来世はペンギンになりたい

好きなものを好きと言うために生きてる

彼らに出会って生まれた私の話

 お題「○○担になったらこんないいことがありました!」を使った記事の投稿、ありがとうございます!沢山の熱い思いを読むことができてとても嬉しいです。
 「担」とは書いているものの、それ以外の好きなものについてもOKです。好きなものについての熱い想いを語ってくれたらそれでいいのです。ということで私ももうひとつ書いてみようと思います。

 

お題「○○担になったらこんないいことがありました!」

 

 
 ポルノグラフィティのファンになって、今年で18年目だ。
 出会って何が変わったかってすべてが変わった。彼らがデビューしたとき私は9歳で、音楽なんてろくに知らなかった。そんな子どもをも魅了する音楽が、ポルノグラフィティの「アポロ」だった。
 初めて買ったCDも、初めて行ったライブも、初めて入ったファンクラブも、全部ポルノ。今の私の基礎は間違いなく彼らが作った。というか私は彼らに出会って生まれたのだ。
 これはそんな「私」の話。

 


・共通の話題

 中学生のとき、居場所のなかった私にとって、ポルノグラフィティの存在は救いだった、という話は前にもしたと思う。
 このブログでも何度か話題に出したけれど*1、中学生のときの私は問題児で、明らかに学校に馴染めずにずっと浮いていた。陰口を叩かれることもあって、そのたびに「バレないように言ってくれよ」と思いながら泣いて帰った。私に届かないものは私にとってないのと同じなんだから。さすがに嫌がらせを受けたときは気付かないようにやれとも思えなかったけど。
 担任の先生ともよく給食を食べながらポルノの話をした。というか私が一方的にした。ポルノが2人になるときちょうどテスト期間中だったのだが「落ち込んでテストどころじゃないんじゃないか」と心配された(点数には全然影響なかった)。ベスト盤が出るんだよと毎日話し続けたら「毎日言うから買っちゃったよ」と言ってくれた。あの曲が好きだな、いいね、と話した。先生の中に私のことが残っているとしたら、きっとそこには「ポルノファン」という要素も残っていると思う。もし誰とも好きなものの話をできなかったら、学校に行くのも嫌になってしまっていたかもしれない。私の話につきあってくれた先生にも、話題の種になってくれたポルノにも、感謝の気持ちしかない。

 
 また、同世代にも「ポルノグラフィティ」は共通の話題になりやすい。思春期を「メリッサ」と共に過ごした人たちは多い。CDを買ったりライブに行ったりするほどではなくとも、テレビに出ていたら見るという人が沢山いる。友達の多くもそうだし、私の彼氏もその一人だ。
 私がポルノファンだと知ってから、聴く機会が増えたという。「Sheep ~song of  teenage love soldier~」(Sheep〜song of teenage love soldier〜 - ポルノグラフィティ - 歌詞 : 歌ネット)という、10代の可愛い恋心を歌った曲をよく聴いていたという話を聞いて、とても可愛い人だなと思った。彼とは今は一緒にライブに行っている。2014年に行われたライブ「惑ワ不ノ森」ではメドレーの中の一曲ではあるが「Sheep ~teenage love soldier~」を一緒に聴くことができた。イントロが聞こえてきて、二人で少し笑ってしまったことを覚えている。

 
 大好きな人たちと大好きなものについて話せるって幸せなことだなぁ、と現在進行形でかみしめている。

 


・特別な時間

 ライブのアンコールのラスト1曲は「ジレンマ」という曲を演奏するのが定番となっている。そしてその最後にボーカルの岡野さんが「君たち、最高!だから、胸張っていけ!自信持っていけ!」と叫ぶ。
 こんな幸せがあるだろうか。だって、私はただライブに来ただけなのに。ただそれだけで、無条件に肯定して励ましてくれる。私は自分に自信なんかないけれど、ポルノのライブから帰るときはちょっとだけ背筋が伸びて、胸を張って歩いている。岡野さんが叫んだ声は私にちゃんと届いて、私を変えてくれる。
 ポルノは、彼らが「君たち」とか「あんたら」とか呼ぶところの人たちにとってライブが特別なものであると思っている。ライブの合間や挨拶でも「今日は嫌なことを全て忘れていい」「心のタンクにエネルギーを貯めて帰って」と伝えてくれる。自分たちのライブが明日からの活力になれば、という言葉をくれるのだ。日常を生き抜くための力を、ライブという非日常でチャージする。
 きっと、彼らもまたライブを特別なものだと思っているから、そういう言葉が出てくるのだと思う*2。つまり私はポルノと互いが特別だと思っている特別な時間を共有しているのだ。それってすごく貴重なことだと思う。

 


・『君』/私という特別な存在

僕たちは、自分の時間を動かす歯車を持っていて、
それは一人でいるなら勝手な速度で回る。
他の誰かと、例えば君と、触れ合った瞬間に、
歯車が噛みあって時間を刻む。

ハネウマライダー - ポルノグラフィティ - 歌詞 : 歌ネット

 ハネウマライダーという曲をライブで披露するとき、この歌詞の「他の誰かと たとえば君と」という部分を「他の誰かと、いや、ここにいる君と!」とか「ここにいる君たちと!」と歌ってくれる。私はそれが好きで好きで仕方がない。日常の中では取るに足らない「私」は、ポルノのライブという場においては彼らが「君」と呼ぶ存在になれる。
 また、ポルノの二人が30代になったときに作った「Let's go to the answer」という曲がある。アルバム『THUMPx』の最後に収録されている曲で、1番には「因島(intoと読む) Dreamin'」「30'sの遠吠えをしかと聞いとけ」という歌詞があったり2番には今までリリースしたシングルのタイトルが織り込まれたり*3している、ちょっと思い入れの深い曲だ。ポルノの二人が30代で行う最後のツアー「ラヴ・E・メール・フロム 1999」の中でもこの曲が披露された*4
 この曲を披露する前に、岡野さんはこう語っている。

 「もしかしたら君たちの人生を変えてしまうような音楽を、もしかしたらこの音楽シーンを潰してしまうぐらいの音楽を、君たちに届けることを夢見て、これからも進んでいきたいと思います。君たちはこの遠吠えをまだまだ聴いてくれますか? 君たちはわしらの遠吠えにまだまだついてこれますか? まだまだ聴いてくれますか? OK、それならわしらと一緒に行こう、Let's go to the answer」

 一緒に行こう、という言葉から始まる「Let's go to the answer」(Let's go to the answer - ポルノグラフィティ - 歌詞 : 歌ネット)。そしてこの曲の最後では「君となら行けるさ痛みがあるのも構わない」と歌うのだ。彼らの歌う「君」でいられることが幸せで仕方がない。
 私が初めて行ったライブはこの「Let's go to the answer」が初披露された「SWITCH」というツアーだった。スイッチを入れる、というコンセプトのツアーで、死にそうだった中学生の私はこのライブでスイッチを入れてもらった。まっすぐ生きるためのスイッチを入れてもらったんだと思っている。

 
 私は人生で三回ほど折れかけたことがある。一度目が中学生のときで、二度目は就活のとき。二度目を支えてくれたのもポルノだった。
 就活自体は終わったものの、思い描いていた未来には辿りつけなかった。一番言われたくない言葉を一番言われたくない人に言われたりもした。そんなとき、ポルノのライブで「カゲボウシ」という曲が披露された。
 「大切な人を思い浮かべて聴いてください」という前置きの後に披露されたその曲で、私は自然と、私を思い浮かべた。就活をしていて周囲からマウンティングされることもあったし、面接が苦手すぎて面接で落とされるたびに人格ごと否定されている気持ちになった。自分が誰からも必要とされていないように思えて、私が存在する意味とは、と悩んで眠れないこともあった。

会いたくなったら ここへおいで 僕はずっとキミのカゲボウシ
駆け抜けて心のままに どこまでも寄り添うから

 たぶん誰よりも私のことをわかるのは私だし、誰よりも私の味方でいられるのも私だと、この曲を聴いて思った。もしかしたら、私以外の誰かにとって私は替えのきく存在かもしれない。しかし私にとっては私しかいない。私が誰からも必要とされなかったとしても私には私が必要だ。それなら、私は私を大切に思いたい。武道館のほとんど天井みたいな席でひとりぼろぼろ泣きながら、そんなことを思っていた。

 ポルノの曲を聴いていると、私にとって「私」とは特別な存在なのだということに気付く。彼らが「今、ここにいる君」と呼びかけるとき、その「君」には私も含まれている。私が私を大切にできるのは、彼らにそれを教えてもらったからだ。

 


・ファンへの愛

 また、ポルノはファンのことをとても好きなように見える。ていうか好きだと思う。好きだろ。絶対好き。愛されているという実感がすごい。最近は特にすごい。2016年に行われたファンクラブツアー「FUNCLUB UNDERWORLD5」では、ファンクラブ発足15周年記念企画(ファンから募った願いを叶える、というもの)を締めくくるにふさわしいものだった。ファンから「インディーズバージョンの曲が聞きたい」と言われたらYoutubeにアップロードされた音源を元に練習して披露してくれるし、「いつも岡野さんがやっている煽りを新藤さんにもやってほしい」といわれれば新藤さんがイェイイェイするし(同じものをやらないところが新藤さんらしい)、「メンバーの声が入ったグッズが欲しい」といわれたらボイスメッセージカードを作り(しかも3種)、「常に身につけたいのでアクセサリーがほしい」といわれればネックレスを作り(お手頃価格だけどかわいい)、などなど他にもまだある。私自身は叶えて欲しいことを応募することはなかったが、彼らがファンを愛していることはとてもよく伝わってきた。
 「FUNCLUB UNDERWORLD5」最終公演の挨拶では、新藤さんが「よその人のことはよくわかりませんけれども、せめて君らにはがっかりされないような活動がこれからもできたらいいなと思います」と言っていた。ポルノはよく「沢山の音楽があるなかで自分たちを選んでくれた人たちにはいいものを届けていきたい」というようなことを言う。先程の、ライブ=互いにとって特別な時間ということもそうだけれど、ファンにとってポルノが特別な存在であるようにポルノにとってもファンは特別な存在なのだ。

 


・言葉

 彼らの言葉も支えになった。というか未だに支えられている。先程の「胸張っていけ!自信持っていけ!」という言葉もそのひとつ。ライブ自体も楽しみだけれど、この言葉を聞かないと帰れない、くらいの気持ちでいる。そのくらいこの言葉に救われている。
 新藤さんはかつてエッセイ連載「自宅にて」で、メンバーが1人脱退したときの気持ちを「嘘でも前に」と表現した。嘘でも前に進めば、明日か明後日かもっと先にはきっといい日さと言える日が来ると。

「明日はきっといい日さ」と僕自身歌詞に書いた記憶があるが、そうとばかり思えないときもあるよ。経験値ゼロのポルノと、100%の自信をとり戻すまで、「嘘でも前に」だよ。「嘘でも前に」行けるうちは前に行く。「嘘でも前に」行けなくなったそのとき考えよう。そうしてるうちに「明後日か明々後日か一週間くらい先は、いい日さ」って思えるかもしれない。

 この言葉には当時も励まされたし、今も座右の銘として掲げている。嘘でも前に進んだらきっといつか本当に前に進める日が来る。つらいことにぶつかるたびにこの言葉を思い出す。嘘でも前に進めなくなったときはそのときに考えよう、それまでは嘘でも前に進もう。

 中学生の頃もそうだし、家で何かあったときも会社がつらいときも、いつだってこの「嘘でも前に」を思い出す。前に進めていないことを嘆くのではなく、嘘でもいいから前に進んでみようと思ってみる。私はだいたいのことをそれで乗り切れた(私が気付いていないだけで、私をサポートしてくれている方々のおかげもあるだろうけれど)。

 この「自宅にて」、今は絶版になっているけれどとてもいい言葉が詰まっているので、新藤さんの言葉が好きな人には是非とも読んでいただきたい一冊。

 

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 それに何より、ポルノグラフィティは私の理想なのだ。バンドとかアイドルとかアーティストとか、そういった類のものたちに対する私の理想を、ポルノはもっている。
 「一緒に夢を見てくれること」*5「特別な『君』と呼んでくれること」。私の中では何よりもこのふたつが何より重要だ。わがままな要求だとは思うが、気付いたときには構築されていた理想だから仕方がない。
 私の理想と彼らが合致しているのか、私の理想が彼らによって作られたのか、今となってはわからない。私は一緒に夢を見ていたいし、「君」という特別な存在になりたい。NEWSもまた私の思い描くこの理想に一致するからこそこんなに好きなんだろうと思う。


 いつも以上に話が散らかってしまったけれど、これが私の「ポルノファンになったらこんないいことがありました!」です。
 彼らに出会わなかったら私は今頃どんな人生を歩んでいただろう。多分全然違う私になっていたと思う。もしかしたらダメになっていたかもしれないし、変に歪んでしまっていたかもしれない。そういう意味で、私は彼らに出会って生まれたのだ。彼らに出会わなかったら生まれなかった私が、今の私だ。
 もしも彼らに言葉を伝える機会があるとしたら、先のことなんてひとつもわからなくて朝目覚めることが怖かった私を「君」と呼んでくれてありがとう、と言わせてほしい。
 あなたたちに出会えて本当によかった。
 これからもあなたたちの遠吠えを聴きながら、どこまでも一緒に行きたい。

*1:私のチヨダ・コーキたちへ - 来世はペンギンになりたい

*2:「星球」という曲はまさにライブ=特別なものという価値観が描かれている

*3:正確に言うと「ジレンマ」だけシングルではない

*4:その次のライブ「惑ワ不ノ森」では3公演目が新藤さんの誕生日だったため、二人とも30代のまま終わるライブは「ラヴ・E・メール・フロム 1999」が最後

*5:『自宅にて』でも「ポルノグラフィティを仕事として僕が生きていけてるのは、まだ夢をみていられるからからだとも思う」、「ラヴ・E・メール・フロム 1999」のオープニングでも「一緒に夢を見ていたい」という話をしている