読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

来世はペンギンになりたい

好きなものを好きと言うために生きてる

「可愛い」という宿命

 ブログのデザインをちょくちょくいじっています。CSSはちょっとだけ知ってるものの、デザインは何も知らないので、どういうものが良いのかは難しいところですね。内容の書き方についても、もっと機能を活用したいです。今回は区切り線を使ってみました。

 今年の初夏は、初の短編集の出版にあたり、加藤さんがたくさんの方と話す企画が多かったように感じます。加藤さんの語る言葉にとても興味がある人間としては、また研究材料が増えたな!という気分です。加藤さんだけでなく、共に話をしている方々からも興味深い言葉がたくさん聞かれました。
 今回はその中で、「ZEROカルチャースピンオフ アイドルの今、コレカラ」「タイプライターズ 物書きの世界」の2番組で語られていたことについて、考えたことをまとめようと思います。
 



なぜ嵐は「可愛さ」を求められることになったのか


 「ZEROカルチャースピンオフ アイドルの今、コレカラ」で櫻井さんが語った、「可愛いと言われることへの苦悩」に、衝撃を受けた。衝撃すぎてなかなか消化できなくて今更にならなければ語れなかった。

 番組の中で、櫻井さんはこう発言している。

 「僕らのグループってさ、肩組んだら「可愛い」って言われたり、メンバー同士ハイタッチして「わー」ってなったりすることが多かったのね。どうせ、いつか可愛くなくなっていくんだから、人間だから。」

 ジャニーズのアイドルというのは、「可愛い」。
 ルックス的な意味でも実年齢より若く見える方が多いので、「若い=幼い=可愛い」という式が成り立つ。それこそ少年の頃=若い/幼い頃つまり可愛いと呼ばれてなんの不思議もない頃からテレビや雑誌に出ている方が多く、そういう姿を見てきた(あるいはそういう資料が残っているために雑誌や番組でプレイバックされる機会が多い)から、余計にジャニーズのアイドルは可愛いものだ、という観念が生まれるのかもしれない。
 ルックス的に可愛い人たちがワイワイしている。そういう仲の良さは可愛く見えるのだと思う。鼎談の中で櫻井さんが言っていた「肩を組む」「ハイタッチ」等のスキンシップは仲が良い証だし、何よりどこか子どもっぽくて、幼い。つまり、「可愛い」に繋がる。
 おそらく、櫻井さんがファンから求められていると思ったのは、そういう子どもっぽい仲の良さから生まれる「可愛い」だったのだろう。
 
 ざっと思い浮かべてみて、喧嘩をしたことがない、結成以来メンバーの脱退がない、メンバー間で敬語を使う関係性ではない、人数が多すぎず少なすぎない、ということが理由として考えられる。
 確かに過去の嵐を振り替えると「仲の良さ」=「可愛さ」というイメージは嵐の売りだったように思う。それは他のグループとの差別化のために身に付けたものであったかもしれない。
 でも彼らも人間だから歳をとる。嵐には今だいたい16年の歴史があって、16年分成長している。デビュー当時の平均年齢は16.6歳だったが、2015年9月3日現在の平均年齢は32.6歳だ。これだけの時間が流れたら、人間だって様々に変わっていく。たとえば、今の嵐にかつてと同じ仲の良さを求めたとして、求めた通りのものが得られることはないだろう。変わらないように見える関係性だって、これだけ時間があればほんの少しでも変わっているはずだ。
 
 だが、新たにファンになって彼らの過去を知りたくて振り返ったとき、そこに16年の時間は流れない。嵐の過ごしてきた16年という日々をファンが追体験するのに、16年も必要ない。検索すれば、過去の嵐に関する記事はいくらでも出てくる。それらは大体、過去のそのときにリアルタイムで書かれていたもので、書かれた当時の「今の嵐」がそこにある。その当時の「今」と今現在の「今」は勿論違うものだが、どちらも「今」であることは変わりない。過去と現在がなんとなく直結してしまう。たとえば当時の「今の嵐」が仲の良さを売りにしていたら、今もそうなのかな、となんとなく思ってしまう、みたいなことがあるのかもしれない。(このあたりは私が勝手におもっているだけで、実際そうなのかどうかはわからない。まったくの的外れかもしれない。)
 話はそれるが、簡単に情報を得られるようになってしまった現代のせい、という面もある。過去の情報が簡単に得られるし、それは一見、古びているようには見えない。雑誌をめくらないと情報が得られないのなら、手に入れるのも大変だし、その雑誌の紙は古びているだろうから、そういうところからも「これは過去だ」と無意識に感じる。でも、ネットの海に漂う情報は、沢山の過去の、その時々に切り取られた「今」の断片だ。日付がなかったり、その出来事があった時期が特定できないような情報もたくさんある。それを「今」のことのように錯覚してしまうことがないとは言い切れない。たとえば、Twitterで「このエピソード可愛い!」というものを紹介するアカウント(bot)があったとして、そこにいつの時期の出来事か書かれていなければ、今の嵐にそれを重ねて見てしまうことは、自分にもあったと思う。
 ましてや、嵐には「メンバー脱退」に代表されるような明確な区切りがない。「Aという出来事以前のこのグループと、Aという出来事後のこのグループは、同じだけど違う」というような出来事が、あまり大きくは(他のグループと比べて、かもしれないが)ない。だから、今と過去が直結(あるいは混同)しやすい。
 ファンの数だけ、同じ現象が沢山起こる。だから、過去に彼らがまとっていた「仲の良さ」「可愛さ」というイメージが今現在も同じレベルで求められているのかもしれない。そういうふうに売り出された過去があるのだから、仕方がないことかもしれないけれど。

 それに、仲が良くて可愛いという姿は、とても最大公約数的なもの、誰でも受け入れやすいもののように思える。「国民的アイドル」と呼ばれて違和感がないほど幅広い層から受け入れられているのは、仲が良くて可愛い、ということもあったのかもしれない。というか、いつのまにか「国民的アイドル」になってしまったから、仲の良さを売りにするしかなかったのかもしれない。
 でも、それを維持していくのは、多分難しい。櫻井さんも言っていた通り、人間は歳を取っていくから。ルックス面でも精神面でも、「若い=幼い=可愛い」の式から外れていくから。
 
 嵐については、かつて(「Happiness」あたりから茶の間ファンになり、「Monster」あたりから本格的に追い始めた)めちゃくちゃ追っていたが、あまりに規模が大きくなりすぎて追い切れなくなり、2012か2013年ごろからゆるやかな茶の間ファンになった。一番追っていたのは『僕の見ている風景』~『Beautiful world』の頃かも。だいたい10周年迎えたらへん。
 なので、10周年前後よりも前と最近の嵐事情には詳しくないのだが、アルバム『LOVE』から印象が変わったような気はしている。『popcorn』で(作品の傾向的にも)「可愛い」をやり尽くして、新たなステージへ行こうとしていたのかな、と思う。『LOVE』『DEGITALIAN』ではクールなジャケット、クールな楽曲も多い。zeroカルチャースピンオフで櫻井さんが語っていたように、「40代のアイドル」を見据えた動きのように思える。
 
 私は、嵐は全員、他人との距離の取り方が上手い人たちだと思っている。だから五人は喧嘩をしたことがないのだと思う。お互いの気分を悪くしないように、自分も居心地よくいられるように、相手のことはちゃんと思いやるけどそのために自分を犠牲にするわけでもなく、適切な距離を保っている人たちだと思っていた。
 それを誰にでもわかりやすい「仲の良さ」で示してしまったから、いつまでも同じものを求められるのかな、なんて思ってしまう。
 けれど、その「仲の良さ」や「可愛さ」も実力のうちだと、私は思う。メンバーの平均年齢が30歳を過ぎて、それでもなお「可愛さ」を求められるということは、その「可愛さ」をファンに提示するだけの力があるからだと思っている。誰にでもできることではない。無理やり押し付けられた「可愛さ」だったら、多分ファンも受け取らないだろう。
 音楽やパフォーマンスも素晴らしくて(DVDでDEGITALIANコンサートの模様を見たけどすごかった)、なおかつファンが求めている「可愛さ」も持ち合わせていて、嵐強すぎだろ。
 加藤さんが「後輩たちは嵐の姿を追いかけますよ」と言ったのに対して、櫻井さんが「全力で逃げ切るよ」、大野さんが「追いかけてくんなよ」と返していた通り、全力で逃げ切っている。
 
 正直なところ、40代のおっさんになった嵐がワイワイしててもめちゃくちゃ可愛いと思う。「不惑を迎えてなおワイワイしているぞ!可愛いな!」みたいな。ルックス的に可愛くなくなる部分は確かにあるのかもしれない。けれど、そう言った人たちがワイワイするからこそ「可愛い」と思うこともある。
 今の嵐に向けられる「可愛い」という声ももう、「若い=幼い=可愛い」という式から導かれる「可愛い」だけではないと思う。嵐が脱しようとしたイメージとしての「可愛さ」が、どういった類のものかは、正確に把握することはできないけれど。
 
 
「可愛い」という宿命 


 きっと、アイドルは「可愛い」という宿命を背負っているんだと思う。
 アイドルというのは、きっと「少し不完全」というエッセンスが不可欠だ。何もかも不完全ではいけない。少しだけ、つけいる隙がそこにあること。それこそがアイドルという存在なのではないだろうか。
 
 加藤さんとピースの又吉直樹さんによる番組「タイプライターズ 物書きの世界」の中で、アイドルを題材とした小説『武道館』を執筆した朝井リョウさんと、アイドルについて語っている場面があった。そこで加藤さんはこう言っている。
 
 「でも男性も完璧すぎるから良いってのは比例しないですね。僕が見てきた経験ですけど。隙がある方が可愛いし、完璧なものを見るんだったら日本じゃなくて良いんですよ多分。それこそ韓国の人とか技術が凄いって言われたりとか、マイケルジャクソンでいいとか。日本のアイドルを応援するってことは、やっぱり。」
 
 この、「隙がある方が可愛い」という言葉。ここまで長々と書いてきた話で一番言いたかったのはこれだ。アイドルのファンが求める「可愛さ」は、この「隙がある」ということに由来する「可愛さ」の部分が大きいのではないかということだ。
 たとえば、メンバー全員が同じ振りをやっているはずなのにバラバラに見えるダンス。たとえば、話がまとまらずぐだぐだになってしまうMC。たとえば、ゲームに負けてへなへなと眉を八の字にして笑う顔。「隙」の例は、他にも挙げればきりがない。
 本来ならばそういった「隙」は隠すべきものなのかもしれない。他のアイドル的存在についてさほど詳しくないので比較のしようがなく、非常に主観的な意見になってしまうのだが、ジャニーズのアイドルにはその「隙」がよく見られるような気がする。どんなに完璧に見える人にも、「隙」がちゃんとある。
 先程例に挙げた、40代のおっさんになった嵐がワイワイしててもめちゃくちゃ可愛い、というのは、40代(父親になっていても不思議ではない年齢)を迎えて確固たる存在となったはずの嵐が、個々の実力も十分に備えている嵐が、5人で楽しそうにワイワイするという「隙」を見せるのが可愛い、ということになる。
 今だって多分、「国民的アイドル」と呼ばれるほどビッグになった5人が昔と変わらずワイワイしているという「隙」が可愛いと言われているのではないだろうか。
 加藤さんのいうところの「日本のアイドル」である以上、多分彼らは一生可愛い。このまま歳を取っていっても可愛い。若さゆえの可愛さが失われても、別の可愛さがそこにある。
 もしも本当にそこから抜け出したいのなら、アイドルを辞めるしかないのだろう。
 
  「アイドルもいつか可愛くなくなる」という話と、「アイドルは隙がある方が可愛い」という話が、どちらもアイドルから出てくるということが非常に興味深い。あと5年して、加藤さんが今の櫻井さんと同じ歳になったとき、そして櫻井さんがあと数年で40代に入るという歳になったとき、彼らはアイドルについて何を語るのか、是非聞いてみたい。
 
 まぁ、なんていうか、女性のいう「可愛い」はめちゃくちゃ幅が広いので定義しきれないところもある。「今何か私の琴線に触れるものがありました!」というくらいの意味なんじゃないだろうか。
 私はこれからもジャニーズのアイドルに対して「可愛い」という感情を抱くだろう。その「可愛い」は、「若い=幼い=可愛い」だとか「仲が良い=可愛い」だとかの類の「可愛い」かもしれないし、それとはまた違う「可愛い」かもしれないし、私自身が説明できるものではない「今何か私の琴線に触れるものがありました!」という言葉を省略した「可愛い」かもしれない。でもとにかく、いろんな気持ちをひっくるめて彼らに「可愛い」と思うだろう。思うだけでなく、時にそれを声に出し、文字にし、誰かに伝えることもあるだろう。でも、どうかそれを許して欲しい。
 
 という、許して欲しいがための約5000字でした。