ボタン電池で光る星

 なぜペンライトを持つのか。

 ここしばらく、この疑問が頭から離れなかった。なんの迷いもなく、コンサートに入るたびに買って持っていたペンライト。ペンライトを買わなかったのは物販に間に合わない等の事情があるときだけだ。そういうときでも過去のペンライトを持っていく。替えの電池を持ったり、もしものときのために替えのペンライトを用意することもある。
 そうまでして、なぜ、私はペンライトを持つのだろうか。
 アンケート等を行ったわけではないので、あくまで個人の思ったこと考えたことに留まるが、ペンライトについて本気出して考えてみたい。

 

 まずはペンライトを持つコンサートに参加したことがなかった頃のことから考える。
 コンサートに行くようになる前から、DVD等でコンサート映像を見ていたので、ペンライトとうちわがグッズとして売られているという知識はあった。自分もいずれコンサートに行くことになったらペンライトとうちわを持つのだろうと漠然と思っていた。
 うちわを持つ理由はなんとなくわかる。公式で売られている顔写真のうちわであれば、一目見て誰のファンなのかを言外にアピールすることができる。そのアピールはうちわの写真の本人に対して「私はあなたのファンですよ」というメッセージを伝えられるし、周囲にいる人たちに対してだったら「私はこの人のファンですよ」と伝えられる。
 また、自作のうちわであれば何かしらの文字が書いてあることが多く、近くに来たアイドルに対してなんらかのメッセージを送る目的で作られている。言外、あるいは言葉を用いて、誰かにメッセージを伝えるためにうちわというものが存在する。たとえ真冬のコンサートでも。ジャニオタにとってのうちわとは暑さをしのぐために扇ぐものではなく、メッセージを伝えるための手段なのだ。
 ではペンライトはどうだろうか。ペンライトには文字を添えることはできない。メンバーカラーに変えられるものもあり、その場合は誰のファンであるかを伝える手段になるのかもしれないが、必ずしも色が変えられるわけではない。一色しか点灯しないものもある。
 伝えられるメッセージがそこにあるとも限らないのに、ペンライトを買い、持つのか。
 という疑問は実のところ最近になって思ったものであって、コンサートに行く前の私はうちわとペンライトを持つことになんの疑問も持っていなかった。では、初めてのコンサートで迷わずペンライトを購入したのはなぜか。
 
①持っている人が圧倒的多数だから
 一番最初にペンライトを持った理由はこれだっただろうと思う。ジャニーズのコンサートは2011年の関ジャニ∞のコンサートが初めてだが、その前に過去のコンサート映像として関ジャニ∞、嵐を見ていたし、毎年のカウントダウン中継も見ていた。どれを見ても、ペンライトを持っている人が圧倒的多数だった。「ジャニーズのコンサートではペンライトは持つもの」という刷り込みがなされていたのかもしれない。
 このときには「なぜ圧倒的多数がペンライトを持つのか」までは思い至らなかった。ペンライトが公式グッズとして売られているコンサートに参加した経験が今までないので、「そういうものなのだろう」という程度で認識していた。

②憧れだったから
 「コンサートではペンライトは持つもの」という気持ちと同時に、ペンライトに対する憧れもあった。2011年まで、私はポルノグラフィティのライブにしか行ったことがなかった。ポルノグラフィティのライブは片手あるいは両手を振り上げたり手拍子をしたりするライブで、手には何も持たない。ペンライトやサイリウムの類は禁止されている。*1
 コンサートやライブでは何も持たないことに慣れ切ってしまっていたため、ジャニーズのコンサートのようにうちわやペンライトを持つことに憧れがあった。いつかコンサートでうちわやペンライトを振るのだという気持ちでいた。ひとつの目標ですらあったように思う。
 
 以上2点が、ジャニーズのコンサートに行く前に抱いていた、ペンライトを持つ理由だ。それからも数回コンサートに行ったが、しばらくはなんの疑問もなくペンライトを持ち続ける。
 
 私のペンライトへの意識に改革がもたらされるのは2013年のことだ。NEWSの2013年ツアー、7月28日(豪雨の秩父宮の翌日)のことだった。
 MCがひと段落したところで、小山さんが着替えに行き、そのあいだ残りの三人がステージ上で会場を盛り上げるという流れだった。その中で、ペンライトのウェーブをするという部分があった。(27日もやっていたかどうかなんかもうあの日の記憶はあまりないのだが、調べたところ26日はやっていたというレポがあった)
 小山さんは着替えてスタンバイしているところなので、ペンライトのウェーブを見られないそうで、「昨日ソロやったからもうみんな衣装も知ってるしいいよね!俺も見たい!」とステージ上に出てきた。
 小山さんは私が思っていた何倍も楽しそうな様子で会場をぐるりと覆うペンライトのウェーブを眺めていた。そんなに?と驚いたのが印象的で、今も覚えている。
 正直、小山さんの着替えの時間を稼ぐためにペンライトのウェーブをしているのだと思っていた。何もしないよりは盛り上がるからとか、そんな理由。確かにウェーブは奇麗だったけれど、特に深い意味はない行為なのだという認識だった。
 それまでも別のグループのコンサートでペンライトのウェーブはしたことがあったが、ちょっとした場つなぎというか、みんなでひとつになって楽しむための軽い余興というか、その程度のものだと思っていた。 *2
 でもきっとそれは間違いだったのだと思う。ステージ上から見たら、きっとすごく奇麗なのだろう。何千何万のライトが会場を覆い尽くす様は、決して忘れられない景色なのだろう。それらの光は全て、ステージに立つ彼らに向けられた光だ。
 2013年に出版された『閃光スクランブル』では亜希子がこう語っている。

「やめればよかったのに」
「誰だってやめられませんよ、ステージからの景色を見たら」(p224)

 緞帳が上がり切った。観客の表情がはっきりと見える。目を輝かせてこちらを見る人。嬉しさあまって泣き出してしまう人。「アッキー待ってたよ」と書いた紙を剥けている人。無数に輝くペンライトの星。
 それは何度経験しても飽きることのない、想像を超えた光景だった。(p273)

 加藤さんは2012年の復活コンサートの前にこれを書き、書いたとおりの景色が見えたと言っていた。
 ペンライトのウェーブに感動する小山さんを見ながら、『閃光スクランブル』を思い出していた。『閃光スクランブル』の描写は誇張ではないと頭ではわかっていたけれど、加藤さんが見た・見たかった景色だったのだと、感覚で確かに理解したのはこのときだった。
 
 そして2015年のWhiteツアー。
 東京ドーム初日、買った直後に点灯するか確認したにもかかわらずペンライトがうまくつかなくなる事態に見舞われる。あとでグッズ売り場に持っていったところ、入っていた電池が最初から切れかけていた(?)そうだが*3、コンサート中にうっすら消えているわけで、焦る焦る。
 焦った結果、翌日同行する先輩用に買っておいたペンライトを「先輩借ります!」と宣言して使わせていただいた。 *4そっちのライトはちゃんとついたので事なきを得た。
 つかなくなって焦ったことで、己にとってもペンライトは重要なものであったことに気づく。なぜこんなにも焦ったのか?
 単純に、光っていないペンライトを持っていても仕方がないし、かといって何も持たないと手持ち無沙汰になる、ということもある。ずっとペンライトを持ってコンサートに参加していたわけで、ペンライトを持たない状況が今までになかったからどうしていいかわからない、という不安からくる焦り。
 しかしそれだけではない。それだけだったら別にないならないでいいやと諦められただろう。そうではない焦りが私の中にあったのだと思う。おそらくそれは、あのとき小山さんが目を輝かせて見ていたペンライトの光のひとつに私はなれないのだ、という焦りだ。
 それを心底理解するのは東京ドーム二日目だ。前日に電池の交換をしてもらったこともあって用意は万全だが一応のことを考えて2013年のペンライトも持っていった。結局、Whiteコンのペンライトで最後まで終えることができた。
 アンコールの「愛言葉」で、加藤さんが両手を広げたときに、ペンライトの光を受け止めているように見えた。私の持っているこのペンライトの光も、きっと届いていると、彼の目に映る景色のひとつになるのだと、『閃光スクランブル』に書かれていたような景色を作るひとつの光になるのだと思ったら、それが嬉しくて泣き崩れていた。 *5
 声が届かなくても、姿がろくに見えなくても、ペンライトの光なら届く。「あなたが好き」という思いを光に託すことができる。多分、そのために私はペンライトを持っているのだ。彼らが見る世界が光り輝いていますようにという気持ちを込めて。
 
 という勝手な感情を乗せてペンライトを持つ一方で、ペンライトは演出の一部として使われることもある。先述したウェーブなら演出とまでいかないかもしれないが、曲を盛り上げるための演出としてペンライトを使う場合がある。これには賛否両論あるだろう。私自身、自分が賛成派か否定派か決められない。いいところもあれば、そうでないところもある。
 そもそもペンライトの購入は自由だ。しかし、ペンライトを使った演出があると、持っていなければその演出に参加できない。そのコンサートのグッズとして販売されるペンライトしか使えない演出の場合もあるだろう。買っとけよというのは暴論なのでもっと丁寧に話をすると、せめて「今回のコンサートでは今回のグッズとして販売されたペンライトを使用した演出があります」くらいの但し書きはあってもよいのではないかと思う。但し書きがあると、買うか買わないかの判断の参考になるのではないかと思う。少なくとも、「言っといてよ!」という事態は避けられる。
 また、もしそのコンサートのグッズとして販売されたペンライト以外の使用を禁止したい場合、その旨をしっかりと提示した上で、ペンライトの価格を下げるかチケット代を上げてそこにペンライト代を含めて全員に配るかしたほうがよいのではないか、とも思う。物販に間に合わないとか、過去の気にいっているペンライトを使いたいとか、金銭的な余裕がないとか、いろいろな事情や思いがある。演出というのは、いくら会場を楽しませようと企画されたものだとしても究極を言ってしまうとコンサートを作る側の都合なので、つき合わせるのならそれなりの処置が必要ではないか。
 ペンライトを使った演出は大きな会場全体が光に包まれていて、幻想的で美しい。色を変えたり、左右に揺れたり、点滅させたり。特に、映像ソフト化されているものだと俯瞰して見られるので全体図が見られて更に美しく見える。実際にコンサートの場にいるときも、自分がコンサートを作り上げる一部になれる・参加しているという感覚が強く出るだろうし、一体感もあるだろう。
 そういった楽しみもあるので、一概に演出を否定するつもりはないししたくもない。ただ、たとえそういう意図はないにしてもコンサートを作る側の独りよがりに見えてしまってはせっかくの演出を楽しめなくなることもあって勿体ないので、コンサートを作る側も観に行く側もなるべく納得してコンサートに臨めたらいいなと思う。

 
 コンサートのステージから見る風景は、客席から見ている私には計り知れない。アイドルをやめられない理由になるほどのものが見えるのかもしれないけれど、私はアイドルではないから見ることができない。だったら、彼らの目に映る星のひとつになりたい。言葉では伝わらない「あなたが好き」の想いを込めて、私はペンライトを持つ。
 
 
 
<おまけ>
・NEWSと「星」
 加藤さんは『閃光スクランブル』の中でペンライトの光を「星」にたとえていて、「星をめざして」の「星」もペンライトの光なのではないかという話を考察記事に書いた。*6 それに関する話もしておこうと思う。
 ※こじつけもほどほどにしろよって感じなので広い心で見てください。
 
 私は、NEWSの「星」はペンライトの光だと思っている。
 NEWSの歌詞に「星」は多く登場するが、特に注目したいのはやはり「NEWSニッポン」「希望~Yell~」「星をめざして」「Share」「愛言葉」という、節目となったりメンバーで作詞したりするときの「星」だ。
 コンサート会場を埋め尽くす沢山の星。星の光のひとつひとつはすべて、ステージの上にいるNEWSのためにある。うちわのように一目見てわかるような言葉を詰め込めるわけでもないのに、眩しく輝く無数の星。
 デビューシングルである「NEWSニッポン」では

FLY AWAY! FAR AWAY! 見上げる星に
GO AHEAD! DO YOUR BEST! 願いを込めて

と歌う。デビューする彼らにとってはまだ、星は遠く見上げるものだった。遠い星に、これからの自分たちの道が明るいことを願っていた。

 メジャーデビューシングルである「希望~Yell~」では、

幾千の星の夜を越えて Yellよ届け
僕がここで君を見てるから
迷わずに 走れ

と歌う。幾千の星が夜のような闇に輝くコンサートという時間が終わってしまっても、ここに響く“がんばれ”というメッセージが届くように、楽しい時間はそのまま楽しい思い出となって日常に帰っていく「君」の背中を押せるように、力強い言葉で彼らは歌った。
 6人の再始動シングルとなる「星をめざして」では、

星をめざして 君に導かれ
歌いながら 僕は歩きだす

と歌う。一度は遠ざかってしまった、沢山のペンライトの光。もしかしたら、永遠に失われることになるかもしれなかった光。しかし再び歩き出した6人の前に広がる暗闇を裂くように、コンサート会場は光で満ちて、いくつもの星が輝いていた。あなたたちのめざすべき場所はここだよと、星の光は輝く。その星を掲げて呼ぶ「君」がいるから、星をめざして進んでいく。
 6人で作った「Share」では

すれ違いゆく風の中で 僕らはなぜ出会えたんだろう
同じ星が今見えるなら 僕らはただそれだけでいい

と歌う。あのとき彼らは確かに同じ星を見ていた。同じステージに立ち、同じ星を見ていた。それがすべてだった。たとえ今はそうではなくても、過去は消えない。あのとき見ていた星と、あのとき抱いた気持ちは消えない。だから、「愛言葉」では「Share」の歌詞を引用する。

『同じ星が今見えるなら ただそれだけで…』
交わす 誓い 繋ぐ 想い 変わらずにずっと

 変わったものはたくさんあるけれど、変わらないものだってあるはずだ。たとえステージ上にいる人数が変わっても、ペンライトの星々はかつてと同じく「NEWS」のために輝く。想いを繋いでNEWSであることを4人が選んだから、歌う彼らの目の前には今もいくつもの星が輝いている。

 彼らがステージの上に立つとき、いつだって見渡す限りの星が輝いていますように。

 

*1:かつて一度だけサイリウムが配られたライブがあった。おそらく∠TARGETのアンコール公演

*2:今までペンライト使うライブ行ったことなかったんで許して下さい

*3:色々と慌てすぎてあまり記憶にない。グッズ売り場の方、丁寧な対応をありがとうございました

*4:たとえその場に先輩がいなくとも一言断りを入れておきたい後輩精神である

*5:冷静に考えるとなんの前触れもなく突然泣き出した人にしか見えないのでちょっと気持ち悪い

*6:“もう一度「再生」するための魔法”の先に ―『閃光スクランブル』考察―