今までハマってきたグループに見る、それぞれの特徴


 なんであんなに魅力的なんだろうと不思議になるくらい、惹かれる。今までハマったどのグループにもそんな気持ちを抱いていた。
 なぜかわからないものには理由をつけて説明したい。理由がつけられなくてもできるだけ考えたい。そんな性格の私なので、なぜ今までそれぞれのグループにハマってきたのかを考えていきたい。ものすごく個人的な理由かもしれないけれど、今あなたが求めているものを見つけたり共感してくれたり何かを考えたりするきっかけになれたりしたら幸いですということで。
 前回の記事と若干被る部分もあるけれど、そこは許してください。より掘り下げて語りたいのです。ものすごく主観的になってしまっているとは思いますが、そのへんも許してください。
 

 THE・アイドル=キラキラの輝き
 彼らにハマった当時、私はなかなかに沈んでいた。大学に入ったはいいものの、なかなか友達ができず、大学に入ったらそれなりにモテるキラキラDaysが待っていると思ったのに高校時代よりも地味が加速する毎日。こんなはずじゃなかった、と焦っていた。もっとキラキラしなければ。別にリアルが充実しなくてもいいからキラキラしなければ。
 そんなときに出会ったのが光GENJIだった。私が抱いていた、漠然とした「キラキラ」というイメージを、彼らは体現していた。歌って踊ってキラキラする、私が見たかった輝きがそこにあった。
 確かに今見ると、今というか彼らに落ちた2009年から見ても、ファッションにしろ楽曲にしろ、前時代的というか古くさい部分はある。ものすごくある。けれど、そんなのどうでもよくなるほど彼らは輝いている。それは「時代に搾取され、消費される少年」という儚げな美しさに起因する輝きでもあったのかもしれない。
 SMAPの前と後で、ジャニーズのアイドルは劇的に変わった。偶像ではなく、リアルに近付いた。(このあたりの話は、もっと詳しく書いている方がいらっしゃいます。「After SMAP ~SMAPがジャニーズを変えた3つのターニングポイント~」 - 小娘のつれづれ)

 光GENJIは、アイドルが偶像だった時代の、最後のアイドルだったではないだろうか。私は90年生まれなので、彼らのデビューには生まれていなかった。私が見てきたのは、常にSMAP以降のリアルに近付いたアイドルだった。だからこそ私は、あのキラキラに惹かれたのかもしれない。
 

 適切な距離感の友達
 大学に入って二年目には、嵐を追うようになっていた。光GENJIと違って毎月雑誌が出るので、喜び勇んで全部買っていた。バイト代は全部嵐に消えた。
 当時の私は孤独であった。中学時代、いじめというほどではないが嫌がらせを受けたりして周囲に馴染めなかった私は、高校に入ると同時に中学時代までのコミュニティと縁を切った。つまり、地元に友達が誰もいない状態となっていた。自業自得なので今更とやかく言うことではないが、成人式というイベントを控えていたこともあり、少し感傷的になっていた。
 諸事情により振袖を着られず写真も撮れなかった私は大学でできたわずかな友人達や高校時代の友人達が「前撮り」の写真をツイッター等に上げたり、日常の話題にしている中で孤独を味わっていた。これを孤独と呼ばずして何が孤独だよと思うほど孤独だった。
 そんなとき、嵐の五人の、互いに対する距離感を羨ましく思った。喧嘩はしたことがないという、決して互いを傷つけないし自分も傷つかない距離感。なんとなく、ヤマアラシのジレンマを思い出した。私もその距離で人に接されたいし、接したいと思った。そしたら孤独じゃなくなる気がした。
 そんな距離感の彼らには、「五人」=「僕ら」を強調するような歌詞の楽曲が多くある。ラブソングで「君」と「僕」に対して「僕ら」と言うのではなく、「僕ら五人」の「僕ら」の歌。「To be free」がその極みだと思っている。あの曲のもつ爽やかさは、適切な距離感で同じ方向を向いて前に進んでいる五人だからこそ出せるものではないだろうか。
 彼らのおかげで、友達との距離の取り方を学べた気がする。

 

 熱くぶつかり合う仲間
 さっき適切な距離感の友達欲しがってたじゃん!と我ながら思うが、求めるものは常に変化するのである。成人式が終わったことで割と距離感に関する欲求は落ち着いた。代わりに、好きなものについて熱く語り合いたかった。
 というのも、私の周りは基本的に非ジャニオタで、そういった人たちに私の一方的な語りを押しつけるのは申し訳ないと思っていた。だったらジャニオタと語り合いたいと思っていた。というわけで、SNSを使ってまだ見ぬジャニオタと知り合い、ネット上で意見を交換しあった。それだけでなく、オフ会というものにも積極的に参加するようになった。もはやオフ会とかそういう次元ではなく遊べる友達も、この時期に知り合った人たちが数人いる。
 彼女らと私が持つ意見は全く同じというわけではない。違う部分もある。けれど、それぞれの思っていることを聞き合う・言い合うことで、新たなことに気づけたりもする。そういう意味で、ぶつかりあえる「仲間」のような存在が欲しかった。
 そんなとき出会った関ジャニ∞。彼らは互いにぶつかり合って成長するタイプだった。当時の私が求めていた「仲間」感がそこにあった。汗だか涙だかよくわからんものにまみれた、厚い人情みたいなものがあった。それは、七人に感じる強い絆のようなものから発せられる光のようなものだったのかもしれない。彼らにハマったのをきっかけに、SNSやらなんやらで知り合いを増やして意見交換をしたりして、今の私の行動スタイルの原型が出来上がった。

 

  • NEWS

 美しい恋にするよ
 大学を卒業する頃、ぶっちゃけ愛されたかった。
 というのも、気付いたらサークル内がカップルだらけになっていたからである。サークル外、あるいは学校ではないところに彼氏のいる同級生もいた。何その取り残され感、と思った。めちゃくちゃ焦った。大学入ったら私も何かしらのロマンスがあるのではと思っていたが何もなかった。彼氏いない歴=年齢を更新し続ける私はひたすら焦っていた。
 彼氏いない歴=年齢を貫いていた私は、中学生になり周りが色気づいてくるあたりでふと気づいてしまったのだ。己の容姿と性格を鑑みるに、これ、私が誰かを好きになるとかおこがましいな、と。その結果、彼氏いない歴=年齢の道を更に歩んでいくこととなるのだが。
 そんな私の、中学生時代に次ぐ第二の恋愛ブームが大学時代だった。というかどちらも私ではなく周りが恋愛ブームといった感じだった。
 そんな思いを抱えつつ社会人になった私は何にも期待していなかった。そもそも恋愛感情とかよくわからいしもういいやと思っていた。そして私はNEWSのコンサートへ足を運ぶ。
 やばい、愛されてる。間違いなく今、私、愛されてる。NEWSはファンを愛してるし、ファンもNEWSを愛してる。それは4人⇔不特定多数という人数規模ではなくて、1対1の愛。歌の歌詞に出てくるような「僕」と「君」の愛。
 こんなに幸せになってもいいのだろうかと戸惑うほどに愛される。王子様に「お手をどうぞ」と優しくエスコートされる気分。
 NEWSは自らのことを「王子様」と呼ぶ。コンサート(美しい恋にするよ)でお城のセットを作ったり4人の王子様の映像があったり、真っ白い王子様をイメージさせる衣装で登場したり、彼らは王子様なのだ。
 コンサートに行くまでも、NEWSは王子様というイメージはなんとなく頭にあった。しかし、その王子様というのはみんなの憧れのかっこいい男の子、手の届かない高嶺の花=王子様という意味での「王子様」だと思っていた。そして、ファンは王子様に憧れながら遠巻きに見ている、そのへんの町娘なのだと。
 ところが違った。
 NEWSにとってファンは町娘ではなかった。お姫様だったのだ。おとぎ話で昔見たような、小さい頃に憧れたような、可愛いふわふわのドレスを着たお姫様だった。本当にびっくりするほど愛を感じた。彼氏いない歴=年齢なのに、愛なんてろくに知らないのに愛を感じた。これが愛だと思った。これが愛じゃなかったら何が愛だよと思った。世界はこれを愛と呼ぶんだと思った。

 NEWSというグループが歩んできた物語に惹かれて彼らを応援したいと思ったのが入り口だったが、これだけ愛されてしまったら、愛されたかった私はNEWSから抜け出せないで今に至る。

 

 ものすごく主観的にざっと考えてこんな感じです。ものすごいざっとですけど。そのとき求めてるものにズバっとハマる、己の欲求に素直なところ、嫌いじゃないです。