私の好きな辻村深月作品

 「好きな作家は?」と訊かれたら、この人を答えようと思っている作家さんが数人いる。その中のひとりが、辻村深月さんだ。我が家の決して大きくはない(むしろ小さすぎるので困っている)本棚に、何冊も辻村さんの本が並んでいる。

 メフィスト賞受賞作品ばかりを追いかけていた頃に出会い、それからもずっと読み続けている。本を読まなくなった時期に出た作品はまだ読めていないものもあるが、今後読んでいくつもりだ。

 

 好きな作家さんについて、あまりブログには書いてこなかったなぁと思い、最近辻村さんの本を読み返していることもあるし辻村さん作家デビュー15周年ということもあるし、特に好きな作品の感想と紹介を兼ねて図書だよりにしておこうかなという次第です。

 本の並びは出版された順。

 

 

 

 

 

『ぼくのメジャースプーン』――無責任な悪意と、過責任な愛

 誰かを消費すること、誰かを断罪すること、誰かを愛すること。

 ネット上では簡単に人を断罪できる。顔も名前もろくに知らない誰かを、一方的に、簡単に。でも本当は、断罪というのはとても重たい行為だ。

 小学校で飼っていたうさぎが殺される。それを見たふみちゃんは、ショックから心を閉ざしてしまう。何も見ない、何も聞かない状態。「Aをしなければ、Bという結果になる」と言うと相手にAかBの行動をさせる力をもつ「ぼく」は、ふみちゃんの心を傷つけても平気でいる犯人が許せず、力を使って犯人と対峙することを決める。

 「ぼく」は同じ力を持つ大学の先生・秋山と話し合い、力の使い方を教わる。その過程で、人を裁く/罰するとはどういうことかが繰り返し語られる。相手に対して責任を負うべきなのか、あるいは責任を負わないという強い意志が必要なのか。どちらも正しくて、どちらも間違っている。大切なのは、自分が何を「正しい」とするのかだと、秋山先生は言う。罪や罰について、犯人がやったことについて、二人は繰り返し考える。罪と、罰と、裁くことについて。断罪するのは気持ちがいい。「いいこと」をした気持ちになる。でもそれは本当に「いいこと」なのだろうか。誰にとっての「いいこと」?あなたは断罪した相手を背負って生きていくの?背負って生きる覚悟、あるいは背負わずに生きる覚悟はあるの?

 無責任な悪意と対峙するために「ぼく」が選んだ手段。これは、罪と罰と愛の話。

 

ぼくのメジャースプーン (講談社文庫)

ぼくのメジャースプーン (講談社文庫)

 

 

 

スロウハイツの神様』――夢を見る人の物語

 辻村さんの作品の中で一番好きな作品をひとつ挙げろと言われたら、これを選ぶ。

 脚本家・赤羽環が管理人を務める「スロウハイツ」。環がそこの住人として集めたのは、何者かになるべく夢を追う者たちと、人気小説家のチヨダ・コーキ。彼らの現在に起こる事件と、彼らが生きてきた過去と、彼らが生きていく未来についての物語。

 クリエイティブな人間になりたかったけれどなれなかった、なるために足掻く勇気もなかった私だから、スロウハイツの人々が眩しくて愛しい。みんな好き。環もコウちゃんも、出ていったエンヤも。

 それと同時に、中高生のころに何かのファンだった人にも響く作品だ。作中では「チヨダ・コーキ」という作家が出てくる。どんなに嫌なことがあっても、新作が出るという情報があれば生きていられた。2か月後に新作が出ると知ったら、あと2か月は何がなんでも生きなくちゃと思ったことが、私にもある。私の場合は小説ではなくて音楽だったけれど、新しいCDが出る日を指折り数えて待っていた。新作が出るんだからそれまでは死なない、と言い聞かせた。死ぬ気なんかなかったくせに、と思われるかもしれない。実際、死ぬ気なんてなかったのかもしれない。でも、永遠に続くかのように思えていた絶望の日々の、唯一の光だった。決して楽ではない現実を生き抜くための夢だった。そういうものがある人には、きっと伝わるものがあると思う。

 夢を追う人も、夢を叶えた人も、夢を諦めた人も、それでも夢を見るすべての人に読んでほしい。

 

スロウハイツの神様(上) (講談社文庫)

スロウハイツの神様(上) (講談社文庫)

 
スロウハイツの神様(下) (講談社文庫)

スロウハイツの神様(下) (講談社文庫)

 

 

 

 

『名前探しの放課後』――逃げないで戦う/ちゃんと間違える

 3か月後、同じ学年の誰かが自殺することがわかっている。でも、誰だかはわからない。そんな秘密を共有した高校生たちが、「誰か」が死なないようにと頑張る3か月。確かに必死にはなっているんだけれど、単純に友達として時間を共有しているともいえるし、むしろその側面の方が強いのかもしれない。

 作中では、一度逃げてしまったことに再挑戦する場面が出てくる。かっこ悪いところを見せたくないから、負けを認めて逃げた過去。それにもう一度向き合うことは、決して楽ではない。またかっこ悪いところを誰かにさらさなければいけないかもしれない。でも、それを笑わない人がいる。

 青春してるなぁと思っているとミステリの要素が出てきたり、ミステリしてるなぁと思ったら青春の要素が出てきたりと、青春とミステリのバランスがちょうどいい。

 『ぼくのメジャースプーン』を読んでいるとより楽しめる作品。

 

名前探しの放課後(上) (講談社文庫)

名前探しの放課後(上) (講談社文庫)

 
名前探しの放課後(下) (講談社文庫)

名前探しの放課後(下) (講談社文庫)

 

 

 

 

『盲目的な恋と友情』――好きよ、あなたと地獄に行けるほど

 盲目的な恋の話と、盲目的な友情の話。二人の女の子、蘭花と留利絵それぞれの視点から同じ事件が語られる。蘭花の章は「恋」、留利絵の章は「友情」と名付けられている。この端的なあらすじ(ともいえないあらすじ)でぞっとした人には是非オススメしたい本。

 「恋」の章を語る蘭花はとても美しい女の子で、「友情」の章を語る留利絵はそうではない。見た目を笑われたり、誰からも「選ばれない」女の子。身に覚えがありすぎて正直何度読んでもしんどい。私が感想を語るとどうしたって留利絵に偏ってしまうのであんまり多くは語らないようにしようと思う。

 盲目的な恋、という言葉は珍しくない。盲目的な友情、という言葉は珍しい。でも、盲目的な友情ってあると思う。あの子と友達でいたいという気持ちが膨れ上がり「私はあの子の親友だから」ということに重きを置きすぎてしまう。あの子が頼るのは私だ、ということを生きがいにしてしまう。そういう類の盲目さってあると思う。その極地を描いたのがこの作品だ。

 「女」が抱える不自由さだとか「女」であるために生じる呪いのようなものが、清々しいほど禍々しい文章で描かれている。これが好きなら『鍵のない夢を見る』もオススメ。

 

盲目的な恋と友情 (新潮文庫)

盲目的な恋と友情 (新潮文庫)

 

 

 

『朝が来る』――フィクションのなかのリアル

 フィクションとリアルは対立する項目ではない。フィクションがリアルを内包していることもある。たとえば、作品のなかに描かれている感情。望まない妊娠をした中学生・ひかりと、子供がほしくてもできない佐都子、双方の感情がとてもリアルだ。

 『ゼロ、ハチ、ゼロ、ナナ。』や『鍵のない夢を見る』などのnotファンタジー/not(あるいはちょっと)ミステリ路線の、現時点での最高傑作だと思う。物語のテーマは重いし、読んでいる最中もいろんな人のいろんな感情が痛いほど突き刺さってしんどい。それでも、読んでよかったなと心から思えるような読書体験をさせてくれる。

 生みの母であるひかりと育ての母である佐都子、それぞれの感情が丁寧でリアルに描かれている。そのリアルさをより強固にするように、特別養子縁組を支援する団体についてもリアリティをもって描いている。実際がどういうものなのか知らないので「リアル」と言い切ることはできないが、想像だけでなく取材をして書いているということは伝わってくるし、読んでいて説得力があると感じた。

 

朝が来る (文春文庫)

朝が来る (文春文庫)

 

 

 

 

かがみの孤城』――あなたの正しさは、正しいですか?

 物語のテイストが私の大好きな初期作品(講談社ノベルスで出ていた作品)に近く、これが読みたかった!!!と素直に思った。他のが読みたくないとか面白くないわけでは全然ないけれど、私に響くのはこういうタイプの本なんだなと再認識した。

 光る鏡の向こう側にあるお城とそこに隠された謎解きというファンタジックな部分と、お城に集められた中学生たちが現実の世界で抱えているつらさのリアルの配分がすごくよかった。小さい頃に読んだ児童文学のようなファンタジーにわくわくしていると、恐ろしいほどのリアルが襲ってくる。このギャップに引き込まれた。

 鏡の向こう側にある「城」に集められたのは、学校で上手くいかない中学生たち。彼らはみな、誰かの信じる「正しさ」に傷つけられ、心を閉ざしてしまっている。主人公・こころが不登校になるきっかけとなった出来事は、もしかしたら「些細なこと」かもしれない。直接何をされたとか、そういうわけではないから。でも、こころにとっては決定的な「恐怖」だった。こころの周りの人たちは、それぞれが思う正しさで不登校という現状を解決しようとする。でも、それぞれが思うその正しさは、正しいのだろうか。誰かを傷つけることになりはしないか。きっと、誰も傷つけない正しさなんてない。だけどせめて、大切な人を守れる正しさを持っていたいと、そう思った。

 読んでいるうちに、ミステリとしてこの本に仕掛けられた謎はどういう仕組みなのか、なんとなくわかってくる。しかし、なんとなくわかったとしても、積み重ねられた奇跡に胸が痛くなる。

 2018年の本屋大賞受賞でも話題になっている本なので、辻村深月さんを読むならこれを最初の一冊にするのもよいかと思います。

 

かがみの孤城

かがみの孤城

 

 

 

 

ドラえもん のび太の月面探査記』――友達ってだけで、助けていい理由になる

 いま辻村さんの話をするのにこの作品を出さないわけにはいかない。辻村さんといえばドラえもん、そして藤子・F・不二雄先生の大ファンである。ひみつ道具の名前が章タイトルになっている『凍りのくじら』という作品も書いている。

 シンプルな色合いに金の箔押しが映える表紙、本を開くと出てくるどこでもドア。ここだけでもう泣いちゃう。読み進めると、辻村さんの文章で綴られるドラえもんのび太が出てきてまた泣いちゃう。三人称で書かれていて地の文は淡々としているんだけど、のび太たちを優しく見守る手が書いているんだってすぐにわかる。わかるので何度も何度も泣きそうになってしまう。あのひみつ道具が出てきたときには……もう本当に……胸がいっぱいで……

 のび太ドラえもんといった既に存在するキャラクターを描きながら、でも確かに辻村さんの作品だな、と思った場面がある。謎の転校生・ルカに対して、のび太が「ただ友達っていうそれだけで、助けていい理由にだってなるんだ」と言うところだ。私はここに、他の辻村作品にもみられる優しさが詰まっているなぁと思った。「友達が困っていたら助けなきゃ」という義務感ではなく、「友達は助け合うもの」というきれいごとのような一般論でもない。「助けていい理由にだってなる」=もしかしたらお節介かもしれないけれど、助けたいと思ったら手を貸してもいい、だって友達だから、ということ。そういえば、辻村さんが書いてきた少年少女(あるいは少年少女の心をもった大人)はそんな子たちばかりだ。友達との関係で疲弊してしまった深月の味方となった鷹野や昭彦も、サンタさん論争で折れた「ぼく」に言葉をかけたふみちゃんも、自殺してしまう誰かを止めようとするいつかたちも、いつしか絆が芽生えたこころたちも、島で暮らす4人組も、スロウハイツの面々も。みんな、大切な友達のことを思って、もしかしたらお節介かもしれないけれど、手を差し出してきたのだ。

 

 

 

 

 

 あとエッセイ作品もとても良い。いちファンの視点で好きなものを語っている場面を見ていると、まるで友達の話を聞いているような気持になってくる。何かをずぶずぶに好きになったことがある人にはきっと響くものがあるだろう。

 エッセイの中で、辻村さんが過去に書いた作品について振り返っている話もあった。私が大好きな小説が、書いた人からもこんなに愛されていて、なんだかすごく幸せな気持ちになって、涙が出てくる。何目線だよって感じだけど、心底嬉しいのだ。なんでだろうね。

 

ネオカル日和 (講談社文庫)

ネオカル日和 (講談社文庫)

 
図書室で暮らしたい

図書室で暮らしたい

 

 

 

 

 

 辻村さんの作品の魅力のひとつとして、「本人以外から見たらとても些細でどうでもいいようなことでも、本人がとても傷ついていたり後悔していたりする出来事」を決して無視しないこと、があると思う。

 私にもそういう出来事がいくつかある。思い出したら胸の奥がちくっと痛む出来事が。そんな経験も、辻村さんなら見捨てずにいてくれると思う。作品の中に描かれる出来事とは具体的には全然違うのに、作中で誰かの些細な傷となっている出来事が拾われるたび、私も救われるような気がする。

 

 作家生活15周年おめでとうございます。いち読者として、辻村さんが小説家として書き続けてくれることは本当に幸せだと感じています。これからも素敵な作品をたくさん届けてくださることを、心から楽しみにしています。

 

 

 

 ちなみに2019年3月現在の最新作は『傲慢と善良』です!恋愛小説と銘打って売り出されていて、読むのがめちゃくちゃ楽しみ!

 

傲慢と善良

傲慢と善良