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来世はペンギンになりたい

好きなものを好きと言うために生きてる

アイドルに求めるもの

 

 私の根っこはたぶん、ポルノグラフィティのファンである、というところにあります。彼らのデビュー曲で「音楽」というものに興味を持ってたくさん聞くようになり、FCにも入り、ライブに行くようにもなりました。私の人生なんてたかだか25年しかなく、そのうちの(もうすぐ)16年をポルノと共に生きてきたことになります。人生の半分なんてとっくに越してた。時の流れこわい。
 ジャニーズのアイドルに興味をもつようになって、いかに彼らが「偶像」という意味でアイドルであったかに気付かされました。そして私は、自分でも気付かないうちに、アイドルに対してもポルノグラフィティのもつアイドル性を求めていたのです。そうして辿りついたのがNEWSです。
 
 では、わたしがポルノグラフィティに見る「アイドル性」とは?
 それは、テレビ雑誌ライブetc、ファンの目に触れるところで必ず「ポルノグラフィティ」としてそこにいてくれることです。オンとオフの切り替え、というのでしょうか。彼らは、ファンの目に触れる「ポルノグラフィティ」としての活動の前では「ポルノグラフィティ岡野昭仁」「ポルノグラフィティ新藤晴一」としてそこにいるのです。
 具体的にどういうことかというと、プライベートの話が一切出ないこと。お二人とももう四十歳を迎えて、ご結婚もしていらっしゃって、お子さんもいらっしゃるのに、それに関する話が本当にひとつも出てこない。少なくとも私は聞いたことがない。どういった判断からそういった話をしないのかはわかりません。でも、そういったプライベートの話は、ファンの目に触れる場に出るときには必要ないと、私は思っています。私はミュージシャンとしてのポルノグラフィティを望んでいるから。極端な言い方になりますが、彼らのプライベートになんの興味もないんです。ミュージシャンとしての姿にしか興味がない。だから、それだけを見せてくれる彼らが好きなのかもしれません。
 
 ですが、プライベートの話云々よりも、何より重要なのは、「一緒に夢を見てくれること」です。
 私は、ステージ上の彼らと一緒に夢を見たいのです。ものすごくおこがましいことかもしれませんが言葉にすると、どんなつらいことがあってもファンの顔を見たら少しでも元気になってほしい。私が彼らの姿を見たら元気になるように。それと、元気の度合いは違っても、「元気になる」というところは同じであってほしい。「見られる」人として彼らがそこに立っていられるのは「見る」人がいるから、ということを忘れないでいてほしい。厚かましいかもしれませんが、そう思ってしまいます。そういう、謙虚さのようなもの、素直さのようなものをいつまでも持ち続けていて欲しいと思うのです。
 ポルノグラフィティのお二人は、きっとファンと一緒に「ポルノグラフィティ」という夢を見ているんだと思います。15周年を迎えるにあたってのツアー、「ラヴ・E・メール・フロム・1999」のOP映像(構成・絵コンテはギターの新藤晴一さんが担当)で、
「それでも まだまだ みんなと 夢の中にいたい 時には薄目を開けて 周りをうかがいたくもなるが ギュッと目を閉じて 君が飛ばせと 煽るなら まだまだまだまだまだまだまだ(以下無数の「まだ」) 青春だーっ」*1
という言葉が出てきます。まさにそれだ、と思いました。一緒に夢を見ていたい。同じ気持ちでいてくれていたように感じて嬉しくて、OP映像から号泣でした。
 きっと彼らは、一緒に「ポルノグラフィティ」という夢を見ているからこそ、ファンの目に触れるところでは「ポルノグラフィティ」としてそこにいてくれるのだろうと思います。よく考えてみたら、これが、私がアイドルに求めていることでした。
 
 私の中で、最もこれに近い人たちが、NEWSです。解散の危機にまで陥った彼らは、「見る」人がいるからNEWSが「見られる」人として成り立つことを、わかってくれているように感じます。勿論、他のグループでもそう感じることがないわけではありません。私が知らないだけで、もっと感じるグループもあるかもしれません。ただ、私の知りうる限りでは、NEWSから顕著に感じるのです。
 
 かつて、知り合いの方に問われたことがあります。「君がアイドルに求めるものってなんなの?」と。歌とかダンスとかトークとか演技とか、いろいろ言われました。私が求めるものはそこにはありません。「一緒に夢を見てくれること」です。
 お仕事でしょと言うようなことを返されました。お仕事でやっているのはわかっているけれど、嫌なこと辛いことがあってもなお人前に立ち続けるということは、そこになんらかの価値があるからではないのでしょうか。
 加藤さんの著作、『閃光スクランブル』で亜紀がステージからの光景を見るシーンがあります。彼女は観客たちを通して「アイドルである自分」という夢を見ていたのではないかと思います。その夢を見せることができるのは、彼女にありったけの声援を送る観客以外に他ならなりません。アイドルは、誰もいない中にただひとりでそこに立っていてもアイドルには成りえない。見られることが仕事なら、見る人がいなければ仕事にならない。「見る」と「見られる」は表裏一体で、切り離すことのできない関係、といえるでしょう。
 
 4人での初めてのコンサートの映像を見て、彼らもまたファンと共に夢を見ているのだ、と思いました。あのとき間違いなく彼らはファンの姿を見て元気になっていたし、ファンもまた彼らの姿を見て元気になっていました。その元気は、涙という形であったかもしれないけれど、それは嬉しいという感情からくる涙だったのだろうと思います。
 私が初めて参加したNEWSのコンサートは2013年のコンサートでした。秩父宮、大阪と参加したあと、こんな新参者が10周年をお祝いしていいのだろうかと思いつつも東京ドームにも参加しました。東京ドーム公演の一番最後、小山さんがグループ名を呼んでもらう前に、

「みんなのすごい声を聞いて、パワーにして、それを活動で返していくんで、」*2

と言って会場からの声を求めていました。私の声は、彼らのパワーになれる。これだ、と思いました。私が求めていたもの。コンサートの形式として最後は毎回それで締めているから、という流れではなくて、彼らのパワーになるから名前を呼ぶ。こんなに幸せなことってないなと思いました。間違いなく、私は彼らと夢を見ている。そんなふうにさえ思いました。
 
 それに、メンバー個人でいうと、手越さんはファンの前では絶対に「NEWSの手越祐也」でいてくれます。世間を騒がせる話題も多い彼ですが、ファンの前に立ったら彼は「NEWSの手越祐也」になるのです。週刊誌の話題とか、一切どうでもいい関係ない。ただ全力でファンを愛するアイドルとしてそこにいる。私は彼のそういうところが大好きです。アイドルとしての彼以外の彼はどこかに置いて、アイドルの彼だけがそこにいる。そんなものは虚像だ偶像だと思われるかもしれません。虚像で何が悪い。偶像で何がいけない。それでこそアイドルだと、私は思います。ミュージシャンのポルノグラフィティにしか興味がないように、アイドルのNEWSにしか興味がないんです。興味がないというか、私が口を出す権利がどこにありますか?と思ってしまう。そんなものはないです。私がお金を払っているのはアイドルとしての彼らに対してです。お金を払った分、アイドルとしての活動は十分にしてほしいとは思いますが、それ以外は望みません。(考え方は人それぞれですから私の考え方に同意できてもできなくても全く問題はないですが、ひとつの意見としてそういうのもあるよという形を提示したまでです。)
 ここまでいっといてシゲ担っていう、なかなかに複雑な現状ではありますが、手越さんが手越さんでなかったら、こんなにNEWSに深入りしていないかもしれないなと思うところはあります。また、増田さんもアイドルとしてのイメージを頑なに守ってくれますし、小山さん加藤さんは少し人間味が強い印象は受けますが、だからこそ一緒に「NEWS」という夢を見ているような気がします。私がポルノグラフィティに見出していた、アイドルに求めているものが、すべてここにありました。
 
 なかなかまとまりのない文章になってしまいましたが、NEWSの4人には、これからも一緒に夢を見てくれるアイドルでいてくれることを願って、本日の記事を終えようと思います。

*1:DVD 13thライヴサーキット“ラヴ・E・メール・フロム・1999” Live in MARINE MESSE FUKUOKA参照

*2:DVD NEWS 10th Anniversary in Tokyo Dome 参照