった、と後悔した。それから数日後、ライブビューイングでしまなみロマポルを届けようとしていることが公式から伝えられた。20日はもともとはディズニーに行く予定でチケットも買ってしまっていたのでどちらも行くことになったのだけれど、それもいい思い出だ。ディレイを待ちきれなくて20日に行っておいて良かった。本当にいいライブだった。

 

 めちゃくちゃ楽しかったし、思うことや考えることもたくさんあった。しまなみの景色を見られたこともそうだし、ポルノがここまで重ねてきた19年という歳月についても、いろいろと考えた。
 9歳のときに「アポロ」と出会って衝撃を受けるとともに「ポルノグラフィティ」という名前を知って、音楽というものを聴くようになって、中学生のときも高校生のときも大学生のときも社会人になってからも初めて恋人ができたときもその人と結婚したときも、つらかったときも楽しかったときも、ずっとポルノがそばにいた。だから、曲を聴くとそれにまつわるいろんな記憶が蘇ってくる。この曲にはこんな思い出があり、あの曲にはまた違う思い出がある。ライブで聴いたときの感動もあれば、自分の人生と密接に関わっているものもある。同じ曲でも、昔聴いたのと今聴くのでは全然印象が違うこともある。それは私が成長したからだ。
 そんなふうに成長を感じられるものって、滅多にないと思う。実家はマンションだから柱に身長を残せるわけでもないし、子どもの頃のものなんてほとんど手元に残っていない。だけど、ものじゃなくて音楽とそれに結びついた記憶ならたくさんある。今更ながら、それに気付いた。
 あのころ小学生だった私は、全然立派じゃないし大人といえるほど大人でもないけれど、ポルノの曲とたくさんの思い出を抱えながら、今日も生きています。

 

 19年間、私のそばにいてくれてありがとう。そして、20年目のこれからもよろしく。まだまだあなたたちといろんな景色が見たい。どこまでも一緒に歩いていけるって、そんな気がしている。