「かわいい」の魔法

 今日も今日とて100%主観の話です。他者ではなくて「私」。たまにaskなどで質問がきたりするので、私はこんな感じですという話。

 

 私には呪いがかかっている。
 自分の容姿がとてもひどいものに思えてしまう呪いだ。残念なことに、呪いが解けたとしても美しい姿に変身できるわけではなくそのままなのだけれど。

 病院に行くほどではなかった(と思っている)けど、いわゆる「醜形恐怖症」「身体醜形障害」に近い状態だったのだと思う。小学生の頃、後ろで上級生たちが私の容姿についてあれこれ言っている声が聞こえた。一度気になってしまったら、他の場所でも容姿についてあれこれ言われがちらしい、ということに気付いてしまった。そんな感じだったので、一時期は他者に不快感を与えたり笑われてしまうのがつらくて外出をキャンセルしまくったこともある。今はちゃんと外出するけれど、つらく思うことはたまにある。
 私は特に「肌」に対するコンプレックスがひどい。体の成長が早かったこともあって小学校3年生くらいからずっとニキビに悩まされてきた。皮膚科に通ったり様々な洗顔料を買ったりしたけれどあまり効果がなかった。それでも「大学生になれば治るよ」「二十歳になれば治るよ」という根拠のない言葉を信じ、高校生までは「私も大学生になれば何か変わるのだろう」という甘い期待を抱いていた。しかしいざ大学生になっても何も変わらない。むしろ慣れない化粧のせいでより醜くなる。あまりに肌が醜くて外出できず予定をキャンセルすることもあったし、一度化粧をしても肌が気に入らなくてまた洗顔から繰り返すこともあったし、鏡の前で30分以上薬を塗り続けていることもあった。今考えればそうした行為は異常だった、と認識できるけれど、当時はそんな余裕はなかった。
 余談だけれど私は誰もいないところでは鏡を見続けてしまう。もし醜さで周りに迷惑をかけていたら……とか笑われるような見た目だったら……と思ってしまうので、鏡に「そこまででもない自分」が写っていたら安心できる。もし「そこまででもない自分」ですらなかったら「そこまででもない自分」になるまで動けない。だから鏡を見続けてしまうこともある。ブスは鏡なんて見ないでしょと思ったら大間違いだぞ!
 加えて、ニキビができ始めた頃から体重が増え始め、中学生の頃は人生で一番重かった。「この人のためにきれいになりたい」って人がいるわけでもないんだし色気づく意味もないし別にいいやと思っていたけれど、異性から容姿をからかわれる機会は多かった。
 呪いの原因はなんとなくわかっている。容姿をからかわれてきたこと、そして親からの言葉。もっと明るい受け取り方ができる性格ならよかったのだが、あいにく私はそうではなかった。心の弱い娘でごめん。
 肌に関しては、スキンケアにかけるお金を上げたことでだいぶ改善した。かつてはメイク落としも洗顔も化粧水も乳液もすべて肌にしみるものだと思っていた(みんな痛いのを我慢して使っているんだと本気で思っていた)が、今は全くしみないし、かつてはクリーチャーのような肌だったことを思えば今はなんとか人間になれている(と思いたい)。体型も、人生で最も重いときよりは体重が減った。さすがにあの頃の写真は顔つきも太っているけれど、一度ぐっと体重が落ちて以来、体重が増えたとしても顔に出なくなった。
 それでも、自分に自信がもてたかといえば答えは否で、時折とてもつらくなることがある。なにが引き金なのかはわからないが、このままではとてもじゃないけど外に出られない、と思ってしまう。どうにか自分を騙して外に出ても自分が醜すぎてみじめな気持ちになってしまう。誰かから笑われてしまうのではないかと不安になる。
 だが、そんな呪いを解く魔法の言葉がある。


 「かわいい」。
 誰かからこの一言を言われるだけで、なんだか大丈夫な気がしてくる。ちょっとだけ背筋が伸びる。顔を上げて前を見ることができる。呪いのことを忘れることができる。「かわいい」あるいは「かわいい」に準ずる言葉は、私にとっては強力な魔法なのだ。
 勿論、この話はすべての人に当てはまることではない。あくまで私の話だ。自分で自分をかわいいと思っているわけではないけれど誰かに言ってもらえたら、という気持ちが心の奥底にあるのだろう。己の容姿が好きではないし自信もないので、自分で自分を認めることができないから代わりに誰かに認めてもらいたいという気持ちがあることは否定できない。

 NEWSはファンのことを「かわいい」と形容する。
 ひねくれた気持ちで生きている私にとって、NEWSのその言葉は本当に嬉しい。NEWSがファンに対して「かわいい」と言うのが好きで好きでたまらない。
 NEWSのコンサートはデートだから、オシャレな恰好をしてくる人も多い。あっちもこっちもかわいくてこんな中に私がいてごめん……という気持ちになるけれど、毎年緑色の服を新調しているし、一年で一番美しくありたい日をあげろと言われたら間違いなくコンサートの日をあげる。そのためには無駄なあがきもいろいろとする。パック買ったりとか、ちょっと高いトリートメント買ったりとか。マッサージしてみたり筋トレしてみたり、できることはなるべくやる。そんな状態なので「かわいい」と言われると、見た目に対する努力を認めてもらえた気持ちにもなる。努力が認められたら、それは単純に嬉しいことだ。

 増田さんが今回のツアーグッズのパーカーをファスナーで前が開くタイプにしたことについて、「去年はパーカープルオーバーだったけど今年はジップ式で脱ぎやすくしてみんながパーカー着てるとことお洒落してるとこを両方見られるようにした」「みんな髪もおしゃれしてきてくれるから(脱ぎ着して髪型が崩れないように)今年はジップ式にした」というような発言をしていた。
 コンサートにオシャレをしていくことを、ステージの上にいる人たちがわかってくれているってとても幸せなことだなぁ、と思う。もっとオシャレしたいとかきれいになりたいとか、そういう気持ちが前向きにわいてくる。私が何をしたってかわいくなれるわけがない……と思うより、少なくともNEWSが「かわいい」って言ってくれる!と思うとやる気が出てくる。見てほしくて着飾ったりメイクに気を使ったりするわけではないけれど、それでもやっぱり嬉しい。
 昨年入ったコンサートでは、MCでファンが着ている服の色や靴紐の色の話をしていることもあった。私が思っているより、NEWSはファンのことをよく見ているんだなぁ、と思った。
 でも、NEWSが見ているのはオシャレをしているとかそういう部分だけではないんだろうな、とも思う。「美しい恋にするよ」で小山さんが「みんな笑顔がかわいい!」と言っていたけれど、きっとあのとき小山さんにはファンのかわいい笑顔が見えていたんだろうなと思うと(自分はその場にいなかったとしても)なんだか嬉しい気持ちになる。手越さんが10周年コンサートのトリプルアンコでデレデレしながら会場を見渡していたのもすごく嬉しい。ファンはこの人たちの目に「かわいくていとしいもの」として映っているのだ。
 特に手越さんの存在が大きい。手越さんはファンのことを心から愛しいと思っている顔をしている。嘘のつけない彼のことだから、きっと心底愛おしいと思っているのだろう。それが本当に嬉しい。私に向けたファンサじゃなくても、手越さんが愛おしいものを見る目で会場を見渡すのがたまらなく嬉しいのだ。
 私は生まれてから23年間彼氏がいなかったし10周年コン当時はその23年間の中に含まれているので、誰かに「かわいい」と思われることの嬉しさを知ったのはNEWSのおかげだった。
 コンサートを「デート」と呼んでくれるのも、私にとってはありがたい。「デートだから」という、オシャレなんて似合わない私でもオシャレをする言い訳になるからだ。たったそれだけの言葉で、気持ちは変わる。

 NEWSがファンを「かわいい」と思っているのなら、その言葉に沿うような自分になりたいと思った。少なくとも、そのための努力をしようと決めた。
 スキンケアに力を入れ始めたのもNEWSに出会ってからだし、多少は納得のいく肌になってきたから今度はメイクをもっと勉強しようと思って実際にし始めたのも「美的」での連載が始まった頃だ。メイクはまだいろいろと試しているところだけれど、似合う色というのがなんとなくわかってきた。それといつのまにか太ってしまっていたので(顔に出ないし体重計が家になかったから気付かなかった……めっちゃショック……)、一番よかった体重まで戻そうとしてジムにも通っている。少しずつではあるが結果は出てきている。

 

 だからといってNEWSのためにオシャレをしているのかといったらそういうわけではない。私は私のためにオシャレをして、精一杯「かわいい」に近づこうとする。
 かつての私は、私がオシャレをするのは恥ずかしいことだと思っていた(あくまで「私がオシャレすること」。他者のことは関係ない)。「お前みたいな奴が悪あがきをしてもどうにもならない」「どうせ醜いんだから何をしたって意味ない」という内なる声がずっと聞こえていた。当時一番に追っていたグループのコンサートに行くときも、他者にとって不快だったり嘲笑の対象となる容姿であることはわかっているから好きな人たちに迷惑をかけたくない(ひいては誰かに笑われたくない)という気持ちで服を選んだり化粧をしたりしていた。コンサートにむけて何もしないわけではなかったけれど、とても後ろ向きな気持ちで「コンサートの場にいても許される容姿」を目指していた。
 でもきっと許されるとか許されないとかではなくて、自分がどう思うかなんだろうなと最近は思っている。誰も私のことを許してくれないし、そもそも誰も許す/許さないの判断を下す権利など持っていない。持っている人がいるとしたら、それは私だ。「かわいい」という言葉を自分ではない誰かからもらえることは嬉しいけれど、それはただの言葉であって、なんの許可でもない。NEWSからの「かわいい」をきっかけに、最近はそんなふうに思うようになった。
 NEWSのコンサートに行くようになってからは以前よりも前向きな気持ちで、ときには「楽しい」とさえ思えるような気持ちでオシャレをするようになった。強迫観念に駆られる部分が減ったように感じる。何がどう変わったのかを言葉にするのは難しいけれど確かに変わった。笑われないようにとか迷惑にならないようにという気持ちの先が見えてきたのかもしれない。「かわいい」という言葉にはそれだけの力がある。
 自分の容姿は好きではないけれど、別にそれだってよくて、自分の容姿を好きではないことと「かわいい」の努力をすることは別だと思えるようになった。他者から見たらわからないかもしれないけれど、私の中では納得のいく答えを出すことができた。
 以前の私は強迫観念に駆られるようにスキンケアをしたり化粧をしたりしていたけど(今もその名残がないとはいいきれないけど)、楽しんでいる部分も大きい。心が女児なのできらきらしたアイシャドウに弱いし、奇麗な色のリップにも弱い。小さい頃は買ってもらえなかった変身アイテムを簡単に手に入れることができると思うと、なんだか楽しくなってくる。コンサートに向けて「今回のコンサートではこのアイシャドウを使おう」とあれこれ考えながら買って、実際にどう使うか試している時間も楽しい。コンサート前の最後の悪あがきの期間さえ、なんだか楽しいと思える。

 

 呪いも、魔法も、ただの言葉だ。でもその言葉たちに苦しめられたり、救われたりする。「醜い」と言われたからって醜くなるわけではないし、「かわいい」と言われたからってかわいくなるわけではないのに、心が重くなったり軽くなったりする。
 NEWSのコンサートで女の子たちがきらきら輝いているのは、きっとNEWSの「かわいい」の魔法の力もあるのだろう。これからもたくさんのファンに魔法をかけてほしい。私もその魔法にかかっていたい。