君と僕だから分かり合えない ー舞台「グリーンマイル」感想ー

 Wikipedia程度の知識しかない状態で観に行きました。二度観賞し、私のグリーンマイルが終わりました。ネタバレ込み込みかつとても脱線した感想です。100%主観です。ネタバレ込み込みなので未見の方はご注意ください。

 

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関ジャニ∞ファンにプレゼンしたい新藤晴一作詞楽曲

 まさか、新藤さんが丸山さん主演映画の主題歌の歌詞を書く日が来るなんて、思ってもみなかった。何度書いても読んでも信じられない。同姓同名同バンド名の新藤晴一さんなんじゃないかと疑ったけれど、あんなバンド名いくつもないだろうし多分私が知っている新藤晴一さんなんだと思う。違ったらすみません。
 で、せっかくだから新藤さんが普段どんな歌詞を書いているのか、私のオススメを並べておきます。ピックアップはしていないけどアポロもミュージック・アワーサウダージもアゲハ蝶もメリッサもハネウマライダーもオー!リバルも新藤さん作詞だよ!
 解禁された音源を聴いたところ、いやどう聴いたって新藤さんの歌詞じゃんって言いたくなるくらい新藤さんのセンスが溢れていて、でもエイトの歌声が似合う爽やかな歌詞にもなっていて、新藤さんのバランスの上手さに拍手せずにはいられない歌詞に仕上がっていた。
 ラブソングではなく、「僕」に寄り添って背中を押してくれるような曲だったので、どちらかというとそういう曲メインで選んでみたので是非聴いてみてください。

 

 

ギフト

どこかで僕を悪く言う声 耳を塞いでやりすごしてた
それでも聞こえる なんだ自分の声じゃないか

 新藤さん作詞の「人生の応援歌」といえばこの曲。自分に自信のない人には刺さる歌詞なのではないかと思う。岡野さんの爽やかで前向きなメロディと新藤さんのそっと寄り添う歌詞が、「どうせ自分なんて」と思ってしまう人に優しく手を差し伸べてくれる。上手くやれるかわからないとか、自分なんかじゃ駄目だとか、一歩踏み出すことを迷ってしまう人にこそ聴いてほしい。弱ったときに聴くと刺さる部分が多すぎてべしょべしょに泣いてしまうときもあるけれど、最後にはすっきりとした気持ちにさせてくれる曲。
 新藤さんの歌詞は何がすごいかって、成功している人がこういう歌詞を書いても「まぁどうせフィクションだし」というにおいがしてしまいそうだが、それがない。多分だけど、歌詞自体はフィクションでもそこに描かれる気持ちは嘘ではないのだろう。きっと新藤さん自身、そういう気持ちになったことがあるから、人の心を揺さぶりながらもそっと寄り添ってくれる歌詞が書けるのだろう。新藤晴一という人はそういう人です。

 

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ギフト

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幸せについて本気出して考えてみた

がっかりしたかい 小僧の僕 マイケルにはなれなかった
ただ僕は大好きな幸せの種を手に入れた

 思い通りにいかない人生だって肯定してくれるのが新藤さんの歌詞だ。普通の人の普通の人生だって、新藤さんの歌詞は肯定する。そこに物語を見出してくれる。凡庸な人生を歩んでしまっているなぁと思う人にこそ響く曲。方向性は違うけれど、「応答セヨ」に気持ちを重ねる人には響くのではないかと思う。
 幼いころに夢見た未来の自分は、たとえば「マイケル」みたいに世界をまたにかけるような人間で、少なくとも今の自分みたいに普通の人ではなかったはずなのにな、という気持ちには覚えがある人も多いのではないかと思う。私もその一人だ。小さい頃思い描いた未来の私は文章を書くことを仕事にしてそれだけで飯が食えていたはずだけれど、実際の私はそうはならなかった。文章を書くのとは程遠い仕事をしながら、それでもなんだかんだで生きている。だからといって想像していた未来の自分と比べて何もかもが不幸なのかといったらそういうわけでもない。私のそばには愛する人がいて、その人も私を愛してくれていて、それってつまりこの曲でいう「幸せの種」を手に入れたみたいなことで、この曲が響く人たちはきっとそれぞれの「幸せの種」を手にすることができたんじゃないかなぁと勝手に思っている。

 

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ひとひら

強くあろうと生きてきたから
変わらなけりゃいけなかったよ

 新藤さんの歌詞は変わることを肯定してくれる。あの頃に比べたら変わってしまったなぁと悲しい気持ちになる人に、でもそれは生きるためだったよねと優しく寄り添ってくれる。15周年シングルベストに唯一の新曲として収録された「ひとひら」は、15年を振り返るベスト盤にふさわしく「過去が背中を押してくれる」「過去が支えてくれる」といった内容が新藤さん独特の表現で描かれている。
 以前関ジャム出演時にセッションしていた「ハネウマライダー」も変化を描いた歌詞で、「大切なものを乗せて走りたいなら、生まれ変わっていかなければねぇ。」というフレーズが出てくる。きっと新藤さんの中で生きることと変わっていくことは近い関係にあるものなんだろうと思う。「応答セヨ」の中にも(聴いた感じなのでおそらく、ではあるが)「変わったろ?あの日の僕と」という歌詞がある。ちょっと自嘲気味に「変わったろ?」と言っているんだと思うけれど、なんで変わったかって、それは強くあろうと生きてきたからだ。それをわかってくれている人がいるというだけで、こんなにも心強い。

 

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ひとひら

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THE DAY

行く当ても DON'T KNOW DON'T KNOW 本当は怖いんじゃないの?
踏み出すその一歩一歩が変えていけるさ THE DAY HAS COME

 アニメ「僕のヒーローアカデミア」第一期OPテーマ。新藤さんがタイアップ曲を書き下ろすとやばい、という代表例。今回も映画とのタイアップなので、彼のタイアップ歌詞のセンスの良さを紹介したい。ちなみに映画「名探偵コナン 業火の向日葵」主題歌だった「オー!リバル」もやばい。
 タイアップする対象に寄せすぎず、しかし全くの無関係でもない。新藤さんはそのへんのバランスをとるのがめちゃくちゃ上手い。たとえば「僕のヒーローアカデミア」は「個性」と呼ばれる特殊能力を持った人々がヒーローとして活躍する世界で、「無個性」だった少年がヒーローを目指す物語なのだけれど、主人公の出久(いずく、通称デク)は個性をもたないのにヒーローになりたくて、自分がヒーローになったらという未来について考えていた。新藤さんはそれをそのまま表現するのではなくて、「独り空想に遊ぶ そこで思い描いたことさえ恥じるのかい?」というフレーズにする。
 上に引用した箇所はサビの一部分だ。「本当は怖いんじゃないの?」というフレーズが、敵に立ち向かうヒーローたちへの、ヒーローである前に人間であるはずの彼らへの問いかけのようにも思える(平和の象徴として描かれる常に笑顔でいるヒーロー・オールマイトも、「怖いから笑うんだ」という話をする場面がある)。そして更に「THE DAY HAS COME」。平和の象徴であるヒーロー・オールマイトの決め台詞は「私が来た!」だ。絶妙にリンクさせているところが上手い。
 まだ映画見てないからなんとも言えないけど、どうせいい感じに仕上がってるんだろって期待しないほうが無理。

 

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ループ/坂本真綾

踏み固められた土を道だと呼ぶのならば
目を閉じることでも愛かなあ?

 坂本真綾さんの楽曲。作詞者クレジットは「h's」となっているが、新藤さんが歌詞を提供したもの。名前は伏せてあるものの、あまりにも新藤さんぽさが漂いすぎていて割と最初から「これ晴一では?」って言われていたらしい。その頃ネットに疎かったから知らなかったけれどすごく好きな歌詞で、友達にCD貸してもらったりカラオケで歌ったりしてて、新藤さんの作詞と明かされたときはまぁ泣きました。私どれだけこの人の歌詞好きなんだって。まぁそれは置いといて。
 引用したのはBメロの部分。新藤さんの言語センスってわけがわからないほどすごくて、未だにこの「踏み固められた土=道」と「目を閉じること=愛」がつながる理屈がわからないままでいるけれど、理屈はわからなくても感覚としてなんとなくわかる。ポルノの楽曲でいうと「何度も」(何度も ポルノグラフィティ 歌詞情報 - うたまっぷ 歌詞無料検索)あたりも同じような感じで、理屈よりも感覚に訴えてくる言葉が並んでいる。言葉なんだから理屈でわかりそうなものなのに、理屈より先に感覚が理解してしまうせいで頭が追いつかない。こういう歌詞に出会うともう負けだなって思ってしまう。是非この曲を聴いて私と一緒に新藤さんの歌詞に完敗宣言しましょう。

 

ループ 坂本真綾 歌詞情報 - うたまっぷ 歌詞無料検索

ループ

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ダイアリー 00/08/26

夜ごと、君に話してた未来についての言葉は、
いくつかは本当になって、いくつかウソになってしまった。

 新藤さんの書く歌詞はフィクション性が高いものが多いが、「ダイアリー」と名付けられ日付まで記されたこの曲は、その名の通り2000年8月26日に新藤さんが思ったことを書いた歌詞になっている。「近頃じゃTVの中、僕を見かけたりするかな?」というフレーズで始まるこの曲は、1999年9月にデビューして約1年が経った頃の心境を描いている。
 引用した歌詞は2番のAメロなのだが、「応答セヨ」の歌詞にも「さぁ早く行かなくちゃ 約束という嘘になる前に」という歌詞がある(聴きとった感じはそうだったけど詳細は歌詞がちゃんと見られるまでは不明。おおよそ合ってるとは思う)。ポルノの、特に新藤さんが書く歌詞では、「約束」(ダイアリーでいうと「未来についての言葉」)は果たされたものもあれば果たされないものもある、というふうに歌われることが多い。先程挙げた「ひとひら」の中にも「果たせないままの約束たち」という歌詞が出てくる。私が「応答セヨ」を聴いて最も新藤さんぽいな、新藤さんのハンコが押してある箇所だなと思ったのは「約束という嘘になる前に」のところだったので、この曲の歌詞も見てみてほしい。

 

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 「応答セヨ」、どこもかしこも新藤晴一のハンコだらけじゃんって思いたくなるくらい新藤さんのセンスが溢れているんだけれど、何よりタイトルからは「応答セヨ」の後に「流星」が続くことは想定できないところが新藤さんっぽいなと思う。本来ならくっつかないはずの単語を、とても自然にくっつけてみせるのが新藤さんだから。あとは言葉数が少ないにも関わらず物語がしっかり展開しているところとか。隅から隅まで晴一節たっぷりで、いやいやどこがアーティストパワーにのっかったのよ、がっつり新藤晴一じゃないのよ、と言いたくなる。

 過去にもブログ書いたし(ポルノグラフィティのこの歌詞がすごい・晴一編 - 来世はペンギンになりたい)、新藤さんの歌詞がすごいって話なんて私もう何十回何百回としてるんですがそれでもたりないくらいすごいんですよ。興味があったら是非聴いてみてください。ちなみに今月アルバムが出ます!

 

 

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ダイエットなう

 太ったのでダイエットしてます。3月から始めて、現在8カ月目に入ったところ。ある程度結果が出たのでまとめておきます。

 

 

・背景

 基本的にスポーツが嫌いな運動音痴。でも歩くのは好きで会社から歩いて帰ったり(1時間ちょい)していた。それが唯一の運動だった。しかし昨年秋、股関節に痛みが出たためドクターストップがかかる。そのため、通勤にバスを利用していたら急激に太ってしまった。股関節の痛みを軽減するためにも太らないでねって言われてたのに……。
 また、身長がそこそこある(167cm)せいか体質のせいか面長なせいか、体重が変化しても顔には出ない(お腹、お尻、脚に如実に出るがほぼ服で隠れる)ため、特に誰からも指摘されずにいたことでしばらく放置してしまっていた。久しぶりに体重計に乗り、人生で最も重かった値に並びつつあることに危機感を覚え、ダイエットをすることにした。

 


・目標

 8kg減
 リバウンドしたくないのと過去の経験から考えて、ゆっくりと1カ月1kgくらいずつ減っていったらいいなというイメージ。元々の筋肉が少ないため、これ以上減らないように(できたら増えるように)ということも心掛ける。目標体重を実現したら今度は筋力強化をメインにしたい。
 なぜ8kgなのかというと、3年前に水着を着られたときの体重が確かそのくらいだったから。過去に2か月で12kgほど急激に体重が落ちたときは痩せたというよりはやつれて体調に影響が出てしまったため、そうならない程度の体重を目指す。

 

 

<ダイエットのために実施したこと>

 

・食事

 昼(弁当)、夜(概ね自炊)の2食。実家にいた頃は朝ごはんを食べないと外には出さないって感じだったので食べていたけれど、朝は食べると気持ち悪くなるのがしんどかったので、いっそ食べないことにした。夕飯は肉メニュー+野菜メニューで2品(もしくは合わせて1品)は作るようにしている。平日はだいたい自炊(私が作ることもあるし夫が作ることもある)。お弁当も夜ごはんと同じものか、適当に作った野菜炒めが入っている。白米+肉メニュー(唐揚げ2個)+野菜炒め(人参1本、ピーマン2個)みたいなときが多い。
 糖質制限とかもしてみたかったけれど、私も夫も米どころに親戚が多いため大量に米が送られてくるので消費しないわけにはいかないし一時的に控えてもどうせ再開することになってしまうので、糖質制限は断念。普通に食べてる。
 金銭的にもきついのでおやつはなるべく減らすようにした。でも飲んだり食べたりしていないとなんだか口寂しいので、オフィスのデスクにはボトルガム(オススメはクロレッツ)を常備している。だけど我慢しすぎると負担になるので時々甘いものもスナック菓子も食べちゃう。たまにはいいよね!
 リバウンドしないようにというのも目標のひとつなので、リバウンドしやすそうな食事制限はしていない。どうせ生きるなら美味い飯を食って生きていたい。


・運動

 3月からジムに通っている。週2~3回。多いときは4回。運動している時間は1時間~1時間半程度で、メニューは筋トレ+エアロバイク(30分)でだいたい固定。筋トレは日によるけれど脚、腕+胸、背中、腹筋を実施。基本的にマシンを使っている。
 
 脚とお尻:「レッグプレス」「アブダクション」「アダクション」の3種類
 胸:「チェストプレス」 胸といいつつ腕にもくる
 背中:「ラットプルダウン」
 腹筋:マシンではなく、台の上に仰向けに寝転がって脚を上げてゆっくり下ろしていく感じのやつ
 
 どれもギリギリ10回を3~5セット、その日の気分と一週間でだいたい毎回同じくらいできるようにバランスを見ながらやっている。今日はこれ!って決めると絶対飽きるから多少の流動性を確保したい。
 エアロバイクは音楽を聴きながら漕いでいる。走る用のプレイリストを用意すると楽しく走れる気がしているので、ポルノとNEWSで2種類作ってある。でも普通にそのとき聴きたいものを聴いている。
 私は飽き性だし集中力がないので、家での筋トレに向いていないということに気付いた。家だと誘惑がいっぱいあるし「別に一銭も出してないし」という気持ちもあるので筋トレに対する意識が薄れる。しかしジムだと「毎月安くないお金払ってるんだから元を取りたい」みたいな気持ちが生まれるし、ジムに行ってしまえば筋トレする以外ないので自然と筋トレをすることになる。私のように飽き性で集中力のない人は自宅での筋トレを諦めてジムに行くのも手だと思う。
 ただ、帰宅→ごはん→ジム→おふろ、の流れで定時退社を死守する私でも一日が完全に終わってしまうので、他にやりたいことがある人は難しいのかも。私は(やりたいことがなかったわけじゃないけどやる気がなくてできなかったので)何をするでもなく一日が終わってしまうよりはやるべきことができてよかった派でした。


・脚マッサージ

 ぺこちゃんがブログで紹介していたやつを実践している。効いてるのかどうかはいまいちわからないけれど、自分で脚に触ることで痩せたことが実感できるのがよい。まだここが太いな~っていうのもわかるので意識が向く、ということはあるのかも。
 最近は寒くなってきてむくむようになってきたので寝るとき用のメディキュットを履いています。


プロテイン

 夫も一緒にジムに通っていて(痩せるというより筋肉をつけるのが目的)、プロテインを買ったので私も飲んでいる。ココア味を鉄分多めの低脂肪乳に溶かしてる。鉄分不足なので一石二鳥!効果のほどはよくわからん!

 


<経過報告>

 8kg減達成
 体重計を買ったのが5月なのでそれ以降の記録しか残っていないが、最初にジムで測った体重から比べると8kg減を達成できた。
 3月から始めて、目標が1カ月1kg減なのでおおよそ計画通りにいっている。上手くいきすぎなくらい計画通りでちょっと驚いている。一応体重を記録しているが、ちょうど1カ月に1kg減っていったような感じのグラフになった。グラフは恥ずかしいので公開を控えさせていただきます。
 ちなみに筋肉量は減っていない(数字の上では増えてもいないけど)。そのため、体脂肪率は徐々に減っている。最初に測ったときの体脂肪率は30%近くあってジムの体組成計で測ると「やや肥満」と出る近い数字だったので、それに比べるとだいぶましになった気がする。ジムは1年契約なので、今後は筋トレに力を入れるようにしたい。
 やっぱり一か月のうちでも体重の増減はあって、どうしても生理前は増える。なのでそのあたりは諦めて、終わったら痩せられるようにと意識している。

 サイズ計測などはしていないが、体型的にはお腹のぶよぶよが明らかに減った。見た目にもすっきりした感じがわかるくらいになった。くびれも戻ってきた。おかえり!
 あとお尻から脚の付け根のあたりもすっきりした。気をつけの姿勢をしたときとかちょっと体をひねったときに見える「ここにお肉ついちゃダメだろ……」と思っていた箇所がちょっとすっきりして、見た目からして軽くなった。しかし長年積もり積もったぶよぶよはまだ残っている。どうにか滅したい。

 モチベーションを保つというか、ただ単に「ジムにお金払ってるしな……」って気持ちで通っていた部分が大きい。強いて言えばモチベーション維持にオススメなのはドラゴンボールを見ることです。なぜか鍛えたくなります。

 


<ダイエットの思わぬ効果>

・ちゃんと汗をかくようになった

 汗腺が退化したのかと思うくらい汗をかかない体質だったが、ダイエットを始めてからは汗をかくようになった。じんわりと汗をかくことはあっても雫が伝うような感覚は今までほとんどなかったのでびっくりした。体質改善という意味でも良かったのかも。汗かきになったというほどではなく、平均的なところに追いついたという感じ。

 

・食べる量が適切になった

 だいたい年に数回はいくら食べてもお腹いっぱいにならない時期があるのだけれど、昨年秋からずっとそれが続いていて胃がおかしくなっていた感があった。とにかくずっとお腹がすいていて、夜中にポテチ一袋とか平気で空けてた。ダイエットを始めたら食べる量が適切になったのか、夜中にお腹がすいてポテチを貪り食うこともなくなった。というかスナック菓子を食べる機会が格段に減った。たまに発作的に食べるけど。
 食事の量が極端に減っているわけではないので、余分に食べることがなくなったのだと思う。八分目で満足できるようになった。

 

・心が健康になった

 ダイエットというか筋トレの効果かもしれない。私のように精神が弱い人間は筋トレをしてみるといいかも。心が強くなるから。筋肉は裏切らない*1
 私は仕事で達成感を得られないこと(そもそもやるべきことが少ないこと)が悩みだったけれど、筋トレをすることで「今日はジムに行ったぞ!筋トレしたぞ!」という達成感を得ることができるようになった。ちょっと失敗した日も「でも筋トレしたしな」と思って健やかな心を保てるようになった(当社比)。
 心が弱い人は体を鍛えてみてもいいんじゃないかと思う。少なくとも私はやってよかったと思っている。満足した気持ちで眠れるって最高。

 

 小学六年生の頃に身長がだいたい止まって以来、最も重たかった時期も最も軽かった時期も中学の3年間に凝縮されている。気付いたら太って、その後精神的にやられて急に痩せた、というかやつれた。そのときは今のように運動していたわけではなかったし、そもそも急すぎたのか体調にもいろいろな影響が出てしまっていたので*2、今回はそういうことにならないように気をつけようと決めた。今のところ特に影響はない。
 それと、負担になることはなるべくしないとも決めているので、食べたもの・カロリーを記録すること(レコーディング)や食事制限はしていない。ズボラだし我慢したくないタイプの人間なので、精神的に負担になりそうなことはなるべく避けている。自分に優しく生きていきたい。
 飽き性な部分もあるし逆にハマるとやりすぎてしまったりする部分もある性格だということはわかっているので(しかもどこでそのスイッチが入るかわからないので)、どちらにも偏らないように注意しようということも決めている。無理なく継続できるようなかたちで今後も頑張ります。

*1:って確か小山さんが言ってた

*2:具体的に言うと生理止まったりしてた

私の青春のそばにはmonobright/MONOBRIGHT/モノブライトがいた

 先日、モノブライトというバンドが年内のライブを最後に無期限活動休止を宣言したんですけど(モノブライト、無期限活動休止へ 桃野陽介「3人とも限界でした」 | ORICON NEWS)、めっちゃいい曲ばっかりなんで聴いてほしいので紹介します。主観100%なのでそんな曲じゃないだろと思うかもしれないけど私にとってはそんな曲なのでご了承ください。気持ちの赴くままに書いているのでいつも以上に意味がわからないかもしれないです。
 ※モノブライトはバンド名を「monobright」→「MONOBRIGHT」→「モノブライト」と変えてきたバンドなので、わかりにくいから今回は基本的に「モノブライト」に統一します。

 

 

頭の中のSOS

 2ndシングル。デビュー曲「未完成ライオット」も好きだったけれど、それ以上にこの曲が刺さった。高校生のとき、この曲をエンドロールとして流してくれたら絶対私の人生いい映画だったなって思えるよな~って考えていたことも覚えている。
 よく意味はわからないけれどなんだか刺さる歌詞とボーカル・桃野の鼻にかかった湿っぽい声がめちゃくちゃ合っていて、ぐねぐねとひねくれたメロディ。大サビの浮遊感のあと、また地面に足をつけ踊りだすサビがくるのもいい。
 高校生の私は別に死にたかったわけではないけど将来が希望に満ちていたわけでもなくて、ただなんとなく今を生きていて、そんなときにこの曲がエンドロールで流れてくれたらいいのになぁって考えるとなんだかすごくハイテンションな気分になった。歌詞の意味はよくわからないけれど、最後の「ワンツー!」の声と楽器たちの気持ちのいいユニゾンの音で、多分本編なんて関係なくてそこさえ聴ければ私の人生がどんなクソ映画だったとしても全然いい映画だったなって思える気がした。答えなんていらないし、わかってもわかんなくてもどっちでもいいし、ただ今感じてるハッピーな気持ちだけは本物だぜベイベーって感じ。アメリカの映画みたいに親指立ててグッドラックって感じ。
 そんなわけのわからないハイテンションが詰まった一曲。わかんないでしょ?とりあえず聴いてみて。

頭の中のSOS

頭の中のSOS

 

魔法のライター

 1stアルバムに収録されている。よくわからないけれど切なさがぎゅっと詰まっていて、聴くたびに知らない「君」のことを思い出してしまう。「君」なんて全然知らないし、魔法のライターなんて持ってないのに、失くしちゃった何かを思い出そうとしてしまう。同アルバム収録の「道標側ソウル」もいい。

魔法のライター

魔法のライター

 

アナタMAGIC

 おそらくモノブライトで最も有名な曲。アニメ「銀魂」主題歌。
 これだけ楽しいメロディなのに歌詞はなんだかちょっと切ない。主人公とヒロインがくっついたときに、本当はヒロインのことが好きだったくせにヒロインに渡すつもりだったプレゼントを後ろ手に隠して「よかったね」って祝福して、帰り道にプレゼントを捨てようとして捨てられなくて、プレゼントのネックレスを「ちくしょー!」って気持ちで泣きながら飲み込んじゃって後で病院に運ばれちゃうような、そういうかっこよさとかっこ悪さみたいなものを感じる曲。というかモノブライトが全体的にそういうかっこよさとかっこ悪さを兼ね備えているイメージ。もちろんそういう曲だけじゃないけど。
 メロディは全然切なくないし、勢いもあるし、特にドラムがめちゃくちゃかっこいい。ドラムの善し悪しはよくわからないけど、今この瞬間このリズムを切り取るような感じがしてかっこいい。最後のサビ前の一気に駆け抜けていく感じとかいつ聴いても最高。
 「素敵なあなたに歌われたいよ」とかって歌っていたのに最後にとどめをさすように「僕には見えないアナタMAGIC」って歌っちゃうのがモノブライト。声だけでもう未練たっぷりというか、いろんな後悔を背負っていそうな感じがして、そんな歌声で「メラメラしたいよキラキラしたいよ 僕には見えないアナタMAGIC」って歌うのが本当に良くて。それでいて最後はハッピーエンドみたいな余韻を残して終わるところが好き。

アナタ MAGIC

アナタ MAGIC

 

 

孤独の太陽

 桃野って天才だなと思った一曲。ドラマ「サムライハイスクール」の主題歌で、「サムライ」感のあるゴツゴツした荒野みたいな音がすごくかっこいい。一音一音が重たくて強い。なんとなく、時代劇の侍を思い浮かべる。
 そして何より天才なのはその歌詞。高校生に侍が憑依して……という話で、そのふたりを太陽と月にたとえて描いたような歌詞になっている。でも、ドラマの内容から「あなたの歩く道標が私なら/眩しくて強い心で私を照らすといい」なんて歌詞が出てくるなんて。Aメロでは「太陽」が迷える心を吐露し、サビでは「月」が「太陽」に語りかける。でもその声は届いているのかどうかわからない。なにせ「孤独の太陽」だから。しかしそれでも語りかけるのだ。また、最後の「渇いた無常なる時代の中 それでも歩き出す」という歌詞もいい。桃野の湿っぽい歌声が「それでも歩き出す」というフレーズに似合いすぎている。
 普段のモノブライトはどちらかというと騒がしい曲が多いけれど、この曲は重たく優しく強い。モノブライトの幅広さを思い知らされる一曲。

孤独の太陽

孤独の太陽

 

この人、大丈夫ですか

 桃野って天才だなと思った一曲。ヒダカさんが加入して曲の幅が更に豊かになって、はちゃめちゃにテンションが上がるメロディにストーカーを描いたべっとりした歌詞というギャップが最高。あのメロディで「あなたを縛りたい/許せなくなって殴りたい」って歌っちゃうの、あんまりにも清々しくて気分がハイになる。そのうえタイトルが「この人、大丈夫ですか」なのがまたいい。全然大丈夫じゃない。曲の勢いと歌詞と演奏の相乗効果で、超高速で変態が駆け抜けていくシュールささえ感じる。あるいはちょっとしたホラーかもしれない。とにかく全然大丈夫じゃなくて好き。

この人、大丈夫ですか

この人、大丈夫ですか

 

WONDER WORLD

 アルバムの最後の一曲で、モノブライトのアルバム最後の一曲は他の曲よりもさらに切なく余韻を残して終わるものが多い。特に「music number」「music wonder」そしてこの「WONDER WORLD」はそういう感じ。言葉で語るより聴いたほうが早いから聴いてほしい。同アルバム収録の「Timeless melody」も爽やかなメロディに性の切なさみたいなものが乗っかってて最高だから是非。

WONDER WORLD

WONDER WORLD

 

冬、今日、タワー 

 まぎれもなく名曲。アコギの音と鈴の音が冬の寒さを伝えてくる。
 この曲を聴いていると、帰りたくなる。「見上げればタワー」の音の上がり方が、なんだか寂しくて帰りたい気持ちを煽るのだ。私の今住んでいる家でも実家でもなくて、多分どこでもなくて、でもどこかに帰りたい。私は東京生まれ東京育ちで今住んでいる家の近くに実家があるから、故郷に帰りたいなんて気持ちは全然わからないはずなのに、なんだか帰りたくなった。曲に込められた寂しさにあてられちゃったのかもしれない。
 こんな気持ちにさせる歌を作るなんてさ、天才としか言いようがない。 

冬、今日、タワー

冬、今日、タワー

 

 

ビューティフルモーニング(Wake up!)

 桃野って天才だなと思った一曲。めちゃくちゃ天才だと思ってるじゃんって思われるかもしれないけど定期的に天才としか思えない所業をやってくれるから仕方がない。多分天才なんだと思う。
 「誰も知らない明日が 誰もが知る今日になって」というサビの歌詞がすごく好き。まるで「僕」がこの世界のどこからも浮いてしまっているような感じがしてすごく寂しい気持ちになる。夜、新宿南口の広い道路の雑踏を歩いているとき、遠くに高いビルが沢山見えているとき、路上のシンガーが何かを歌っているとき、通り過ぎる話し声が人々の隙間さえ埋めてしまっているとき、なんとなくこの曲のもつ寂しさを思い出す。寂しいけれど、それは冷たい寂しさじゃなくて、どこかあたたかい寂しさだ。今すぐ解放されたいような嫌な寂しさではなくて、しばらくこの寂しさに浸っていたいなと思ってしまうような感じ。この寂しさを感じたくて、ふとしたときに聴きたくなる。

 

 

ハートビート

 ライブの最後に聴きたい曲。お祭り騒ぎみたいな楽しさと、やっぱりどこか切なさを感じるんだけど、そこが好き。
 ライブに行く側を描いた歌詞なんだと思うけれど、歌詞が本当に天才としか言いようがないくらい素晴らしいから是非とも聴いてほしい。きっとこんな歌詞を書ける桃野もまた誰かのファンで、そういう人が音楽をやっているってすごくありがたいことだなぁと一方的に享受する側として思う。「私の中にベスト10があって」なんて本当その通りで、この曲に関しては「わかる」が随所に散りばめられている。特定の好きなアーティストがいる人なら響くところのある曲なんじゃないかと思う。
 なんでこの曲を最後に紹介したかっていうと、こんな歌詞で終わる曲だからだよ。

あなたに会えてよかった
ココロの鼓動が駆けてく
またいつか会おう 

ハートビート

ハートビート

 

 


 モノブライトの曲って歌詞を見てもどんな場面が描かれているのか歌詞の中で明確にされていない場合が多くて(インタビューとかで説明されてる場合もあるけど)、一体どんな場面を思い浮かべたらこんな言葉が並ぶんだろうと思うこともよくある。考えてもわからないものもある。具体的な場面が想像できなくて、でも共感しないかといったらそれは違う。共感というか、わかることなんて何もないのに、ぐさぐさと刺さる部分がいくつもある。思い出したかったけれど無意識に蓋をしていた気持ちとか、忘れようとして忘れきれないまま心の隅っこに引っかかったままだった気持ちとか、でも別に特別大切なわけじゃないみたいな気持ちとか、そういう中途半端な気持ちたちを拾い上げてくれる。捨てたはずの点数の悪い答案用紙を、犬が拾ってきちゃうような、そんな感じ。何拾ってきてんの!って思ってしまうんだけれど、改めてその点数の悪い答案用紙と向き合って、また投げ捨てることもあるしこっそり引出の奥にしまうこともあるしライターで燃やしちゃうこともあるし、でもそれは向き合わないとできなかった行為なわけで、だから多分向き合ってよかったんだっていう結論に至る。そういう気持ちの整理の仕方だってある。私にとってモノブライトの曲は、そうやって心の整理を手伝ってくれる存在だ。
 私はモノブライトの曲を聴くとすぐ「これをエンドロールにしたい」と思ってしまう。映画なんて撮る予定もないけれど、「頭の中のSOS」だけじゃなくて「ハートビート」とかもエンドロールにしたい。私の中ではエンドロールって絶対楽しくて切ない曲がよくて、モノブライトの曲はその条件によく当てはまる。明日になったら何もかも消えちゃうってわかってるなら悲観するより明日のことなんて忘れて今日をめいっぱい楽しんでいたい、みたいな感じ。でもその様子を映画館の椅子に座って見ているとちょっと切なくなる。そんな切ない気持ちをも包み込んで楽しくしちゃうような、そんなエンドロール。すっきりした気持ちで席を立って、その先の世界に帰れるようにしてくれる。
 あと、なんか変で楽しい曲が多いのも好き。ちょっと変態っぽい(褒め言葉)感じもするところもいい。変で切なくて楽しくて、そういう曲を聴かせてくれるのは私にとってはモノブライトしかいない。

 

 私は「そのジャンルで一番お金または時間を注ぎこんでいるもの」についてしか言及しないというルールを自分に課している。動物だったらペンギン、バンドだったらポルノ、アイドルだったらNEWS。そんなふうに自分の中でのジャンル分けをして、そのなかの一番にしか「好き」ということを許さないでいた。お金や時間を使わないのなら何も言う権利はないと、私は自分に対して思っているから(他者のことはどうでもいい。あくまで私に対して)。
 そのルールに従って、モノブライトが好きだって話はあまりしていなかった。曲はコンスタントに聴いていたけど、ライブハウスのライブが苦手であまり行ったことがなかった、ということも、彼らについて言及しなかった大きな要因だ。
 でもこの活動休止の話をきいて、よくよく考えてみた。高校生のとき、友達が「いいよ」といって教えてくれたバンドで、そのときはまだメジャーデビューした直後くらいだった。まだ世に知られていない、これから売れていくであろうバンドを初めて知って、どきどきしたのを覚えている。どことなく変態で、どことなく切なくて、どことなく愛おしい彼らの音楽は、「いつか売れちゃうやつだわ、私、いつか売れちゃうバンドを今知っちゃったわ」と当時の私を震わせた。彼らの白ポロシャツに黒縁メガネの衣装に憧れて普段使っていたメガネを黒縁にしたし、ギターのまっつんが好きだったから前髪を自分でアシメに切って母に「あんたそれ何?失敗してるよ?」って言われたりもした。少ないお小遣いのいくらかは、間違いなくmonobrightに使っていた。銀魂の主題歌になったときには「やべー!売れたわ!!!」と騒いだ。ビークルのヒダカさんが加入(結婚)したり脱退(離婚)したり、次に何が起きるのか全然わからないところに振り回されるのが楽しかった。大学生になってライブにも行った。ライブハウスのもまれる感覚には慣れていなくてしんどかったけれど、最後あたりでステージの上から客席に伸びた桃野の手がワイワイと手を伸ばす私の手に当たって「生温かい!」と思ったのを覚えている。BBQinつま恋でサイドのステージで演奏するのを見て、いつか真ん中のステージで演奏するのを見たいなって思ったのを覚えている。たっきーが脱退して悲しくて、でも脱退後の曲もめちゃくちゃ良くて全然大丈夫じゃん!って安心したりもした。名前もmonobrightからMONOBRIGHTになってモノブライトになって、またわけわかんないことやってるよ~って中学生女子が同級生の男子を見るみたいな目で笑ってた。最近は新曲が出ないかなってずっとチェックしてた。なんだよ、私全然好きじゃん。これだけやってて好きじゃないわけないじゃん。好きって言いたい。好きだよ。

 私の青春そのものだったと言い切ることはできない。でも、私の青春のそばにはモノブライトがいた。いや、私の青春のそばにはmonobrightがいて、MONOBRIGHTもいて、モノブライトだっている。過去形になんかしたくないよ。絶対また帰ってきて、楽しくて変で切ない音楽を聴かせてよ。なにより、楽しいことをまた楽しくやれるようになってほしいな。またいつか会おうって歌ったあなたたちのことを、勝手に待っています。

それはどこへでも行ける切符 ―「できることならスティードで」感想―

 加藤さんのエッセイ「できることならスティードで」が今月発売の小説TRIPPER 2017年秋号で連載第4回目を迎えた。季刊誌なので、2016年冬号から始まった連載は次号で1周年になる。どこかで感想を書いておきたいなと思ったので、1年分の掲載が終わった今回のタイミングでまとめようと思う。

 


Trip1:大阪 (2016年冬号)

 昨年の24時間テレビが終わった頃の話。加藤さんがどれほどドラマに身も心も注いでいたか、見ていてもわかったけれど改めて本人が文章にして書いたものを目にすると、そうだったのかと新鮮な気持ちになる。
 舞台のために大阪へ行った加藤さんの話は、いわばおたくでいう「遠征」である。まさか自担が遠征した話を読むことになろうとは。遠征の道中で出会うものって、なんだか心惹かれてしまうし記憶にも残る。私も去年の広島遠征のことやアミューズのフェスでつま恋へ行ったこと・その道中にあった出来事は(記憶力の悪い私にしては珍しく)よく覚えている。
 『傘をもたない蟻たちは』収録の「イガヌの雨」もそうだが、目を逸らしそうになるほど食べ物を官能的に書くのが上手い。でもただ官能的なだけではなくて、むしろエロとグロのあいだみたいな、美味しさと気色悪さのあいだみたいな、絶妙なところを描きだす。食べることと性には密接な関わりがあるという論を大学のゼミで聞いて「なるほど~!」と思って以来その論を支持している私としては、加藤さんのこの手の文章は最高と言わざるを得ない。文章にはどうしたって書いている本人が現れるものだと思うが、加藤さんは「食」の描写に特に強く現れるように思うのだが、加藤さんの食への好奇心はこういうところに活かされているのでは?という気がしてくる。もしかしたら変ラボでのゲテモノ食いすらも加藤さんの文章の糧となっているのかもしれない。
 後半の舞妓さんの話は、加藤さんの想像がどんどん膨らんでいく様子が面白かった。対象を見たとき、頭のなかで物語が展開してしまうところは自分にも覚えがある。加藤さんは作家だから意識してそう書いているのかもしれないが、共通点を見つけたようでなんだか嬉しい気持ちになった。加藤さんのことだから、何か疑問に思うものを見つけたときにその答えが検索などでは得られない場合、自分の中で納得のいく道筋を見つけているのではないだろうか。
 終わりに向かうにつれ、最初はかっちりとしていた文体が砕けていき、最後のほうには助詞の脱落や「い」抜き表現などが多く見られるようになる。まるで、居酒屋で一緒に飲んでいてどんどん酒がまわってくる友人の話を聞いているかのような気分になる。勿論私は加藤さんと友達ではないし居酒屋にも行かないしそもそも私お酒飲まないけれど、そんな気分になれる文章だった。

 


Trip2:釣行 (2017年春号)

 釣りにハマったきっかけから、初めて行った海釣りの話、そして大野さんとの24時間釣りの話、などなど。大野さんとの話は当時いろんなところで話していたけれど、こうした文体で語られるとなんだか違ったものに思える。
 私は釣りには馴染みがない上に情景を頭の中に思い浮かべるのが苦手なので、イカ釣りの様子を丁寧に書かれているのにそれを「見る」ことができない。加藤さんの文章は視覚的だという話を聞いたことがあるので(確か『閃光スクランブル』のときにそんな話をどこかで聞いた)、きっと文章を読んで映像や画像をイメージできる頭ならイカ釣りの様子を「見る」ことができるのだろう。そういうふうに思える程度には、丁寧に描かれていた。
 どんな趣味も、それを趣味としないひとにとってはよくわからないものだ。今回の加藤さんの話も、釣りを趣味としない私にはよくわからない。けれど、誰かが何かについて熱を持って語っているのを見るのは面白い。魚が怖いし船酔いがひどいから、加藤さんのように海釣りをする機会はないかもしれないけれど、楽しそうだなあとは思う。
 最終的に文字数が足りなくなっているところは、シゲ部のいつもの終わり方を思い出して少し笑ってしまった。「やべぇもう時間なくなっちゃった」と言って早口でメールの宛先を読み上げる声が頭の中で再生される。しかし、「文字数」と書かれていると、自担や推しの魅力を140字に収められないおたくたちのこともなんとなく頭に浮かんでしまう。こういうところが加藤さんって感じで、好き。

 


Trip3:肉体 (2017年夏号)

 このところ忙しくて旅らしい旅なんてできていないのでは、と思っていたら、まさか「肉体」と旅を結びつけるとは。全く関係のなさそうなものを徐々に結び付けていく加藤さんの文章力はすごい、と素直に思った。
 私も今年の春からジムに通い始めたので、肉体の話には興味があった。この号が発売された頃はちょうど脂肪が落ち始めたあたりで、「やっぱマシントレーニングよりも自然な動きのほうがいいよなぁ」と思いながらも金銭的に専属トレーナーはつけられないしな……とぼんやり考えたりした。別に私は肉体が仕事と直結しているわけではなく、あまりに見栄えが悪いのをなんとかしたいのと元々悪い股関節にこれ以上負担をかけないためにダイエットをしようというだけだから、そんなにちゃんとやる必要もないのだけれど。でも当初目標にしていた1か月1キロ減は実行できてる。
 身体能力も歌も、コンプレックスに思った部分のうち努力でどうにかできそうな部分を努力でどうにかしていく加藤さんは恰好いいな、と思う。きっと、私の愛するアイドルたちは、見せないところで沢山の努力をしているのだろう。
 円環とか連動という話は、なるほどと思えるほど理解はできなかったが、なんとなくSFっぽさを感じた。あるいは宗教っぽさでもあった。こういった部分を題材にした話を書いたらきっと面白いだろうな、と思った。
 キックボクシングをやっていることをなかなか教えてくれなかったり、この回についても「似合わないけれど」と一言つけちゃう面倒くささも、好き。似合わないとは思わないしむしろ超かっこいいと思うのでいつかキックボクシングをやっている写真を美的とかで見せてください。
 ところで「円環」という話が出てきたときは思わず「魔法少女まどか☆マギカ」を思い出した。円環の理……加藤さんも連想していたりしないかな、なんて考えてみたり。

 


Trip4:岡山 (2017年秋号)

 傲慢さを発揮して他者の命と自分の命を天秤に載せてしまわぬよう、心を無にして読むしかなかったのだけれど、言葉を選んで何度も推敲を重ねて書かれたであろうことはわかった。加藤さんのあたたかな言葉で綴られていたから、割とあたたかな気持ちで読めたかな、とは思う。加藤さんの文章は徹底して「自分はこう思った」に終始していて、誰かに説教をするような文章ではないところが好きだなと思った。
 今回はそれまでの回以上にアイドルも生身の人間であると強く意識させられる内容で、正直苦しかった。あなたを切ったら赤い血が出ることくらい知ってるってば、と思う一方で、未だにその赤い血に慣れない自分もいる。いい加減慣れてくれよと自分でも思うけれど、毎度のことながら鮮烈な赤い血のイメージが脳裏をよぎる。だけどこれだから、加藤さんのことが大嫌いで大好きなんだよなあ、と思ったりもした。

 唐突だが、思い出話を始めたい。私が高校に入った頃の話だ。確か、当時のポルノグラフィティの新人マネージャーがその大学出身だったとかいう適当な理由で告げたそこそこのレベルの志望校が、いつのまにか病床の祖父にも伝わっていた。どうやらその大学は祖父が贔屓にしている大学だったらしく、祖父はとても喜んでいたそうだ。そして記憶が混濁してきた頃、祖父は看護師さんに「孫が○○大学に通っていて、その大学の友達を連れて遊びに来た」と話したらしい。私が高校二年の初夏に、祖父は亡くなった。通っていた高校は進学校でもない至って普通の高校だったが、いわゆる難関校であった志望校には無事合格することができた。4人いる孫の中でも一番よくわからない子だった自覚はある。祖父も私の扱いに困ったことだろう。でもじいちゃん孝行することができたんじゃないかな、と勝手に思っている。生者が死者に何かを思うことなんて自己満足で、私のこの想いも自己満足でしかないのだが、それでいいと思う。
 他にも、初めて母の涙を見たときのことを思い出したりもした。そうやって、加藤さんの文章が私の中の記憶を呼び起こす。もしかしたらこれを読んだ誰かも、いつかの出来事を思い出すかもしれない。そうやって文章のちからは伝播していく。

 

 

 4回の連載を通して、この連載は作家・加藤シゲアキさんが書いた加藤成亮というひとの話、という印象を持った。アイドルの加藤さんの影は、文章からは見えてこない。意識的にそう書いているのがわかる。掲載雑誌の色や加藤さんファン以外の購買層を意識しているであろう文章は、ちょっとだけくすぐったく感じることもある。今はもう慣れたけれど、それでも鼻先に猫じゃらしが当たったような感じが、たまにする。
 私は、彼が名前を改めた以上、彼は「加藤シゲアキ」として仕事をしているのだと思っている。個人的な「ひと」としての彼は、いちファンでしかない私の前には決して現れることはない。しかし、「ひと」としての彼が、文章で姿を現す。勿論、加藤さんが書いても良いと思ったことだから書いているのだろうけれど、それでもときどき、そんなに見せなくてもいいよという気持ちになることがある。見せなくてもいいというよりは、見せてくれるなという気持ちの方が近いかもしれない。だったら読まなければいいだけのことなので、それでも読みたい気持ちが勝ってしまう、ただの私のわがままだ。次の号も読むし、その先もきっと読む。
 私はよく「加藤さんのことが大嫌いで大好き」と繰り返している。加藤さんについて考えていると傷つくこともあるし、私が正解だとか正義だと思っていることが軽々と裏切られることもある。ひとつ注意しておきたいのは、私が勝手に傷ついたり裏切られたりしているだけであって、加藤さんが傷つけたり裏切ったりしているわけではないということ。私の感情と加藤さんの言動のあいだにはなんの関係もない。小説ならまだしも、エッセイだと書き手の考え方が強く出る。そのために、読んでいて楽しい部分も好きだなと思う部分もぐさぐさと刺さって痛い部分もある。だけどこの「大嫌いで大好き」という感情を私は「愛してる」という言葉で表現したい。このエッセイを読むたびに、そんな気持ちを新たにする。
 

 7と5の音でつくられたタイトルは、声に出して読むとリズムがよくて心地よい。どこかに出かけたくなるような軽やかさを持ったタイトルだ。「できることならスティードで」のあとに続くのはどんな言葉なのだろう。できることならスティードで、彼はどこへ行くのだろう。
 「スティード」というのはバイクの種類だ。この「スティード」は加藤さんにとってのどこへでも行ける切符みたいなものなのかなぁと勝手に思っている。「銀河鉄道の夜」でジョバンニのポケットに入っていた切符のような、そういう存在。加藤さんにとって、文章を書くことこそがどこへでも行ける切符なのではないだろうか。新しい世界へと加藤さんを連れ出したのも、文章を書く、ということだったんだし。でもいつかバイクに跨る加藤さんも見てみたいな!
 

 こういった連載がどのくらい続くものなのかわからないが、たった4回じゃ物足りないから是非ともこの先もずっとずっと続いてほしい。次号はどんな旅の話なのか、三カ月後が今から楽しみだ。

 

 

 

 

君と一緒に夢を見る ―NEWS14周年によせて―

 NEWS、14周年おめでとう。また今年もこの日を祝えて嬉しいです。
 今日のために何かを書いたとしてそれがなんだと思うのだけれど、それでもやっぱり何か書きたくて、NEWSの好きなところを(今までも何度も書いてきたけど)また改めて並べたい、と思います。

 

 手越さんの笑顔が好きだ。
 友達と集まったときに「ザ少年倶楽部プレミアムKinKi Kids光一さんゲスト回のプレミアムショーをメンバーそれぞれに焦点を合わせて見る、というのをやってみた。いつも音楽番組を見ているときはどうしても加藤さんに目がいってしまうので、それ以外のメンバーにずっと注目して見るというのは新鮮な体験だった。
 手越さんはずっと笑っていた。その歌詞にはその笑顔じゃないよ、なんて思わず笑ってしまうくらい、手越さんはずっと笑顔を絶やさなかった。歌いながら踊りながらずっと笑顔でいるなんて、簡単にできることではない。しかも、歌いなれていないであろう先輩の曲でもその笑顔を崩さない。今更ながら、手越さんが「アイドル」であるということを思い知らされた。
 それに、手越さんの笑顔には、とても強い力があるように感じられた。笑顔で歌う手越さんを見ていると、どんなに暗い歌詞を歌っていても手越さんが救ってくれそうな気がしてくる。圧倒的な光属性というか、圧倒的RPG主人公オーラというか、世界を救うのはこういう人なんだろうなと思ってしまうような力がある。手越さんならどんな相手にも「誰かを助けるのに理由がいるかい?」って手を差し伸べるんだろう。
 手越さんがコンサート等でファンに向ける優しい笑顔も好きだ。コンサート映像を見ると、手越さんが「あ!見つけた!」という顔で手を振っている場面がある。ファンはコンサートの日を楽しみに待っているけれど、手越さんもまたファンに会えるコンサートの日を楽しみにしているんだ、とわかる。ファンのことが大好きすぎてデレデレになってしまう笑顔も好き。
 メンバーと話して、口を大きく開けて笑っているのも好き。アイドルの笑顔と違って、等身大の男子感があって、世界も救えちゃいそうな主人公の手越さんもひとりの人間なんだと実感するし、何よりかわいい。
 15周年に向けて、手越さんが笑顔になれることが沢山起きますように。


 増田さんのクリエイティブに貪欲なところが好きだ。
 貪欲というかストイックというか、自分の思い描くものを実現するために努力も時間も惜しまないところがすごいと思う。他のジャニーズのコンサートに行ったりジャニーズ以外のコンサートにも行ったり、自分のインスピレーションになるものは何でも取り入れようとしていくし、言わないだけできっといろいろなものをインプットしていて、きっと増田さんの中には膨大な情報が詰め込まれているのだと思う。想像を絶するほどに。
 私はNEWSのコンサート衣装がすごく好きだ。メンバーである増田さんが手掛けているから、作りたいコンサートの一部として衣装が機能しているように見える。コンサートから衣装だけが浮くことはないのに、ひとつひとつの衣装のインパクトもある。奇抜なのに馴染むって、すごいことだと思う。そして何より「4人揃ったときが一番きれいに見える」というかたちなのがNEWSらしくて好き。NEVERLANDの衣装も、4人が一緒に踊ったり歩いたりしているときが一番美しく見えるように思えた。私には視覚的な美のセンスが壊滅的にないので衣装の善し悪しは今ひとつわからないのだけれど、NEWSのことをよく考えて作られているということはなんとなくわかる。
 きっと何度も打合せや試行錯誤を重ねて辿りついたものなのだろう。コンサートの準備時期になると、メンバーから「まっすーから衣装についての連絡が来る」とか「衣装の打ち合わせがあるからまっすーだけ打ち合わせの時間が長い」というような話が出てくる。いいものを作るための努力も時間も惜しまないところ、そしてそれを自分からはあまり表に出さないところ、とても恰好いいなと思う。
 それに増田さんは衣装を作って終わりなのではなく、更に改良を進めていくところもすごい。小山さんの「EMMA」の衣装、最初は襟の刺繍?がなかったけれどいつのまにか増えていた。コンサートの衣装も少しずつ変わっていくというし、より良くカスタムしていくことにも手を抜かない増田さんの貪欲さが見える。
 15周年に向けて、増田さんのつくるクリエイティブな世界を沢山見られますように。


 加藤さんの人間らしさが好きだ。
 加藤さんってすごく生身の人間で、この人を切ったら赤い血が出るんだと信じて疑わせない何かがある。「アイドル」という偶像でありながら生身であり続けることって簡単なことではないと思う。
 お正月をどうやって過ごしたとか、夏フェスのタイムテーブルとか、そんなことまで教えてくれる。加藤さんのラジオを聴いていると、まるで居酒屋で友達の話を聴いているみたいな感覚になることもある。「あのバンドがよくて」とか「この映画が面白くて」なんて話をこっちが拾いきれないくらいしてくれるのに、彼は友達ではなくアイドルなのだ。不思議。
 加藤さんの人間らしさはそれだけではない。「変化」という人間らしさもある。私が初めて好きになったときの加藤さんと、今の加藤さんは全然違う。別人、とまではいかないけれど明らかに違う。その変化は「成長」ともいう。
 20代前半から、加藤さんのことを見てきた。加藤さんはどんどん成長していって、それを見ている私は自分なりに努力をしても全然追いつけなくて取り残されたような気持ちになる。そもそも追いつこうだなんて思っていたのが間違いだと気付いたのはここ最近のことだ。私の道と加藤さんの道は違うのだから、違う道を歩いているのに追いつくも何もない。
 私は加藤さんのことが大好きで、でも大嫌いと思う部分もある。相反する感情を、彼に対して全力で抱いている。多分、大好きと思う気持ちが大きくなればなるほど大嫌いと思う気持ちも大きくなるのだろう。振り子ほどの安定感はなくて、空中ブランコみたいにいつもちょっと不安定に揺れ続けている。我ながら面倒だなと思うけれど、自然とこういうかたちになったのだから意識的に変えられるものではないので仕方がない。
 でもきっと、大好きと大嫌いがこんなにも私の胸に湧きおこるのは、加藤さんがあまりに人間らしいひとだからだと思う。私は加藤さんの人間らしさの一端は自分の感情に素直であることというのも含まれると思っていて、だから私も己の感情に誠実でありたい。
 15周年に向けて、加藤さんの人間らしさが沢山見られますように。


 小山さんの自然な気遣いが好きだ。
 私はきっとこういう大人になりたかったんだろうなと小山さんの気遣いを見るたびに思う。こんなふうにできたら、きっと私は自分のことをなんの衒いもなく「大人」と呼べたのだろう。そういう意味でも、私は小山さんに憧れている。台本にスタッフへの感謝の気持ちを書いて楽屋に置いておくとか、そういうひと手間を手間と思わないでやれる小山さんって本当にすごい。「気遣い」って、なくても問題ないものだと思う。なくても問題はないけれど、あったら嬉しい。そういう小さなプラスを積み重ねていく努力もすごいなと思う。
 常に周囲に気を配っているから、今自分が求められる役割はなんなのかを瞬時に察知できる。特に「NEWSな2人」ではそれが顕著だと思う。場がとがった空気になってきたらバラエティっぽさを出してやわらかくできるし、誰かの意見を一方的に悪者にしないように寄り添うこともできる。小山さんの優しさの成せる技だ。小山さんの優しさはお仕着せがましくなくて、「自分がやりたいからやっている」という感じがする。そんなの受け取り方次第だろうといわれたらそうなのだけれど、私にとっては私がそう感じたということが大切なので別に問題はない。
 小山さんの気遣いは、自分と誰かを繋ぎとめる手段のように、私には見える。というか私が「気遣い」というものをそういうふうに捉えている。芸能界という場所で生きていくうえでは、自分と誰かを繋ぎとめる能力ってすごく重要なのではないかと思う。普通に会社員をやっていても必要な能力だと痛感するのだから、個人に対して仕事のオファーがあるような世界では余計にそうだろう。
 常に誰かに気を遣っているように見えるから、そんなふうにしていて疲れないのかなと心配になるときもある。見ていて憧れるけれど、自分が全然できない分野だから余計にそう思ってしまう。けれど小山さんが2017年お正月の夜会で「メンバーに興味がなくなった」と言っていて、そう思えるようになったんなら少し安心だな、と思った。繋ぎとめようとしなくてもいなくならないって思えるようになったんだって、勝手に嬉しくなった。勿論これは私の勝手な思い込みであって、正解か不正解かはわからない。でも、小山さんが必死に繋ぎとめた「NEWS」というものが、もう崩れることはないと安心できたのなら、少なくとも私がそう思えたことが、嬉しい。そんなふうに思いながらも、小山さんの自然でさりげない気遣いは私の憧れなので、それもずっと見ていたいなぁと思ってしまう部分もある。わがままでごめんねと思うけれど、それだって小山さんは笑顔で許してくれそうな気がする。
 15周年に向けて、小山さんの気遣いが沢山の人を繋ぎ沢山の仕事に結びつきますように。


 NEWSの好きなところは沢山あるけれど、今一番話したいことをひとつだけ挙げるなら、一緒に夢を見てくれるところだ。
 一緒に夢を見てくれる、という言葉に、私は複数の意味を込めている。ひとつは「NEWS」という夢を一緒に見ていると実感できるということ。彼らが「NEWS」であることは当たり前のことではなかった。もしかしたら彼らが「NEWS」ではなくなる未来もあったかもしれない。しかし、彼らは「NEWS」であることを夢見て、選んで、掴み取った。だからこそ、私が「NEWS」に夢を見るのと同じようにNEWSも「NEWS」に夢を見ている気がする。それがすごく嬉しい。
 もうひとつは、NEWSとファンが共通の文脈を用いて「夢」と呼ぶ以外にない空間を共有して楽しんでいるということ。言葉を選ばずに言い換えるなら「茶番」とか「子どもだまし」とも言えるかもしれない。たとえば、NEVERLANDのコンサートの「NEWSが眠りの魔法にかかってしまいました」というくだり。眠りの魔法にかかったNEWSはファンのダンスで目覚め、「僕たちからのお返しです!」と言ってペンライトの明かりを一斉に灯す。私の頭の中の冷静な部分は、NEWSは眠ってなんかないしファンが踊ろうが踊るまいが起きてるしお返しって言っても制御のペンライトがついただけ、という。でも、その「NEWSは眠ってなんかないしファンが踊ろうが踊るまいが起きてるしお返しって言っても制御のペンライトがついただけ」を、NEVERLANDの文脈に沿って眠りの魔法だとかそれを解くダンスだとかペンライトの光を愛だとか呼んでNEWSも私も楽しんでいる。制御されたペンライトが一気についたらそれだけできっと奇麗なんだろうけれど、そこに「僕たちからの愛のお返し」という付加価値を乗せる。一緒に夢を見ているのだ。ひとつの夢を、一緒に作り上げている。
 日常なんてつまらない。コンサートという非日常にいるのに、制御されたペンライトの光がついたことを日常の延長線上みたいに「制御されたペンライトの光がついた」と捉えたら、それはひどくつまらない。だってせっかく非日常に、夢の中にいるんだから。子どもみたいに突拍子もない夢を見て楽しみたい。NEWSのコンサートにはそういう夢が沢山詰まっている。それをファンと一緒に楽しもうとするNEWSのことが、大好き。
 15周年に向けて、その先に向けて、また一緒に夢を見られますように。

 

 こうやって何かを書き残そうと思ったのはNEWSのおかげだ。NEWSが考える楽しさを、感じる心に正直であれということを思い出させてくれた。感じたこと・考えたことを文章にするようになって、少しは成長できているんじゃないかな、という気がする。NEWSがどんどん成長していくんだから、私ばかり置いてきぼりをくらうわけにはいかない。次にNEWSに会うときに、今よりちょっとでも自信をもてる自分になっていられたら。一方、NEWSはコンサートに対しても「次はもっとすごいものをファンに見せたい」という意識を忘れずに、毎回最高記録を更新していく。きっと私たちすごくいい関係なんじゃないかと、手前味噌だけども思う。

 

 今日現在、私はNEWSを好きなままでいる。小山さんを、加藤さんを、増田さんを、手越さんを、好きなままでいる。明日のことはわからないしその先のことはもっとわからない。このまま好きな気持ちが持続するかもしれないし、更に膨れ上がるかもしれないし、憎んだり恨んだりするくらい嫌いになるかもしれないし、どうでもよくなってしまうかもしれない。未来を約束できるほど、私は自分を信じていない。でも今この瞬間の私は紛れもなくNEWSのことを愛してる。それだけは自信を持って言い切れるよ。
 14周年おめでとう。アイドルになってくれて、NEWSでいてくれて、本当にありがとう。

とある「晴一チルドレン」の独り言 ―『ルールズ』感想―

 新藤さん二作目の小説が出版された。アスマートで予約しているにも関わらず発売日には届かなさそうだったので、本屋に行って買ってきた。『時の尾』が2010年なので、7年振りの新作となる。7年は待てたけど本が届くまでの1日2日は待てなかった。
 世間的にも夏休みは終わる頃ではあるけれど、夏休みの読書感想文もどきとして書いておこうかな、と思う。感想なので勿論主観100%です。物語の内容に触れまくりますので、未読(かつこれから読む予定がある)の方はご注意ください。

 

 

ルールズ

ルールズ

 


 新藤さんが小説二作目の題材に選んだのは、夢を見るバンドマンだった。
 物語は主人公・健太が天才ギタリストの青年――と呼ぶにはまだ幼さの残る少年・ハオランと出会うところから始まる。正直、もうこれ以上はあらすじすら話しちゃ勿体ない気がするので実際に手にとって読んでほしい。
 一作目『時の尾』は現実世界を舞台としていないという意味でファンタジー作品だった。「ファンタジーの世界のリアル」を感じさせる物語は、現実世界を反映させずに共感を得たり作品として美しく成り立つ新藤さんの歌詞の世界を更に拡張したようだった。しかし今回はリアルの世界に限りなく近いところで物語は展開する。バンドに懸ける青年の物語。この世のどこかにいるかもしれない誰かの物語。
 もしかしてこの主人公は新藤さんがいくらか反映されているのでは、と考えてしまうのは私だけではないと思う。現に新藤さんっぽい部分もあるし新藤さん本人も重なる部分があると言っている*1
 でも、それにしたって重なってしまう。主人公・健太の所属するバンド「オーバジンズ」からは、メインのソングライターが脱退してしまうのだ。もしこの小説を13年前の私に「未来の新藤晴一が書いた本だよ」と言って渡したとしても、決して読むことはできないだろう。2004年の今頃、ポルノグラフィティからはメインのソングライターが脱退して再スタートを切るところだ。たとえタイムマシンがあっても12年前の私にだけは会いたくない。多分いまごろ死んだような顔をしている。でもそこから13年生きると新藤さんの小説が二作も読めるよ、くらいは伝えてやってもいいかもしれない。
 率直な感想を言うと、「ポルノグラフィティのファンではない私に読ませたかった」に尽きる。たまたま図書館の「今月入った本」コーナーで見かけた『ルールズ』を手にとって著者名を見て「ふーん、ポルノの人ね、アポロサウダージアゲハ蝶ね」なんて思いながら読んでノックアウトされて新藤さんにポルノに興味を持って、そこからずぶずぶにハマっていく道を辿りたかった。それぐらいの力がある小説だし、中学生の頃に読んでいたら高校に入ったらバンドをやろうなんて考えちゃったかもしれない。お小遣いを貯めて楽器を買っていたかもしれない。私の中の夢見がちな部分が、バンドで楽器を弾いている自分を思い描いてしまう。そんな力をもつ作品だった。
 でも私は中学生ではないし、ポルノファンだ。ポルノファンというか、思春期に新藤さんの言葉や考え方に触れまくって生きてきたせいで私の中に根付いている考え方の元は新藤さんにあるかもしれないというくらい新藤さんに影響を受けている。そういう人のことを、心の中では「新藤チルドレン」とか「晴一チルドレン」と呼んでいる。ファンというか、ただファンと呼ぶ以上に影響を受けてしまっているので「チルドレン」とでも呼ぶしかない。私という人間の成長過程に、新藤さん(と新藤さんの言葉や考え方)は大きく関わってしまっているのだ。「晴一チルドレン」であるところの私が『ルールズ』を読んだ感想を一言に凝縮するなら、「私はやっぱり晴一チルドレンだったんだ」だ。思春期にあれこれ読んで聴いて心の中に刻みつけた言葉たちが、過ぎゆく日々の中でいつのまにか苔だらけになった記憶の中からまだ覚えてんだろと騒ぎ出す。覚えてるよ忘れるわけないだろ。なんたって私は「晴一チルドレン」なんだぜ。みたいな気持ち。
 そんな「晴一チルドレン」が『ルールズ』を読んで思ったことをざっくりとメモしておきます。

 

 

音楽は扉を叩く

 音楽には何ができるのか。音楽を生業としているわけではなく、音楽に浸かって生きているわけでもない私には「これ」と呼べるものは見当たらないけれど、でも音楽に圧倒された経験はある。歌詞ではなく、音そのもの。たとえば、新藤さんのギターソロだったり。
 『ルールズ』にもそんな描写が出てくる。グリムワルツとの対バンの場面、健太がハオランにオリジナルのフレーズを奏でろと音で語る場面だ。

(前略)つまり、お前は万のスーパーギタリストを父に持つ子だ。俺なんかの薄い血と違って、漉されて漉されて、ドロッドロのマグマみたいな血が流れてるんだ。お前の心のフィルターを通して音にするだけなんだよ。俺がぶつけるこの音の塊は、少し乱暴だけどお前の心をノックしているんだよ。(p202)

 これと同じことを描いている歌詞を、私は知っている。「m-FLOOD」だ。ダンダンと扉を叩くようなイントロ、そして「大人しく扉の鍵を開けろ」から始まる歌詞。タイトル「m-FLOOD」の「m」は「music」の頭文字だ。音楽は扉を叩く。

10だけ数える NoかYes決めるんだ
心の扉は自分でしか開けられやしないから

 中学生の頃、狂ったようにピアノの練習をしていた。3歳から習い始めて、それまで10年くらいろくに練習もしたことなんてなかったのに、10年間の練習量を一か月で上回りそうなくらいピアノを弾いていた。防音加工なんて何もないマンションの一室で、音が外に漏れてしまうのをなるべく防ぐために部屋を閉め切って弾いていた。夏には汗だくになった。勢いのある曲を弾いていると息が切れることもあった。正直、何が楽しかったのか今思い返してみてもよくわからないけれど、なぜそんなことをしていたかといったら多分ポルノが私の心の扉を叩いたからだと思う。自分も音楽をやっていないと、いてもたってもいられなかった。中学の卒業文集には「初めて行ったライブが楽しかった、音楽ってすごいんだ」という作文を書いたくらいだ。残念ながら音楽の才能はなかったようで高校2年になるときにピアノはやめてしまったけれど、今は心の扉から音楽ではなくて言葉が溢れ出している。だからこうやって文章を書いている。音楽と同様上手くはないけれど、音楽よりは得意かもしれない。

 ちなみに「m-FLOOD」は音楽の洪水という意味だが、『ルールズ』では音楽が自分の中から噴き出す様子を火山の噴火にたとえて「ヴォルケーノ」と表現している。「m-FLOOD」は歌詞を追うとわかるようにリスナーに呼びかけるので音楽はリスナーを巻き込む洪水=「身をまかせて Music Flood」となるが、『ルールズ』ではプレイヤーであるハオランに呼びかけているのでハオランの中から噴き上がるもの=「ヴォルケーノ」という表現になるのだろう。聴き手と弾き手、水と炎、内と外。対比が美しい。さすが新藤晴一


たったひとつの音にさえ

 俺たちの音といえば、軽やかに羽ばたくはずの音符に鎖で荷物を括り付けているみたいだった。ファンに向けてだの、デビューに向けてだの。目の前にガシャンと音を立てて落ちた。焦った俺は、やみくもに激しくベースを弾いた。そうすればするほど、音は輝きをなくした。
 当時の俺たちは、常連客のビートルズと、オーバジンズを比較する客観的な思考を持ち合わせていなかった。皆、頭を傾げたが、いつも使ってる楽器じゃなかったからな、という程度の分析をした。
 そういった意味で言うと、音楽に生活やら成功やらを背負わせていないフーバーズのほうが、純度の高い音なのではないか。いや、そもそもデビューを目指すことや成功を望むことは、音を濁すものなのか? 俺の頭はますます混乱した。(p158)

 健太がバンドの「音」を考える場面は、どうしたって新藤さんと重なってしまう。切り離して考えるには新藤さんのことをかけらも知らない状態に戻らなくてはならない。つまり私にはもうできない。重ねないようにと気をつけても、頭と心に刻み込まれた新藤さんの言葉が脳裏に浮かんでしまう。
 素人だから「音」についてなんてよくわからない。でも、狂ったようにピアノを練習していた時期はそれなりにいい音を出せていたような気がする。上手くなりたいとかいうよりも「弾きたい」という気持ちが勝っていた。ピアノを弾くためにピアノを弾いていた。何が楽しかったのかはわからないけれど、それでも楽しかった。満たされる、という感覚があった。健太のいう「純度の高い音」に近いものだったのかもしれない。
 物語の終盤で、レコード会社の偉い人たちの前で演奏するオーバジンズの「音」は、次のように描写されていた。

 俺が紡いだサビのメロディが、4人の音にのってライヴハウスに羽ばたいていくのが見える気がした。ビートルズの音楽に無邪気にじゃれあう、あのオヤジバンドが奏でていた音に近づけているだろうか? 打算や妥協みたいな重い荷物を背負わさない音。(p342)

 2016年9月、ポルノグラフィティは「17年目の所信表明」として「ダイアリー 00/08/26」を演奏した。歌詞にはフィクションを描くという新藤さんにしては珍しく、2000年8月26日に思ったことを歌詞にしたものだ。だからタイトルは「ダイアリー 00/08/26」。

汚れた手でギターを触ってはいないかな?
僕の声は君にどんなふうに聴こえてる?響けばいいけど。

 きっと、新藤さんの「音」についての考え方はこのときから変わっていない。どれだけ曲が売れたって、どれだけテレビに出るようになったって、きっと変わっていない。いつまでも健太のような気持ちで「音」を追いかけているのだろう。
 ポルノグラフィティがデビューして、もう18年が経つ。18年のあいだにいろいろあった。20代だったかれらは40代になり、メンバーそれぞれが家庭を持った。それでもまだ新藤さんは「音」にロマンを求めている。
 新藤さんは「ポルノグラフィティではやりたいことをやればいいというわけではない」と言う。ポルノグラフィティにはポルノグラフィティの文脈がある。その文脈を踏まえないものを作ったところで、それはポルノグラフィティではなくなる。それは、それほどまでに強固なものを彼らが築いてきたということでもある。だからこそ、健太の「音」に対する考え方に触れて不安に思った。健太が「デビューを目指すことや成功を望むことは。音を濁すものなのか?」と自問自答するのなら、ファンという存在がポルノグラフィティの「音」を濁らせてしまうことになってしまわないだろうか、と。彼らはファンのことを愛してくれているけれど、でもファンがいなかったら「ポルノグラフィティ」という文脈で曲を作る必要はないだろう。ファンがいるから、彼らは「ポルノグラフィティ」でいることを選択している。しかし、ファンがいなければ音楽はどこに届くのか。誰に向けて放たれるのか。ファンだけに向けてやっているわけではないと思っているけれど、溢れる音楽の中から選んで聴く人がいるから成り立つ部分もあるのではないかと思う。そう思いながらも、不安になることはある。
 新藤さんは夏フェスのセトリについて「みんなが知っている曲をやると喜んでくれるしそれは嬉しいけど、客が喜ぶことだけをやることが理想というわけではない」と言っていた。「だからといって全然知らない曲だけやるのも違う」という趣旨の発言もあった。こういうことを言ってくれる人たちだから、不安は払拭される。デビューという夢を叶えて、18年というキャリアを積んで、それでも彼らはいつまでも「打算や妥協みたいな重い荷物を背負わさない音」を探し求めている。上手くバランスをとりながら、それでもまだまだ青春の只中で夢を見ている。

たった一つの音にさえ真実があるんだよ。
それを追いかけてここまで来たんだけど、僕のはどうかな。
(「ダイアリー 00/08/26」)

 


 『ルールズ』を読んでいると、要所要所で「夢」についての話が出てくる。夢を追う青年の話なのだから当然といえば当然だ。主人公・健太の考える「夢」はやはりどこか新藤さんの考える「夢」を反映しているような気がした。
 レコード会社の人間である笹井はデビューのデの字も見えないオーバジンズを「夢の中で夢を見るバンド」(p191)と表現し、一方でデビューが決まっているバンド・グリムワルツを「両目を開けて現実の道を進むバンド」(p191)と呼んでいる。では、デビュー18周年を迎えるポルノグラフィティはどちらなのか。私は前者だと思う。
 新藤さんのエッセイ集『自宅にて』では「夢」というテーマについて書かれている。

 夢が叶って夢心地になるというのは、上を見なくなったときかもしれない。
 そんなら夢心地なんて、なれなくても、いいや。(「夢の話」)

 これは連載第一回「夢の話」の中に出てくる文章だ。雑誌「PATi PATi」2001年2月号に掲載されたものなので、ざっと計算しても16年前、ポルノが1999年9月にデビューして2年目に書かれたものということになる。
 2004年、ベースのTamaさんが脱退した直後の回でも、「夢」の話をしている。

ポルノグラフィティを仕事として僕が生きていけてるのは、まだ夢を見られているからだとも思う。ときどきは目が覚めそうなときもあるけどね。そういうときはぎゅっと頑なに目をつぶって、見ていた夢をたどり直すんだ。(「嘘でも前に」)

 私がポルノグラフィティの話をするときのサビだから何度でも語ってしまうのだけれど、2013年のライブ「ラヴ・E・メール・フロム1999」のオープニング映像でも「それでもまだまだ みんなと夢の中にいたい 時には薄目を開けて 周りをうかがいたくもなるが ギュッと目を閉じて」言っている。2001年、2004年、2013年、そして2017年、おそらく新藤さんの言っていることは変わっていない。「両目を開けて現実の道を進む」より、「夢の中で夢を見る」ことを選び続けている。夢を見続けることは、簡単なことではない。強い意思を持って夢を見続けることを選ぶ必要がある。

 凄腕のギタリストとはいえ現実を生きるハオランと、夢だ仲間だとやってきた俺とは、もともと交わるはずはなかった。しかし、俺はハオランや、こいつが背負う琴山村を知ることで、はっきりと変わったことがある。夢の世界にも地面があるって知ったことだ。宇宙空間のようにふわふわと浮いているだけじゃ、どこにも辿り着けない。毎朝、満員電車で通勤する人たちにしたら、そりゃ俺の足下は数センチほど浮いているように見えるかもしれない。それでもつま先で、夢の地面を掻いて進もうとしている。
 夢に地面があるなら、現実にだって空があるはずだ。その空をお前は見たんじゃないのか? 琴山村の空は東京より広いけど、それとは違う青い空を俺たちはおまえに見せてやれていなかったか?(p300)

 私は夢を追っているわけではない。なりたいものはあったけれど、それを叶える実力がなかったし、実力がないとわかっていながら足掻こうとする勇気もなかった。やろうと思えばできることはまだあっただろうけれど、私はやらなかった。何も成し遂げられない自分が嫌になることもある。それでも昨日の続きの今日を、現実を生きていくことを選んだ。
 もし私が『ルールズ』の帯を書くなら、「夢に地面があるなら、現実にだって空があるはずだ。」を引用するだろう。健太がハオランに空を見せたように、ポルノグラフィティは私に空を見せてくれる。たとえば「オー!リバル」のヒット、たとえば「THE WAY」の横浜スタジアムを空から映したドローン映像、たとえば台湾ワンマン、たとえば熱狂の夏フェス。夢の中にいる彼らだからできることだ。
 夢を見ることを選んでくれて、ポルノグラフィティでいてくれて、私にも空を見せてくれて、ありがとう。

 


哀しみとは絶対的なもの

 私は「感情の大きさは比べることができない」と常々思っている。たとえば私のポルノに対する「好き」という感情と他の誰かのポルノに対する「好き」という感情は比べることができない。どれだけお金を使っているとかどれだけ時間を割いているとか、そういうのは絶対的な評価軸にはなるかもしれないが相対的ではない。他者の「好き」を測るときに使えるものさしなどない。どちらが大きいとか、どちらが濃いとか、そういう比較をすることは不可能だ。それは「好き」という感情だけでなく「つらい」とか「悲しい」とかでも同じことだと思う。
 そういう考え方をしているので、時折周りの言葉が引っかかってしまうこともある。たとえば仕事を頼まれるとき「○○さんのほうがつらいんだから」という理由を持ちだされたことがあった。そんなの知らない。他者のつらさは他者のつらさであって、しかもそのつらさを私がどうすることもできない以上どうすることもできない。他者のつらさと私のつらさにはなんの関連もない。ないはずなのに、それが伝わらないことがたまにある。

 マリリンの過酷な人生も、俺の平凡な人生も、そこに個人的な哀しみがあれば、それは等しく核に取り込まれロックを燃やす。哀しみに相対的な評価などない。他人にとっては取るに足らないことほど、深く人の心を傷つけることがある。誰かに話せるほどのドラマティックな傷なら、それはそういう弔い方もあるだろう。しかしストーリーにもなり得ない、始まりも終わりもない傷はどうすればいい? 透明に見えて無数の傷に覆われたグラス。それが割れる前に、温かい手で包んであげないといけない。俺たち自身の手で。そしてその手は恒星の熱でなんとか体温を保っている。離れるわけにはいかない。そうして俺たちはぐるぐると回っている。(p316)*2

 健太は普通の子で、これといってドラマティックな人生を送っていたわけではない。けれど、彼が自分の胸に渦巻く感情を「哀しみ」と思うならそれは紛れもなく「哀しみ」だ。どこの誰の「哀しみ」とも比べる必要はない。その人がそれを「哀しみ」と思うならそれは「哀しみ」なのだ。
 『ルールズ』のあちこちに新藤さんのことを更に好きになるポイントが散りばめられているけれど、この部分でもそう思った。更に好きになるというか、だから私は彼が好きなのだと実感する。
 新藤さんはエッセイ『自宅にて』で「人は”完全”にわかり合えることはない」という話をしていたことがある。

 この“完全”はよく「絶対という言葉はない」の”絶対”に近い精錬さかな?
僕も「人はわかり合える」とは思うよ。むしろ人とわかり合えないと、生きていくことはとても苦しいものになるかもしれない。けれど繰り返すことになるが「”完全”にはわかり合えない」と思う。理由は結構あっけないもの。他人は自分じゃないから。

 人は完全にわかり合うことはないけれど、そこで終わりではない。完全にわかり合うことのない世界で新藤さんが提示した答えのひとつは、『ルールズ』でいうと「透明に見えて無数の傷に覆われたグラス。それが割れる前に、温かい手で包んであげないといけない」ということのようにも思える。完全にわかり合うことはできないとしても寄り添うことならできる。私はその優しさに救われたひとりだ。
 しんどい思いをしていた中学生の私が頼ったのはポルノの音楽だった。新藤さんが作詞した「幸せについて本気出して考えてみた」の一節は、私にとっては蜘蛛の糸であり青い鳥だった。

誰だってそれなりに人生を頑張ってる
時々はその“それなり”さえも誉めてほしい

 「つらい」と思っていることや「頑張ってる」ということを誰かに認めてもらいたかっただけだったんだ、と気付いた。そのくらいのつらさは誰にでもあるとか、そのくらいの努力なら誰だってしてるとか、そういうことは問題ではなくて、そんなこと言われたって気持ちは全然楽にならなかった。私がつらいということ・私が頑張っていることを誰かに認めてほしかった。他の誰かと比較するんじゃなくて「私」を見てほしかった。このたった二行のフレーズは、それだけで私の心を軽くしてくれた。

 


「バンド」

 ポルノグラフィティはデビュー前には「バンド」という形式だった。リアルタイムで見ることはできなかったけれど、記録を辿れば「バンド」だったことがわかる。ボーカルと、ギターと、ベースと、ドラム。なんの但し書をつける必要もなく、最低限この4つが揃えば「バンド」と呼べるだろう。それからドラムが抜けて「スリーピース」という但し書をつけつつも「バンド」だった。そして13年前に「バンド」と呼べるかどうか揺らぐこととなった。ベースが脱退したからだ。
 でもポルノグラフィティが「バンド」という形態ではないからできることも沢山ある。バンドだったら「オー!リバル」のような打ち込みのリズムの音を多用した曲は作れなかったかもしれないし、メンバー以外が奏でる音が含まれることを嫌って分厚く絢爛なサウンドにはならなかったかもしれない。
 私は今もポルノグラフィティを「バンド」と認識しているけれど、新藤さんが12年前に書いたエッセイの中では「バンド」であるということが揺らいだことが書かれているし、ライブ中に「バンド」と言いかけて何度も「ミュージシャン」と言い直す場面もあった。いくらファンが「バンド」と思っていたって、新藤さんには引っかかるものがあったのではないだろうか。
 もしかしたら、健太はギターではなくベースで闘う新藤さんなのかもしれないし、オーバジンズは「バンド」であり続けられたポルノグラフィティなのかもしれない。
 でもオーバジンズはオーバジンズであり、ポルノグラフィティではない。最後のほうを読めばそう言いたくなる気持ちがわかると思う。オーバジンズは2010年代のバンドで、ポルノグラフィティがインディーズだったのは1990年代の話だから、絶対に交わることはないんだけど、もしかしたら、なんて思ってしまう場面がある。そういうマジックだって起きるかもしれない。この物語はロックのルールでできているんだから、正気の頭で考えちゃいけないんだから。
 ギターが脱退してすぐに天才ギタリストと出会っちゃうなんて、そんなマジックが起きちゃうなんて、全然現実的ではないのだけれど、現実的ではないからこそ小説の中に描かれることに意味があるのではないか、なんて思う。それが創作の力だ。

 


 昨年、読売新聞ブログ「popstyle」で連載が始まったとき、楽しみという気持ちと共に怖いとも思った。この怖さを、私は知っている。NEWSの加藤シゲアキさんが書いた『ピンクとグレー』を読むときに感じた怖さだ。ただ小説を読むだけなら怖くない。けれど、『ピンクとグレー』が芸能界に生きる男性アイドルが書いた芸能界の話だったように、『ルールズ』(連載当時は「We are オーバジンズ!」)はバンドマンが書いたバンドマンの話だ。少し読めばわかってしまう、そこに書いた人の影があることが。もしも、私が見たくない彼の姿が見えてしまったらと思うと怖かった。今まで信じてきたものが打ち砕かれてしまう気がして。でも、読んでみてわかったのは私の知る彼は物語の随所にいる、ということだった。私知ってる、この小説を書いた人。たとえ名前を伏せていたって誰が書いたかわかる。読んでいて心の奥が痛くなる部分もあったけれど、その痛みも含めて、私は知っている。まるで名刺のような小説だ、と思った。

 健太は、数多のギタリストの技をその身に沁み込ませたハオランを「万のスーパーギタリストを父に持つ子」と表現している。だったら、新藤さんの考え方や言葉が刻み込まれた私は晴一チルドレンで間違いない。この小説を十代の多感な時期に読めなかったことは悔しいけれど、十代の多感な時期に新藤さんの言葉に触れて生きてきたことを幸せに思う。だからこそ、この小説を読んで心が動いたことをなかったことにしたくないから、そう教えてくれた人がいるから、こうやって10000字近くあれこれ書いているんだろう。言葉が溢れ出して止まらない。ヴォルケーノ、とでも呼んでおこうか。

*1:ポルノグラフィティ新藤晴一、手の感覚がなかった投球 - 朝日新聞デジタル&M

*2:ここでいう「恒星」はロックのこと。ロックを恒星にみたて、その周りにいる健太やマリリンのことを衛星とたとえている。