届きますようにと願いながら ―ドラマ「傘をもたない蟻たちは」感想―

 怒涛の一月が終わった。
 映画「ピンクとグレー」公開、ドラマ「傘をもたない蟻たちは」放送、シングル「ヒカリノシズク/Touch」発売。非常にめまぐるしくて、2016年が始まってまだ31日しか経っていないことが不思議に思える。もう100日は経った気がする。
 映画「ピンクとグレー」、シングル「ヒカリノシズク/Touch」については触れたので、ドラマ「傘をもたない蟻たちは」についても書いておきたい。

 

 正直、あんまり気構えて見るつもりはなかった。実際、気構えては見なかった。映画「ピンクとグレー」がそこそこ気構えなくては見られないものだったので、そのぶん気を張らずに見られた。きっと、『傘をもたない蟻たちは』を書いた加藤さんがもうすでに小説家だったということも大きい。小説家の書いた小説が映像化されるのは今までにも経験がある。でも『ピンクとグレー』はそれとは少し違ったから、見る側にも覚悟が必要だった。

 だからゆるっと見られるカサアリはいいなぁ、と思っていたのに、やっぱり考えたいことがいっぱい出てくる話だった。


 まず、深夜ドラマ枠独特の軽快なテンポで非常に見やすい構成だったように思う。1話30分ということで些か展開が早いように感じる部分はあったが、原作を「因数分解」したというだけあって原作の中のテレビ的に使いやすい部分を上手くかいつまんで、そこに原作の中の「最低限ここだけは押さえよう」というポイントが乗っけられていたような印象がある。なので、ドラマを見て気に入った人には是非とも原作にも手を伸ばしていただけたらと思う。原作を読むことで、あのドラマがいかにメタな作りをしていたかが更にわかるだろう。イガヌとかね。

 
 そもそも、原作者が最もドラマオリジナル要素の強い役柄で出演しているというのがなんともメタい。さすが加藤メタアキ。というか、このドラマはメタ好きが作ったのでは?と勘繰りたくなってしまう。
 純は小説家という設定でもあるし、「(最近泣いたのはいつですかという質問に対して)「にべもなく、よるべもなく」を書きながら、主人公がかわいそうで泣きました。(中略)彼の行き場のない追い詰められた感覚は、僕自身も経験したことがあるから、共感なのか共鳴なのか、わからないけど泣けてきたんです。」*1とも言っていたから、どちらかといえば加藤さんを重ねて見てしまいがちになってしまう。おそらく、加藤さんが出演していなかったら純に加藤さんを重ねて見てしまっただろう。しかし、純とは対照的な位置にいる啓介に加藤さんをキャスティングすることによって、そのイメージを壊し、作品の世界を広げたような感じがする。
 加藤さん演じる啓介が、純の書いた「インターセプト」や「恋愛小説(仮)」についてあれこれと言及する場面は、原作を書いた人が役柄として書いた人に向かって言うという面白さがあった。純が啓介に「書いたことのない人間は!」と言う場面があったけどメタすぎて。
 しかし一番ぐっときたメタポイントは、最後に出てきたあの4文字の単語だろう。純が「にべもなく、よるべもなく」を書きあげて編集の人から「なんかさぁ、フルチンで挑んできたって、そういう感じだよね!」と言われる場面があったが、加藤さんが映画「ピンクとグレー」の舞台挨拶で「フルチンで頑張ってくれ!と思った」と言っていたことによって、加藤さんが演じていたケイスケにも純の思いや純の書いた小説が届いたように見えてなんかもう絶対泣けない4文字なのになんだか泣けてしまう。この4文字で泣かせにくるなんて恐ろしい。ほんと恐ろしい。

 

 伏線の張り方も絶妙で、一話見てしまうと先が気になる作りになっていて、啓介の正体を考えながら、この予感が当たっているのだろうかとそわそわしながら毎週楽しんだ。結果、啓介は純がジョバンニだとしたらカムパネルラ*2だったんだな、と思った。この辺の話はまたいつかどこかでしたい。多分すごく長くなるから。
 1話目のインターセプトは、思った以上に軽い作りだったのでびっくりした。安未果はもっとミステリアスでちょっと重ための女の子かと思ったらめちゃくちゃ明るかった。しかし、明るくて可愛いからこそラストのちょっと狂気的な感じがホラーっぽく見えてとても良かった。1話目としての掴みはばっちりだったと思う。同じ日に観た映画「ピンクとグレー」に引きずられてはいたものの、楽しんで視聴することができた。
 2話目の「恋愛小説(仮)」は、こんなに軽かったかな!?と前回に引き続き思った。しかし、深夜帯のドラマという枠には合っている気もした。純がボロボロになって啓介と仲違いする描写を描くための引き金が「恋愛小説(仮)」だとして、中身の軽さと二人の別れの重さの対比が良かった。
 3話目の「にべもなく、よるべもなく」。この薄暗さ、この湿っぽさ。1、2話目の軽さを裏切るような重さを、しかしドラマ全体の雰囲気を重くしすぎない程度に描いていた。
 4話目の「光のシズク」。サブタイトルがまずなんかいい(語彙が死んだ)。確かに最終話は主題歌「ヒカリノシズク」が最も似合う回だった。「どうにもならない想いもあるだろう 誰にも言えない傷痕もあるだろう」*3という部分がとくに合っていて、純の気持ちはきっとそこに表現されているのだろうと思った。多少モノローグが多い感じはしたけれど、純はきっと頭の中で小説の中の文章を喋って書くタイプなのかなと思ったりもした。今までの伏線が回収され、明るい気持ちになれるような終わり方で、それもすごく好きだった。

 
 映画「ピンクとグレー」は原作から派生した世界を描いていた。一方、ドラマ「傘をもたない蟻たちは」は原作をドラマ(それも深夜)の文脈で翻訳し再構築したといった印象を受けた。この違いには勿論作り手の違いもあるが、メディアによる違い(映画=映画館に出かけてお金を払わないと見られない/ドラマ=家にいながら無料で見ることができる)もあるだろう。そのあたりもちゃんと考えたら多分めちゃくちゃ面白いのだけれど詳しくないので割愛する。誰か映像系に詳しい人、語ってください。聞きたいです。

 

 「純ちゃんが俺の大事な友達ってことは変わらないんだから、絶対に」と、中学生の啓介は言う。
 大事な友達は、どれだけ疎遠になってもわかりあえなくても大事なままなのだと思う。
 でも、その大事なものを守ろうとしてかつての純は周りも自分も傷つけてしまった。不器用な純は、大人になっても、自分が本当に大事にしなければいけないものを捨てようとした。啓介は、それを止めにきてくれたのだと思う。
 あるいは、単純に、好きな作家である純にもっともっと書いてもらいたかっただけなのかもしれない。読者がいることに気付いて欲しかったのかもしれない。たとえ自分がこの世にいなくても、純の新作が出ることを望んでいたのだろう。
  
 純はきっと、啓介にさよならもごめんねもありがとうも言えなかったことを、出てけと追い払ってしまったことを、遠ざかる背中を追いかけられなかったことを、一生引きずって生きるのではないかと思う。中学時代の純や、書けなくてウジウジしていた純を考えると、たぶん引きずるだろう。新作を出すたびにお墓に持っていったり、命日のたびに海に花束をささげたりするのだろう。
 その湿っぽさが、「傘をもたない蟻たちは」だなぁと思う。
 ドラマの色合いはどちらかというと明るくてぱっとしていて、私が『傘をもたない蟻たちは』からイメージしていたものとは違うなぁと思っていた部分もあったけれど、最後の「にべもなく、よるべもなく」では好きだった部分が省略されていたりもしたけれど、純の湿っぽさが何よりも「傘をもたない蟻たちは」だった。ドラマ「傘をもたない蟻たちは」の純ちゃんは、文章の表現としてはドライなのに描かれている感情が生々しくて湿っぽい、加藤さんの文章から抜け出てきたような人だった。
 ドラマの純ちゃんがちゃんと生々しくてちゃんと湿っぽくてちゃんと面倒くさくて、でも素直になれる人でよかった。この人はきっと、中学生のときに親友が先に大人になったように感じて置いていかれてしまった気持ちになって寂しさを覚えたり、親友が理解の範疇にいないならどうにかしてわかってやろうと思う人だ。
 「俺、純ちゃんの本全部読んでるよ」と言う啓介。「単行本もここ2年出してない」と言う純。2年前の冬にこの世を去った啓介。純が次に出す本のタイトルは、『傘をもたない蟻たちは』だろうか。そこにはあの「にべもなく、よるべもなく」も載っているだろうか。啓介が読んでいる本は、純ちゃんの本全部ではなくなる。この先もきっと沢山、読んでいない本が増えていく。
 でも、純は誰より啓介のことを考えて小説を書くのだろう。届くかどうかわからないけれど、届きますようにと願いながら。
 
 この湿っぽさと、どうしようもなさが、とても「傘をもたない蟻たちは」だと思う。
 素晴らしいドラマをありがとうございました。

*1:「chouchouALiis」Vol.7 インタビューより

*2:宮沢賢治銀河鉄道の夜」。ドラマオリジナル要素は「銀河鉄道の夜」のような要素が濃かったので、ドラマと併せて読んだら面白いのでは、と思う

*3:ヒカリノシズク - NEWS - 歌詞 : 歌ネット