来世はペンギンになりたい

好きなものを好きと言うために生きてる

しんどいあなたへ贈るジャニーズ応援ソング

 しんどいときは音楽を聴くに限る。それもアイドル。
 私の個人的な感覚では、アイドルは他のアーティストに比べ圧倒的に「応援ソング」と呼ばれる類の曲が多いような気がする。しかも多種多様、さまざまな角度から応援してくれる。風邪薬ではないけど、どの症状にも聴くように処方されているようなイメージで、つらい状況にあわせて聴く曲を選んでいる。
 ということで、好きな応援ソングをまとめてみようかな、という記事。

 

 

NEWS

BE FUNKY!

BE FUNKY! - NEWS - 歌詞 : 歌ネット

 疾走感のあるメロディとアレンジと歌詞。「進め」「走れ」というメッセージに煽られる。こんなとこで立ち止まってる場合じゃない、と再び歩き出す力をくれる。ドラマ「トラブルマン」の徳田のように走りだしたくなる。
 「Yo こんな輝く世界 止まらない 期待・愛・未来 What? 楽しけりゃいいじゃない? 一度きりのMy Lifeじゃない?」のフレーズに何度でも勇気づけられる。ここを歌うのが、まだ鬱屈としていた頃の加藤さんだという事実がぐっとくる。今の加藤さんが歌っても勿論いいなと思うのだけれど、CD音源などで聴くあの頃の加藤さんの歌うこの箇所が最高で、更に言えば「美しい恋にするよ」でこのフレーズを歌う加藤さんが最高。加藤さん自身が突き進み切り開いた先にあるコンサートでこの曲を歌うから余計にぐっときてしまう。
 「What? 楽しけりゃいいじゃない? 一度きりのMy Lifeじゃない?」と簡単には割り切れないことだらけだけれど、でも「一度きりのMy Life」なのだから私のために私が楽しいように生きていきたい、と思う。

 

ヒカリノシズク

ヒカリノシズク - NEWS - 歌詞 : 歌ネット

 4人のNEWSによる応援ソングの真骨頂。シンプルなオケと歌が胸をぎゅっと掴む。
 加藤さんの小説を原作としたドラマ『傘をもたない蟻たちは』の主題歌であったこの曲は、「上手く生きられない人たち」に寄り添う曲となっている。きっと上手く生きていける人なんてほんの一握りで、ほとんどの人がそうではない。私もそうではない人のひとりだ。
 「どうにもならない想いがあるだろう 誰にも言えない傷痕もあるだろう」という歌詞がたまらなく好き、という話を何度もしている気がするけれどまだする。つらいときにどうしてほしいかなんて人によるだろうけれど、私は「つらい」という私の現状をまず認めてほしい、と思ってしまう。他者と比べて「そんなのまだまだつらくない」「みんなつらいんだよ」なんて言われても私のつらさには他者なんて関係ない。私が今「つらい」と思っていることを認めてさえくれれば、それで一旦気持ちがおさまる。私がつらいことに周りが気付いていなかったときに「ヒカリノシズク」を聴いて、私にはNEWSがいてよかった、と心から思った。私がつらいことをちゃんと認めてくれる人がいる。それだけで、私はまた頑張ろうと思える。

 

 初期はバレーユニットらしい「がんばれ!僕が君の背中を押すよ!」的な応援ソングが多いが、4人になって以降は「つらいこともある。でも願えばいつか夢は叶う」という方向性の曲が多くなる。一時期はカップリング曲に必ず一曲は入っていることもあった。
 それらの楽曲とはまた少し方向性が違って、「つらいことも上手くいかないこともあるよね」と聴き手に寄り添ってくれる楽曲「ヒカリノシズク」。背中を押すでもなく励ますでもなくそっと寄り添う楽曲は、痛みを知っているNEWSにぴったりだと思った。

 

僕が僕のすべて

僕が僕のすべて - 嵐 - 歌詞 : 歌ネット

 「ありのまま」であること、「僕」であることを歌った曲。イントロからもう優しくて、疲れた心が柔らかく癒される。
 現代人の抱える大きな悩みのひとつが「アイデンティティの確立」という話はいろんなところで言われているけれど、私も例外ではなくアイデンティティについて悩んでいるひとりだ。私は何者なのか、何者になれるのか、何者にもなれないのか。特に高校・大学時代には漠然とした悩みを抱えていた。でも「今ここにいる 僕が僕のすべて それだけは変わらない」という自然体の歌詞で少し肩の荷がおりたような気がした。私は何者でもなく「私」なのだと思える。難しいことを肩肘張って考えるばかりがいいことでもないらしい、と思った。

 

迷宮ラブソング

迷宮ラブソング - 嵐 - 歌詞 : 歌ネット

 「ラブソング」ってタイトルにあるけれど、聴いていると元気が出るので応援ソングということにする。ドラマ「謎解きはディナーの後で」主題歌で、執事・影山をイメージしているのだろう、「君」を陰ながら「導く」「見守る」ようなテイストの曲。
 アイドルが歌うからこそ届く曲というのは確かにあって、そのひとつがこの「迷宮ラブソング」だと思っている。いつもテレビの向こうにいて、一方的に見るしかない人たちに「僕がきっと その手を強く 引くよ」なんて言われたらちょっとどきっとしてしまうというか、いいなと思ってしまうというか、上手く言えないけれどなんだかそんな気持ちになる。抽象度が高く、「君と僕」にさまざまな関係性をあてはめられそうな曲だから、うっかり「ファンとアイドル」をあてはめてしまっているのかもしれない。でもたまにはそういう気分になってもいいと思う。
 それと単純に、嵐に「誰よりずっと 輝く君を 僕は知ってるから」って言われたら、なんだか心強く感じる。歌詞をそのまま真に受けているわけではないけれど、漠然とした根拠のない自信がわいてくる。

 
 嵐もやはり初期はバレーユニットっぽい「がんばれ!」系の応援ソングが多い気がする。それも好きだけれど、「僕が僕のすべて」のように「今ここにいる僕」「他の誰でもない僕」を歌う曲も嵐には似合う。「今ここにいる僕」の先にはきっと明るい未来が待っているような気がしてくる。

 

 

SMAP

君は君だよ

君は君だよ - SMAP - 歌詞 : 歌ネット

 柔らかで優しいメロディにのせて「君は君だよ だから誰かの 望むように 生きなくていいよ」と柔らかで優しい歌声で歌ってくれる。こんなに優しくていいのかなぁと思ってしまうくらい優しい。
 小学生の頃、特にこの曲が好きだった。「ホントまだ たいして長く 生きてないのにね」という歌詞があるからだ。たいして長く生きてない私にもつらいことがあって、それは「小学生なんてそんなもん」と片付けられるほど(当時の私にとっては)軽いものではなくて、それでもどうにか頑張っているのだということをわかってくれる人がいる気がして嬉しかった。SMAPがわかってくれてるんなら頑張ろう、と漠然と思っていた。
 私は小さい頃からちょっと変わった子で、今もちょっと変わった子がそのまま大人になったような感じなので、「君は君だよ」というその一言に励まされる。まともになろうと努力したこともあったけれど上手くいかなかった。ちょっと変わった子のままでも頑張っていけばいいと思えるのはこの曲のおかげだ。

 

笑顔のゲンキ

笑顔のゲンキ - SMAP - 歌詞 : 歌ネット

 いきなり「元気な君が好き」って歌われたら、なんだか背筋が伸びるような感じがする。好きって言ってくれるなら元気でいたいな、と思う。これぞアイドルの力だなぁと実感する。
 馬飼野康二さんによるアイドルの眩しさやきらめきが散りばめられたメロディは、口ずさんでいるだけで心が明るくなる。更には間奏にまでアイドルのきらきらが詰め込まれていて、もうとにかくきらきらしている一曲。この曲を聴くと、小さい頃にセボンスターを買ってもらって喜んでいたときの気持ちが蘇る。「笑顔のゲンキ」のきらきらは、私の中ではセボンスターのきらきらと繋がっている。かつて女児だった私の憧れがこの曲には詰まっているのだ。
 この曲が主題歌だったアニメ「姫ちゃんのリボン」が好きで、この曲の「赤いリボンもキリリッと」という歌詞に憧れて、ポニーテールには赤いリボンのついたヘアゴムを使っていた。この曲を聴くと、心の中でいつもあの頃みたいに「赤いリボンもキリリッと」結んでいる。何かに無邪気に憧れるあの頃を思い出して、なんだか気持ちがしゃきっとする。
 今はセボンスターを買ってもあの頃ほどきらきらして見えないし、赤いリボンを結んだとしてもあの頃ほどしゃきっとした気持ちにならない。でも、この曲を聴くとあのときの気持ちが蘇って、なんだか元気になれる。


 『SMAP AID』というアルバムがリリースされるほど応援ソングを歌ってきたSMAP。ここに挙げた以外にも、つらいときに励ましてくれる曲は沢山ある。口ずさんでいるだけでなんだか気持ちが明るくなる曲も沢山ある。
 母がSMAPファンであり、私は物心がつく前からSMAPの楽曲を聴いて育ってきた。アイドルを知る前にSMAPを知ったし、ジャニーズを知る前にSMAPを知った。おそらく、私と同世代(あるいは私よりも年下の世代)にはそういう人が多いのではないかと思う。知らず知らずのうちにSMAPの楽曲に励まされて生きてきた私の体にも心にも、SMAPの楽曲が刻み込まれている。

 

 

TOKIO

花唄

花唄 - TOKIO - 歌詞 : 歌ネット

 気分が落ちているとき、明るく元気を出すにはこの曲。もうイントロだけで上がるから騙されたと思って一回聴いてみてほしい。どうやったって悲しく歌えないくらい明るくて楽しいメロディと長瀬さんの力強い歌声が、沈んだ気分を盛り上げてくれる。
 歌詞も全体的に元気が出る。まずいきなり「嗚呼~花が咲く 理由もないけど」でちょっと元気になる。なにはともあれ花が咲くのならきっといいことなのだろう、という気がしてくる。何より、「僕らがいる 意味は奪えない」という歌詞にはっとさせられる。とても短い言葉だけれど大切なことだし、普段の生活の中では忘れがちなことだ。私が私であること、私がここにいることをわかってほしいと思ってしまうタイプなので、いつもこのフレーズがぐっとくる。
 ラストのサビ前の盛り上がりもやばい。こんなに元気出る!?と思うくらいに元気になる。それぞれの楽器がぐわーっとラストのサビに向かっていくのがめちゃくちゃいいし、特にこの曲はブラスサウンドを取り入れているのでぱーんと明るいトランペットの音が響いて否が応でもテンションが上がる。
 最後の最後まで元気たっぷりで、一曲聴き終わる頃にはなんだか元気をわけてもらったような気になるので、いまいちテンションの上がらない朝にオススメ。

 

Mr.Traveling Man

Mr.Traveling Man - TOKIO - 歌詞 : 歌ネット

 「願うのなら望むのなら立ち止まらずに進もう 渡り歩くこの世界はときに厳しいけど」というサビの歌詞が、立ち止まってしまった足を一歩前へ進ませる力をくれる。世界は明るくて美しいだけのものではないと歌うけれど、その先に希望を見出す歌詞に何度励まされただろう。勿論、そんなに悪いことばかりではないとわかっているけれど、人生の明るい面に目を向けられないほどつらいときはどうしてもある。つらいことが目の前にあって、それしか見えなくなってしまうときがある。そんなときは明るい曲よりも、「それでも進め」と言ってくれる曲のほうが心に響く。
 悲観したいわけではないけれど、世界が明るくて美しいなんて思いたくないときがある。それを認めてしまったら、今の私のこのつらい気持ちはどこへいくのだろう、と考えてしまう。つらい気持ちがここにあるのは事実として、その先へと歌ってくれる歌詞が心に響く。
 この曲と同じく清水昭男さん作詞作曲の太陽と砂漠のバラもオススメ。

 

NaNaNa(太陽なんていらねぇ)

NaNaNa(太陽なんていらねぇ) - TOKIO - 歌詞 : 歌ネット

 「いつの時代も悲しみは消えねぇけど」という歌詞を見ると、「Mr.Traveling Man」と世界観は遠くないように思える。TOKIOの応援ソングは現状のつらさを認めてくれる。そのうえで、それでも進めと歌うのだ。進んだ先に希望が待つと歌う。打破しなければならない現状と闘う力をくれる。
 この曲はMVも見ていて元気が出る。ドラマ「うぬぼれ刑事」の主題歌だったこともあってドラマに出演していた生田斗真さんもMVに出演している。彼女と別れた生田さんが部屋に帰ると天井や棚の中など「そんなところから出てくる!?」みたいなところからTOKIOが出てきてワイワイ歌って生田さんを圧倒し、励ます。生田さんは最初は驚いていたけれどだんだん楽しくなって最後は再び彼女の元へ急ぐ、というような物語だ。私の中のTOKIOはこの曲のイメージで、つらいときにワーっと元気をくれるような存在だと思っている。私がしんどいときにはTOKIOはベッドを突き破って出てきたり天井にはりついていたりしてくれないけど、この曲を聴くと明るく楽しい気持ちになって、いつのまにか悩み事を忘れてしまっている。

 

 背中を押された程度では頑張れないくらいに落ちているときはTOKIOを聴く。つらい現実に削られた精神も、TOKIOの奏でる骨太の音で再び燃え上がる。やる気を出すとか出さないとかではなく、正直もう頑張れないしやる気も出せないけどそれでもやらなければならないことがあるときはTOKIO。絶対にTOKIOとりあえずどうしようもないほどしんどい奴は黙っていますぐTOKIOを聴け!
 つい先日も、引越しのための片付けが心底つらすぎて(私はいわゆる「片付けられない女」なので本当につらかった。どうしたらいいかわからなくて泣いた)、物が散乱した部屋で段ボールを前に途方に暮れていたとき、このままではやばいと思ってTOKIOの応援ソングプレイリストを作成しリピートし続け、TOKIOに励まされながら部屋を片付けていた。どうにか間に合った。TOKIOがいなければ危うく引越しができないところだった。私の引越しを支えたのはTOKIOだった。
 大学に入って、上手くやれなかったときもTOKIOを聴いていた。就活のときにも聴いていた。渡り歩くこの世界はときに厳しい。でも、その先に何かがあるかもしれない。そう思いながらしんどい現状に立ち向かった日々を思い出す。今まで何度TOKIOに助けられたかわからない。
 「世知辛い世の中だけどやらなきゃならないんだよ。なんとかなるって、俺たちもいるんだからさ」というような雰囲気の曲が多くて、弱った心が鼓舞されてやらなきゃいけないことに取り組む気力が出てくる。TOKIOはきっと私の、そしてあなたの味方だ。

 

 

 私の「今このとき私がつらいことをわかってくれ」というわがままが全開の選曲となってしまった。でもつらいときはつらいんだから何かに頼ったっていいじゃないか。頼れる人がいないなら、誰にも迷惑をかけずひっそりと励まされたいなら、アイドルの楽曲に頼ったっていいと思う。
 曲を聴いたからってすべてが解決するわけではないけれど、ちょっとくらいは楽になれるかもしれない。しんどいあなたに、アイドルの歌う応援ソングが届きますように。

一難去ってまた一難去って一難 ―「トラブルマン」のススメ―

 加藤さんが「影の主人公」として出演しているドラマ「嫌われる勇気」の放送が始まった。番宣にも沢山出たし、見逃してもネットで1週間無料で見られるし、YouTubeにも予告やOP映像が公式で投稿されている。つまりいつでもどこでも青山くんを見放題というわけだ。
 というわけで(?)、青山役で加藤さんが気になり始めた方も元々加藤さんを知っていた方も、加藤さん主演ドラマトラブルマンはいかがですか?という話。

 

トラブルマン」とは

 2010年春クールのドラマ。テレビ東京系で金曜24:12~の枠*1で放送されていた。全12話。
 主演は連ドラ初主演となる加藤さん(放送当時22歳)。映画をメインに活動するSABU監督(ジャニーズ的に言うとV6の「ホールドアップダウン」「ハードラックヒーロー」、手越さんの「疾走」などを撮った監督)が原案・脚本・監督を務める。
 主人公・徳田は保険会社に勤務している。お人好しな性格が災いして、顧客に保険金をおろしすぎたためにクビに。落ち込みながら帰宅すると、アパートの周りには明らかに危ない風貌の男たちがうろついていた。その男たちは徳田と同じアパートに住むやくざの下っ端・尾崎を探していた。徳田は自分の部屋に入ったはずが尾崎と鉢合わせてしまう。そこからあれよあれよとトラブルに巻き込まれていく。
 
 詳しくは公式サイト(まだあった!)とWikipediaをご覧ください。Wikipediaはストーリーがだいたい書いてあるからネタバレを読みたくない人は注意。
 

ドラマ24「トラブルマン」:テレビ東京

トラブルマン - Wikipedia

 

 

トラブルマン」のここがオススメ

1.映画のような撮り方

 SABU監督が初めてテレビ作品を作ったのがこの「トラブルマン」。普段は映画を撮っているので、作りが非常に映画的になっている。12話のドラマというよりも映画を12分割した、というほうがわかりやすいかもしれない。でもやっぱりテレビだからできる、という部分もあって、映画とテレビのいいとこどりな印象。
 たとえば、ドラマの一話が終わって次の話に行くと数日が経ち場面が切り替わっているスタイルはよく見かける。いわゆる一話完結というやつだ。一方、「トラブルマン」は話の区切りでも場面が切り替わることはなく、基本的には「大家さんの部屋」という同じ場面がずっと続いている。
 「トラブルマン」は全12話だが、冒頭から最終話まで、作中の時間では一日も経過していない。昼から夕方くらいしか経っていない。そんなに話の進みが遅いのかといえばそういうわけでもない。前半は一話ずつ、徳田と同じアパートに住む人々の過去の回想が続いていく。最初に大家さんの部屋に住人が集うまで(物語の時間軸の起点)が描かれ、住人たちの抱える過去が暴かれ、それまで黙っていた主人公・徳田の過去が暴かれ、それからクライマックス(再び物語の時間軸に戻る)につながる*2。あまり連ドラ的ではない構造で、映画を12分割した感じ、と言っている意味がわかるだろう。ドラマを続けて観るのが飽きてしまう人でも観やすい。
 そういう構造なので毎週続けて観るよりも全話を一気に観たほうが話がわかりやすい。私もリアルタイムでは数話観た程度で(当時はまだNEWS担ではなかった)、何曜日の何時にやっているのか把握しておらず全話観るに至らなかったわけだが、DVD-BOXを買って一気に観た。たぶん一気に観るほうが合っているタイプの話なのではないかと思う。でも忙しくて一気に観られない!という人でも、ちゃんと次の話へのわくわく感があるので大丈夫。わくわくしながら次の話を見られる時間まで待とう。でも続きが気になって見たくなっちゃうから気をつけて!

 


2.加藤さん演じる「巻き込まれ型主人公」

 加藤さんにこの徳田という「巻き込まれ型主人公」の役をやらせようと思った人にはA5ランクのお肉の商品券とか贈らせてほしい。あまりにも似合いすぎている。
 現在出演中のドラマ「嫌われる勇気」の青山も蘭子に振り回されていて、その可愛さも相俟って話題となっている。少なくとも私の周辺ではめちゃくちゃ話題になっている。
 多分だけど、加藤さんは巻き込まれたり振り回されたりする役が似合う*3。本人がそういう性格かどうかはおいといて、似合う。絶対似合う。めちゃくちゃ似合う。
 なんていうか、加藤さんってどこかセカイ系の主人公っぽさがあると思う。自分から大きな世界にコミットするような冒険譚ではなく、世界の方から彼のもとにやってくるような感じ。私のイメージする「影の主人公」ポジションは「涼宮ハルヒの憂鬱」のキョン、「魔人探偵脳噛ネウロ」のヤコ。「巻き込まれ型主人公」だと「いちご100%」の真中淳平とか。作品が偏っていて申し訳ない。でもこのへんのキャラクターのようなポジションが加藤さんには似合うと思う。なんていうか、加藤さんって運命のほうから来るよね……(個人的な見解)
 しかし「トラブルマン」はただの巻き込まれ主人公かと思いきや……!?なところもあるので最終話まで必見。もう7年も前のドラマなのだからネタバレなんて書いてもいいだろうと思うけれど、できればまだ観ていない人にはあまり前情報のない状態で観てほしい(というかこの記事を読んだだけで「トラブルマン」の物語を把握してしまっては勿体ないので記述を控えたい)。たぶん検索すればいくらでも結末なんてわかってしまうし、そもそもさっき貼ったWikipediaを見たらだいたいわかってしまうので、結末を知ってから観たいという場合はそちらをご覧ください。

 


3.B級映画的面白さ

 一言で言おうとするなら、シュールでSFでシリアスでコメディなきみとぼくのセカイ系(B級)、といった感じ。この表現でびびっときた人は是非とも観てほしい。加藤さんとセカイ系は相性が良い。セカイ系という言葉は多様な意味を含むけれど、「若者(特に男性)の自意識を描写」「きみとぼくの世界」みたいな感じの物語のことを指して言っている*4
 あらすじにもならない大枠だけを言葉にすると、現実にはありえない要素を含みながら人間ドラマを描いたうえでなんだかよくわからないしこの先のことも世界のこともわからないけれどきみとぼくがハッピーっぽくなる、という感じ。私はそういう物語がとても好きなのでどっぷりハマった。特にラストシーンのセカイ系っぽさが最高に好き。「きみとぼく」という閉鎖的でミクロな世界を見る限り、この物語は間違いなくハッピーエンドだ。
 エンタメ作品として作られているので説教くさいテーマがあるというわけではないけれど、一貫して「過去にとらわれるな、前へ進め」ということが描かれている。だから徳田はひたすら走るシーンが繰り返されるのだろう。
 登場人物たちは過去に囚われながら生きているし、主人公・徳田は過去にも囚われているしこれから起こるだろうことも危惧している。そんな彼らがいろいろあった末に「過去なんて関係ない、前を向け、走れ!!!!!!!」というところに辿りつく。あまりにも前を見すぎて「とにかく!!!!!!!!!!!!走れ!!!!!!!!!!!!!!」みたいな状況になるけれどそこが面白い。観ていてすごくテンションが上がる。
 
 全体的にB級っぽいつくり(手を抜いているわけではない。B級っぽい)になっていて、現実にはなかなかありえない要素をキーとして話が進んでいく。若干の脚本の破綻(というほどでもないけれど、都合よく展開する部分)はあるにせよ、「こういうB級っぽい話にはそういうのもあるよね」で受け入れられる程度のものだ。むしろこういうタイプの物語では、きちんと筋が通っていて、起こる事象すべてに説明がつく時点で興ざめしてしまうだろう。探そうと思えばこの物語には穴なんていくらでもあって、でもそれはあえて空けてある穴なのだ。だから穴がそこにあろうがなかろうが関係ないし、「そこに穴があります!」と言うのはナンセンスなことだろう。そういうものを真面目に作っているから面白い、というものだ。「トラブルマン」はそういう類の話だと思う。
 「ドラマを見る」という行為の主導権は本来見る側が持っているものだが、いっそそれを手放して「ドラマを見る」という行為の主導権をドラマに握られるくらいの気持ちで見るとより楽しめるかもしれない。B級っぽさ、あるいは深夜ドラマっぽさを狙っているんだろうなと思う部分も多々あるので、そういうものが好きな人にはうってつけのドラマだ。
 しかしこれをゴールデンタイムで放送しても、まだ理性の残っている時間帯ではどこか白けてしまっただろう。普通の時間帯のドラマでは決してできない、深夜枠だからこそできる面白さが詰まっている。

 


4.加藤さんの演技

 連ドラ初主演となる加藤さんの演技もみどころ。演技の良し悪しはわからないので語りようがないが、少なくとも加藤さんの演技はこのドラマに合っているように思えた。
 加藤さんの状況に「巻き込まれる」、あるいは状況に「置いていかれる」という演技がすごく好きなのだが、このドラマはそのオンパレード。ちなみに他の登場人物は概ね徳田に対してぐいぐいくるので、とにかく困った顔を浮かべる場面が多い。「え?」と訊き返すときの声のトーンや「勘弁して下さいよ」とでも言いたげな顔がめちゃくちゃいい。そのあとに取り繕ったように「ははは……」と笑う顔もいい。笑ったところで何も解決していないところも含めていい。ちょっと委縮していて言いたいことを言えずにごまかす感じもすごくいい。
 また、アパートの住人たちの過去に触れることで徳田が過去を思い出すフラッシュバックが挟まれることがあるが、そのときの徳田の顔の憂いがすごくいい。加藤さんの持ち味(?)ともいえる憂いが活かされている。「あ、こいつ何かあるな」と思わせる表情をしている。
 全体的に「巻き込まれる」「置いていかれる」というスタンスの徳田だが、終盤には自発的に行動をとることになる。今まで一方的に流されるままだった徳田と、感情を発露し状況の主導権を握る徳田の対比がとても鮮やか。
 加藤さんの、急激に感情を発露する演技もすごく魅力的だ。ひとりの人間が抱えきれる量を超えた感情が、涙や叫びとなって現れている気がする。2016年の24時間テレビスペシャルドラマ「盲目のヨシノリ先生~光を失って心が見えた~」でも、加藤さん演じるヨシノリ先生が、見が見えなくなったことに対して叫ぶ場面がある。あの良さに繋がるものがこの「トラブルマン」の中にもあるように見えた。
 それと徳田はひたすら走る。第一話オープニングで走っているし、エンディングでも走っている。走るのは得意ではないということはこの時点で既に「走魂*5により実証済だし今見ると「変ラボ」の加藤さんも頭をよぎるが、速さはともかく懸命に走っている姿はなんだかぐっとくる。
 それと、ピンポイントだけど9話の徳田のモノローグがめちゃくちゃいい。映像として映っているのは無表情な徳田だが、心の中ではどんな顔をして喋っているかが容易に想像できる。表情のある声をしていて、すごく好きだなと思った。もしかしたら加藤さんは声の仕事も向いているのかもしれない。というか私が聴きたいので是非やってほしい。

 

 

5.主題歌

 主題歌はみんな大好き「BE FUNKY!」。曲だけを聴いても「前へ進め!」という強いメッセージが伝わってくるが、ドラマと併せて聴くとまた感慨深い。徳田が走っている映像とともに流れる「BE FUNKY!」の疾走感は清々しくて、さっきまで頭の中を支配していた嫌なことも吹き飛んでしまいそうな感じがする。
 歌詞も「トラブルマン」の内容を反映したものになっている。「悩んでないでススメヨ」とか「難解な人生もいっそタノシメ」とか、これらの歌詞は聴き手に向けたものでもあるし、同時にドラマの主人公・徳田に向けた言葉のようにも思える。
 更に言うと、個人的には加藤さん自身「BE FUNKY!」がものすごく似合うと思っている。「こんな輝く世界 止まらない 期待・愛・未来」なんて歌詞があって、しかも加藤さんがそのパートを歌っていることに何度も感謝している。そのせいで多重に意味が重ねられて加藤さんと「トラブルマン」と「BE FUNKY!」のどれもが愛おしく思えて仕方がない。

 


6.いいからとにかく見て

 あとなんかもう加藤さんのビジュアルが最高。長めの前髪と明るすぎないけど暗いわけでもない茶髪は、作家イメージ*6の強い今ではなかなか見られない。「結局最後は顔かよ」って感じだけどとにかく恰好いいしかわいい。DVD-BOXは5枚組で、各ディスクに加藤さんの顔(どれも最高)が印刷されているからそれを見るだけでも楽しい。まずBOXを開けたときに見えるディスク1からもう既に恰好よさとかわいさで体力が削られる。その後もディスクを入れ替えるたびに加藤さんの顔を見ることになる。しかもどれもいい瞬間を切り取った写真なのでもう最高。
 7話・8話あたりから怒濤の徳田のターンが始まるが、現在の徳田と過去の徳田のギャップも良い。現在の徳田はスーツ姿(ネクタイなし)で周りの人には敬語で話すし一人称は「僕」だが、過去の徳田は彼女と話している場面が多いため砕けた口調で話すうえに一人称も「俺」だし私服。大家さんの部屋ではどこか委縮したままの徳田が回想シーンでは柔らかく笑う場面もあって、いろんなギャップがぐさぐさと刺さりまくる。
 他にも様々なポイントがあるけれど、転んで地面に倒れたり返り血浴びたり殴られて口の中切れたり自分の頭に銃構えたり、とにかくおたくの性癖に刺さりそうな加藤さんがいっぱい見られるから是非!!!

 

 

トラブルマンDVD-BOX

トラブルマンDVD-BOX

 

 

 最終話のクライマックスの「なんかよくわからんけどハッピー!」って気分が最高。何がどうハッピーなのかよくよく考えるとわからないような気もするが、とりあえず世界は救われたし、NEWSの「forever」が流れる中で描かれる彼らはどこか晴れ晴れとしている。未来はたぶん明るい。一難去ってまた一難去ってまた一難去ってを繰り返し、いつかは明るい未来がくるのだ。
 とにかく、いろいろあるけど最終的にはいい感じになるからハッピー!って気分。ハッピー!元気のない日は最終話を観ようって思うくらいにハッピー!(この記事を書くために全12話観終わった感想)(あくまで個人の感想です)(ハッピーには個人差があります)(深夜に観終わりました)

 

 以上、是非とも「トラブルマン」を見てくれ!!!という話でした。「トラブルマン」はいいぞ!!!

 

*1:「勇者ヨシヒコ」とかの枠

*2:2話~6話あたりはアパートの住人たちの過去話。7話あたりから徳田の話になるので、前半で飽きずに後半まで見てほしい。特に8話から怒涛だから!!!

*3:そういえば「パパと娘の七日間」の健太先輩も、入れ替わったパパと娘に振り回されていたし、舞台「中の人」も巻き込まれていた

*4:セカイ系の話になるとよく出てくる「きみとぼく/社会領域/世界の危機」にも当てはまらなくはない

*5:かつて放送されていたレギュラー番組

*6:加藤さん的には黒髪&前髪分けてデコ出しが作家イメージなのだろうか。作家として表舞台に出るときはだいたいそんな感じ

ポップンで叩きたいNEWS曲

 今は全然やらなくなってしまったが、一時期はひたすらゲーセンに通い、音楽ゲーム(以下、音ゲー)に明け暮れていた。私が好きだったのはpop'm music(以下、ポップン)というゲームで、上から降ってくる音符的なもの(ポップ君)に合わせて9つのボタンを叩く、という単純なゲームだ。しかし単純だからこそ奥が深くて難しく、さほど上達はできなかった。ガチ勢というほどにもなれなかった。でも、ものすごく楽しかった。ちなみに私が一番やっていたのは14~16あたり(PS2の10、12も)。特に好きだったのは15の「Apocalypse -memento mori-」。
 昨年末の飲み会で同じくNEWS担でかつて音ゲーマーだった方と「NEWSのこの曲を叩きたい」という話題で盛り上がった。「それ書いてくださいよ」と言われたので、せっかくだから独断と偏見で選んだ「音ゲーで叩きたいNEWS曲」を書いておきます。
 


 この記事では主にポップンで叩きたい曲を挙げていくのだけれど、ボタン構成は以下の図のようになっている。

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画像はpop'n music 15のHow to play(◆・◆ pop'n music 15 ADVENTURE ◆・◆)より引用

 

 わかりやすくするために左側の緑のボタンは「緑L」というように名前をつけておく。左から、白L、黄L、緑L、青L、赤、青R、緑R、黄R、白R。

 

<用語解説>
階段:階段みたいに連なって降ってくる
螺旋:螺旋状に降ってくる。階段の一種
乱打:左右にバラけて降ってくる。規則性はあったりなかったりする。
トリル:隣接するボタンふたつが交互に細かく降ってくる

 

 

<<ポップンで叩きたいNEWS曲ランキング>> 

5位 Change the world   難易度 ★★★☆☆

 最初のラップがリズムが掴めないし乱打だし左右ぶっ飛んだ位置を叩かせるしでちょっと難しい。でも出だしでくじけずメロディがわかるところまで頑張ったらちょっと簡単になる。サビはメロディ叩いたりリズム叩いたり入り混じるので難しいなと思うかもしれないが、慣れたら結構楽にいけるようになる。大体は覚えたらいけるし覚えられない範囲ではないし覚えて簡単に叩けるようになったらめっちゃ楽しい。
 間奏のギターがちょっとめんどくさい。ギターの音がぎゅいんぎゅいんしているせいで音がわかりづらくてどこを叩いているのかわからなくなりがちなのでよく見て叩いて覚える。さっきから「覚える」しか言っていないけど覚えるしかない。ていうか叩いてたら頭に入ってくる。気付けば体が先に動くようになるから大丈夫。
 こういう系統の青春ロックも結構多く収録されていた印象があるので一曲は入れておかないと!と思って選曲。そんなに難しすぎないと思うので是非挑戦してみてほしい。脳内の譜面を叩くしかないけど。

 


4位 BYAKUYA   難易度 ★★★★☆

 NEWSでいえば「BYAKUYA」、嵐でいえば「Monster」、エイトでいえば「Dye D?」。この系列のダークファンタジー曲はめちゃくちゃ楽しい。ポップンでいうとダークネス。ジズ様。
 イントロの高い音は右手。最初はボタンひとつずつだけどだんだんと音が大きくなるにつれ同時に叩くボタンも増える。バイオリンの音は青黄、青赤あたりを往復するように叩く。上がってくるタイプの階段が複数回続くし、歌い出し直前はトリルになっているのでイントロから地味に疲れる。
 1番AメロBメロはメロディに沿って叩くのでそんなに難しくはない。曲が頭に入っていれば叩ける。
 サビはメロディに沿って結構細かく動く。「迫る媚薬」「甘い吐息で」とかが特に早く動くので手が結構忙しい。1番ならまだいいが、後半になってくると疲れて落としてしまうこともあるので注意する必要がある。「BLACK&WHITE」のところは同時押しが続く。もちろん「BYAKUYA」もがっつり同時押し。黄L赤緑R→緑L赤黄R→黄L青L青R黄Rとか(でも白も使いたい)。
 二番のAメロからはメロディじゃなくてバックのパイレーツオブカリビアンみたいな音を叩くことになるので注意。1番と同じ間隔でいると落とす。
 間奏に入ったばっかりのところとか絶対楽しい!コーラスが入ってくるところからはいろんな音が重なっていて、それぞれから美味しい音を拾ってきて叩く感じなので、どこを叩いてるんだかよくわからなくなる。勘で乗り切れるときと全くできないときがありそう。ハマらないと上手くいかない。上手くいったときもなんで上手くいったのかよくわからない。
 最後の「BYAKUYA」の同時押しでかっこよく決めた!と思ったら実はまだ青R→青Lが降ってくるから注意。気を抜いていると忘れてしまう。なんとなくだけど「BYAKUYA」は赤ボタンを多用してきそうな気がする。左右に割り振ってくれていたほうが私は叩きやすいので赤ボタンが沢山出てくる曲は難しい。

 

3位 星の旅人たち   難易度★★★☆☆

 イントロ部分はリズムを左手で、バイオリンを右手で叩く。リズムは基本的に白Lだけだが、右手とズレるので地味に難しい。ピアノを弾くような感覚に近いのかもしれない。でもピアノ経験者だけど左右でリズム/メロディが分離しているタイプの曲はめちゃくちゃ苦手だった……。左右で捉えていたら急に両手で同じになったりまた分離したりするので脳が追いつかない。でも叩きたい。Aメロも左はリズムを刻み続けながら右でメロディ。バイオリンのではなく歌のメロディをなぞる。Bメロでようやく両手でメロディを叩くようになる。
 サビはメロディに合わせて叩く。規則性はあまりないけどきちんとハマるとめちゃくちゃ気持ちいい。そこまで難しくはないけど叩けた感がある。サビが終わるとまたイントロと同じくリズム左手、メロディ右手になる。この不規則乱打→規則性のある動きへの転換とかめちゃくちゃ楽しい。
 間奏もメロディに合わせて叩く。サビに向かう前はちょっと同時押しだけどそこまで難しくはない。そこから一旦静かにサビがあって、最後のサビに向けて盛り上がる。体力もそこまで使わないし、安定して叩ける。
 イントロは特徴的だが、それ以外の部分は普通だしイントロで落としても回復できるので難易度はそこまで高くないと思う。気持ちよくクリアできる楽曲。おそらく初心者~中級者向き。

 

2位 四銃士   難易度 ★★★★★

 ポップンにもクラシック曲がいくつかあるが、大体難しい。「四銃士」も例に漏れず難易度の高い譜面になることが予想される。休みなく常に叩いていなければならないため最後の方には集中力と腕の力で勝負することになりそう。実際にポップン叩いてた頃に腕の持久力が足りずに押したはずのボタンが押せていなくてフルコンボを逃したことは数知れず。
 まずイントロから同時押しが攻めてくる。緑LR・白LR・黄LRを音の上がり下がりに合わせて移動しつつ時々緑L白Rみたいなのを挟んでくる感じ。歌い出しの前のメインのリフっぽいタッタタラララタッタ-のところは両手で細かくメロディを追う。もうしんどい!歌が始まるとメインのメロディとタッタタラララタッタ-が交互に来るのでしんどい。サビ前はジャッジャジャってなるところを叩いてサビのメロディに入るけど、右手がメインで左手がサブ(英語のとこ)を叩くのでまた忙しい。ちなみにサビは何度かあるけど、二回目には別のところ(バイオリンの音)を叩くことになるので注意が必要。せっかく流れを掴んでもまた別のパターンが襲ってくる初見殺し。ていうか初見じゃなくても殺される。オーケストラ曲だとどこの音を叩いているのかよくわからないし、そもそも譜面が難しいので覚えようと思っても覚えられない。頑張るしかない。
 間奏の部分(電子音アレンジが効いているところ)が鬼門で、タッタタラララタが繰り返される上に大サビに向けて盛り上がっていくバイオリンの細かい音が続くので腕が疲れる。大サビ(「戦いはいつでも」)直前は連打。大サビで一瞬落ち着くけれどそのあとにくる最後のサビで腕がもっていかれる。「いざ立ち上がれ」の伸ばしている箇所(「上がれ」)とか、「あ」で白LR交互連打→「が」で黄LR交互連打→「れ」で再び白LR交互連打とかで疲れた腕に追い打ちをかける。最後まで休めるポイントがない、なかなかにしんどい譜面になりそう。
 まぁ4分くらいある曲をフルで叩くことは滅多にないので(過去はロング曲が用意されていたけど16からなくなったはず)、こんなに疲れる曲を実際に叩くことはないのかもしれない。でも叩くならフルが良い。

 

1位 愛のエレジー   難易度 ★★★★☆

 堂々の1位。というかこの曲のためにこの記事を書いたといえるくらい叩きたい。「Love Adicction」「ロメオ2015」など、小山さんソロ曲は叩きたくなる曲が多いのだが、その中でも群を抜いて叩きたいのがこの「愛のエレジー」。
 和の要素を取り入れた楽曲と音ゲーは親和性が高く、ポップンでも「凛として咲く花の如く」「たまゆら*1などの和要素のある楽曲は人気が高い。ハイパージャパネスク「夢幻ノ花」もいいし萌えポップ「おやしろのムスメ」とか大正ロマン的な要素のあるトーキョーロマン「恋する東京」も好き。太鼓や琴の音が入っていると叩きたくなるのかもしれない。
 Aメロ1は主メロに沿って、Aメロ2からはベースと琴の音を叩く感じ。「懐かしい香りがした」のあとに鳴ってる琴の音とかすごく叩きたい。Bメロはカッカッって感じで鳴ってるリズムの部分を叩いて、サビ直前の「タラタタタタ(最後の音がサビの始まりと被るとこ)」の盛り上がり(緑LR→青LR→黄L緑R→緑L黄R→黄LR→白LR、と同時押しが続く部分)に繋げていく。サビは乱打。この曲で一番叩きたいのは間奏。デンデンデンという三味線みたいな音(最初は青L×3でだんだんと黄L青L×3とかに増えていく)と細かな琴の音(階段)が繰り返される感じとかたまらなく楽しい。
 最後のジャッジャージャン!のところは白L緑L黄R白R→白L黄L緑R白R→白L緑L黄L黄R緑R白Rみたいな感じでいっぱい同時押し。油断してると落としそうだけど決まると楽しい。
 絶対楽しいのでNEWSは早く音ゲー界に参戦してください!!!

 

 惜しくもベスト5選外となったのは「push on!」「あなた」など。ちなみに初心者が叩きやすいのは「シャララタンバリン」「ささぶね」など。リズムがゆっくりめで音の数が多すぎない曲が楽に叩けると思う。

 言葉だけで書いてみたけどなんのことだかわからないな!わかる人は一緒に脳内譜面を叩きましょう!あと他の人の脳内譜面も覗き見したいので叩きたい曲を是非語ってください!

*1:2曲とも元々はKONAMIの別の音ゲーの曲だけど

この世にたったふたりのふたり

 あけましておめでとうございます。本年も宜しくお願い致します。当ブログでは私の主観を通して見る私の好きなものを今年も書き綴っていこうと思います。
 というわけで新年早々シンメの話をします。

 

 

 突然だが私はシンメが好きだ。
 シンメトリーという言葉から生まれた単語で、主にジャニーズ界隈で使用される「シンメ」という言葉。はてなキーワードの説明文を見てみると、ダンスの位置が左右対称である程度の意味しか説明されていないが、多くのジャニオタにとって「シンメ」はそれ以上の意味を持つ。それも、言語化するのが非常に困難な意味を。「担当」という言葉に費やす情熱を上手く言語化できないのと同じで、「シンメ」という言葉も表面的な意味以上の意味をもっている。
 
 あくまで個人のシンメ観に基づき、どう思っているかを言葉にしておこうと思う。
 
 本人たちの意思に関わらず決定されるのがシンメだ。こいつがいいと思っていようが、誰だこいつと思っていようが、選択肢なんかない。運命も偶然もない。あるのは上の人の思惑だけで、それもあるんだかないんだかよくわからない。何を基準に決められたのかわかるシンメもあればわからないシンメもある。そういう漠然と混沌の中からシンメは生まれる。
 最初は互いに自分の人生の「その他大勢」だったかもしれない相手が、いつしか唯一無二になる。どれだけ世界が広がって関わる人が増えていっても、互いの特別さは揺るがない。私の好きなシンメはそういった関係性だ。

 

 

・シンメの入り口

 私がシンメの魅力に気付いたのは関ジャニ∞のヨコヒナである*1
 横山さんが構成を考えていたエイトレンジャー(映画じゃなくてコンサート内で披露されるコントのほう)は、概ねナスレンジャー(村上さん)がキーマンとなっていた。村上さんもそれに応えるだけの力を持っていたし、横山さんは誰よりも村上さんを活かすことができる人だと思う。
 私は基本的には「ドッキリ」というものがあまり好きではない(人が恥をかかされ笑われる様子を見るのが嫌)なので、PUZZLEのDVD特典として収められている「Babunマン」を初めて見るときはすごく緊張した。次々と仕掛ける横山さん。次々と騙されていく村上さん。こんなに素直に騙されて、ネタばらしされたときにひどく傷ついてしまうのではないかと怖かった。
 しかし、ネタばらしをされたときの村上さんの第一声は「俺いまめっちゃおもろいやん!」だった。やばい、この人すごい、と思った。しかし、村上さんがこれだけ面白くなったのも、村上さんに嫌な思いをさせないのも、仕掛けたのが横山さんだからだ。長年一緒にやってきて信頼関係を作り上げ、村上さんを知り尽くしている彼だからこそできることで、他の人には絶対にできない。仕掛ける側が横山さんで、騙される側が村上さんでなければできない。その圧倒的シンメ力に私は完敗したのだった。別になんの勝負もしてないけど。
 村上さんも村上さんで、横山さんのちょっとだらしない部分をしっかりサポートする。ファンが見ることのできる部分では、トークの場面などで発揮されることが多いように思う。最近ではなかなか目にする機会がなくなってしまったが、かつてのレコメンやヒルナンデスなどでよく見られた。
 どちらが前に出てどちらが一歩下がるか、その配分が抜群に上手い二人。その配分を、頭で考えているというより体に染みついた技であるように見えるところが、二人の唯一無二感を更に印象付ける。二人の唯一無二を見せつけられたとき、心が動かされる。これが「尊い」という感情なのかもしれないと思った。これが私のシンメの目覚めである。

 

 

・ジャニーズ以外におけるシンメ的な存在

 ヨコヒナを通してシンメの魅力に気付いた私は、以前からこのシンメに似たものを知っているということにも気付いた。
 ポルノグラフィティのお二人である。ボーカル、ギター、ベースで構成されていたスリーピースバンドは、デビュー5周年を迎える前にベースを欠くこととなった。いつのまにか、二人の期間が三人の期間に並び、追い越し、今では倍以上となった。
 高校時代、ギターの新藤さんがバンドを組みたくてメンバーを探したのがきっかけとなって結成されたという意味では自分たちの意思で組まれたバンドだが、その頃には二人になるとは思っていなかっただろう。デビュー前にドラムがいなくなり、デビューから5年してベースがいなくなった。二人になる予定はなかったのに二人になった。そういう意味で、成り立ちはシンメと似ていなくもない。
 三人から二人になるとき、解散も考えたのだという。どちらかの家で話すのも店で話すのも気まずくて、二人の家から真ん中くらいにある公園で話しあったというエピソードが、2013年になって語られた*2。二人になったのが2005年のことで、随分あとになってこのエピソードを知った私はとても怖くなった。二人が今の"二人"でなかった可能性が十分にありえたことを、今更になって知らされたことがとても怖かった。

 新藤さんと岡野さんは、二人で続けていくことを選んで今に至る。新藤さんはバンドをやりたくて高校時代にバンドを組んだのにドラムが抜けベースが抜け、ぎりぎりスリーピース「バンド」と呼べていたものがもう呼べなくなった、という話を当時のエッセイに書いている。メンバー加入や解散して新たなバンドを組むことも選択肢にはあったのかもしれない。それでも、彼らが選んだ道はバンドという形態を捨てて二人で「ポルノグラフィティ」を続けるというものだった。
 シンメ的な尊さは、"二人"であることを強いられた二人が、"二人"であることを選びとるところにある、と私は思っている。ポルノグラフィティが二人になった経緯はまさにこの尊さに当てはまる。ジャニーズのシンメのように小さい頃から時間を共有しているわけではないが*3、互いに互いを活かしあう関係を築いている。
 新藤さんがメンバー紹介で岡野さんを紹介するとき、「俺の最高の顔見知り」と表現したことがある。近くもなく遠くもない、あるいは近くて遠い、二人の関係性を示すとても優しい言葉だと思った。
 ポルノグラフィティが三人のままだったら、きっと今と同じように好きでいるだろう。しかしもし解散してそれぞれ別に音楽をやったとしたら、私はそれを好きにはならないだろう。
 実際、新藤さんが現在やっている別ユニットには興味がない*4。どちらかといえば新藤さん寄りのファンであるにもかかわらずだ。私が求めるのはポルノグラフィティの新藤さんで、それはつまり岡野さんの隣でギターを弾く新藤さんだ。私にとっては「ポルノグラフィティ」でなければ意味がない。
 しかもこの前のシングル「LiAR/真っ白な灰になるまで、燃やし尽くせ」はその構成から既にシンメみたいな構造だしね!みんな聴いてね!

 

penguinkawaii.hatenablog.com

 

 

 

・シンメ×2で構成されるNEWS

 テゴマスは「歌」を軸に結成されたシンメだ。テゴマスとしてのCDデビューからもう10年が経った。
 二人の歌声はお互いを活かしあう。テゴマスの歌声を語るときに必ず言ってしまうのだが、手越さんの声は高く響き、増田さんの声は広く響く。二人で歌えば、縦と横に声を響かせることができる。声が混ざり合いながら、しかし混ざり合いすぎることはなく、互いの声がちゃんと独立して聴こえるのに、ひとつの音楽として成り立つ。NEWSでは様々なパターンのペアでのハモりがあるが、単純に音だけ聴いたときに互いを活かしあう声の組み合わせというとテゴマスに勝るものはない。
 テゴマスを指して「戦友」と呼んでいる場面を時折見かけるが、まさに二人は歌を武器にして闘ってきたように思える。歌を軸に結成されているからこそ、歌で負けてはならない。「テゴマスの青春」コンサートにてアカペラで披露された「青いベンチ」を聴いて、二人が歌に自信を持っていること、互いの歌を信頼していることが伝わってきた。
 しかし、歌以外の要素に目を向けると、さほど共通点は見えない。キャリアの長いJrだった増田さん、事務所に入ったばかりだった手越さん。昔のエピソードを振り返ってみても、もう一方のシンメのようにべたべたした付き合いはないように見える。
 歌以外で二人に共通点があるとしたら、それは「プロのアイドル」という意識だろう。常に完璧であろうとする姿勢。自分にミスを許さない姿勢。だからこそ二人は「戦友」だ。傷は舐め合わない。傷を負ったって平気なふりをする。共に戦う仲間でありながら最大のライバルでもある。
 テゴマスの現場は青春コンしか行っていないが、そこで見たMCが二人の関係性を示しているようでとても微笑ましかった。「月の友達」に出てくるキャラクターを「うーちゃんって名前にしよう」と提案する増田さんと、「もう終わった公演では月の友達って言ってたよね?」と戸惑う手越さん。結果、よくわからないままその話題は終わる。投げっぱなしである。
 サイリウム型ペンライトについての説明も、「青春といえばサイリウム、次の日には消えてしまっているのがまた青春」という増田さん、一方で「もったいないでしょ」という手越さん。そしてその間をとって作られた、サイリウム型ペンライト。
 お互いに、いまだに未知の存在であり続けているのだろう、と思う。お互いのことはわからないしわかってほしいとも思っていない。相手の歌声を知っていればそれだけでいい。「QUARTETTO」オーラスのMCで加藤さんと小山さんがトイレに行っているあいだ、即座に歌って場を繋ぐことを決めてその場で音合わせをして歌っていたのも、二人の信頼関係を見せつけられたような感じがした。
 二人の関係性をイメージするとき、「背中合わせ」だと思う。お互いのことは見ていなくても歌声は届く。そこにいるのがわかるから、背中を預けて闘える。二人にあるのはそういった信頼関係だ。でも私知ってるよ、増田さんの「話題がファッションしかない」というところに唯一触れられるのは手越さんしかいないってことを。離れようとしても磁石みたいにくっついてしまうふたりだってことを。
 
 NEWSのもう一方のシンメ、コヤシゲはイメージでいうなら「向かい合わせ」。向かい合ってお互いのことをひたすらよく見て、お互いのことを誰より理解できていると言外に思わせるような、そんなふたり。
 2017年初頭、いきなりコヤシゲがシンメたる所以を見せつけてきた。「有吉・櫻井 THE夜会」で放送された二年振りの夜会にて、2011年の話が出てきた。「2人になってもNEWSやろう」という加藤さんからのメールの話をして小山さんは「(シゲは)俺の事を大事に思ってくれてる」と言っていた。
 自分が誰かから大事に思われていると実感できることってそうそうあるわけではないし、すごく幸せなことだと思う。しかもそれが、仕事上最も身近なところにいるメンバーなのだからきっと幸せなことだろうなと思う。更にはそれを言葉にして相手に伝えているのだから、なんかもうすごいな、としか言葉が出ない。加藤さんも加藤さんで「その想いは変わってない」と小山さんの言葉に被せ気味に断言する。相思相愛という言葉すら安っぽく思えてしまうくらいに、ふたりの間にはふたりにしかわからないものがあるのだろう。
 小山さんが加藤さんの言葉に嬉しそうに頷くのも、とてもいいなと思った。きっと小山さんにとって加藤さんは、欲しいときに欲しい言葉をくれる人なのだろう。そういう相手になんて、なかなか巡り会えるものではない。それが同じグループにいるということ、しかもシンメであることって一体どれほどの奇跡なんだろう、とどこかで聴いた歌詞のような感想を抱いた。
 また、NEWSが4人でやっていけるかどうかというときに、加藤さんは小山さんのサポートに徹したという話(詳しくは2015年Myojoの1万字インタビュー、2012年+act mini vol.19等)もぐっとくる……というかむしろ、どちらかというとぞっとする。「俺がどうしたいとか、いい。この4人でいられたら、それでいいって結論で、」*5と加藤さんは語っているが、もしそれで小山さんが諦めてしまったり上手くいかなかったりしたときはどうするつもりだったのだろうか。勿論小山さんのバックアップをしているのだから何もしていないわけではないけれど、基本的には小山さんのやりたいことをバックアップするのであってそこに加藤さん自身の意思が反映されているわけではない。決して軽くはない自分の行く末を他者にまるごと託すことができるなんて正気の沙汰じゃない、と私には思えてしまう。だって、何があっても自分のせいにできるんだから、他者を信じるより自分を信じたほうが楽だし。でも小山さんと加藤さんが築き上げてきた信頼関係の中では行く末を託すことが可能だったんだろうと思うと、私には絶対にわからない未知の領域なんだと白旗を降るしかない。
 コヤシゲは自分たちの関係を「親友」「ソウルメイト」と表現する。私にはそう呼べる関係の人がいないから、一体どんな気持ちで自分たちの関係に「親友」「ソウルメイト」という名前をつけるのかよくわからない。きっとそこにはふたりしか知らないことがあるんだと思う。2015年Myojoの1万字インタビューで、加藤さんは小山さんに言われて心に残っている言葉を教えてくれなかったくらいだから。
 言葉にするのが難しいけれど、このふたりは互いへの執着が強いように思える。きっとふたりで手を取り合わないと乗り越えられないものがあったのだろう。私が知るすべもないことだけれど。
 


 
 私はシンメが大好きなのでシンメにばかり目が向いてしまうけれど、今のNEWSはシンメ以外でペアを組むことも多い。新曲「EMMA」は小山さん・手越さん/増田さん・加藤さんでAメロBメロの歌割が対照的になっていて、なんだか新鮮に感じた。今後はもっと多くなってくるのだろうと勝手に思っている。しかしだからといってシンメのよさが失われるわけではない。シンメ以外のよさが更に発見されるだけのことだ。

 

 なぜこんなにもシンメに惹かれるのか。私とは全く関わりの無い他者同士の人間関係を取り上げて語るなんて気持ち悪いなと思いながらもやめられないくらいに惹かれている。
 他の人がどうなのかはわからないのであくまで個人的な考えを述べると、「自分は絶対に手に入れられない関係」だからだと思う。
 友達よりも密で、ビジネスパートナーとしても成立している。最も近くにいる味方であり、最も近くにいるライバルでもある。シンメとは、非常に特殊な関係性だ。そもそもそういう関係性は、一般の世界に生きていて生まれるものではないのだろう。芸能界という特殊な場所だからこそ生まれる。
 私はそもそも中学までの知り合いとは全く連絡を取っておらず、高校からの友人が数人、大学からの友人が数人、それ以降に(主にネット経由で)知り合った人がそこそこの人数、といった交友関係の中で生きている。その中に、「親友」と呼べるほど特別な誰かはいない。信頼を置いている友人たちはいるが、それは「親友」とはまた違うと思う。ジャニオタの方々がよく言う「相方」という存在もいない。私に見えている世界は私だけのものだから他者とは共有できないものだけれど、それでも隣に誰かいたら違うのかな、と思うことはある。
 ないものねだりはよくないと思いながら、私は今日もシンメに惹かれる。

 

 

*1:丸山さんが一番好きだが、シンメとして一番好きなのはヨコヒナ

*2:ポルノグラフィティが語る“メンバーの脱退”と“分岐点”に、SMAP・中居も共感。 - エキサイトニュース

*3:とはいえ高校の同級生ではある

*4:はじめはCDこそ買っていたものの積極的に好きにはなれなかった。だからといって嫌いだとかやめてくれだとか思っているわけではない。自由に楽しくやってくれればそれでいい

*5:+act mini vol.19 インタビュー

さよなら私の亡霊

 勢いだけで書いたはいいけれど、どこかに置き場が欲しかったのでここに置いておきます。あとで消すかもしれない。

 

 

 ポルノグラフィティの歴史を紐解いていくと、Xというバンドの名前が出てくる。高校生の頃、彼らがコピーしたバンド。文化祭でやった「紅」という曲の話。友達がスモークの代わりにドライアイスをたいてくれたとか、父ちゃんの釣りベストを裏返して着ていたとか。
 そんな彼らがニコ生のYOSHIKI CHANNELに出演することになった。これは見なければいけない、と私の中から声がした。今まで一度もニコ生の有料放送は見たことがなかったし、そもそもニコ生すらほとんど見たことがなかったけれど、とりあえず864円を払えばいいということだけ把握したのでチャンネルに入会し、始まるのを待った。


 正直なところ、YOSHIKIさんについては「X(X JAPAN)というすごいバンドのすごい人」という認識で、「すごい人」というのはわかっていたしテレビで演奏を見てすごいなと思ったけれど、リアルタイムで楽曲を聞いていたわけではないので深くは知らなかった。「ポルノの、特に新藤さんの憧れのバンドの人」という認識だった。
 始まってすぐ席を外さなければならなくて、戻ってきたのは12時50分くらいだったと思う(前半の話もとてもよかったと聞いたので早くタイムシフトが見たい)。慌ててPCの前に駆け寄ると、ちょうどセッションが始まる直前だった。
 岡野さんも新藤さんも、緊張しているのがすぐにわかった。途中から見始めたけれどリハなしであることもすぐにわかった。YOSHIKIさんがピアノの前に座り、何かを弾き始める。何度も何度も、私の人生の半分以上聴き続けたメロディだった。サウダージ
 岡野さんが歌い出して、新藤さんもギターを弾き始める。聴き慣れた曲が新たな色合いを帯びている。しかしだんだん合わせるのが難しくなり、岡野さんの歌が途切れる。困った岡野さんが新藤さんを見ると、ギターの音がメロディを先導して岡野さんの歌声とYOSHIKIさんのピアノを繋ぎ止めた。曲が終わり、YOSHIKIさんがサウダージを好きだと言ってくれた。私の憧れの人の憧れの人が、私の憧れの人を認めている。すごい瞬間を目にしている、ということだけはわかった。歴史が刻まれた瞬間を目撃してしまった、と思った。
 そしてもう一曲、今度は「ENDLESS RAIN」。岡野さんは歌い出しから歌が上手くて、歌が上手い以外の言葉が出てこないくらい歌が上手かった。原曲はテレビで聴いたことがある程度だったけれど、ニコ生のコメントを見る限りキーを下げてあったようだった。そのせいか、YOSHIKIさんは少し弾きづらい部分もあったのかもしれないけれど、とても楽しそうな顔で演奏しているように見えた。新藤さんが弾いたギターソロはとても優しい響きだった。どこか誇らしげにギターを弾く新藤さんの姿。コメントを見ると、「完コピだ」という言葉がいくつも見えた。かつてギター少年だった頃の新藤さんの姿が、一度も見たことがないはずなのに見えた気がした。憧れと共に、憧れを演奏しているから、あんなにも誇らしげだったのだ。ギターが始まる前のところから完コピしてたんです、と話す新藤さんはとても楽しそうだった。
 セッションが終わり、YOSHIKIさんはポルノの二人にツアーがあるのかどうか尋ねた。あったら行きたいということも言っていた。新藤さんは「昔の自分と邂逅できた、誇らしい気持ちだった」というような内容を話していた。私の見たものは間違いじゃなかったんだ、と思った。記念撮影のときは、二人ともまるで少年のような、とてもいい表情をしていた。


 ポルノが出ている第一部が終わった。なんだかとても、晴れやかな気持ちだった。
 なぜこんなにも晴れやかなのだろうと思ったけれど、それは多分私の中にいた亡霊が成仏したからだと思う。
 私もかつて音楽ですごくなりたいと思ったことがあったし、文章を書くことですごくなりたいと思ったこともあった。すべて、ポルノグラフィティという私の憧れに届きたかったからだ。ポルノグラフィティと共に音楽を奏でられたらと思っていたし、新藤さんの書く文章に憧れていた。中学生の頃の私は、手が届く気がしていた。手が届くといっても、追いつくという意味ではない。憧れと対峙することができるとか、認めてもらえるとか、そういう意味だ。いつかあの憧れに手が届いて、認めてもらえる日が来るに違いないと思っていた。高校生の頃、進路を決めるときまでは思っていた気がする。いつからか、憧れは届かないから憧れなのだと思うようになった。私にはそれだけの実力が備わっていなかったし、それ以上はどう努力すればいいのかわからなかった。
 でも、私の憧れの人は、憧れの人に出会い、ちゃんと届いた。音楽が届いて「この曲が好き」と言われたり、「ツアーに行きたい」と言われたりしていた。とても楽しそうな顔で演奏をしていた。私はそれが嬉しくてたまらなかった。
 私の憧れの人が憧れの人に届いたことで、憧れに届きたかった私の亡霊は静かに成仏していった。だって私は自分でその道を断ったのだ。これ以上は努力してもどうにもならないだろうと諦めた。多分やろうと思えばいくらでも努力する方法はあった。だけど私はそれを選ばなかった。その決断をしたのは間違いなく私だ。そうやって、私は憧れに届きたい私を殺した。
 間違った選択だったとは思っていない。後悔もしていない。だけど、行く宛てのない気持ちは亡霊となって残ってしまっていた。私もあんなふうに音楽をやりたかったし、あんなふうに言葉を紡ぎたかったし、できると思っていた。そうだったね、そんなふうに思っていた日々もあったね。
 この生放送を見なくちゃいけないといった声は、私の亡霊のものだったのかもしれない。憧れの人が憧れの人に届くのを見届けて、とても優しくてあたたかな気持ちで満たされて、私の中を彷徨っていた亡霊は今夜消えた。だからこんなにも晴れやかな気持ちで夜中の3時を迎えているのだ。だからこうやって時折目元を拭いながらこの文章をしたためているのだ。

 

 さよなら、私の亡霊。
 なんだか今年はいろんなものとさよならをした気がする。ちょっとずついろんなことを過去にしていく。振り返ってみたら、こんな私でももうそこそこの年数を生きてきたらしく、相応にいろんな出来事があった。少しは大人になれただろうか。どうだろうな。まだわからない。
 そろそろ寝なくちゃ。

 

 いてもたってもいられずiTunesで「ENDLESS RAIN」を購入した。新藤さんが誇らしげに弾いていたギターソロを思い出して、つい口元が綻んで、またちょっとだけ涙が出た。

 

 

加藤シゲアキ作品における文章表現の面白さ #にゅすほめ #しげほめ

 レポートみたいなタイトルになってしまったけれど、#にゅすほめ の参加記事です。

www.adventar.org

 

 

 小説家・加藤シゲアキを推したい!!!!!
 勿論アイドル・加藤シゲアキが第一だけれど、そのアイドル・加藤シゲアキが小説家・加藤シゲアキの顔を持っていると思うと更に好きになる。加藤さんが居場所を守るために身につけた「小説家」という武器を、もっともっと世にしらしめたい。
 つまらなかったりすごいと思えなかったりしたら語ることはできないけれど、面白いしすごいから語るしかない。私が大学生だったら加藤さんの文章表現に就いていくらでもレポートが出せたのに、と悔しくなるくらいだ。どうしても加藤さんの小説についてそこそこ詳細なレポートを書きたい!ていうか読みたいのにない!ないから書くしかない!!!
 もっと素直にしげほめしようかとも思ったけれど、今の私には加藤さんのことはちっともわからないから難しい。でも加藤さんの書いた小説のことなら、少しはわかる。
 そこで、今年のにゅすほめは、加藤さんの小説の文章表現について「ここが好き」「ここがやばい」を語ろうと思う。物語の考察は別の機会にしているので*1、今回は文章表現を中心に書いていきたい。

 ※大学で文学をかじったとはいえ専門的な知識はほぼゼロだし解釈はあくまで個人的なものなので、ひとつの可能性を示すにすぎないものと思っていただければ幸いです。

 

 

 既に出版されている『ピンクとグレー』『閃光スクランブル』『Burn.-バーン-』『傘をもたない蟻たちは』のネタバレには配慮しておりません。「チュベローズで待ってる」については、物語の展開に関わらないような部分(ラジオで言及されたことのある部分)について触れています。

 

 

各作品における文章表現のここがすごい

 長編3作品について、ここがすごい!と思う文章表現をピックアップする。それぞれ「加速」「省略」「回帰」と名付けているけれど、専門用語というわけではなくて私が勝手にそう思っているだけなのであしからず。

 

『ピンクとグレー』における加速

 『ピンクとグレー』はだんだんと加速していく物語だ。読んだ人ならどういうことかわかるのではないかと思う。『ピンクとグレー』は章ごとに現在と過去をいったりきたりするような構成で書かれている。第一章の24歳の時点が物語の軸(現在)となり、第二章では9~11歳(過去)へ飛ぶ*2
 そのため、前半部分はストーリーの進みが遅く感じられる。第一章の時間軸が物語における現在であるため、そこから過去に飛べばページが進んでも物語の中の時間は進まないのだから、話がなかなか進展しないように見えるのは当然のことだ。
 しかし第十章、りばちゃんが同窓会へ行ってごっちと再開するところからは時間軸が物語そのものの時間軸と合致する。そこからの加速がすごい。前半部分の停滞はこの加速を更に強くするためにあったのだと、そこも込みの演出としてこの構成にしたのではないかと思う。時系列を追って物語を書いてもこの加速は生まれない。だんだん速くはなるかもしれないが、ここまでの加速にはならない。現在と過去を繰り返して前半の進行をわざと停滞させたことで、加速し、転げ落ち、それでも止まれない、更に加速していく、そんな制御不可能な疾走感が生まれるのだ。
 停滞していたりばちゃんの物語は、ごっちと再会したことによって動きだし、加速する。ラストをより狂気的に、より美しくするために、27歳と139日目に向かって加速していく。りばちゃんがごっちを演じることで自分の中にごっちを再生していき、自分がりばちゃんなのかごっちなのかわからなくなり、首を吊るシーンを撮影しながら幻惑の世界に陥っていく狂気的なラスト。ごっちが自分で自分を止められなくなっていく様子や、誰も触れない世界にごっちとりばちゃんがいる感じが、この狂ったような加速によって更に強調されている。

ピンクとグレー (角川文庫)

ピンクとグレー (角川文庫)

 

 

 


閃光スクランブル』における省略

 省略、といっても言葉を略しているという意味ではない。文章そのものが省略されていて、そこがとても良い。
 該当箇所は巧と亜希子の逃避行のところ。1カ月にも及ぶ逃避行は最初の長瀞のあたりしか描かれていない。

 あの蛍と星の瞬きから一ヶ月間、マスコミと事務所関係者に追われながらもなんとか巧と亜希子は逃避行を続けた。秩父から上信越自動車道を北へと抜け、新潟から金沢、そして長野、名古屋を抜け、東名高速道路で今二人は東京へ向かっている。

 という短い描写でまとめられている。
 しかしそのあとの巧と亜希子の様子や渋谷で写真を撮るに至ることを考えると、二人にとって悪いものではなかったことがわかる。でも、具体的に何をしていたのかはわからない。巧と亜希子の逃避行は、作者の加藤さんしか知らないし、加藤さんすら知らないかもしれない。
 省略されているということは、きっとこんなことがあったんだろうなぁと想像する余白が残されているとも考えられる。どんなことを考えても正解ではないし、不正解でもない。
 この省略というテクニックは小説に限った話ではなくて映画などの映像作品でも漫画でもしばしば見かけるものだけれど、前作『ピンクとグレー』は時間軸をバラバラにしているものの作中に明確な意図を持った省略は見受けられなかった。何があったのか、主人公であるりばちゃんが知るところの物語は詳しく書かれている。『ピンクとグレー』は読まれることはある程度頭にありながらも(だからこそ加速するような構成になっていたんだと思うけれど)一番の目的は「読まれる」よりも「書きあげる」だったような印象を受ける。出版されるかどうかわからない状態で書いていたし、何より初めて書きあげた長編小説なのだからそれは当然だろう。加藤さんが加藤さんのために書いた、りばちゃんによるりばちゃんの物語が『ピンクとグレー』で、つまり余白を許さない物語だった*3。そんな『ピンクとグレー』のあと、加藤さんはどんな小説を書くのだろうと期待と不安の入り混じる気持ちでいたから、『閃光スクランブル』で読者に物語を委ねてくれたような気がして嬉しかった。当時からメールを送るタイプのシゲ部リスナーだったらめっちゃ送ってたと思う。
 また、文庫版は改稿が行われているが、その際には加筆よりも削除のほうが多く行われている。第一章を見比べてみると、主人公・巧の心内文がカットされており、巧のキャラクターを読者の想像に委ねる余白を生んでいる。

閃光スクランブル (角川文庫)
 

 

 


『Burn.-バーン-』における回帰

 『Burn.-バーン-』を読んで、今までの二作に比べて格段に構成のテクニックが上がっている、と感じた。元々持っている物語を作る発想力や言葉のセンス、書きあげるスタミナに加えて、構成のテクニックが身についている。現在と過去を行き来しながら物語が進行するという構成は『ピンクとグレー』と似ているが、『ピンクとグレー』の場合は読者が知らないことをりばちゃんは知っているということがありえたが、『Burn.-バーン-』は「失った記憶を取り戻すためにレイジが物語を執筆する」というスタイルで進んでいくため、読者の知らないことはレイジも知らない。主人公とともに話を追っていくことで読みやすくなっている。
 『閃光スクランブル』は「ここにこういうテクニックを使っている」というのがわかる部分があったが、『Burn.-バーン-』ではごく自然に取り入れられていた。アイドルの書いた小説が出版されたのではなく、加藤さんは読ませる小説を書く力を持ったアイドルだった、ということが、この本で証明されたような気がしている。「渋谷」と「芸能界」がモチーフとして使われているものの、それらはあくまでモチーフであり主軸ではない。加藤シゲアキという作家の羽ばたきが聞こえるような気さえする一冊だ。
 そんな『Burn.-バーン-』で一番ぐっときた表現が、最初と最後が同じ文、という構成だ。「ただいま」という台詞で始まり、終わる。初めて『Burn.-バーン-』を読んだとき、この仕掛けに気付いたとき、泣くしかなかった。私が加藤シゲアキという小説家を甘く見ていたことを思い知らされたような気がした。なんの不自然さもなくすっきりと、物語は「ただいま」から始まって「ただいま」に落ち着いた。つまり冒頭に戻る=回帰。とても美しいつくりになっている。
 しかし冒頭の「ただいま」と最後の「ただいま」は意味合いが異なる。冒頭の「ただいま」は「ただいまご紹介にあずかりました」を言い淀んでしまった結果の「ただいま」だ。言葉が詰まって途中で切れてしまったがゆえの「ただいま」。一方、最後の「ただいま」は、再び役者として舞台に立つことを選んだレイジの台詞になっている。この最後の「ただいま」は単なる台詞という意味だけではなく、かつて天才子役だったレイジが舞台の上に帰ってきたことへの「ただいま」、成長したレイジから徳さんとローズへの「ただいま」、なくしていた記憶がレイジの中へ戻ってきたことへの「ただいま」など、さまざまな意味が重ねられているように思える。

Burn.‐バーン‐ (単行本)

Burn.‐バーン‐ (単行本)

 

 

 

加藤シゲアキ作品における嗅覚的描写

 私が加藤さんの小説で特に好きなのが嗅覚を用いた描写だ。好きすぎるのでちょっと語らせてほしい。
 私は文章を視覚的にイメージしながら読むということができないタイプ*4なので、残念ながら「文章を読んで頭の中で映像が見える」というのがよくわからない。しかし、嗅覚についてはわかる。加藤さんの文章からはいろんな匂いがする。

 

『傘をもたない蟻たちは』収録「染色」

 『傘をもたない蟻たちは』を読んで、全体的に「なまぐさい」という印象を受けた。感覚的なものなので言葉にするのが難しいけれど、生と死のにおいとでもいうような感じ。「いまを生きる人々の「生」と「性」を浮き彫りにする6編の物語。」というコピーがついていたが、「性」と「生」を描くことで独特のなまぐささが生まれているように思えた。あるいは、そのなまぐささは「死」のにおいなのかもしれない。特に「染色」「にべもなく、よるべもなく」はそうだった。
 
 物語の雰囲気から感じる「におい」だけでなく、文章中にも嗅覚的描写が多くみられる。『傘をもたない蟻たちは』から「染色」をとりあげ、嗅覚的描写を引用する。

  時折銀杏の臭気を含んだ風がどこからか流れてくる。

 川に近づくにつれて、銀杏の臭い川の臭いが混じっていく。土手に出て皮を見下ろすと、昨日雨が降ったせいか流れは想像以上に速く、濁っていた。

 鉄道橋の奥に大きな銀杏の木があった。なるほど、原因はこれだったか。そこまでいくとまた臭うだろうからと、僕は橋の手前で土手を川の方へ下りることにした。

 芸術祭に来ていた彼女と別れた後、主人公である市村が宛てもなく歩いている場面。これだけの文章の中に、銀杏の臭いが三回、川の臭いが一回ある。
 銀杏のにおいはあまりいいものとは言い難いし、降雨の後の川の臭いもあまりよいものではない。川に溜まった汚れや微生物の死骸などが雨によって底のほうからかきまぜられ、生臭いような臭気を放つ。
 これらの臭いの表現が繰り返されることで、なんかとりあえず臭いんだなという印象を読者に植え付けている。これだけ悪臭の表現が繰り返されると、市村の今後にあまりいい予感はしない。
 また、「染色」にはもうひとつ特徴的なにおいの描写がある。「塗料の匂い」だ。

 彼女から漏れる声とビニールが擦れる音。塗料の匂い

 さまよい歩いた先で市村は以前居酒屋で出会った橋本美優と再会する。美優は橋の下でグラフィティアートを描いており、その後二人は美優の部屋で抱き合う。そのときの描写には「塗料の匂い」が出てくる。「匂い」という漢字を当てている。
 一般的に、「匂い」は良いにおい、「臭い」は悪いにおいに対して当てられる漢字である。デジタル大辞泉によれば、「臭い」は「嗅覚を刺激する、不快なくさみ。悪臭。」とあり、「匂い」は「そのものから漂ってきて、嗅覚を刺激するもの。」とある。「匂い」と「臭い」の使い分けにおいては、感じる本人の快/不快が現れているとみていいだろう。
 物語の語り手である市村は、美優の塗料の匂いには先程の銀杏や川の臭いのように嫌悪感は抱いていない。人によっては塗料のにおいを嫌だと思うこともあるが、市村は好意的にとらえていることが「匂い」という漢字からわかる。
 「染色」において、「塗料の匂い」は美優の才能、非凡さを表現しているように思える。しかし塗料のにおいは刺激の強いにおいであり、常にそのにおいがするということは普通の人間には耐えがたい部分があるのかもしれない。美優には類稀なる才能があり非凡だから、常にそのにおいを纏っていられる。しかし市村はそうではなかった。

 部屋には何もなく、それなのに塗料の匂いはまだ残っていた。

 美優と別れてしばらくして彼女と出会った居酒屋で彼女の現在を知り、美優と過ごした日々の残滓を探す市村。しかしもう何も残っていない。そして美優と過ごした部屋を訪れたときの描写にも「塗料の匂い」が出てくる。そして最後の一文にも「塗料の匂い」が登場する。

「今から会えないかな」
 その時にはもう塗料の匂いさえ感じなくなっていた。

 感覚とは主観的なもので、もしかしたら他の誰かが美優の部屋にいても最初から「塗料の匂い」なんてなかったのかもしれない。市村がそこに「塗料の匂い」を感じたかっただけだったのかもしれない。
 果てることのできない自慰行為のあとで杏奈に電話をかけた市村はもう「塗料の匂い」を感じることができなくなっている。常にスプレーで己に色をつけていた美優の、才能と非凡の象徴でもあった塗料の匂い。非凡である美優のまとう「塗料の匂い」はあくまで美優のものであり、市村はそのにおいに包まれていただけで、美優のもっていた非凡さまでもを手に入れたわけではなかった。結局のところ、市村は普通の人間でしかなかった。
 市村と美優の関係が完全に終わったことを印象付けるこの一文は、この物語の終わりに相応しいものだといえよう。

傘をもたない蟻たちは

傘をもたない蟻たちは

 

 

 

 

「チュベローズで待ってる」第一話

 週刊SPA!にて連載されていた「チュベローズで待ってる」にも嗅覚的描写が効果的に使われている。ここでは第一話をとりあげる。

 自分の吐瀉物から大量に飲んだテキーラの臭いが沸き立ってくる。

 サイケデリックな色使いのメイクをした女たちは香水の臭いを巻き散らし、

立ち食いそば屋に入るといい出汁の香りが僕を迎え入れた。

 「チュベローズで待ってる」第一話に登場する「におい」に関する描写をピックアップすると上の三か所が該当する。第一話では主人公・光太が就活に失敗し、自暴自棄になってひたすら飲み、吐いて、ボロボロになっていたときにホストである雫と出会う、という場面が描かれている。
 「大量に飲んだテキーラの臭い」が悪臭であることは勿論だが、次に出てくる「香水の臭い」もまた、ここでは悪臭に分類されている。「匂い」ではなく「臭い」という漢字を使っていたり、「巻き散らす」という否定的な意味合いをもって使われることが多い動詞を使っていたりして、就活に失敗したことと酒に悪酔いしたことで、歌舞伎町を歩く女性の香水のにおいに苛立っている様子がわかる。
 最後に出てくるのは「いい出汁の香り」。「香り」は好意的に捉えられたにおいに対して使われる。しかも「いい出汁」。さっきまであれだけ悪臭を漂わせていたのに、一気に美味しそうなにおいになる。文章を読んでいるだけなのに、なんだかそばの出汁の香りがするような気がしてくる。
 この嗅覚の描写が物語にどう影響しているかというと、主人公・光太の心情が表されているように感じられる。新宿の街ですれ違う他人にすら憎悪に近い気持ちを抱いていた光太にとっては、香水のにおいも悪臭に思えていた。しかし雫につれていかれた立ち食いそば屋で「いい出汁の香り」を感じた光太は、雫には悪い印象を抱いていない。光太が周囲や状況に対して抱く感情が、においの描写となって現れる。文章だからこそできる感情の表現の仕方だ。

 

 

この文章が好き4選

 もはや表現の仕方とかもさほど意識せず「この文章が好き!」を選んでみた。

 

 君が見た世界に果てはなく、これこそが楽園だ。絶望的に素晴らしいこの世界に僕は君と共にある。(『ピンクとグレー』)

 文句なしに美しい一文だと思う。「絶望的に素晴らしい」という、普通ならばくっつかなさそうな単語が組み合わさって、りばちゃんが極限まで辿り着いてしまったことを表現しているような感じがする。「果てはなく」という言葉はあるけれど、それこそが世界の果てであるような世界に、りばちゃんは辿り着いてしまった。だって「絶望的に素晴らしい」のだから。望みは絶たれた。それほどに素晴らしい世界にごっちと共にあると言い切れるりばちゃんは、もしかしたら幸せなのかもしれない。

 

 僕はしばらくそこで立ち尽くしていた。今もはっきりとあの頃の景色が浮かぶ。彼女と描いたグラフィティの数々。冷めたハーブティー。ビニールの音。彼女の声。体温。肌。染み。(『傘をもたない蟻たちは』より「染色」)

 加藤さんはあまり体言止め(名詞で文を終わらせること)を使わない印象だが、この場面では思い出が次々と頭に浮かぶ様子が名詞を羅列することで表現されている。だんだんと文字数が短くなっていくところも、どんどん頭に浮かんでくる様子が表示されている。ランダムに並んでいるわけではなくて、目で見てわかるもの(視覚)→聴いてわかるもの(聴覚)→触れてわかるもの(触覚)と並んでいて、だんだんと近くでなければ感じられないものになるように並んでいる。そういう計算されつくしたところが好き。

 

 筑前煮の人参を齧ると、鰹出汁、そして椎茸からほのかに移った香りが、ふわりと口の中に広がった。(『傘をもたない蟻たちは』より「イガヌの雨」)

 「イガヌの雨」の書き出しの一文。美味しそうな料理の描写がこのあとも続く。さすが料理好きの加藤さんというだけあって、描写された料理がとても魅力的であることが想像できる。私は味オンチなので多分筑前煮の人参を齧っても人参の味しかわからない気がするけれど、世の中にはこんなふうに料理を味わう人がいるのだ、と自分との違いに驚かされる。

 

 そのただの粉、見た目はホットケーキミックスと変わらないような粉が徳さんだという認識もまだできていない。(『Burn.-バーン-』)

 徳さんの骨をローズが幼いレイジに分けようかと尋ねた場面。砕かれた骨に対して「ホットケーキミックスと変わらないような」という比喩が出てくるところが、レイジがまだ幼い子供であることを思い出させる。大人だったらなかなか出てこなさそうな、素直な比喩。少なくとも私は初めて見た。こういう言葉が出てくる加藤さんってやっぱりすごいな、と思った。

 

おわりに

 小説は物語を楽しむという視点で読むことが多いから、なかなか細かな表現まで深く見ようとする機会が少ない。というか、物語を楽しむには細部にこだわっていては気が散ってしまうので私も滅多にしない。でも、自分がなぜこの小説を好きだと思ったかを知りたいとき、細かなところにも目を向けてみると新しい発見があるかもしれない。「自分はこのシーンを読んでなぜこういう感情を抱いたのか」のヒントが文章の表現の中にたくさんあるはずだ。加藤さんの小説をきっかけに読書の楽しさを知ったり、思い出したりした方も多いのではないかと思う。そこから更に一歩踏み込んで、構成や表現がもたらす意味などを考えてみるのもきっと楽しいのではないだろうか。
 加藤さんは本を書くたびにレベルアップしている。元々持っていたセンスという部分もあるだろうけれどそれだけではなくて、読みやすさやわかりやすさがだんだんと上がっていく。決して簡単なことではなくて努力したからこその結果だと思う。そうやってどんどん磨きあげられていく小説を読んでいるのは、とても気持ちが良い。だったらこっちも徹底的に読んでやろうじゃないか、という謎の対抗心まで生まれてくる。これからも機会があったら加藤さんの文章表現のここが好き!を語っていきたい。

 


 ちなみに加藤さんの次回作は第一部・完として最終回を迎えた週刊SPA!での連載「チュベローズで待ってる」に続きを書きくわえたもので、来春に発売予定となっております!!!

 

*1:きっと何者にもなれなかった加藤成亮の生存戦略 ―『ピンクとグレー』考察― - 来世はペンギンになりたい 、 “もう一度「再生」するための魔法”の先に ―『閃光スクランブル』考察― - 来世はペンギンになりたい

*2:基本的には現在と過去の繰り返しだが、文庫見開き2ページ分しかない第三章だけは未来の時間軸となっている。そこだけ未来なのもいいよね

*3:だからこそ余白の多い構成にした映画「ピンクとグレー」との違いが際立つのかも

*4:逆になぜこれができるのか全然わからないくらい視覚的イメージがわかない

優しくなりたければ強くあれ #こやほめ #にゅすほめ

 大変だ!最近あんまりNEWS担に会っていないということもあってNEWSを語らないと死ぬ病にかかってしまった!このままだと壁に延々と話しかけてしまう!なんてこった! #にゅすほめ 用の記事は別で書いているからこいつは飛び入り参加ということにして小山さんを褒めるぞ!!!

 

www.adventar.org

 

 

言葉

 小山さんの言葉が好きだ。コンサートの挨拶や、インタビューなど、小山さんの言葉はいつも私を安心させてくれる。ぐらつく私を安定させる言葉をくれる。
 特に「美しい恋にするよ」の小山さんの挨拶が大好きだ。一時期、全然元気のなくてこのままだと家から出られないというような時期があって、そのときは出勤前に必ず挨拶からフルスイングまでを見ていた。朝からあれ見て元気になるのかと思われるかもしれないけれど、元気になる。
 4人の最後に挨拶をする小山さん。涙で言葉を詰まらせることはあるけれど、言葉が出てこないことはなくて話したいことは頭の中にちゃんと考えてあって、しかもそれを伝わりやすい言葉で話して、しかも最後には笑顔も見せる。べしょべしょに泣いたあと、まだ目に涙をにじませながら、でも笑って、「これは悲しい涙ではなく、嬉しい涙だと僕は思っています」と言う小山さん。増田さんも加藤さんも泣いてしまったあとでそれを言ってくれることが、私にとってはすごく大きな安心だった。私はあの場にいたわけではないけれど、きらきらしているはずのアイドルがぼろぼろと涙をこぼしていたら不安になる。今見ても、今のNEWSを知っていても心がざわめく。そんなときに小山さんが「嬉しい涙だ」と言ってくれる。小山さんがそう言ってくれるのならきっと大丈夫だ、という気持ちになる。そしてフルスイングを歌い終わったら、お城に花火が上がる。まるでRPGの勝利のファンファーレみたいで、小山さんが「嬉しい涙」と笑いながら言ったのは嘘じゃないんだ、と確信する。だからあの挨拶を見るたびに、ちょっと泣きそうになるし泣くこともあるけれど、メイクも崩れるけれど、でも元気が出る。
 
 小山さんは報道に携わっているということもあって、言葉を「伝える」ことの重要さをよくわかっているのだと思う。小山さんはファンに向けて喋るときはわかりやすい言葉を使う。特殊な言い回しは使わない。なるべく誤解のないようなわかりやすい表現を選ぶ。頭ではわかっていても、これを実践するのは相当難しい。言葉の意味は人によって微妙に違う。ジャニオタがいう「自担」なんてそれの代表みたいなものだと思う。私がいう「自担」と別の誰かのいう「自担」は概ね同じ意味でも、細部は異なったりする。小山さんはそういう誤差がなるべく生まれないような言葉を選ぶ。私は言葉の意味をあれこれ考えてしまう癖があるので、小山さんの話すわかりやすい言葉は余計なことを考えなくて済むので聞いていて安心できるのかもしれない。
 それに、小山さんはよどみなく話す。ファンに向かって何かを話す場面で言葉が出てこなくなって探していることは滅多にないし、言葉と言葉のあいだを繋ぐための無駄な言葉もない。言うべき言葉が頭の中にある状態で、伝えようという意思をもって話す。
 「伝わりやすく話す」ということは簡単ではない。とても高度な技術が必要となる。それができる小山さんは本当にすごい人だ。

 

 

web連載「メンバー愛」

 会社がつらいとき、月曜と金曜に更新される小山さんのweb連載「メンバー愛」に助けられている。小山さんらしい言葉で日常が綴られ、最後にはいつも「一緒に頑張ろう」というような、読む人を応援する言葉で締めくくられている(特に月曜)。
 誰だって言おうと思えば言える言葉だと思うけれど、この言葉を小山さんが言ってくれることが嬉しい。だって、小山さん、毎日頑張っているのが目に見えるから。「news every.」というかたちで。きっと小山さんは自分が「一緒に頑張ろう」と言うことの意味をわかって言っている。小山さんは、自分の言葉が誰かの支えになるとわかって言っているんだと思う。小山さんはそういうクレバーで優しい人だ。
 当たり前のことが当たり前にできなくて、そんな自分が嫌だし怖いし毎日へこむけれど、小山さんが「頑張ろうね」と言ってくれるだけで明日もちゃんと会社に行こうと思える。
 毎日生放送をしているということを踏まえた上で出てくる「一緒に頑張ろう」は、文字通り一緒に頑張っている感じがする。私が会社で死にそうになってるときはきっと小山さんも汐留でお仕事を頑張っているだろうから、じゃあ残りの時間も頑張ろう、なんて思う。そうやって毎日を乗り切る。本当にそういう些細なことなんだけれど、今頃頑張っているだろうなというのがわかるということは大きい。しかも毎日、夕方の帯。そんなアイドルは小山さんだけだ。小山さんがキャスターをやることは間違いなくアイドル業にも活きている。
 それだけではなく、タイトル通りに「メンバー愛」が綴られていることも多い。小山さんのメンバーに対する愛しさが伝わってくるような、読んだ人がメンバーのことを更に好きになってしまうような内容ばかりだ。

 

キャスターであるということ

 キャスターであるということは小山さんにとってアイデンティティであるように見える。しかし、アイドルとキャスターを両立することは並大抵の努力でどうにかなることではない。そこに至るまでの道のりもそうだし、そこからの道のりも決して楽ではない。
 日経エンタのインタビューで、帯キャスターになるかどうかを問われたときのことを話している。長時間拘束されるドラマ撮影などが難しくなるなど、アイドルでいる上でのデメリットもある。「5分考えさせて下さい」と言って、10秒で答えを決めた小山さん。本当は考えるまでもなく、やらないなんて選択肢はなかったんじゃないかと思う。
 「同い年で主演を張れる人はたくさんいるけど、帯でキャスターをやっているのは自分だけ」という自信は、小山さんしか持てないものだ。疲れてしまう日もあると思う。上手くいかない日もあると思う。それでも小山さんは自信と誇りをもってキャスターをしているのだと思うと、なんだか私まで勝手に誇らしくなる。キャスターであるということは、「言葉」や「伝えること」の意識だけでなく、もっと大きなものを小山さんにもたらした。
 どれだけキャスターであっても、小山さんはアイドルを諦めたわけではない。週に4日間帯をやりながら舞台に出ることだってやり遂げてみせた。もしかしたら今後はドラマに出ることもあるかもしれないし、もっと大規模なツアーだってやるかもしれない。小山さんの体が心配になることもあるというか常に心配だけれど、小山さんがやると決めたことなら私はそれを見守りたいし、きっとそのときにも言ってくれるであろう「一緒に頑張ろう」という小山さんの声に応えたい。

 

一緒に夢を見てくれる

 NEWSは今のところ私の理想のアイドル像に最も近いグループだ。その中でも小山さんは特に。
 私がアイドルに求めることは、「一緒に夢を見てくれること」「私を特別な“君”にしてくれること」のふたつ。NEWSは、そして小山さんはどちらも叶えてくれる。特に前者。
 私はアイドルに夢を見せてほしいわけでも、夢を売ってほしいわけでもない。一緒に夢を見てほしい。一方的な夢は見たくない。「一緒に」というのが重要だ。とてもわがままなことだとはわかっている。それでも「一緒に」夢を見たい。「一緒に夢を見ている」という錯覚でいいから、錯覚させてほしい。
 アイドルにとっても、アイドルでいることが、アイドルをやることが「夢」であってほしい。我ながらすごいわがままだなと思うけれど、私はアイドルにそれを求めてしまう。勿論「仕事」であるのは当然のことだけれど、そのどこかで「夢」を見ていてほしい。なんとなくだけれど、小山さんはそういう人のような気がしている。
 NEWSがなくなるかもしれなくて、アイドルとしてやっていけるかどうかわからない状況にもなって、それでも今ステージの上に立っている小山さん。平日キャスター週末アイドルな小山さん。「一緒に夢を見ている」という幻想でもいいから、このまま幻想の中にいさせてほしい。

 

「優しくなりたければ強くあれ」

 私は血も骨も肉もポルノグラフィティでできているのでポルノグラフィティの歌詞を引用せずにはいられないので引用してしまうのだけれども、小山さんを見ていて思い出したのが「2012spark」という曲の「優しくなりたければ強くあれ」というフレーズだ。 
 小山さんは、すごく優しい人だと思う。と同時に、すごく強い人でもある。
 
 小山さんは、自分のために他者に優しい。
 誰かのために誰かに優しいのではなく、自分のために自分に優しいのでもなく、自分のために誰かに優しい。
 私は誰かに何かをしたとき、他人のためにやってあげているような気分になっているときがある。そのくせ行為に見合う報酬がないと嫌で、それはつまり他人のためと思いながら結局は自分のためだ。そんな自分に気付いたとき、すごく嫌になる。本当は自分のためなのに、「相手のため」なんて恩着せがましく思っている自分に嫌気がさす。
 小山さんはきっと、自分のために誰かに優しくできる人だ。誰かのため、なんて思わずに、その奥にある「自分のため」をちゃんとわかっている。だから小山さんの優しさは嫌味っぽさがないし恩着せがましくもない。すごく自然だ。小山さんが優しいことに気付かないこともあるくらい自然に優しい。
 そうやって自分のために他人に優しくできるのは、小山さんが強いからだと思う。誰かのためなんて言い訳に隠れることなく、自分のために誰かに優しくする強さが、小山さんにはある。
 誰かのために誰かに優しくすることは、その誰かに自分の気持ちを託すことと同じだと思う。相手に荷物を背負わせることになる。でも自分のために誰かに優しくすることは、荷物は誰にも預けない。自分の気持ちは自分のものとしてちゃんと持っておく。気持ちは目に見えないけれどその分重たい。小山さんはそれを自分で抱えるだけの強さを持っている。

 「Share」では「みんなの愛と笑顔で 僕はずっと優しくなれんだよ」と歌い、「愛言葉」では「そのありったけ くれた愛だけ 強くなれたから」と歌う小山さん。小山さんの中でも優しさと強さは結び付くものなのかもしれない。
 きっと小山さんは優しくあるために強くなった。そんな小山さんが今この瞬間も未来永劫この先も一生ずっとずっと幸せであることを、私は願ってやまない。