あなたとわたしと宇宙とヒトと ―『天冥の標』感想―

 『天冥の標』をまだ読んでいない人は幸せだ。これからこの物語を読めるのだから。

 

 

 

 壮大で、壮大で壮大で、あまりにも壮大。そんなSFが好きだ。私の想像力では到底行けない場所へ連れて行ってくれる。2019年、私を最も遠くまで連れてきてくれたのは間違いなく「天冥の標」シリーズだ。

 2019年2月、シリーズが完結したときいた。私は完結していないシリーズものはできれば追いたくないタイプなのでこのときを数年前から待ち望んでいた。待ち望みつつ、畏れてもいた。だって出たら読みたくなるから……でもシリーズものを読むのは億劫でもあるから……

 正直、数冊にわたる長編を読むのは体力がいる。単純に前の巻の話を忘れてしまうということもあるし、腰を据えて読めるならいいが週5日を会社勤め人として過ごしていると(たとえ仕事が暇だとしても)なかなかそうもいかない。本だけ読んでてお金が稼げればいいのにな……と思うがそんなに世の中上手くいくはずがないので、空いている時間をどうにか活用して読むしかない。

 と、考えたときに。ふと「読めるわ」と思った。読書を再開して2年目になり、シリーズものをそれまでは避けてきたとはいえ、既に300冊近く読んでいる。300冊くらい読んでるんだと自覚したら「読めるわ」と思った。根拠はない。ただ漠然と「読めるわ」と思ったし何より読みたかった。だって短編や一冊完結の作品は読んでいて小川一水さんの書くものが面白いのわかってるし。

 そう、面白い。

 こんな面白いものを読まずにいるなんて、それでいいのか?いいわけがない。と思って読み始めました。マジで冗談抜きで面白いので、ざっくりした感想です。紹介とも呼べないのでもういいから『天冥の標』読んで。

 

 

1:メニー・メニー・シープ

 西暦2800年代の話。植民地「メニー・メニー・シープ」で起こる反乱と、突如現れた怪物に翻弄される人々が描かれる。植民地の反乱や怪物の登場はそれなりに重たい場面も含むのだが、メインとなる登場人物の造形がかわいいので全体が重たいということはない。金髪美少女な美少年アクリラとどことなく冴えない(がとても優しい)お医者さんカドムのバディがかわいい。SFは「かたい」と思っている人がいたら是非小川一水さんを読んでほしい。かたさとやわらかさのバランスが絶妙です。

 とにかくこれを読まねば始まらない。が、恐ろしいことにこれを読んだとてまだ始まらないのだ。

 

 

2:救世群

 西暦2010年代の話。つまり現代。「メニー・メニー・シープ」で植民地の人々を襲った冥王斑という病気がいかにして広まったか、という話が描かれている。パンデミックに対してどう立ち向かうかという話は決して現実とも遠くないので、緊張感をもって読み進めた。

 疫病が蔓延するとき、人はそれにどう対処するのか。どのように原因を突き止めるのか。どのようにパンデミックを食い止めようとするのか。ほかの巻では割と戦闘シーンがあるものが多いが、これは医者たちの戦いを描いている。

 ちなみに私は手に入る順番の関係で1→3→4→2(以下番号順)と読みました。2~5はたぶんどの順で読んでも問題ないです。

 

 

3:アウレーリア一統

 3~5は2300年代の話。「メニー・メニー・シープ」の美少女な美少年、アクリラ・アウレーリアのご先祖にあたる(であろう)アダムス・アウレーリアがメイン。彼を主人公とした宇宙戦記的な話。カドム・セアキのご先祖にあたる(であろう)瀬秋樹野も出てくる。

 アダムスの主人公感もすごいし、宇宙で戦艦がドンパチやるのでアニメ映えしそうだな~という話でもある。読んでて映像が浮かんでくる人だと楽しいだろうな~って思った。私は人間の感情の機微を読むとうわ~!ってなるけど動きのあるシーンは割とふ~んって感じだからな……でもフェオドールがかわいいからこの巻は好きです。まぁこのフェオドールは……あのフェオドールとは違うフェオドールなんですけどね……へへ……読んで……

 

 

4:機械じかけの子息たち

 「メニー・メニー・シープ」に登場する<恋人たち>(ラバーズと読む)というアンドロイド的な存在についての話。

 すごいぞ!1巻まるまるセックスしかしてないくらいだ!というのも、<恋人たち>は性愛をもって人間に奉仕する存在だから。彼らの住むハニカムという天体にひとりの少年が迷い込み、そこで出会った<恋人たち>の少女と至上の性交である「マージ」を目指す……という感じでまぁまぁ濃ゆい巻である。

 この「天冥の標」というシリーズは壮大な時間的空間的スケールで描かれるし、どう生き残っていくかという話でもある。個として生き残るのではなく、種として生き残るためには、生殖は欠かせない。生殖するためには性交が必要となる。シリーズのうち1冊をまるまる費やすことから、この物語における生殖および性交の必要性がわかるだろう。わかるけど単純にやばい本読んだな〜って感想を抱くのもまた事実。

 

 

5:羊と猿と百掬の銀河

 宇宙農家の話とダダーのノルルスカインがいかにしてダダーのノルルスカインとなったかの話が交互に描かれる。結構お気に入りの巻。

 食べないと生きていけないのが人間というものなので、宇宙に進出していったとして、そこに定住したとして、何食う?というのは大きな問題。全部工場で作れるわけではないから、そりゃあ農家だっている。

 「機械じかけの子息たち」でも触れた通り、「天冥の標」は生の営みの話でもあるので生殖も必要だし食べることも必要だ。食べること、ひいては食べるものを生み出すこと。このシリーズに農家の話が入ってくるのも必然なのである。

 一方、ノルルスカインパートは生命の成り立ちとか宇宙の成り立ちとか、なかなか難しい話も出てくる。が、軽妙な書き口が難しさをやわらかくしていて、文章が上手いってこういうことだよな……と衝撃を受けた。

 

 

6:宿怨

 2500年代の話。6以降は全部時系列が繋がっている。

 シリーズの転換点となる作品。<救世群>の始祖・2巻「救世群」で矢来と児玉が手を尽くして冥王斑から回復したチカヤ=檜沢千茅の血を受け継ぐヤヒロ家のイサリとアイネイア・セアキが出会ってすべてが動き出す。

 どっと話が動く。500年ものあいだ虐げられてきた冥王斑の保菌者たちがとうとう動き出す。500年のあいだに積み重なったものは重い。かけはなれていった溝は深い。

 シリーズ中でも3冊あるのはこの「宿怨」と最後の「青葉よ、豊かなれ」だけなので、この「宿怨」の重要さがわかる。これを読んだらこの先は一気に読まずにはいられません。

 

 

7:新世界ハーブC

 「宿怨」のあと、生き延びた人々(主に子どもたち)はどうしたか。一時的なサバイバルではなく、永続的なサバイバル。どうやって生き延びていくか。そんな宿命が、20歳にも満たない子どもたちに降りかかる。

 登場人物が「宿怨」と共通しており、「宿怨」でイサリとともに惑星キャンプをしたスカウトたちが登場する。が、追い詰められた彼らを見ているのは正直つらかった。あんなに元気で賢い子どもたちだったのに……極限状態は人を変えてしまうものなのだなぁ。

 個人的にはシリーズ中で一番重いと思う。しんどかった。

 

 

8:ジャイアント・アーク

 1巻「メニー・メニー・シープ」をイサリ視点から描く。1巻読んだときにはイサリにそんな過去があったなんて全然思わなかったし絶望エンドか?って思ってた。物語はひとつの視点からだけではわからないことがたくさんある。

 6巻が序章の終わり、7巻が次の章への橋渡し、8巻~10巻が最終章という印象。ここからの展開が怒涛。

 

 

9:ヒトであるヒトとないヒトと

 各勢力が今どうなっているのかを描く。ここにきてまだ隠されていた真実が明らかになるのでどう終わるんだよ……とそわそわしてしまう。太陽系に残された人類がどうなったのかもわかってしまい、ますます心がずっしり重たくなる。そしてこの先どう終わるのか、どきどきが止まらない。

 

 

10:青葉よ、豊かなれ

 最終巻は号泣。べしょべしょに泣きながら午前4時11分に読み終えた。もうすぐ夜が明けるんだって思ったらエモくて更に泣いた。17冊目を読み終えてもうすぐ夜明けが来るんだよ?泣くよね。

 既に物語から退場したあの人や、物語から退場するかに思われたあの人も、まだまだ物語に組み込まれていく。今までの16冊が重なりあって重なりあって、そして物語をつくっていく。

 そして17冊目の裏のあらすじ部分、何書いてもネタバレになるからって今までのサブタイトル全部絡めて書くのずるすぎるでしょ……エモいとはこのことよ……

 

 

 

 

 以下、全然まとまらない全体の感想。

 

・種として生き抜く

 人間が個として生き抜くための話は沢山読んできたけれど、人間が種として生き抜くための話はなかなか読んだことがない。そして、種として生き抜くことを描くなかには個として生き抜くことも含まれる。

 2300年代のセアキ・ジュノ、2500年代のアイネイア・セアキ、そして2800年代のカドム・セアキ。2300年代のアダムス・アウレーリア、2500年代のオラニエ・アウレーリア、そして2800年代のアクリラ・アウレーリア。セアキ家とアウレーリア一統が同じ姓を保ち続けていることに象徴されるように、この物語は「生き抜くこと」と並行して「受け継ぐこと」も描いている。姓は変わるが、2010年代の檜沢千茅、2300年代のグレア・アイザワ、2500年代のイサリ・ヤヒロもまた、その血を受け継ぐものだ。あるいはヴァンディ家、あるいはリンゴ。あるいは羊飼いたちの訛り。あるいはダダーとしての役目。ほかにもまだまだ思いつく。この物語はさまざまに「受け継ぐ」ことで成り立っている。

 この「受け継ぐ」ということはとても重要なキーワードとなる。自分たちがもっているもの、自分たちがつくったものを次世代に受け継いでいくことで、人間は種として生き残っていける。

 この物語は「生殖」が大きな役割を担うものだと認識しているが、「生殖」という行為もまた受け継ぐということだ。自分たちがもっているものを次世代に渡すこと。それが幾度となく繰り返され、人間は増えて、そして栄えていく。このシリーズは確かにエロ(ってあとがきで作者が言ってたからそれに準じてこの言葉を使う)が多い。4巻では様々なセックスの例を示していて、もはや「指先が触れ合う」みたいなものも含まれる。そして「生殖」は最後の切り札として使われることにもなる。これを真正面から書こうとするのってすごくない?それでいてめちゃくちゃ面白いんだよね。別にいやらしい感じもないし。

 私は大学時代に真面目に生殖とかセックスとか話してるゼミにいたんだけど(今思うとすごいゼミだったな)、もしこのシリーズが完結していたら絶対この話したのになって思う。絶対面白かっただろうな~!

 

 

・種を描きつつ、個を描く

 こんなに大きな流れを描いているのに、それぞれの個としての関係性も決しておろそかにすることなく書かれている。カドムとイサリは勿論、他のキャラクターもみんな魅力的だし、恋愛も友情もひっくるめた関係性がどれも魅力的。それに、メインで描かれる物語のなかだけでも800年くらいの時間が流れているから、その中には読み手(と勿論書き手)にしか見えてこない、作中の人物たちにはわからない関係性というのもある。たまらんよね。

 私は最終巻に至るころにはアクリラがすごく好きになっていたんだけど、アクリラと彼に関わる人々の描き方もすごくいい。あと誰一人完璧じゃないところがすごく好き。カドムも決して聖人ではないし。ていうか出てきた人たちみんな嫌いじゃないんだよな……みんな好きだよ……ノルルスカインも好きだし……ノルルスカインとミスチフの関係性もやばやばのやば。もう胸がいっぱいでろくに言葉が出てこない。ルッゾツー・ウィース・タン!

 

 

・コミュニケーションの重要性

 「コミュニケーション」がいかに大切か、というのも思い知らされる。もっとうまく対話できていれば……思う場面が少なくない。でも現実、そんなにうまくコミュニケーションできるわけではない。いろんな思惑とか、いろんな計略とか、そういうものに阻まれることがあるし、いろんな思想やプライドに阻まれることもある。そしてそれが歴史を左右するような大きな断絶を生み出すこともある。

 この物語が描くのは「コミュニケーションを取り続けること」なのかもしれない。読まれているかわからないような手紙を出し続けるような、そんなコミュニケーション。それを諦めずにいること。思えば、イサリはコミュニケーションを諦めないキャラクターとして描かれている。カドムたちと言葉が通じないということがわかると、彼らの言葉を学ぼうとする。言葉が通じるようになると、最初は怪物のように思われていたイサリがひとりの人間として受け入れられるようになる。彼女の必死のコミュニケーションが受け入れられた結果だ。カドムがそれぞれの勢力を繋ごうとするのも、コミュニケーションの重要性の表れのように思える。

 相手に伝えようと思うこと、相手を理解しようと思うこと、相手から理解されようと思うこと。それがとても大切なことなのだと、そういうことを描いているように思えた。

 

 

・「想像力」の広がり

 そして何より「想像力」のちからの凄まじさを感じる。『天冥の標』はフィクションで、本当にあった物語ではなく、つまりは作者の想像で描かれている。こんな壮大な物語をつくることができる「想像力」、やばくない?語彙を失う。はるか未来のこと、遠い世界のこと、想像力があふれ出す。人間はこんな物語を生み出すことができるんだ。勿論、だったら私にもできるというわけではない。でも読んで楽しむことはできる。それってすごいことだよなって。読んで楽しむことにだって想像力は必要だと思う。私の想像力の限界を押し広げていくような、そんな作品だ。

 

 あなたとわたしと宇宙とヒトと。まだまだ広がっていくことができる。それがいいことか悪いことかはわからないけど、広がった先にきっと何かがある。何もないなんてことは、たぶんない。

 

 

 

 『天冥の標』をまだ読んでいない人は幸せだ。これからこの物語を読めるのだから。

 『天冥の標』を既に読んだ私もまた幸せだ。こんなにも素晴らしい物語がこの世にあることを知っているのだから。

 

 

 

天冥の標〈1〉―メニー・メニー・シープ〈上〉 (ハヤカワ文庫JA)

天冥の標〈1〉―メニー・メニー・シープ〈上〉 (ハヤカワ文庫JA)