頼りない夜に灯る、ひとつの光 ―『傘をもたない蟻たちは』感想―

 文庫版『傘をもたない蟻たちは』が発売されました。折に触れては収録作の話をしているように思いますが、一冊まとめて書いた記事はなかったので、改めて読み感じたことをまとめておこうかと思います。例によって主観でしかありません。ただの感想文です。 

 

傘をもたない蟻たちは (角川文庫)

傘をもたない蟻たちは (角川文庫)

 

 

・装丁

 表紙は単行本とは印象ががらりと変わって、写真を使ったものになっている。単行本の傘の中だけ雨が降っている様子も湿っぽくて余白の良さを感じてすごく好きだったのだが、新しい装丁ではなんとなく前向きな未来が見えてくるような印象がある。
 単行本発売当初の帯には「生きづらさを抱えた人々の痛みと希望を描く」と書いてあった。作品を読んでいて、「痛み」はわかるが「希望」はなかなかわかりづらく、何を意図してこの帯の文章がつけられたのだろうと考えていた。そしてひとつの答えとして、どんなに絶望しても登場人物たちが生きていることが希望とつながるのではないか、という考えに至った。この表紙を見て、それはあながち間違ってはいないような気がした。どれだけ土砂降りの雨だったとしても、いつかはきっと止んで、光が差す。

 

・「染色」

 個人的にはこの短編集の中で最も好きな作品。好きなところがたくさんあるので必然的にここだけ文字数が多くなるかもしれないけれどご容赦ください。
 不安定で儚げでどこか危うさのある女性・美優を「理想」「夢」「幻」、堅実的で地に足をつけて生きている女性・杏奈を「現実」を示すものとして用いているところがまず好き。たとえばそれぞれの肉体について、美優「肌は透けそうなほど薄かった。」と描写されているのに対し、杏奈は「太った」ということが繰り返し描写される。美優は肉体にも現実味が伴わないが、杏奈は質量をもっていることを強調されている。この差が、小説を構造的な視点から読み解くときにとても楽しい。美優は主人公の元から離れていき、彼女がもう自分の世界にはいないと痛感した主人公は杏奈に電話をかける。幻が醒めて現実に帰るラストも、とてもいい。
 小説を読むとき、物語を楽しむこともあれば読み解き方を楽しむこともあるが、この「染色」に関しては後者の割合のほうが大きい。知的好奇心が疼くというか、読んでいて脳が楽しくなってくる。私にとってそういった作品は多くはないので、「染色」のことをとても気に入っているという面もある。
 また、この作品は、単純に「美しい」と思う。静かで美しい映画を見ているかのよう。全国ロードショーではなく、都内でも数館でしか上映しないような、そんな映画。
 私は本を読んでもその内容を視覚的に思い浮かべることができないけれど、特にラストの主人公が美優の使っていた部屋を訪れる場面が映像として考えたときに美しくなるように描写されている、ということはわかる。美優の使っていた部屋が鍵もかけずに放置されていることや、電気は通っていなくても窓辺から射し込む月光で部屋の様子が大体把握できるということは、現実的ではない。現実的ではないけれど、とても美しい。実際に月光がどれほど室内を照らせるのかわからないが、少なくともその光景がとても美しいということはわかる。
 フィクション作品において(どんな作品を目指すかにもよるが)、「現実的である」という要素は必須要素ではない。作品によっては、それ以上に優先される要素がある。「染色」の場合は、「視覚的にとらえたときに美しい」ということが優先されているように感じられる。しかも、その美しさはただ美しいわけではなく、主人公の感情が露わにするという役割を担っている。射し込む月光が美しいほど、部屋に何も残されていないことが強調される。さらに月光は、主人公にも何も残されていないことを、それでいて美優と過ごした日々が深く刻み込まれていることを(しかしそれらの記憶は「現実」を生きるには邪魔にさえなりうるということを)照らし出す。
 初めて美優の部屋を訪れた日には朝日の描写が出てくるので、その対比としてもラストの月光は美しい。隅から隅まで美しさで満ちた短編だといえよう。

 

・「Undress」

 『チュベローズで待ってる』より前に週刊SPA!で短期連載された作品。サラリーマンを「脱ぐ」=脱サラに憧れ、理想の脱サラを実現しようとする男性を主人公としている。登場人物が全体的にギラギラしているのが特徴的で、誰もが自分の理想にまっすぐ突き進み、まっすぐすぎるがゆえに誰かを蹴落としたり誰かに蹴落とされたりしている。野心ってそこまで人を突き動かすものなのだろうか。
 「脱ぐ」という言葉は、主人公の中ではポジティブなものとして捉えられていたのに、最終的には「脱落」という言葉につながる。この作品は特にそういった言葉の使い方がとても上手くて、読んだ後にやられたと思わされる。


・「恋愛小説(仮)」

 徹底して主人公の閉じた世界で話が展開しているところがものすごく好き。決して広がっていかない。彼の中で始まり、彼の中で展開し、彼の中で終わる。
 なんていうか、他者の助けなんかなくても人間ってどうにかなるものなんだな、という気がしてくる。物理的には主人公は火事から助け出されているけれど、精神的にはひとりで問題に出会い、悩み、解決している。私にだってそういうことはあるし、世の中には表に現れずにひっそり解決されていった問題がたくさんあるのかもしれない。そう考えると、人間って強かだなぁ、と思う。
 久米島ユキエが叶えられなかった望みを叶えているつもりで人形遊びをしているだけだと気付くところが、誰が何を言ったわけでもないのに自分自身の考えで振り回されている感じがして、人間らしさってそういうことなのかもしれないなと思った。人の考え方を変えるのは、外から与えられた刺激だけではない。内側に持っている「思考」にも左右される。人間が考える葦であるなら、この「思考」は人間らしさのひとつなのかもしれない。

 

・「イガヌの雨」

 この作品の主人公や周りの人々の、本人は気付いていないエゴの部分がとても好きだ。とても人間らしくて、近未来の世界を舞台としたSFでありながらとてもリアルなものとして感じられる。
 祖父から厳しく禁止されていながらイガヌを食べてしまった主人公も、周囲にイガヌを食べることを禁止していた祖父も、隠れてイガヌを食べていた主人公の両親たちも、みんなみんな自分勝手。更に、祖父の葬式の精進落としにイガヌを食べる両親たちを糾弾する主人公も、またもや自分勝手。優しい人なら祖父の思いを知った彼女が考えを改めたと思うのかもしれないけれど、私にはその考えを改めるという行為も自分勝手なものに思える。でも、そんな自分勝手な人々だからこそ、リアルだと感じる。私もまた、そんな身勝手さを抱えて生きているからだ。私だけではなく、ほとんどの人々がそうだと思う。
 祖父の禁止していたイガヌを、祖父の生前には隠れて食べていたという主人公の両親たち。見方によっては、彼らは祖父の思いを汲んでイガヌを食べない姿を演じていたのだから、それもある種の優しさに思える。「優しい嘘」なんて言葉もあるくらいだから、こういったことは往々にしてあることなのだろう。そういうところにリアルを感じる。
 ちなみに、NEWSがさまざまな実験をする番組「変ラボ」でゲテモノを食べる企画をこなしていた加藤さんの食への興味関心が現れた作品でもある。


・「インターセプト

 とある男性が女性を口説き落とすというひとつの出来事を、男女それぞれの側面から描いた作品。「Undress」もそうだったが、「世にも奇妙な物語」で実写化されそうな雰囲気がある。
 後半(女性視点)の主人公である安未果は、テレビでたまたま見たアメフトの試合の観戦席に映っていた男性に一目惚れしてしまうという、ある種の狂気的な恋愛感情からアクティブすぎるほどアクティブに行動を起こし、度を超した「痛さ」で邁進していく。しかし、「テレビでたまたま見た人に対して強烈な執着を抱く」という点では、アイドルのファンと大した差異はないのではないかという気がしてくる。ゴミを漁ることはしなくとも、過去を知りたくて雑誌やDVDなどを集めたりする。ストーカー行為に発展しているか否か、相手が芸能人か一般人かという決定的な違いはあれど、抽象的に捉えれば安未果と私に大きな違いはない。何かのファンであることは狂気的な感情を伴っていることを忘れないでいたいな、と思った。


・「かみさまのいうとおり」

 文庫版のみ収録。テンポがよくて読みやすくて好きだったので、文庫版に収録されてよかった。
 移人称というスタイルで書かれている短編。ひとくちに移人称といっても様々なスタイルがあり、一人称と三人称の間を行き来するような作品もあるが、この作品では一人称内の移動という意味で使われている。地の文の「俺」が差す人物が、くるくると入れ替わるのだ。二人の「俺」が登場し、地の文では彼らが交互に喋っているようなかたちになっている。
 時代性を表すためにプレステ2や映画が持ち出されていて、自分が作品と同時代を生きていることを思わされる。最近読んでいる本が90年代の作品が多く、携帯電話が普及していない時代の恋人たちが描かれていたりしてカルチャーショックを受けたけれど、時代性を色濃く出そうとすると必然的にそうなるよなぁと思った。
 不勉強で筒井康隆作品は「時をかける少女」しか読んでいないので、『旅のラゴス』『残像に口紅を』あたりを読んでみたい。


・「にべもなく、よるべもなく」
 『傘をもたない蟻たちは』において、最もページ数が多い作品。単行本発売当時はこの作品だけが書き下ろしだった。
 思春期の少年たちの不安定な心を描いている作品。青春の手前というか、これが青春だと振り切ることができる前の鬱屈とした時期の精神状態、それを指して思春期と呼ぶのかもな、と思った。
 仲が良く、親友と呼べる間柄だったはずの友達が、一歩先に大人になってしまう。取り残される不安。自分にとっては唯一無二の大切な相手が、自分をそうは思っていなかったかもしれない恐怖。思春期の少年の焦りが、胸に迫る。その焦りはかつて私が見落としてきたものであり、私が経験してきたものでもある。
 心の中の順位の話だ。主人公・純にとっては、男性は恋愛の対象ではないので男性のなかでは「友達」の頂点に当たる「親友」が最高位で、ケイスケはそこにいる。ケイスケにとっても自分は最高位にいるはずだと思っていたのに、彼の恋愛対象が男性であるのならば、自分のいるところは最高位ではなくなる。あくまで恋愛を友情の上におくと仮定した場合だけれど、純の心の中ではそんなふうに思っていたのではないかと思う。全く同じ感情を抱いたことがあるわけではないけれど、友達に彼氏がいると知ったときの寂しさは自分が相手の心の中の最上位にはいないということに気付いたことによるものだったようにも思える。
 純は、ケイスケという他者を受容したい、受容しなければならない、という思いから自分を制御できなくなっていく。大事なものを守ろうとして、周りも自分も傷つけてしまう。他者を受け入れるなんて、決して簡単なことではない。そもそも、できることではないのかもしれない。できるのは、私が私であり、あなたがあなたであると、違ういきものであるということを、ただそのことを受け入れるということだけなのかもしれない。
 自分と同じではないものに、不寛容な人は多い。あなたと私は違うと、当たり前のことをまるでひどい悪のように言い、拒絶する人がいる。拒絶して、その結果誰も傷つけないなんてことはきっとない。私も知らない内に誰かを傷つけているのだろう。違うものであるということに、もっと寛容になっていけたらなと思った。

 

 

 以前書いた記事(あなたの味方かもしれない彼の話 ―小説家・加藤シゲアキ作品のススメ― - 来世はペンギンになりたい)では、『傘をもたない蟻たちは』の登場人物たちはみんな自分が一番可愛い、ということを書いた。自分が一番可愛いということは、自分のことを大切にしているということでもある。一番可愛がっているんだから、大切にしているのは自明と言っていいと思っている。自分を大切にしているから、自分がよりよく生きることができる道を模索して、迷って、見失って、右往左往している。雨に打たれ、列の乱れた蟻のように。
 選択肢がいくつかあれば、その中で自分が気持ちよくいられるものを選びたい。自分勝手な考えのように見えるけれど、困ったことばかりでもない。最近よく目にする「自分の機嫌は自分で取る」という言葉も、いくつかある選択肢の中から自分が気持ちよくいられるものを選んでいるということなのではないかと思う。
 自分勝手、というと言葉は悪いかもしれないが、誰かを糾弾する前に自分が身勝手であることに気付いていたい。誰かを押しのけてまで前に行きたくはないけれど、だからといって押しのけられてやる義理もない。今のところはそんなふうに思っている。

 

 文庫版の帯は「思い通りにいかなくても生きていかなきゃいけない。」という部分が強調されている。悩んでも、迷っても、苦しくても、悔しくても、生きていかなければならない。この作品に出てくる人々は、どうしようもない気持ちを抱えながらも生きている*1。人生ってそういうものだろと思っても、頭ではわかっていても納得がいかないこともある。そんなとき、この本のことを思い浮かべたら、少しは希望が見えてくるのかもしれない。
 文庫版で新たに加えられたあとがきの最後の一文は、ドラマ「傘をもたない蟻たちは」主題歌の「ヒカリノシズク」から引用するかたちになっている。ちょうど、今の心境とも重なって、あとがきの最後を読んで少し泣いてしまった。
 私にとっては加藤さんが、そしてNEWSが、頼りない夜に灯るひとつの光だ。仕事がつらくて、でも誰も私がつらいことに気付かないからきっとまだまだつらくないんだと思い込もうとしていたときのことを思い出す。そんなとき、QUARTETTOツアーで「ヒカリノシズク」を聴いて、私がつらいと感じているということに頷いてもらえた気がした。私のつらさは私にしかわからないのだから、周りのことは関係なく、私がつらいと思ったらそれは「つらい」でいいのだと、つらいと思っていることを認めてもらえた(あるいは認めることを自分に許せた)気がした。あのときのことを、思い出す。
 つらくてどうしようもなくても、明日は来る。いいことか悪いことかはわからないけれど、事実として来る。それでも、越えるのがつらい夜もある。そんなときに、NEWSはいつでも私の「ひとつの光」でいてくれる。余談だけれど、そんなふうに思ったりした。

 


 ちなみに加藤さんの最新作「ミアキス・シンフォニー」は雑誌an・anで不定期連載中です!

*1:作中で亡くなる人々もいるが、ほとんどは「生きづらさ」を抱えながらもそれと向き合っていた人々のように思える