あなたとわたしと宇宙とヒトと ―『天冥の標』感想―

 『天冥の標』をまだ読んでいない人は幸せだ。これからこの物語を読めるのだから。

 

 

 

 壮大で、壮大で壮大で、あまりにも壮大。そんなSFが好きだ。私の想像力では到底行けない場所へ連れて行ってくれる。2019年、私を最も遠くまで連れてきてくれたのは間違いなく「天冥の標」シリーズだ。

 2019年2月、シリーズが完結したときいた。私は完結していないシリーズものはできれば追いたくないタイプなのでこのときを数年前から待ち望んでいた。待ち望みつつ、畏れてもいた。だって出たら読みたくなるから……でもシリーズものを読むのは億劫でもあるから……

 正直、数冊にわたる長編を読むのは体力がいる。単純に前の巻の話を忘れてしまうということもあるし、腰を据えて読めるならいいが週5日を会社勤め人として過ごしていると(たとえ仕事が暇だとしても)なかなかそうもいかない。本だけ読んでてお金が稼げればいいのにな……と思うがそんなに世の中上手くいくはずがないので、空いている時間をどうにか活用して読むしかない。

 と、考えたときに。ふと「読めるわ」と思った。読書を再開して2年目になり、シリーズものをそれまでは避けてきたとはいえ、既に300冊近く読んでいる。300冊くらい読んでるんだと自覚したら「読めるわ」と思った。根拠はない。ただ漠然と「読めるわ」と思ったし何より読みたかった。だって短編や一冊完結の作品は読んでいて小川一水さんの書くものが面白いのわかってるし。

 そう、面白い。

 こんな面白いものを読まずにいるなんて、それでいいのか?いいわけがない。と思って読み始めました。マジで冗談抜きで面白いので、ざっくりした感想です。紹介とも呼べないのでもういいから『天冥の標』読んで。

 

 

1:メニー・メニー・シープ

 西暦2800年代の話。植民地「メニー・メニー・シープ」で起こる反乱と、突如現れた怪物に翻弄される人々が描かれる。植民地の反乱や怪物の登場はそれなりに重たい場面も含むのだが、メインとなる登場人物の造形がかわいいので全体が重たいということはない。金髪美少女な美少年アクリラとどことなく冴えない(がとても優しい)お医者さんカドムのバディがかわいい。SFは「かたい」と思っている人がいたら是非小川一水さんを読んでほしい。かたさとやわらかさのバランスが絶妙です。

 とにかくこれを読まねば始まらない。が、恐ろしいことにこれを読んだとてまだ始まらないのだ。

 

 

2:救世群

 西暦2010年代の話。つまり現代。「メニー・メニー・シープ」で植民地の人々を襲った冥王斑という病気がいかにして広まったか、という話が描かれている。パンデミックに対してどう立ち向かうかという話は決して現実とも遠くないので、緊張感をもって読み進めた。

 疫病が蔓延するとき、人はそれにどう対処するのか。どのように原因を突き止めるのか。どのようにパンデミックを食い止めようとするのか。ほかの巻では割と戦闘シーンがあるものが多いが、これは医者たちの戦いを描いている。

 ちなみに私は手に入る順番の関係で1→3→4→2(以下番号順)と読みました。2~5はたぶんどの順で読んでも問題ないです。

 

 

3:アウレーリア一統

 3~5は2300年代の話。「メニー・メニー・シープ」の美少女な美少年、アクリラ・アウレーリアのご先祖にあたる(であろう)アダムス・アウレーリアがメイン。彼を主人公とした宇宙戦記的な話。カドム・セアキのご先祖にあたる(であろう)瀬秋樹野も出てくる。

 アダムスの主人公感もすごいし、宇宙で戦艦がドンパチやるのでアニメ映えしそうだな~という話でもある。読んでて映像が浮かんでくる人だと楽しいだろうな~って思った。私は人間の感情の機微を読むとうわ~!ってなるけど動きのあるシーンは割とふ~んって感じだからな……でもフェオドールがかわいいからこの巻は好きです。まぁこのフェオドールは……あのフェオドールとは違うフェオドールなんですけどね……へへ……読んで……

 

 

4:機械じかけの子息たち

 「メニー・メニー・シープ」に登場する<恋人たち>(ラバーズと読む)というアンドロイド的な存在についての話。

 すごいぞ!1巻まるまるセックスしかしてないくらいだ!というのも、<恋人たち>は性愛をもって人間に奉仕する存在だから。彼らの住むハニカムという天体にひとりの少年が迷い込み、そこで出会った<恋人たち>の少女と至上の性交である「マージ」を目指す……という感じでまぁまぁ濃ゆい巻である。

 この「天冥の標」というシリーズは壮大な時間的空間的スケールで描かれるし、どう生き残っていくかという話でもある。個として生き残るのではなく、種として生き残るためには、生殖は欠かせない。生殖するためには性交が必要となる。シリーズのうち1冊をまるまる費やすことから、この物語における生殖および性交の必要性がわかるだろう。わかるけど単純にやばい本読んだな〜って感想を抱くのもまた事実。

 

 

5:羊と猿と百掬の銀河

 宇宙農家の話とダダーのノルルスカインがいかにしてダダーのノルルスカインとなったかの話が交互に描かれる。結構お気に入りの巻。

 食べないと生きていけないのが人間というものなので、宇宙に進出していったとして、そこに定住したとして、何食う?というのは大きな問題。全部工場で作れるわけではないから、そりゃあ農家だっている。

 「機械じかけの子息たち」でも触れた通り、「天冥の標」は生の営みの話でもあるので生殖も必要だし食べることも必要だ。食べること、ひいては食べるものを生み出すこと。このシリーズに農家の話が入ってくるのも必然なのである。

 一方、ノルルスカインパートは生命の成り立ちとか宇宙の成り立ちとか、なかなか難しい話も出てくる。が、軽妙な書き口が難しさをやわらかくしていて、文章が上手いってこういうことだよな……と衝撃を受けた。

 

 

6:宿怨

 2500年代の話。6以降は全部時系列が繋がっている。

 シリーズの転換点となる作品。<救世群>の始祖・2巻「救世群」で矢来と児玉が手を尽くして冥王斑から回復したチカヤ=檜沢千茅の血を受け継ぐヤヒロ家のイサリとアイネイア・セアキが出会ってすべてが動き出す。

 どっと話が動く。500年ものあいだ虐げられてきた冥王斑の保菌者たちがとうとう動き出す。500年のあいだに積み重なったものは重い。かけはなれていった溝は深い。

 シリーズ中でも3冊あるのはこの「宿怨」と最後の「青葉よ、豊かなれ」だけなので、この「宿怨」の重要さがわかる。これを読んだらこの先は一気に読まずにはいられません。

 

 

7:新世界ハーブC

 「宿怨」のあと、生き延びた人々(主に子どもたち)はどうしたか。一時的なサバイバルではなく、永続的なサバイバル。どうやって生き延びていくか。そんな宿命が、20歳にも満たない子どもたちに降りかかる。

 登場人物が「宿怨」と共通しており、「宿怨」でイサリとともに惑星キャンプをしたスカウトたちが登場する。が、追い詰められた彼らを見ているのは正直つらかった。あんなに元気で賢い子どもたちだったのに……極限状態は人を変えてしまうものなのだなぁ。

 個人的にはシリーズ中で一番重いと思う。しんどかった。

 

 

8:ジャイアント・アーク

 1巻「メニー・メニー・シープ」をイサリ視点から描く。1巻読んだときにはイサリにそんな過去があったなんて全然思わなかったし絶望エンドか?って思ってた。物語はひとつの視点からだけではわからないことがたくさんある。

 6巻が序章の終わり、7巻が次の章への橋渡し、8巻~10巻が最終章という印象。ここからの展開が怒涛。

 

 

9:ヒトであるヒトとないヒトと

 各勢力が今どうなっているのかを描く。ここにきてまだ隠されていた真実が明らかになるのでどう終わるんだよ……とそわそわしてしまう。太陽系に残された人類がどうなったのかもわかってしまい、ますます心がずっしり重たくなる。そしてこの先どう終わるのか、どきどきが止まらない。

 

 

10:青葉よ、豊かなれ

 最終巻は号泣。べしょべしょに泣きながら午前4時11分に読み終えた。もうすぐ夜が明けるんだって思ったらエモくて更に泣いた。17冊目を読み終えてもうすぐ夜明けが来るんだよ?泣くよね。

 既に物語から退場したあの人や、物語から退場するかに思われたあの人も、まだまだ物語に組み込まれていく。今までの16冊が重なりあって重なりあって、そして物語をつくっていく。

 そして17冊目の裏のあらすじ部分、何書いてもネタバレになるからって今までのサブタイトル全部絡めて書くのずるすぎるでしょ……エモいとはこのことよ……

 

 

 

 

 以下、全然まとまらない全体の感想。

 

・種として生き抜く

 人間が個として生き抜くための話は沢山読んできたけれど、人間が種として生き抜くための話はなかなか読んだことがない。そして、種として生き抜くことを描くなかには個として生き抜くことも含まれる。

 2300年代のセアキ・ジュノ、2500年代のアイネイア・セアキ、そして2800年代のカドム・セアキ。2300年代のアダムス・アウレーリア、2500年代のオラニエ・アウレーリア、そして2800年代のアクリラ・アウレーリア。セアキ家とアウレーリア一統が同じ姓を保ち続けていることに象徴されるように、この物語は「生き抜くこと」と並行して「受け継ぐこと」も描いている。姓は変わるが、2010年代の檜沢千茅、2300年代のグレア・アイザワ、2500年代のイサリ・ヤヒロもまた、その血を受け継ぐものだ。あるいはヴァンディ家、あるいはリンゴ。あるいは羊飼いたちの訛り。あるいはダダーとしての役目。ほかにもまだまだ思いつく。この物語はさまざまに「受け継ぐ」ことで成り立っている。

 この「受け継ぐ」ということはとても重要なキーワードとなる。自分たちがもっているもの、自分たちがつくったものを次世代に受け継いでいくことで、人間は種として生き残っていける。

 この物語は「生殖」が大きな役割を担うものだと認識しているが、「生殖」という行為もまた受け継ぐということだ。自分たちがもっているものを次世代に渡すこと。それが幾度となく繰り返され、人間は増えて、そして栄えていく。このシリーズは確かにエロ(ってあとがきで作者が言ってたからそれに準じてこの言葉を使う)が多い。4巻では様々なセックスの例を示していて、もはや「指先が触れ合う」みたいなものも含まれる。そして「生殖」は最後の切り札として使われることにもなる。これを真正面から書こうとするのってすごくない?それでいてめちゃくちゃ面白いんだよね。別にいやらしい感じもないし。

 私は大学時代に真面目に生殖とかセックスとか話してるゼミにいたんだけど(今思うとすごいゼミだったな)、もしこのシリーズが完結していたら絶対この話したのになって思う。絶対面白かっただろうな~!

 

 

・種を描きつつ、個を描く

 こんなに大きな流れを描いているのに、それぞれの個としての関係性も決しておろそかにすることなく書かれている。カドムとイサリは勿論、他のキャラクターもみんな魅力的だし、恋愛も友情もひっくるめた関係性がどれも魅力的。それに、メインで描かれる物語のなかだけでも800年くらいの時間が流れているから、その中には読み手(と勿論書き手)にしか見えてこない、作中の人物たちにはわからない関係性というのもある。たまらんよね。

 私は最終巻に至るころにはアクリラがすごく好きになっていたんだけど、アクリラと彼に関わる人々の描き方もすごくいい。あと誰一人完璧じゃないところがすごく好き。カドムも決して聖人ではないし。ていうか出てきた人たちみんな嫌いじゃないんだよな……みんな好きだよ……ノルルスカインも好きだし……ノルルスカインとミスチフの関係性もやばやばのやば。もう胸がいっぱいでろくに言葉が出てこない。ルッゾツー・ウィース・タン!

 

 

・コミュニケーションの重要性

 「コミュニケーション」がいかに大切か、というのも思い知らされる。もっとうまく対話できていれば……思う場面が少なくない。でも現実、そんなにうまくコミュニケーションできるわけではない。いろんな思惑とか、いろんな計略とか、そういうものに阻まれることがあるし、いろんな思想やプライドに阻まれることもある。そしてそれが歴史を左右するような大きな断絶を生み出すこともある。

 この物語が描くのは「コミュニケーションを取り続けること」なのかもしれない。読まれているかわからないような手紙を出し続けるような、そんなコミュニケーション。それを諦めずにいること。思えば、イサリはコミュニケーションを諦めないキャラクターとして描かれている。カドムたちと言葉が通じないということがわかると、彼らの言葉を学ぼうとする。言葉が通じるようになると、最初は怪物のように思われていたイサリがひとりの人間として受け入れられるようになる。彼女の必死のコミュニケーションが受け入れられた結果だ。カドムがそれぞれの勢力を繋ごうとするのも、コミュニケーションの重要性の表れのように思える。

 相手に伝えようと思うこと、相手を理解しようと思うこと、相手から理解されようと思うこと。それがとても大切なことなのだと、そういうことを描いているように思えた。

 

 

・「想像力」の広がり

 そして何より「想像力」のちからの凄まじさを感じる。『天冥の標』はフィクションで、本当にあった物語ではなく、つまりは作者の想像で描かれている。こんな壮大な物語をつくることができる「想像力」、やばくない?語彙を失う。はるか未来のこと、遠い世界のこと、想像力があふれ出す。人間はこんな物語を生み出すことができるんだ。勿論、だったら私にもできるというわけではない。でも読んで楽しむことはできる。それってすごいことだよなって。読んで楽しむことにだって想像力は必要だと思う。私の想像力の限界を押し広げていくような、そんな作品だ。

 

 あなたとわたしと宇宙とヒトと。まだまだ広がっていくことができる。それがいいことか悪いことかはわからないけど、広がった先にきっと何かがある。何もないなんてことは、たぶんない。

 

 

 

 『天冥の標』をまだ読んでいない人は幸せだ。これからこの物語を読めるのだから。

 『天冥の標』を既に読んだ私もまた幸せだ。こんなにも素晴らしい物語がこの世にあることを知っているのだから。

 

 

 

天冥の標〈1〉―メニー・メニー・シープ〈上〉 (ハヤカワ文庫JA)

天冥の標〈1〉―メニー・メニー・シープ〈上〉 (ハヤカワ文庫JA)

 

 

過去と対峙し未来へ向かう ―ポルノグラフィティ「VS」感想―

 思うことがいっぱいありすぎてなかなか書けずにいたんだけど書かなかったらたぶん書いときゃよかったな~って思うだろうから書きます。

 

 

 

 

VS

・晴れやか

 イントロのピアノがまずいい。爽やかで決して暗くはないけれどちょっと切ない感じもありつつ静かに始まる。岡野さんの歌声もピアノの音と同様に優しく、そっと入ってくる。いやこの入り方めちゃくちゃ上手くないですか?岡野昭仁の「歌が上手い」は音程や声質だけじゃなく技術にも裏打ちされてるんだなと改めて実感する。

 そして徐々に盛り上がり、サビで思いきり弾ける。ここまで盛り上がりをとっておくことで「こんなにも晴れわたってる」の説得力が全然違う。雲がさーっといなくなって太陽が照りつける空が、アレンジや演奏からも伝わってくる。

 あとギターソロもすごく晴れやかで、たぶんこの「僕」は「あの少年」に対して誇れるところもちゃんと持っているんだろうなって思う。とても伸びやかで、白いボールが晴れた空に舞い上がるようなイメージにも合う。ほんと新藤さんのギターは雄弁。

 

 

・「夜ごと君に話した約束たち」

 サビの終わりの「あの少年よ こっちも戦ってんだよ」は、「プッシュプレイ」の「あのロッカー まだ闘ってっかな?」を思い出す。特にノンフィクションだと言わない限り新藤さんの歌詞はフィクションなのだろうけれど、それでも過去の曲と対比できてしまうところにぐっとくる。私が好きなロックバンドは今もまだ闘っているよ。

 二番からは「AGAIN」や「ダイアリー 00/08/26」「ひとひら」を思わせる言葉が出てくる。「夜ごと君に話した約束たち」だ。

 

夜ごと君に話していた約束は今も果たせず

痛みに姿を変えて尚 AGAIN AGAIN

 (「AGAIN」)

夜ごと、君に話してた未来についての言葉は

いくつかは本当になって、いくつかはウソになってしまった。

 (「ダイアリー 00/08/26」)

あれは夜な夜な語った夢と果たせないままの約束たち

(「ひとひら」)

 ざっと思い出せるのがこのあたり。そして「VS」ではこうなる。

 

夜ごと君に話した約束たち

今も果たせずにいて

 (「VS」)

 

 ねぇわかります……?ポルノグラフィティの約束はまだ果たされていないんですよ……。夢叶った!ハッピー!って言っちゃってもいいのに、言わないところが新藤さんだなって思う。叶わなかった夢もあるし、まだ叶っていない夢もあるんだろう。そこに正直であること、とても新藤さんだな……好きだな……

 

 

 それと「MIX」=混ぜ合わせるという意味をもったアニメの主題歌のタイトルに「VS」=対峙するをもってくる新藤晴一、天才じゃないですか?んで東京ドームでのライブ「神VS神」にもかかってて……シンプルに天才。

 

 

 

プリズム

 なんでこのメロディとこのアレンジでファンへの感謝や愛を歌おうと思った!?って思うような変態的なメロディとアレンジ。でもこういう難しい曲を歌うこともまた愛じゃん……って思う(ちょろい)。

 「過去も現在も未来もたくさんの愛に包まれている Precious Journey」、あまりに幸せすぎてひえ~~~って思っちゃうくらい。私がポルノを愛していることをちゃんと知ってくれているの、すごく嬉しい。えっこちらこそこんなに愛されていていいんですか……?

 かつてポルノが合併により廃校となった母校に戻った映像(たぶんNHKで、因島尾道市に合併することになったときの凱旋ライブのやつ)で、新藤さんが岡野さんについて「体育の走り高跳びで誰よりも高く跳んでた」って言っていたのが印象的でずっと覚えていたので、「誰よりも高く飛べ」って歌詞がめちゃくちゃに刺さった。

 ていうか「プリズム」というタイトルで「プリズムの乱反射に目が眩んでしまうけど君たちが導いてくれたからここまでこれたよ」って歌うのしんどくない?しんどいです。好き。

 あと「夢か現か」で終わらず「風か幻か」って続くのめっちゃ岡野さんの歌詞だ~~~って思う。好き。

 全然まだまだこの先進んでいく気満々じゃん!って歌詞ですごく幸せになった。「未来」のことも歌ってくれてありがとう。あと単純に曲がかっこいいよね〜〜〜岡野さんの曲の疾走感わけわかんないほど疾走してて好き。

 

 

 

一雫

 正直この曲の話無理なんですけど……それでもするとしたらメロディがずるい。こんな優しいメロディにノンフィクションの歌詞を載せられちゃったら泣いちゃうでしょ。無理です。

 新藤さん本人が「今までのライブで言ってきたことを書いた」って言ってて、確かにその通りでもうぐっとくる以外の何物でもない。タイトルを「ダイアリー」にしそこねたところも新藤さんだな~って感じで全然好きです。ダイアリーがよかったけど!笑

 私を救ってきたのは「乾いた雑巾を絞ったような一雫」だし、私が愛してきたのもそうだ。湧きたつ泉じゃないのだとしたら、きっと言葉や音楽を生み出すのは大変だっただろう。努力して努力して、その末に生まれたものたち。だからきっと私はそれらに惹かれたのだろう。たぶん、私も努力して努力してどうにか生きているから。

 新藤さんが歌っているパートは、新藤さんがかつて「自宅にて」に書いたり「ラヴ・E・メール・フロム1999」の冒頭の映像で伝えたりした言葉たちだ。無意識に夢を見ているんじゃなくて、自覚的に夢を見ようとして見ているということ。

 

ポルノグラフィティを仕事として僕が生きていけてるのは、まだ夢を見られているからだとも思う。ときどきは目が覚めそうなときもあるけどね。そういうときはぎゅっと頑なに目をつぶって、見ていた夢をたどり直すんだ。」

 (『自宅にて』)

「それでもまだまだ みんなと夢の中にいたい 時には薄目を開けて 周りをうかがいたくもなるが ギュッと目を閉じて」

 (「ラヴ・E・メール・フロム1999」)

 

 私は新藤さんのこの考え方がすごく好きだ。というか、そう考えている新藤さんのことがすごく好き。できれば変わらないでいてほしいと思う。20周年の節目でまだこの考えを持っていることを確認できてよかった。

 目を閉じようと思って目を閉じて、夢を見ようと思って夢を見る。彼らは生まれたときからポルノグラフィティだったわけではない。ポルノグラフィティでいることを選んでいるから今がある。選んでくれてありがとう。あなたたちが見る夢を、私も一緒に見られることが嬉しい。

 

 今日も駆け抜けて、まだ見ぬ明日に続いて、ああここには未来がある、と思う。「これから」がある。ここで終わったりしない。続けることは目的じゃないけれど、いつか辿り着くその日まで終わらない。おそらくその日はまだ来ないだろう。

 いつかのその日まで、一緒に夢を見ていたいな。

 

 

 いつにもまして胸がいっぱいで、どう言葉にしたらいいのかわからなくてあんまり上手く書けませんでした。もっとここを聴こうとか細かく聴きたいとか思うけどそんなものより感情が先にきてしまう。私が愛してきたものが、私を愛してくれているのがわかる。好きが溢れる。でもまぁ、たまにはこういうのもいいよね。

 

 

 

 

ポルノグラフィティの「これから」を思う

 ツアー「BUTTERFLY EFFECT」のとき、もしかしたらポルノはそろそろ「完成」に近づいてきているのかもしれないと感じた。

 初めてロッキンに出て何万人もの人たちとアゲハ蝶を合唱したし、海外ワンマン公演もやった。ポルノが今までやってこなかったことを成し遂げた。ロッキンでは彼らが影響を与えてきたバンドにも会って、彼らの歩んできた道のりが誰かの心に足跡を残すものだったと、きっと彼ら自身が体感したことだろう。

 ポルノのゴールがどこにあるのかは、いちファンでしかない私にはわからない。ポルノ自身にもわからないものかもしれない。当時のインタビューや(主に)新藤さんの発言にも、ポルノの終わりを意識した言葉がみられたように思う(完全に主観です)。やりたいことはやりきりつつあるのかな、と感じていた。

 それに、長年活躍してきたアーティストの引退や活動休止などが報じられ、ポルノも20周年をなんらかの区切りにしてしまうのでは、と怖かった。

 

 けど!!!!!この人たち全然まだまだ前に進む気じゃんって思えるシングルでした!!!!!!!!!!どの曲にも未来があって、私とポルノの日々はまだ続くんだと確信しました。

 20周年過ぎても全然まだまだやる気じゃんって思えて、私はいまとても幸せです。

 

 

 

私のともだちのこと ―映画「トイ・ストーリー」シリーズの話―

 小さい頃、まだ私が母よりもずっと背が低かった頃のこと。お気に入りのバッグのなかにはひとりだけ友達を――ぬいぐるみを連れて、母と手を繋いでスーパーまでの道のりを歩いていた。

 「今ごろ、お留守番してるぬいぐるみたちはうちのなかで遊んでるんだよ」

 そんな話を、飽きずに毎日毎日していた。まだ「トイ・ストーリー」という映画を観る前のことだ。そんな私が「トイ・ストーリー」を大好きになるのは、全然不思議なことじゃなかった。

 小学生の頃に1作目を観た。どうも絵のタッチに慣れずにそこまでドハマリすることはなかったけれど、人間の見ていないところでおもちゃが動くというのは私がずっと考えていたことだったから、話はすごく気に入った。私は「おもちゃ」というか「ぬいぐるみ」に限定された考え方だったけれど、イメージする世界の根幹は同じだと思う。「トイ・ストーリー2」もそういう気持ちで見た。小学生の頃だから、明確にこう思った!という記憶は残っていない。おそらくどちらも映画館ではなく家で観たのだと思う。映画館でどうしても観たい、という意思を持つ前のことだった。

 

 

 転機となったのは「トイ・ストーリー3」。3作目が公開されたのは2010年で、2が公開された2000年にはまだ小学生だった私も大学生になっていた。CGアニメーションの映画も珍しくなくなり、あの絵柄にも違和感を覚えなくなった頃。当時しょっちゅう遊んでいた高校時代の友達となんとなく遊ぼうという話になり、特にやることもないけど映画とか観たいねと話していた。公開時期がちょうどよかったこととたまたま二人とも過去の「トイ・ストーリー」2作を観ていたことから、じゃあ最新作を観ようということでまとまった。私はディズニー映画にもピクサー映画にもあまり思い入れがなかったし、初めて映画館で観たピクサー映画がこの「トイ・ストーリー3」だった。

 大学生になったアンディと、アンディに遊ばれなくなったおもちゃたち。彼らの物語に、べしょべしょに泣いた。大学生になった、もうぬいぐるみたちと「遊ぶ」という行為をしなくなった私に、痛いほど刺さる内容だった。家にいるあの子たちも、私のベッドの隅に置かれているよりも遊んでくれる誰かのところに行ったほうが幸せなのだろうかと悩んだ。それでも、手放すことを考えると寂しくて、手放せないという結論に至った。手放せないなと思ってしまったことが映画のアンディみたいに優しくなくて嫌だったけど、でも本当だから仕方なくてまた泣いた。映画館から出る頃には、ハンカチを持っていないことに苛立つくらいに泣いていた。隣を見ると、友達も同じように泣いていて、なんとなく観にきたけど観てよかったなと思った。

 そして、「トイ・ストーリー」という作品は私のなかでとても大切な作品のひとつになった。

 

 

 一昨年、結婚のために実家を出ることになった。私はすべてのぬいぐるみを連れていくつもりだったが、母からは持っていくなと強く言われた。また新しく増やしていけばいいと。子どもが生まれたら増えることになるのだからと。そういうことじゃなかった。ぬいぐるみならなんでもいいわけじゃない。私が今まで一緒に過ごしてきたぬいぐるみだから大切なのに。

 じゃあ持っていけない子たちはどうするのか?私は実家に置いてもらうつもりでいたが、実家に残した私のものは捨てると言われた。すごくショックだった。こんなにも思い出が詰まっていて、こんなにも大切なのに、捨てなければならないなんて。

 絶対に持っていくと話をして、ちょっと揉めて、せめて段ボール1つ分までということになった。それだって全然足りないと思った。だって残りの子たちとはさよならしなければならない。

 私はいきものを飼うのが嫌だった。私より先に死ぬから。だから余計にぬいぐるみが好きというのはあると思う。こんなにもふもふしているのに、彼らは死なない。でも、死なないから、私が最期を決めなくちゃいけない。ぬいぐるみを大好きでいる気持ちがこんなにつらいものになるなんて思っていなくて、実家を出る前はぬいぐるみたちのことを思って泣いてばかりいた。ともだちに最期をつきつけなければならないなんて。

 確かに、大きくなってからはぬいぐるみで「遊ぶ」ということはしなくなった。けれど、私はベッドの上に並べたぬいぐるみたちのおかげで眠れていた。大切にしていないくせにって言われたけど、並べるだけの、ただのディスプレイやインテリアじゃなくて、ただそこにいるだけで、あの子たちは現役で私のことを安心させてくれていたのに。

 母を含め、周りの人は私がどれだけぬいぐるみを大事に思っているか知らない。だから気軽に「片づけないとね」なんて言う。そのたびに悲しくて、家だろうが外だろうが構わず泣いた。ともだちに最期をつきつけないとね、って言ってるのと同じなのに、どうしてそんな簡単に言えるんだろうって思った。

 

 

 実家で過ごした最後の夜、明日にはさよならしないといけない子たちのホコリを取ったり毛並みを整えたりしていたら全然眠れなかった。ひとりひとりとの思い出が蘇ってずっと泣いていた。2か月前からずっと泣いていたのに、まだ泣いた。

 家族旅行でサファリパークに行ったときに出会ったダチョウ。彼にはカンガルーのガールフレンドがいた。似たようなブラウンの色合いで、並んでいるとすごくお似合いのふたりだった。

 おなかを押すと音がする猫、たま。もうおなかの音はとっくの昔に鳴らなくなっていた。首には、小さい頃の私が作ったオレンジの折り紙の首輪がまだついていた。昔、バスの中に置き忘れて、母がバスを追いかけて取り戻してくれた。

 もみじまんじゅうのキーホルダー。父が出張先で買ってきてくれた。小さいけれど手触りが良く、もみじまんじゅうのことはよく知らなかったけれど大好きだった。キーホルダーなのに一緒に寝ていた。

 黄色地に黒の斑点のある犬、ポチ。弟とお揃いで買ってもらって、確か弟はなくしてしまったんじゃなかったっけ。小学生のときに好きだった男の子になんとなく似ていた。その子は転校してしまったけど、ポチを見ると「似ていたなぁ」って思い出してた。

 これ以上書くと泣いてしまうからもうやめるけど、書ききれないほどの思い出がある。みんなみんな大好きだった。いらない子なんてひとりもいなかった。みんな、すごく大事なともだちだから。ごめんねとありがとうを告げて、段ボールにしまった。全部で2箱になった。新しい家に連れていける子は1箱だから、さよならをする子たちのほうが多い。それがまた悲しくて泣いた。

 翌日、私の荷物を新居に運び入れるとともに、さよならする子たちを近所の神社に連れていった。大きい神社だから潰れるということはないだろうし、毎年初詣にくるくらいには近所だからすぐ来られるし、人形供養もしているようだから、そこの神社にお炊き上げをお願いした。私のともだちは「ゴミ」ではないので、収集車に回収されるようなさよならの仕方はできなかった。神社でもまた泣いた。さよならをしたすぐあと、あの子たちのことを好きだった気持ちをブログに残そうと思って記事を書いたけれど、罪悪感が重たすぎて公開することなく下書きのまま消した。

 

 

 沢山のともだちとさよならをしたのがショックすぎて、引っ越してからぬいぐるみの増える速度は今まで以上になってしまった。またいつかつらい思いをするとわかっていても、我が家に来るために生まれてきたと思えてしまう子たちに出会ってしまうともうどうしようもない。最近のお気に入りはすみだ水族館で出会ったマゼランペンギンの赤ちゃんのぬいぐるみ・ふわ子です。

 

 

 そして、今年公開された「トイ・ストーリー4」。あの完璧な3のあとを描く以外の前情報はなるべく入れずに観に行った。そして、我が家のぬいぐるみや私が今まで一緒に過ごしてきたぬいぐるみのことを思い浮かべ、この記事を書いている。

 物語が新たな局面を迎えるということで賛否両論あるラストだったろうとは思うが、私はこれもアリだなと思った。すべてのおもちゃが幸せな道を歩んでほしい。

 これは映画の感想記事ではないから詳しい内容は語るつもりはないけれど、神社に連れていった子たちのことを思った。あの子たちも、新しい持ち主を見つけるべきだったのだろうか。でも、もし新しい持ち主が大切にしてくれなかったら。そんな不幸なことになるかもしれないと思うとつらかったし、もう古いので貰い手もないかもしれない。だったら、私は責任をもってあの子たちの最期を決めようと思った。3作目の最後でボニーにウッディやバズたちを譲ったアンディの行動も、たぶん私の行動も、彼らを愛しているからなんだって、伝わっていたら嬉しいな。

 きっとウッディは、ボニーのもとに来たことは後悔していないんじゃないかと思う。さよならしてしまった私のともだちも、私のもとに来てよかったと思ってくれていたらいいなぁ。

 そんなふうに思ったら、あの子たちのことを書いておきたいなと、そんな気分になった。

 

 

 このブログは、私が私の好きなものを記録しておくために書いているブログだ。だから、私の大好きなぬいぐるみのことも書いておきたい。

 「トイ・ストーリー」シリーズの主題歌「君はともだち」を聴くと、やっぱりあの子たちのことは「ともだち」としか呼びようがないのだ、と思う。つらいことがあって、誰にも話せなかったときも、ぬいぐるみを抱きしめていたら落ち着いた。みんな、誰よりも私のことをわかってくれる「ともだち」だった。

 いま私の手元にあるぬいぐるみのなかで一番古いのは、おそらく3代目であるピングーのぬいぐるみだ。すぐなくしてしまうくせに、一度なくすと沈み続けるのでまた新しい子を迎えて、で3代目。それでも私が幼稚園に通っていたくらいからうちにいる。今は見えるところに置いておきたくて、我が家のリビングにある棚に置かれている。ここ最近はピングーの新しいグッズも出るようになったので、新参ピングーたちと一緒だ。

 

 

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 この記事の落としどころがいまいち見つからない。何かを言いたくて書いたというよりは本当にただの記録だからだ。ただ、すべての「ともだち」が、幸せであってほしいなと、ウッディやバズ、そして今はもういない私のともだち、小さいときから一緒にいるともだち、新たに加わったともだちのことを思い浮かべながら、願う。

 

 

 

ポルノグラフィティが東京ドームで20周年記念神セトリライブをやるよ!

 

 ※この記事は9/7、9/8に行われる「NIPPONロマンスポルノ'19 ~神VS神~」でやる曲を勝手に予想しただけの記事です。実際やるかどうかは知らないけど、そうそうこんな曲もあるよね聴きたいなって思ったら是非来てね!まだプレリクも一般発売も間に合うよ!

 

 

 臼*1もいいけどライブ本体のほうも盛り上がってほしいよね!どんな曲やってほしいかみんなで語りあかそうぜ!ちなみに臼は大人気すぎて事前通販終了前に販売終了しました。

 20周年記念ライブは「NIPPONロマンスポルノ'19 ~神VS神~」と名付けられている。由来は、二日間でセトリを変える部分があるから(演出上変えない部分もあるけど変えるところも結構ある、とのこと)。どっちのセトリも神になるだろうということで「神VS神」。

 こんな、演者の側から「神セトリだよ!」って言われることある?ポルノのお二人的には「来た人が神セトリだったって思ってくれたらいいな」くらいのニュアンスで喋っている部分もあったけど、「神」よ?相当気合が入っていることは間違いないので、是非とも「ポルノ聴いてたわ~」とか「最近気になってる」とかって方々にも来てほしいな~って私が勝手に思っています。勝手に。

 

sp.pornograffitti.jp

 

 以下、勝手に予想したセトリ入りするであろう曲たちです。実際セトリ入りしてなくても怒らないでね。

 

 

 

高確率でやるだろうな〜って曲

 ヒット曲やるって言ってたんでこれはやるだろ!という曲たちです。

 

 

・アポロ

 デビュー曲。これが売れてなかったら今のポルノも今の私もいないんだろうけど、この曲が売れないなんてことはありえないので心配ない。そのぐらいの曲です。

 今年はアポロ月面着陸50周年だし、是非ともやってほしい。

 

ミュージック・アワー

ハネウマライダー

 夏のヒット曲といえば!どちらもポカリスエットCM曲。きっといろんな人の青春のそばで流れていた曲なんだろうな~。あなたの甘酸っぱい思い出もここにあるのでは?

 そんなの抜きにしても変な踊りをしたりタオルを回したりしたいよね!岡野さんの突き抜ける声と新藤さんのご機嫌なギターで夏を満喫したい!!!

 

・アゲハ蝶

・Mugen

 東京ドームでラララの合唱したいしウォーウォー叫びたい。観客も参加できるタイプの曲はきっとやるだろうからどっちかは絶対あると思う。多分「アゲハ蝶」が確実ではないかと予想している。でも「Mugen」もやって~!

 

サウダージ

・メリッサ

 これも鉄板。最近の「メリッサ」のサビは最後の音をすさまじく伸ばしていて岡野昭仁=怪獣説が濃厚になってくる。いくら伸ばしても音の「圧」が下がらないのわけがわからなくない?どっから声出てるの?久々にポルノのライブ行くか~って人にも絶対聴いてほしいから絶対やって!「サウダージ」も絶対聴きたい。口からCD音源どころの騒ぎじゃないので。

 

・オー!リバル

・THE DAY

 2010年代半ばのヒット曲たち。ポルノグラフィティは現在進行形でかっこいいんだよって世間に思い知らせてくれたこの曲たちには感謝しかないし、それ以降もずっとかっこいいからやばい。どっちもイントロ聴くだけで上がる。

 

・VS

 最新曲。岡野さんが歌うたって新藤さんがギター弾くのと同じくらいの確率でやる。こればかりは100%やる。

 

・Before Century

 「Everybody say!」「Fu!Fu!」のC&R。本来は「Century Lovers」の前にあるものだったので「Before Century」と呼ばれている(いつから言い出したのか知らないけどめっちゃかっこいいよね)が、これがあるからといって「Century Lovers」が来るとは限らない。むしろなかなかこない。

 

・ジレンマ

 ま~~~やるんじゃない?ライブの最後の定番の曲。でもこないだの「UNFADED」での「ライラ」で終わるコンサートも最高だったから「ライラ」もやってほしい。

 

・ちょっとマイナーめのシングルを凝縮したメドレー

 15周年ツアーではやってたよね。あんな感じでやるのではないかと。青春花道、東京デスティニー、Love too, Death too、LiAR、Montageなどなど。シングルだけで50作もあるので凝縮してもしきれなさそう。

 

 

 

 

やるんじゃないかな?くらいの曲

 ほぼ当確の曲たちよりは確率は下がるけど、やる可能性も他の曲と比べたら全然あるな……くらいの曲たちです。ていうかやって。

 

・カルマの坂

 最初は当確くらいの気持ちでいたけどつい先日アミュフェスで披露されたため確率が下がったと見た。去年の「天気職人」といい、ポルノはアミュフェスでワンマンのセトリを組んでくるよね。ワンマンでもしばらくやってないような曲を入れてくるよね!

 

・ヴィンテージ

・ライオン

 これもやると思ってるけど「UNFADED」でやったのでやらないかもしれない。でもアンフェ来てないけどポルノの20周年を祝おうかなみたいな人に今のポルノの「ヴィンテージ」「ライオン」をかましてほしい。ポルノが初めてこの曲を演奏してからだいぶ経ってどんどん熟していって、その過程にある今のこの2曲、やばいので。

 

・Century Lovers

 しまなみロマポルでやってるけど、「Before Centrury」のあとに来てほしいな~!

 

・カメレオン・レンズ

 東京ドームがしんと静かになりこの曲のイントロが流れるさまを見たいんだけど、「BUTTERFLY EFFECT」から結構な頻度でセトリ入りしているので難しいかもしれない。でも見たい。

 

・ブレス

 去年のしまなみロマポルでしかやってない?ほかにもやったっけ?もっとやってください!

 

・Zombies are standing out

 最高に恰好いいのでこの曲で「ポルノ久しぶりに聴いたわ」みたいな人の魂をガンガンに揺さぶってほしい。ポルノなしでは生きていけないゾンビになるよ!

 

・シスター

 10周年ツアーの本編ラストだった曲。あのときはマジで「ここでシスターかよ……」って震えた。だってこれ、5周年当日に出された2人のポルノグラフィティの始まりの曲なんですよ……20周年の今また聴きたい。ていうか全然やってないよね……?

 

夕陽と星空と僕

 人気曲だからやるんじゃないかと思うけど、前回のツアーでやってるからやらないかもしれない。でもこないだ弾き語りだったから今回はバンドバージョンでやるかもしれない。

 

・俺たちのセレブレーション

 ポルノグラフィティの15周年お祝いシングル。20周年のお祝いだし、アポロ月面着陸50周年だしやってほしい。セレブレーションさせてほしい!

 

 あと「ネオメロドラマティック」「ROLL」「瞬く星の下で」「今宵、月が見えずとも」「ワンモアタイム」「アニマロッサ」あたりもやるよね?やって!

 

 

 

なんとなくやる気がする曲

 やるんじゃないかな?よりも確率が下がる。なんとなくやる気がする、くらいの曲たち。勘です。

 

・プッシュプレイ

 「あのロッカー まだ闘ってっかな?」って歌っているので、「VS」との関連で是非ともやってほしい一曲。絶対東京ドーム映えする。「東京ドームは熱に冒される」って歌ってよ~!歌われたら泣いちゃうけど!

 

・LIVE ON LIVE

 ライブDVDにしか収録されていなかった曲が突如としてライブで演奏され、そのときの肌が粟立つ感覚が忘れられない。東京ドームであの気持ちを味わいたい。この曲のもつ熱量は本当にすごいので、東京ドームで体験したい。

 

・うたかた

 前回の東京ドーム公演でやってるので、それを彷彿とさせる演出とかあったらきっとやるんじゃない?と思ってる。前は和がテーマだったからな……今回は多分和ではないからな……どうだろうな……

 

ひとひら

 なかなか演奏される機会がない曲だけど、過去を振り返るみたいな意味合いのある曲なのでここでやらずにどこでやるみたいなところはある。

 

・邪険にしないで

 この曲にちなんで広島弁で愛の言葉をささやいていたのって前回の東京ドームでしたっけ?今回もやって!!!!!!私はポルノに愛をささやかれたい!!!!!!!!

 

・デッサン#1

 なんか……なんとなくだけど……やるかもしれない……(ただの勘)

 

 

 

 

私が聴きたい曲

 私が聴きたいんだ!やってくれ!!!

 

・ライラ

 ライララライララライララライララライライライ!ライララライララライララライララライライライ!ライララライララライララライララライライライ!ライララライララライララライララライライライ!

 夢があるとしたら ポルノグラフィティの20周年ライブでみんなで楽しいひとときを過ごすとか 20周年を過ぎてもまだまだ闘い続けるポルノと一緒に生きる日々を過ごすとか そういうことを夢見たり 夢見たり ああそれでもコツコツと生きていくには 踊りましょう 唄いましょう 泣きましょう 笑いましょう~~~~~~~~!!!!!!!!

 

・ウェンディの薄い文字

 新藤晴一初メインボーカル曲。生でこれ聴いてから死にたいから歌ってほしい。なにより東京ドームで聴きたい。東京ドームに響き渡る新藤さんの歌声……最高……「真反対さ!」って言わせてくれ。

 

・惑星キミ

 今の岡野さんの歌う「惑星キミ」、聴きたくない?私は聴きたい。

 

・ライン

 今の岡野さんの歌う「ライン」、聴きたくない?私は聴きたい。今の新藤さんのギターソロも聴きたい。40代半ばのふたりが披露する思春期のうた、絶対やばいじゃん……やって……

 

・グラヴィティ

 聴きたい!!!私は「SWITCH」以降のツアーで唯一OMCだけ行っていないので……OMCの亡霊を成仏させてくれ。

 

・m-FLOOD

 OMCの亡霊(以下略)

 

・We Love Us

 ポルノと一緒に歌いたいな~!

 

・ベアーズ

 野球だしドームでやらない?

 

・MICROWAVE

・ルーズ

・別れ話をしよう

 新藤晴一に溺れる曲たち。溺れたいでしょ。

 

・ダイアリー 00/08/26

 号泣。

 

 

 以上です。ぶっちゃけ聴きたい曲しかないので挙げきれませんでした。

 

 

 

 

 

 

 あなたの青春にもし少しでもポルノグラフィティがいるなら、きっと楽しいライブになると思う。曲と思い出ってワンセットだから、あのときあんなことがあったなとかこんなことがあったなとか思い出しながら聴ける曲もあると思うし、知らない曲と出会ってまた新しい思い出にもなると思う。

 勿論ポルノグラフィティだらけの青春を送ってきた人たちもめっちゃ楽しいことは間違いないし!めっちゃ楽しみ!楽しみすぎる!

 

 

 お節介ながらチケットが買えるところを集めたよ!もしかしたら他にもあるかもしれんけど!各自検索して!

 

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言葉にしないこと、信じること

 加藤さん、32歳のお誕生日おめでとうございます。お誕生日と関係あるようなないような、そんな文章です。

 

 ここ数年で今が一番気楽にシゲ担でいられる気がする。なんていうか「気楽」。今まで割と思いつめた気持ちでいたので……多分2016年からずっと思いつめてた。長いな。よくもまぁ数年間も思いつめた気持ちでいられたよねって思うくらい今は気楽です。気楽になれた要因ふたつを書き残しておこうかなと思います。

 

 

言葉にしないこと

 

 私は嬉しいことがすぐに話したくなるし、悲しいことがあったときもできれば話したいなって思うし、とにかくすぐ話したい。今でもそう。母親になんでもきいてもらいたがる子どもみたいな(実際は母親にはなんでもは話せなかったんだけど)、そんな気持ちで「きいてきいて!」って思っちゃう。今でも結構思ってる。私がどれだけNEWSのことを愛しているかきいてほしい。私がどれだけ加藤さんのことを愛しているかきいてほしい。だから書こう。好きだって気持ちを言葉にしよう。

 

 だけど、ここ一年ほど、言葉にすることについて考えている。

 言葉こそすべてで、思ったことを表明したかったら言葉にするべきで、言葉なら思っていることをなんでも表現することができると信じていた。

 でもそうじゃないなと去年の春ごろに気づいた。言いたかったことが意図通りに伝わらないこともある。言葉を紡ぐ側が下手だからかもしれないけれど、それ以前の問題として受け手と使っている辞書(頭の中にある概念的な意味での辞書)が違う可能性もあるから、まったく同じ意味で伝わるなんてことはそもそもありえない。私の辞書で「メロンをお腹いっぱい食べること」を引いたら「最高に幸せ」って出てくるけど、もしかしたら「地獄」って出てくる人もいるかもしれないように、真逆の意味で伝わることもある。ここまではわかっているつもりだったけど、まったく重要でない部分が切り取られてそこだけ解釈されてしまうこともあるのだと気づいた。

 怖い。私はそんなこと言ってないのに、そう言ったととられてしまうことが怖い。だったら何も言いたくない。誰も傷つけたくないのに、誰かが私の意図しない傷つき方をしているかもしれない。誰かを傷つける意図はないであろう文章に、なんでそんなこと書くのって私が勝手に傷つくように。

 あまり言葉にしないようになった。そのくせにブログの更新頻度が落ちないけど、書いている意識としては数年前とは全然違う。中身が薄くなったとかではなく、今までと違うことを書くようになった。そのくらい、言葉について悩んでいる。今もまだ。

 だから、ここしばらくはあまり加藤さんのことを文章にしていない。何かきっかけがあったら書くけれど、Twitterにもブログにも昔ほど書かなくなったなと思う(最近はファンサの話とか具合が悪い話とか書いたけど、あれは日記的な位置づけだし、めちゃくちゃ推敲して書いていいと思えるところだけ書いた)。

 正直、書かなくなったら好きって気持ちも薄れるかもしれないと思っていた。書くことで何度も繰り返し意識して好きという気持ちを更新して、という作業が気持ちを維持するために必要だと思っていた。それでも書きたくないと思ったから書かずにいる。

 

 愛は誰かに見せたり まして誇るようなものではなくて

 どんな形 どんな色 そっと秘めたまま

 

 ポルノグラフィティの「ルーズ」という曲の一節だ。私はずっと、この部分の意味がわからなかった。

 私が愛していることを誰かに見せたい。こんなにも愛してるんだって大声で話したい。誰かを愛することがこんなに楽しくてつらいことだって、伝えたい。わかってほしい。だって、自分の中だけにあるものが本当に「ある」かどうかなんてわからないじゃないか。それを「ある」と言い切れるのか?私は「ある」と言い切る自信がなかった。だから、誰かに伝えて、「あなたのなかにその気持ちがあるんだね」って思われることで、私のなかの気持ちが「ある」ものになると、そう思っていた。

 それに、書いて外に出していかないと私の中の気持ちは更新されず、古いものから忘れ去り消えていくんじゃないかって、そんな気もしていた。自動でファイルを削除してくれる便利な機能があって、最終更新日が一定期間より古いものはどんどん消えていくようなイメージ。

 私は忘れっぽい。夫は私とした些細な会話も覚えているが、私はとっくに忘れていることがすごく多い。あまりにもよく忘れる。だから、好きなものに対しては好き好き大好き超愛してるって書き続けないとって思っていたし、ただの「好き」では忘れてしまうから理由も書いて関連付けていればきっと忘れないだろう、この気持ちが冷めることはないだろうって思っていた。

 でも、加藤さんについて口を閉ざしているなかで、ちょっとだけわかった。悲しいことを自分の心に閉じ込めたとしてもなくならないように、嬉しいことや楽しいこと、好きという気持ちもなくならない。マイナスな気持ちもプラスの気持ちも、どちらか一方だけがなくなるということはない。私は過去の悲しかったことやつらかったことを沢山覚えているけれど、それと同じように好きという気持ちは持続する。言葉にしないとなくなってしまうと思っていたけれど、そんなことはなかった。言葉にしてもしなくても、なくならないものだった。言葉にしなくても頭の中で繰り返し考えているから、なくなるなんてことは全然なかった。外に出さなくたって繰り返し考えてしまうから最終更新日は常に今日いまこの瞬間みたいな感じ。

 それに、書いて外に出して誰かに「ある」ことを確かめてもらわなくても、それは確かにそこに「ある」ということもわかった。正直これはまだ半信半疑で、もしかしたら「ある」と思い込んでいるのは私だけなのかもしれない……と思ってしまうのだけれど、そもそも私が「ある」と思い込んだ時点でそれは「ある」のだろう。あります。

 なんだか、安心したのかもしれない。私の愛は秘めたとて失われず、確かに「ある」。それがわかったので、言葉にするのをやめるのも悪いことではなかったなと思う。言葉にしなくても好きでいられるんだと、20代最後の歳にして知った。まだまだ知らないことが沢山あるんだね。

 好きでいることを頑張っていたわけじゃないけど、好きでいられなくなりそうなことをしないようには気を付けていた。でも、言葉にしないことで好きが薄れるわけではないことはわかった。わかったことで少し気が楽になったな~って思う。

 多分これからもあまり言葉にしないと思う。まぁ、私も人間なので、方針の転換はあるかもしれないけど、今のところは。

 

 

 

 

信じること

 

 信じてたいんだ 光見えない未来を 

 あのとき君が信じてくれたように

 

 「生きろ」の加藤さんのパートで、最初はそんなにしっくりきていなかったけれど聴くたびに好きになっていく部分。信じるってなんだろうと考えるきっかけになった歌詞でもある。

 なぜあんまりしっくりきていなかったかというと、「あのとき君が信じてくれたように」に対して、私はどうだろうって思っていたから。そこに私が重なることはありえるのだろうか?ちょっとこの話題は一旦私の四畳半に持ち帰って考えますね。で、考えた。そういう話です。

 

 辞書で「信じる」を引くと(「信ずる」に飛ばされ)、三つの意味が出てくる。

   ①  疑わずに本当だと思い込む。心の中に強く思い込む。

   ②  疑うことなく、たよりとする。信頼する。

   ③  神仏などをあがめ尊び、身をまかせる。信仰する。

 たぶんこの場合は②が当てはまる。②の「信じる」について、最近よく考える。

 ②の意味で使っていたとしても、「その人が正であると信じる」ことと、「その人を信じる」ことでは意味合いが違ってくる。

 私は、加藤さんがいついかなるときも正であるとは信じていない(私の主義とぶつかりまくるし、加藤さんを正と信じたら私がぼこぼこになるので生きていけない。ここでいう主義主張に正誤の区別はなくて、たぶん対等なものだと思う)。特定の人やものがいついかなるときも正であると信じる、というのは、きっと宗教における「信じる」に近いのではないかと思う。世界の大前提として信じるというか。私の「信じる」は、それではない。

 私は加藤さんの言葉に揺らぎまくるし、私の正義とぶつかることも結構ある。でもそれってきっと加藤さんのことをひとりの他者として信じているからなんだよなぁと最近は思う。加藤さん自身のことは信じている。なんていうか、ひとりの人間として、この人を軽んじたくないと思っている。

 加藤さんから出てくる言葉にいちいち引っ掛かり、いちいち考える。疑っているわけじゃなくて、私の主義主張に何がどう引っ掛かるのかを、丁寧に確かめたい。なあなあで済ませたくない。対話はできないから、相手を理解することにはならない。でも、私がどう思うかをより深めることはできる。ここに書いていることも、そうやって深めた自分の話であって、加藤さんの話では全然ない。これはただただ私の話です。

 

 もし加藤さんが選んだ道(考え方や言動などを含む)が、私が正とするものと違っていたとして、だからなんだというのだろう。別に、それでいい。私は、そっちじゃないよなんて言いたくないし、言えないとも思っているから。私の位置から見たら見えないものを加藤さんは見ていて、ゆえにその道を選ぶのかもしれないし。進んでみないとわからないよね。

 たとえば、加藤さんは『愛するということ』を読んだという話の中(レタスクラブ6月号)で「感情の奴隷になるな」ということを言っている。感情をコントロールすることについて、それが是であると、そういうニュアンスに読み取れる。しかし、私はそうは思わない。私は「感情はコントロールできない/コントロール下においてはいけないもの」くらいに思っているふしがあるし、「感情が先か、私が先か」(感情があるから私があるのか、あるいは私があるから感情があるのか。今のところ私は前者なんじゃないかと思っている)という話について考え続けているくらいには感情を「信仰」しているのだと思う。だからといって加藤さんの考え方が間違っているとは思わないし、私自身の考えが間違っているとも思わない。

 

 加藤さんのことを考えるとき、よく「彼の前に42.195kmの距離があるとしたら、自転車や車に乗ることなく走り切ってほしいと思うし、遅くて並走はできないかもしれないけど私も走ろうと思う」という思考に辿り着く。車に乗ったり、電車に乗ったりすればもっと安全だし速いだろうけど、そうしてほしいとは思わない。この気持ちが、加藤さんに対する私の「信頼」なのだと、そう思っている。信頼しているんだから、やっぱり信じてるんだろう。じゃあこの歌詞はきっと私とも重なる。

 

 で。

 

 信じてたいんだ 光見えない未来を 

 あのとき君が信じてくれたように

 

 「あのとき君が信じてくれた」のはなんだったんだろうって、WORLDISTAの会場で聞きながら考えていた。順当に歌詞から予想すれば「光見えない未来」を信じていたのかなと思うんだけど、実際に歌声を聞いていると「加藤さんのこと」かなぁと感じた。私は作品に正解があるというより受け手の感じ方次第だと思っているので、そんなのこの曲の解釈と違う!というご意見もあるだろうけれどこのときの私はこう感じたという話です。

 私が加藤さんを信じたことが、加藤さんが未来を信じる力に変わるんだとしたら、すごくない?私はすごく嬉しい。

 だって、それっていつまでも残るものだから。私はこの先加藤さんのファンじゃなくなるかもしれないけれど、未来はいつでもいつまでも加藤さんの前に広がっている確かなものだ。いつかいなくなるかもしれない私が加藤さんを信じたということは、たとえこの先私が加藤さんを信じなくなったって変わらない。そのときそうだったという「事実」は消せやしないのだから。

 そんな私の「信じる」という気持ちが糧となって、確かにあるこの先の未来を信じてくれるんだったら、安心していられる。いつか私がいなくなってもこの人はちゃんと立っていてくれるって思うと安心できる。

 応援しなきゃとか、信じなきゃとか、思ったことはない。ないけど、本当に1mmもないんですかって訊かれたら即答はできないしはっきりと答えることもできない。心のどこかにそういう気持ちがあってもおかしくないなって思うから。でも、多分ここから先は一切ない。

 私がこの先加藤さんのファンではなくなっても、私が加藤さんを信じていた事実は残る。それだったら安心していられるなぁと思った。具体的に言うと、私はここ数年「きっとNEWS担/シゲ担としてジャニオタとしての人生を終えるだろう」と思ってきた。なんとなく、そうでありたいと思っていたのかもしれない。そうやって言葉にすることで、自分を縛り付けていたようにも思える。

 でも今は「わからない」と思う。この先のことなんてわからない。未来は不確かなものだし。全然わからないなかで、いま私が加藤さんを信じているということは確かで、だったらそれだけでいいじゃないか。今まで信じてきたことと、今信じていること。それ以上に何があるというのだろう。

 今こうして加藤さんのことを信じていられることがとても幸せ。

 

 

 

 

 

 考えていることを整理しながら書いたつもりだけど、思考がたまに脱線するせいでまとまりのない感じになっちゃったな。まぁいっか。

 

 ここまで話してきたふたつのことは繋がっていないように見えるけど実はつながっている。言葉にしなくても消えないということ、消えた(あるいは変わった)としても「そこにあった」という事実は残るということ。

 なんだかとても気が楽になった。今まで何を背負っていたのか忘れちゃうくらい。もしかしたら、背負った気になってただけで、その「気のせい」が晴れたのかもしれない。

 

 

 多分、加藤さんのことを応援したい、好きなアイドルとして、「自担」として名前を挙げたいと思ったときから、いろんなことを考えてきた。ときには「加藤さんのことを好きなのかどうか」「シゲ担と言っていいのだろうか」といろいろ悩んできた。めんどいやつだな。でも、今はすごく気楽だ。背負うものが何もない。

 こういう気持ちで加藤さんの誕生日を迎えられることを嬉しく思います。改めて、お誕生日おめでとうございます。

あなたのことは永遠に未知 —アイドル短歌まとめ7—

 

 結構たまってきたのでまとめ。

 

 

 

 

ひとはみな孤独だ  僕にもあなたにも寂しい夜は平等にくる

 

「ドーナツの穴だけ食べたい」あなたにはわがままだって言われてみたい

 

生きていくことは簡単ではないが私も君もいま生きている

 

誰かから強制されたわけじゃなくここにいたくてここにいるので。

 

あたためたミルクにロマンスをひとさじ溶かして飲むとよく眠れます

 

木の枝を揺らし飛び立つ青い鳥  さよなら二度と還らない鳥

 

美しい絵画のようなあなたにも意思が思想が心臓がある

 

カスタードプリンは美味い 泣きながら食べても美味いと思える美味さ

 

信じたいものを信じるだけなので神様なんかいなくっていい

 

腕時計逆さにつけて気付かない君は時間のそとがわのひと

 

朽ち果てる  かつて花だと思ってたそれは未だに花であるのか

 

もふもふのいきものになる  ねぇみんな愛さないではいられないでしょ

 

月にさえ行こうと思えば行けるのに   君のところは随分遠い

 

塩からいポテトなんかにわかるまい  信じることがどういうことか 

 

君のもつ刃が君の喉元に  僕はまばたきせずに見ている

 

教室の窓辺の席で寝てたころ見ていた夢が僕の守護霊

 

右足を軸に回転 つむじ風が起きると信じていたね少年

 

前髪をほんの数ミリ整える  愛を伝える手段のひとつ

 

永遠は誓えないから今ここでこの瞬間を永遠と呼ぶ

 

知らなくていいよ僕のことなんて  知らないほうが君はきれいだ

 

君のこと好きだよ宇宙から君を引いたら無すら残らないほど

 

好きだって言ってよ私にだけ言って目を見て言って本気で言って

 

助けてとすがる相手は誰でもいい  だけど絶対あなたは嫌だ

 

幸せになってよ  他の誰でもない僕が言うんだ幸せになれ

 

何度でもはじめましてを繰り返す  あなたのことは永遠に未知

 

 

 

 

 

 自分の言葉のセンスは(客観的に見ていいか悪いかは知らんが)自分ではすごく好きなので、自分の言いたいことが自分の好きな言葉で書かれてるのは楽しいなぁと思います。

ダイアリー 19/07/05、恋愛以上成就

 ポルノグラフィティのことが大好きだ。出会ったときから今までずっと好きでいる。

 7/5に発売になった雑誌「音楽と人」で、岡野さん・新藤さんそれぞれのロングインタビューが掲載されている。インタビュアーの方もとても真摯にポルノを掘り下げ伝えようとしてくれているのが読んで数行でわかる、とてもいいインタビュー記事なので是非読んでほしいのだが、この記事を初めて読んだとき、思わず号泣してしまった。

 私はそこそこ涙もろいほうだと自負している。映画館でしょっちゅう泣いているし。でも、本などの媒体ではそこまで泣かない。文章は視覚的なイメージほどインパクトが大きくないし、自分で読むペースをコントロールできるからだ。にもかかわらず、号泣である。落ちた化粧が目に沁みてめちゃくちゃ痛かった。涙で文字が読めない事態に、久々に陥った。

 

 何にそんなに泣いたのか、今の気持ちを残しておきたい。これは日記です。主に雑誌「音楽と人」の話です。まだ読んでない人は買ってね!

 

 

音楽と人 2019年 08 月号 [雑誌]

音楽と人 2019年 08 月号 [雑誌]

 

 

 

 

 

岡野さんの話

 私はどちらかというと新藤さんに対して重たい気持ちを持つタイプのおたくではある。が、岡野さんのことがどうでもいいのかといったらそんなことは全くない。岡野さんのことも大好きだ。

 かつての岡野さんの歌詞を見ると、とても内向的/内省的で薄暗いものが多いように感じられる。自分のことを深く深く掘り下げていく歌詞は、私が見せまいとするものまで引きずり出されてしまうようで怖かった。けれど、今ではそういった曲も好きだし、岡野さんの書く「視界の開けるような歌詞」もすごく好きだ。岡野さんの言葉は、そんなふうに何かを気づかせるような、はっとさせるようなものが印象的だなと思う。

 

 

・「ひとりひとり」

 岡野さんのインタビューのなかで、特に印象的だった点がふたつある。

 ひとつは、岡野さんがしきりに「ファン=ひとりひとり」と言っていたこと。岡野さんから見て、ファンは「ファン」というひとかたまりではなく、ポルノグラフィティを好きな人ひとりのことを指す。これを見たとき、思わず涙が出てしまった。そんなの当然じゃんって思うけど、岡野さんに見えるのが「ファン」というかたまりではなくひとりひとりの姿であることが、すごく嬉しかった。3万人の会場を埋めるとき、そこには「3万人のファン」がいるのではなく「1人のファン×3万」がいると知っていてくれることが嬉しい。数百人規模のライブハウスならまだしも、ポルノはメジャーシーンで活躍するバンドだ。ファンのひとりひとりを認識し、コミュニケーションをとるということは不可能に近いだろう。ファンの側である私だって、「○○のファンは」と括ってしまうことがあるし(ネガティブな意味を帯びる場合は特にそういう表現はしないように気をつけてはいるけれど)。「ファン」=ひとかたまりのもの、と認識してしまうことは全然ありえることだ。だからこそ、岡野さんが「ファンひとりひとり」と言ってくれたことが、私の愛するバンドがその気持ちを忘れずにいてくれることが嬉しい*1

 そういえば、この人はスタジアムでのワンマンライブで「最後までおってくれてありがとう!」「よう最後までおってくれた!」と言いまくっていた人だった。一度言えば、マイクを通した声は会場に響き渡るのに、何度もありがとうありがとうと言っていた。そんなに言わなくたって、と思わず微笑んでしまったけれど、あのときの岡野さんは、ひとりひとりにできるだけ伝えられるように、何度も言っていたんだ。

 

 

・置いてきぼりにしない優しさ

 もうひとつ印象的だったのは、ファンにもっと甘えてもいいのかな、と言っていたこと。昨年末~今年春のツアー「UNFADED」の話題にも触れ、自分たちも忘れていたような曲を「この曲が聴けた!」と喜ぶ声があったことを驚きとともに話していた。

 私は多分、岡野さんとは全然違うタイプの人間なのだと思う。岡野さんの考えていることが全然わからない。新藤さんのほうはなんとなく想像がつくが、岡野さんは全然だ。だから、岡野さんの考えていることをうかがえるインタビューなどでは、その言葉に驚かされることが多い。今回のインタビューも、岡野さんの「未知」な部分ばかりで、そういうところも含めて好きだなぁと思った。

 私としてはライブではレア曲である「Swing」をやってくれたことが本当に嬉しかったのだけれど、ポルノ側から見ると「こんなレア曲も知ってて喜んでくれるなんて!」という感じなのかもしれない。でも、こっちは気に入った曲は何度でも聴き返しますからね!

 ポルノグラフィティは、優しい。ポルノを見つめる人たちを、置いてきぼりにしないように、ついてきているかなって何度も振り返って確認してくれる。突然走り出したとしてもちゃんとついていく自信があるのに、「ついて来れとる?」って振り返ってくれる。それは決してファンを信頼していないわけではなくて、置いてきぼりにせず一緒に歩いていくという気持ちの表れなのだと思う。

 そんな優しさをもったまま、岡野さんがそしてポルノがもっとファンに甘えてくれたなら、更にいい関係性が築けそうな気がする。私たちの未来は明るいね。

 

 

 

新藤さんの話

 私はどちらかというと新藤さんに対して重たい気持ちを持つタイプのおたくである。言葉というものが好きで、初期の歌詞の大半を担当していた新藤晴一さんに憧れ続けていて、なおかつ新藤さんの考え方を思春期に浴びまくったため、思考回路の形成に対して多大な影響を及ぼしている。自覚はある。なのでここから先は重たい気持ちのオンパレードです。

 

 

・成就

 私の初恋は新藤さんだし、幾度となく恋の息の根を止めてきたがその数だけ蘇ってきたし、最近は諦めて新藤さんを見てすぐ「恋」「これは恋」「恋しかできない」「恋以外に何ができる?」「圧倒的恋」などと言うようになった。だって恋なんだもん。

 インタビューの中で、インタビュアーの方が新藤さんに「自分の気持ちを誤魔化せない」「潔癖な人」と話している場面がある。ここが個人的にはめちゃくちゃに泣いてしまってしんどかった。

 私は、自分の気持ちに嘘をつきたくないと思って生きている。自分の気持ちと重ならないことには賛同したくないし、自分が納得できないことを嫌々やることもしたくない。勿論、やらなければいけないことに対しては納得できる理由をどうにか見つける。でも、納得できないままでやることは、したくない。自分の気持ちと違うことも言いたくない。私の言葉として放たれるものであれば、それは本当に私の気持ちを映し出せている言葉かどうか、何度も吟味する。

 小学校の卒業文集に載せる内容を、先生が何度も書き直させていたことを思い出す。先生の前に何度も並び、何度も訂正の指示をされ、最後にはもう投げやりだった。誰かの手が入りまくった作文なんて、こんなのは私の気持ちを書いたものじゃない。途端に興味がなくなったというかもはや不満しかなく、今では何を書いたか全く覚えていない。せっかく残るものなのに、嘘なんか書いてなんになるんだろうって、未だに思っている。

 私よりずっと器用に生きていけているだろう新藤さんも、自分の故郷への気持ちに対して「どのくらい思っているのか」を振り返っていた。故郷を思って言う自分の言葉に嘘はないけど、じゃあそれはどのくらいなんだ?と。「VS」の歌詞はあくまでフィクションであり、自分の気持ちをそのまま重ねたものではないということもそうだ。

 それを見て、私がずっと抱えてきた「自分の気持ちに嘘をつきたくない」という信条が、新藤さんの「自分の気持ちに対して潔癖」というところと重なるように思えた。なんかもう、涙が止まらなくて。成就した、と思った。私は新藤さんに恋をしてきたけれど、恋よりもずっと大きなものが成就したような気がした。こんな、こんな幸せがあっていいのか。新藤さんのなかにあるものが、私のなかにもあるなんて。

 私は新藤さんから多大な影響を受けた。私がもともと持っていた考え方なのか、新藤さんの考え方に触れて芽生えたものなのか、今ではもうわからない。判別できないほど、それらは私の一部として馴染み、溶け込んでいる。だから、私は自分のことを「晴一チルドレン」だと思っている(『ルールズ』感想記事でもそんな話を書いた)。私は新藤さんに、新藤さんの考え方や言葉に育てられてきたと思っているが、思っているどころか、確かに「そう」だと証明されたような気分だ。私が大事にしてきたことが新藤さんのなかにもある。この人は間違いなく、私を「育てた」人だ。私はこの人に育てられてきたんだと確信して、ぼろぼろ泣いた。恋よりずっと大きくて広いものが成就した。恋はいつか失われるかもしれないが、私が新藤さんに育てられてきたということは決して失われない。きっと、この「潔癖」なところも、彼の今までの文章を見ていれば表れているだろう。ていうかあそことかあそこに表れてるなぁって思いあたるところはいくらでもある。でもなんか、改めて言葉にされると、私はやっぱりこの人に憧れて育ったんだって、そう確信する。

 

 

・夢を見るには

 インタビューではシングル「VS」に収録されるカップリング曲についても触れている。発売は7/31なのでまだどんな曲なのかはわからないが、そのうちの一曲「一雫」についてはノンフィクションの歌詞を書いたと話している。そしてこの曲のなかには新藤さんが歌っている部分もあると言及されている。

 まだ発売されていないから歌詞そのものは引用しないが、見覚えのある言葉たちが並んでいた。それは、新藤さんがずっと言ってきた言葉。

 

ポルノグラフィティを仕事として僕が生きていけてるのは、まだ夢を見られているからだとも思う。ときどきは目が覚めそうなときもあるけどね。そういうときはぎゅっと頑なに目をつぶって、見ていた夢をたどり直すんだ。」

(『自宅にて』第一回「夢の話」)

 

「それでもまだまだ みんなと夢の中にいたい 時には薄目を開けて 周りをうかがいたくもなるが ギュッと目を閉じて」

(「ラヴ・E・メール・フロム1999」オープニング)

 

 バンドをやろうと思ってメンバーを募ったのも、ポルノグラフィティに「ポルノグラフィティ」という名前をつけたのも、曲はプロデューサーが作るとしても歌詞は自分らで書けるようにと「アポロ」を書いたのも、他でもない新藤さんだ。バンドをやりたいと夢見た少年が、大人になって、夜ごと君に話してた未来についての言葉はいくつかは本当になったけどいくつかは嘘になってしまって、そのあいだに夢を見るのをやめようと思うことだってあっただろう。叶った夢もあるんだしもうここで、と思うことだってできたはずだ。

 それでも、ポルノグラフィティはまだ夢を見る。新藤さんはまだ夢を見る。変わらずに同じことを言い続けていることが嬉しいし、夢についての歌詞をノンフィクションだと言い切ってくれることが、新藤さんが歌っていることが、とにかく嬉しい。いや嬉しいとかちょっとかっこつけたけど……本当に……新藤さんが夢についての歌詞の部分を担当してて……新藤さんの声で……今まで文面とかオープニング映像とかはあったけど肉声じゃなかったから……ただの文字としての言葉でも十分だったのに……声が……あの声でしょ……無理……好き……しかも盤になるので……私の手にある限り消えることはないわけで……どきどきがすごくて曲を聴く覚悟がなかなかできない……(まだ手に入りもしない)

 

 

 

 20周年を迎えようとする今、私とポルノグラフィティの未来に明るい夢しか見えない。なんて素敵なことでしょう!

 ポルノグラフィティに出会えたことが、20年経ってもずっと嬉しい。私の居場所。他にも息をできる場所はできたけど、やっぱりポルノは特別だなぁと思う。余談だが、この前実家(リアルな実家)に立ち寄ろうと思い立って仕事の帰りにマンションの前まで行ったのだが、留守だったので寄らずに帰った。駅からは15分以上あるので、引き返すとなると30分以上歩きっぱなしになる。疲れたし鍵も持ってるし、寄って休むこともできたのだけれど、実家にはもう私の部屋はない。ここはもう私のいる場所ではないのだと、寂しい気持ちで帰り道を歩いた。ポルノの楽曲やライブはそれ自体がひとつの部屋みたいで、ここが私の居場所だと思えるってことは、もはや実家より実家じゃんね。ポルノグラフィティをそういうものにしたのは、そう感じる私のせいだけじゃなく、ポルノのお二人だと思う。

 いつだってあたたかく迎えてくれるあなたたちが、本当に大好きです。これからもよろしくお願いします。

 

 

*1:新藤さんも昔雑誌のインタビューで「ファンってひとりひとりなんだよね」みたいなことを言っていたので、ポルノは揃ってそういうふうに考えてくれているんだなぁと思っている