それはどこへでも行ける切符 ―「できることならスティードで」感想―

 加藤さんのエッセイ「できることならスティードで」が今月発売の小説TRIPPER 2017年秋号で連載第4回目を迎えた。季刊誌なので、2016年冬号から始まった連載は次号で1周年になる。どこかで感想を書いておきたいなと思ったので、1年分の掲載が終わった今回のタイミングでまとめようと思う。

 


Trip1:大阪 (2016年冬号)

 昨年の24時間テレビが終わった頃の話。加藤さんがどれほどドラマに身も心も注いでいたか、見ていてもわかったけれど改めて本人が文章にして書いたものを目にすると、そうだったのかと新鮮な気持ちになる。
 舞台のために大阪へ行った加藤さんの話は、いわばおたくでいう「遠征」である。まさか自担が遠征した話を読むことになろうとは。遠征の道中で出会うものって、なんだか心惹かれてしまうし記憶にも残る。私も去年の広島遠征のことやアミューズのフェスでつま恋へ行ったこと・その道中にあった出来事は(記憶力の悪い私にしては珍しく)よく覚えている。
 『傘をもたない蟻たちは』収録の「イガヌの雨」もそうだが、目を逸らしそうになるほど食べ物を官能的に書くのが上手い。でもただ官能的なだけではなくて、むしろエロとグロのあいだみたいな、美味しさと気色悪さのあいだみたいな、絶妙なところを描きだす。食べることと性には密接な関わりがあるという論を大学のゼミで聞いて「なるほど~!」と思って以来その論を支持している私としては、加藤さんのこの手の文章は最高と言わざるを得ない。文章にはどうしたって書いている本人が現れるものだと思うが、加藤さんは「食」の描写に特に強く現れるように思うのだが、加藤さんの食への好奇心はこういうところに活かされているのでは?という気がしてくる。もしかしたら変ラボでのゲテモノ食いすらも加藤さんの文章の糧となっているのかもしれない。
 後半の舞妓さんの話は、加藤さんの想像がどんどん膨らんでいく様子が面白かった。対象を見たとき、頭のなかで物語が展開してしまうところは自分にも覚えがある。加藤さんは作家だから意識してそう書いているのかもしれないが、共通点を見つけたようでなんだか嬉しい気持ちになった。加藤さんのことだから、何か疑問に思うものを見つけたときにその答えが検索などでは得られない場合、自分の中で納得のいく道筋を見つけているのではないだろうか。
 終わりに向かうにつれ、最初はかっちりとしていた文体が砕けていき、最後のほうには助詞の脱落や「い」抜き表現などが多く見られるようになる。まるで、居酒屋で一緒に飲んでいてどんどん酒がまわってくる友人の話を聞いているかのような気分になる。勿論私は加藤さんと友達ではないし居酒屋にも行かないしそもそも私お酒飲まないけれど、そんな気分になれる文章だった。

 


Trip2:釣行 (2017年春号)

 釣りにハマったきっかけから、初めて行った海釣りの話、そして大野さんとの24時間釣りの話、などなど。大野さんとの話は当時いろんなところで話していたけれど、こうした文体で語られるとなんだか違ったものに思える。
 私は釣りには馴染みがない上に情景を頭の中に思い浮かべるのが苦手なので、イカ釣りの様子を丁寧に書かれているのにそれを「見る」ことができない。加藤さんの文章は視覚的だという話を聞いたことがあるので(確か『閃光スクランブル』のときにそんな話をどこかで聞いた)、きっと文章を読んで映像や画像をイメージできる頭ならイカ釣りの様子を「見る」ことができるのだろう。そういうふうに思える程度には、丁寧に描かれていた。
 どんな趣味も、それを趣味としないひとにとってはよくわからないものだ。今回の加藤さんの話も、釣りを趣味としない私にはよくわからない。けれど、誰かが何かについて熱を持って語っているのを見るのは面白い。魚が怖いし船酔いがひどいから、加藤さんのように海釣りをする機会はないかもしれないけれど、楽しそうだなあとは思う。
 最終的に文字数が足りなくなっているところは、シゲ部のいつもの終わり方を思い出して少し笑ってしまった。「やべぇもう時間なくなっちゃった」と言って早口でメールの宛先を読み上げる声が頭の中で再生される。しかし、「文字数」と書かれていると、自担や推しの魅力を140字に収められないおたくたちのこともなんとなく頭に浮かんでしまう。こういうところが加藤さんって感じで、好き。

 


Trip3:肉体 (2017年夏号)

 このところ忙しくて旅らしい旅なんてできていないのでは、と思っていたら、まさか「肉体」と旅を結びつけるとは。全く関係のなさそうなものを徐々に結び付けていく加藤さんの文章力はすごい、と素直に思った。
 私も今年の春からジムに通い始めたので、肉体の話には興味があった。この号が発売された頃はちょうど脂肪が落ち始めたあたりで、「やっぱマシントレーニングよりも自然な動きのほうがいいよなぁ」と思いながらも金銭的に専属トレーナーはつけられないしな……とぼんやり考えたりした。別に私は肉体が仕事と直結しているわけではなく、あまりに見栄えが悪いのをなんとかしたいのと元々悪い股関節にこれ以上負担をかけないためにダイエットをしようというだけだから、そんなにちゃんとやる必要もないのだけれど。でも当初目標にしていた1か月1キロ減は実行できてる。
 身体能力も歌も、コンプレックスに思った部分のうち努力でどうにかできそうな部分を努力でどうにかしていく加藤さんは恰好いいな、と思う。きっと、私の愛するアイドルたちは、見せないところで沢山の努力をしているのだろう。
 円環とか連動という話は、なるほどと思えるほど理解はできなかったが、なんとなくSFっぽさを感じた。あるいは宗教っぽさでもあった。こういった部分を題材にした話を書いたらきっと面白いだろうな、と思った。
 キックボクシングをやっていることをなかなか教えてくれなかったり、この回についても「似合わないけれど」と一言つけちゃう面倒くささも、好き。似合わないとは思わないしむしろ超かっこいいと思うのでいつかキックボクシングをやっている写真を美的とかで見せてください。
 ところで「円環」という話が出てきたときは思わず「魔法少女まどか☆マギカ」を思い出した。円環の理……加藤さんも連想していたりしないかな、なんて考えてみたり。

 


Trip4:岡山 (2017年秋号)

 傲慢さを発揮して他者の命と自分の命を天秤に載せてしまわぬよう、心を無にして読むしかなかったのだけれど、言葉を選んで何度も推敲を重ねて書かれたであろうことはわかった。加藤さんのあたたかな言葉で綴られていたから、割とあたたかな気持ちで読めたかな、とは思う。加藤さんの文章は徹底して「自分はこう思った」に終始していて、誰かに説教をするような文章ではないところが好きだなと思った。
 今回はそれまでの回以上にアイドルも生身の人間であると強く意識させられる内容で、正直苦しかった。あなたを切ったら赤い血が出ることくらい知ってるってば、と思う一方で、未だにその赤い血に慣れない自分もいる。いい加減慣れてくれよと自分でも思うけれど、毎度のことながら鮮烈な赤い血のイメージが脳裏をよぎる。だけどこれだから、加藤さんのことが大嫌いで大好きなんだよなあ、と思ったりもした。

 唐突だが、思い出話を始めたい。私が高校に入った頃の話だ。確か、当時のポルノグラフィティの新人マネージャーがその大学出身だったとかいう適当な理由で告げたそこそこのレベルの志望校が、いつのまにか病床の祖父にも伝わっていた。どうやらその大学は祖父が贔屓にしている大学だったらしく、祖父はとても喜んでいたそうだ。そして記憶が混濁してきた頃、祖父は看護師さんに「孫が○○大学に通っていて、その大学の友達を連れて遊びに来た」と話したらしい。私が高校二年の初夏に、祖父は亡くなった。通っていた高校は進学校でもない至って普通の高校だったが、いわゆる難関校であった志望校には無事合格することができた。4人いる孫の中でも一番よくわからない子だった自覚はある。祖父も私の扱いに困ったことだろう。でもじいちゃん孝行することができたんじゃないかな、と勝手に思っている。生者が死者に何かを思うことなんて自己満足で、私のこの想いも自己満足でしかないのだが、それでいいと思う。
 他にも、初めて母の涙を見たときのことを思い出したりもした。そうやって、加藤さんの文章が私の中の記憶を呼び起こす。もしかしたらこれを読んだ誰かも、いつかの出来事を思い出すかもしれない。そうやって文章のちからは伝播していく。

 

 

 4回の連載を通して、この連載は作家・加藤シゲアキさんが書いた加藤成亮というひとの話、という印象を持った。アイドルの加藤さんの影は、文章からは見えてこない。意識的にそう書いているのがわかる。掲載雑誌の色や加藤さんファン以外の購買層を意識しているであろう文章は、ちょっとだけくすぐったく感じることもある。今はもう慣れたけれど、それでも鼻先に猫じゃらしが当たったような感じが、たまにする。
 私は、彼が名前を改めた以上、彼は「加藤シゲアキ」として仕事をしているのだと思っている。個人的な「ひと」としての彼は、いちファンでしかない私の前には決して現れることはない。しかし、「ひと」としての彼が、文章で姿を現す。勿論、加藤さんが書いても良いと思ったことだから書いているのだろうけれど、それでもときどき、そんなに見せなくてもいいよという気持ちになることがある。見せなくてもいいというよりは、見せてくれるなという気持ちの方が近いかもしれない。だったら読まなければいいだけのことなので、それでも読みたい気持ちが勝ってしまう、ただの私のわがままだ。次の号も読むし、その先もきっと読む。
 私はよく「加藤さんのことが大嫌いで大好き」と繰り返している。加藤さんについて考えていると傷つくこともあるし、私が正解だとか正義だと思っていることが軽々と裏切られることもある。ひとつ注意しておきたいのは、私が勝手に傷ついたり裏切られたりしているだけであって、加藤さんが傷つけたり裏切ったりしているわけではないということ。私の感情と加藤さんの言動のあいだにはなんの関係もない。小説ならまだしも、エッセイだと書き手の考え方が強く出る。そのために、読んでいて楽しい部分も好きだなと思う部分もぐさぐさと刺さって痛い部分もある。だけどこの「大嫌いで大好き」という感情を私は「愛してる」という言葉で表現したい。このエッセイを読むたびに、そんな気持ちを新たにする。
 

 7と5の音でつくられたタイトルは、声に出して読むとリズムがよくて心地よい。どこかに出かけたくなるような軽やかさを持ったタイトルだ。「できることならスティードで」のあとに続くのはどんな言葉なのだろう。できることならスティードで、彼はどこへ行くのだろう。
 「スティード」というのはバイクの種類だ。この「スティード」は加藤さんにとってのどこへでも行ける切符みたいなものなのかなぁと勝手に思っている。「銀河鉄道の夜」でジョバンニのポケットに入っていた切符のような、そういう存在。加藤さんにとって、文章を書くことこそがどこへでも行ける切符なのではないだろうか。新しい世界へと加藤さんを連れ出したのも、文章を書く、ということだったんだし。でもいつかバイクに跨る加藤さんも見てみたいな!
 

 こういった連載がどのくらい続くものなのかわからないが、たった4回じゃ物足りないから是非ともこの先もずっとずっと続いてほしい。次号はどんな旅の話なのか、三カ月後が今から楽しみだ。