来世はペンギンになりたい

好きなものを好きと言うために生きてる

さよなら、私の愛したあなた。

 2016年6月。東京ドームで見たあなたは、まるで別人のようでした。

 

 

 あなたを見つけたとき、あなたの名前はまだ漢字で書かれていました。私の祖父の名前は「成」と書いて「しげる」と読み、それがとても恰好いい名前だと思っていたので、あなたの名前のその文字も同じように読むのだと知って嬉しくなったのを覚えています。
 東京ドームで、生歌でソロ曲を披露する姿に惹かれました。普段はどこか居心地が悪そうな顔をしているように見えたあなたが、この曲を歌っているあいだは世界の中心にいました。世界の中心で、楽しそうに笑いながら、俺はここにいるんだと叫ぶように歌う姿を見て「あぁ私この人好きかも」なんて思ったことが、昨日のことのようにも何百年も昔のことのようにも思われます。
 私はあなたのことを歌が特別に上手いとも思っていなかったし、ダンスも、演技も、トークも、特別に上手いとは思いませんでした。この人は何が得意なんだろうと思っていたけれど、なんだちゃんとあるんじゃんとこのソロ曲を見て思いました。こんなに素敵な歌とステージを作れるんじゃん、と。そう思ったから、これだけのことができる人がなぜこんなに居心地悪そうな顔をするのだろう、と不思議に思いました。
 あなたを見ていると、「俺なんて……」と「本当の俺はもっとすごいのに」が同時にあるような気がしていました。私はあなたのそこが好きで、嫌いでした。私自身にもそういうところがあるから共感できる部分があったし、自分にもそういうところがあるからこそ、どこか居心地の悪い顔をしているあなたを見てつらいとも思いました。自分を重ねて見るなんておこがましいにも程があるとは自分でも思います。でも、「好きかも」ではなくて「好き」になったのは、あなたに自分を重ねていたからです。自分を重ねて見てしまっていた人が、どこか居心地が悪そうにしていたあなたが、堂々と観客の前に立って歌う。私もいつかはこんなふうになれるのかもしれないと思ってしまっていた気がします。いつか、あの歌を歌うあなたのようになりたい。あなたを好きになったのは、それがきっかけでした。
 これからこの人のことを応援していこうと決めたのに、次のシングルからは買っていこうと思っていました。しかし、私が次のシングルを待っている間に、グループを引っ張ってきた2人が抜けることになりました。あなたのことをずっと追ってきたわけでもないのに涙が零れました。歌うあなたの姿がもう見られないかもしれないと思うと怖くてたまりませんでした。
 それからしばらくして、あなたの書いた小説が出版されると聞きました。雑誌でエッセイを読んだことはあったけれど、エッセイと小説は別です。勿論買うつもりだったし読むつもりだったけれど、あなたの書くものが私の心に少しも響かなかったらどうしようと不安に思いました。否、心に響かないだけならまだいい。こんなもんか、と思ってしまったらどうしようと不安でした。
 発売日のあたりに本屋をうろついて、あなたの本が平積みにされているのを見かけました。すぐに手に取ってレジに持っていって、本屋を出た近くにあるコーヒーショップで読みました。
 私の心配は杞憂に終わりました。とても面白かった。まるであなたの分身のような物語だと思ったけれど、それでもちゃんとエンタメとして成り立っていた。これを書いたあなたの心は痛んではいないかと思ったけれど、それでも私は、カタカナで表記されたあなたの名前が刻まれたこの本を愛おしく思いました。溢れる気持ちを抑えきれなくて、ジャニオタですらない友人に半ば無理矢理貸したうえに「読書感想文を書いたからそっちも読んでほしい」と送りつけました。友人は優しいのでちゃんと読んでくれました。今思えば迷惑以外のなんでもないけれど、そのときはとにかく自分の感じたことを誰かに聞いてほしくて仕方がありませんでした。それだけ、私の心に何かを残す本でした。
 それから、グループとしてシングルが出ました。私がずっと待っていた「次のシングル」。あなたがひとりでジャケットに写っている、あなたのソロ曲が入っているものを買いました。言葉数の多い物語調の曲は、小説家になったあなたによく似合っていると思いました。
 そのころはまだファンクラブには入っていなかったからツアーには行っていません。DVDを買ったのも出てしばらく経ってからです。でもどんどんあなたのことが気になっていきました。
 そして2013年。初めてコンサートに行って、今私が応援すべきはこのグループだと思いました。それから今までずっと、あなたのことを好きでいます。
 あなたの下位互換になりたいとずっと思っていました。いつかはあなたになれる、そういう存在になりたかった。そう思ってしまうほど、あなたは私にとってどこか近さを感じる存在でした。自分と重なる部分を勝手に見出してしまっていました。
 好きなものの話題で早口になってしまうところ。使っている語彙がどこかオタクっぽいところ。そういう、なんだかちょっと残念なところ。なんとなく「俺ら」「こっち側」と呼びたくなるような要素が、あなたには沢山あるように思えました。
 2016年5月、QUARTETTO広島公演。私はあなたのソロを見て驚きました。言いたいことが沢山あった。一緒に行った友人とごはんを食べながら、ホテルに帰ってからも、ずっとあなたのソロの話をしていました。あなたのことはすごく好きだなと思ったけれど、演出については驚きしかありませんでした。好きかどうかの判断すらろくにできなかった。
 あれじゃ伝わらない、と私はしきりに友人に言いました。すごくいいものだと思うけれど、あれじゃ伝わらない。前提が多すぎる。そもそも『星の王子さま』を読んでいないと、何をやっているのか意味すらわからないのではないかと思います。いくら最初に朗読で「バラの花」「キツネ」という言葉を出しても、それらがどんな意味を持つのかはソロ曲を聴いただけではわかりません。サン=テグジュペリの『星の王子さま』を読んでいなければわからない。
 きっとこのソロ曲が伝わらない人が、そもそもこの演出が伝わらない人が、それなりの人数いる。あなたはそれでいいの?と何度も思いました。わからない人の目にはただよくわからないことをやっているだけに見えてしまう。それでもいいの?と。
 でも、私が心配するようなことではなかったんだね。

 


 2016年6月。東京ドームで見たあなたは、まるで別人のようでした。登場して歌い始めて最初にモニタに大写しになったあなたの顔は、あなたの顔だとちゃんと認識できるのに、まるで全然知らない人のようでした。
 堂々としていて、自信に満ちている表情をしていました。あまりにも恰好良くて戸惑いました。きっとこれは私の勘違いではないと思って、一日目の公演が終わってから会う人会う人に「いつも恰好いいけど、今日なんだかすごく恰好良かったよね?」と訊いて回りました。みんな「そうだね」と頷いていたから見間違いではなかったと安心したけれど、なんだかそれだけではない気がしていました。
 そして翌日のオーラス。やっぱりなんだか恰好いいなぁと漠然と思っていました。楽しい時間はどんどん過ぎて、「星の王子さま」の番がやってくる。
 ステージに現れたあなたが『星の王子さま』の一節を語る。イントロが流れ、セットがきらきらと輝き、青い光が灯る。
 このとき、唐突に、今日のソロは今までとは全然違う、と確信しました。私の感覚的なもので、他の人にはなんのことだかわからないことだろうとは思います。でも、本当にそう思った。実際に、全然違いました。それまでは「なんとなく」しかわからなかったものが、私が考えるより先に頭の中に飛び込んでくる。きっと、わかったわけでも伝わってきたわけでもないけれど、そういう段階を飛び越えていろんなものが頭の中に飛び込んでくるような感じがしました。この部分は○○っぽいねとか、こういう要素は××の影響かなとか、そういう理解の手助けも意味がないくらい、直感的な何かがあった。こんなにも素敵な体験をさせてくれる人は、他にはいない。
 あなたのソロはいつも難しくてわかりにくかったけれど、それでもひとつくらいはヒントがあった。今回も『星の王子さま』というヒントはあったけれど、それは誰もが知っているものではない。でも、あなたはこれがやりたかったんだね。これをやるだけの力が、あなたにはあったんだね。
 私が最初に好きになった、生きづらそうなあなたはもうどこにもいなかった。代わりにそこにいたのは、自信に満ちていて、恐れるものは何もない、強くて逞しいあなただった。

 


 私はいつも、あなたのことが心配でした。だから初めて「星の王子さま」を見たときも、あなたはそれでいいの?と心配していました。でも、私の心配なんて、意味なんかなかった。あなたはもう私が心配できる範囲にはいなかった。それが寂しくて寂しくてこの一週間ずっと泣いていました。
 最近はあなたが何かひとつ活躍するたびに、私はこんなところでくすぶっているのにとつらく思っていました。長編小説を連載すると聞いたときは、何もできずにくすぶっている自分が本当に嫌になりました。買わないわけもないし読まないわけもないけれど、こんな気持ちで好きになれるかな、と不安でした。でも実際読んでみてすごく好きだった。エンタメ作品としてこの先がとても気になる展開になっていました。だからこそ余計に、自分が何もできていないのがつらくなりました。
 でも、オーラスを見てからはそのつらさがなくなりました。私が自分を重ねられるようなあなたはもうどこにもいない。私はあなたにはなれない。そんなの当たり前だけど、心のどこかではあなたのようになれるような気がしていました。あなたが目標でした。あなたみたいになりたかった。せめて「あなたみたいになれる存在」になら、あなたの下位互換にならいつかなれると思っていた。でも私じゃそれにもなれない。どうあがいてもあなたには手が届かない。そのことに、やっと気づきました。本当はもっとずっと前から気付いていたのかもしれないけれど、見て見ぬふりを続けてきました。でももうそれもできません。簡単に「なりたい」なんて言えるところには、もうあなたはいない。
 Whiteの東京ドーム公演では、「しげが楽しそうで嬉しい」と号泣しました。でもQUARTETTOではそんなふうには泣かなかった。私がそう思える範囲に、あなたはもういなかった。
 WhiteもQUARTETTOも一緒にコンサートに入った友人と会ってこの話をしたら、「ずっと近くにいた幼馴染が、気付いたら大人になってたみたいな感じだね」と言われました。まさしくそんな感じだと思いました。私はあなたのことを、勝手に近い存在だと思っていました。心理的にすごく近い存在なのだと思っていました。でも違った。あなたは「俺ら」でも「こっち側」でもなかった。まぎれもなく、あなたはアイドルで、それ以外のなんでもない。
 私はずっとあなたのことを心配していたけれど、「俺は大丈夫だよ。そっちこそ大丈夫?」と逆に心配されているような気分になりました。そのくらいの余裕が、今のあなたにはあるように思えます。
 こんなにすごい人なのにどうしてみんな気付かないの、とずっと思っていたけれど、そう思っている私こそあなたのことをちっとも見ていなかったのかもしれません。私は自分の心の中に閉じ込めたあなたを見ていただけだったのかもしれません。普段はどこか居心地が悪そうな顔をしているのにソロ曲では「俺はここにいるんだ」と自信を持って歌うあなたを、生きづらそうなあなたを、かつてはいたのかもしれないけれどもう今はどこにもいないあなたを、ずっと心の中に閉じ込めたままだった。今のあなたは、どこも居心地が悪そうになんか見えないのに。生きることを楽しんでいるように見えるのに。私の心なんていう窮屈なところにあなたを閉じ込めるのは、もうやめにします。
 心の中に閉じ込めていたあなたに、さよならしようと思います。


 友人はこうも言いました。「距離が遠くなったんじゃなくて、正しい距離に戻ったんだね。マイナスになったわけじゃないよ」。その言葉で、なんだかとても救われた気がしました。これからのあなたのことも、きっと私は好きです。だってもう好きだから。ちゃんと、「アイドル」としてのあなたを、もっと見ていきたいと思います。


 さよなら、私の愛したあなた。今まで、本当にありがとう。ありがとうなんて言葉じゃ片付かないほどの気持ちが溢れて、寂しくて涙が出ます。私はあなたのことが本当に大好きでした。
 はじめまして、私がこれから愛していくあなた。あなたのことも、きっと大好きになると確信しています。だってもうあなたのことが好きだから。でもまだときどき、心の中の空洞を感じて寂しくなることがあるかもしれません。でも、その空洞は埋めていけると思います。そこにあなたを閉じ込めるのではなくて、今度はあなたが見せてくれる世界から受け取ったものを詰めていくつもりです。私の心には私の気持ちを詰めておくのがいいと思います。あなたにはなれなくても、あなたになれるかもしれない存在にもなれなくても、あなたに誇れる私になりたいです。そのために頑張っていこうと、改めて思いました。
 
 
 
 というわけで今日も私はシゲ担です。