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来世はペンギンになりたい

好きなものを好きと言うために生きてる

正しいかたちで新たな世界へ ―「ESCORT」MV考察未満―

 待ちに待った『NEWS LIVE TOUR 2015 WHITE』がようやくリリースされた。

 待った甲斐があった。本編はまだ半分しか見られていないが、なぜ半分しか見ていないってあまりの映像の美しさに何度も巻き戻し&再生を繰り返しているから。全然進まない。多分通して見たら既に一周くらいはできているはず。
 そして特典映像。素晴らしいにもほどがある。4人のソロMVということだが、どれも素晴らしい。一周さらっと見たら満足するかと思ったけど無理だった。どれも考え甲斐があるというか、いろいろなことを考えることができるつくりでありながら、映像の美しさも最上級だ。
 
 どきどきしながら「ESCORT」を見た。途中で瞬きができなくなって、一度見終わった後は目がしょぼしょぼになっていた。あまりの美しさと意味ありげなモチーフの数々。考察厨の出番?考察していい?ダメでもするね!思考マグロだから考えないと死ぬ。
 
 MV、メイキングのネタバレを含みます。メイキングは通常盤のみ収録です。未見の方はご注意ください。下にAmazonリンク貼りますので是非お買い求めください。
 また、考察とは名ばかりの個人の妄想です。考察っていったけど妄想だよこんなの。妄想妄想。話半分に「ふーん」と読み飛ばすくらいの気持ちでお願いします。そんなんじゃねーよと思ってもそっとしておいてやってください。

 

 

 

登場人物について

 A(ウェイター)、B(白い男)、女性、ダンサー(Bの付き人)と表記する。

 

冒頭~グラスを割るまで

 Aは客の女性のことが気になっている。とはいえ本気で好きというわけではないように思える。ちょっと気になったとかその程度。しかし女性の左手薬指には指輪が光っていた(=既婚者)。
 加藤さんの話によると、Aは過去の恋を引きずっている。正直、今はもう誰でもいいとか思ってそう。過去の恋が忘れられるなら誰でもいい。誰でもいいのに既婚者を選んでしまった自分への嫌悪(倫理に反するとかではなく単純に面倒だから、くらいのドライさがありそう)が、無表情で仕事をこなす彼にはあるのかもしれないと思った。
 過去の恋を忘れるためなら別に誰でもいいと思いながら「いいなと思ったけどあの女は既婚者だから嫌」「じゃあ結局誰でもいいわけじゃないじゃん」というような思いが頭を渦巻く。無表情で仕事をこなそうとしながらも作業に集中できておらず、うっかりグラスを落として割ってしまう。

 女性が料理を残しているが、これには何か意味があるのだろうか。何かのメタファーなのかとも思ったが、単に「女性がそこの席にいた痕跡」として使いたかっただけなのかもしれない。でも食べ物=生きるためのものを残すということは何かしらの意味が……?と勘繰りたくなる。
 グラスが割れたことで音楽も途切れる。このグラスはウェイター(の仕事)の象徴であり、それを割ることはウェイターであるAが自分の殻を破るという意味にも思える。無意識下でAの殻が破れ、割れたグラスから飲み物が溢れ出るかのごとく、Bが現れる。Aがグラスを割ったことが引き金となってBが現れるという流れから、Aが普段は意識の底に押し込めている存在がBであるという考えが成り立つ。

 

Bの登場

 電気が落ち、Aはステージ上に自分と同じ顔をした白い服の男を見る。Bは動物のマスクを被ったダンサーを二人連れて踊る。Aは逃げようとするが、Bとダンサーに行く手を阻まれる。
 
 Bのビジュアルイメージは沢田研二なのではないかという説は既に出ている*1。おそらくそうなのではないかなと思う。しかしビジュアルイメージ以外の意味はなさそう(でもこんな美しい加藤さんが映像で残っているという喜びは大きい)。
 Bが連れている二人のダンサー。二人はBの「使い魔」のようなものだろうか。なんの動物のマスクなのかよくわからない。この後で出てくる半分のマスクは象だが、このダンサーのマスクはなんの動物だろうか、こっちも象だろうか*2。更なる考察の余地あり。

 

プロジェクタ投影

 金魚や浮世絵、海中の魚などのモチーフが、半分だけのマスク(象)を被ったBに重なる。Bの上にはAの姿も重なる。気付けばマスクをつけてそこにいるのはAになり、Bの姿が重なり、そしてまたBになり、と入れ換わる。
 
 この場面だが、結論から言うとAとBの一体化にいたる過程を表現した場面だと思う。このプロジェクタで様々なものを投影する場面は二人の男の心内イメージである。夢の中の夢のような感じ。どちらの心の内かは判別できない。むしろ同一の存在なのだから「二人の」というのが正しいのかもしれない。
 象の仮面が出てくるがこれはpink elephant(「Dreamcatcher」の歌詞にもでてきた)を思い出させる。「Dreamchatcher」のテーマは眠りや夢である。このプロジェクタ投影の世界はAとBの二人が見ている夢、二人にしか見えていない世界ということがいえる。関係があるのかどうかはわからないが、『ピンクとグレー』の終盤のシーンのイメージはこんな感じだろうか。
 Bは歌うが、Aは歌わない。黙ったままのAはBとの一体化を拒んでいるようにも思える。一方、Bは黙っているAのことはおかまいなしに歌う。ここではまだ二人の意思は通わない。歌う/黙っているの対比から、BとAが自我の強さを勝負しているようにも思える。BはAの「心」を侵略しようとしているのだろうか。
 AとBに、金魚や浮世絵などのモチーフが重なる。これはいわずもがな「加藤シゲアキ」のモチーフだ。しかし、AにもBにも、これらのモチーフは意味がない。意味を持つのは誰に対してか。見ている人に対してだ。
 私の解釈では、AもBも加藤シゲアキではない。加藤成亮でもない。全く別の存在で、単なる物語の登場人物として描かれている。そこに「加藤シゲアキ」のモチーフが重なる。このMVを通して見ても、ここだけが外部である「加藤シゲアキ」からの干渉を受けている*3
 物語のレベルでは関係ないとはいえ、AもBも演じているのは加藤シゲアキという一人の人間である。AにはBの映像を、BにはAの映像を重ねる。ここで既に二人が一体化に向かうことが考えられるが、Aは歌わずにBは歌う。まだ完全に一体化したわけではない。そこに更に、物語の外側にいる加藤シゲアキを表すモチーフを重ねる。つまり、「加藤シゲアキ」という存在を用いることで、AとBは一体化するのである。
 Aの姿が一足早く現実(とはいえこれも夢のようなものだけど)に戻る(ダンサーによって椅子に座らされる)ことから、BはAの内部に入り込むことに成功したのではないかというような気がする。椅子に座るシーンの後に、Bに重ねて投影されたAが目を開けて俯いていた顔を上げるのも、二人が一体化することを示しているように思える。
 「海に捨てた かつての脆弱mind」で海の中の映像というのは歌詞とのリンクか。Aの「過去の恋を引きずっている」という設定が「海に捨てた かつての脆弱mind」だったりするのだろうか。「今宵悲しみの夜を乗り越えて」という歌詞も、Aが過去から立ち直り一歩踏み出すことを示しているように見える。また、最後の花火の映像は一体化へ至ることを祝福しているかのようだ。
 

再びステージで歌うB

 Bはステージで歌い、Aはそれを椅子に座って眼を見開いて見ている。Aはだんだんとステージに近付いていく。ダンサーが左右にはけると、葉巻を吸うBが現れる。Bはマイクに帽子をかけ、しゃがんでAに顔を近づけ、煙を吹きかける。Aはゆっくり倒れ込み、椅子に沈む。
 
 逃げていたAが目を見開いてBを見つめているところから、先程のプロジェクタ投影パートでの一体化が完成に近付きつつあるといえる(プロジェクタ投影パートでAが目を閉じて俯いていたこととの対比。目を開ける=受け入れる)。
 クラッカーのリボンのようなものがAに降りかかる場面があるが、これはなんらかの祝福を表現しているのだろうか。先程の花火と同様、一体化することで新たな存在として生まれ直したことの祝福か。
 また、Aは自らBへと近づいていく。AがBを受け入れたことを示しているように見える。
 葉巻の煙を吹きかけるシーンでは、Bがステージ=高いところにいて見下ろす姿勢、Aは床=低いところに立っていて見上げる姿勢を取っていることから、高い位置>低い位置という力関係が示されている。Bが登場した場面ではAのほうが高い位置にいるので、この力関係が逆転している。一体化した二人は、外見としてはAだし中身もおそらくAなのだが、支配権はBが持っている、という関係か。
 また、それ以上に注目すべきは、煙を吹きかけるのは相手と性行為をしたいことを示すサインという説だ(男同士だとそうなるとか、男女でもそうなるとかいろいろあった)。調べても説の出所はわからなかったが、映画や漫画の中でもそういった表現が出てきたりもするし、加藤さんなら知っているのではないかと思う。知っていてその意味を含んでこのシーンを撮ろうと思ったとして、だとしたらこのMVは「一体化の物語」であるという確信が更に強くなる。
 性行為は「ひとつになる」行為である*4。また、相手の身体に入り込む=相手の身体を侵略する行為ともいえるのではないだろうか。先程のプロジェクタ投影のシーンでは、BはAの「心」を侵略していた。この煙のシーンで「身体」の侵略も表現しているとすれば、AはBに心も身体も侵略されたことになる。
 また、Aは最初はBから逃げようとしていたが、最終的には自分からステージ上のBに近付いており、二人の意思が互いを向いて煙を吹きかけ、一体化が果たされる。AがBに侵略されて一体化する物語。グラスが割れてBが現れたという時点で二人は同じ存在なので、あるべき正しいかたちに戻ったともいえる。ただし、AはBの存在を知ってしまったため、知らなかった頃には戻れない。己の中にいるBの存在を意識せずにはいられない。しかしAにとってはこれが正しいかたちなのだ。
 

目を覚ましたA~終わりまで

 電気がつき、Aはステージへと歩く。そこでBの白い帽子を手に取る。ネクタイを外し、マイクに触れ、歌おうとするブレス、暗転、タイトル「ESCORT」。
 
 ネクタイ=規範に従順であることの象徴、ウェイター(という仕事)の象徴だとすると、それを自ら外すAは自らの意思で一歩踏み出すことを選んだといえる。グラスもウェイターの象徴のひとつだと言ったが、あれは不慮の事故(あるいは無意識に)で落としてしまったものである。しかし今回は自分の意思でネクタイを外している。Bと一体化したことによる変化だろう。
 ネクタイを外したAはマイクに手を伸ばし、歌おうとするブレスで暗転する。この部分はMVの前半でBが歌い始める部分と重なる。AとBが一体化したことの証のようにも思われる。Aの中にはBが息づいている(なんとなく、りばちゃんがごっちを自分の中に蘇らせていった感じを思い出す)。
 最後の最後までタイトルを出さないところも憎い演出だ。

 

 AとBの関係(4/22追記)

 B=幻覚/心の中の自分/もうひとりの自分という意味では、閃光スクランブル亜希子とジャックの関係にも近い。『閃光スクランブル』では亜希子(本体)>ジャック(もうひとりの自分)だが、「ESCORT」MVではA(本体)<B(もうひとりの自分)という力関係になっている。亜希子は最初はジャックに何かを言われても言い返すことが出来なかったりと、亜希子<ジャックという力関係だったのだが、最終的にはジャックに打ち勝つ(腕の傷を刺青で上書きする)=亜希子優位の一体化をする。一方、AとBは最初A(見下ろす)>B(見下ろされる)という関係だったのが最後の対峙するシーンではA(見下ろされる)<B(見下ろす)という関係になり、最終的にBの行動(マイクに手を添え歌い出す)をなぞっている=B優位の一体化をする。どちらも最後に残るのは本体のほうだが、なんとなくだが対になっているように見える。
 ジャック(=亜希子を死へと導こうとするもう一人の自分)を自分の奥に封じ込める(=一体化する)ことで、亜希子の人生は明るいほうへ向き始める。ジャックは亜希子のネガティブな部分ともいえるので、わかりやすい構図である。BはAに対して「一歩踏み出せよ」と言う役割、「自分自身をエスコートする」役割を背負っているわけだが、それにしてはBの存在は些か妖しげである。最後にAがマイクに手を添え歌い出す場面も薄暗い。目を覚ました後のAの中にはBがいて、アンダーグラウンドな世界へとAを導いてしまったような感じがしなくもない。そこも対になっている感じがする。

 

自分自身をエスコートする物語

 メイキングではそう表現していた。私には「内なる自分と上辺の自分が一体化することで(二人にとって)幸せな未来へと導く」というような図に見えた。
 『ピンクとグレー』や映画「ピンクとグレー」の考察のときにも何度か「一体化」というキーワードを用いているが、私の論では「一体化」は同一人物でしか起こりえない*5。というか、一体化する理由や根拠として「同一人物である」というものがある。物語のレベルでは別の人物でも、物語から一歩引いたところから見て同一人物であれば成り立つ。「ESCORT」MVのAとBは物語レベルでも同一人物なので、もともとひとつだったものが一体化するという構図が成り立つ。
 AがBと一体化して生まれ直すことを祝福するような描写があることで、この一体化は喜ばしいものだったようにも見える。しかし、一体化することで、BはAを魅惑的なステージの上へ誘ったように見える。Bと一体化したことで、Aはこの先どうなるのだろうか。Bの危うげで妖しげな世界に魅せられたAの幸せは、それまでのAが思い描いていたものとは違うものになってしまったかもしれない。最後にマイクに向かっていったAはもう過去の恋のことも、客の女性のことも考えていないかもしれない。Aの思考はB及びBがAに教えてしまった妖しい世界のことかもしれない。でも、AにとってはBと一体化した今の自分こそが正しいかたちなのだ。だとしたらこの物語の結末はメリバ*6だろう。

 もっと幸せなものとして捉えた方もいるかもしれないが、私にはそう見えた。
 
 
 
 まぁなんかいろいろ書いたけど「自分が自分と対峙する」という構図が本当に好きすぎる*7私にとってはご褒美すぎるMVだった。多分だけど加藤さんもそういう構図好きなんじゃない……?結構多く使われている気が。
 あと絵的に美しいからこういうふうにしたい、というのもあるのかもしれない。加藤さん、そういうロマンを詰め込みたいところ、ありそう。私がこじつけているところにはさほど意味がないのかもしれない。だとしたらそれもまたいいなと思う。

 そもそも作詞作曲歌唱出演(2役)脚本監督をこなす加藤さんを見られるだけで幸せすぎる。最高のMVをありがとうございました!いつかNEWS全員が出るMVも撮って欲しいです!加藤さんプロデュースのNEWS見たいです!

*1:彼が彼を導く話〜「ESCORT」MVがいかに計算され尽くした物語であるか〜 - ろじかりずむ

*2:めっちゃ余談だけどすごくムジュラの仮面を思い出す

*3:勿論撮ってるのが加藤さんなので全部が影響されているわけだけれど、加藤さんをわかりやすく示すモチーフをわざわざ持ってきているという感じがする

*4:比喩的に「ひとつになる」「合体」と表現される

*5:なぜこの説が好きかって言われてもそこにロマンがあるからとしか答えられないけど

*6:メリーバッドエンド メリーバッドエンドとは - 日本語表現辞典 Weblio辞書

*7:本当に好き。多分そういう性癖なんだと思う。好き