ダイアリー 19/07/05、恋愛以上成就

 ポルノグラフィティのことが大好きだ。出会ったときから今までずっと好きでいる。

 7/5に発売になった雑誌「音楽と人」で、岡野さん・新藤さんそれぞれのロングインタビューが掲載されている。インタビュアーの方もとても真摯にポルノを掘り下げ伝えようとしてくれているのが読んで数行でわかる、とてもいいインタビュー記事なので是非読んでほしいのだが、この記事を初めて読んだとき、思わず号泣してしまった。

 私はそこそこ涙もろいほうだと自負している。映画館でしょっちゅう泣いているし。でも、本などの媒体ではそこまで泣かない。文章は視覚的なイメージほどインパクトが大きくないし、自分で読むペースをコントロールできるからだ。にもかかわらず、号泣である。落ちた化粧が目に沁みてめちゃくちゃ痛かった。涙で文字が読めない事態に、久々に陥った。

 

 何にそんなに泣いたのか、今の気持ちを残しておきたい。これは日記です。主に雑誌「音楽と人」の話です。まだ読んでない人は買ってね!

 

 

音楽と人 2019年 08 月号 [雑誌]

音楽と人 2019年 08 月号 [雑誌]

 

 

 

 

 

岡野さんの話

 私はどちらかというと新藤さんに対して重たい気持ちを持つタイプのおたくではある。が、岡野さんのことがどうでもいいのかといったらそんなことは全くない。岡野さんのことも大好きだ。

 かつての岡野さんの歌詞を見ると、とても内向的/内省的で薄暗いものが多いように感じられる。自分のことを深く深く掘り下げていく歌詞は、私が見せまいとするものまで引きずり出されてしまうようで怖かった。けれど、今ではそういった曲も好きだし、岡野さんの書く「視界の開けるような歌詞」もすごく好きだ。岡野さんの言葉は、そんなふうに何かを気づかせるような、はっとさせるようなものが印象的だなと思う。

 

 

・「ひとりひとり」

 岡野さんのインタビューのなかで、特に印象的だった点がふたつある。

 ひとつは、岡野さんがしきりに「ファン=ひとりひとり」と言っていたこと。岡野さんから見て、ファンは「ファン」というひとかたまりではなく、ポルノグラフィティを好きな人ひとりのことを指す。これを見たとき、思わず涙が出てしまった。そんなの当然じゃんって思うけど、岡野さんに見えるのが「ファン」というかたまりではなくひとりひとりの姿であることが、すごく嬉しかった。3万人の会場を埋めるとき、そこには「3万人のファン」がいるのではなく「1人のファン×3万」がいると知っていてくれることが嬉しい。数百人規模のライブハウスならまだしも、ポルノはメジャーシーンで活躍するバンドだ。ファンのひとりひとりを認識し、コミュニケーションをとるということは不可能に近いだろう。ファンの側である私だって、「○○のファンは」と括ってしまうことがあるし(ネガティブな意味を帯びる場合は特にそういう表現はしないように気をつけてはいるけれど)。「ファン」=ひとかたまりのもの、と認識してしまうことは全然ありえることだ。だからこそ、岡野さんが「ファンひとりひとり」と言ってくれたことが、私の愛するバンドがその気持ちを忘れずにいてくれることが嬉しい*1

 そういえば、この人はスタジアムでのワンマンライブで「最後までおってくれてありがとう!」「よう最後までおってくれた!」と言いまくっていた人だった。一度言えば、マイクを通した声は会場に響き渡るのに、何度もありがとうありがとうと言っていた。そんなに言わなくたって、と思わず微笑んでしまったけれど、あのときの岡野さんは、ひとりひとりにできるだけ伝えられるように、何度も言っていたんだ。

 

 

・置いてきぼりにしない優しさ

 もうひとつ印象的だったのは、ファンにもっと甘えてもいいのかな、と言っていたこと。昨年末~今年春のツアー「UNFADED」の話題にも触れ、自分たちも忘れていたような曲を「この曲が聴けた!」と喜ぶ声があったことを驚きとともに話していた。

 私は多分、岡野さんとは全然違うタイプの人間なのだと思う。岡野さんの考えていることが全然わからない。新藤さんのほうはなんとなく想像がつくが、岡野さんは全然だ。だから、岡野さんの考えていることをうかがえるインタビューなどでは、その言葉に驚かされることが多い。今回のインタビューも、岡野さんの「未知」な部分ばかりで、そういうところも含めて好きだなぁと思った。

 私としてはライブではレア曲である「Swing」をやってくれたことが本当に嬉しかったのだけれど、ポルノ側から見ると「こんなレア曲も知ってて喜んでくれるなんて!」という感じなのかもしれない。でも、こっちは気に入った曲は何度でも聴き返しますからね!

 ポルノグラフィティは、優しい。ポルノを見つめる人たちを、置いてきぼりにしないように、ついてきているかなって何度も振り返って確認してくれる。突然走り出したとしてもちゃんとついていく自信があるのに、「ついて来れとる?」って振り返ってくれる。それは決してファンを信頼していないわけではなくて、置いてきぼりにせず一緒に歩いていくという気持ちの表れなのだと思う。

 そんな優しさをもったまま、岡野さんがそしてポルノがもっとファンに甘えてくれたなら、更にいい関係性が築けそうな気がする。私たちの未来は明るいね。

 

 

 

新藤さんの話

 私はどちらかというと新藤さんに対して重たい気持ちを持つタイプのおたくである。言葉というものが好きで、初期の歌詞の大半を担当していた新藤晴一さんに憧れ続けていて、なおかつ新藤さんの考え方を思春期に浴びまくったため、思考回路の形成に対して多大な影響を及ぼしている。自覚はある。なのでここから先は重たい気持ちのオンパレードです。

 

 

・成就

 私の初恋は新藤さんだし、幾度となく恋の息の根を止めてきたがその数だけ蘇ってきたし、最近は諦めて新藤さんを見てすぐ「恋」「これは恋」「恋しかできない」「恋以外に何ができる?」「圧倒的恋」などと言うようになった。だって恋なんだもん。

 インタビューの中で、インタビュアーの方が新藤さんに「自分の気持ちを誤魔化せない」「潔癖な人」と話している場面がある。ここが個人的にはめちゃくちゃに泣いてしまってしんどかった。

 私は、自分の気持ちに嘘をつきたくないと思って生きている。自分の気持ちと重ならないことには賛同したくないし、自分が納得できないことを嫌々やることもしたくない。勿論、やらなければいけないことに対しては納得できる理由をどうにか見つける。でも、納得できないままでやることは、したくない。自分の気持ちと違うことも言いたくない。私の言葉として放たれるものであれば、それは本当に私の気持ちを映し出せている言葉かどうか、何度も吟味する。

 小学校の卒業文集に載せる内容を、先生が何度も書き直させていたことを思い出す。先生の前に何度も並び、何度も訂正の指示をされ、最後にはもう投げやりだった。誰かの手が入りまくった作文なんて、こんなのは私の気持ちを書いたものじゃない。途端に興味がなくなったというかもはや不満しかなく、今では何を書いたか全く覚えていない。せっかく残るものなのに、嘘なんか書いてなんになるんだろうって、未だに思っている。

 私よりずっと器用に生きていけているだろう新藤さんも、自分の故郷への気持ちに対して「どのくらい思っているのか」を振り返っていた。故郷を思って言う自分の言葉に嘘はないけど、じゃあそれはどのくらいなんだ?と。「VS」の歌詞はあくまでフィクションであり、自分の気持ちをそのまま重ねたものではないということもそうだ。

 それを見て、私がずっと抱えてきた「自分の気持ちに嘘をつきたくない」という信条が、新藤さんの「自分の気持ちに対して潔癖」というところと重なるように思えた。なんかもう、涙が止まらなくて。成就した、と思った。私は新藤さんに恋をしてきたけれど、恋よりもずっと大きなものが成就したような気がした。こんな、こんな幸せがあっていいのか。新藤さんのなかにあるものが、私のなかにもあるなんて。

 私は新藤さんから多大な影響を受けた。私がもともと持っていた考え方なのか、新藤さんの考え方に触れて芽生えたものなのか、今ではもうわからない。判別できないほど、それらは私の一部として馴染み、溶け込んでいる。だから、私は自分のことを「晴一チルドレン」だと思っている(『ルールズ』感想記事でもそんな話を書いた)。私は新藤さんに、新藤さんの考え方や言葉に育てられてきたと思っているが、思っているどころか、確かに「そう」だと証明されたような気分だ。私が大事にしてきたことが新藤さんのなかにもある。この人は間違いなく、私を「育てた」人だ。私はこの人に育てられてきたんだと確信して、ぼろぼろ泣いた。恋よりずっと大きくて広いものが成就した。恋はいつか失われるかもしれないが、私が新藤さんに育てられてきたということは決して失われない。きっと、この「潔癖」なところも、彼の今までの文章を見ていれば表れているだろう。ていうかあそことかあそこに表れてるなぁって思いあたるところはいくらでもある。でもなんか、改めて言葉にされると、私はやっぱりこの人に憧れて育ったんだって、そう確信する。

 

 

・夢を見るには

 インタビューではシングル「VS」に収録されるカップリング曲についても触れている。発売は7/31なのでまだどんな曲なのかはわからないが、そのうちの一曲「一雫」についてはノンフィクションの歌詞を書いたと話している。そしてこの曲のなかには新藤さんが歌っている部分もあると言及されている。

 まだ発売されていないから歌詞そのものは引用しないが、見覚えのある言葉たちが並んでいた。それは、新藤さんがずっと言ってきた言葉。

 

ポルノグラフィティを仕事として僕が生きていけてるのは、まだ夢を見られているからだとも思う。ときどきは目が覚めそうなときもあるけどね。そういうときはぎゅっと頑なに目をつぶって、見ていた夢をたどり直すんだ。」

(『自宅にて』第一回「夢の話」)

 

「それでもまだまだ みんなと夢の中にいたい 時には薄目を開けて 周りをうかがいたくもなるが ギュッと目を閉じて」

(「ラヴ・E・メール・フロム1999」オープニング)

 

 バンドをやろうと思ってメンバーを募ったのも、ポルノグラフィティに「ポルノグラフィティ」という名前をつけたのも、曲はプロデューサーが作るとしても歌詞は自分らで書けるようにと「アポロ」を書いたのも、他でもない新藤さんだ。バンドをやりたいと夢見た少年が、大人になって、夜ごと君に話してた未来についての言葉はいくつかは本当になったけどいくつかは嘘になってしまって、そのあいだに夢を見るのをやめようと思うことだってあっただろう。叶った夢もあるんだしもうここで、と思うことだってできたはずだ。

 それでも、ポルノグラフィティはまだ夢を見る。新藤さんはまだ夢を見る。変わらずに同じことを言い続けていることが嬉しいし、夢についての歌詞をノンフィクションだと言い切ってくれることが、新藤さんが歌っていることが、とにかく嬉しい。いや嬉しいとかちょっとかっこつけたけど……本当に……新藤さんが夢についての歌詞の部分を担当してて……新藤さんの声で……今まで文面とかオープニング映像とかはあったけど肉声じゃなかったから……ただの文字としての言葉でも十分だったのに……声が……あの声でしょ……無理……好き……しかも盤になるので……私の手にある限り消えることはないわけで……どきどきがすごくて曲を聴く覚悟がなかなかできない……(まだ手に入りもしない)

 

 

 

 20周年を迎えようとする今、私とポルノグラフィティの未来に明るい夢しか見えない。なんて素敵なことでしょう!

 ポルノグラフィティに出会えたことが、20年経ってもずっと嬉しい。私の居場所。他にも息をできる場所はできたけど、やっぱりポルノは特別だなぁと思う。余談だが、この前実家(リアルな実家)に立ち寄ろうと思い立って仕事の帰りにマンションの前まで行ったのだが、留守だったので寄らずに帰った。駅からは15分以上あるので、引き返すとなると30分以上歩きっぱなしになる。疲れたし鍵も持ってるし、寄って休むこともできたのだけれど、実家にはもう私の部屋はない。ここはもう私のいる場所ではないのだと、寂しい気持ちで帰り道を歩いた。ポルノの楽曲やライブはそれ自体がひとつの部屋みたいで、ここが私の居場所だと思えるってことは、もはや実家より実家じゃんね。ポルノグラフィティをそういうものにしたのは、そう感じる私のせいだけじゃなく、ポルノのお二人だと思う。

 いつだってあたたかく迎えてくれるあなたたちが、本当に大好きです。これからもよろしくお願いします。

 

 

*1:新藤さんも昔雑誌のインタビューで「ファンってひとりひとりなんだよね」みたいなことを言っていたので、ポルノは揃ってそういうふうに考えてくれているんだなぁと思っている