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来世はペンギンになりたい

好きなものを好きと言うために生きてる

この世にたったふたりのふたり

 あけましておめでとうございます。本年も宜しくお願い致します。当ブログでは私の主観を通して見る私の好きなものを今年も書き綴っていこうと思います。
 というわけで新年早々シンメの話をします。

 

 

 突然だが私はシンメが好きだ。
 シンメトリーという言葉から生まれた単語で、主にジャニーズ界隈で使用される「シンメ」という言葉。はてなキーワードの説明文を見てみると、ダンスの位置が左右対称である程度の意味しか説明されていないが、多くのジャニオタにとって「シンメ」はそれ以上の意味を持つ。それも、言語化するのが非常に困難な意味を。「担当」という言葉に費やす情熱を上手く言語化できないのと同じで、「シンメ」という言葉も表面的な意味以上の意味をもっている。
 
 あくまで個人のシンメ観に基づき、どう思っているかを言葉にしておこうと思う。
 
 本人たちの意思に関わらず決定されるのがシンメだ。こいつがいいと思っていようが、誰だこいつと思っていようが、選択肢なんかない。運命も偶然もない。あるのは上の人の思惑だけで、それもあるんだかないんだかよくわからない。何を基準に決められたのかわかるシンメもあればわからないシンメもある。そういう漠然と混沌の中からシンメは生まれる。
 最初は互いに自分の人生の「その他大勢」だったかもしれない相手が、いつしか唯一無二になる。どれだけ世界が広がって関わる人が増えていっても、互いの特別さは揺るがない。私の好きなシンメはそういった関係性だ。

 

 

・シンメの入り口

 私がシンメの魅力に気付いたのは関ジャニ∞のヨコヒナである*1
 横山さんが構成を考えていたエイトレンジャー(映画じゃなくてコンサート内で披露されるコントのほう)は、概ねナスレンジャー(村上さん)がキーマンとなっていた。村上さんもそれに応えるだけの力を持っていたし、横山さんは誰よりも村上さんを活かすことができる人だと思う。
 私は基本的には「ドッキリ」というものがあまり好きではない(人が恥をかかされ笑われる様子を見るのが嫌)なので、PUZZLEのDVD特典として収められている「Babunマン」を初めて見るときはすごく緊張した。次々と仕掛ける横山さん。次々と騙されていく村上さん。こんなに素直に騙されて、ネタばらしされたときにひどく傷ついてしまうのではないかと怖かった。
 しかし、ネタばらしをされたときの村上さんの第一声は「俺いまめっちゃおもろいやん!」だった。やばい、この人すごい、と思った。しかし、村上さんがこれだけ面白くなったのも、村上さんに嫌な思いをさせないのも、仕掛けたのが横山さんだからだ。長年一緒にやってきて信頼関係を作り上げ、村上さんを知り尽くしている彼だからこそできることで、他の人には絶対にできない。仕掛ける側が横山さんで、騙される側が村上さんでなければできない。その圧倒的シンメ力に私は完敗したのだった。別になんの勝負もしてないけど。
 村上さんも村上さんで、横山さんのちょっとだらしない部分をしっかりサポートする。ファンが見ることのできる部分では、トークの場面などで発揮されることが多いように思う。最近ではなかなか目にする機会がなくなってしまったが、かつてのレコメンやヒルナンデスなどでよく見られた。
 どちらが前に出てどちらが一歩下がるか、その配分が抜群に上手い二人。その配分を、頭で考えているというより体に染みついた技であるように見えるところが、二人の唯一無二感を更に印象付ける。二人の唯一無二を見せつけられたとき、心が動かされる。これが「尊い」という感情なのかもしれないと思った。これが私のシンメの目覚めである。

 

 

・ジャニーズ以外におけるシンメ的な存在

 ヨコヒナを通してシンメの魅力に気付いた私は、以前からこのシンメに似たものを知っているということにも気付いた。
 ポルノグラフィティのお二人である。ボーカル、ギター、ベースで構成されていたスリーピースバンドは、デビュー5周年を迎える前にベースを欠くこととなった。いつのまにか、二人の期間が三人の期間に並び、追い越し、今では倍以上となった。
 高校時代、ギターの新藤さんがバンドを組みたくてメンバーを探したのがきっかけとなって結成されたという意味では自分たちの意思で組まれたバンドだが、その頃には二人になるとは思っていなかっただろう。デビュー前にドラムがいなくなり、デビューから5年してベースがいなくなった。二人になる予定はなかったのに二人になった。そういう意味で、成り立ちはシンメと似ていなくもない。
 三人から二人になるとき、解散も考えたのだという。どちらかの家で話すのも店で話すのも気まずくて、二人の家から真ん中くらいにある公園で話しあったというエピソードが、2013年になって語られた*2。二人になったのが2005年のことで、随分あとになってこのエピソードを知った私はとても怖くなった。二人が今の"二人"でなかった可能性が十分にありえたことを、今更になって知らされたことがとても怖かった。

 新藤さんと岡野さんは、二人で続けていくことを選んで今に至る。新藤さんはバンドをやりたくて高校時代にバンドを組んだのにドラムが抜けベースが抜け、ぎりぎりスリーピース「バンド」と呼べていたものがもう呼べなくなった、という話を当時のエッセイに書いている。メンバー加入や解散して新たなバンドを組むことも選択肢にはあったのかもしれない。それでも、彼らが選んだ道はバンドという形態を捨てて二人で「ポルノグラフィティ」を続けるというものだった。
 シンメ的な尊さは、"二人"であることを強いられた二人が、"二人"であることを選びとるところにある、と私は思っている。ポルノグラフィティが二人になった経緯はまさにこの尊さに当てはまる。ジャニーズのシンメのように小さい頃から時間を共有しているわけではないが*3、互いに互いを活かしあう関係を築いている。
 新藤さんがメンバー紹介で岡野さんを紹介するとき、「俺の最高の顔見知り」と表現したことがある。近くもなく遠くもない、あるいは近くて遠い、二人の関係性を示すとても優しい言葉だと思った。
 ポルノグラフィティが三人のままだったら、きっと今と同じように好きでいるだろう。しかしもし解散してそれぞれ別に音楽をやったとしたら、私はそれを好きにはならないだろう。
 実際、新藤さんが現在やっている別ユニットには興味がない*4。どちらかといえば新藤さん寄りのファンであるにもかかわらずだ。私が求めるのはポルノグラフィティの新藤さんで、それはつまり岡野さんの隣でギターを弾く新藤さんだ。私にとっては「ポルノグラフィティ」でなければ意味がない。
 しかもこの前のシングル「LiAR/真っ白な灰になるまで、燃やし尽くせ」はその構成から既にシンメみたいな構造だしね!みんな聴いてね!

 

penguinkawaii.hatenablog.com

 

 

 

・シンメ×2で構成されるNEWS

 テゴマスは「歌」を軸に結成されたシンメだ。テゴマスとしてのCDデビューからもう10年が経った。
 二人の歌声はお互いを活かしあう。テゴマスの歌声を語るときに必ず言ってしまうのだが、手越さんの声は高く響き、増田さんの声は広く響く。二人で歌えば、縦と横に声を響かせることができる。声が混ざり合いながら、しかし混ざり合いすぎることはなく、互いの声がちゃんと独立して聴こえるのに、ひとつの音楽として成り立つ。NEWSでは様々なパターンのペアでのハモりがあるが、単純に音だけ聴いたときに互いを活かしあう声の組み合わせというとテゴマスに勝るものはない。
 テゴマスを指して「戦友」と呼んでいる場面を時折見かけるが、まさに二人は歌を武器にして闘ってきたように思える。歌を軸に結成されているからこそ、歌で負けてはならない。「テゴマスの青春」コンサートにてアカペラで披露された「青いベンチ」を聴いて、二人が歌に自信を持っていること、互いの歌を信頼していることが伝わってきた。
 しかし、歌以外の要素に目を向けると、さほど共通点は見えない。キャリアの長いJrだった増田さん、事務所に入ったばかりだった手越さん。昔のエピソードを振り返ってみても、もう一方のシンメのようにべたべたした付き合いはないように見える。
 歌以外で二人に共通点があるとしたら、それは「プロのアイドル」という意識だろう。常に完璧であろうとする姿勢。自分にミスを許さない姿勢。だからこそ二人は「戦友」だ。傷は舐め合わない。傷を負ったって平気なふりをする。共に戦う仲間でありながら最大のライバルでもある。
 テゴマスの現場は青春コンしか行っていないが、そこで見たMCが二人の関係性を示しているようでとても微笑ましかった。「月の友達」に出てくるキャラクターを「うーちゃんって名前にしよう」と提案する増田さんと、「もう終わった公演では月の友達って言ってたよね?」と戸惑う手越さん。結果、よくわからないままその話題は終わる。投げっぱなしである。
 サイリウム型ペンライトについての説明も、「青春といえばサイリウム、次の日には消えてしまっているのがまた青春」という増田さん、一方で「もったいないでしょ」という手越さん。そしてその間をとって作られた、サイリウム型ペンライト。
 お互いに、いまだに未知の存在であり続けているのだろう、と思う。お互いのことはわからないしわかってほしいとも思っていない。相手の歌声を知っていればそれだけでいい。「QUARTETTO」オーラスのMCで加藤さんと小山さんがトイレに行っているあいだ、即座に歌って場を繋ぐことを決めてその場で音合わせをして歌っていたのも、二人の信頼関係を見せつけられたような感じがした。
 二人の関係性をイメージするとき、「背中合わせ」だと思う。お互いのことは見ていなくても歌声は届く。そこにいるのがわかるから、背中を預けて闘える。二人にあるのはそういった信頼関係だ。でも私知ってるよ、増田さんの「話題がファッションしかない」というところに唯一触れられるのは手越さんしかいないってことを。離れようとしても磁石みたいにくっついてしまうふたりだってことを。
 
 NEWSのもう一方のシンメ、コヤシゲはイメージでいうなら「向かい合わせ」。向かい合ってお互いのことをひたすらよく見て、お互いのことを誰より理解できていると言外に思わせるような、そんなふたり。
 2017年初頭、いきなりコヤシゲがシンメたる所以を見せつけてきた。「有吉・櫻井 THE夜会」で放送された二年振りの夜会にて、2011年の話が出てきた。「2人になってもNEWSやろう」という加藤さんからのメールの話をして小山さんは「(シゲは)俺の事を大事に思ってくれてる」と言っていた。
 自分が誰かから大事に思われていると実感できることってそうそうあるわけではないし、すごく幸せなことだと思う。しかもそれが、仕事上最も身近なところにいるメンバーなのだからきっと幸せなことだろうなと思う。更にはそれを言葉にして相手に伝えているのだから、なんかもうすごいな、としか言葉が出ない。加藤さんも加藤さんで「その想いは変わってない」と小山さんの言葉に被せ気味に断言する。相思相愛という言葉すら安っぽく思えてしまうくらいに、ふたりの間にはふたりにしかわからないものがあるのだろう。
 小山さんが加藤さんの言葉に嬉しそうに頷くのも、とてもいいなと思った。きっと小山さんにとって加藤さんは、欲しいときに欲しい言葉をくれる人なのだろう。そういう相手になんて、なかなか巡り会えるものではない。それが同じグループにいるということ、しかもシンメであることって一体どれほどの奇跡なんだろう、とどこかで聴いた歌詞のような感想を抱いた。
 また、NEWSが4人でやっていけるかどうかというときに、加藤さんは小山さんのサポートに徹したという話(詳しくは2015年Myojoの1万字インタビュー、2012年+act mini vol.19等)もぐっとくる……というかむしろ、どちらかというとぞっとする。「俺がどうしたいとか、いい。この4人でいられたら、それでいいって結論で、」*5と加藤さんは語っているが、もしそれで小山さんが諦めてしまったり上手くいかなかったりしたときはどうするつもりだったのだろうか。勿論小山さんのバックアップをしているのだから何もしていないわけではないけれど、基本的には小山さんのやりたいことをバックアップするのであってそこに加藤さん自身の意思が反映されているわけではない。決して軽くはない自分の行く末を他者にまるごと託すことができるなんて正気の沙汰じゃない、と私には思えてしまう。だって、何があっても自分のせいにできるんだから、他者を信じるより自分を信じたほうが楽だし。でも小山さんと加藤さんが築き上げてきた信頼関係の中では行く末を託すことが可能だったんだろうと思うと、私には絶対にわからない未知の領域なんだと白旗を降るしかない。
 コヤシゲは自分たちの関係を「親友」「ソウルメイト」と表現する。私にはそう呼べる関係の人がいないから、一体どんな気持ちで自分たちの関係に「親友」「ソウルメイト」という名前をつけるのかよくわからない。きっとそこにはふたりしか知らないことがあるんだと思う。2015年Myojoの1万字インタビューで、加藤さんは小山さんに言われて心に残っている言葉を教えてくれなかったくらいだから。
 言葉にするのが難しいけれど、このふたりは互いへの執着が強いように思える。きっとふたりで手を取り合わないと乗り越えられないものがあったのだろう。私が知るすべもないことだけれど。
 


 
 私はシンメが大好きなのでシンメにばかり目が向いてしまうけれど、今のNEWSはシンメ以外でペアを組むことも多い。新曲「EMMA」は小山さん・手越さん/増田さん・加藤さんでAメロBメロの歌割が対照的になっていて、なんだか新鮮に感じた。今後はもっと多くなってくるのだろうと勝手に思っている。しかしだからといってシンメのよさが失われるわけではない。シンメ以外のよさが更に発見されるだけのことだ。

 

 なぜこんなにもシンメに惹かれるのか。私とは全く関わりの無い他者同士の人間関係を取り上げて語るなんて気持ち悪いなと思いながらもやめられないくらいに惹かれている。
 他の人がどうなのかはわからないのであくまで個人的な考えを述べると、「自分は絶対に手に入れられない関係」だからだと思う。
 友達よりも密で、ビジネスパートナーとしても成立している。最も近くにいる味方であり、最も近くにいるライバルでもある。シンメとは、非常に特殊な関係性だ。そもそもそういう関係性は、一般の世界に生きていて生まれるものではないのだろう。芸能界という特殊な場所だからこそ生まれる。
 私はそもそも中学までの知り合いとは全く連絡を取っておらず、高校からの友人が数人、大学からの友人が数人、それ以降に(主にネット経由で)知り合った人がそこそこの人数、といった交友関係の中で生きている。その中に、「親友」と呼べるほど特別な誰かはいない。信頼を置いている友人たちはいるが、それは「親友」とはまた違うと思う。ジャニオタの方々がよく言う「相方」という存在もいない。私に見えている世界は私だけのものだから他者とは共有できないものだけれど、それでも隣に誰かいたら違うのかな、と思うことはある。
 ないものねだりはよくないと思いながら、私は今日もシンメに惹かれる。

 

 

*1:丸山さんが一番好きだが、シンメとして一番好きなのはヨコヒナ

*2:ポルノグラフィティが語る“メンバーの脱退”と“分岐点”に、SMAP・中居も共感。 - エキサイトニュース

*3:とはいえ高校の同級生ではある

*4:はじめはCDこそ買っていたものの積極的に好きにはなれなかった。だからといって嫌いだとかやめてくれだとか思っているわけではない。自由に楽しくやってくれればそれでいい

*5:+act mini vol.19 インタビュー