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来世はペンギンになりたい

好きなものを好きと言うために生きてる

幻想第四次の世界へようこそ ―「銀河鉄道の夜」のススメ―

 この記事はしきさん主催のアドベントカレンダー #おたく楽しい (#おたく楽しい Advent Calendar 2016 - Adventar)への参加記事です。

 

 小さい頃から読書が好きだった。好きな作家は沢山いるし、好きな本も沢山ある。けれど「愛読書は?」と尋ねられたら答えはひとつしかない。銀河鉄道の夜だ。
 初めて読んだのは小学生のときで、そのときは意味がわからなかった。なんだかよくわからないけれどなんとなく怖い話だ、という印象だけが残った。次に読んだのは中学三年のときで、理由はわからないけれどとにかく胸に刺さった。高校生になってお小遣いが増えたので図書館に通うだけでなくお気に入りの本は買って手元に置いておこうと決めたとき、最初に買った本のひとつが「銀河鉄道の夜」だった。何度も何度も読み返していた。高校のときに頃にも「銀河鉄道の夜」をテーマに発表を行った。大学に入ってからは毎年ひとつは「銀河鉄道の夜」でレポートを書き、卒論も「銀河鉄道の夜」で書いた。私の学業は「銀河鉄道の夜」と共にあったし、社会人になってからも読み返しては様々なことを考えている。
 そんな「銀河鉄道の夜」の魅力を伝えるべく、#おたく楽しい への参加記事としてオススメポイントをまとめようと思う。と真面目ぶってみたけど、専門家でも研究者でもなんでもないただの「銀河鉄道の夜」おたくが銀河鉄道の夜」は面白いから読んでみてよ!!!頼むよ!!!とプレゼンしている記事です。作品の解釈は個人的なものであり正解/不正解を示すものではありません。

 ※割と長めになってしまったので、基本情報から丁寧に知りたい方は1から順に、時間ないからお前の主観オブ主観を聞かせろという方は3だけでも読んで下さい!お前の文章など読んでいる暇はないという方は「銀河鉄道の夜」を是非!読んで下さい!なにとぞ!お願い!頼む!

 

 

銀河鉄道の夜」とは

 まずは基本情報の紹介から。
 詩「雨ニモマケズ」や童話「注文の多い料理店」「風の又三郎」「セロ弾きのゴーシュ」などで知られる宮沢賢治の作品。

 

あらすじ

 少年ジョバンニは朝は新聞配達・放課後は活版処での仕事があり、毎日忙しい。そのせいで授業中は毎日眠く、友達のカムパネルラとも疎遠になっていた。配達されていなかった牛乳を取りに行く途中、からかうクラスメイトの声から逃げて辿りついた丘の上に寝転がると、いつの間にか銀河鉄道に乗っていた。そこにはカムパネルラの姿もあった。
 ジョバンニとカムパネルラは銀河鉄道に乗り、さまざまな人と出会い、そして別れる。そのなかで「ほんとうの幸(さいわい)」とは何かを探していく。
 
 もっと詳しいあらすじ(あらすじというか本文要約レベルで詳細に書かれている)はWikipediaへ。

銀河鉄道の夜 - Wikipedia

 
 賢治は晩年までこの作品に手を入れ続けた。生前に出版されることもなかったため、完成原稿は遺されていおらず、現在出版されているものを読むと「以下○文字空白」などの文言が見られる。また、おそらくは造語と思われる単語が出てくることもあるが、賢治が注釈を添えていることもなく、その意味を知るすべはない。この記事のタイトルにした「幻想第四次」というのも「銀河鉄道の夜」の中に登場する。銀河鉄道が走る世界を指している言葉だが、特に意味が解説されているわけではない。そんな不思議さが人を惹きつけて離さない。「銀河鉄道の夜」はこの先も永遠に完成することのない未完の名作なのだ。
 物語をどう読むかは読み手の自由である、というのが私の主張なので今回の記事では「この物語はこういう解釈!」という話をするつもりはないのだが一点だけどうしても言っておきたい。もし「自己犠牲は美しいって話なんでしょ?」という印象があって読むのを敬遠しているのなら、是非一度読んでみて「自己犠牲は美しい」に終止する物語なのかどうか、自身の目で確かめて欲しい。

 

 

銀河鉄道の夜」をオススメする理由

 この項では「銀河鉄道の夜」のオススメポイントを紹介する。ざっくり要約すると、とにかく手を出しやすい作品だからうっかり読んでみてね、という話。

 

様々な出版社から出ていて手に取りやすい

 これは他の名作文学にも言えることだが、複数の出版社から出ているので好きなものを選ぶことができる。
 ちなみに文庫として出版されている「銀河鉄道の夜」は、他の作品とまとめて一冊に収めてあり、タイトルとして「銀河鉄道の夜」の名が採用されているという感じになっている。なのでもし「長くて読みにくいのかな」と思っている人がいたら全然そんなことないので軽率に手を出そう!
 各出版社によって一冊にまとまっている短編も違ってくるので、他にも読みたい話があるならそれに併せて選ぶのもオススメ。新潮文庫版は「セロ弾きのゴーシュ」「オツベルと象」など、角川文庫版は「双子の星」「ひかりの素足」など、角川つばさ文庫版(子供向けレーベル)は「雨ニモマケズ」「グスコーブドリの伝記」などが併録されている。
 装丁も様々で、漫画家やイラストレーターが装画を担当しているものもあれば、シックで落ち着いたデザインのものもあるので、好きなデザインで選ぶのも楽しい。

 ちなみに私の推しは新潮文庫版。元々のカバー(読みすぎてボロボロだけど)も幻想的でオシャレだし、今年の夏に出た限定版カバーも大人っぽくて素敵。

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 他にも、絵本や朗読CD付きなど様々に出版されている。糸や布を用いた作品を発表するアーティスト・清川あさみによる刺繍が添えられた本は、物語の美しさを文章からも視覚からも楽しめるものになっている。

銀河鉄道の夜

銀河鉄道の夜

 

 

無料でも読める

 「銀河鉄道の夜」は既に著作権が切れている作品なので「青空文庫」で読むこともできる。こちらでは新潮文庫版/角川文庫版(どちらも新仮名遣い)、岩波文庫版(旧仮名遣い)が読める。Kindleでも無料配信している。推しなので新潮文庫版のリンクを貼ります。

 宮沢賢治 銀河鉄道の夜 (青空文庫新潮文庫版)


銀河鉄道の夜」を原作とした作品が沢山ある(映画、プラネタリウム等)

 この作品を元にした映画やプラネタリウムも制作されている。「銀河鉄道の夜」を読んでいれば更に深く楽しむことができるし、読んでいなくても作品への入り口としてもぴったりなので、興味があれば是非。
 
・映画「銀河鉄道の夜

 「銀河鉄道の夜」といえば、登場人物のほとんどが猫として描かれたこの映画を思い出す人も少なくないのではないだろうか。物語の大筋は原作と同じだが、ジョバンニとカムパネルラの別れのシーンなどには多少の改変があるので、考察厨としてはそこに注目して見るととても楽しい。登場人物のほとんどが猫であることや、暗めの色彩、不安定に響く音楽などが巧に絡み合うことによって「銀河鉄道の夜」の不思議な世界観を表現している。1985年公開、監督は杉井ギサブロー、音楽は細野晴臣

銀河鉄道の夜 [DVD]

銀河鉄道の夜 [DVD]

 

 

プラネタリウム作品「銀河鉄道の夜 -Fantasy Railroad in the Stars-」

 KAGAYA studio制作。制作されたのは2006年でありながら、現在も上映され続けている。映像の美しさは勿論のこと、音楽も素晴らしい。ひとりで行ってじっくり浸るもよし、友達同士やカップル、ご家族でのお出かけで観に行くもよし。お近くの上映館はリンク先の公式サイトよりお探し下さい。ちなみにDVDでも発売中。

 【プラネタリウム番組】銀河鉄道の夜

 


銀河鉄道の夜」の魅力・とても主観編

 先程まではそれなりに客観性を重視してオススメする理由を述べてみたが、この項では客観性は無視してとても主観的に「ここが魅力!」を並べる。ざっくり要約すると、全然肩肘張らずに読める作品だからね!!!という話。

 

ジョバンニとカムパネルラ

 ジョバンニとカムパネルラは小さい頃よく一緒に遊んでいた仲の良い友達同士であったが、ジョバンニが働くようになって遊ぶ時間がなくなり、疎遠になってしまった。みんなの輪の中にいる人気者のカムパネルラと、みんなから漁に出ていてなかなか帰ってこない父親のことでからかわれるジョバンニ。物語の序盤で対比的に描かれる二人は、銀河鉄道の中で再会し、親しく遊んでいた頃のような仲の良さを取り戻す。
 冒頭ではなんとなく距離のある二人の関係が示されるが、銀河鉄道に乗ったら二人はよく喋り、よく笑う。親やクラスメイトなど、彼らを取り巻く周囲の人がいなくなったことによって、二人を縛っていたしがらみがなくなったのだろう。
 銀河鉄道に乗っているシーンは、ジョバンニが目を覚ますことで終わる。しかし、ジョバンニが旅をした銀河鉄道の世界を「夢オチ」という言葉で片付けてしまうのは寂しい気がする。あくまで私の解釈ではあるけれど、銀河鉄道の世界はジョバンニが自分に都合よく作りだした夢の世界ではなくて、ジョバンニとカムパネルラはあの世界で心を通わすことができたのだ、と思っている。

「カムパネルラ、また僕たち二人きりになったねえ、どこまでもどこまでも一緒に行こう。僕はもうあのさそりのようにほんとうにみんなの幸のためならば僕のからだなんか百ぺん灼いてもかまわない。」
「うん。僕だってそうだ。」カムパネルラの眼にはきれいな涙がうかんでいました。

 ジャニオタでいうシンメ担だとかコンビ萌えだとかというような、関係性に執着のある人というか関係性フェチみたいな人たちに読んでもらって、この二人の間から何を読みとるのか是非とも聞いてみたい。きっとあなたの好きなシンメにもコンビにも当てはまる部分があるはず。余談だけど私は上に引用した部分を読むたびに「2人になってもNEWSやろう」を思い出す。泣く。
 私は二人にしか伝わらない何かが展開していたり想いが伝わりあっている様子を見ると「あの二人は今銀河鉄道に乗っているんだな」と思ってしまう。そのたとえがしっくりきてしまう状況が、私の好きなコンビやシンメには時々ある。そんなふうに、コンビやシンメのエピソードを振り返りながら「あの二人はこのとき銀河鉄道に乗っていたんだな」と考えてみるのも楽しいのではないだろうか。

 また「銀河鉄道の夜」は先述のとおり何度も手を加えられた作品で、実は第三稿までと第四稿(現在一般的に読まれているのは第四稿)では大きな変更点がある。それがジョバンニを導くブルカニロ博士の存在と、ジョバンニとカムパネルラの関係性である。実は第三稿のジョバンニとカムパネルラは親友ではないし、友達でもない。

ぼくはもう、カムパネルラが、ほんとうにぼくの友だちになって、決してうそをつかないなら、ぼくは命でもやってもいい。

というような描写が出てくる。そのほかにも「ぼくはどうして、カムパネルラのように生れなかったろう。」という一方的な憧れに近いものが見てとれるのだ。そんな二人は銀河鉄道に乗りこみ、友達のように言葉を交わす。第三稿までの二人の関係と第四稿の二人の関係を読み比べて見るのも面白い。
 ちなみに第三稿は新潮文庫ポラーノの広場』などに収録されている。

ポラーノの広場 (新潮文庫)

ポラーノの広場 (新潮文庫)

 

 


謎だらけ

 「銀河鉄道の夜」は多くの謎に包まれている作品でもある。造語であったり、原稿が途中で欠けていたり、それだけでなく意味深な描写がいくつもあったりして、難しく思えることもある。生前には出版されなかったし、賢治が多くを語らなかったということもあって、絶対に解明されることのない謎だらけの作品となっている。文学研究者たちはこの「絶対に解明されることのない謎」に挑み続けてきた。その証拠が、数多く出版された研究書だ。
 宮沢賢治作品は数多くの研究書が出版されており、それらを読んでみると「いや絶対こんなこと考えて書いてないって違うって」と思いたくなるものもあるし、「でも本当にそうだとしたら面白いよな」と思わされる事柄も多く書かれている。
 たとえば作中に「ハルレヤ」という言葉が出てくる。本来ならば「ハレルヤ」と表記されるのが正しいのだが、原稿には賢治が意図的に「ハルレヤ」と書いた跡があるらしい。ではなぜこんなことをしたのか?という謎が残る。
 また、カムパネルラの母についても取り上げられることがある。カムパネルラの父は最後に登場するが、母についてはカムパネルラが「おっかさんは、ぼくを許してくださるだろうか。」という話をする場面で間接的に触れられる程度だ。物語に登場しない母は、生きているのかそれとも故人なのか、といった説が議論されることも少なくない。
 カムパネルラのモデルについてや、鳥を捕る人・車掌といった銀河鉄道内にいる存在など、謎は尽きない。(これらの謎について納得できる解釈を探すのがとても楽しくて、正直この話だけで何万字でも書けるけれど今回の記事の趣旨とは異なるので割愛する。)
 「銀河鉄道の夜」を読むなら、そんな謎解きも楽しんでみてはいかがだろうか。

 どれだけ議論がなされても、様々な説が出ても、全ての読者を満足させるものはないだろう。読み手の中にはその人だけの「銀河鉄道の夜」があるのだ。言葉や場面の解釈を自分の好きなようにカスタマイズして自分だけの「銀河鉄道の夜」を作り上げていく。どんな作品だってそうだと思うけれど、不確定な要素の多い「銀河鉄道の夜」は特にそれが顕著だ。読書の在り方としてそれが正しいのか正しくないのかはわからないけれど、そういう楽しみ方もアリだよな、と私は思う。
 謎だらけであるがゆえに、読み人によって解釈が大きく異なる。一度読んだとしても、繰り返し読むとまた解釈が異なることがある。まるで読み手の心を写すかのように色を変える、不思議な物語だ。そうやって様々な顔を見せるところも、「銀河鉄道の夜」の魅力のひとつといえる。

 


聖地巡礼(?)ができる

 賢治の故郷である岩手県花巻市には賢治の作品をより深く知ることができる施設がある。さまざまな作品を取り扱っているが、その中でも「銀河鉄道の夜」は大きく取り扱われている。
 今年は宮沢賢治生誕120周年ということもあり、岩手県花巻市にある宮沢賢治童話村では幻想的なライトアップを行っていた。既に行った方の写真を見て絶対にこの目で見たい!と思い、今年は岩手に旅行してきた。花巻市には宮沢賢治関連の施設が多くあり(特に宮沢賢治童話村が楽しかった!テーマパークみたいだった!)、どの施設も好奇心をくすぐる展示が沢山あった。目当てだったオブジェは昼間に見ても美しかったが、やはり夜の美しさは格別だった。池に浮かぶように設置されたオブジェのライトが静かな水面に写っている様子は、まるでこの世のものではないような、まさに幻想第四次の世界に迷い込んだような美しさだった。

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 童話村の入り口は「銀河ステーション」だったし、物語に登場する「白鳥の停車場」があった。物語に出てきた場所に自分が立っているみたいで、ちょっとした聖地巡礼をした気分だった。

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(手前に写っているのが私です。自撮りしたらボケました)

 

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おまけ(特にNEWSシゲ担の方へ)

 更に個人的なオススメポイントとしては、他作品の理解を深める素材になる、という点が挙げられる。共通点のある複数の作品を比較し、その差異や異なり方から作品を読み解くという読み方がめちゃくちゃ好きで、しょっちゅうそんなことばかりしているのだが、その比較する作品として「銀河鉄道の夜」を用いたときが一番楽しい。
 たとえば加藤シゲアキデビュー作の『ピンクとグレー』。ごっちとりばちゃんが辿る道はどこかジョバンニとカムパネルラと共通する部分がある。同窓会の後に行ったバーは、二人にとっては銀河鉄道のようなものだったのかなぁ、あのとき二人は心を通わすことができたかなぁ、と考えてはうっかり泣いてしまったりしている。
 また、ドラマ版「傘をもたない蟻たちは」の純と啓介は更にジョバンニとカムパネルラっぽいところがあるので、ドラマ版カサアリが好きだった方は是非読んでみてほしい。

 

銀河鉄道の夜」を知っているとより深く楽しめる作品

 「銀河鉄道の夜」はその奥深さから、様々なクリエイターたちの創作意欲を刺激するのか、「銀河鉄道の夜」をモチーフとした作品は様々なジャンルに数多く存在する。それらの作品の中には「銀河鉄道の夜」を知らずとも楽しめる作品もある。しかし物語のあらすじだけでも、できれば内容も知っていると更に深く楽しめる。そんな作品をいくつかピックアップして紹介する。

 

輪るピングドラム

 幾原邦彦監督によるアニメ作品。「輪るピングドラム」はさまざまな作品がモチーフとして使われているが、そのうちのひとつ(そしてとても重要な要素)として「銀河鉄道の夜」が物語の軸となる部分を担うように使われている。抽象的でわかりにくい物語だが、「銀河鉄道の夜」を知っていることでより理解できる部分があるのではないかと思う。
 「りんご」という名前の登場人物の漢字表記が「林檎」ではなく「苹果」だったり、「蠍の炎」が出てきたり、物語の中で「愛」や「自己犠牲」といった賢治的なテーマが繰り返し描かれていたりと、随所に「銀河鉄道の夜」との関連が見られる。
 「輪るピングドラム」は抽象的で物語が何を描いているのかが掴みづらいところがあるが、それもまた「銀河鉄道の夜」と共通している。

 

銀河鉄道の夜のような夜

 小林健太郎片桐仁によるお笑いコンビ・ラーメンズのコント。DVDラーメンズ第16回公演『TEXT』」に収録されている。
 小林さんがトキワ、片桐さんがカネムラという役を演じる。それぞれの物語上の役割と名前から考えるに、トキワ=常磐=じょうばん=ジョバンニ、カネムラ=カムパネルラ(カムパネルラ=カンパネラ、カンパネッラはイタリア語で「鐘」)となっていて、トキワが列車に乗り牛乳を取りに行く場面が描かれている。コントなので勿論笑えるところもあるが、最後には思わず泣いてしまうところもある、素敵な作品だ。
 「銀河鉄道の夜」では本来列車に乗っているべきなのはカムパネルラでそこにジョバンニが乗り込んだようなかたちだったが、「銀河鉄道の夜のような夜」では逆になっている。一緒にいるけれどそこにはいない、このすれ違いの切なさは本当に素晴らしいので「銀河鉄道の夜」をご存知の方は是非一度見てみてほしい。ちなみに見るなら『TEXT』を通して見るとより面白さが増すはず。

ラーメンズ第16回公演『TEXT』 [DVD]

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 どちらも「銀河鉄道の夜」との関連性を考察しようと思ったらいくらでも語れるのだが(むしろ語りたいけれど)、せっかくなら前情報は少なめの状態でこれらの作品を楽しんで欲しいのであまり詳しくは言及しない。見た人は検索とかしてみるといろんな人がいろんなことを言っているのでそれを読むのも楽しいぞ!

 

おわりに(「銀河鉄道の夜」と私)

 最後に思い出話を少し。
 中学生のときに「銀河鉄道の夜」に惹かれて、それからも節目節目で勉強する題材として「銀河鉄道の夜」を選び続けた。大学のレポートでは、文学をテーマとした講義以外でも「銀河鉄道の夜」を結びつけてレポートを書いた。そのたびにひとつ「銀河鉄道の夜」を知り、同時に「銀河鉄道の夜」から遠ざかるような気がした。
 どうしてこんなにも「銀河鉄道の夜」が好きなのか、自分でもよくわからない。けれど、ひとつの要因として中学生の頃の担任の先生のことが思い浮かぶ。国語の先生で、毎年クラス替えがあったにもかかわらず私は三年間先生のクラスだった。ずっと偶然だと思っていたけれど、よく考えたらクラス替えのたびに私を優先的に自分のクラスに入れてくれていたのだと気付いた。
 中学の頃の私は周りと上手くやれない問題児だった。学業は特に問題なかったが、周囲に合わせることがどうしてもできなかった。あまりに合わせられなくて学年担当の先生や保健室の先生から母に連絡がいくこともあった程度には問題児だった。
 当時の私は(今もだけど)、自分を曲げてまで合わせる必要があるのかどうかと葛藤していた。周りと合わせる努力はしてみたが、それでも私は合わせられなかった。親も他の先生も私に「周りに合わせろ」と言うなかで、担任の先生だけは言わなかった。居心地が悪くて班で給食が食べられない私は教卓に椅子を運んで先生と一緒に給食を食べていた。先生はそんな私に大学時代の楽しかった話をして「そのうち合う人たちと出会えるよ」と未来への希望をもたせてくれた。引きこもりや登校拒否にならなかったのは、先生と給食が食べたかったからかもしれない。
 中学生の頃に授業で「銀河鉄道の夜」をやった記憶がある。「銀河鉄道の夜」の物語の世界を絵にするという課題があって、絵は得意ではないけれど楽しんで取り組んだ。しかし当時使っていた教科書を検索しても「銀河鉄道の夜」は掲載されていない。どういう経緯で「銀河鉄道の夜」をやることになったのかはもう忘れてしまったが、私のことを考えて選んでくれた可能性もなくはないと、自意識過剰かもしれないが思う。中学三年生のときに自主的に本を手に取った記憶があるので、そちらが先で授業が後だったような気もするけれど定かではない。でもとにかく、「銀河鉄道の夜」のことを思い出すと、その根底には先生との記憶がある。
 もしかしたら、周りと上手くやれなかった自分にジョバンニを、そんな私を見捨てずに色々な話をしてくれた先生をカムパネルラに重ねて見ていたのかもしれない。中学時代の記憶はまるごと封印したいくらいつらいものだったから、同窓会も一度も行っていない。卒業式以来、先生にも一度も会っていない。連絡先も聞かなかったので、今何をしているのかすら知らない。
 勘違いされるかもしれないが、先生に恋をしていたわけではない。恋とか愛とかの類ではなく、私は先生が大好きだった。私が上手くやれないことを見抜いて、私が無意識に発していたSOSを受信して、しかし見捨てるわけでも押さえつけるわけでもなく、当時の私が気付かないようなかたちで私を助けてくれていた先生が大好きだった。あのとき誰よりも頼れる大人が先生だったし、あの頃の私にとって唯一の友達だった。
 教卓に椅子を運んでいって先生と給食を食べながらいろんな話をしたあのとき、私と先生はきっと銀河鉄道に乗っていたのだと思う。
 私は今でも「銀河鉄道の夜」を読み続けている。

 


 数ある日本の名作のひとつとしてタイトルくらいは知っている、という人が多いかもしれない銀河鉄道の夜。少しでも面白さが伝わっただろうか。
 教養のひとつという理由でもいいし、ここに挙げた関連作品を楽しみたいからでもいいし、前から気になっていたからこの機会にでもいいし、たまたま見かけた表紙が気に入ったからでも、なんとなく興味を持ったからでもいい。是非とも「銀河鉄道の夜」を手にとってみてほしい。
 
 幻想第四次の世界へ、ようこそ。