来世はペンギンになりたい

好きなものを好きと言うために生きてる

感じ、考え、書くということ

 このブログを始めるまで、私の頭と心は死んでいた。

 
 私は社会人ではあるけれど、いわゆる社内ニート・社内失業者といわれる人間だ。なりたくてなったわけではない。なぜこうなってしまったのかもわからない。
 それなりに専門的な知識が必要な職であり、ある程度は身につけたが、それ以上は業務で関わらなければ覚えられない。しかし仕事がないので何も身につかない。仕事なんて自分から探せといわれるかもしれないが、未知の分野なので仕事の探し方すらわからなかった。なんでもするので何かお手伝いできることはありませんかと毎日聞いて回っても何もなかった。このあたりの話は書いてる私も読んでいる方も楽しくないと思うので割愛する。
 もっとできることがあっただろう、と言われたら何も言い返せない。でも、何もしなかったわけではない。できるかぎりのことはした。
 同期や後輩と私で一体何が違うのか、必死に考えた。こんなにも差が生まれることがばかばかしくて、なにそれ笑える、と思った。笑っているうちに月日が流れて、今年に入ってもう取り返しがつかないだけの年月が流れたことに気付いた。なにも笑えなかった。
 私の何がいけなかったのか必死に考えたけど、何もかもが悪いんじゃない?生きてること自体が悪いんじゃない?としか思えなかった。存在を否定されているような気がした。会社で泣いたら負けだと思ったけど、ビルを出た瞬間に涙が出た。泣きながらでは電車にも乗れないし家にも帰れない。寄り道をして公園で泣いて帰った。
 学生時代、「社畜だわ~」と自虐できるようなバイトをしていた。それなりに責任ある立場にもなったし、周囲から頼られてもいた。心地よかった。やるべきことがたくさんあって、ひとつずつ潰して、自分がレベルアップしていくのがわかった。
 きっと就職したらもっとそういった気持ちが味わえるのだろうと思っていた。まさかこんなもんだとは思わなかった。バイトをしていた頃から、忙しくないと駄目な人だと思われていた。私自身そうだと思っていた。実際、忙しくないと駄目だった。
 そんなふうにやることがなかったので、社会人になって以来、頭を使うこともなくなった。考えるべきことが何もない。何か考えるとしたら、自分がそこにいることの罪悪感に耐えられなくなる。どうして私は何もしないのにここにいるんだろう、と思うたびに、申し訳なさに耐えられなくて吐きそうになった。考えれば考えるだけつらくなる。だんだんと何も考えないようになって、まずはじめに頭が死んだ。
 やる気を持って入社したけれど、やることがないので、やる気なんてあるだけ邪魔だった。持て余すほどならやる気なんてないほうが楽だ。やる気があればあるだけつらいので、なくそうとした。会社のビルの中にいる時間、身の回りで起こる一切から興味を失うことにした。意外にも、それは難しいことではなかった。何も感じなければいいだけのことだ。余計なことを感じると心を痛めるだけなので、心を殺すことにした。
 その結果、頭も心も日に日に死んでいった。
 それでも充実した人生を送りたくて、会社から出たら趣味に没頭しようとした。ドブに捨てた昼間の時間を取り戻さないといけない、と焦った。何もしていない時間が怖かった。友達と食事に行く、漫画を読む、遊びに出掛ける、出来る限りのことをして空白の時間をぎゅうぎゅうに埋めた。お金も時間もひたすらつぎ込んだ。その結果、とても疲れてしまった。今年の春頃には、誰とも会いたくなくなった。詰めすぎた予定を見て悲しくなった。
 それでもやっぱり充実しないことが悔しくて何かしたくて、時間が足りなくて、睡眠時間が極端に減った。それによって体にも不調が出てきた。でも働きすぎて体を壊すのともわけが違うので誰に言うこともできない。勝手に寝られなくて、勝手に体調を崩しただけだから。
 
 正直なところ、NEWSのコンサートに行くかどうか、少し迷った。行かない以外の選択肢はなかったけれど、他のことにお金も時間も費やしすぎていて、NEWSにかけられる分が殆ど残っていなかった。
 でも行ってよかった。
 WHITEコンで久々にNEWSを見たときに、死んでいた頭と心が生き返ってしまった。考えることも感じることもたくさんあった。白から始まり七色に終わる構成、曲のひとつひとつの演出、とても素晴らしかった。泣く泣く殺した心も、気付いたら死んでいた頭も生き返ってしまった。死んでいたことに疑問を持ってしまった。死んでたほうが楽だったのに。
 どうして死んでいかなければならないのだろう。こんなにも楽しいことがあるのに。考えたいことがたくさんあるのに。それを無視して、つまらないままで体だけ生きて、そのうち本当に死んでしまって、その頃になって死んだように生きていたことを後悔したってもう遅いのに。
 死んだように生きてる場合じゃない。どうにか生き返らせる術を考えて、このブログを始めた。仕事で頭と心が死ぬのならそれ以外のところで生き返らせるしかない。もしかしたらただの「逃げ」かもしれないけど、逃げでもいいから何かしなければ、と思った。逃げ続けたら、いつかちゃんと向き合う力にもなるかもしれない。
 
 NEWSについて加藤さんについて考えるのは本当に楽しい。わからないことだらけだから、もしかしたらこうかもしれないと考えて、少しでもわかるとっかかりを作るのが楽しい。わかったつもりになっているだけかもしれないけれど、それでも思考が停止することはなくていくらでも考えられる。もしかしたらこうかもしれない、の可能性がいくつでも見出せる。ああでもないこうでもないと考えて、それを言葉にする作業が楽しい。NEWSや加藤さんの見せてくれる世界について感じたことを、更にあれこれ考えて、それを言葉にする。その作業が楽しくて仕方なかった。
 感じることも考えることも、そして書くことも、私はやめられないしやめたくない。
 加藤さんがあまりに人間として立派すぎて、人間の風上にも置けないような私が彼について何かしらを書き綴っていいのかとか、そもそも私なんかが彼のファンでいていいのかと思うこともしばしばある。でも、それでも書かないとやってられない何かに突き動かされて、彼についての文章を書き綴る。
 最近は、NEWSや加藤さんについてだけではなく、ポルノグラフィティについても書くことにした。どちらも同じくらい好きだし、同じくらい大事だから。私の書くことの原点は多分ポルノグラフィティにあって、彼らについて久しぶりに文章を書いてみて、なんだか恥ずかしくて照れくさくもあったけれど、楽しかった。
 というのも、ついこの間、10年前に書いたポルノグラフィティの武道館公演についての文章を発見してしまったのだ。もうあんなもん即効性の毒としか言いようがない。痛い。痛すぎる。お前何様だよとツッコミを入れても入れてもきりがないくらいの上から目線だし、痛いし、痛いし、なんかもうすごく痛い。よくこんなもん残しといたなと思った。しかもフロッピーディスクに入ってた。時代を感じる。
 あのときの私も結構つらい思いをしていて、今とどっちがつらいかって言ったら比べられないけれど、でも多分、あのときも感じたり考えたりしたことを書かないとやってられなかったんだと思う。今も同じだ。どれだけ痛かろうと、書かなければやってられない。感じたり考えたりしたことを表に出して、確かにそれは「あった」と証明したい。
 10年前の私は、ライブの感想文を書いた理由について「確かに動いた心をなかったことにしてしまうのが、自分の心に失礼だと思うから」*1という、ポルノグラフィティ新藤さんの言葉を引用していた。
 6カ月ほど前の私は、「死んだように生きてる場合じゃない」*2という理由からこのブログを始めた。
 加藤さんと新藤さんの言葉は、私の中に根強く染みついている。誰かの言葉を思い出さなければ動けない程度にはどん底まで落ちているということもあるけれど、誰かの言葉があればまだやっていけるだけましだと思うことにした。
 
 私が書くことに何の意味があるのかとも思うけれど、まぁ別になんの意味もなくてもいいんじゃないかと思う。だけど少なくとも、このブログを読んでくださっている方々の暇つぶしにはなっているのではないかなと信じている。少しでも有意義な暇つぶしになれば嬉しい。もし、暇つぶし以上の何かがあったのなら、もっと嬉しい。
 
 年が明けたら「ピンクとグレー」公開、「傘をもたない蟻たちは」放送開始、タイプライターズ、変ラボ、NEWSな2人、増田さんのサバンナ、新曲発売、話題は尽きない。感じ、考え、書くことがまだまだたくさんある。今から楽しみで仕方ない。

 

 そんな感じで、来年も感じたり考えたりしたことを書いていこうと思います。今年は沢山お世話になりました。来年も是非、宜しくお願い致します。

*1:新藤さんのエッセイ『自宅にて』

*2:閃光スクランブル