来世はペンギンになりたい

好きなものを好きと言うために生きてる

変わること/変わらないこと、そして生き抜くこと ―新藤晴一『時の尾』感想文―

 要約:新藤さんの哲学が詰まった小説『時の尾』はいいぞ!!!!!今読むと更に面白いぞ!!!!!

 

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 読売新聞夕刊ブログpop style内で連載されていた新藤さんの小説『We are オーバジンズ!』の連載が終了した。とはいえ話が完結したわけではなく「続きは書籍で!」ということで、秋頃に出る予定の書籍を待っているところである*1
 もっと新藤さんの文章を読んでいたい!という気持ちに駆られ、久しぶりにデビュー作である『時の尾』を再読してみた。文庫版は買ったものの単行本発売以来読んでいなかった気がするので、7年振りくらいになる。7年前には何周も読んだので内容はだいたい覚えているけれど、7年あれば人は変わる。あの頃とは受け取り方が全然違って感じられて、とても新鮮に思えた。この気持ちをどこかに書き記しておきたい。
 というわけで、今更ながら新藤さんの『時の尾』感想文を残しておく。評論じゃないし考察でもないしただの100%主観感想文です。

 

 

あらすじ

 長い戦争が残したのは、荒れ果てた街と難民、そして孤児だった。元少年兵たちの集まる地域(旧市街地と呼ばれている)で暮らすヤナギは、小柄で細身な少年ながら、戦場での経験を買われ、売春婦(上海楼で働くユリ)のボディガードとして雇われていた。一杯の粥を分け合い、麻袋に眠る日々。だが彼にはどうしても死ねない理由があった―。ファンタジックな世界を舞台に描く、少年の成長物語。
 (文庫の紹介文より引用。カッコ内は私が付け足した部分)


明日が今日と同じなら
生きてる意味がないじゃないか
内戦直後の荒廃した街。家も身よりもない元少年兵は、一つの希望を胸に、生きていく。

20年に及ぶ内戦が残したのは、荒れ果てた街なみと、多くの難民、そして孤児だった――。ヤナギは、元少年兵たちの集まる自治区の片隅で暮している。小柄で細身な見た目に反し、戦場での経験から人を傷つけることに一切躊躇いを持たない彼は、歓楽街で売春婦のボディガードとして雇われていた。一杯の粥を仲間と分け合い、麻袋を被って眠る日々。生き延びることしか望めない場所にいても、ヤナギには、決して忘れられない人がいた。
 (アスマートの紹介文より引用)

www.asmart.jp

 

 これらのあらすじからわかるように、ちょっと重めの話ではある。でも文章は読みやすいし、会話文も多いので、是非とも手に取ってみてほしい。

 


随所に見られる晴一的表現

 新藤さんといえば、独特の表現で綴られる歌詞が思い浮かぶ。そんな「晴一的表現」とも呼ぶべき表現が、この『時の尾』のあちこちに散りばめられている。私の好きな表現をいくつか抜き出す。ページは文庫版。

外はまだ乳色の朝靄が残っていた。(p51)

 ヤナギの幼少期の村の様子を示した一文。「AGAIN」という曲の歌詞に「国道沿い 冷えた公園の 薄い乳色の朝もや」という歌詞がある(AGAIN - ポルノグラフィティ - 歌詞 : 歌ネット)。私は朝靄というものをちゃんと見たことがないけれど、きっと乳色をしているものなのだろう。

 

墨を指で拭ったような雲が一つだけ、月にかかっていた。(p141)

 とても美しい一文。情景を描写した箇所ではこの一文が一番好きかもしれない。

 

 涙は危険だとユリは知っていた。涙の通り道は小さくても、それをきっかけに、様々な感情を押し留めている堤防を決壊させかねない。(p173)

 上海楼で働く娼婦・ユリが同じ店で働く娼婦たちが泣くところを見ての描写。感情が溢れ出す表現は様々にあるけれど、それを新藤さんに表現するとこうなるらしい。「堤防」という単語が出てくることでとても想像しやすくなる。新藤さんの書く歌詞に出てきそうな表現だ。新藤さんが書いているんだから当然だけど。

 

 もっと他にも紹介したい箇所は沢山あるのだけれど、是非とも読んで気に入った表現を見つけて欲しい。

 


少年少女の物語――「カルマの坂」「74ers」

 『時の尾』発売当初は、少年(=ヤナギ)と少女(=ヤナギの姉・ミナ)の物語であり二人が引き裂かれるというところから「カルマの坂」を思い出すという声が多かったように記憶している。私も「カルマの坂」を思い出しながら読んだ覚えがある。しかし、改めて読み直して、どちらかというとライブ「74ers」の物語に近いのかもしれないとも思った。「74ers」はライブでありながら劇団の方々が要所要所で登場し、台詞のない劇を繰り広げる。「74ers」の物語を考えたのも新藤さんであることを考えると、関連するものがあってもおかしくない。物語の流れもだし、少年よりも少女が年上であるというところも共通している(「カルマの坂」には年齢描写はない)。
 これらの物語が好きな人には是非『時の尾』を読んでみてほしいし、逆に『時の尾』が好きな人にはこれらの物語も見てみてほしい。ていうか「74ers」を見ると「カルマの坂」も聴けるので一石二鳥です!!!

 

カルマの坂 - ポルノグラフィティ - 歌詞 : 歌ネット

74ers LIVE IN OSAKA-JO HALL 2003 [DVD]

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変わること/変わらないこと――「ひとひら

 たぶん新藤さんの中で変わること/変わらないことの対比はひとつのテーマのようなものなのではないかと勝手に思っているのだが、『時の尾』にも変わること/変わらないことの対比が現れていた。
 主人公・ヤナギは小さい頃は姉の後ろをくっついて歩く泣き虫な男の子だった。しかし父を失い姉と離れ、少年兵として生きることになってからはためらいなく人を殺せるようになっていた。ユリは海辺の村に育った普通の女の子だったが、父の虐待から逃れるために街へ行くトラックに乗り込んだ。そして上海楼の娼婦として働くようになり、心の閉ざし方を覚えた。他にも、変わった登場人物は沢山いる。
 ヤナギやユリはなぜ変わったのか。答えは簡単で、「強くあろうと生きてきたから」。彼らは強くあろうと生きてきたから、自分の体や心を守る術を身に付けた。
 新藤さんは15年目にリリースされたシングルベスト『ALL TIME SINGLES』の中に唯一収録された新曲「ひとひら」にはこんな歌詞がある。

強くあろうと生きてきたから 変わらなけりゃいけなかったよ

 ライブでは「時には過去を振り返って、その過去たちに背中を押されてまた前に進む」という言葉と共に披露されたこの曲。「ひとひら」の歌詞に描かれた哲学は、『時の尾』のなかに既に息づいている。
 新藤さんの描く世界では、変わること自体は是でも非でもないように思える。変わらなければ生きていけない場面もあると、新藤さんは知っている。きっと新藤さんもそうやって変わらなければいけなかった人なのだと思う。だから、変わるということそのものに対する是非は問われない。むしろ、「変わってでも生き抜け、その先に何かがある」というメッセージを感じる。
 かつて『時の尾』を読んだとき、私にとってはヤナギやユリの変化、そしてヤナギの姉・ミナの変化はとても心を揺さぶられてしまうようなものだった。どうしてそんなふうに変わらなければならなかったのかと考え、憤ることもあった。考えたところで、彼らは生き延びるために変わらなければならなかったのだという結論にしか辿りつかなかったけれど。でも、7年経って読み返してみると変わらなければならなかったことがわかる。彼らは、「強くあろうと生きてきたから」変わらなければならなかった。7年前の私にはわからなかったことがわかるようになっていた。私もまた変わった。変わらなければならなかったのだ。
 人は変わる。何一つ全く変わらずに生きていくことなんてできないと思う。『時の尾』が出版されてから7年が経ったが、7年あれば生まれた子供が小学校にあがったりもする。小学六年生が高校を卒業したりもする。3人組バンドがデビューしてヒットを飛ばして紅白にも出て3人が2人になったりもする。
 変わることもあれば、変わらないこともある。姉を守りたいと思うヤナギの気持ちは変わらないし、ユリの中にはどんなに捨てても捨てられない何かがある。人の心には変わらない何かがあると信じているような、そんなロマンチシズムを感じる。しかしそれはある種の真実であるようにも思える。「ひとひら」の中にはこんな歌詞もある。

あれは桜舞う春の真ん中で 笑いながら立っている君
同じ笑顔を作れるでしょう あの場所は君を待ってる 

 変わらなければならなかったとしても、変わらないものもある。それはたぶん、その人をその人たらしめるものだ。

 やたらと「ひとひら」を引き合いに出したこの感想は、7年前には抱くことのできなかったものだ。7年前の私は「ひとひら」を聴くことはできなかったのだから。時を超えて新藤さんの言葉がまた別の新藤さんの言葉に作用しているような、とても不思議な感じがする。

ひとひら - ポルノグラフィティ - 歌詞 : 歌ネット

 


明日はきっといい日さ――『自宅にて』「ワールド☆サタデーグラフティ」

 『時の尾』は余白を残して終わる。最後の一文の先で何が起こるのか誰も知らない。だけど、私は勝手に「きっと幸せを掴み取るのだろう」と思っている。最後にヤナギが語ったようにすぐに何もかもが上手くいくとは思えないけれど、時間はかかるかもしれないけれど、それでもきっと幸せを掴み取ると思う。
 新藤さんはエッセイ集『自宅にて』の中で、ポルノグラフィティが3人から2人になったときの回でこう書いている。

  「明日はきっといい日さ」と僕自身歌詞に書いた記憶があるが、そうとばかり思えないときもあるよ。経験値ゼロのポルノと、100%の自信をとり戻すまで「嘘でも前に」だよ。「嘘でも前に」行けるうちは前に行く。「嘘でも前に」行けなくなったそのとき考えよう。そうしてるうちに「明後日か明々後日か一週間後くらい先は、いい日さ」って思えるかもしれない。(『自宅にて』p203)

 この物語の終わり方は、まさにこういうことだと思う。
 先程の項で述べた「変わってでも生き抜け、その先に何かがある」ということにも繋がってくる。いつかは「きっといい日さ」と思える日が来るから生き抜け、と。強い言葉で「死ぬな」とは言わないけれど、「生き抜け」というメッセージが感じられる。『時の尾』に出てくる登場人物たちは内戦中も内戦後も、生き抜こうとする。死なない方法を選ぶ。どんなにつらい目に遭っても、自ら死を選ぶことはない。いつか訪れる「きっといい日さ」を夢見て、あるいは夢見ることさえ忘れてしまっても、それでも生き抜こうとする。
 現代に生きる私は、少なくとも今いるここは戦場ではないし、少なくとも今は銃弾やナイフがとんでくるかもと怯えることもない。しかし、だからといって毎日いいことだらけなわけでもないし、他者から(物理的に限らず)攻撃されることだってあるし、生きることにしんどさを感じることもある。特に中学生の頃の私と、社会人になってから3年目くらいまでの私はめちゃくちゃしんどかった。中学生の頃の自分が何を考えていたかはもうろくに覚えていないけれど、社会人の私は「変わってでも生き抜け、その先に何かがある」のような気持ちで生きていた気がする。変わったというほど変わったわけではないけれど、意識的に考え方を変えた部分はある。
 「きっといい日さ」と思える日は確かに来た。何もかも全てが報われるわけではないけれど、「いい日」には間違いない。『時の尾』を読み返して、私の中には新藤さんのメッセージが息づいていたんだなぁと思った。きっと私だけではなく、沢山の人の中に息づいているのだろう。

ワールド☆サタデーグラフティ(★★★) - ポルノグラフィティ - 歌詞 : 歌ネット

 


バイク=ここではないどこかへの鍵――「ハネウマライダー

 読書メーターの感想ページを見ていると「カルマの坂」の他に「ハネウマライダー」という文字も複数見られる。物語にバイクが出てくるからという理由だけでなく、もっと深い部分で関連しているように思える。
 ヤナギがバイクに惹かれるのは、それが「自分の手で組み立てることができる」「ここではないどこかへ連れて行ってくれるアイテム」だからだ。新藤さんにとってのバイクはきっとそういう象徴的なものなのだと、「ハネウマライダー」の歌詞を見ていてもわかるし、『時の尾』の中にも描かれている。
 ちょっと強引かもしれないけれど、「ハネウマライダー」の歌詞を見るとバイクは「君」と出会うために必要なアイテムとも読み取れる。ヤナギはこのアイテムを手にしたのだから、きっと「君」に出会えるのだろう。この物語のラストに希望のにおいが感じられるのも、ヤナギがバイクというアイテムを手にしたからかもしれない。
 また、先程「変わること/変わらないこと」の対比について書いたが、「ハネウマライダー」にも、「大切な人を乗せて走りたいなら、生まれ変わっていかなければねえ。」という歌詞がある。最初は「Handleはないけど曲がるつもりもない。」と言っていたけれど、「君」と出会ってからは「海が見たい、と言われたからHandleきって。」とあって、いつのまにかハンドルがついていることがわかる。「君」と出会ったことで「僕」のバイクは生まれ変わっていったのだ。これも新藤さんが描く「変わること」のひとつの例だ。

ハネウマライダー - ポルノグラフィティ - 歌詞 : 歌ネット

 


時の尾――「2012Spark」

 タイトルにもなっている「時の尾」という言葉は、元少年兵たちの前に現れるヤンという人物が使っている言葉だ。彼はヤナギに言う。「時の尾にしがみつけ」(p255)と。
 時の流れというのは人の手の及ばない領域だ。時間を止める手段はまだないし、時間を戻す手段もまだない。否応なく進んでいく時の、その尾を掴むということは、自分たちの時代を生きることにも近いのではないかと思う。
 2012年という時代を切り取るつもりで書いたと新藤さんが語っていた「2012Spark」。『時の尾』が出版された後にリリースされた曲だが、読み返していたらこの曲のことを思い出した。

 それがこの時代だとか言われたら なんとなく頷いてしまいそうにもなる
では誰のための時代か? 問うたなら
そんなもん 俺達の為なんだと
得意げな顔をして言い切ろう
立ち回り入り乱れ食らいつくLITTLE SPARK

 きっと、「そんなもん 俺達の為なんだと 得意げな顔をして言い切」ることもまた、時の尾を掴むことと同義なのだろう。初めて読んだときにはなんとなくしかわからなかったのだが、時の尾を掴むということは今この時代を自分の体と心で主体的に生きることなのではないかと思った。時代のゆくえを誰かに委ねて何もしないで嘆くのではなく、主体的に生きること。「瞬く星の下で」の歌詞にも「不完全なこの世界を 誰かが 描き足してくれるなんてない」とある。
 人だけではなく、世界も時代も変わっていく。『時の尾』に描かれる内戦後の世界は、新たな時代を迎えようとしている。迫りくる新たな時代を生き抜いていくためにも時の尾を掴むことが重要になる。変わっていく世界に生きていることを、自分の両足がその世界をしっかり踏みしめていることを、決して忘れてはならない。
 ……というほど大袈裟なことではないのかもしれない。私が生きる2017年は、ヤナギが生きる世界のヤナギが生きる時代よりもずっと平和だ。でも嘆きたいことだってあるし悲観に暮れたいことだってあるし、それらを誰かがなんとかしてくれると思いたいことだってある。だけどそんなふうに思っているよりも、主体的に動いていったほうがいい。何も時代を変えるような革命を起こすわけではない。たとえば、部屋が汚いからって嘆いていてもきれいになるわけではないし、お腹がすいたからって拗ねていても空腹が満たされるわけではないし、思い通りにいかないからって泣いていてもどうにかなるわけではない。動かなければ。
 そんな気持ちで今、発売から7年経った2017年に『時の尾』の感想を書いている。

2012Spark - ポルノグラフィティ - 歌詞 : 歌ネット

 

 

 

 思ったことを好きなように並べたけれど、言いたいのはただ『時の尾』は面白いぞ!!!!!ということだけだ。未読の方も、私のようにかつて読んだことのある方も、「We are オーバジンズ!」を待ちながら『時の尾』を読んでみてはどうだろうか。

 

時の尾 (幻冬舎文庫)

時の尾 (幻冬舎文庫)

 

 

*1:加藤さんの『チュベローズで待ってる』も書籍化待ちなので、2冊も「続きは書籍で!」を待つなんてたぶん人生で今だけだと思う