来世はペンギンになりたい

好きなものを好きと言うために生きてる

ポルノグラフィティのこの歌詞がすごい・晴一編

 ポルノグラフィティという二人は、すごい。彼らと出会って17年以上見続けてきて、自信を持って言える。あの二人はすごい。
 私は言葉が好きで(それもポルノの影響かもしれないが)、特に新藤さんの書く歌詞に惹かれ続けてきた。「アポロ」の歌詞に感じた衝撃は未だに忘れられない。「サウダージ」「アゲハ蝶」「メリッサ」などの歌詞も新藤さんの作だ。でも他にももっとすごい歌詞がある。みんな聴いて!歌詞見て!というわけで、シングル曲を中心に9曲ほど挙げて新藤さんの歌詞のすごさについて個人の独断と偏見と勝手な解釈with素人知識で語ってみたい。そのうち昭仁編も書きたい!

 

 
1.ネオメロドラマティック

行こうか逃げようか 君が望むままに 幸か不幸か ネオメロドラマティック
咲こうが摘まれる 君の絶望こそ こんな時代か ネオメロドラマティック

ネオメロドラマティック - ポルノグラフィティ - 歌詞 : 歌ネット

 

 この歌詞の何がすごいかというと、「k」の子音が多用されているという点だ。上に抜きだしたサビ以外にも、別のサビの歌詞にも「k」が多用されている。具体的に、上に抜きだした歌詞のどこが「k」の子音なのかをわかりやすくしてみると以下のようになる。
 
 いにげよう みがのぞむままに ネオメロドラマティッ
 さうがつまれる みのぜつぼうんなじだい ネオメロドラマティッ
 
 あまりにも多い「k」の子音は偶然出来上がったものではなく、意図的に組み立てられたものだろう。特にこれといって音声学や日本語学(というのだろうか)の勉強をしているわけではないのであくまでイメージの話でしかないのだが、「k」の子音は鋭くエッジの効いた音のように感じられる。つまり「k」の子音を多用することによって、エッジの効いた鋭さを曲全体に纏わせることに成功しているのだ。特に「幸か不幸か」なんてほぼ「k」。また、小節の頭の音(「いこうか」の「こ」、「こうかふこうか」の最初の「こ」、「こんなじだいか」の「こ」)も「k」になっているので、「k」の音が更に印象付けられる。メロディと歌詞とアレンジとボーカル・岡野さんのキレが良くさっぱりした声が一体となって、どこか無機質で機械っぽさのある、エッジの効いた鋭さを表現しているところがすごい。

 

2.EXIT

EXIT - ポルノグラフィティ - 歌詞 : 歌ネット

 部分を抜き出したところで意味がないので是非歌詞全体を見ていただきたい。
 歌詞の主人公「僕」が見ている地下鉄のホームの光景と、「僕」の気持ちが見事にリンクしていて、なんかもうすごいから見てよ!!!と叫びたくなるくらいすごい。
 1番Aメロでは「途切れない地下鉄に 吸い込まれ 吐き出され 他人ばかり」と地下鉄の情景が描かれる。BメロではAメロと同じ「他人」という単語を使ってAメロの光景を引き継ぎながらも「他人たちの海」という比喩表現で光景から心象風景への橋渡しをしている。そしてサビでは「狭い出口に言葉たちが殺到していて もどかしく立ち往生する やるせのない日々」とあるが、これはAメロの「途切れない地下鉄に 吸い込まれ 吐き出され」と呼応している。Aメロでは地下鉄の乗り降りの様子を擬人的にとらえ、サビでは言いたい言葉が殺到する様子を地下鉄の乗り降りの様子になぞらえている。更に最後のサビでは「闇雲に強い力で押さないで」という歌詞があり、これも地下鉄内の混雑の様子を思わせる。天才かよ。
 光景と感情のこれ以上ない見事なリンクだ。地下鉄の様子を描写しているのか主人公の感情を描写しているのかわからないくらい美しく重なっている。こんな美しい歌詞があるかよと叫びたいほどすごい歌詞。

EXIT

EXIT

 


3.月飼い

月飼い - ポルノグラフィティ - 歌詞 : 歌ネット

 「メリッサ」のカップリング曲。これも部分を抜き出すより全体を見てほしい。「月を飼う」というロマンティックなモチーフが使われた失恋の曲で、物語性のある歌詞が展開していることはわかるだろう。多様な解釈ができる歌詞だとは思うが、私はこの歌詞の物語を読みとったときに鳥肌が立った。
 1番では月を飼う「君」とそれをあたたかく見守る「僕」の様子が描かれる。2番では物語が展開し、「君」がいなくなってしまったことがわかるが、1番の様子からは別れが来ることを予想できない。そしてCメロで「僕」は水を捨て、月を空に返し、「君」を最後の恋人と呼ぶ。
 別れも告げずに突然いなくなってしまった「君」は病で亡くなってしまったのだろう。サビに出てくる、東から西へ向かう「舟」は、月と人間の一生を重ねている。月が昇る東=生、月が沈む西=死というイメージだ。その「月」を掴まえたままでは「君」がちゃんと西へ向かうことができないから月を空に返す。そして最後のサビでは「恋人よ 僕も向かおう 歩くスピードで近づこう」とあり、「僕」が「君」の後を追うのではなく「歩くスピード」=ちゃんと生きて「君」のいるところへ行こう、と決意している。
 「死」というワードを一切使わず、最初から最後まで明るいイメージを失わないまま、どこかファンタジックな世界観でこの物語を描く新藤さんの歌詞の素晴らしさ。
 作詞とは少し話がずれるが、新藤さんのギターは「歌う」と表現するのがぴったりなくらい感情を持った響きをしている。インストのギター曲ではもちろんメインボーカルとも呼べるほどに高らかに歌うのだが、新藤さんのギターのすごいところはギターソロでも歌っているところだ。この「月飼い」でいうと、2番サビ後の間奏のギターが「僕」の心情を表現しているようで、「君」の不在と「僕」の存在に葛藤するような、そんな印象を受ける。なので2番サビの次の歌詞が「窓の外に水を捨てた 月を空に返した」でも突然物語が展開したという感じはあまりしない。新藤さんの作詞とギターが相互に良さを引き出しあっている。

月飼い

月飼い

 


4.ワン・ウーマン・ショー~甘い幻~

星降る夜空に朝日の幕が下り
静かに消えたのは 甘い幻

ワン・ウーマン・ショー 〜甘い幻〜 - ポルノグラフィティ - 歌詞 : 歌ネット

 新藤さんの歌詞には宇宙や気象、天文、天体に関連する言葉がよく登場する。その中でも「月」「星」「夜」が多用されているという特徴がある。新藤さんの歌詞では「夜」は怖れるものというよりも味方であることのほうが多い。この「ワン・ウーマン・ショー~甘い幻~」はその最たる例といえよう。
 「こんな私でも幸せになれるかな?」というフレーズで始まるこの曲は、幸せな未来を思い浮かべられない恋をしている女性を主人公とした物語が描かれている。歌われる出来事は過去として語られていることからも、おそらくこの女性の恋は終わってしまったのだろうと読みとれる。そんな歌詞の最後のフレーズが上に挙げた2行だ。
 朝日が昇る様子はまるで世界が開けていくようにも見えて、何かが始まることを「○○の夜明け」と比喩的に表現することがある。夜が明けるということは、どちらかといえばプラスの印象を持った現象として受け取られる。しかし「ワン・ウーマン・ショー~甘い幻~」では「朝日の幕が下り」と歌われる。
 その前のサビでは「星降る夜空の大きなスクリーンが 映し出したのは"ワン・ウーマン・ショー"でした」とあって、夜空のスクリーンに朝日の幕が下りるという発想の転換。この意外性と、意外ながらもすんなりと腑に落ちるところが新藤さんの歌詞のすごいところだ。奇を衒って意外な言葉を使いすぎても意図が伝わらなくて意味がないが、「星降る夜空の見守る口づけ」「星降る夜空の大きなスクリーン」という言葉を重ねて「星降る夜空」がこの歌詞の世界観において大きな意味のあるもの、主人公「私」にとって大切なものであることを示している。だからこそ「星降る夜空に朝日の幕が下り」という表現が活きてくる。曲の終わりに「朝日の幕が下り」と終焉を告げるフレーズがあるのも収まりが奇麗。

 

 

5.愛が呼ぶほうへ

僕を知っているだろうか いつも傍にいるのだけど
My name is love ほら何度でも僕たちは出逢っているでしょう?
そう 遠くから近くから君のこと見ている

愛が呼ぶほうへ - ポルノグラフィティ - 歌詞 : 歌ネット

 リリース当時、この曲を「ラブソング」と書いてある場面に何度も遭遇したが、そのたびに「ラブソングだけどラブソングじゃないんだよな~!」となぜか得意げだったことを思い出す。
 この曲の「僕」は愛。愛を擬人化するという独特の発想から生まれた歌詞だ。モノを擬人化することはあっても、目に見えないし触れもしない愛という概念を擬人化するという発想はそうそう出てくるものではない。
 この曲で歌われる愛は必ずしも恋愛の類ではない。親子の愛だったり友情だったり慈愛だったりと様々だ。日常のあらゆる場面に散りばめられた多様な愛を掬って、全部ひっくるめて「僕」という一人称と人々を見守る視点とあたたかな言葉を与える新藤さんの作詞の力には驚かされる。

愛が呼ぶほうへ

愛が呼ぶほうへ

 


6.今宵、月が見えずとも

旅人気取りでいたいくせに 迷い道回り道が嫌いで
雨風凌げる屋根の下で グーグル検索で世界を見る

今宵、月が見えずとも - ポルノグラフィティ - 歌詞 : 歌ネット

 この歌詞の主人公「僕」は皮肉に満ちている。何者でもない己の無力さをわかっていながら、それでもまだあーでもないこーでもないと言い続ける、割とどうしようもない「僕」の歌だ。単純な言葉で綴られていたら飽きてしまいそうな内容だが、その表現方法がTHE新藤さんとも言うべき言い回しになっている。
 たとえば「太宰を手に屋上に上がり この世などはと憂いてみせる」という歌詞。この「僕」がどんな人物像かがなんとなく把握できる部分だが、それは聴き手の中に「太宰」とはどんな作家なのか、さらには「太宰治を読む人」がどんな人間か、という共通認識があるからだ。「この世などは」と憂いていなくとも、「太宰を手に屋上に上が」るような人物は厭世的な側面を持っているだろうと想像できる。新藤さんのこういった言い回しはたびたび出てくるが、特徴的ながらわかりやすくてさすがとしか言いようがない。
 また。上に抜き出した「雨風凌げる屋根の下で グーグル検索で世界を見る」という歌詞もいい。こういう皮肉を見ると「これだよこれ!こういうのだよ!」となんだかテンションが上がってしまう。スマホの普及率が高まり、誰もがすぐに検索できる環境を持った現代だからこそ通用する皮肉。もしかしたら10年後20年後にはこの歌詞の意味が通じなくなってしまう可能性はあるが、だからこそ確実に時代を切り取った歌詞だといえるだろう。それに、「太宰を手に屋上にあがり この世などはと憂いてみせる」ような人物はYahooよりもグーグルを使いそうな気がする。それも含め、この「グーグル検索で世界を見る」という表現は冴えわたっている。
 自己を冷静に皮肉りながらも現状を打破できない「僕」。シリアスなライトノベルの主人公のような雰囲気があって、この曲を聴く層(アニメ「BLEACH」劇場版の主題歌だった)に刺さる内容だったに違いない。
 新藤さんの歌詞には、I love youは「月が奇麗ですね」と訳すのがよい、というような回りくどさがある。しかしただ回りくどいのでは歌詞として成立しない。何が言いたいのかは読み取れるが直接は表現しない、という絶妙なラインを突いてくる。この絶妙なラインを的確に突けるのが、新藤さんの作詞のすごいところだ。

 

7.THE DAY

非常階段で爪を砥ぐ 明日はどっちだ? THE DAY HAS COME

THE DAY - ポルノグラフィティ - 歌詞 : 歌ネット

 新藤さんの歌詞において、運命は「来る」ものである。
 「Search the best way」の「運命が僕を追いかけるくらいに 清潔な衝動に正直でいたいんだ」というフレーズからも、新藤さんの歌詞に表現される運命というものについてわかる。その最たるものが「THE DAY」のサビで出てくる「THE DAY HAS COME」だ。
 この曲はアニメ「僕のヒーローアカデミア」(以下ヒロアカ)のOPになっている。歌詞も、ヒロアカを意識した部分があるとは思うが(でも近くなりすぎないようにあまり読みこまずに書いたとのこと)、ヒロアカを直接連想させるような明確なワードは使わず、しかし世界観はどこか共通している。それは新藤さんの作詞のテクニックがそうさせるということでもあり、新藤さんの作詞の世界観とアニメの世界観が似ているから、ということもある。新藤さんの書く運命観とヒロアカ主人公・出久に対する運命が似ているのだ。
 ヒロアカは「個性」と呼ばれる特殊能力を誰もが持ち、その「個性」を活かしたヒーローという職業が成り立っている世の中で、「個性」をもたない少年・出久が主人公だ。無個性だと馬鹿にされながらもヒーローになることを夢見る出久のもとに、No.1ヒーロー・オールマイトがやってくる。そしてオールマイトから個性を継承し、ヒーローを数多く輩出する雄英高校に通うことになる。
 まずオールマイトが出久のもとにやってくる。ヒロアカは敵を能動的に倒しに行くというよりは現れた敵を倒すことのほうが多い。つまり敵もまた出久のもとにやってくるわけだ。出久という少年に対して、運命のほうから「来る」。
 「THE DAY」の歌詞に唯一ヒロアカを連想させる歌詞があるとすれば、それはオールマイトの台詞「私が来た!」を思わせる「THE DAY HAS COME」=その日が来た、という部分だ。オールマイトが人々のピンチに駆け付けたときに言う台詞が「私が来た!」だが、これは出久にとっての運命であるオールマイトが出久の元に「来た」という意味も含まれているとも考えられる。運命が「来る」ことが共通しているから、ヒロアカと「THE DAY」は相性が良いのかもしれない。
 「THE DAY HAS COME」=その日が来た、という強い響きがまさに主人公・出久を取り巻く世界=ヒロアカの世界を言い表していて、タイアップではこういった歌詞のすごさにも気付けるのが楽しい。

THE DAY

THE DAY

 

8.LiAR

LiAR - ポルノグラフィティ - 歌詞 : 歌ネット

 「オー!リバル」「LiAR」と、ここ最近はラテン曲が続いている。ラテンはポルノグラフィティの特徴であり強みでもあるし、何より新藤さんのTHE豪華絢爛で煌びやかな歌詞が光りまくる。
 「オー!リバル」はどこか現実とは違う世界を思わせる歌詞だった。それに比べると、「LiAR」はやや現実に近い雰囲気となっている。一口にラテンといえど、歌詞の色合いを自在に変えることができるのは新藤さんの豊富な語彙と豊かな表現力のなせる技だ。
 タイトルからわかるように「嘘」がテーマとなっていて、嘘と本当の狭間で翻弄し翻弄される関係が描かれている。新藤さんの歌詞ではたびたび「真実と嘘は紙一重である」「信じるべきものが定まらない」というような内容が展開されるが、これもその一つかもしれない。
 また、「LiAR」は歌詞に「赤い血」「金の花粉」「白い仮面」と色を示す言葉散りばめられていて、曲調の鮮やかさとの相乗効果で更に鮮烈な印象を聴き手の頭の中に思い起こさせる。サビで二度「赤い血」「金の花粉」という豪華な色合いを想起させておきながら、最後のサビでは「白い仮面」で終わる。赤や金といった豪華な色彩が最後には白に塗り替えられるところが、「あなた」だけでなく「僕」もまた嘘つきだったというこの歌詞の結末の哀しさを彩る演出になっている。細部にまで美しさを散りばめた歌詞だ。

LiAR

LiAR

 

 

9.ひとひら

強くあろうと生きてきたから 変わらなけりゃいけなかったよ

ひとひら - ポルノグラフィティ - 歌詞 : 歌ネット

 岡野さんの書く歌詞は広く大きく包み込む愛で、新藤さんの書く歌詞はそっと隣に寄り添う愛だ。
 15周年突入を記念してリリースしたシングルベスト『ALL TIME SINGLES』に収録されている唯一の新曲がこの「ひとひら」だ。会社で残業をしている「君」が過去に思いを馳せる様子を歌っている。
 夢や希望に溢れていた頃と変わらないものがないか探して、そして出てくるのが上のフレーズだ。あの頃と変わってしまったとしても、それはただ時間が経過したから変わってしまったわけではない。あの頃から今に至るまで「強くあろうと生きてきた」と、歩んできた道を肯定してくれる。
 私がつらいときに繰り返し聴いていた「幸せについて本気出して考えてみた」にも「誰だってそれなりに人生を頑張ってる 時々はその“それなり”さえも誉めてほしい」という歌詞がある。当時の私が一番欲しかった言葉はそれだった。誉めて欲しいということを、誰かにわかってほしかった。
 新藤さんの歌詞は、沈んでいる人に手を伸ばして立ちあがらせることはしない。でも、そばにいてくれる。つらいときに「大丈夫だよ」と安心させるのではなくて「そうだね、つらいね」と頷いてくれる。つらさに共感してくれなくていい。ただ、つらいということをわかってくれさえすればいい。それだけで、なんだか気持ちが楽になる。
 私はそうやって何度も新藤さんの歌詞に救われてきた。「ひとひら」のこのフレーズも、昔と比べて変わってしまったことに悲しさや寂しさを覚えていた私を助けてくれた。きっと私だけではなくて、他にも沢山の人に寄り添ってくれている曲だと思う。

ひとひら

ひとひら

 

 


 15周年を迎えたときのライブ「神戸・横浜ロマンスポルノ'14 ~惑ワ不ノ森~」のパンフレットで、新藤さんは「死ぬ程良い歌詞が書きたい」と言っていた。これだけ沢山の素晴らしい歌詞を書いておきながら、まだまだ貪欲な姿勢が恰好いいと思った。だからこそ彼からは人の心に響く言葉が生まれてくるのだとも思った。
 これからも、新藤さんの紡ぐ歌詞の世界が広がっていきますように。