我は如何にしてジャニオタとなりしか

 はじめまして。
 ジャニオタの皆さんが展開するブログがどれも面白いなと思って、私も何か書いてみたくなりました。
 最初の記事にふさわしい内容はと考えたときに、まずは自己紹介をしてみようかと思いまして、このタイトルにしました。
 いつまで続くかわからんブログですが、お付き合いいただけたら幸いです。

  • 元々はバンドオタ

 というと若干語弊がある。元々というか、今もなので。
 1999年、「アポロ」でデビューしたときから現在進行形でポルノグラフィティのファンだ。当時小学生だった私は彼らの楽曲で音楽に目覚め、本当に沢山支えられて成長した。なんやかやと十五年が経ち、あの頃小学生だった私は立派ではないが社会人になった。もはや恩みたいなものもあるし、やはり純粋に彼らの音楽や人間性が好きということもあるし、今に至る。
 彼らのほかにもたくさんのバンドの音楽を聞いてきたし、拗らせた中学生にありがちな「バンド以外音楽じゃない」という思いを抱いていた時期もあった。あの頃は若かった。
 それから10年後の2009年、私は己が「ジャニオタ」であると自覚する。今では何の違和感もなく己がジャニオタであると認識している。それまでの、そしてそこからの経緯を、自分の思考を整理しながらまとめていきたいと思う。
 いちジャニオタが出来上がるまで、の話として読んでいただければ幸いです。

  • ジャニオタとしての素養

 素養っていうとアレだが、私がまったくジャニーズの話題と関わりのないところからジャニオタになったのではない、という意味で「素養」と呼ぶ。
 その素養というのは、うちの母がSMAPの大ファンであるということ。茶の間ではあるものの、デビュー当時から木村さんのファンだそうで、私も小さい頃からテレビでよく見ていた記憶がある。姫ちゃんのリボン赤ずきんチャチャも見ていたし、私の最も古い記憶のひとつは森くんの脱退時のワイドショーだ。母はいくつものワイドショーで繰り返される会見をずっと見ていた。あのときに中居くんがリーダーだと初めて知ったので、そのときの驚きが今も記憶として私の中に残っている。
 つまり、ジャニーズのアイドルに対してあまり抵抗のない状態で育っている、ということになる。私を「潜在的ジャニオタ」として育てたのは間違いなく母なので、今更とやかく言うのはやめてくれよ!という気持ちでいっぱいだ。幸い言われてないけど。
 SMAP以外にも、ジャニーズの出演するバラエティやドラマはよく見ていた。特に嵐に関しては、バンド好きをこじらせていた中学生時代にもいろいろ見ていた記憶がある。

 小学生のときは、自分だけでなく周りも二次元オタクだらけだった。オタクとまでいかずとも、グッズを集めたり毎週アニメを見たりというような、アニメや漫画が大好き、みたいな人たち。私は今もそこから抜け出せていないので、結構沢山のわらじを履いていることになってしまっている。
 ところが中学生になると、それまで二次元オタクだらけだったはずなのに、なぜか周りがジャニオタだらけになっていた。おもに、Jr~Ya-ya-yah~Hey!Say!JUMPのファンと、Kinki Kidsファンと、嵐ファンが私の周りにはいた。
 当時の私は、それなりにバラエティもドラマも見ていたし楽曲も知っていたけれど、「バンド以外音楽ではない」という論を展開する阿呆だったので、なんかそういう奴がジャニーズ好きとかいうのもアレだなと思い、興味ないよという姿勢を貫いていた。
 しかし同じ部活にジャニオタがおり、彼女たちがひたすら切り抜きを見せてくるので、だんだん顔と名前が一致するようになってきた。それ以前から一致する人たちも結構いたけれど。
 嵐の中で誰が好き?という質問をひたすらされていた時期があり、当時は「最もジャニーズらしくないメンバー」という理由で大野さんと答えていた。(ちなみに、私は後に大野担となります)
 高校生になり、少し丸くなった私は「バンド以外も音楽じゃん」と思い始める。そして嵐の楽曲を聞くようになる。きっかけは「Happiness」だったと思うが、決定づけたのは「truth」だった。あの楽曲の格好よさは並大抵ではないと思い、繰り返し聞き続けた。
 また、2008年のドラマ「魔王」で大野さんの演技を見て、それまでは「ジャニーズらしからぬぽわ~んとした人」というイメージだったのが一気に崩れ、「なんかすごい才能を秘めた人」と思うようになった。そしてその時期に出たアルバム「Time」を友人に貸してもらい、大野さんのソロ曲に圧倒される。はじめは誰が歌っているのかわからなかった。歌詞カードにある曲のタイトルと共に書かれている名前と、歌っているはずのあのぽや~んとした人の顔が一致しない。私の中の彼の印象が「なんかとんでもない才能が爆発している人」という印象にランクアップした。思えばこのころからだいぶジャニオタだったのだが、当時はまだ「自分はマルチにエンタメに触れているだけ」という認識だった。

  • 高校卒業、そしてジャニオタデビュー

 私の中の「オタク」の定義は、「対象にそれなりの時間あるいはお金をつぎ込む人」だ。高校在学中は嵐の出演する番組は見ても雑誌を買ったりCDを買ったりすることはなかった。私の中ではオタクの定義にあてはまらなかった。という言い訳である。
 しかし、高校を卒業した2009年、仲良しの友達とも別れて大学に進学し、事件が起きる。
 高校時代に仲の良かった友人たち2人が揃って光GENJIにハマったのだ。最初にそれを聞いたときは「おいおいマジかよ」と思いました。平成の、2000年代の、このご時世に?と。パラダイス銀河とガラスの10代と勇気100%しか知らないよと。
 私は親しい人たちが「良い・面白い・好き」という判断を下すものにはなるべく興味を持つようにしている。話題を共有したいということもあるが、それが礼儀だと思っている節もある。(私が好きなものに対して、「ごめんそれ興味ない」と拒絶されたら嫌だから、自分はなるべくそうしないようにしている。結果、興味を持って対象を知ろうとする。)それに、私は友人たちの感性がとても好きなので、彼女らが好きだというのなら何かしら私の琴線に触れる部分もあるかもしれない。そう思った。
 友人から、とりあえずこれを聴いてという楽曲のタイトルを教えてもらい、半信半疑で聴いてみる。
 STAR LIGHTの衝撃。なんかよくわかんないけど大サビで天使が歌ってた。魅惑の少年ボイスだった。大学へ向かう途中の道で倒れるかと思った。
 荒野のメガロポリスといったSF要素の強い格好いい曲もあれば、しょーがないよ!のような可愛らしい曲もあり、なにこれすごい、と衝撃を受けまくり。
 歌い踊る彼らは本当に眩しくてキラキラと輝いていて、これぞアイドル!といった印象を受けた。第一志望の大学に進学したものの、友達はできないしなんだか居心地が悪いしで輝かない日々を過ごしていた私にとって、目が痛くなるほどの彼の輝きはとても刺激的だった。私ももっと輝きたい!と思って、毎日を頑張って生きるようになった。
 もっと他の曲が聴きたくてCDも沢山入手した。写真集も、古い雑誌も。ネットで情報得られないんだからもう買うしかないじゃん!という言い訳を盾にして、私は急速にジャニオタとなっていった。ついでに他のジャニーズの楽曲も聴きたくなって、近所のレンタルショップにとてもお世話になった。
 しかし、私の中の光GENJIブームはそこそこ早めに終焉へ向かう。輝いている彼らを見ているのは確かに楽しかったのだが、現在進行形でアイドル「光GENJI」の活躍を見ることはできない。デビューから解散までを追いきってしまったら、もうあとには続きがない。また、彼らを応援する気持ちを共有できる相手もわずかで(主に高校時代の友人たち)、少し寂しいという気持ちもあった。

 気付いた頃には、私は嵐にシフトチェンジしていた。彼らは現在進行形で勢いのあるグループなので、いくらでも情報が流れてくる。楽曲もリリースされる。テレビも沢山出る。何より、嵐の情報は沢山の人と共有できる。それに、傍から見ていても嵐五人の仲の良さが伝わってくる。光GENJIからキラキラを摂取した私は、今度は「友達」を求めていた。
 2010年頃から、光GENJIファンだった子たちとは別の子と一緒に、本格的に嵐にハマり始めた。大野さん主演のドラマ「怪物くん」のおかげで、そして主題歌「Monster」のおかげで、魔王以来落ち着いていた大野さんへの興味がぶり返した。(でも「歌のおにいさん」も見てた)
 生まれて初めてジャニーズのファンクラブにも入った。今は見慣れてしまった青い紙で振り込むときのドキドキはまだ記憶にある。
 その後、「Fighting man」前後でNEWSにも興味を持つ。前に、いろいろなグループの楽曲をひたすら聴いていた時期があったと書いたが、その時期に一番「いいな」と思ったのがNEWSだった。しかしそのころはちょうど活動のない時期だったので、「今、追いたい」を重要視している(わけではないけど結果的にそうなっている)私は、ハマりきることができず楽曲を聴くのみにとどまっていた。でもテゴマスの「青いベンチ」「テゴマスのまほう」は初回版で買ったりしていた。
 2011年、Marching Jの募金にも行った。生で見るアイドル(V6のときとHey!Say!JUMPのときだった)にドキドキしながらもしっかり募金をしました。
 しかしそこで一部の嵐ファンの行動を見て、「私、この人たちと同類と思われたくないな」という気持ちが芽生えたのも事実である。
 気付いたら関ジャニ∞にシフトチェンジしつつあった。2012年はどちらのFCもかけもっていたこともあって、実は関ジャニ∞のFIGHTコンが私の初ジャニーズコンサートである。(嵐は2012年のアラフェスが初だった。2011年のワクワク学校は行ったけど)
 それまでもDVDでコンサートの様子は見ていたが、生はぜんぜん別物。めちゃくちゃ楽しかった。関ジャニ∞にハマって、未だに関係の続いている仲の良い友人たちとも知り合えたので、彼らは今でも特別な存在だ。「友達」がある程度できて、「仲間」が欲しかった時期だったのかもしれない。そんなときに、彼ら七人の強く確かな絆に触れて、「いいな」と思ったのがきっかけだったのかも、という気がする。
 だが、絆が強いということは、外部を受け入れづらいという欠点を内包していると思う。彼らは昔からのファンをとても大切にしているように感じた。それは絆の強さに不可欠だと思うし、慢心せず感謝を忘れない姿勢で、とてもいいことだと思う。しかし、それと同時に、新規のファンは居心地の悪さを感じてしまうのではないか。というか、私がそうだった。私は彼らと「これから」を見たいのに、「これまで」の話ばかり出てくる。居心地の悪さから、次第に気持ちが遠のいていくことになる。
 古参が新規が、という話をしたいわけでは、断じてない。私と同時期にファンになった方でも私の後にファンになった方でも、居心地の悪さなんて感じない人もいるだろう。彼らにも、新規のファンを拒む気持ちなどなかっただろう。けれど、私がそう思ってしまったのは事実だ。彼らの作る物語に参加することが許されないような気持ちになってしまって、私はできれば傍観者ではなく参加者でありたいタイプなので、気持ちが薄れていったのかなと思う。
 その後、私が彼らに望むような活動がなかったこともあり、関ジャニ∞からは遠ざかることとなる。
 ちなみに、関ジャニ∞にハマった時期から現在まで、ゆるくHey!Say!JUMPも好きで、ゆるく追いかけている。多分もうこの頃には事務所担だったのだろう。みんな好きです。

  • ジャニオタ第三章~NEWSとの出会い~

 2010年頃にNEWSに興味を持ったという話は先程書いた。そのとき、加藤さんのソロ曲の映像を見て彼に惹かれていたし、彼と同じ名字(地味で嫌だったし、いろいろあって自分の名字は嫌いだった)であることから、何かと気になる存在ではありました。
 そして、2人の脱退。もう、号泣。それまで、これといって活動を追っていたわけではなかったけれど、次のシングルが出たら買おう、You&Jに入っているからコンサートも応募しよう、そう思っていたところに、脱退の知らせがあり、彼らの新曲はもう聴けないのかもしれないと思って号泣だった。
 ちなみに、私の大好きなバンドもメンバーが減っている。3人時代にファンになったにも関わらず3人時代のライブに行けなかったのが非常に悔しくて、それと同じ思いをまたするのか、という涙もあったかもしれない。
 その後、加藤さんが小説を出版するというニュースが出た。部類の本好きであった私は、不安と期待を胸に発売をそわそわ待った。そして発売日。買ってすぐ近くのコーヒーショップに行き、読んでまた号泣。圧倒された。思っていたよりも全然「小説」だった。荒削りで剥き出しで痛くて、ナイフの刃の部分を握りしめているような気持ちで読み終えた。
 彼が今後、また本を出すことがあったら読みたい。強くそう思った。多分、このときが決定的に、彼のファンになった瞬間だと思う。。
 もしかして彼は辞めてしまうのかもしれないという気持ちが、『ピンクとグレー』を読むまではあった。一般人としても十分武器となる学歴を持っていたし、もしかして彼はアイドルをやりたくてやっているわけではないのかな、と。
 けれど彼はきっとこの芸能界にしがみついていたいのだ、と感じた。その生々しい思いに触れてしまった気がして、『ピンクとグレー』を読んだ私は、彼を応援していこういう気持ちに、自然となっていた。
 そして、チャンカパーナのリリース。当時のバイト先に増田担がいたこともあり、今更のド新規が新曲を買ってよいものかどうか悩んだが、古くからのファンである彼女に「買ってください!」と押されたこともあり、結果として加藤さんソロバージョンを1枚買った。(蒐集癖のあるオタクなので、後々全種セットも揃えることになりましたが)
 私がNEWSの現場を初体験したのは、2013年のコンサートだ。誕生日プレゼントにファンクラブに入ろうと思っていたら誕生日の数日前にツアー発表があって悲観に暮れていたところに、知り合いが「よかったら一緒に申し込みますよ」と言ってくれたおかげで、大阪行きが決まった。
 そしてツアー開幕一週間前。たまたま友人の友人が行けなくなったということで声をかけてもらって、秩父宮にも行けることになった。あの豪雨のコンサートだ。
 NEWSはすんなり、私が物語に参加することを許してくれた。というか、あの豪雨を体験したことによって、物語の参加者に成り得た、という部分もあるように思う。幸い、次の日もコンサートに行くことになんの問題もなかった私は、翌日のコンサートを楽しく迎えることができた。聴きたかった曲、やってみたかった合いの手、とても楽しかった。
 翌日は予定があって来られない人に対して、本当に申し訳ないという表情をしていた彼らが忘れられない。悪天候は別に彼らのせいではないのに、と思って帰り道泣いたことを思い出す。
 そして大阪公演にも参加し、10周年の東京ドーム公演にも参加した。彼らの10年という歴史からしたら途中参加もいいとこなので、10周年を祝うことに多少の後ろめたさはあったけれど、彼らが受け入れてくれるなら全力でそれに甘えることにした。
 「最後に僕たちの名前を呼んでください」と言った小山さんの言葉。あのとき会場で「にゅーーーす!」と叫びながら、周囲と一体となった、五万五千人の声の大きさに本当に驚いた。東京ドームには何度かコンサートで足を運んでいるが、あんなに大きな声を聴いたのは初めてだった。その声を受け止める四人が、特に手越さんと加藤さんが、涙をこらえるような表情をしていたのが脳裏に焼き付いている。
 そして今年はWHITEツアーに東京ドーム2日間参加。昨年、NEWSのコンサートがなかったこともあり、お金をかける比率的に言って二次元オタクとなっていた私は、再びジャニオタへと引き戻される。東京ドーム一日目を終えて、友人と「なんかホーム感がすごいね」と話していたが、本当にその通りだった。本格的にジャニオタになったのが2009年だったとして、まだ6年しか経っていないのに、完全にホームになっていた。加藤さんの挨拶じゃないけれど、「ただいま!」と言いたくなってしまう場所。それがジャニーズだった。

 なんかもうどうにも言い訳ができないほどにジャニオタだった。高校を卒業してからなので、割と遅咲きなほうとは思うのだが、もう以前の自分には絶対に戻れないレベルにジャニオタだった。
 そんな私のブログです。どうぞこれからよろしくお願いいたします。