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来世はペンギンになりたい

好きなものを好きと言うために生きてる

こどものままで僕はかまわぬ―「星の王子さま」考察―

 今年も加藤シゲアキ劇場が幕を開けた。
 加藤さんの今回のソロ曲はサン=テグジュペリの名作星の王子さまを題材とした作品となっている。ビビットカルチャーの絵本ロケでこの題材を見つけたと言うが、小説家でもある加藤さんのファンが文学的なものを好みそうだという点も踏まえてのチョイスなのではないか。勿論、加藤さん自身が作品に惹かれたのが一番の要因だと思うけれど。
 いざ聴いてみると、サン=テグジュペリ星の王子さまのように静かに美しくきらめく言葉達で彩られた歌詞だった。メロディも、優しい夜の雰囲気を漂わせている。さぁ湧け考察厨!と言われた気がするので、星の王子さまと比較してこの曲を読み解いてみようと思う。
 さぁ湧け!と言われた気がする割には、「大切なものは目に見えない」。かつ、ああだこうだと言ってわかった気になるのは大人のすることだ。多分これは本質ではないのだろうと思いながらも、それでもやっぱりわかりたいので考えずにはいられない。

 曲のタイトルとオマージュ元作品のタイトルが同じなのでややこしいが、曲は星の王子さま、オマージュ元は星の王子さまと表記する。変換を間違えないように気をつけなければ。

 サン=テグジュペリ星の王子さま、原題は『Le Petit Prince』。世界中で読み継がれている名作だ。その人気は日本でも例外ではない。誰もが一度はタイトルくらいは聞いたことがあるだろう。昨年は「リトル・プリンス 星の王子さまと私」というタイトルでアニメーション映画も公開されていた(観てないのでそのうち観たい)。
 大学生の頃、「今まで海外文学を避けてきたけど世界の名作文学を一度くらいは読んでみようキャンペーン」というのを個人的に展開したことがあった。『赤毛のアン』『1984年』『キャッチャー・イン・ザ・ライ』などを読んでみた。その中に星の王子さま(当時読んだのは新潮文庫版)もあった。翻訳の文体に慣れていないということもあって読みにくさはあったが、美しい文章で書かれていることはわかった。
 今回は加藤さんに倣って、岩波書店から出版されているものを読んでみた。まず、私が最初に読んでいた新潮文庫版とは訳の口調が違うことに驚いた。岩波版は「童話」の体裁で書かれているように感じた。個人的にはこちらのほうが読みやすく感じられた。普段国内文学しか読まない人間なのでやはり翻訳には抵抗があるのだが、初めて読んだときよりはいくらか自分の中で咀嚼しながら読めた気がする。勿論加藤さんフィルターのおかげもあるけれど。
 しかしこの奥深い一冊を理解できたとは到底言えない。なので理解が足りない部分もあるかもしれないが、考えたことをとりとめなく書いていこうと思う。

 いつも以上に主観と想像で語っているので、いつも以上に話半分に読んで下されば幸いです。

 

 どこかノスタルジックな雰囲気を漂わせる優しいアコギの音から曲が始まる。優しいけれど切ない。もっと言葉で音楽を表現できたら言い表せるのかもしれないが、私にはそれだけの知識と技量がないのが悔しい。
 
 加藤さんはこの曲について、「咀嚼、吸収、再生産」という言葉を用いて語っている。
 これは今年の頭に加藤さんの著作が映像化されたこととも関係している。映画「ピンクとグレー」は原作から更に派生した世界を描き、ドラマ「傘をもたない蟻たちは」は加藤さんの書いた世界のエッセンスをドラマという枠に当てはまるように翻訳する作業がなされ、よりドラマ的に見せるためのオリジナルな部分も加えられていた。また、「傘をもたない蟻たちは」のときには「原作を因数分解して再構築した」というような言葉が番組制作サイドから出ていた。こういったできごとを経たからこそ、この楽曲が生まれたのだろう。そう思うと、加藤さんが生んだ物語が加藤さんに新たな考え方を示していて、なんでも糧にして成長していく人なのだと思い知らされる。
 加藤さんが星の王子さまを読みこんで咀嚼・吸収し、加藤さんの言葉によって再生産された星の王子さま。1番は星の王子さまに登場する言葉が多く、2番からはやりたいことをやっている、と加藤さんが言っているのでそれも頭に入れながら考えていく。

 なお、星の王子さまからの引用がある場合は岩波書店岩波少年文庫シリーズから出版されている星の王子さま(内藤濯訳)に従う。

 

・「僕」は誰か

 「咀嚼・吸収・再生産」する過程で、どこから見た物語にするかという問題が出てくる。しようと思えば、元の作品とは違う視点で再生産することもできるからだ*1
 歌詞全体を通して読んでみると、おそらくこの歌の語り手「僕」は飛行士だろうと読みとれる。星の王子さまが飛行士である「ぼく」を語り手として設定しており、それに倣っているのだろう。というわけでコンサートでのソロ衣装が飛行士モチーフなのではないかと予想。
 では、歌詞の語り手「僕」=飛行士として話を進める。

 

・歌詞の時制

 時制というとなんか小難しく聞こえるが、「僕」のいる時間軸がどこなのかという話。これも星の王子さまに倣い、王子さまが去ってからの時間軸であると思われる。ということも前提として話を進める。

 一行一行について解説をしていこうかとも思ったのだが、途方もなく長くなったので微妙に抜粋している。

 

・1番Aメロ

Look at the sky
聴こえるかい 飛行士の願い

 星の王子さま27章p166に「空をごらんなさい」とある。そこからの引用か。
 星の王子さまを読むと、最後に「もし王子さまを見つけたら教えてほしい」というようなことが書いてある。王子さまがいなくなってから6年経つが、飛行士の「僕」は王子さまに再び会うことを望んでいる。これが「飛行士の願い」だ。サビの「また会う日まで」とも呼応する部分。
 また、「Look at the sky」=視覚であるのに次が「聴こえるかい」=聴覚なのでこの二行で既に五感のうち二つ使っていて、感覚で捉えるべき世界がこの先に展開することを予感させる。といいつつそれを頭で理解しようとして文章にまとめているという矛盾。でもやるしかない。やらないなんてないから。

世界が全て正解じゃない

 「大切なものは目に見えない」の言い換えにも思えるフレーズ。(目に見える)世界が全て正解じゃない、というようにとれる。

In the starlight たゆたい
謳い続けていく ララ このフレーズ

 「歌う」ではなく「謳う」という漢字が使われているところがポイント。通常、singの意では「歌う/唄う」を使うのが一般的だ。ということは何か意味があるのだろう。
 「謳う」には「多くの人々が褒めたたえる。謳歌する。」*2という意味がある。長年世界中で読み継がれてきた星の王子さまという名作に敬意を表し、尊敬の念を持って語り継ぐことを意味しているのではないかと思う。それをさりげなく歌の中に織り込むという、加藤さんの物書きとしての腕が光る部分。
 「このフレーズ」とは「大切なものは目に見えない」だろう。先程も、そしてこの後も、「大切なものは目に見えない」の言い換えとも取れるような表現が出てくるし、「invisible to the eye」という歌詞も繰り返し出てくる。
 歌の語り手である飛行士は王子さまから教えてもらった「大切なものは目に見えない」というフレーズを、そして加藤さんはサン=テグジュペリ星の王子さまで示した「大切なものは目に見えない」というフレーズを、それぞれ「謳い続けていく」。二つの意味が重ねられている、加藤さんの物書きの腕が光りまくっている部分だ。こんな素晴らしい歌詞を書く加藤さんに何か贈りたい。カタログギフトじゃ足りない。

瞳閉じて 耳澄ませ
奥の奥の奥だけを鳴らせ

 ここもまた「大切なものは目に見えない」を連想させる。「奥」を重ね、更に「だけ」という限定がされているので、聴き手の心の深くに訴えかける。
 また、「聴こえるかい」同様、聴覚的な言葉が並ぶ。「大切なものは目に見えない」という言葉を連想させるだけではなく、星の王子さまp164に「ぼくは夜になると、空に光っているほしたちに、耳をしますのがすきです。まるで五億の鈴が、鳴りわたっているようです……」とある。このあたりからの引用の意味も込められているのかもしれない。

Let's go and catch the beautiful sunset

 王子さまは夕日を見るのが好きだと言う。飛行士と出会ってからも夕日を見に行こうと言っていた。一方で、夕日を見ると悲しい気持ちが落ち着くとも言っている。美しい夕日を見に行こうと歌う「僕」もまた、悲しいことがあるのだろう。
 しかし、歌い方とメロディが明るいのでその悲しさを聴き手に想像させすぎないところがいい。
 164pには「いまとなっては、かなしいにはかなしいのですが、いくらかあきらめがつきました。といったところで……すっかりあきらめがついた、というわけではありません。」とある。
 

 1番Aメロに関しては、27章~最後までの部分の引用が多いように見受けられる。終盤の部分を歌詞の冒頭にもってくるあたりが、物語のあらすじをなぞるのではなく加藤さんによる「再生産」という感じがする。
 イントロの穏やかで優しくも切ないアコギの音が、王子さまのことを思う「僕」の心境とマッチしている感じがするのもいい。コーラスが「Invisible to the eye」と繰り返すのも、「僕」の頭の中に王子さまが残した言葉がリフレインしているように聴こえる。


・1番Bメロ

日々乱反射していく風景 溢れだすうたかたのページ

 「乱反射」という言葉は歌詞でよく使われるけれど、字面からなんとなく「ランダムに反射する」という意味だと理解しているだけなので、今回は言葉のひとつひとつにこだわって読み解こうと思い、一応調べてみた。すると、「表面が滑らかでない物体に光線が当たって、いろいろな方向へ反射すること。拡散反射。」*3とある。
 表面が滑らかではない、つまりでこぼこなものとはこの場合なんだろうなと考えてみたときに、二つの解釈が思い浮かんだ。一つは、でこぼこなものとは「僕」が過ごす日常のことではないか、というもの。星の王子さまの中では、ウワバミの絵を理解しない大人たちの中で、飛行士は大人のふりをして生きている様子が描かれている。しかし飛行士がそれに慣れることはない。そんな矛盾した日々に、王子さまと過ごした日々の風景が乱反射しているのでは。
 もうひとつは先程の解釈とは真逆で、こどものままでいる飛行士の心こそでこぼこなものであって、大人の中で大人のふりをしつつもこどものままで生きる飛行士の日々がその心に当たって乱反射しているのでは、というもの。
 前者は乱反射=きれいなものが零れ落ちていくというイメージで、後者は乱反射=めまぐるしいものを受け止めきれないといったイメージ。「乱反射」という単語とだいぶ闘ってみたがどちらなのかはわからなかった。加藤さんはどちらの意でこの部分を書いたのか、それともどちらでもないのだろうか。
 また、「うたかた」という単語も調べてみた。「はかなく消えやすいもののたとえ。」*4とあった。「うたかたのページ」とは、「僕」が王子さまとの日々をどこかに綴ったそのページなのではないかと思う。王子さまとの日々は「砂漠の夢」のようにはかなく消えやすいものなのだけれど、書きだしたら止まらないほど書くことがある=「溢れだす」。
 加藤さんがソロ曲の題材として星の王子さまを選んだときに、自分らしいものをという言葉を用いて表現していた。それは「小説」「物語」というモチーフがこの星の王子さまそのものだけでなく、その中にもあるからなのではないかと思った。

乾いた砂 風に流星 思い出にならないように

 「思い出にならないように」というフレーズだが、「ぼくは、王子さまとの思い出を話すのが、ほんとにかなしいのです。あの友だちがヒツジをつれて、どこかへいってしまってから、もう六年にもなります。あの友だちのことを、いま、ここにこうして書くのは、あの友だちを忘れないためなのです。」とある(4章、p29)。つまり、思い出を話す=思い出にしてしまうことがつらいからだ。だから、そうはならないように、「僕」は王子さまとの日々を書き綴る。


・1番サビ

砂漠の夢 また会う日まで ゆらめく笑み 渡り鳥の旅へ

 「砂漠の夢」とは、王子さまと過ごした日々のことのように思える。「僕」にとっても夢うつつというような日々だったのだろう。
 「ゆらめく」という単語が砂漠感を醸し出している。砂漠の蜃気楼のように「僕」の頭の中に王子さまの笑顔が浮かんでいるのだろうか。
 「渡り鳥」は星の王子さまの中で言及されている。9章のはじめに「渡り鳥たちが、ほかの星に移り住むのを見た王子さまは、いいおりだと思って、ふるさとの星をあとにしたのだとぼくは思います」(p56)とある。

花咲く 君を 抱きしめる 明けゆく 夜を なぐさめる

 ここで出てくる「君」は、私は王子さまのことだと思う。歌の語り手「僕」を飛行士としたとき、「僕」と対になり「僕」が呼びかける相手は王子さまと考えるのが妥当だろう。「花」は本文中にも出てくる「バラの花」だろうし、バラの花を愛しく思う王子さまを「花咲く 君」と表現したのだと思うとすごく美しい表現だなと思う。それと、26章には飛行士が王子さまを抱きしめる場面も出てくる。ここでは、実際に抱きしめたかどうかは問題ではなく、王子さまのことを考えるとき、それは優しく抱きしめることと同義なのかもしれない。
 では、「明けゆく 夜」はなんのことだろうと考える。星の王子さまにそういった部分はなかったような気がする(あったら見落としてる。ごめんなさい)ので、加藤さんが何かを意図して書いた言葉だと思う。星の王子さまで重要な要素となっている星は昼間は見えないので、この歌詞の中でいえば昼間よりも夜の方にこそ価値があるのではないだろうか。その夜が「明けゆく」のだから、あまりいいイメージは浮かばない。
 それを踏まえて考えると、もしかしたら、大人になっていくことを表しているのかもしれないと思った。こどもでいるあいだが夜で、明けて朝がくることが大人になるということ。夜の星に目を輝かせているときこそこどもで、日が昇った明るい世界で数字を勘定するのが大人。星の王子さまの中に「けれど、ぼくには、あいにく、箱の中のヒツジを見る目がありません。ぼくもどうやら、おとなじみているのかもしれません。年とってしまったにちがいありません。」(4章、p31)という文章が出てくる。大人になってしまうことの悲しみとどうしようもなさを「明けゆく 夜」と表現し、「花咲く 君」=王子さまのことを考えることで「なぐさめる」のだろう。

ひとつだけ、を探して

 ここでいう「ひとつだけ」は、星の王子さまでも何度も出てくる「一輪の花」だったり「この世に一ぴきしかいないキツネ」のことだ。自分が関わったことによって、それは自分にとってかけがえのないものになる。そういったかけがえのない、自分だけの大切なものを「僕」は探しているのだろう。それはあのウワバミの絵を理解する王子さまのことかもしれないし、今後また出会うであろうあの絵を理解する誰かのことなのかもしれない。
 読点で区切られているのは、「ひとつだけ」が重要なものであるという強調と、「ひとつだけ」がそれ単体で意味を示す名詞であることを示しているのかなと思う。

 

・2番ポエトリーリーディング

"In one of the stars I shall be living
In one of them I shall be laughing."

 わざわざダブルクォーテーションで囲まれているので、ここは台詞と捉える。星の王子さまを読んでみると、これは王子さまの発言であることがわかる。「ぼくは、あの星のなかの一つに住むんだ。その一つの星のなかで笑うんだ。だから、きみが夜、空をながめたら、星がみんな笑ってるように見えるだろう。すると、きみだけが、笑い上戸の星を見るわけさ」(26章、p156)という部分をさしている。

BitterもいつしかGood tasteになる
ならこどものままで僕はかまわぬ

 「Bitter」は苦いもの=受け入れがたいもの、つまらないものを表していて、星の王子さまでいうと大人たちが大好きな数字だとか、そういうもののことだ。そういったものが「Good taste」=美味しいものになるということは、つまらないものを美味しいと思えるようになること、つまり大人になるということ。
 そう言いながらも、飛行士は「そこで、ぼくは、ウワバミの話も、原始林の話も、星の話もやめにして、その人のわかりそうなことに話をかえました。つまり、ブリッジ遊びや、ゴルフや、政治や、ネクタイの話をしたのです。」(1章、p10)とあるので、大人と共通の話題で話すことができる。多分、年相応の行動ができる人なのだ。しかしそれでも、大人たちとの話題を面白いと思えるようになりたくはないのだろう。
 「かまわぬ」と言いながら、むしろこどものままでいたいのではないかなと思う。「かまわぬ」という硬めの言葉遣いからは、あまりこどもの感じはしない。自分が年齢的に、社会的に大人であることをわかっているし大人と話を合わせることもできる。しかし、ウワバミの絵のことや王子さまのこと、沢山の星が笑っているように見えることを忘れたくはないのだ。

秋に咲いた不時の桜は
次の春も咲けるのだろうか

 「不時」とは「予定外の時であること。思いがけない時であること。また、そのさま。」*5という意味。この部分はわかるようでわからない。感覚的にはなんとなくわかる気がするけれど言葉にするのが難しい。
 「不時の桜」=イレギュラーなものだとして、星の王子さまで最もイレギュラーなものといったら地球にやってきた王子さまのことだろうと思った。「次の春も咲ける」=あるべき姿になる、ということであれば、王子さまは無事に自分の星に帰ることができただろうかという意味に思える。でもいささかこじつけが過ぎる気もする……。
 あるいはもう言葉通りに取るべきなのか悩むところ。言葉がとても奇麗なので何を言いたいのかわかりたいのだけれどわかりきれなくて己の読解力のなさが悔しい。他の方の解釈を読んでみたい部分。

幸福にくすぐられる感傷をいつまでも

 「感傷」もよく使われる単語だが詳しい意味がわからないので調べてみた。「物事に感じやすく、すぐ悲しんだり同情したりする心の傾向。また、その気持ち。」*6ということだった。「幸福」という良い意味を持つ言葉と「感傷」という物悲しさを表現する言葉が同時に使われている。幸せなことを思い出して切なくなる、といったような意味合いであると捉えるならば、王子さまのことを考えることは幸せだけれど同時に切なさや物悲しさも伴う、という意味だろうかと思った。
 飛行士が空の星を見上げるとき、ヒツジが花を食べてしまわないだろうかと心配する場面を表しているのかとも思った。空を見上げて王子さまのことを考えるのは幸せなことだが、ヒツジが花を食べてしまっていたらと思うと不安になる。そうやって考えることについてを表現したのがこの箇所なのかもしれない。

 

 歌詞を語る加藤さんの声が低めで穏やかなのが耳に心地いい。特に「かまわぬ」の言い方が好き。
 先程から曖昧に濁す表現が頻出しているのは、この語りの部分はわからない部分が多いからだ。すごく言葉が奇麗だし、加藤さんの優しい声が言葉を胸にすとんと落としてくれるのに、私の読解力ではわからないことがありすぎるのが悲しい。
 もっと額面通りに言葉を捉えていいのか、それとも星の王子さまの中に描かれていることを加藤さんが咀嚼・吸収して再生産したがゆえに何か意味をもつ言葉なのか、それすらわからない。あるいはどちらでもあるのかもしれない。わからないがゆえに加藤さんという人の奥深さと底知れなさが伝わってくる部分でもあって、わからないけれどとても好きだ。
 

・2番Bメロ

憂鬱と喧嘩する夜を 静かな情動に沈めて

 「情動」は「恐怖・驚き・怒り・悲しみ・喜びなどの感情で、急激で一時的なもの。情緒。」*7とある。
 星の見える夜は「僕」にとってはよいイメージのものであると考えると、先程の「幸福にくすぐられる感傷」と似たことを表しているようにも思える。ヒツジが花を食べてしまったのでは……いやいやそんなことはない!と自問自答する夜は「憂鬱と喧嘩する夜」なのかもしれない。
 「情動」という単語には激しい感情というようなイメージを持っていたので、この「静かな情動」という表現にはっとした。

ひとひらの愛を愛でる 淡い灯火のように

 「ひとひらの愛」というのはバラの花のことで、それを「愛でる 淡い灯火」は王子さまのことなのではないかと思う。星の王子さまの中にも、王子さまを「灯火」に例えている箇所がある。「すると、ぼくは、王子さまがいよいよこわれやすい人のように見えてきました。ともし火は、たいせつにしましょう。風がさっと吹いてきたら、その灯が消えるかもしれませんからね……」(24章、p139)というように表現している。
 「ひとひら」は「一片一枚」と書く。花弁に対して「ひとひら」と使われている曲をいくつか知っているので*8、花と結びついているだけかもしれないが、バラの花を「ひとひらの愛」と表現しているのだとしたらとても美しい表現だと思う。

 

・2番サビ

 歌詞が1番サビと同じなので省略

 

・コーラス

Invisible to the eye
This is essential

 曲のあいだで何度も繰り返されるコーラス。ここで初めて歌詞カードに登場する。「大切なものは目に見えない」。
 それまで耳にひっかかる英語の発音がなかっただけに、「This is」の発音がとても「でぃすいず」なのが一周回っていっそ可愛い。
 


・最後サビ

砂漠の夢 また会う日まで ゆらめく笑み 渡り鳥の旅へ

 1番サビ、2番サビと同様の歌詞から始まるが、オケの音が少なくなって加藤さんの声がクリアに聞こえる。重要な何かを歌っているのだろうと思ったら次に続く歌詞が今までのサビとは異なっている。

悲しい丘を越えて 痛みかすむ海まで

 今までのサビとは違う歌詞。
 「丘」は星の王子さまの中には出てこなかったように思うが、「悲しい」とあるのでもしかしたら王子さまが姿を消した場所なのかもしれない。
 「痛みかすむ海」は飛行士である「僕」が目指している場所のことなのかもしれない。どれほど関連しているのかは不明だが、サン=テグジュペリが行方不明になったときに乗っていた機体は海の中で発見されている。

星の光をいま

 本当に主観的なイメージの話でしかないのだが、このサビのあたりは「僕」が飛行機に乗っている様子が思い浮かぶ。「渡り鳥の旅」は王子さまの旅路のことだと最初のサビのところで述べたが、ここで使われている「渡り鳥の旅」は「僕」の旅路のことを指しているように思える。
 星の光の中で夜空を飛んでいる飛行機のイメージが浮かぶのは、サン=テグジュペリの作品に『夜間飛行』というタイトルがあるからということもあるだろう。
 一度静かになったオケが、また音が増えて広がっていく。星の光が「僕」の行き先を照らして、導いていくような感じがする。

心の勇敢 軌跡に綴れ 時の冒険 果てるまでいざ進め!

 「軌跡」には「僕」がこれまでそしてこれから辿る抽象的な意味での道、そして飛行機の軌道という意味が重ねられているように思える。「僕」は物語を書き綴るだけでなく、飛行士として空を飛ぶことでも綴るものがある。物語を書くことと空を飛ぶことは、飛行士である「僕」にとっては似たようなものなのかもしれない。
 先程、サン=テグジュペリの最期について触れたが、彼は亡くなったときにも飛行機に乗っていた。星の王子さまの飛行士とこの歌の「僕」が重なるし、星の王子さまの飛行士にはサン=テグジュペリも重なって見える(飛行士が砂漠に不時着して生還したというエピソードはサン=テグジュペリ自身の実体験をもとにしている)。それぞれは別の存在なので違うところも勿論あるのだが、部分的に重なるところがある。それらを踏まえると、「果てるまで」は、やはり命が尽きるまでという表現に思える。けれど暗いイメージには見えない。「時の冒険」=生きることを最期までやり遂げる意思が感じられる。
 もし私の憶測ではなく、実際に加藤さんがこの歌詞の「僕」に星の王子さまの作者であるサン=テグジュペリを重ねているのだとしたら、なんだかすごくメタい。
 おそらくは加藤さんも映画「ピンクとグレー」から「加藤シゲアキ」という要素が削ぎ落とされていることには気付いただろう*9。作品の中から意図的に作者の影を消したのが映画「ピンクとグレー」だった。星の王子さまはその逆で、ひとつの楽曲の中に星の王子さまとその作者を内包しようという試みがなされているのだとしたらと考えると、自分と自分の作品を原作とした映画の関係とは真逆のものを、この楽曲星の王子さまで描いていることになる。さすが加藤メタアキ、としか言いようがない。

花咲く 君を 抱きしめる 明けゆく 夜を なぐさめる
ひとつだけ、を探して

 1番サビ、2番サビと同じフレーズ。しかし、先程から述べているように最後のサビでの「旅」は飛行士である「僕」の旅だ。それを意識すると、「ひとつだけ、を探して」の部分が1番2番のときよりも具体性を帯びてくる。抽象的に「探して」いるのではなく、旅を通して「探して」いる。
 いつか「僕」が「ひとつだけ」に出会えることを願うばかりだ。
 
 
 
 それよりきいてほしい。私が散々「少年性が魅力!」と騒ぎ立てている加藤さんが「こどものままで僕はかまわぬ」と歌うこの奇跡を。
 多分、そこらの28歳よりもよっぽど大人な部分がある人だろう。小さい頃から芸能界という場所に身を置いてきたのだから、いつまでもこどものままではいられなかったのだと思う。しかし、それと同時にそこらの28歳よりもこどもな部分も持ち合わせている。3月11日に放送されたビビットでは、被災地に暮らす同世代の人々を訪ね、彼らが既に家庭を持っていることを知っては「年下だけど尊敬する」というような言葉が何度か出てきていた。
 ふと「大人になりたくないな」と思うことがある*10。もうとっくに成人しているし大学も卒業して就職しているけれど、傍から見たら大人でしかないのだけれど、それでも大人になりたくない。自分の周りにいる大人を見ていると「こういうふうにだけはなりたくないな」と思うことばかりだ。きっとこの人たちはウワバミの絵を嘲笑するだろうとしか思えない大人ばかりだ。そういうふうにはなりたくない。だからといってなりたい大人像が見えているわけでもないから、何者にもなれないまま浮いてしまっている。私の今の状態を言葉で表すなら「保留」だ。何もかも保留にしている。大事なことは全部先延ばし。
 実のところそれに結構悩んでいる。しかし、この曲がひとつの答えをくれた気がする。
 私は、「こどものままで僕はかまわぬ」と言える大人になりたい。これは大人だから言える台詞だ。大人だけど大人にならない。「こどもっぽい」と「こどもの心を持っている/理解できる」は違う。私の場合ただこどもっぽいだけで大人になれないからなりたくないという節があるが、「僕」はその気になれば大人を演じることができる。そのうえで「こどものままで僕はかまわぬ」と言う。私もそう言えるように、努力していかなければ。
 
 題材となっている星の王子さま同様、寓話的なところのある星の王子さま。加藤さんの言葉で、加藤さんの声で語られるからこそ響く部分がある。
 未だに「シャララタンバリン」が忘れられないけれど、それと同じくらい好きなソロ曲だ。コンサートではどのように披露されるのか、こどものように心を躍らせながら待っているとしよう。

*1:すごく余談だけれど、『銀河鉄道の夜』を元にして視点を変えたのがラーメンズの「銀河鉄道の夜のような夜」なのだろうと思う。こちらも元の作品を巧に再生産したものだと思うのでご興味があれば是非

*2:うたう【歌う/謡う/唄う/謳う】の意味 - goo国語辞書

*3:らんはんしゃ【乱反射】の意味 - goo国語辞書

*4:うたかた【泡沫】の意味 - goo国語辞書

*5:ふじ【不時】の意味 - goo国語辞書

*6:かんしょう【感傷】の意味 - goo国語辞書

*7:じょうどう【情動】の意味 - goo国語辞書

*8:ポルノグラフィティの「ひとひら」という曲で、桜の花びらを「ひとひら」と表しているがその印象が強い

*9:詳しくは 愛おしき「ピンクとグレー」 ―映画「ピンクとグレー」プレゼン会レポート― - 来世はペンギンになりたい 参照

*10:余談だけど大人とこどもの対比だと「ピカ☆ンチ」を思い出す。屋形船のくだりとか