僕のなかの僕と僕 ーコンサート演出「氷温」感想・考察ー

 コンサート全体の感想も書いていますが、この曲だけでだいぶ長くなってしまったのでひとつの記事としてまとめました。

 

 今回は、ひたすらに知的好奇心が刺激されるソロ曲だった。これは一体なんだろう。何を表しているんだろう。もっとわかりたい。いや、わからなくてもいい。私が納得して「これがいい」と選び取れるものがほしい。そのために沢山考えたい。これはきっとこういう意味だとか、ここにはこういう意図があるのではないかとか、そうやって考えることがとにかく楽しかった。
 そう、単純に楽しかった。楽しかったことが、嬉しかった。
 あれこれ考えたことを、メモとしてまとめておこうと思います。メモだし、いつも異常に圧倒的主観150%で。


※コンサート版「氷温」の登場人物を
 加藤さん:A
 新藤くん(ヘルメットとゴーグルの子):B
 ライトを持ったJr:C
 とします。誰が演じているかではなく、どのような役割を担っているかが重要だと思っているので、そこに焦点を当てるためです。

 

歌詞について

 基本的には以前ブログに書いた解釈の通りだと思っている。ざっくりまとめると、付き合っている「僕」と「君」がいて、「僕」は「君」に別れ話を切り出す。それでいて、「僕」はどこか「君」に対する未練を抱えているようにも思える。そんな身勝手な男の歌。
 あれこれ書いているので過去のブログをご参照ください。

溶ける氷と凍りゆく関係 ―「氷温」感想メモ― - 来世はペンギンになりたい

 

入れ替わり/成り代わり、アイテム

 今回のソロ曲では、サイドのウィングに座っているAとライトを持ったCたちに囲まれたBが、立ち位置もそれぞれのアイテム(Aの持っていたライトはBに、Bの履いていたハイヒールはAに)も含めて入れ替わる。
 おそらくこの「入れ替わり」あるいは「成り代わり」は、加藤さんの好きなギミックなのだろう、過去の作品にも使われている。『ピンクとグレー』ではりばちゃんがごっちを演じることで自分がどちらであるのかわからなくなるような描写がある(りばちゃんがごっちに「成り代わる」)。「ESCORT」のMVでは、ウェイターがステージ上に立つ白い衣装の男と出会い、最後は自身が白い帽子を被りステージに立つところで終わるが、これも「入れ替わり」あるいは「成り代わり」の一種であるように見える。
 また、加藤さんの描く「入れ替わり」「成り代わり」は、アイテムを伴いがちである。視覚的にわかりやすいということもあるし、単純に加藤さんがそういうのが好きなのではないかな……と勝手に思っている。『ピンクとグレー』ではごっちの持っていたデュポンのライターとりばちゃんの持っていたラブホのライターが入れ替わる。「ESCORT」MVでは、白い衣装の男が残した帽子を被り、白い衣装の男が立っていたステージに立つというように、衣装と立ち位置が白い衣装の男からウェイターへと渡っている。
 先述の通り、「氷温」はAとBの立ち位置もアイテムも入れ替わる。どういう意味があるのかは次の項で。

 

 

コンサート演出が示すもの

 サイドのウィングに座ったA、ステージの中央でライトを持ったCたちに囲まれるB。曲が進むにつれ、AとBが徐々に近づき、立ち位置が入れ替わる。Bは履いていたハイヒールを脱ぎ、Aに渡す。Bは最初にAがいたウィングへ去り、Aは中央に残りCたちに囲まれ、冒頭のBのようにCのうちのひとりを椅子にして座り、受け取ったハイヒールを履く。一連の流れを文字にすると、こんな感じか。
 初めて見たときから、これらのものが一体何を意味しているのか、考える頭が止まらなかった。氷?「僕」?「君」?ホテルの部屋?一体誰が何を表しているのだろう。考えてはいまいち納得できずにまた違うように考え、を繰り返し、ひとつの答えに至った。
 あのステージ上は、「氷温」で展開する物語の、「僕」の心の内。
 加藤さんの演じるAは、自分を愛する心=エゴ。新藤くんの演じるBは、「君」を愛していた恋心。つまりはどちらも「僕」である。「僕」の感情の擬人化といったところだろうか。
 心の真ん中には「君」を愛する心がいたのに、別れ話をすることによって彼のエゴが恋心を上回って立ち位置を逆転させてしまう。「僕」というひとりの男のなかで優先順位が入れ替わる。楽曲のもつ物語は歌詞にまかせ、コンサートの演出では「僕」の内面を、「僕」が別れ話をしている最中の心の動きを表しているのではないだろうか。
 そもそも、恋心(この場合は「君」を大切に思う心ともいえる)とエゴ(やさしく言うと自分を大切にする心)は同時に心の中に両立することはできないのか。本来ならできるものなのだろう。しかし、「君」を愛しているのに嘘を重ねるようになってしまった「僕」の心の中では、もうそのふたつは共に在ることはできないものとなってしまったのだ。ふたつの感情が共存できない時点で、もう「僕」のなかでは「君」との関係が破綻している。だから、「僕」は「君」に別れ話をする。

 

 順を追って読み解いていく。まず、Aがステージ上に一人で現れ、その後にBとCたちが現れる。Aは俯いたままウィングに向かって歩いていき、ステージ中央を振り返り、座り込む(このへんの流れは記憶が曖昧。ごめんなさい)。まだ曲が始まる前なので、この時点ではまだ別れ話はしていない。けれど、A=エゴは心の中心を見ている。自分がいるべき場所はあそこなのではないかと考えているかのように。きっと、「僕」の「君」への想いが揺らぎ始めた時点の描写なのではないかと思う。
 そして曲が始まる。A=エゴがウィングに、ステージ中央にB=恋心がいる。ステージの中央は心の中央、あるいは中心部といったところを表していて、そこにいるのはB=恋心。「僕」の心の主導権を握っているのは恋心ということになる。一方、A=エゴはウィングに座り込んでいる。心の隅、一人で明かりを灯している。このライト、そしてCが持っているライトは何を示しているのかというと、主導権を握ることができない感情たちではないだろうか。心の中央にいる恋心は、他のたくさんの感情を従えて中央に君臨している。しかし、エゴは一人きり孤独にライトを光らせている。このときの「僕」はまだ迷っているのだろう。「ほんの少し正気になって落ち込む」「時が止まればと心で願ってる」くらいだから、「君」に対する想いもないわけではない。まだ「僕」の心を支配しているのは「君」への恋心だ。
 その後、Aはステージの中央へと向かう。Bもまた、Aの方向へ向かう。しかし二人の動きはすれ違う。同じ動きをしているのにタイミングが異なる。一方が動けば一方は止まる。まるで、それぞれの力がせめぎ合っているかのように。ステージの中央で出会った二人。AがBを抱き上げてくるくると回る。抱き上げるほうと抱き上げられるほう、という関係性が生まれる。ここで、AがBを上回る。抱き上げるほうと抱き上げられるほうなら、抱き上げるほうが力が強いと言えよう。今までの力関係が逆転する。きっと、このときの「僕」は「君」に別れ話をしているところだ。そして、「君」はそれを受け入れようとしている。
 恋心は、エゴに心の主導権を奪われる。この主導権を表すアイテムがハイヒールだ。このステージで、彼だけが持っているもの。彼はそれを新たに「僕」の心の支配者となったAに渡し、自身はAがいたウィングへと向かう。「僕」が「君」に別れを告げたことで恋心は未練となり、心の中を自由に闊歩する靴を失い、心の奥にしまい込まれる。
 一方、Aは他のたくさんの感情たちを従えて、支配者の証である靴を履く。靴を履いている者は、周りの感情たちが照らしてくれるから自らライトを持つ必要もない。ただそこに君臨していればいい。もう「君」は「僕」の元から去っていったのだから。

 

 歌詞を見ていても、「君」が具体的に何をしたのかという描写は出てこない。「君」という言葉は何度か出てくるものの、動作の主体としての「君」ではない。どれも「僕」から見た、「僕」越しの「君」でしかない。「君」もそこにいるはずなのに、まるで「僕」ひとりで成り立ってしまうかのような歌詞だ、と思った。コンサートでの演出が「僕」の内面をステージの上に表したものだとしたら、そこに「君」はいない。歌詞から受ける印象とも合っている。
 また、この楽曲を作った加藤さんがエゴの側を演じていると思うと、あんまりにもぴったりすぎて楽しくなってきちゃう。この楽曲の、この演出の、すべての支配者は加藤さんであるはずだから、最後にステージを支配するのは彼でなければならない。というか、私は彼の描く人物像のなかでも身勝手な人たちがものすごく好きで、そんな身勝手な心=エゴを加藤さんが演じていたかと思うとめちゃくちゃ興奮する。勝手に創刊が得ているだけではあるけれど。
 私は加藤さんがサングラスをかけていた公演には入っていないのだけれど、ずっとかけていて最後の「氷温」で外すと聞いた。AもBも顔を隠した状態で曲が進み、最後の最後でAがサングラスを外して顔を見せるのも彼が支配者たることの現れなのではないかと思える。
 というように、コンサートの演出は、「僕」の内面の様子を描いたものだと考えると、私のなかでは非常に納得がいく。

 

あと最後に

 音源では女性コーラスで入っている「氷温」という声、曲全体の印象としてここだけ浮いていて、確かにこのぞわっとする感じがいいのかもしれないけれど、でもここも加藤さんの声だったらな……と思っていたのでコンサートでは加藤さんの声になっていて超嬉しかった。これはただの感想です。

 


 コンサートに行くまで、曲はあまり聴かないようにしていた。曲がすごく好きになって、コンサートでの演出と仲良くなれなかったら、それはとても悲しくなってしまうなぁと思ったから。毎年、私の趣味とは微妙に、しかし決定的に違うところがあるので、なかなかしっくりくることがなかった。あるいは、曲に気持ちを乗せすぎて冷静な心で見ることができなくなってしまっていた。今回はそのどちらでもない、知的好奇心を擽りアドレナリンがどばどば出る演出だった。
 こんな面白いものを作れる人のことを好きで、心底楽しい。来年は、というか15周年のコンサートでも何かやるのだろうか。楽しみで仕方がない。

 

お題「NEWS ARENA TOUR 2018 「EPCOTIA」宇宙旅行記」