加藤シゲアキの武器は



 勝手に加藤シゲアキ強化月間として前月より多く記事を書こうとしてみました。最後にどうしても書いておきたかったのがこの話です。

 最初はビジュアルと、名字が同じということに惹かれたのだけれど、それだけだったらこんなに好きになっていなかったでしょう。
 私は自分が割と感情で生きている人間だと自覚しています。だから、感情を揺さぶるものが好きです。私はその、感情を揺さぶるものの正体を「物語」と呼んでいます。
 フィクションという意味の「物語」と、その人が今ここに立っているまでに紡いできたものという意味での「物語」。後者は「背景」と言ってもいいかもしれませんが、なんかかっこいいのでここは「物語」と呼びたい。この二つの「物語」と、加藤さんについて。
 加藤シゲアキの武器は「物語」、というおはなし。
 
 
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 ジャニーズアイドルとして初の小説を出版する。加藤さんは繰り返し「ジャニーズだから小説を出版できている」と言う。新人賞を受賞してのデビューではないのでそれは確かだ。と同時に、彼は自分が「ジャニーズである」という色眼鏡で見られることを自覚していることにもなる。『ピンクとグレー』には単なる一冊の本以上に「ジャニーズのアイドルが書いた本」という物語が付加されていることになる。
 『ピンクとグレー』は、一冊の小説として、しっかりと読み解くだけの価値がある文学作品だと思う。そのためには作者の存在はもっと透明だったほうがいい。しかしそうすると『ピンクとグレー』は世に出ないことになってしまう。作者がジャニーズのアイドルであるという理由で出版された本というのは紛れもない事実だから。
 ジャニーズのアイドルが、芸能界を舞台にして二人の青年の苦悩を描いた小説。しかも、作者の在籍するグループからは二人が脱退を発表した後に、そして四人としての明確な活動が発表される前に、出版される。名前の表記も漢字からカタカナに変更。
 これでもかというほど、『ピンクとグレー』には物語が付加されている。それもそのはずだった。後のインタビューで、「二人を繋ぎとめるために何かしたくて小説を書いた、間に合わなかったけれど」と彼は語っている。『ピンクとグレー』はそもそも書く動機として最初から小説以上の役割、つまり「物語」を背負っていた。
 『ピンクとグレー』が発売されるという発表があったとき、この人は「物語」を武器にするのか、と思った。発売された本を読んで、この人は「物語」を武器にしたのだ、と思った。帯にもポスターにも彼の写真が大きく使われていた。彼は作家ではなく、アイドルとしてそこにいた。『ピンクとグレー』は、「ジャニーズのアイドルが書いた小説」として出版されたのだ。
 それでいて、中身はまっとうに小説だった。付加された「物語」がなければもっと素直に楽しめたのに、と悔しくなるような小説だった。勿論、先にも述べたように「物語」がなければ出版されなかったということはわかっているけれど。
 どこまで意図したのかわからないが、主要な登場人物二人には作者加藤シゲアキに通ずる部分がある。どちらかというと語り部である「りばちゃん」のほうがその要素が強いような気がした。加藤シゲアキを知ってしまっている時点で、重ねて読まないようにするのは難しい。
 私が初めて『ピンクとグレー』を読んだときはまだ明確に彼のファンと言いきれる状態ではなかった。ファンと言いきれるほど、彼のことを知らなかった。おかげで、ファンが読むよりは「物語」を重ねすぎずに読めたのかもしれない。そのタイミングで読めたことを、少し嬉しく思っている。もう二度とその目線で読むことはできないから。
 
 彼のことをより知っていくうちに、彼の周りには言葉が多くあることに気付いた。彼が単独で進行するラジオ「SORASHIGE BOOK」の一回に込められる文字総量は相当なものだし(メールもあまり読まず早口でひたすら自分の好きなものについて喋っている)、wink upの連載「photoshigenic」でも彼の言葉を読むことができる。ソロコンサートのパンフレットにもエッセイのような文章が掲載されていた。彼の周りは、彼の紡いだ言葉で溢れていた。
 「物語」とはその人が今ここに立っているまでに紡いできたものという意味、その人のもつ「背景」だと冒頭に書いた。つまり「物語」は未来にはない。過去にしかない。「物語」を武器にするということは、過去を曝け出して生きていくということだ。
 加藤さんはきっと隠しごとが下手なのだろう。彼の語る言葉には、時折「そこまで言わなくていいよ」と思うものもある。「それは言っちゃだめだよ」と思うものもある。読むときに痛みを伴う言葉さえある。Myojoに掲載された10000字インタビューや+act miniのインタビューや、その他彼が昔を語った記事を通して、この人は「物語」を武器にすることを決めたのだ、と感じた。過去を曝け出して、自分には(あるいは、自分たちには)こんな「物語」があるのだと示す。その中には読み手まで辛くなる言葉がいくつもあった。まるで捨て身の攻撃のようだと感じるものもあった。
 各々が持てるものをすべて尽くしてNEWSを守ろうとしたときに、彼ができることは語るということだったのかもしれない。過去を語り、小説を書き、その小説にも「物語」を背負わせる。過去という「物語」と、フィクションという「物語」の、両方が彼の武器となった。
 
 読んだことがある方にはわかると思うのだが、『ピンクとグレー』は決して明るい話ではない。二人が脱退するグループに在籍し、残されたメンバーでの活動もまだ発表がない時期に、その残されたメンバーが発表する作品としては、暗すぎる。
 しかし、だからこそ彼の活躍を今後も追っていきたいと思うようになった。私がずっと応援しているポルノグラフィティがメンバー脱退時そして5周年という節目にリリースしたのは「シスター」という悲しくも美しい歌だった。2004年、電波の悪いラジオを必死に調節しながら聞いた「悲しみが友の様に語りかけてくる」というサビのフレーズに震えたことは今も忘れられない。今ここにはいない「あなた」を想う歌だった。この歌の意図だとか真意だとかを尋ねられ、抜けたメンバーのことではないですよと語るインタビューもあったように思う。
 『ピンクとグレー』を読んだときに、このときのことを思い出した。きっとこの作品も、「シスター」と同じような質問をされる。それを覚悟の上でこの作品は出版されたのだろう。
 この『ピンクとグレー』の出版を通して、彼はまた語る機会を得る。そしてまた言葉を紡いでいく。武器を持った彼は、初めて彼を彼と認識した頃よりもずっと強くなったように見えた。この人がこの先も語っていくであろう己の「物語」と、この先も紡いでいくであろうフィクションの「物語」、両方を、もっと読みたいと思って、今に至る。
 
 
 
 +act miniのインタビューは、別の号に小山さんのインタビューも掲載されている。おそらく、この二人はNEWSにおける「語る人」なのだ。一方、手越さんと増田さんはあまり多くを語らない。彼らは言葉より行動で示す人なのだろう。このバランスでNEWSは成り立っている。
 また、加藤さんと小山さんの「語る人」としての特性も異なっている。小山さんは伝えるために語る。キャスターとしての経験を通してなのかもしれないが、彼の言葉は受け手に伝えるためにあるように感じる。一方、加藤さんは語るために語る。受け手がどう受け取ろうが、「物語」がここにあると訴えること、語ることに意味がある。私には、彼の語り口はそう見える。
 
 ここまで読んで下さった方はおわかりかと思うが、私もまた語らなければ気が済まない人間だ。でなければブログなんてやってない。だからこそ、「物語」を武器にする彼に惹かれる。
 加藤さんは絶えず語る。年に1冊は本を出すし、毎週毎月どこかしらで彼の言葉を読む(あるいは聞く)ことができる。次に彼が語るのはどんな「物語」なのか、非常に楽しみである。
 
 
 
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 増田さんは逆に「物語はいらない」って言っている人なんですよね。この二人が同じグループにいて、お互いに信頼し合う関係であるということが、とてもいいなと思います。
 ところで私は作家さんのサインが大好きでなのですが、『ピンクとグレー』出版以来、加藤さんのサイン本を(できれば○○さんへ、の宛名入りで)手に入れるまでは死ねないなと思っているので、サイン会の開催を切実に希望します。角川さん、よろしくお願いいたします。