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来世はペンギンになりたい

好きなものを好きと言うために生きてる

小説を映像化するということ

 「ピンクとグレー」公開日、主題歌が決定しましたね。今から1月が待ち遠しいです。

 それぞれの役者さんのファン、あるいは映画好きの方々、あるいは連れられて見に行く方々。たくさんの人たちに見てもらえて、たくさんの人たちに愛される作品になることを願っています。
 
 というわけで、今回は「小説原作を映画化するということ」です。
 


 
 
 加藤さんが『ピンクとグレー』を書かなかったら、彼にここまで入れ込んでないなと思うほどには、私にとっても思い出深く大切な一冊だ。
 私は映画と原作は全くの別物であると捉える人間なので、映画は映画を作った人たちのもの(その中に原作者も含まれるが、映画を作った人間が多いほど「映画を作った人たち」における原作者の割合は薄くなる)、原作は原作を書いたひとのものであると思っている。たとえ映画化にあたって「嫁に出した」とはいえ、小説『ピンクとグレー』は永遠に小説家・加藤シゲアキのものだ。あのとき、彼が「小説に関しては、正直、うまくいかなかったら死ぬんじゃないかっていうくらいがんばった。」*1と振り返るほど死ぬ気で書いた、やり場のない熱が詰まった『ピンクとグレー』は、間違いなく加藤さんのものだ。
 
 『ピンクとグレー』を書いたときのことを、「6にんおNEWSを守りたくて書いてたんだけどね。」*2と述べている。それには間に合わなかったものの、4人になったNEWSの窓口のひとつとして存在しているという面もある。実際私も、加藤さんが『ピンクとグレー』を書かなかったらここまで深入りしていないとさっき書いたし、SORASHIGE BOOKでも時々「小説からファンになりました」という方々がいらっしゃったりもする。加藤さんの小説、とりわけ最も売れている『ピンクとグレー』は、NEWSを知るきっかけのひとつ=窓口になっているなぁという感じがする。
 そういった意味で、『ピンクとグレー』はただの「物語」以上の「物語」、あるいは役割をもっているので、そこに更に映画化という「物語」が付加されると思うと、なんだかわくわくもするし、どきどきもする。
 
 それなりに小説を読む人間だと、映画の原作となる小説を先に読んでいることが多々ある。好きな小説だった場合、映画も見に行こうかなと思うし、実際に見に行くことも多い。原作が好きであればあるほど、期待も不安も増してしまう。期待した通り面白いときもあるし、期待を裏切る面白さのときもあるし、どちらでもないこともある。大好きな原作小説の良さがひとつも出ていなくて、かといって映画としての良さもなくて、ただチープで内容の薄い映画になってしまうことが、今までにもあった。
 けれど、原作の持つ良さを失わず、映画という媒体に合ったかたちにアレンジしてあることもある。もしくは、原作の重要な部分が失われてしまった(あるいは作品のテーマが変わってしまった)としても、映画としてとても面白いものに仕上がるということもある。また、ある一点でも「映像化しなければこの良さに出会うことはなかった」と強く思う部分がある作品も、今まで見てきた小説原作の映画の中にはあった。個人的にはこのどれかのパターンに当てはまったら映画化して良かった、と思えるというラインだ。
 
 そもそも映画と小説というのは全く違う媒体である。
 映画であれば視覚的に捉えられるものが、小説ではすべて言葉で表現しなければならない。反対に、小説では言葉として書いてあって読者が直接その言葉を受け取れるものが、映画になると伝えられなくなってしまうこともある。『ピンクとグレー』の場合、基本的にりばちゃんの一人称で進む物語なので、りばちゃんの心理描写のすべてを映画で伝えることはできないだろう。役者の演技で表現できることもあるとは思うが、それでもすべての心理描写を表現できるわけではない。役者の演技の良し悪しではなく、媒体の違いでどうしてもそうなってしまう。
 いくら加藤さんの文章が「映像が頭に浮かんできやすい」としても、読者全員が頭に浮かべたものが同じなんてことはありえない。でも、映画であれば、目に見える映像としては、見た人全員が同じものを見ることになります。そこから何を受け取るかは人によるけれど。
 
 小説を映像化するということは、原作小説→脚本→映像化作品という、多重の「翻訳」作業が行われることになる。小説は視覚化を前提として書かれているわけではないので(前提としているものも中にはあるけれど、少なくとも『ピンクとグレー』は違うだろう)、小説という媒体でしか伝えられないことが含まれる。脚本は視覚化することを前提としているので、原作小説にある「小説でしか伝えられないこと」を視覚化するために別の手法を取らなければならない。あるいは、その部分を削ぎ落とすという選択をするか。
 そうやって脚本家の手が入ったものを、今度は視覚的なものにするために映像化する。そこには、監督の意図、役者の意図があったりするし、映画として完成するときには劇伴音楽のように視覚外の情報も付加される。何重にも「翻訳」という作業が加わることになれば、それだけ原作小説とは遠いものになる可能性が濃くなる。
 それでも、原作の良さを失わない作品はある。また、原作の重要な台詞・登場人物の情報・物語の舞台が変更されていたりしても、映画として良い部分がある作品になるものもある。
 
 主観的な具体例になってしまうが、映画と原作のどちらも好きなものとして以下の3作品を挙げたい。
 
 「アヒルと鴨のコインロッカー」(原作:伊坂幸太郎 監督:中村義洋)
 「重力ピエロ」(原作:伊坂幸太郎 監督:森 淳一)
 「100回泣くこと」(原作:中村航 監督:廣木 隆一)

 「アヒルと鴨のコインロッカー」は、よくあのトリックを映像化したな、という点でまず評価できる。原作をそのまま再現したのでは絶対に映像化できないような話だが、映画という枠にちゃんとおさまるようなアレンジがなされている。それでいて、原作がもっている切なさやどうしようもなく胸が痛くなる感じが損なわれていないように思える。是非、原作小説と合わせて映画も見て欲しい。見たら何言ってるかわかると思う。
 「重力ピエロ」は、原作にあるとても好きな場面で出てくるとても好きな台詞とそれにまつわるエピソードがないという点はある。本当に大好きな台詞だったので、公開当時はひたすら憤っていたことを覚えている。あの台詞がなければ「重力ピエロ」じゃないじゃん!くらいの憤りだった。しかし後から冷静になって見返してみたら、役者の演技も良かったし、映画にするためにアレンジが加わっているものの、納得のできる作品だったなと思った。映画にしかないエピソード(ファンタグレープのくだり)も兄弟の関係性を描くシーンとして良かったと思う。確かに、削られたあの台詞はとても大好きだし、重要な台詞だったが、映画として面白いものになっていたと思うし、未だに何度も見返したいなと思う作品のひとつだ。
 「100回泣くこと」は、必要のない脚色が加えられていたという感じは否めないし逆に原作の重要なシーンや設定がないという点は受け入れきれない。原作の良さを潰してしまっていると思う場面も、正直あった。しかし、主人公の泣き方がとても良い。その一点がずば抜けて良くて、他の疑問に思ってしまう部分はまぁおいといてもいいかと思えるくらいあの泣き方が好きで、おかげで映画も好きになれた。この泣き方の良さは、原作の良さとは別のところにあるものだし、映画でしか伝わらないものだ。映画として面白いかと言われたらそれはちょっとどうだろうと思う部分もあるが、主役を務める大倉さんの涙は、本当にいいと思う。脚色のおかげでフィクション性が強まってしまったせいもあって、大倉さんの涙が真実味を帯びて見えたのかもしれない。付け加えられた設定によって原作が大事にしていたリアリティの部分が失われてしまったという感じは強いが、主人公のあの涙は嘘いつわりのない、「人間ってこういうときに泣くんだな」と思える、とても人間味のある涙だった。泣く演技をしている大倉さんというよりは、主人公である藤井くんの涙だと、自然とそう思えた。原作者が作品で描こうとした「大切な人を失った主人公の自意識」*3のようなものが、原作とは違うかたちで伝わってくる涙だったと思っている。
 
 とはいえ、原作にあったシーンをカットすることや原作にはないシーンを付け足すことによって本当に納得がいかない映画になることもあるし、原作のテーマやいいところをそぎ落として味気ないものになってしまうこともあるし、演出や演技のせいで「それはない!」と思ってしまう映画もある。
 
 原作が好きで、原作者が好きだからこそ、映画「ピンクとグレー」には期待と不安がどちらも大きくある。公開日の、できれば初回に見に行こうと今の時点では思っている。
 私が願うのは、りばちゃんが白木蓮吾主演映画を見たときのように「原作は小説? 嘘だろ。」と思ってしまうものにだけはならないでほしいな、ということ、ただひとつだ。
 



 
 参考までに、『100回泣くこと』の作者である中村航さんのインタビュー記事を貼っておきます。映画になった作品の原作を書いた小説家からの意見が読めます。なるほどと納得することも書かれているので是非目を通してはいかがでしょうか。

「関ジャニ∞大倉くんの美しさを堪能してください」――『100回泣くこと』原作者・中村航インタビュー | 女子SPA!

 
 本当は「青春の痛みとアジカン楽曲~『ピンクとグレー』映画化によせて」を書こうと思っていたのですが、前置きとして書こうと思っていた内容が長くなったのでまた別の機会に書くことにします。