変わりゆくきみの2202日 #にゅすほめ #しげほめ

 2202日経った。2011年11月22日、あなたが加藤シゲアキになった日から。
 生きている人なのだから、変わっていくのは当たり前のことだ。2202日前と今では私だって変わったところはあるんだし、けれどあまりに変わっていくから時々自分の中で何かがぶれてしまうこともある。ここ数か月はそのぶれを抑えようとする日々だった。そんな日々を終わりにしたくて、「変わる」ということをテーマとして加藤さんのことを褒めたいと思います。
 2202日というのはただの数字でしかなくて、そこに意味があるわけではない。加藤さん本人にとって区切りとなるのはあの日じゃなくて別の日だっただろうし、私もそこまで意識しているわけではない。ただ、「変わる」ということにおいて目印となる日であることは確かだと思うので、2011年11月22日を例に出しました。
 私が見てきた、変わりゆく加藤さんの話です。

 

・小説家になった

 2202日前、「加藤成亮」というひとりのアイドルが「加藤シゲアキ」と名前を改めることを発表したと同時に、小説を出版することも発表した。
 デビュー作『ピンクとグレー』は粗削りなところもあるけれど、そこを直してしまったら良さが失われてしまうくらいに<初期衝動と熱量>に溢れていた。デビュー作でしかできないことが詰まっていたし、それでいて次に書くものがどんなふうになるのか、小説家・加藤シゲアキの今後を期待させるものだった。そして続く『閃光スクランブル』は期待を裏切らない作品だった。明らかに小説家としてステップアップしていて、普段から意識的にことばに向き合っているんだろうなということがわかった。そうなると、どうしても次のハードルも上がってしまう。しかし三部作最後の『Burn.-バーン-』はそのハードルも軽くクリアしてしまった。というかあまりに軽々とクリアして私が思っていた以上に「小説家の書く小説」になっていたことに驚きを隠せなかった。
 「芸能界」「渋谷」という題材を扱った三部作「渋谷サーガ」。『ピンクとグレー』から『Burn.-バーン-』にかけてどう変わったかは、あまり言いたくはないのだけれど「読めばわかる」としか言いようがない。私がどれだけ言葉を尽くして語ったところで、実際に読む以上のことはない。『ピンクとグレー』は加藤さんの分身のような物語で、「芸能界」と「渋谷」でなければ書けなかったのではないかと思う。物語が、「芸能界」「渋谷」というもののうえに成り立っているようなイメージだ。それは加藤さん自身の物語が「芸能界」「渋谷」を抜きにしては語れないこととニアリーイコールで結びついているともいえる。『閃光スクランブル』は「芸能界」と「渋谷」以外の世界も開けつつある物語だった。そして『Burn.-バーン-』では、その二つは完全に物語を構成する要素となっていた。物語が、「芸能界」「渋谷」を内包しているのだ。その上に物語が成り立つか、物語がそれを内包するのか。物語に支配されるのか、物語を支配するのか。加藤さんの小説は、明らかな進化を遂げていた。
 一年に一冊出した三冊の本で、こんなにも加藤さんは変わっていく。次に発売された『傘をもたない蟻たちは』では短編集にも挑戦した。加藤さんのドライながらも人間のなまぐささが描かれる文章は、短編も合う。言いたいことが簡潔にまとまっている短編というスタイルは加藤さんに合っているような気がした。「芸能界」「渋谷」から飛び立っていった物語は、美大生/脱サラした男/小説家/近未来SF/恋愛心理学/思春期の中学生などなど、さまざまなところに着地する。
 そして次、12月12日に発売になる『チュベローズで待ってる』は上下編に分かれている大作だ。短編が似合う文体だなって思ったのに!でもきっと、長編も似合うなと思ってしまうのだろう。加藤シゲアキという小説家はまた進化を遂げているだろうから。

 「小説家である」ということは、加藤さんにとって大きな自信になったのだということは、傍から見ていてもわかる。何もないと思っていた加藤さんが、努力をして手に入れた武器だ。加藤さんの書いた小説は映画化やドラマ化(出演、主題歌)、それに「タイプライターズ」という番組、さまざまな仕事につながっている。小説そのものもそうだし、小説を書くアイドルであること自体が、加藤さんの武器なのだ。
 『ピンクとグレー』発売時に書店で流れていたインタビュー映像ではうつむきがちにぼそぼそと喋っていたけれど、今は違う。『傘をもたない蟻たちは』発売時ののインタビュー映像もだし、映画「ピンクとグレー」舞台挨拶のときも、加藤さんは自信をもって喋っている様子が感じとれた。うつむいてぼそぼそと喋る姿が懐かしく感じられるほどに。変わっていく姿を目の当たりにしていると実感する姿だった。

 

・過去について

 かつての加藤さんは、2人が脱退したときのことを「あえて引きずっている」という話をしていた。治そうと思えば治せる傷を、あえて治さずにいるような加藤さんの言葉に、それで本当にいいのだろうかと思うとともに安心もした。現在進行形で傷を抱えているのは私だけではなく彼もまたそのひとりなのだと、その事実にどこか安心していた。
 2017年6月のシゲアキのクラウドにて、加藤さんは「過去は参考にするもの」と言っていた。2人が脱退したときのことについてではないけれど、加藤さんはそういうふうに考えるようになったのだなと思った。ひとは変わっていく。後ろを向いてばかりだった加藤さんが、過去というものについて前向きにとらえていることが、私にとっては嬉しくもあり寂しくもあった。なんとなく置いていかれた気持ちになってしまった。そんなの勝手な気持ちなので、加藤さんには全然関係ないのだけれど。
 だけど今は、前を向いている加藤さんが過去を参考にするのだから、そんなの最強じゃないか、なんて小学生みたいな語彙力で思う。

 勿論、こんなことを言っているのは私の勝手であって加藤さん本人には関係のないことだ。私から見た加藤さんについてのことであって、加藤さん自身のことではない。他の人から見たらそんなふうには見えないことだってあるだろう。こんな自分勝手な視線に晒されてもアイドルを続けてくれることがありがたい。


 他にも、歌やダンスが上手くなったこと、演技の仕事がコンスタントに来るようになったこと、ソロ曲の演出のレベルがどんどん上がっていくこと、沢山の変化がある。ひとつひとつ挙げていったらきりがないくらいに。きっとこれからも変わっていくのだろう。

 

 


 なんとなくだけれど、加藤さんを見ていて大きく変わったなと感じるタイミングが何度かあった。そのうちのひとつが2014年春の舞台「中の人」だった。自分の殻を破る=自分の中の人を曝け出すということがテーマになっている物語だったということもあるだろうし、同じぐらいの時期に自ら「渋谷三部作」と名付けた3作の最終作『Burn.-バーン-』が出版されたことも大きく影響しているのではないかと思う。
 根拠のない自信を持てない加藤さんは、自信のあるふりをするのではなくて、自信をもちうるだけの根拠をつくりあげた。あの春をこえた加藤さんは、顔を上げて前を、未来を見るようになった。過去を引きずりたがる加藤さんのことも好きだけれど、自信をもった顔をしている加藤さんを見ていたら今の加藤さんも好きだなぁと思うようになった。今の加藤さんにとって、「過去は参考にするもの」なんだものね。

 変わったところが沢山あるけれど、変わらないところもある。変わったところも変わらないところも、大好きだし大嫌いだなと何度でも思う。加藤さんのあれやこれやに心を揺さぶられるたびに、ひどく疲れる。けれどそれが楽しい。楽しいのに、言いたいことが全然まとまらない。変わっていく姿にどんどん慣れて、昔のことがだんだん薄れていく。記憶とはそういうものだとは思うけれど、それが嫌だなと思ってしまう。だから変わらない加藤さんを見ては少し安心する。私が大好きで大嫌いだと初めて思ったときの姿を確認しては安心する。そして変わっていくところを見てはまた大好きで大嫌いだと思い、気持ちが増大していく。

 今年は私の中にもさまざまな変化があった。このまま加藤さんのことを好きでいられるか不安に思うことがなくなった代わりに、加藤さんが好きすぎるあまりに加藤さんに対しても他の色々なものに対しても気に入らないことが増えてしまった。でもそれはただ私が気に入らないだけで、決して加藤さんに起因しているものではない。なんでこんなに気に入らないの、なんで、どうして、と自分に問い続ける日々だった。ここ数か月、私が悩んでいたのは私自身の変化についてだった。沢山考えた。考えすぎて何について考えているのかわからなくなるくらいに。
 加藤さんに対して、大好きで大嫌いなことは変わらない。嫌いなところをなかったことにして切り捨てるのは、自分の感情にも加藤さんにも失礼な気がするから、大好きも大嫌いも全力であることが私の誠実さの表明だ。加藤さんに対して抱く感情を何一つ切り捨てたくない。どんな気持ちになったとしても、その気持ちごと愛していたい。いとおしくて抱きしめたいと思う感情も、牙を剥き出しにして怒る感情も、すべて等しく愛していたい。面倒だし、とても疲れる。けれどその疲労感すら愛していたい。「加藤さんのことを愛していたい」という私の気持ちは私のものであって、どんな他者にも侵されたりしない領域だ。そう気付くことができたので、なんだか大丈夫な気がしてきた。そんなふうに、私もまた変わっていく。

 

 変わりゆくきみと変わりゆく私の2202日は、この先もどんどんカウントを続けていく。お互い変わっていきましょう。

 というわけで、今日も私はシゲ担です。