マイお題「NEWS ARENA TOUR 2018 EPCOTIA 宇宙旅行記」を作りました

 

 EPCOTIAツアーお疲れ様でした!

 ということで、お題を作成しました。コンサートについての感想文をお書きの際は是非使ってみてください〜!私も書きます!

 

お題「NEWS ARENA TOUR 2018 「EPCOTIA」宇宙旅行記」

また会えるまで忘れないで ー「madoromi」解釈・感想ー

 単純に音源で聴いていた時点では、正直そこまで入れ込むほど好きな曲ではなかった。嫌いではないけれど、取り立てて好みではなかったというか。私は派手でうるさい曲が好きなので、この曲のシンプルなオケとシンプルな歌割(ユニゾンがない)の良さに気づいていなかった。でもコンサートで聴いて印象が一変した。こんなにも多様な解釈ができる歌詞だったのかと驚いた。短くて抽象的な歌詞に、こんなにも想いが詰まっているなんて。もちろん、私の勝手な勘違いのような解釈なのだけれど、曲は聴き手に渡ったらある種聴き手のものでもあると思っているので、主観100%で書いています。

 コンサートで初めて聴いたときの感想に、オーラス後の気持ちも付け加えて、メモとして残しておきます。

 

NEWS madoromi 歌詞 - 歌ネット

 

・歌詞の多様な解釈、そのいち

 歌詞には「君」と「僕」の関係を示す明確な言葉はなく、というか具体的な描写が全然なくて、多様な解釈が成立するようになっている。関係性はおろか、どういう状況なのかということも多様な解釈ができる。決して言葉数は多くないが、多くないからこそひとつの歌詞で様々な世界を表現することができる。歌詞ってすごい。
 単純に考えるともう二度と会えない別れを迎えた(おそらく死別)恋人同士といった関係性が妥当かなとも思うし、そうではない可能性だっていくらでもある。私は最初に聴いていたときはなんとなく、親子のような関係性を思い描いていた。去っていく親と、残される子。
 私は歌詞においては「僕」「君」といった人称代名詞はそこに性別は含まれないものとして考えていることが多く、これから語ろうとしていることについても「僕」が男だとは断定しない。私としては、「僕」はこの世界から去っていく親の心情であり、「君」は親のいなくなったこの世界に残される子どもなのではないかと思っている。親子の年齢層までは断定しない。それもまた、自由に幅を持って解釈できるものだと思う。
 なぜこの世界から去っていくという解釈になるのかというと、全体的に漂う「もう会えない」という雰囲気もそうだし、個人的には最初の「朝が迎えにきた/空に浮かべた 船に乗って」という部分により強くそう思う。「船」というのは、空に見える「月」をたとえているように思える。特に三日月なんて、船のかたちのようにも見える。太陽は文字通り「陽」であり、月は「陰」。ひっそりとした死のイメージをまとっている。夜のあいだに出ている月は、朝を迎えて明るくなっていくごとに見えなくなる。きっと「僕」も、朝を迎えてその命を終えるのではないかと、なんとなくそんな気がする。それと、余談ではあるがポルノグラフィティの楽曲「月飼い」も、月を船にたとえてそこに乗る「君」を見送るような歌詞になっている。その影響もあって、私のなかでは空に浮かぶ船といえば月で、月の船は亡くなった人を送るためのものだという解釈をしがちなところもあるかなとは思う。
 「幻が醒めてしまうまで/せめて グッバイ ah グッバイ ah」という歌詞。「幻」が醒めるまでのあいだなら、別れの挨拶を伝えることができるという意味のように感じられた。現実には言葉として伝えることができなかった別れを、夢の中では伝えることができるのではないだろうか。たとえその別れの言葉に「君」が涙を流しても、その涙は明日へとつながるものになる。
そしてなぜこの曲の「君」と「僕」が親子に思えるのかというと、「僕」が「君」へとても深く、そして恋ではない愛を向けているように思えたからだ。あるいは「僕」が不在の世界での「君」の幸せや成長を願っているようにも見えた。特に二番の「君と出会えた日は/いつになっても宝物さ」という歌詞。恋人になる相手との出会いの瞬間を宝物だと思う人も勿論いるだろうけれど、私にとっては「子どもが生まれた瞬間」のように感じられた。私はその瞬間を迎えたことがないけれど、もし子どもを生むことがあるとしたら、きっとその瞬間は忘れられないものになるだろうと予感している。それこそ、「宝物」と思えるほどの出会いになるだろうと思っている。どれほど時が経っても、この世界から去りゆく際であっても、「僕」にとってそれは変わらず「宝物」で蟻続けるのだ。
 そう考えたら、「君を好きなこと/また会えるまで 忘れないで」と歌うのも、親から子へ向けた愛のように見えてくる。たとえ誰が「君」を愛さなくても親である「僕」は「君」を愛している、と思いたいがゆえの解釈なのかもしれない。私は別に親に愛されなかったわけではないけれど、親の思う愛と私の思う愛が異なっているという場面には何度も遭遇した。だから余計に、私の親がこの曲のように深い愛をもって私を思ってくれていたらいいなという気持ちと、私にもし子どもができたらこの曲のような深い愛をもちたいと思う気持ちの表れなのかもしれない。でも無理のない解釈として成り立つし、こういう考え方もありなんじゃないかなぁと思う。

 

・歌詞の多様な解釈、そのに

 で。コンサートで聴いたときには上に書いたような解釈とはまた違ったように感じられた。私が入った席はこの曲を歌っているときにNEWSが目の前にいるブロックだったのも大きいが、コンサートで聴いた「madoromi」は、アイドルからファンへの思いのように感じられた。

 どんなアイドルも、アイドルでいる選択をしているから、アイドルとしてステージに立っているのだと、推していた女性アイドルが卒業するときに思った。選択肢は、決してひとつではない。いくつもの選択肢の中から、彼ら/彼女らは「アイドル」を選んでいる。「アイドルである」ということはいくつもある選択肢のひとつであって、決して絶対ではない。相対的なものだ。女性アイドルはいずれアイドルではなくなる(少なくともグループを去る)ことが一般的であることが多いが、男性アイドルだって例外ではない。例外ではないことを、考えたくはないと思ってしまうけれど。それは感情的な話であり、現実的で論理的な話ではない。

 この曲が歌われるとき、イントロで「madoromiだ」とは思ったけれどそのときにはまだそれ以上の感情はなかった。むしろどんな曲だったかうっすら忘れていたくらいだった。しかし、「君を好きなこと/また会えるまで 忘れないで」という歌詞を聴いて涙が溢れてしまった。小山さんの慈しむような歌声が心に刺さった。
 アイドルがファンを「好き」だと思っているなんて、きれいごとなのかもしれない。ファンだからそう思いたいだけなのかもしれない。でも私は、どのアイドルを好きでいたときも、この人たちは私に「好き」という感情を向けてくれていると感じていた。私という個人に対する「好き」ではなくても、それは確かに「好き」だった。どのアイドルからも、私は「好き」という気持ちを受け取っていた。歌だったり、言葉だったり、素晴らしいパフォーマンスだったり、一瞬の握手であったり、かたちは様々だけれど、そこにある思いは「好き」という気持ちだったと、私は思っている。次のコンサートで会えるときまで、「好き」だということを忘れないでねと、そう感じるくらいに「好き」という気持ちをたくさんもらっていた。少なくともそのときは、彼らが向ける「好き」という気持ちは確かなものだったと、たとえ勘違いでもそうだったんだと私は思っている。
 目の前でアイドルであるNEWSがこの曲を歌ったとき、彼らは私のことを「好き」なのだと思った。「好き」というのはなにも恋愛感情だけではない。アイドルとファンという関係性で、私はNEWSのことが好きだしNEWSも私のことを好きなのだと思う。これは特別で大切な感情だと思っているけれど、私とNEWSのあいだにだけあるものではなくて、どんなアイドルとどんなファンのあいだにもあるのではないかと思う。そのどれもが特別で大切なのだと思う。
 たとえ「アイドルである」という選択肢を選ばなくなっても、あのときに感じていた「好き」という気持ちは決して嘘ではなかったと、私は思う。私が「ファンである」という選択肢を選ばなくなっても、あのときに感じていた「好き」という気持ちに決して嘘ではなかったように。だから、小山さんの歌った「君を好きなこと/また会えるまで 忘れないで」という歌詞が胸に響いてしまった。
 アイドルが「アイドルである」という選択肢を選ばなくなったら、きっと私は泣くだろう。推していた女性アイドルが卒業したときも号泣だった。私はアイドルである彼女と出会い、アイドルである彼女を好きになったのだから。彼女はそれ以降も舞台上に立つ仕事をしているから、彼女の元気な姿を見ることはできる。でも、私が愛した「アイドルである彼女」はもうどこにもいない。それは間違いない事実だ。そう思うと、「アイドルである」という選択肢を彼ら/彼女らが選んでいるあいだの時間は「幻」なのかもしれない。リアルな感情を伴う「幻」。いつかくる、幻が醒めてしまうときまでの、さよならに向かっていくための時間。長い長い「幻」だったとしても、いつか醒めるときが来てしまう。それがどんなかたちかはわからないけれど。私がみているのは、そんな「幻」なのではないかと思う。そして、「幻」が醒めたあとも私はまだ生きているかもしれない。ぼろぼろに泣いたとしても、その涙にも意味があるのだと、アイドルがそう歌っているということに、私はさらに泣かずにいられなかった。

 

 私の人生は私のもので、私にしか責任を負えない。誰にも預けることはできない。アイドルのことがどれだけ好きでも私の人生を預けてしまうことはできない。この先、もし私の大好きなアイドルがいなくなったら。そんなことはないと思いたいけれど、理論的な可能性としてはゼロではない。それでも私はちゃんと私として生きていかなければならない。私の大好きなアイドルが、「僕が隣にいなくても きみはきみのままで」と歌っているから。いつか隣にいなくなってしまっても私が私でいられるように、そのぶんいま隣にいよう。

 私は、あまり未来のことを考えない。というか、未来のことを考えるのが下手なのだ。先の予定を立てることができない。だって未来のことなんてわからないから。私にとって確かなのはいまこの瞬間のことだけで、これより向こうのことなんてわからない。
 それでも、私は嬉しかった。コンサートの最後、加藤さんが「HAPPY ENDINGを歌ってるけど、ENDINGなんてねえから!」と言っていたことが。この先のことはわからないけれど、少なくともそう言った瞬間の加藤さんはそう思っていたんだろうと思う。たとえもし、いつかこの言葉が本当のことではなくなってしまう時がきたとしても、この言葉を聞いたときの嬉しさが消えるわけではない。あのとき確かに嬉しいと感じた私がそこにいたはずだ。私はそれを幸せと呼びたい。
 信じているとかいないとかではなくて、人は変わっていくいきものだから。私はそれを、加藤さんから痛いくらいに教えてもらった。いま言ったことと過去に言ったことが矛盾することはあるし、いま言ったことといつか言うことが矛盾することだってある。人は変わっていくいきものだから、未来のことはあまりあてにしていないし、過去のことは参考にするものだと思っている。私だって変わっていくから、いま大好きなアイドルからいつか離れてしまうことだってありうる。いま幸せだと思うことが、いつか不幸に変わるかもしれない。何を幸せと思うかだって、変わるかもしれない。それぐらい不確かな私だから、いまこの瞬間の幸せを大切にしていたい。

 

 きっとこういうふうに考えることは過大解釈なのだろうとも思ってしまうけれど、それでもそう思わずにはいられない。独りよがりで、痛々しい解釈なのかもしれない。でもこの曲で目が腫れてしまうくらい泣いて、たぶん私は、救われたのだと思う。行き場がなかった気持ちに、NEWSの歌うこの曲が、行き先を示してくれたように思えた。
 結局、行った公演すべてで泣いてしまった。手越さんや増田さんは、回を重ねるごとに感情が豊かになって、余計に心に訴えかけてくる歌声になった気がした。小山さんは、埼玉公演では疲れが出たのか歌いにくそうなところもあったけれど、伝えようという気持ちが伝わってきた。加藤さんはしっかりと落ち着いていて、歌のなかの僕でもきみでも誰でもなくただ加藤さんとしてそこにいた。あなたがいま、確かにそこにいることを、確かに愛して愛されていることを、とても幸せに思う。

 

 

EPCOTIA(通常盤)

EPCOTIA(通常盤)

 

 

溶ける氷と凍りゆく関係 ―「氷温」感想メモ―

 コンサート演出の話はないです。音源を聴いての感想です。
 今更ですが、改めてちゃんと聴いたので、感想メモを残しておこうと思います。いつもと変わらず主観100%、行間にこめられた物語に想像あるいは妄想を膨らませながらの感想です。

 


・身勝手な男

 加藤さんのことではない。この曲の主人公のことだ。
 ホテルでひとり酒を飲んでいて、氷をテーブルに落としてしまったところから生まれたという「氷温」。そこから人と人との関係性のひとつである恋愛、さらには失恋といったテーマへとつながる。大前提として、「ホテルの部屋で別れ話をしている」というイメージを浮かべておこうと思う(クラウドでもそんなイメージだという話があったし、実際に聴いていてもそう思うので)。
 「失恋」「別れ話」という言葉を頭に入れていたが、ちゃんと歌詞を見ずに聴いたときはおや、と思った。加藤さんのソロ曲で失恋ときいて、どんな振られ方をするのだろうと思っていたけれど、この曲の主人公は振られたわけではなさそうだ。別れ話を切り出す側のようだ。

グラスのライム香りが鼻で弾けて
ほんの少し正気になって落ち込む

 という表現が、ホテルの一室で酒を飲みながら別れ話をしようとしている(あるいはしている最中)にライムの目が覚めるようなさわやかな香りを感じて、今自分がしていることに対するどこか後ろめたい気持ち(あるいは気が進まないというか、そういう気分)が思い出されたのではと考えたからだ。別れ話をされる側なら正気にならずとも落ち込むだろう。正気になって落ち込むのなら、きっと別れ話を切り出す側だ。
 では、なぜ彼は別れ話を切り出すに至ったのか。それはこの曲には明確には書かれていない。けれど、何度か繰り返されるサビのフレーズを見てみると、なんとなくわかる気がしてくる。

Don't believe in me
君を 愛して 嘘重ねて

 彼が「君」を愛していたことは、きっと確かなことなのだろう。けれど、いつからか嘘を重ねるようになってしまった。他に好きな相手ができたのかもしれないが、彼女のことを愛しているはずなのにうっとうしいとか、愛しているにも関わらず面倒だとか、そういう気持ちが芽生えてしまったのではないかと、個人的には考えている。その「うっとうしい」だとか「面倒」という気持ちをごまかしてきたのが、彼の重ねた嘘なのではないだろうか。愛していないわけではない、でも……という雰囲気が、曲全体の気だるさからも感じられる。彼女に非があるとか、他に好きな相手ができたとかではなく、ただただ彼の気持ちが変わってしまった、というのが別れ話の理由なのではないかと思う。
 だとしたらこの曲の主人公はだいぶ身勝手だ。自分で別れ話を切り出しておきながら、彼女に未練があるような素振りも見せるのだから。

テーブルに落ちてしまった氷が溶けてく
時が止まればと心で願ってる

 心で願ってもそれを言葉にすることはない。結局のところ、別れを切り出した彼の決意は揺らがないのだ。別れ話をするのは自分だが、できればしたくはない。けれど、しないという選択肢はない。彼の中では、彼女と別れることはもう決まってしまっていることなのだろう。
 実際につきあっている相手がこんな感じだったら絶対に嫌だけれど、フィクションにおけるこういう男性が好きすぎて困る。もうめちゃくちゃに好きなのだ。こういう身勝手な男が。
 ポルノグラフィティの曲に「別れ話をしよう」という曲があるが、バーで別れ話を切り出す男の歌で、この曲にも「この氷溶けるまでコイビトでいようよ」という歌詞がある。言わずもがな、新藤さんの作詞である。更に言えば別れ話を切り出したうえにまだ見ぬ彼女の新しい彼氏に嫉妬したりもする。私の好きな人たち、氷をタイムリミットにして身勝手な別れ話をしがち。

別れ話をしよう - ポルノグラフィティ - 歌詞 : 歌ネット

 


・氷は溶ける、二人の関係は凍りゆく

 テーブルに落ちてしまい溶けていく氷は、二人が恋人としていられる時間を比喩的に示している。氷はタイムリミットで、じわじわと溶けていく。溶けてしまえば二人の関係は終わる。
 一方、「氷温」という言葉は「摂氏0度からものが凍り始めるまでの温度帯」を指すものだ。テーブルの上の氷は溶けていくのに、一体何が凍っていくというのだろう。最初は全然わからなかったけれど、あれこれと考えてみて、凍っていくのは二人の関係なのではないかと思い至った。
 普通の恋愛の関係、たとえばくだらない話も気軽にできるような関係だったら、きっとそれは0度以上はあるのだろう。ある恋人たちは春の陽気かもしれないし、ある恋人たちは猛暑日かもしれない。しかし、「僕」と「君」の関係はいつのまにか熱を失いつつあった。もしかしたら、「僕」の気持ちが変わったのは「君」にも変化があったからかもしれない。「僕」に一方的な変化があったというよりは、双方が変わっていったと、なんとなくそんなふうに思う。そして、二人の恋は0度を下回ってしまう。彼が別れ話を切り出したことによりあとは凍りつくだけになった。この曲の歌詞には「君」の表情も行動も言葉も描かれないが(そんなところも「僕」の身勝手な感じがしてやばい)、彼女も別れ話に納得したのだろう。

ドアの音 せめて聴かせて
僕のもとまで 届かせてくれよ

 なんとなくだけれど、彼女は「別れたくない」というようなことは言わずに、彼の話に納得して部屋を出ていったのだろう、という気がする。どちらかというと、あっさりと。だから彼は、別れ話をしたのは自分のくせに、彼女にまだ未練があるみたいに「せめて聴かせて」なんて表現をする。まるで自分が置いていかれたみたいな、そんな雰囲気を漂わせる。でも出ていく彼女を追うことはない。閉まるドアの音を聴かせてほしいと願うだけだ。そうしてふたりの関係は、完全に凍ってしまって、終わりを迎える。
 二人の関係の終わりまでの時間のことを、このホテルの一室に漂う時間のことを、「氷温」という単語で表現しているのではないだろうか。二人の関係は凍りゆくのに、テーブルに落ちた氷りは無情にも溶けていく。この……この比喩と対比の上手さよ……これが加藤シゲアキなんですよ……!

 


・鈍い熱と月明かり 

 先程の溶ける氷と凍りゆく関係の対比もだし、この曲にはもうひとつ対比的な描写がある、「君の熱の鈍さ」と「月明かり」だ。

君の熱の鈍さが
へばりついて落ちないままで
もしも二度と会えないのなら
月明かりで抱きしめて

 なんとなくだけどホテルで一夜明かしたあとなんじゃないかとか勘繰りたくなる。それで別れ話するとかどれだけ身勝手なんだよ……好き……と思うけれど、それはおいといて。
 「熱の鈍さ」と表現されるとあまりいいイメージはないし、さらに「へばりついて落ちない」と続いたらイメージはもっとよくない。「へばりついて落ちない」と言いたくなるということは、落としたいけれど落ちないもの、なのだろう。別れ話をしたのは自分なのだからさっぱりしたのかと思いきや、彼はまだ「熱の鈍さ」を落とせないでいる。
 その「熱」と対比的に出てくるのが「月明かり」だ。「月明かり」というと、静かで冷たいイメージが重なる。冷たく静かな月明かりに抱きしめられ、「君の熱の鈍さ」を落としてしまいたいのだろう。君のことを忘れてしまいたい、ということを比喩的に、どことなく悲劇の主人公のように表現しているようにもとれる。何度も言うけど別れ話を切り出したのは男のほうだ(と私は思ってる)。ほんと……ほんと身勝手……好き……


 という身勝手な男の歌なのだと私は読み取った。リアルにこういう男性がいたら絶対におつきあいはしたくないのだけれど、フィクションにおけるこういう男は「お前なぁ……」と思いながらもめちゃくちゃ好き。

 

 「あやめ」や「星の王子さま」のように自分と照らし合わせてあれこれ思うことがある歌詞も好きだけれど、思い入れや個人的な感情ではなくて、ただただ作品としてこんなにも興奮するタイプの、あれこれ読み解いてわくわくするタイプのソロ曲であることがめちゃくちゃ楽しい。楽しんでいいのかわからないけれど、楽しいのだ。目の前におやつを出された子どもみたいに、我慢できなくて飛びついてしまう。考えるのって楽しい。たとえ正解がなくても、むしろ正解がないからこそ楽しい。
 それと、この曲を聴いて、何が嬉しかったって、加藤さんがフィクションにおける私の大好きなタイプの男性を歌ってくれたからだ。しかも作詞作曲も加藤さん。かつて加藤さんにポルノの「別れ話をしよう」を歌ってほしいと思っていたことがあったけれど(

加藤シゲアキに歌って欲しい新藤晴一作詞曲 10選 - 来世はペンギンになりたい)*1、それは加藤さんにこういうタイプの男性像が似合うと思ったからだ。加藤さん自身がそういうタイプというわけではなくて、「似合う」。もう絶対似合うじゃん、こんなの。何年もずっと思い続けてきたのに、まさかこんな、思いもよらないレベルで叶うとは。この世は最高!神様ありがとう!

 

 

EPCOTIA(通常盤)

EPCOTIA(通常盤)

 

 

*1:改めて読み返してみたらまさしく「氷温」みたいな曲を歌って欲しいって言っててちょっと笑った。夢って叶うんですね

楽曲という惑星間を旅するアルバム『EPCOTIA』感想

お題「NEWSアルバム『EPCOTIA』レビュー」

 

 相変わらず主観です。ツアー前にお題の記事をと思ったらソロ曲まで入りませんでした。ソロ曲はそのうち書きたかったら書きます。

 今回はとにかく、SFとか宇宙が好きでよかった!と思えるアルバムだった。まさか様々な小説を読んだりウィキペディアの宇宙関連のページを読みあさっていた日々がここで役に立つなんて。きっとこのアルバムのために読んでたんだと思います。そんな私の感想文です。

 

01.EPCOTIA SAFETY GUIDE -INTER-

 特典映像と同様の内容。これから宇宙への旅が始まるのだと思わせてくれる。特典映像はどれほどCGを多用するのだろうと思っていたが、人を使って表現する方法がとられていて驚いた。CGを使えば宇宙船EPCOTIAライナーがどんなものなのか子細に表現することができるが、人を使うことによってEPCOTIAライナーの内部の模様は少ししかわからないようになっている。具体的な部分は受け手の想像に任されているということだろう。夢が膨らむ。
 NEWSの4人がなるべく無機質な表情をしているのも、近未来な感じがしていい。デフォルトが無機質な表情だから、ふとした瞬間に感情の垣間見える表情をするとより活きる。増田さんのウィンクとかね。

 

02.EPCOTIA

 宇宙に関するワードが散りばめられており、アルバム『EPCOTIA』の始まり、そして宇宙旅行の始まりにぴったりな一曲。昨年のアルバム『NEVERLAND』における「NEVERLAND」と同様に、まるでオープニングテーマのような楽曲。
 1番と2番でBメロは歌詞が同じだけれど、それぞれ1番小山さん2番加藤さん、1番手越さん2番増田さんと、シンメでそれぞれ同じ歌詞を歌っているのが超いい。声や歌い方の比較が超楽しい。特に小山さん加藤さんパートの「飛び込んでみようよ」の最後の「よ」の音。小山さんはクリアな声質だから明るく聞こえて、加藤さんは少しざらっとした感じの声質だから不穏な気配がする。セーフティな宇宙旅行とスリリングな宇宙旅行といった感じ。並べて聴けば同じ音のはずなのに印象が全然違う。これぞシンメの妙。

 EPCOTIA:「EPCOTIA」という造語に近い単語としてアメリカのディズニーランドにある「EPCOT」がある、というのをTwitterで見かけたが、近未来的なアトラクションのあるエリアだということで参考にしたのかもしれない。
 1961:人類初の有人宇宙飛行が成功した年。
 偉大な一歩:人類初の月面着陸を成功させたアームストロングの言葉「人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては偉大な一歩である」からの引用か。大きな一歩、大きな飛躍と訳されることもある。

 

03.KINGDOM

 とてもドラマティックな楽曲で、遠くから聞こえるような声から静かに始まり、決して簡単ではないメロディを紡いでサビへとどんどん盛り上がっていく。
 過去のサッカー曲タイトルや歌詞を織り込んであり、手越さんが毎年のようにサッカー曲をもってきてくれた集大成という感じがする。Aメロは「WORLD QUEST」を思わせるワードが並んでいるし、「ONE」「ANTHEM」そして「SEVEN COLOR」=「ナナイロノマホウ」と楽曲タイトルが歌詞に含まれている。あんまりにも集大成感が出すぎていて、一旦は集大成かもしれないけどまだまだ全然新しいサッカー曲聴きたいです!

 

04.TWINKLE STAR

 このイントロから加藤さんの声で始まるの最高すぎる。切ない曲はとにかく加藤さんから始めてくれ〜ってくらい似合う。しかもメロディは決して暗くはないところがいい。
 それとこの曲はサビのユニゾンがめちゃくちゃ綺麗だなぁとも思う。決して珍しいことをやっているわけではないけれど、それでも揃い方がすごく綺麗というか。4人もの声が合わさってこんなに透き通った色になるものなのか、とびっくりするくらいの透明度。
 これは私の勝手な解釈だけれど、なんとなく「銀河鉄道の夜」というか宮沢賢治を感じる歌詞だなぁと思う。「心象」という言葉も宮沢賢治を思わせるし(賢治は「永訣の朝」などの詩を「心象スケッチ」と呼んでいた)、妹・トシの死について書かれた「無声慟哭」なんてまるで「返事のない文」のようだなと思ったり。ちなみにトシは「銀河鉄道の夜」のカムパネルラのモデルとも言われていて、それもあって「銀河鉄道の夜」をも連想する。おそらく私が宮沢賢治がすごく好きだからそんなふうに捉えてしまうのだろうけれど、それでもそんなふうに思える曲をNEWSが歌っているのがなんだか嬉しい。

 

05.ワープ中 -INTER-

 機長の名前「コーティ・ティプトリー」:「コーティ」は『たったひとつの冴えたやりかた』の主人公「コーティー・キャス」、「ティプトリー」はその作者である「ジェイムズ・ティプトリーJr」が元ネタか。ティプトリーは男性的なペンネームではあるが女性で、今回のナレーションが女性(沢城みゆきさん)であることも関係しているのかも。ちなみに『たったひとつの冴えたやりかた』主人公も女性(16歳の少女)。
 NEWSのプロデューサーの方がアメリカ文学に明るい方だという話は「チャンカパーナ」とケルアックの『オン・ザ・ロード』、「EMMA」とチャンドラーの『ロング・グッドバイ』あたりでも出ていたが、今回もその方のアイディアなのだろうか。
 旅先の惑星「ケプラー」:地球によく似た惑星といわれる「ケプラー452b」から。恒星の名前はよく聞き取れないのだけれど、「グリーゼ」という恒星ならあるらしい。でも「クリーザ」とか「ブリーザ」って聴こえる。真相やいかに。

 

06.LPS

 「機内音楽をお楽しみください」からの流れが天才すぎる。唯一のシングルでありまったく宇宙感のない「LPS」をどうやってアルバムに収めるのだろうかと思っていたけれど、こういうかたちならすっきり収まる。
 楽曲については別記事で書いたので割愛。(冬のあったかシングル NEWS 「LPS」 - 来世はペンギンになりたい)

 

07.恋する惑星

 歌い出しの小山さんがもうかわいい!きゅるるん!手越さんの女の子目線パートも超カワイイ。ワールドイズマイン。
 サビの明るさもアイドルって感じがしてテンションが上がる。ノリとしては「サマラバ」とかに近い感じ。打ち込みのピコピコした音がとにかくかわいくて、これを歌っているのが全員30オーバーのアイドルグループとはにわかに信じがたいとさえ思えてくる。私に能力があればMMDを踊らせたいと思うくらい。別にMMD踊らせなくても本人たちが踊ってくれると思うけども。
 「Mars & Vinus」はそれぞれマークがMars=♂、Vinus=♀だから男女に喩えているのだろうか。「Earth to Uranus」は、地球と天王星で天と地?とか思ったら加藤さんがライナーノーツでいろいろ書いてたのでそっち読んでください。

 

08.JUMP AROUND

 ようやく小山さんの低音を活かしまくれる曲がきた!サビが加藤さんと小山さん、しかもオクターブ差で歌ってる、こんなに嬉しいことがあるだろうかってくらい嬉しい。めちゃくちゃテンション上がる。
 圧倒的な適材適所という感じ。発音のいい増田さんのラップ、音が動くパートは手越さん、そしてサビにはこういう曲にぴったりの加藤さんの声と、その声を支えて厚みをもたせるオクターブ下の小山さんの声。こういう歌割りが可能なのがNEWSの強みだなと思う。4人でこれだけ幅があって、しかも全員が得意分野をもった歌声ってすごい。しかも加藤さんのサビのちょっとざらついた感じの声が本当にこういう曲に合ってて良すぎ。あまりにも良すぎ。いつかこういう曲もシングル表題曲として出せる日が来たらいいなぁ。

 

09.ドッキング -INTER-

 機長が呼びかけ、増田さんが応答するまでちょっと間隔が空いているところが妙にリアル。おそらく、ディープ・スペース・テンが応答するまでタイムラグがあるのだろう。その後は間隔が短くなっていて、「ドッキングシークエンスに以降します」の後にまたちょっと間がある。ここもきっとドッキングシークエンスに以降するためには時間がかかるのだろうと想像させる。全部一定の間ではなく、それぞれが違うというところにこだわりを感じる。
 あと今すぐ増田さんに声の演技の仕事を……こんなに良いのに……!

 機長と増田さんが交わしているコード:「Alpha、Tango、ZERO、ZERO、NIN-er」。フォネティックコードと呼ばれる、無線などで聞き間違いやすいアルファベットを区別するためのもの。「AT009」と言っている。ちなみにフォネティックコードのRは「Romeo」。
 ディープ・スペース・テン:SF作品『スター・トレック』に登場する宇宙ステーション「ディープ・スペース・ナイン」が元ネタであると仮定すると、ディープ・スペース・テンも宇宙ステーションなのだろう。

 

10.AVALON

 「アヴァロン」はアーサー王伝説に登場する島で、アーサー王が亡くなった場所とされている。なんかこう……約束の地とかそういう意味合いなのかな……?
 加工と柔らかな歌声が特徴的な曲。手越さんの声は明るくて目立つ声質だけれど、この曲では控えめに柔らかく歌っていてなんだか普段と違ってちょっとどきどきする。それと加藤さんの「旅立とう」「行ったり来たりしよう」の最後の音がマジでやばい。優勝。そのあとにくる増田さんパートはサビに向かうために一旦落ち着いてゆったりした雰囲気になる。増田さんをこのパートにしたいの超わかる、ってくらいに合っている。サビ前の小山さんもやばい。こんなに小山さんの声と加工の相性がいいなんて知らなかった。サビ前の盛り上がりの感じも小山さんの深みのある声がぴったりでやばい。もうやばいしか言えない。
 なぜこの曲が「ドッキング中」のあとにあるのかを考えてみたのだけれど、ディープ・スペース・テンはケプラー周回にあるとのことだから、ドッキングが成功すればもうほぼケプラーに辿りついたことになるのだろう。目的の地に辿りついたという意味から、アルバムの中で唯一「場所」を意味する「AVALON」が次の曲になっているのかなぁなんて考えたりした。

 

11.IT'S YOU

 前作『NEVERLAND』でいうと「Silent Love」ポジションの曲かなと勝手に思っている。「AVALON」から引き続きケロケロ感のある加工がされている。宇宙がテーマだから近未来的・無機質的なものが多く取り入れられているのかなとも思うけれど、「Sweet Martini」が好きだというファンの声を参考にして、全力を振り絞って歌う曲ではなく抑えめにした色気のある楽曲を増やしたのかなとも思う。
 この曲もサビのオクターブ下に小山さんがいて曲に深みを与えている。ほんと……こういう活かし方を……夢みてた……幸せ……
AVALON」はサビ前までが控えめな雰囲気だったけれど、「IT'S YOU」は全体的に控えめだ。この控えめだったり抑えめだったりする歌い方で、NEWSの楽曲の幅がずいぶん広がった感じがする。
 NEWSにはあまり多くない一人称「俺」の曲。でも今回は「UFO」も「オレ」だし、ひとつのアルバムで2曲も一人称「俺(あるいはオレ)」って割と多いなって感じがする。特に「IT'S YOU」のメロディやアレンジの感じからすると「俺」ではなくてもいいような感じがするのにあえて「俺」なのが色気を感じる。
 あと「最後のFirst Love」って言葉がずるい。「First Love」なんだから最初も最後もなくひとつだろうに「最後の」がついちゃうの、ずるい。そういうずるさをこの静かな曲調で歌っちゃうNEWS、ずるい。好きになっちゃうに決まってるでしょ!

 

12.異星人とのコンタクトについて -INTER-

 「異星人とのコンタクトを成功させる冴えたやりかたは、ひとつしかありません」:前述した『たったひとつの冴えたやりかた』が元ネタと思われる。『たったひとつの冴えたやりかた』を読むと異星人とのファーストコンタクトがどれほど危険なものかがよくわかる。

 

13.UFO

 「チャンカパーナ」「EMMA」の流れを感じる曲。シングル曲で欲しかった、と個人的には思う。またトンチキって言われるんだろうけど、トンチキで何が悪い、とか思ってしまう。そういう曲を真面目にかっこよく歌うからこそいい、みたいなところもあると思う。
 加藤さんに「もっと オレが 欲しいんだろ」、小山さんに「ずっと きみが 欲しいんだよ」を歌わせた人に今すぐおいしいお肉のギフト券を贈りたい。最高。あまりにも最高。正解。優勝。他にどんな言葉で表せばいい?ってくらいに良い。加藤さんは歌詞とも合ったちょっと乱暴な歌い方が最高に良いし、小山さんは逆に切実な感じがして良い。
 異星人とのコンタクトについての説明があったところでUFOに遭遇しちゃう曲順が最高。しかも宇宙の果てから来たであろう「きみ」に恋してしまうところがNEWSって感じがする。異星人との恋愛というと「うる星やつら」みたいなイメージでもいいのに、この何かあやしいものと出くわしそうなイントロはピンク・レディーの「UFO」リスペクトなのかなとも思った。

 

14.EROTICA

 ラテンときいていたので歌ったりクラップしたりする場面があるかな(「アゲハ蝶」「ジョバイロ」「オー!リバル」あたりをイメージしてた)と思っていたらそういうラテンではなかった。ので想像していたのとは少し違ったのだけれど、聴いているうちにクセになってきた。聴いてるとうっかりリズム取っちゃう感じ。
 AメロとBメロがたたみかけるようにつながっていく感じもすごく好き。サビのメロディも妖しくて、どんなふうに踊るのか今から楽しみ。

 

15.BLACKHOLE

 いきなり増田さんのラップに殺される。「超カワイイ」は反則……あんまりにも良すぎる……「超カワイイ」という言葉もいいのに「超」の「ch」の発音がやばい。10分耐久動画とか欲しい。全然耐えられるというかもっと欲しい。
 それと小山さんの「ひっくり返す History」からのパートもやばい。「恋する惑星」の歌い出しのかわいい人とは別人。そのあとにくる加藤さんのカウントもやばいし、カウントのあとの手越さんの突き抜ける歌声もやばい。なんかもう全体的にやばい。
 こういう曲調が好きかといえばそうではない。NEWSが歌っていなかったら自らすすんで聴くことはないだろう。NEWSの歌声は、私の中ではとてもクリアなイメージで、そういう声とこういう曲調はなかなか合わさらないというか、合わないものだと思っていた。NEWSが新しい扉を開けてくれたような気分。


16.星に願いを

 さっきのラップの人とこの歌い出しの人は別の人だろってくらい別人。増田さんの振り幅!
 今回の夏曲。加藤さんのAメロが爽やかで、でも爽やかなだけで過ぎ去ってしまうわけではなくて、爽やかながらも耳にしっかり残る声なのがすごく好き。加藤さんが切ない曲を歌うと押さえ込んだはずの後悔っぽい感情がにじむような感じがするのがさぁ……すごく好きです……特に手越さんの声と比べたときの色合いの違いが好き。1番と2番で同じメロディを歌っているのに色が全然違って、だからこんなにNEWSって多彩なんだなぁと改めて思う。

 

17.イノセンス

 圧倒的90年代感。「白い雲のように」とか「tomorrow never knows」とかと同じくらいの時代の曲っぽいし、その時代にリリースされてたらヒットチャートを賑わせていたのでは?と思ってしまうくらいに良い曲。イントロのギターも、リズムの刻み方も、歌い出しの譜割りもすべてに懐かしさを感じる。アイドルにはこういう爽やかなJ-popを歌い続けていてほしい。宇宙というコンセプトだからそういう曲はなくなってしまうのかなと思ったけどあってよかった。
 加藤さんの「守るべきもの」がめちゃくちゃ好き。「AVALON」も優勝だったけどこっちも優勝。
 「自分」を「キミ」と読ませるところを見ると、『QUARTETTO』の「Departure」を思い出す。歌詞全体のイメージも近いものがあるし、アルバムの中での曲順も大体同じぐらいなので、もしかしたら続編のような曲なのかもしれない。

 

18.帰り道 -INTER-

 「数々のスペースプログラムの中からEPCOTIAライナーを~」という感謝の言葉は、世の中に沢山ある音楽の中からこの『EPCOTIA』を選んだことへの感謝ともとれる。そして前回は「NEVERLANDツアーへ……続く!」だったのが、今回は乗務員一同EPCOTIAツアーでお待ちしているらしい。この感じもたまらなく好き。

 

19.HAPPY ENDING

 前作の「U R not alone」が楽曲として以上に意味を持ってしまったため、一体どんな楽曲が来るのだろうとそわそわしていたけれど、「一人だなんて間違えないように」という歌詞があることからも同じ系統のメッセージソングを用意したのだとわかる。また、「笑顔」や「涙」という歌詞を見ると「LPS」とも近いように思える。曲調もなんとなく「LPS」と近いし。でもこれを聴くと終わっちゃうんだ〜って思ってなかなか聴けてない。
 「Happy ending is waiting」とあるから、この曲の先にハッピーエンドが待っているのだろう。いつか幸せに辿りつくNEWSの未来を、これからも見続けたい。

 

 

 ソロ曲についてはまだあまり聞けていないので割愛。
 全体として、小山さんの歌声がすごくいいなと感じた。前回のアルバム以降、きっとすごく努力したのだろうと想像させるくらいに違って聴こえる。「NEWSICAL」のときの経験も活かされているのかもしれない。「UFO」や「JUMP AROUND」なんて全然違う人が歌ってるんじゃないかと思うくらい、小山さんの声が多彩に活かされていることによって、NEWSの楽曲により広がりが出たように感じられる。
 手越さんが高さ、増田さんが広さ、というイメージを持っていたけれど、小山さんの深さが加わったことでより範囲が大きくなったという感じがする。加藤さんの声は三人とは別ベクトルで、ざらつきを持っているイメージ。このざらつきは他のメンバーにはなく、アクセントとして機能していて、NEWSに必要不可欠なものだとも思う。「AVALON」みたいにざらつきを抑えた歌い方されると致死量~~~!って感じがしちゃうのでここぞというときにしてください。「JUMP AROUND」くらいのざらつきが好きです。

 

 NEWSの楽曲はハイコンテクストだと言われることが多いけれど、今回もめちゃくちゃにハイコンテクストで、読み解かれることを想定されている部分が多い。こういうことは受け手が読み解ける(あるいは読み解こうとする意思がある)ことが前提となってしまうので、こういったアルバムが生まれることはNEWSから「ネタを仕込めば読み解いてくれる」と信頼されているようで嬉しくなる。特に考察好きなおたくだからそう思うのかもしれない。
 けれど、別にそんなのを気にしなくても単純に楽曲として楽しめる。宇宙旅行というコンセプトはありながら、アイドル感のあるきらきらした曲もあればヒップホップ感の強い楽曲もあり、ひとつの系統に偏ることなくさまざまな楽曲が収録されている。
 ハイコンテクストであることと楽曲として楽しめること、この両立ができているのがNEWSのすごいところだと思う。

 

 ひとつひとつが個性の強い星々のようで、このアルバムそのものが宇宙のように思えてくる。聴き手は楽曲のあいだを旅しながら、音楽の宇宙旅行を満喫するのだ。

 

 

EPCOTIA(初回盤)(CD+DVD)

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EPCOTIA(通常盤)

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EPCOTIAブックガイド ―宇宙旅行を楽しむ冴えたやりかた―

 今週末からNEWSのツアー『EPCOTIA』が始まりますね!
 今回のアルバムはSF色が強いので、読んだらEPCOTIA気分が高まりそうな本を紹介しようと思います。小説のなかではSFという分野が好きなので、その知識が初めて役に立つときがきました。いつもの通り、非常に個人的な視点で、あるいは主観でお送りします。
 遠征時の移動時間に、グッズの待ち時間などに是非!

 

たったひとつの冴えたやりかた』ジェイムズ・ティプトリーJr

・あらすじ(Amazonから引用)

 やった!これでようやく宇宙に行ける!16歳の誕生日に両親からプレゼントされた小型スペースクーペを改造し、連邦基地のチェックもすり抜けて、そばかす娘コーティーはあこがれの星空へ飛びたった。だが冷凍睡眠から覚めた彼女を、意外な驚きが待っていた。頭の中に、イーアというエイリアンが住みついてしまったのだ!ふたりは意気投合して〈失われた植民地〉探険にのりだすが、この脳寄生体には恐ろしい秘密があった…。元気少女の愛と勇気と友情をえがいて読者をさわやかな感動にいざなう表題作ほか、星のきらめく大宇宙にくり広げられる壮大なドラマ全3篇を結集!


 おそらく、「チャンカパーナ」におけるケルアックの『オン・ザ・ロード』、「EMMA」におけるチャンドラーの『ロング・グッドバイ』のような作品。
 主人公の名前は「コーティー」、作者の名前はジェイムズ・「ティプトリー」Jr。おそらくEPCOTIAライナー009便の機長の名前はこの二人から取られているのだろう。全然関係なかったらすみません。ちなみに主人公も作者も女性。
 「異星人とのコンタクトについて」で添乗員の小山さんが喋っている「異星人とのファースト・コンタクトを成功させる冴えたやりかたは、ひとつしかありません」という台詞もこの話を下敷きにしているように思える。
 中身の関連性が強いかというとそういうわけではないが、関連性から今回のツアー前に読んでおくと楽しいんじゃないかなと思う一冊。
 同じ世界を舞台とした、時代の違う三本の中編で構成されている。「たったひとつの冴えたやりかた」はそのうちの一本だが、主人公の少女とエイリアンが選んだ道筋に思わず心を打たれる。地獄のように美しいラストが脳裏に焼き付き、離れない。名作SFといわれるゆえんがよくわかる。
 海外作品なので翻訳の文章に慣れないと読みにくいかもしれないが、名作と呼ばれている作品なので読んでいる人は多く、ネット上で検索すれば感想や解説が出てくるので、それらを参考に読むのもいいかもしれない。

 

 

『青い星まで飛んでいけ』小川一水
『フリーランチの時代』小川一水
『アリスマ王の愛した魔物』小川一水

 三冊ともSF作家・小川一水さんの短編集。宇宙モノではない話も入っているが、どの短編集にも宇宙の話が一~数本入っている。
 日本の作家で、かつ短編集という読みやすい形式のものということでセレクト。あと単純に私が好き。
 『青い星まで飛んでいけ』この三冊の中では最も宇宙度が高く、どことなく恋愛が絡んだ短編が多い。人と人だけではなく、人と人でないもののあいだに生まれる恋愛すら描く。「静寂に満ちていく潮」は人類が不老不死になり身体も自在に作り変えられるようになった時代の、異星生物とのファーストコンタクトを描いた作品。表題作「青い星まで飛んでいけ」ははやぶさを思い出させる。
 『フリーランチの時代』の表題作は女性宇宙飛行士と宇宙人とのファーストコンタクトを描いている。全体的に「生きる」あるいは「死ぬ」ということについて描いた作品が多い。
 『アリスマ王の愛した魔物』には「星のみなとのオペレーター」を収録。人類が気軽に宇宙を行き来する時代、宇宙船を港へナビゲートするオペレーターの日常と突如訪れた非日常を描いている。軽めの文体ながら中身は濃く、ひとつひとつの文の粋な感じが目立つ素晴らしい作品。
 他にも長編だったりシリーズものだったり、様々な宇宙SFを書いている作家さんです。

 

青い星まで飛んでいけ

青い星まで飛んでいけ

 
フリーランチの時代

フリーランチの時代

 

 

 

星へ行く船新井素子

・あらすじ(Amazonから引用)

 森村あゆみ、19歳。“ちょっとした事情”で地球を捨て、火星へ家出中。無事に宇宙船が出航と思いきや、手違いで怪しげな男たちと同室に。男たちが関わるやっかいな事件に巻き込まれ―あゆみと太一郎の物語の出発点。表題作ほか短編「雨降る星 遠い夢」、書き下ろし「水沢良行の決断」、新あとがきを収録。

 「星へ行く船」シリーズの第一作(全部で5冊)。最近新装版が発売した。二巻以降は厄介ごとを引き受ける事務所で働くことになったあゆみの物語が描かれる。ラノベの元祖とも言われる新井素子さんの作品で、キャラクターの魅力も光る。特に女の子キャラがみんなすごく強くてかわいい!宇宙SFの要素だけでなく、恋愛モノとしても楽しめる作品。

 文体に癖があるが、その文体だからこそ若い女の子の心を描くのにぴったりだとも思える。ちなみにこの作品を書いたときの作者は主人公のあゆみと同年代。すごい。

 

星へ行く船シリーズ1星へ行く船

星へ行く船シリーズ1星へ行く船

 

 

『エピローグ』円城塔

・あらすじ(Amazonから引用)

 オーバー・チューリング・クリーチャ(OTC)が現実宇宙の解像度を上げ、人類がこちら側へ退転してしばらく。特化採掘大隊の朝戸連と相棒の支援ロボット・アラクネは、OTCの構成物質を入手すべく、現実宇宙へ向かう。いっぽう、ふたつの宇宙で起こった関連性のない連続殺人事件の謎に直面した刑事クラビトは、背景に実存そのものを商品とする多宇宙間企業イグジステンス社の影を見る。宇宙と物語に何が起こっているのか?

 宇宙間の行き来がある作品だが、冒険モノといえばその側面もあるしそうじゃない側面も多分にあるし……円城塔作品って感じの意味のわからなさや底知れなさに振り回される作品。意味を理解するのは難しいけれど、決して意味がないわけではなく、むしろありすぎるくらいにあるのではと思える場面もある。一見すると無関係に見える物語がいくつも連なり、読んでいくうちにひとつの物語へと収束していくところもすごい。あとロボットのアラクネがとてもかわいい。

 加藤さんが読んでいた作者の作品からもセレクトしようかなと思って選んだ。確かほかの円城塔作品は読んでたはず。

 

エピローグ (ハヤカワ文庫JA)

エピローグ (ハヤカワ文庫JA)

 

 

銀河鉄道の夜宮沢賢治

 SFかといわれたらちょっと違うような気もするけれど、星空の美しさを味わえる小説。序盤のシーンではジョバンニたちが宇宙についての授業を受けている場面もあり、賢治は想像力だけでなく宇宙についての知識を持っていたことがわかる。それに何より、銀河を描く美しい描写が魅力的。

 これについては昔書いた記事をご参照ください。

penguinkawaii.hatenablog.com

 

 

 

 国内作品ばかり読んでいることがバレるラインナップです。翻訳作品は未だに苦手意識が強くて……でも『たったひとつの冴えたやりかた』は面白く読めました。また何か面白い作品やこれはと思う作品があれば追加していきます。

 

 

お題「NEWSアルバム『EPCOTIA』レビュー」を作りました

お題「NEWSアルバム『EPCOTIA』レビュー」

 

 今年はやらないのかなぁと思っていたので、差し出がましいとは思いますがお題を作らせていただきました。

 1曲、あるいは数曲、もちろん全曲、すべてウェルカムです。『EPCOTIA』の感想を是非読ませてください!私もいずれ書こうと思っていますが、取り急ぎお題だけ作りました。

 

 

EPCOTIA(初回盤)(CD+DVD)

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EPCOTIA(通常盤)

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信仰と尊敬と、誠実であること

 ひとが二人いたら、そこに「関係」が生まれる。それは、対面し対話できる二人だけに留まらない。私と、私が対面し対話することが叶わないような相手のあいだであっても、そこに「関係」が生まれる。
 ひとは「関係」に、さまざまな名前をつける。たとえば親子。たとえば兄弟。たとえば友達。「関係」に名前をつけて把握することができたら、今度は「関係」する相手に向ける気持ちにも名前をつける。たとえば友情。たとえば恩。たとえば恋。たとえば愛。
 最近、考え込むことがある。私と加藤さんの「関係」は、どんな名前でなら表せるのか。私が加藤さんに向けている気持ちは、一体なんなのか。
 前者は自明だ。「ファンとアイドル」である。それ以上でも以下でもない。ただそれだけだ。しかし後者は既存の概念には当てはまらないような気がしてしまう。自分が抱く感情を、自分が把握できないというのはちょっと問題な気がする。だから、ちょっとだけ真面目に考えることにした。
 あくまで私個人の考えであって、誰に何を言うためのものでもない、誰に向けた文章でもない、ちょっとした決意表明のような、ただの日記です。

 

 なぜこんなことを考えることになったかというと、最近読んだ本がきっかけだ。河野裕さんの「階段島」シリーズ第三作『汚れた赤を恋と呼ぶんだ』、第四作『凶器は壊れた黒の叫び』である。
 「階段島」シリーズというのは不思議な島に暮らす人々の物語で、紹介文には「青春ミステリ」とあるがミステリというよりは人の心を抉るように描き出す物語だと思っている。成長することを「自分の不要な部分を捨てる」と変換し、捨てること=失うことと成長することの表裏一体な面を丁寧に、かつ寓話のように描いている。エンタメとして読んでも先がわからなくて面白いが、それ以上に心に刺さるものがありすぎる物語だ。
 物語の主人公は「七草」という男の子で、重要な人物として「真辺」という女の子がいる。七草と真辺の関係を言葉にするなら、一般的な認識としては「友達」と表現するのが最も近いだろう。七草はあまり活発ではないが心のうちでは様々なことに考えを巡らせる男の子で、それゆえに真辺のもつ真っ直ぐで無鉄砲で極端すぎるほど他者に左右されないところに迷惑をかけられながらも彼女のそういうところを美しいと思っている。
 次の引用は、七草が真辺に向けた言葉だ。

「嫌いなところもたくさんある。嫌いなところも、気に入っている。思い返してみれば、僕がちゃんと嫌いになるのは、君くらいなんだ。僕を本当に苛立たせる部分であれ、君からなくなってしまうと、とても悲しいよ」(『汚れた赤を恋と呼ぶんだ』)

 七草は、無鉄砲で真っ直ぐで短絡的ともいえる真辺の行動に振り回される。何もかも好きだと言ってのけるのではなく、嫌いなところは嫌いなところとしてあることを言葉にする。
 この台詞を読んだとき、ここに書かれている言葉の意味を言葉の意味以上にわかる、と直感した。私が加藤さんに思うことと、概ね同じだからだ。
 グループの中で一番好きな人は加藤さんだけれど、グループの中で一番嫌いな人も加藤さんだ。単純に趣味が合わないという部分から、私の考え方の根本的な部分とぶつかるところまで、大小さまざまな嫌いが、彼を見ていると生まれてくる。けれど、その嫌いなところがなくなってしまったら、すごく寂しい。
 今まで、こんなに嫌いだと思う相手を好きだと思うことはなかった。好きな相手を嫌いだと思うことはあったけれど、それは理屈抜きの嫌いだったから、その感情を自分の中に置いておくのがいやで距離を置くことはあった。でも加藤さんに対する気持ちは違う。理路整然としていて、私の中で納得できる嫌いだった。何がどう嫌いなのか、自分で把握できている。説明できてしまうくらい、はっきりと嫌いなのだ。七草のいう「ちゃんと嫌いになる」というのは、こういうことだろうか。だとしたら私が「ちゃんと嫌いになる」のも加藤さんくらいなものだ。
 とてもわがままな感情だ。一方的な押しつけともいえるだろう。でも、対面し対話することが叶わない相手なのだから、何を思おうと一方的な押しつけ以外の何にもならないとも思う。ただ、一方的な押しつけであることを理解したうえで、私は勝手に悲しく思うのだ。
 この台詞とは違う点もある。私は加藤さんの変わったところを寂しく思うくせに、変わらないままの彼だったらもう好きでも嫌いでもなくなってしまいそうな気がする。変わらないでいてほしいと思う気持ちはなくはない。でも、変わらないでいてほしいなんて思いたくない。私が変わらないでほしいと願ったところで彼にとってはなんの障害にもならないのだろうけれど、それでも、彼の道を阻むような気持ちを抱きたくない。私の勝手な悲しみは私だけのものであり、彼についてなんの影響力も持ってほしくない、と思う。


 もうひとつ、印象に残った台詞がある。今度は真辺が七草について語ったものだ。

「たとえば、私がなにかを間違えたとき、恋人だからっていう理由で七草がその間違いを見逃すようなことがあっちゃいけないんだよ。私が間違えたなら、七草には叱って欲しい。七草が言っていることに納得できなければ、私は反論したい。そのときにあるべき感情は、恋でも愛でもない」(『凶器は壊れた黒の叫び』)

 これもまた、わかる、と直感する台詞だった。特に「七草が言っていることに納得できなければ、私は反論したい」というところ。この台詞の好きなところは「私が間違えたなら、七草には叱って欲しい」というのに「七草が間違っていたら私が叱る」ではないところだ。真辺は七草の言動に対して「間違っている」という判断を下さない。「納得できない」も「反論する」も、それ自体は正誤を問うものではない。正しいものに納得できないこともあるし、誤った展開で反論することもある。真辺が七草に対してしようとしている行動は、客観的な正誤ではなく真辺の価値観を基準としている。
 加藤さんの発言に対して「私はそうは思わない」と思うことが、よくある。このとき、私は客観的な正誤ではなく私自身の価値観を基準として「そうは思わない」と思っている。間違っているわけではないが(あるいは正誤のことは考えないが)、私とは違っている。納得できない程度には違っている。私はその「そうは思わない」「違っている」という考えを、なかったことにはしたくない。どこがどう違うのかを明確にして、言葉で説明できるようにしておきたい。たとえば、彼がなんらかの発言をしたとして、その発言に賛辞を送る人がいたとしてそれは全く構わない。好きにすればいい。しかし、もし私がその発言に納得できないのなら、納得できない理由を自分の中でしっかりと組み立てておきたい。
 その言葉を彼に伝えることはしなくていい。彼の言葉が私ひとりに向けて発されたわけではない以上、彼に反論の意思を伝えたところで意味がないというか、それは私の望むところではないというか、そもそもがお門違いだからだ。ただ、それでも「私はそうは思わない」と思う気持ちをなかったことにはしたくない。


 どちらの台詞にも「わかる」と思ったけれど、七草と真辺というふたりの登場人物において、私の気持ちがどちらに近いかといったら、真辺のほうだ。というか、真辺の気持ちに近い私でありたいと、私は願っている。
 七草は自身の感情を「信仰」と呼ぶ。彼は真辺の美しさを信仰している。真辺が間違っていると思っても叱らない。それすらも許容しようとするし、間違いながらもまっすぐに進む彼女に美しさを見出し、その美しさを信仰している。
 一方、真辺は七草に対する感情を「尊敬」と表現する。だとしたら、真辺の想いに近い私のこの気持ちも「尊敬」なのかもしれない。
 「信仰」と「尊敬」はよく似ている。私がどちらの気持ちもわかるように、七草と真辺が互いに向けている気持ちは、よく似ている。混同してしまうことさえあるほどに似ている。ある人が「尊敬している」というとき、それは実は「信仰している」であることもある。しかし、決定的に違う。
 「信仰」は、絶対的で、決して揺らぐことがないものに向ける感情。対象が決して動かぬ確かなものとして、信じぬく心。でも、神仏ならともかく人は揺れる。無垢で美しいと信じていたものが、実はそうではないことだってある。時を経て、経験を得て、人は揺れ、変わるものだから。絶対的な確かさであらゆる変化から留まり続けることができる人なんて、いない。
 「尊敬」は、相対的な感情だ。私からあなたに向ける、ごくごく私的な感情。相手を尊いと思い、敬っているからこそ、納得できないなら反論したい。言い負かそうとしているわけではなくて、納得する答えが得られるようにしたい。「尊敬」するのに相手を信じる必要はない。信じていなくたって尊敬はできる。
 それに、「信仰」は対等な相手には抱くことができない感情だ。「信仰」という感情それ自体が、相手を上に見ていることの証明となる。自分より確かで、自分より絶対的なものだから、「信仰」することができる。対面し対話することが叶わない相手だったとしても、人であれば揺れるし変わる。そんな不確かな存在を「信仰」することは、私はしたくない。

 「尊敬」という感情の発露の仕方にもさまざまなかたちがあると思うけれど、私の場合は「目を瞑らずに見つめること」というかたちだ。あるいは「ひとりの人間としての目線で、相手をひとりの人間として見ること」と言い換えてもいい。対面し対話することが叶わない関係だということはわかっているけれど、できるだけなんのバイアスもなく対等でありたい。ここでいう対等は、社会的立場もクソもない自分に下駄を履かせて相手と同じ立場になることではない。ただのひとりの人間として、ただのひとりの人間を見るということだ。周囲の意見とは関係なしに、私と私が見る加藤さんについての、それ以外の何者も関係しない世界で完結したい。過保護にもなりたくないし、過度にきつくなりたくもない。ただ、私は私の価値観でもって、あなたを見ていたい。


 これらの台詞から派生したことと関連して、考えていることがある。それは「見ている世界の正しさ」についてだ。先程は正誤という価値観とは無関係の話をしたけれど、今度は正誤が関係してくる話。
 私には私から見える世界しか見えないから、それが正しいと思い込んでしまうこともある。私だけではなく、自分から見える世界しか見えないすべての人に当てはまることではないかと思う。しかし、世界というものは、自分から見える世界こそが正しいといった簡単な仕組みではできていない。

ありのままの真実など 誰も見ていやしない
色を変えたり歪めたり カメレオン・レンズみたいに

 私が見ている世界も、私ではない誰かが見ている世界も、どちらも「ありのままの真実」を捉えられてはいない。そんなことは不可能なのだ。主観のフィルターが一切かからない状態なんてありえないから。たとえば、映像や演出が優れているがストーリーが陳腐で穴がある映画があったとして、ストーリーを重視する人は「映像や演出でもたせているだけの薄っぺらい映画」と評するだろうし、映像や演出に惹かれた人は「ストーリーの穴を補って余りあるほど映像と演出が優れた映画」と評するだろう。どちらも「映像や演出が優れている」「ストーリーが薄い、穴がある」ということを認識していても、主観的なフィルターがかかることで映画に対する評価は分かれる。しかし、どちらかの認識が間違っているわけではないと思う。「ありのままの真実」は、誰にも捉えることはできないのだ。
 私が加藤さんの言動に納得できない事象があったとして、加藤さんの言動に納得する人がいてもそれは間違いではない。しかし、それが間違いではないのと同等に、私が納得できないということも間違いではない。「ありのままの真実」を「ありのままの真実」として捉えることは、できないのだから。


 最近、さまざまな出来事があった。最近というか、去年あたりから私はずっと揺らいでいる。その揺らぎの原因はおそらく「私は加藤さんのことを好きなのかどうか」だ。それを考えるきっかけになった出来事は、いくつかある。そのうちのひとつは質問箱にいただいた質問だったり、彼を好きだと言う他の人と意見が合わなかったり、彼に抱く「嫌い」の気持ちだったり、そんないろいろな要素が積み重なって、私は彼のことを好きではないのだろうか、という疑問が浮かんだ。そんなことはない、と思う。でも、「と思う」を外すことができない。断言することができない。

 たとえば、すごく好きなアーティストがいる。私は彼らがリリースするすべての曲にいいところを見つけることができる。しかし、それでも憎むほど嫌いな曲もある。いいところがないわけではない。でも、どうしてもその曲を「最高!」と喜ぶことはできなかった。よくないところなんてどこにもないように見えるのならそれはそれでいいし、その人にとってはそれが正しいことなのだと思う。でも、私にはそうは見えなかった。そうは見えないことがすごく悪いことのように思えて、必死にいいところしかないんだと思い込もうとした。すごくつらくて、私にはできなかった。それは、私にとっての「好き」のかたちとは違うと思ったから。
 今の私の「好き」のかたちは、「誠実であること」だ。嘘をつかないこと。彼に対して思ったこと、それが喜びであれ怒りであれ悲しみであれ、自分の気持ちを偽らないこと。不特定多数が見るところで言うことと言わないことの区別はあるけれど、自分の気持ちと合致しないことには不用意に同意したくない。違うと思うことには違うと思いたい。違うと思う理由をしっかり考えて納得したい。うやむやにしてごまかしたりしたくない。だからといって、何もかもネット上で発言したいというわけではない。思ったことすべてが言いたいことだとは限らない。言わないでいるという選択も勿論ある。私の考える「誠実であること」は、何もかもをあけすけに話すことではない。私の気持ちに、彼について考えることに、嘘をつかないことだ。話すとか話さないというのは、その先にあることで、誠実であるかどうかとは直接は関係がないと思っている。
 かつての私は、「わかろうとすること」を「好き」のかたちとしていた。しかし、相手のことを完全に「わかる」ことはできない。「わかろうとすること」のゴールは「わかる」ことであるはずなのに、そこに至ることができないことへの苛立ちもあったし、「わかったつもりになること」は恐ろしいのだとも知った。「わかろうとすること」は大切だけれど、私はそれを「好き」のかたちとして定義するのをやめた。それに代わる「好き」のかたちを模索して、ようやく掴めてきたのが「誠実であること」だ。
 私の加藤さんに対する姿勢である「尊敬」のかたちは「目を瞑らずに見つめること」だと先ほど述べた。つまりこれもまた「誠実であること」のひとつの形態だと思う。私は、誠実でありたい。それが私の「好き」のかたちだから。
 好きではないのに好きだと言うのであれば、それはひどく誠実さに欠ける行為だ。私は、彼に対しては誠実でありたい。ひとりの人間として、私の持てる知識すべてを使って彼のことを考えて、間違うことはあっても嘘はつかないでいたい。この「誠実でありたい」と思う気持ちは、「好き」という気持ちそのものだ。つまり、彼に対して「誠実でありたい」と思う以上、私は彼のことが好きなのだろう。
 「好き」のかたちだって、私というひとりの人間のなかでも変わる。ならば、私以外の人が私と違う「好き」のかたちを持っていたって不思議ではないし、むしろそのほうが自然だと思う。ただそれだけのことで、どちらが正しいわけでもどちらが間違っているわけでもない。どちらも正しく、どちらも間違っている。「ありのままの真実など 誰も見ていやしない」のだから。

 

 それから、加藤さんのことを「担当」と呼んでいいのかどうかも迷った。いや、まだ迷っているかもしれない。加藤さんのことは応援しているし、私の「好き」のかたちで好きでいるけれど、もし「担当」という言葉がフィルターとなって目を瞑らせてしまうことがあるのなら、私はそれを良しとしない。良しとしたくない。先程引用した真辺の言葉に「私がなにかを間違えたとき、恋人だからっていう理由で七草がその間違いを見逃すようなことがあっちゃいけないんだよ」とあった。この「恋人」を「担当」に置き換えるように、彼に対してそれは違うと思ったことについて「担当だから」という理由で目を瞑ることを、見逃すことを良しとはしたくない。何をどう思ったかを言葉にするかどうかは置いておいて、でも目を瞑るのは嫌だなと思う。だけど、目を瞑るのが正解なのだと思う私もいて、ここしばらくのあいだひどく揺れてしまっている。多分、重要なのは「担当」という名称ではない。私の気持ちの問題だ。この問題についてはまだ解決はしていなくて、なのでとりあえず「保留」としている。なのでこっそりいろんな自己紹介から「シゲ担」の文字を消しました。いつか胸を張って言える日まで、一応は保留ということにしておきます。保留にはするけど、加藤さんのことを応援していること、加藤さんのファンでいることにに変わりはありません。

 

 加藤さんには幸せでいてほしい。広い世界で、なるべく傷ついてほしくはないがときに傷つくこともあるこの世の中で、たとえ傷つくことがあってもその先で、確かに幸せであってほしい。42.195kmの距離を車で走るのではなく、沿道の声援を受けながらその足で走り切ってほしい。彼にならそれができると、私は思っている。

 きっと私の「好き」のかたちは優しくない。他にもいろいろな「好き」のかたちがあって、そのなかにはもっと優しいものだってあるだろう。でもそれは私には合わないから、私は選ばない。
 ごめんね、優しくなくて。
 あなたのファンなのに、あなたに優しくなくて、ごめんね。
 そう思うから、ファンをやめようと思っていろいろと考えたり悩んだりしていたのだけれど、やっぱりやめられない。どんどん変わっていくあなたから目を逸らすことは、今の私にとってはひどく難しいことだから。
 恋人でも親子でも兄弟でも友達でも知り合いですらない、あなたと出会うことのない世界で、あなたと対面し対話することのできない関係性で、今の私が考えうる私にとって最上の「好き」のかたちで、あなたのことを愛しています。