立ち上がれLiving dead ―「Zombies are standing out」感想―

 「Zombies are standing out」
 9月25日、急に発表された配信限定シングル。9月28日より配信されています。今回はこの曲の感想記事です。100%の主観です。聴きすぎてゾンビ化しているので支離滅裂かもしれません。でもゾンビ化しているから仕方ないです。なにせゾンビ化していますので。

 

 わけがわからないほどかっこいい曲です。騙されたと思ってまずは試聴してください。話はそれからだ。iTunes Storeはじめ各種DLサイトからもできると思うしYoutubeにショートバージョンのMVもあるので。

 


ポルノグラフィティ 『Zombies are standing out(short ver.)』

 

 聴いた?聴いたていで進めます。

 あなたの知ってる「ポルノグラフィティ」って「アポロ」「サウダージ」「アゲハ蝶」「メリッサ」「ハネウマライダー」、最近だと「オー!リバル」「THE DAY」、CMで聴いたことがあるだろう「ブレス」、このあたりではないだろうか。それを踏まえてこの「Zombies are standing out」を聴いてほしい。全然違うから。全然違うのにポルノだから。
 聴いてみると、きっと「こんなポルノもあるんだ!」って思うと思う。私も思う。「アポロ」からポルノを聴き続けてなお、「こんなポルノもあるんだ!」って思う。そのくらい衝撃的な新曲です。

 

 

・「哀愁」

 音の話をしたいのに詳しくないからあんまり語れないんだけど、重たくて恰好いいということはわかる。いろんな記事を見ると「骨太なロックチューン」って書いてあるからそうなんだと思うけど、そんな短い言葉で表現できてる気がしない。今までも多分「骨太なロックチューン」と呼べる曲はポルノにもあったはずで、それらとは全然別物というか、今回は「骨太なロックチューン(強)」みたいな感じ。
 そんな(強)みたいな曲、一度聴いたらお腹いっぱいになってしまいそうだけど全然ならない。もっともっとおかわりしたくなる。その要因のひとつとして、ポルノの曲がもつ「哀愁」があるんじゃないかと思う。今までに出してきた曲のなかにも漂っている「哀愁」みたいなものがこの曲にもあって、それが心を掴んで離さないんじゃないかと思う。こんな「骨太なロックチューン(強)」なのに、「サウダージ」とか「アゲハ蝶」みたいな楽曲のもつ「哀愁」と共通したものがある。

 歌詞の面からいうと、タイトルの通り「ゾンビ」をモチーフとして扱っている。ていうか曲がこんなに強くて歌詞のモチーフが「ゾンビ」だったらもう「ゾンビ怖い」みたいな内容の歌詞だって全然成り立つのにそうじゃない。1番までは「ゾンビ怖い」だけど、2番に入ると「ゾンビ悲しい」みたいな要素が出てきて、あぁこの哀愁がポルノグラフィティ……ってしみじみする。
 「ここじゃ誰も眠ってはならぬ」は、おそらくオペラ「トゥーランドット」のアリア「誰も寝てはならぬ」を引用しているのだろう。とはいえオペラには明るくないため歌詞やあらすじを検索してみると、よりゾンビの哀愁が色を濃くする。
 そして何がやばいって「光がその躰を焼き 灰になって いつか神の祝福を受けられるように」という歌詞。この部分があるからこのゾンビは死ぬことを望んでいるのかなぁ……多分キリスト教的な文脈の「祝福」の意味もあるだろうから救いもあるとは思うけどでもやっぱりかなしいな……と思っていたらそのあとに「I still pray to revive」と続いている。revive=生き返る、つまり、このゾンビはまだ生き返ることを祈っている。死ぬことじゃなくて「生き返る」ことを望んでいる。そんなの……そんなのしんどいじゃん……ゾンビが望んでいるのは死ぬことじゃなくて……生き返ることじゃん……そんなの……しんど……「熱い血が流れていたときのことを 思い出そうとしても頭が割れそうに痛む」くせに……!個人的にはここに一番「哀愁」を感じる。このしんどさの正体は「哀愁」ではないだろうか。
 そんな「哀愁」をもつ曲だけれど、この曲が言っていることを一言に集約するなら「立ち上がれ Living dead」なのかなと思う。悲しい曲とか切ない曲ではなくて、前向きかって言われたらちょっと違うのかもしれないけれど、でも絶望の類ではない。生き返ることを祈るゾンビに「立ち上がれ Living dead」と歌うんだから、鼓舞するような意味が込められているんじゃないかと思う。無感覚と無関心が混じる街のなかを無目的に歩くゾンビを、醜態を晒し続けるゾンビを、何を探し彷徨っているのかもわからないゾンビを、それでも支えるような、そんな歌なんじゃないかと思う。
 そう思ってしまうのは、頭も心も殺して毎日何も考えずに感じずにただ死んだように生きていたかつての自分がゾンビに重なってしまうからかもしれない。そこからいろいろあって生き返ることができたので、このゾンビにも未来を信じてほしくなってしまう。祈りは届くよと思ってしまう。人生のうちでゾンビにこんなに感情移入するなんて多分この先もうないだろうな。

 

 

・「ポルノグラフィティ」の「シングル」

 私はとにかく、この曲が「ポルノグラフィティ」の「シングル」として出てきたことが正直やばいと思っている。だってやばいでしょこんなの。
 「ポルノグラフィティ」として、これを、配信限定とはいえ「シングル」という位置でリリースするの、やばくない?ポルノってどちらかといわずとも大衆向けという意味でポップというか、人々に受け入れられやすかったりわかりやすかったりする楽曲が多い。
 まずタイトル。ポルノの楽曲のタイトルって基本的には短いカタカナのことが多い。上に挙げた代表曲と呼べるような曲もほとんどカタカナで、かつ1~2単語でできている。
 これまでのシングル、両A面含めて全52タイトルがどういう構成でできているかを調べてみると、最も多いのはカタカナのみの20(「・」などの記号が使われているものも含む)。アルファベットのみのタイトルは9あり、「Mugen」「ROLL」「DON'T CALL ME CRAZY」「Winding Road」「Love too, Death too」「EXIT」「THE DAY」「LiAR」「Montage」。基本1単語でできているものがほとんどで、長いタイトルは「DON'T CALL ME CRAZY」「Love too, Death too」の2つのみ。で、今回は「Zombies are standing out」。「Zombies are standing out」。1文じゃん。こんなタイトル今までなかったじゃん。こんなロックロックしたロックバンドみたいな……と思って聴いたらロックロックしたロックバンドの曲で……ちょっと待ってこんなのしんどい……ポルノグラフィティがロックバンドであることを20年目にして押し出してくる?やばい。やばいんだってば。
 でも、「Zombies are standing out」は確実にポルノの曲だ。岡野さんの「名前が書いてある声」で歌えばポルノになる感もあるけれど、捻くれつつも伝わりやすい歌詞もまたポルノだし、こんなの初めてだけど隅から隅までポルノ。これが「シングル」って呼ばれるのやばいし、きっといつか盤としてリリースされるであろうシングルにもこういう曲が、いやこの曲をも上回る曲が来るんだろうなって思うとわくわくがとまらない。

 

 今年のポルノのリリース作品はこれで3作目になる。順に貼るんでとりあえず見て。
 まずは3月の、薄暗く不穏なイントロから始まる「カメレオン・レンズ」。不倫を描いたドラマ「ホリデイラブ」主題歌で、歌詞の世界観もMVも非常に大人でシックなものに仕上がっている。

 


ポルノグラフィティ 『カメレオン・レンズ』(Short Ver.)


 続いて7月には爽やかで明るく背中を押すような曲「ブレス」、ポケモン映画主題歌。沢山の子供たちが遊んでいたりカメラを持って撮影したりする風景のMVでは、お二人のパパな顔を見ることができる。子供と目線の高さを合わせたり、優しく微笑んだりする様子はまさしくパパ。合法的にお二人のパパしている表情を見られる最高のMVだ。

 


ポルノグラフィティ 『ブレス』(Short Ver.)


 そして9月、この「Zombies are standing out」。ゴリゴリに恰好いい。MVの色合いも最高。ゾンビメイクのダンサーがぐねぐねと踊っていてなんだか怖い。船のなかで撮られたということで、絶妙な閉塞感があるのもいい。
 という3曲で、ポルノグラフィティって四季とともに移ろうものなの?ってくらい振り幅が大きすぎる。冬にまだ何か来たりしない?来年2月くらいをめがけてシングル出したりするのでは?今度は壮大で純でラブなバラードだったらどうする?確実に四季とともに移ろってるじゃん……
 今気付いちゃったんだけど前作「ブレス」と作詞作曲編曲の組み合わせが全部一緒なんだけどどういうことなの?同じ組み合わせで全然違う曲が生み出されてるの、すごくない?岡野さんの作る曲の幅は広すぎだしどんな曲でも歌いこなすし、新藤さんは曲の呼ぶ詞を書くといいながらがっつり「新藤晴一」のハンコ押してるし、なんなの……?今更ながら私はすごい人たちを好きでいるんだな……


 しかも「Zombies are standing out」はソニーウォークマンとのタイアップでもある。これもまた企画がでかい。CMは勿論のことインタビューやCMメイキングもあったり、パンフレットに写真が使われたり、つまり全国の家電量販店などでもポルノがどどんと押し出されることになる。やばやばのやば。こんな恰好いい曲とこんな恰好いいビジュアルの二人がお近くの電器屋さんで観られるなんて!この調子でコラボモデルのヘッドホンとかも売ってください!


 この曲が配信限定だったことで、iTunes storeでランキング1位だったのを見ることができた。すごいねあれ、ランキングを検索して「¨」を押したらもう買えちゃう、そんな場所にいるの、ポルノグラフィティが。最高だね。普段はCDで買っている人もいるから分散するし、私も先行配信のときしかDLはしないから、多分そんな感じではランキング上位にはなかなか入ってこない。でも今回は配信一択だからみんな配信を買い、その結果ランクインする→気になった人が試聴する→脳が溶けて買う、の流れができる。すごい。
 配信ばっかりになってCDは廃れていくのかなぁと思うとコレクション欲のある身としては寂しく感じてしまうけれど、こんなふうに沢山の人の目にとまるんだったら悪くないのかもしれない。

 ポルノがすごいことなんて重々知ってて、知ったうえで好きでいたつもりだったんだけど、あの人たちは私が思っている以上にすごかった。知ってるつもりだったんだけど、「つもり」だっただけみたい。こうやってまだまだそのすごさで殴りかかってきてほしい。全力で受け止めたい。あぁ〜〜〜20年目のポルノグラフィティにわくんくしかない!楽しい!

 

 ポルノグラフィティの最高地点(10/3現在)「Zombies are standing out」、是非。

 

Zombies are standing out

Zombies are standing out

  • provided courtesy of iTunes

 

 

・一人称は誰を指す(2018/10/08追記)

 日本語では一人称が出てこないのであまり考えていなかったけれど、ふと気づいたことがあるので書き留めておく。
 「蠢いている My head」「I still pray to revive」「Zombies remember me」、この曲で一人称が出てくるのはこの3箇所。一体これらの一人称は誰のものなのだろうか。もちろん歌詞なので聞こえたときに良い感じになるように並べたりということはあるだろうから必ずしも意味があってその単語が選ばれているというわけでもないとは思う。だから最初はゾンビの一人称なのだろうと受け止めていたのだけれど、ゾンビについては「zombies」と表記しているのでもしかしたらまた別の何かなのでは?という疑問もあった。「蠢いている My head」「I still pray to revive」は「I/My」がゾンビを指していると考えても当てはまるのだけれど、「Zombies remember me」は当てはまらない気がしていた。この「me」とは誰のことなのか。
 私は「脳裏に残っている朧げな記憶」や「Glory days」「赤い血が流れていた時のこと」といった歌詞で表されている、「ゾンビがまともに生きていた頃」がこの一人称の正体なのではないかと思っている。ゾンビの中にある、ゾンビではない部分というか。「過去」に人格があるのかという疑問もあるが、「愛」を擬人化する人が書く歌詞なのでそういうこともあるのかなぁと思う。
 過去もゾンビの一部ではあるので「蠢いている My head」という歌詞も当てはまる。自分の頭が蠢いていることを思考できる、思考できている。ゾンビは感情や目的を失いただ歩くだけの存在として描写されているので、ゾンビより上の段階にいる存在が思考していると考えることができる。この曲の歌詞は第三者的な視点で描かれているのかと思っていたが、もしかしたらゾンビの中にある過去の記憶の一人称で歌われているのかもしれない。
 「Zombies remember me」=ゾンビは私を覚えているという。そのあとに「夢見た日を」と続くので「me」と「夢見た日」はイコールで結べそうに見える。思い出せない過去の日々(まともに生きていた日々)は、ゾンビにとっては「夢見た日」なのかもしれない。そんなふうに考えると、この曲はまた違った顔を見せる。つくづく思うけど新藤さんの歌詞って本当にすごいな……

 

過ぎし日は青春、終わりなき青春 ―シングル「生きろ」感想―

 発売週ウィークリー1位&20万枚突破おめでとうございます!いつもなら発売週のうちに書く記事なのですが、Anniversary boxが来るのを待っていたのと15周年ブログを書きたかったのとゼロに踊らされまくっていたのとで遅くなってしまった。けれど後で読み返したときに「生きろ」だけないじゃんってならないために書いておきます。

 

 

「生きろ」

 加藤さん主演ドラマ「ゼロ一獲千金ゲーム」主題歌。ドラマが終わるいいところにイントロが入ってきて何度もぐっときた。ドラマとの相乗効果がすごかったし、発売前にも関わらず曲が体に染みついていた。これが主題歌か……
 曲のタイトルはかぎかっこを含んでいる。なので本来なら『「生きろ」』と表記するのが正しいのだが、まぁそれはそれでうるさいなって気がするので「生きろ」と表記します。かぎかっこがついているということは誰かの台詞として発せられている言葉ということになる。歌詞のなかでは何度か出てくる言葉だが、タイトル同様にかぎかっこがついているのは手越さんソロの部分だけだ。そういう細かいところも見ていくと面白い。個人的には、他の「生きろ」という言葉は自分のなかから聞こえてきたもので、かぎかっこの部分だけは外から(=他の誰かから)聞こえてきたものなのかなと考えている。直前の加藤さんのソロパートで、この曲唯一の「君」という歌詞が出てくるので、もしかしたらこのかぎかっこ付きの「生きろ」は「君」の言葉なのかなと。だからかぎかっこ付きであるタイトルも、自分のなかから聞こえた言葉というよりは誰かに伝えるための言葉なのかなと思っている。かぎかっこがあるかないかで色々と考える要素が出てくるってすごい。作詞家ってすごい。更に手越さんの歌い方がいい。生で聴くと、叫ぶように歌っている。どれほどの気持ちがそこに込められているのだろう。声に乗り切らない思いさえ伝わってくるような、そんな歌い方だと思う。
 個人的には、2番の歌詞がすごく好き。増田さんの「解いてもまたきっと結びついてく」という歌詞は、「解けても」ではないところがいいなと思う。偶然に「解けて」しまったのではなく、故意に「解いて」しまって、それでもまた「結びついてく」。もしかしたら嬉しいことではないのかもしれない。故意に「解いて」いるのだとしたら、また「結びついてく」ことは望んでいないのかもしれない。それでも、人と人の関係性って脆い部分もあれば強い部分もあって、「解いてもまたきっと結びついてく」ものだよな、と思った。もしかしたら、一度解いたら次は自分にとってプラスになるものに変わっているかもしれないし。そういうものだと思う。
 加藤さんの「守りたいものがあるだけで強くなっていけると思った」も、続く小山さんの「笑えるほど愚かで泣けるほど愛しい 終わりなき青春」もいい。私の好きな人たちは自分のいるところを「青春」と呼ぶことが多いので、「終わりなき青春」とか言われるとうっかり泣いちゃうし、ここの小山さんの歌声が音源にも関わらず感情のこもり方がすごい。もっとやわらかく歌うこともできるはずだし、音源だから聴きやすさを重視することもできたはずなのに、小山さんの歌声は胸に迫る。すごく好きだなと思った。
 MVでは、「絆」は己を縛り付けるものでもあり、誰かと誰かをつなぐものでもある、ということがテーマとなっている。自分でもそれを強く感じる経験があるので、MVを見ては「ほんとそれ」という気持ちになる。結びつきは煩わしいこともあるし邪魔になることもあるけれど、つながっているからここにいられる、という部分もあるよねって。最初にそれぞれがいる部屋だったり、子供たちの映像だったり、細かな設定がありそうなMVだなぁと。ドラマ同様、物語の想像の余地があるMV
で、あれこれ考えては楽しんでいる。

 

 

Bring Back the Summer

 圧倒的オシャレとかっこよさ。
 最近のNEWSが得意としているソロパートで歌い繋いでいく構成。歌い出しの加藤さんの声の心残りがある感がすごく好き。なんていうか……ふっきれない歌が似合う声だなって思う。どことなく影があるというか、振り返る感じの声。伝われ。
 誰の歌声もめちゃくちゃいいんだけれど、個人的に一番推したいのは小山さん。「波のリズムがleading」、やばい。最近は重要な低音要員として大活躍している小山さんのファルセット。小山さんのファルセットってなんだか切ない響きで、戻らない夏を願うのにぴったりすぎる声で胸がいっぱいになる。小山さんパートの切なさがすごい。
 増田さんの柔らかい歌声も、去った夏を想うような感じがして好き。夏のばちばちに熱い日射しではなくて、ちょっとやわらいできた日射しみたいな。そんな声で「戻れないんだパラダイス」って言われるの、切なくて好き。ていうかここの歌詞が1番と2番で加藤さんが「戻りたいんだ」、増田さんが「戻れないんだ」なのめっちゃいい。わびさび(?)を感じる。
 手越さんの歌声は太陽のごとく輝いているというか、まだ夏の名残がのこっている感じがする。手越さんの歌声だけ夏が過ぎていないというか、「このままじゃ終われない夏」のなかにいるというか。サビ部分が手越さんの声なの合いすぎてる。明るくてぱっと光る声。手越さんの歌声って、もちろん歌い方でいろんな表情を見せる声なんだけれど、根本は明るいとかあたたかいとか熱いとかそういう雰囲気が感じられる声だから、「このままじゃ終われない夏」がなんだか似合う。夏を引き留めようとしているというか、まだ夏の尻尾を掴んでいるというか。
 なんていうか、最も夏から離れた歌声が加藤さんだとしたら、まだ夏が残っている声が手越さんで、歌い出しからサビに向けてそのグラデーションが感じられるところが曲とも合っていていいなぁと思った。

 

 

希望~yell~ -Represent NEWS mix-

 初回Bのみ収録。
 正直こんなにリピートするなんて思っていなかったくらい気に入っている。それもこれも加藤さんのせいです。加藤さんの「Hands up」があまりにも良すぎて聞かざるをえない。やばい。
 元バージョンの加藤さん(16)の「hands up」は、まだレコーディングにも慣れていない感じがする。「Hands up」って言わされている感というか、その頑張っている感じがかわいいんだけど。でもRepresentの加藤さん(31)は、もう「Hands up」をモノにしていてやばい。超絶恰好よくて、まさかこんなに「Hands up」が恰好いいなんて思っていなくて混乱した。めちゃくちゃ恰好いい。最初の「Hands up」はもちろん、真ん中を過ぎたあたりのところとか超やばい。やばやばのやば。他にもいいなって思ったパートいくつもあるのに「Hands up」の話しかしたくないくらいやばい。
 16歳の加藤さんの「Hands up」しか知らない人、是非ともRepresentの「Hands up」を聴いてみてください。
 

 

エンドレス・サマー -Represent NEWS mix-

 初回Bのみ収録。
 今のようにNEWSのファンになる前から元々の曲を好きで聴いていたので、改めて4人の歌声で聴くとなんだか不思議な気持ちになる。このシングルを含めてRepresent NEWS mixの曲は8曲あって、その中でリアルタイム(に近い)タイミングで原曲をよく聴いていたのがこの「エンドレス・サマー」が初めてだからかもしれない。あの頃の気持ちがぶわっと蘇るのを感じた。
 加藤さんと小山さんの声の変化がすごくよくわかるので、聴き比べると面白い。小山さんは声の深みが増していて、特に「胸に残し」の「し」が最高。原曲では比較的平坦なのだけれど、Representではそこに山を持ってくる歌い方になっていて、きっとこの8年間のあいだにたくさん練習して成長したんだろうなということが感じられる。でも昔のちょっと舌ったらずな歌い方もすごく好き。
 で、加藤さんなんですけど。私がたまに話題に出す「私が好きになった頃の加藤さん」と呼んでいるのが「シャララタンバリン」の頃なので、原曲が収録されているアルバム『LIVE』と比較的近い。好きになった頃の歌い方というか、あの頃の加藤さんがここにいると、原曲を聴いて改めて思った。ちょっと鼻にかかった歌声というか、今よりずっと尖っているというか。Representの歌声は、すごく優しい。前に比べると、いらない力が抜けて軽やかになったというか。加藤さんのもつ少年性が好きだと思っていたけれど、ひとはこうして大人になっていくんだなぁと感じた。なんだかちょっと寂しいような気もするし、嬉しいような気もする。そんな不思議な気持ちになった。

 

 

LVE

 通常盤のみ収録。
 前シングルのカップリングで好評を博しまくった「夜よ踊れ」制作陣による楽曲ということで、次はどんなものが来るんだろうとわくわくしていたら予想を斜め上に裏切りまくる凄まじい楽曲だった。
 歌っているというか、ほぼ喋っている。喋るというか叫びというか。メロディがついているのはサビ前の一部だけで、サビは喋り続けるわだんだん速くなるわで初めて聴いたときの衝撃がとにかくすごかった。私が知っているなかでこういうタイプの曲と近いのは筋肉少女帯かな。
 歌詞が「生きろ」を踏まえた感じになっているのも面白い。鎖や絆といったワード、「今を生きる」という歌詞はそのままだし、「一人じゃないんだ」というのも関連しているように見える。あと「愛がなくては生きていけない」=「LIVE-I=LVE」というタイトル。最高。こんなオシャレで簡潔で美しくてエッジの効いたタイトルなんて最高すぎる。
 それに歌割りが天才的すぎるのでこの話ちょっと長くなります。加藤さんの声はこういうタイプの曲にすごく合っている気がするし、何よりちょっとざらついた感じの声が重たいギターの音と合っていて最高。そんな加藤さんの声から始めるの、大正解すぎる。「全くそんなことはない」の言い方とか最高だよね。
 この歌詞をこの人に当てるのかよって思う最高さもある。2番のはじめの「答えのない焦りばかりが~」のところは、なんとなく『ピンクとグレー』執筆時の加藤さんのことを連想した。他の人のパートだったらきっと違って聴こえていたんだろうなと思う。あとNEWSのイエスマンとも呼ばれる小山さんに「頷いてばかりじゃ退屈過ぎて死んじまうぜ」って言わせたのあまりにも最高なのでは?手越さんのパートでは「絶え間ない攻撃に怯むな」「直面する現実から逃げるな」というマイナスの行動を否定するような命令(自分に言い聞かせている)が並んでいるところがそれっぽいというか。増田さんの「今を生きる」とか「忘れるな、抗っていけ」の強さもすごく好き。
 個人的な趣味としては、喋る曲はあまり得意ではない。というのも、そうした曲には「怒り」が込められていることが多いからだ。私はメンタル的に引っ張られやすい人間なので、「怒り」の強い作品を見るとその「怒り」をどうすることもできないことに申し訳なくなってしまったり、あるいはその「怒り」が自分に向いているような気がしてしまうのであまり好きこのんで聴くことはない。だけどこの曲は違うというか、込められているものが「怒り」だったとしても、少なくとも私に向けられているものではないと確信できる。どちらかといえば、私はこの曲に守られるところに立っている。どういう意味と受け取っているのかを詳しく語る気はないけれど、他の「怒り」を歌った曲とは違って私はこの曲によって傷つけられることはないなと感じている。
 すごく挑戦的で、こういった楽曲も歌いこなすことができるというのがNEWSの魅力だなぁと改めて感じた。NEWSの音楽スタッフの人がこういう曲を発注したんだとしたらすごいな……信頼できる……そしてそれに応える楽曲制作陣のことも圧倒的信頼……いつかこの制作陣で作った曲がシングル表題曲になる日も来るのではないかと期待しています。

 

 

Strawberry

 Anniversary boxのみ収録。
 4人それぞれで歌詞を書いたもの。テーマは「記念日」。互いの書いているところを知らない状態で書いていたので個性の強さが目立つが、そこも含めて愛おしい。
 どこもすごく好きなんだけど、特筆するなら小山さんの歌詞かな。「ありふれた出会いに感謝して 目の前に君がいる 意味あって必然だね」という部分。この「ありふれた出会い」がどういう意味なのか小山さんの考えていることを把握することはできないけれど、なんとなく私が考えていることと近いのかなぁと勝手に思っている。私は、ファンがアイドルに出会うことは「ありふれた」ことで、でもそのどれもがひとつ残らず特別だと思う。私が私の好きなアイドルに出会ったことも、他の誰かがその人の好きなアイドルに出会ったことも、そんな出会いはどこにでもあふれているけれど、みんな等しく特別なこと。アイドルである小山さんから見ても、たくさんのファンと出会うことはありふれたことだろう。でも、そのひとつひとつを特別に思ってくれているのかなって。私もその特別のひとつなのかなぁ。だったら嬉しいな。全然ファンのことを意識せずに書いた可能性もあるけど、勝手にそう思っておきます。勘違いでもいいって思っちゃうくらい好きだよ!
 加藤さんは「9月のイチゴ」「午後3時のベル」「4合わせの庭」などなど加藤節全開というか、こういうの好きだよねって言われている気もするしそういうの好きだよって応えちゃいたい気もする。そんななかに素直な「ありがとう!愛してるぜ!!!!」って言葉があって、コンサートの会場にいるみたいな気持ちになって「ばかやろう、俺のほうが愛してるよ」って返したくなっちゃう。びっくりマークも4つにしちゃってさ。好き。
 手越さんの「これからも泣いて笑って 君に伝えるだろう」という言葉を見ると、「Share」の「君と出会い 泣き笑いする表情も すべてが僕の宝物」という歌詞の続きみたいに思える。いつも強気だし笑顔でいてくれる手越さんだけど、アイドルだって人間なんだし、勿論泣くこともある。また、「ここにいるのはなんで 愛する人のため」という部分の重さを見ていると、自分自身のために生きてよって思うけど、そっちが「愛する人のため」なんて言ってくれるんなら受け止めたいなと思う。重たいところごと好きだよ。
 増田さんの言葉はふんわりしててかわいい。「この手に愛とありがとう」「届くかな 届くといいな」というあたりからはなんとなく「愛言葉」に関連するものを感じる。「届けっ、愛の言葉」と歌う増田さんの笑顔が思い浮かぶ。あと「チョコレートのボコボコ」って語彙がかわいくて好き。物事は見方次第でどうにでも変わるなら、優しい方を選んだっていいよね。そういう増田さんの優しさが好きだな。

 


 個人的には初回BにはRepresent NEWS mixを入れて初回A・通常合わせてカップリング新規曲は2曲、というスタイルだとバランスがいいなと思う。新規曲が少ないことで1曲ずつに力を注げるだろうし、Representで既存楽曲の新たな魅力を発見できるのも嬉しい。この曲のRepresentが来たら「とうとう来たか」って思う曲はあるんだけど、それでも聴きたいか聴きたくないかでいったら全然聴きたいし、Represent=聴けるバージョンの選択肢が増える、と捉えているので個人的には沢山聴きたいなと思っている。

 


 なんとなく、このシングル全体のテーマが「青春」なのかなと思っている。「生きろ」には「過ぎし日は青春」「終わりなき青春」と出てきて、「Strawberry」には「繰り返す青春を」と出てくる。「エンドレス・サマー」の「イノセンス」も「青春」の言い換えのひとつかもしれない。
 彼らの「青春」まっただ中に始まったNEWSというものが、まだ続いている。続いていく。振り返ったらそこにある日々は青春だし、この先にずっとあるものも青春で、終わることなく、笑ったり泣いたりする日々を繰り返していく。
 私も、その端っこに乗っかっている。決して長い時間ではないけれど、彼らのことを見てきた。楽しいこともあったし、助けられたこともあったし、助けになれたかなと思うこともあった。これからも、こんなふうにいられたらいいな。変わるところは変わって、変わらないところは変わらないままで、この先も青春を過ごしていたい。

 

 

「生きろ」 (通常盤)

「生きろ」 (通常盤)

 

 


 次のシングルはさすがに来年かな!楽しみにしています!

ミツルのスピンオフも最高すぎてしまった #ゼロ一獲千金ゲーム

 9月23日配信のスピンオフ後藤ミツル編(後編)をもって、3ヶ月ほど楽しんだ「ゼロ一獲千金ゲーム」が終わってしまった。めちゃくちゃ寂しいけど、とりあえずミツル編の感想を書くことで毎週書いてきたドラマ感想記事を一旦終わりにしたいと思います。

 

 

後藤ミツル編・前編

大親

 もし私がNEWSについて何も知らないでこのドラマを見ていたら……というのはifの話でしかないのでできないのだけれど、でも私はNEWSをよく知っていて、ゼロを演じる加藤さんとミツルを演じる小山さんが17年来のつきあいでずっとシンメで親友で、というのを知ってしまっている。いやいやしんどい。前の記事にも書いたけど、ゼロとミツルはコヤシゲだっていう、その事実が何よりしんどい。はぁしんどい。
 ペンションを経営するミツルと、そこに毎年星の研究をしに訪れるゼロ。ここの二人の親しそうな様子を見ていると「親友」という言葉に嘘偽りはないんだなと感じる。ミツルの恋人である恵も含めて、楽しそうに笑っている三人。
 このスピンオフを見る前に本編の「俺の前から消えろ」と叫ぶミツルや思い詰めた表情のゼロくんを見ている状態で、この仲の良さそうな3人を見るの、あまりにもしんどい。
 なんとなくだけれど、「毎年限られた期間を密に過ごす」というスタイルはゼロが誰かと仲良くなるのにベストな条件だったのではないかと思う。それに、ゼロとミツルの目指す分野が全く違ったことも大きいのではないか。たとえば常に顔を合わせるような環境で、目指すものが同じで、それこそ学校のような環境にあったら、カズヤのように自分とゼロを比べてしまっていたかも。ゼロがカズヤにアンカーを譲ったことを「優しさ」と思っていたのだとしたら、常に一緒に過ごす環境ではその「優しさ」に出会う可能性も高く、ゼロとミツルのように親しくなることはなかったかもしれない。宇宙物理学と写真では比べようもないから、どちらがすごいかを競うこともない。だから、対等な関係性を築くことができた。
 ずっと一緒にいるのではなく、一年のうち限られた期間を親しく過ごしていたからこそ、ゼロとミツルは互いを親友と呼べる関係性になったのだろう。

 

・地獄

 ミツル編の何が地獄かって、ミツルにもゼロにも悪意や悪気がなく、ていうか誰も悪くないのにひたすら事態が悪い方向へ転がり続けていくところだ。この大親友という関係性の二人を地獄に突き落とす恐ろしい脚本。最高。
 ゼロの撮った恵の写真は、忘れ物をしたミツルに対する愛しさが溢れた笑顔で、つまりあの笑顔を引き出したのはミツル。でもミツルはそれを知らない。
 コンクールで賞を取ったときの「おめでとう」も、悩むミツルに対しての「もっと自信もてよ」も、「愛しき君へは本当に俺が撮ったものなのか」という問いかけに対しての「当たり前だろ」も、自暴自棄になるミツルに対しての「まだ何も失ってない」とか、そう言った慰めの言葉たち。ゼロがミツルを思って放った言葉が、ミツルを傷つけ、そしてミツルを傷つけたという事実がゼロへと返っていく。
 ミツルが浮かれていたのは確かだと思う。夢が叶うと思って舞い上がっていた。もしかしたら、「愛しき君へ」以外の写真も評価されていたら、ペンションを経営しながらカメラマンへの道を目指せたかもしれない。このままではダメになってしまうかもという焦りが、ミツルを追いつめたのかもしれない。
 何より一番地獄だなと思ったのは、ミツルがコンクールに応募した写真を自分が撮ったものかどうかわからなかったこと。そのとき沢山撮っていたからとか、自分のカメラに自分以外の人が撮った写真が入っているなんて思わないとか、恵がミツルに向けるような笑顔だったとか、いろんな要素はあるにしても、プロのカメラマンを目指しているのに自分の撮った写真かどうかもわからないなんて、しかも自分が撮った写真ではないものだけが評価され、そのほかは全然ダメだなんて、そんなの地獄だ。芸術や創作への憧れを持っている身だから、その地獄がなんとなくわかる。自暴自棄になっても仕方がない、と思ってしまう。「ゼロの嘘のせいで何もかも失った」と、そう思わないとあのときのミツルはやってられなかったのかもしれない。本心からそう思っていたのかどうかはわからない。でも、未来が一気に崩れ去り、もしかしたら恋人さえ奪われてしまっていたのかもしれない、それも親友に、なんて思ったら自暴自棄にもなる。ミツルのことを自業自得と言ってしまうのは、あまりにもつらい。才能がないことを罪というのは、そんなの、かなしすぎる。
 「嘘でも夢が叶えばいいと思った?」「俺の夢をなんだと思ってるんだ」という台詞があんまりにもつらい。このころのゼロは、相手の思い描く理想の形が実現するのなら、その手段が自分の手のなかにあるのなら、それを選べてしまう人だったのかもしれない。カズヤにアンカーを譲ったのが、本当に譲っただけだったんだとしたら、カズヤの理想の形を最短距離で実現させたわけなのでそういうふうな考え方を持っていた可能性もある。「夢」を実現させるには、自分の力でそこにたどり着かないと意味がないということを、このときのゼロはわかっていなかったのかもしれない。自分ができることがあるならしたいと思っていたのかも。でもそれって相手を思う気持ちの現れであって、だとしたらもうそんなのめちゃくちゃつらい。誰も悪くない。相手が幸せになってほしいって気持ちだけしかもっていないのに。つらい。もしかしたら、ミツルの言葉を聞いてゼロは過去にしてきたことを思い出していたのかもしれない。しんどい。

 

・相手の心に残り続けること/相手を心に残し続けること

 真っ暗な山のなかで怪我をしたミツルと恵を見つけたゼロが、恵の怪我の状況を把握して逡巡したうえでミツルに駆け寄ろうとしたことで、ゼロにとってミツルと恵のうちどちらが大切かが表現されているように見えた。しかし、ミツルがそれに気づく余裕はない。でも、「早く恵を連れて行け」という台詞からはミツルの優しい部分がにじみ出ていたのかなとも思えた。自分よりも恵が助かることを優先してほしかったのかな。
 ミツルは自分が姿を消すことがゼロに対してできる唯一の復讐だと思っていた。しかし、それは自分の心に傷を負うことでもあった。相手の心に残り続けるということは、自分の心にも残し続けるということでもあり、どちらも同じような苦しみを背負い続ける。ミツルがかけたのは、自分も相手も苦しみ続ける呪いだ。「俺の前から消えろ」と言っておいて、消えたのはむしろミツルのほうで、あんなひどい怪我をして、もはや執念ともいうべき感情で地面を這ってでもその場を離れようとするなんて、あんまりにも地獄すぎる。
 今のゼロと昔のゼロが全然違って見えるのは、ミツルとの一件で変わってしまったからなんだろう。昔のゼロは至って普通というか、表情がよく動いて、にこにこしていて、正直なところこの事実だけでもうだいぶくらっている。じゃあ今までドラマで見てきた宇海零って誰だったの?と。その答えは「一度死んだ宇海零」で、働いている塾で子供たちに「ユーレイ」なんてあだ名をつけられてしまうような男で。
 きっと、ミツルの4年間も決して明るく楽しいものではなかったのだろう。ミツルはミツルで苦しんでいた。しかし、時が経つごとに冷静な気持ちも取り戻してきたのか、ゼロのせいだと思う気持ちは薄れていったように見える。あるいは、自分よりも姉のほうがゼロを恨んでいたから冷静になれたのだろうか。
 本編の最終回でゼロが呪いを解いて、二人の仲は今までに近いものに戻った。前と同じものにはもう戻れなかったとしても、わだかまりのない関係になれたように見える。救うことで救われたかったゼロと、救われることで救いたかったミツルというか。二人を縛り続けた鎖が二人を繋ぐ絆に変わったというか。二人が地獄から救われてくれて、本当に良かった。

 

 

スピンオフ後藤ミツル編・後編

 後編の配信前に本編は完結したし、想像の余地は残していても続きは配信で!というタイプの終わり方ではないので、一体どんな話になるのかと思っていたけれど、あまりに良すぎる恋愛映画だった。恋愛を主軸としたストーリーとしてもすごくいいし、人生を主軸としたストーリーとして見てもすごくいい。

 

・和解から一ヶ月後のゼロとミツル

 ドリームキングダムでの死闘から一ヶ月後の時間軸の物語。ゼロくんがダサベストをやめてしまったことによって爆イケ具合が増し増しで「うだつのあがらない塾講師」という設定がどこかにいってしまったのだけれど、もう塾講師をやめて自分の人生をしっかりと生きることを選んだからなのだろうか。それともドリキンに連れて行かれた日が手持ちのなかでも一番ダサい服の日だったのか……。
 本編最後の一年後の時間軸ではミツルの姿はなかったので、ゼロがミツルと親しくしているようでまず安心した。あの握手から先、また親しい関係を築くことができたんだね……ゼロくんがタメ口で普通に喋る相手なんてミツルしかいないから……ミツル二はこの先もずっとゼロくんの親友でいてほしいよ……これは遠くからゼロくんのことを応援している身としての感想です。
 二人の仲は回復したとして、でも二人にはまだ解決していない問題がある。恵のことだ。恵は事故の影響からか、過去の記憶を失っていた。と思うと、ゼロくんは4年間のあいだ行方不明のミツルと記憶喪失の恵を背負って生きていたのかと思うと……つら……
 恵は事故で頭を打ったから記憶を失っているのか、それとも無意識下で過去のことを思い出したくないから思い出せないのか、その説明は特になかったけれど、もしかしたら後者の可能性も強いなぁと思った。婚約者に本当のことを言い出せなかったせいで傷つけてしまったことってきっとつらいだろうし、傷つけてしまったという事実が恵を傷つけてもいただろうから……つらい……地獄……

 

・素直さと愚かさと、隠れた才能

 恵が写真館で働いていることを知って、自分もそこで働きたいと言ってしまうミツル。これまでのミツルを見ていると、とっさに口から出てしまった言葉、という感じがした。ここで働こうと考えていたようには見えなかったし、恵と一緒にいられるならという気持ちがあったのかもしれない。ミツルがどんな4年間を過ごしてきたのかわからないけれど、カメラとは関わらないような生活をしていたんじゃないかな、となんとなく思う。あんな出来事があって、もうカメラを持つのも怖くなってしまっていても不思議ではないし。と勝手に思っていたので、あの場でミツルが「カメラマン募集してないですか」「撮れます」と言ったことが嬉しかった。
 なんていうか、ミツルってすごく素直で、その素直さって愚かさとイコールでもあって、だからスピンオフ前編を見ていてもミツルに対して愚かだなぁと思う場面がいくつもある。「カメラマン募集してないですか」という台詞は、ミツルの愚かさがいいふうに出た結果の言葉だなぁと思った。
 そうやってカメラマンとして写真館で働くことになって、ミツルは決して写真の才能がなかったわけではなかったんだな、と思った。かつてミツルが撮っていたのは風景を中心とした写真が多いように見えたし、前編でインタビューされているシーンでは「自然のなかで育った」「大自然」というのがキーワードになっていたし、ミツルが出版社(新聞社?)の人に見せていた写真も風景の写真ばかりだった。でも、本当はミツルは人物写真を撮るのに向いていたのだろう。相手の笑顔を引き出すことができる。そういった写真は、写真家として写真集を作るには向かないのかもしれない。でも、誰かにとってとても大切な一枚になることは確かだ。ミツルはそういった写真を撮る才能なら、あの写真館の主であろう遠坂よりもずっとあるという描写もされていた。ミツルが写真を始めようと思った原点が「恵が笑顔になってくれるから」だということも併せて考えると、笑顔の写真を撮る才能はあったんだなと思って、個人的に救われた気持ちになった。
 ミツルが自分には才能がないと写真を諦めてしまうのではなく、かといって昔のようにプロの写真家を目指すのでもなく、でも写真に携わって誰かの笑顔を引き出す仕事をして自分も笑っていることが、すごく嬉しい。

 

・からっぽ

 婚約者としてではなく同じ写真館で働く同僚として親しくなる恵とミツル(偽名:サトシ)。恵は過去のことを思い出せないことや、一緒に事故にあって死んだ(と聞かされている)婚約者について何も感じないことで、自分のことをからっぽだと言う。4年前のミツルが「何もかも失った」と言っていたことと重なって、彼女がからっぽではないことを、自分が知っている過去の彼女のことを伝えようと決めるミツル。その決心をゼロに伝える場面がめちゃくちゃつらい。でもきっとあの4年間を通して「何もかも失った」わけではないとミツルが気づけたからこそ、恵に彼女がからっぽではないことを伝えようと思えたんだろうなと思うと、これがミツルの優しさなんだなって……つらい……
 ミツルが恵のために用意した写真は、どれもいい笑顔で笑っていた。ゼロが撮った「愛しき君へ」のように芸術的ではなかったけれど、日常を過ごす愛しさが溢れていた。写真を前に恵の過去を話す声も、感情を抑えようとしながらもちゃんと伝えようとする気持ちが伝わってきて、すごく切ない。ミツルは、ゼロや恵が「愛しき君へ」がミツルの撮ったものではない=伝えづらいことを伝えなかったことで傷ついた。だから、同じことはしないようにと思ったのかもしれない。伝えにくいこともちゃんと、相手に伝わるように話すこと。それがミツルの選んだ、相手を大切に思うやり方なんだなぁと思うと、ミツルのこと好きだなぁとさらに思う。
 あの事件のときには互いにうまく伝わっていなかった、互いを大切に思う気持ち。ミツルが恵のことを大切に思う気持ちは、今度はちゃんと恵に伝わった。うまく伝わらない場面を見ていたせいで、二人の気持ちが通じ合った場面が愛おしい。あまりにも良すぎて、これがHuluでしか配信していないスピンオフだということを忘れて、美しい映画を見たような気分になる。
 そして最後には、二人でゼロの写真を撮る。スピンオフ前編の最初のほうのような、仲の良さそうな雰囲気が戻ってきていて、ゼロの心に引っかかっていたものは全部取り払われたんだろうなと思った。
 ていうかこのときの「笑って!にーって」っていう小山さんのダブルピースの笑顔、さくらガールじゃん……ってなって唐突にコヤシゲ出てきてしんどい……

 

・100%なんてない

 ミツルと恵は再び親しくなっていったけれど、ミツルは「愛しき君へ」の話はしていない。恵の記憶も戻っていない。なにもかもが解決したように見える、ハッピーの兆しが見えるラストだったけれど、きっとこの二人にはまだ問題が降りかかるだろう。だからといって、このハッピーの兆しがまやかしというわけでもない。
 人生って、そういうものだと思う。何もかもすべて100%幸せなんてことはないし、逆に何もかもすべて100%不幸せなんてこともない。いろんな幸せといろんな不幸せが積み重なっていく。何もかもの問題が解決して手放しでハッピーな状態なんて、もしかしたら一瞬だったらあるのかもしれないけれど、決して長くは続かない。
 だからきっと、この二人にもこの先、いろんなことが起こるだろう。「愛しき君へ」の話をして、ミツルも恵も傷つくかもしれない。恵が忘れていることとミツルが覚えていることのギャップに、二人とも苦しむかもしれない。苛立ったり、悲しくなったりするかもしれない。大喧嘩をするかもしれないし、傷つけあうこともあるかもしれない。もしかしたらこの先うまくいかなくなって、二人は離れることになってしまうかもしれない。そうだったとしても、少なくとも今この二人は幸せに向かって歩き出したところで、そういう終わり方なのが良いなと思った。人生ってそういうものだよね。「ゼロ一獲千金ゲーム」という物語を締めくくるのにふさわしい物語だったと思う。


 

 ところで小山さんの演技良すぎない!?今頃小山さんに純愛映画のオファー来まくってるんじゃない!?何撮る?いつ公開?個人的には中村航さんの小説を推したいです!
 あと想像の余地がめちゃくちゃあるのもすごく面白いなって……だってミツルがなんであの若さでペンション経営しているのかとか全然わからないし……在全グループにかくまわれていたときに「他に頼る宛てがない」というようなことも言っていたからご両親はもう亡くなっていて、ご両親が遺したものなのかなとか、後藤家の長女(であろう)「峰子」の名前は山が好きなご両親がつけたのかなとか……いくらでも想像の余地があるところが楽しい。ドラマが終わってもまだまだ考える余地があって楽しめる。

 

 本当にこの3ヶ月楽しかった。加藤さんのゴールデンプライム枠初主演ドラマが「ゼロ一獲千金ゲーム」で本当に良かった。素晴らしいドラマを作ってくださった出演者・スタッフのみなさん、本当にありがとうございました!

自担の主演ドラマが最高すぎてしまった #ゼロ一獲千金ゲーム

 最高すぎて、楽しすぎる3か月を過ごしました。
 終わってしまった。圧倒的に最高なドラマ「ゼロ 一獲千金ゲーム」が終わってしまった。9話までが圧倒的に最高に最高に最高だったのでもしかして最終回で期待値爆上げすぎて盛大に転んでしまったりするのではないかと心配していたが全くそんなことはなかった。期待値爆上げしたその更に上を行く最終回だった。あまりに最高すぎて感想を書くのもこれで最後か……と思うと寂しいです。
 といいつつスピンオフあるからまだ最後じゃないんですけど!とりあえず今回は10話の感想です。

 

・ミツルとの再会

 突如姿を現したミツルに驚き、「生きてたのか」と歩み寄ろうとするゼロ。しかし、峰子に「近づかないで」と制止され、黒服の男が立ちはだかる。
 ここまで色々と騙され続けてきたので、ミツルの「ゼロ、久しぶり」という笑顔も実は裏があるのでは……という気持ちになってしまう。でも峰子を見上げる表情を見ると本当になんの屈託もない「久しぶり」だったの……?という気持ちにもなる。いろいろ騙されてきたのでもうわかんないんですよ……だって高校時代の「友達」として出てきたカズヤはゼロのこと殺そうとするし、残虐な「友情の破壊者」として出てきた小太郎は友情に焦がれる人物だったし、じゃあこの「久しぶり」にも何か裏があるのでは……だって在全側にいるし……。と思っていたら、本編中でも二人の過去が(さらっと)語られる。もうこのちょっとだけの映像だけでもしんどい。だってこれコヤシゲなんですよ!?
 夜、ベンチに座るゼロのもとにミツルがやってくる。そして、峰子がミツルの姉であることが明かされる。前回の感想の最後にも書いたけど、峰子とゼロの関係を在全が知っていたんだとしたら発言がいちいち悪趣味で、そりゃあこんなゲームも企画するよねと頷きたくなる。
 ぽつぽつと、互いの近況を話す二人。ミツルを失った後、自分だけが夢を追うわけにはいかないと大学を辞め、今は塾講師をしていること。生活の糧がないミツルは姉に頼らざるをえなかったこと。こんな一瞬では埋まりきらない4年の空白が、会話のぎこちなさから見てとれる。ミツルは過去のゼロの行動を「優しさ」だったと捉えているけれど、その「優しさ」が間違いにもなると告げる。その「間違い」の結果がミツルの動かない足だと思うと胸が痛い。スピンオフ前半を見ればわかるけど、どこにも悪意がないんだもん……悪意がないのに傷ついたり傷つけたりしてしまう二人を見るのがつらい。だけどゼロが優しいということとその優しさが間違いを起こすということを、言いづらさも伴うことを、カズヤが「憐み」と取ってしまっていたことを、きっちりゼロに告げることができるの、あぁこの二人は大親友って言うだけのことあるわ……って思う。ゼロと対等に話せる、ゼロのことを思いやってくれる、ゼロが心を許した相手なんだって、この短い会話からめちゃくちゃ滲み出ていて……んでこれコヤシゲなんですよ……
 ミツルはゼロに「明日は勝ってくれ」と言う。「俺のことは気にすんな」「俺のせいで負けたりしたら許さないから」とも。自分がゼロの味方であることを、暗くなりすぎないように伝えようとしているように感じられた。でも私は捻くれているので「俺のことは気にすんな」という台詞は「気にかけてほしい」と言っているようにも聞こえる。大親友だったがゆえに相手に伝わってほしい本音というか。でも「勝ってほしい」という気持ちもミツルの本音だと思う。自分のことを思って暴走する姉を止めたい気持ちもあるだろう。というところを踏まえて、ここで「気にすんな」って言っちゃうの、めっちゃいいなって思う……「気にすんな」って言われて気にしないでいるほうが無理みたいなところあるし、複雑な気持ちでいる感じがすごく伝わってきて……つら……
 ゼロも4年間つらい思いをしていたんだろうけれど、それはきっとミツルも同じで、二人して相手の存在を心の中に残しすぎてしまっているために苦しんでいたんだと思う。だからってすぐ会って仲直りできるほど軽い出来事ではなくて。これがなんか、カメラ壊しちゃったとかその程度(それも大きいかもしれないけど)だったらきっとこんなに大きくならずに済んだのに、マジでこのときのミツルの絶望を思うとしんどくて……っていう二人をコヤシゲが演じているんですよ……

 

 

・それぞれの見る「宇海零」

 最終決戦を前に、ゼロ先生の過去を知り動揺する義賊たち。自分たちが従ってきた、自分たちを救ってくれたある種神様のような存在が、ただのひとりの人間だったと知ってしまえば、動揺しないわけにはいかない。しかし、チカラ氏は「どんな過去があってもゼロはゼロ」と言う。ここで一番ゼロに対して崇拝したり憧れすぎていないフラットな目で見ていた(アンカーを前にして「チカラさんたちには無理です」と言われて怒る等)チカラ氏が言うのが良いなと思った。ゼロの苦しみを知って、動揺して、でもゼロのために何かできないかと考えて闇鍋作っちゃう三人、愛おしい。
 ユウキが冷静に「ゼロくんのあの異常な正義感はあのミツルってやつのせいか」と言うのもキャラに合っていていいなと思った。アンカーのときにゼロを「怖い」と言ったくらいなので、その「怖さ」の理由を知って腑に落ちた感が出ている。何より「異常な正義感」って響きがあの「得体の知れなさ」の正体を言い表しているようですごくしっくりきた。

 

 

・最終決戦

 巨大な鉄球が落ちてくる「鉄球サークル」に始まり、50メートルの高さで飛ぶ「クォータージャンプ」、水責めの「迷宮のトライアングル」、巨大な錨が迫りくる「ジ・アンカー」、21人が皆殺しにされる「魔女の館」などなど、どれも大がかりな仕掛けのゲームばかりだったドリームキングダム。その最終決戦は、変則ポーカー「デイ&ナイト」。使う道具はトランプとダーツだけ。今までのゲームに比べると、ずいぶんシンプルだ。
 個人的には、この展開にはめちゃくちゃ興奮した。私の好きな小説のひとつに『マルドゥック・スクランブル』という作品があって、文庫版では全3冊になる長編でアクションシーンも多くあるにもかかわらず、クライマックスはカジノでブラックジャックをする、というシーンになっている。今まで散々派手なことをしておいて、クライマックスはシンプルなゲームでの心理戦。今までが見た目に派手だった分、最終決戦の緊張が際立つ。最高なんですよ。
 峰子は有利な先攻となり、なおかつダーツの腕もいい。力技で攻めていく感じ。一方ゼロは最初こそ苦戦するものの、相手の心理を読むことで翻弄する。どちらも相手の手を読みまくる感じじゃなくて、一方が力技なの、見ていてわかりやすいのでとてもありがたいなと思った(2回目見るまでルールがいまいちわからなかった人)。それに、どちらも相手の心を読もうとする戦いは9話の標くん戦でもうやってしまっているので、バランスとしてもちょうどいい。
 一度出そうとしたトランプをひっこめたり、数字を順番に並べてしまうなど、言葉では相手を揺さぶろうとするけど結構素直なところがある峰子様。「クォータージャンプ」でセーフ側の声役だったときもセイギに「答えちゃダメ!」って言っちゃうし……なんかそういうとこミツルと姉弟っぽくてしんどい。「クォータージャンプ」で思い出したけど、セーフ側にいる峰子に対して「自分の方に飛ばしてもメリットがない」とゼロは考えていた。でもそうやって揺さぶりをかけて「自分の方に飛ばさない」ことにはメリットがあったんだよね……弟の復讐を果たすっていう……うわつらい……
 途中でミツルを連れ出されてめちゃくちゃ動揺しているところも、小太郎の「城」の文字見て笑っちゃうくらい非道な峰子にも人の心があったんだな……と思わされる。どちらもミツルのことを助けたい気持ちは同じなのに、なんだってこんな地獄を見なければならないのか。在全、本当に怖いキャラクターなんだな……ていうかゼロの心を壊すって言いながら峰子側にしか「弟を殺す」としか伝えないのほんと……ひど……峰子もつらいじゃん……しんど……

 

 

・決着

 あと、ミツルを連れ出す場面見てて思ったんだけど、在全は自走もできる車椅子なのにミツルはそうじゃない感じ、ミツルから自由を奪うためだったりしない?怪我の詳細がいまいちわかっていないのでなんとも言えないけど……。川沿いに連れてこられて、ゼロが勝てば自分が死ぬことを知らされるミツル。でも全然動揺も焦りもない。「ゼロはそのこと知ってるの?」と尋ねて、知らせないという答えが返ってくると、「ゼロは、勝つかもね」と言う。自分が死ぬと知ってもなお、ゼロに勝ってほしいと思っているような口ぶりに思えた。
 動かない足を見るとまだゼロのことを本当のところでは許せていないのかもしれないと言うミツル。でもきっと、「許せていない」ということもまた、ミツルを苦しめているのだろう。最初から他人だったり、どうでもいい相手だったらこんなに悩まなかったのかもしれないが、ゼロとミツルは親友だった。だからこそ、いろんな感情がごちゃ混ぜになってしまうのだろう。ゼロとミツルのあいだにある「見えない紐」は、かつては大切な繋がりだったのかもしれないが、二人を重たく縛りつける鎖にもなってしまった。呪いを解いてその鎖を再び大切な繋がりに変えるには、ゼロが再びミツルを助けるしかない。そしてゼロは、それをやり遂げた。
 ミツルにとってもゼロにとっても、あのときの「必ず助けに戻る」という言葉は呪いだったのかもしれない。ゼロにとっては助けられなかったことが、ミツルにとってはゼロから逃げてしまったことが、二人の心に呪いとなって残ってしまっていた。ゼロが峰子を勝たせてミツルを助けにきたことで、二人の呪いが解けたのだろう。晴れやかな笑顔での握手は、見ていてぐっときた。でもこれからまたスピンオフ見なくちゃいけないわけで……つら……(メンタルの急上昇&急降下)
 わざと負けたことをはぐらかして「負けちゃいました」と笑うゼロ。他の誰かを助けてもそれは「他の誰か」でしかなく、ゼロの呪いは解けることがなかった。ようやく解放され、やわらかく笑う姿に心の底から良かったと思った。

 

 

・エピローグと「終わりなき青春」

 エピローグとして、登場人物たちの1年後の姿が描かれる。
 義賊3人は一緒に引っ越し業者でアルバイトをしているらしい。強く生き抜く力を身につけていて、以前は3人揃うとまた死のうとするかもしれないからと発信機を持たされていたのに、もうその心配はないようだ。末崎はヤクザから足を洗って移動販売のお弁当屋さんをやっている。セイギは就活中(めっちゃ面接で落とされそう)。ユウキは在全グループにいて(この神経の図太さ、嫌いじゃない)、在全グループのトップとなった峰子のもとで働いている。在全もまだ生きていて、実質トップとして君臨しているらしい。あれだけ異彩を放っていた標くんも日常に戻っていて、ごはんの前にメロンパンを食べて怒られたり、ピーマンを残そうとして怒られたりしている。彼も普通の子どもだった、というわけだ。相変わらずめちゃくちゃ頭いいけど。
 みんな前向きにそれぞれの人生を歩いている。義賊としての活動はユウキとセイギを仲間に加えてまだ続いているようだ。しかし、5人が集った場にゼロはいない。
 ゼロは再び宇宙物理学への道へ進み、研究に勤しんでいる。ミツルとともに失った夢を、再び追い始めた。主題歌「生きろ」の、「笑えるほど愚かで泣けるほど愛しい 終わりなき青春」という歌詞が頭をよぎる。止まっていたゼロの時間がまた動き出して、終わりなき青春のなかを生きている。
 ゼロの時間が動き出したのなら、きっとミツルもそうだろうし、カズヤ(まだゼロとは会っていない気がする)や小太郎(また何か新しい仕事を見つけて生きていそう)もどこかで元気にやっているのかな。あのみごろさナインの人や石田さんも元気だろうか。なんだかんだでどのキャラクターにも愛着がわいてしまった。最初はあれだけ腹の立つキャラクターだったユウキやセイギも愛おしい。とにかくめちゃくちゃ面白くて、終わり方まで最高で、ドラマに出てきたキャラクターたちが幸せに生きていけるといいな、と思った。

 

 出演者・スタッフのみなさん、とても面白いドラマをありがとうございました!すごく楽しい、とても心揺さぶられる3か月でした。またどこかでゼロたちに会えることを願っています。


 でも!私たちの「ゼロ一獲千金ゲーム」はまだまだ終わらないぜ!来週もスピンオフ後編がある!地獄みたいな前編から一体何がどうなるのか!?どうあってもまだ地獄な気がするけど!スピンオフ後編を見たらまた1話から見返そうと思っています。
 

届けっ、愛の言葉 ―NEWS15周年によせて―


 NEWS、15周年おめでとう!
 大好きなNEWSの大好きなところを並べて、15周年のお祝いとしたいと思います。

 

 

・4+FAN

 ファンタスティック(fantastic)という言葉には2通りの意味がある。「素晴らしい」という意味と、「fantasy」の形容詞形=日本語でいう「ファンタジック」という意味だ。NEWSはどちらの意味も兼ね備えている。
 「White」以降のNEWSのコンサートはコンセプトを絞り、それに沿った物語を展開させている。「QUARTETTO」の劇場のようなセットにも圧倒されたし、「NEVERLAND」は昔読んだ児童文学のような世界観でわくわくした。「EPCOTIA」は宇宙がテーマになっていて、アルバムのパッケージもデジチケのレシートも凝っていて、コンサートが始まる前から大好きなSFの世界が広がっていた。コンサート会場が、まるで夢の空間になる。何かの物語に迷い込んだかのような気分になる。コンセプトを強く打ち出したコンサートでなくたって、このあいだのStrawberryも、そこはやっぱり夢の空間だった。お城のセットなんて、非日常にもほどがある。日常から抜け出して向かう非日常。
 私は割と日常がしんどい人間なので、たまに逃げたくなる。実際には逃げる先なんてどこにもないから、会社を休んで一日中寝てみたりする。しかしそれでもチャージしきれない。体だけでなく心も疲れていて、心の疲れは睡眠だけでは回復しないらしい。
 そういうときに支えになるのは、NEWSのコンサートだ。日常を抜け出して、非日常へ連れて行ってくれる。会場が東京ドームだろうとさいたまスーパーアリーナだろうと味の素スタジアムだろうと、私が向かうのはそういった「場所」ではなくて、「非日常」へと向かうのだ。非日常への入り口がたまたま東京ドームとかさいたまスーパーアリーナだとか味の素スタジアムにあるだけの話。
 いろんなものがのしかかってぺちゃんこになった心に空気を入れるように、非日常を摂取して心が生き返る。どれだけ体が疲れても、心が元気になる。また日常を生き抜いていこうという力をくれる。本当は、そうやって頼るのはあまりよくないことなのかもしれない。ちょっと贅沢な楽しみ、くらいに思っていたほうが健全なのかもしれない。でも私は、この非日常を糧に日常を生きている。日常が愛おしくないわけではない。愛すべきところも沢山ある。でも、どうしようもないことも沢山ある。どうしようもなくて、どうしようもない。またうまくいかなかったなぁ、どうすればよかったんだろうなぁと、悩んでばかりいる。でも、コンサートで沢山の夢を浴びて、非日常に浸って、そんな景色をNEWSと共有することで、悩んでいることも「ちゃんと悩もう」と思える。ちゃんと悩んだら、答えが出るかもしれない。答えは出なくても、打開策が見つかるかもしれない。そういう一歩を踏み出させてくれる。そのためのエネルギー、非日常。
 そんな素晴らしい非日常を、NEWSは見せてくれるし、一方的にじゃなくて、一緒に見てくれている、と感じる。ありがとう。

やっぱ 僕らファンタスティック!

 


・EPCOTIA

 NEWSのすごいところは「絵空事なんかじゃない 僕らは此処にいる」と「やっぱ 僕らファンタスティック!」が両立するところ、と日々言っている。だって両立するんだもん。というか、一方がもう一方を際立たせるといった感じ。
 コンサートという非日常の空間だからこそ、NEWSがそこにいるリアルが際立つ。「絵空事なんかじゃない 僕らは此処にいる」と歌う曲でコンサートが幕を開ける。
 アイドルだって人間で、笑ったり泣いたりする。ごはんも食べるしトイレにも行く。嫌なことがあった日はへこむだろうし、嬉しいことがあった日はるんるんしているかもしれない。アイドルはファンを楽しませたり喜ばせたりするためにいるのかもしれないけれど、アイドルにも人間としての生活がある。人生がある。命がある。だからこそ、コンサートで、ファンの目の前で、ステージの上に立って歌ったり踊ったり笑ったり泣いたりする。
 彼らがリアルタイムでそこにいること、そこで生きていること。それってすごく奇跡的なことだ。人類の誕生が(諸説あるが)700万年前だとして、人間が生きていられる時間は多く見積もっても100年くらいで、その100年のうちのいくらかが重なっているから同時にこの世界に存在しているわけで、しかもアイドルになってくれなければ出会えなかったわけで、そう思うと途方もない気持ちになる。それこそ、夢なんじゃないかなって思ってしまう。でも、NEWSは歌う。「絵空事なんかじゃない 僕らは此処にいる」と。

絵空事なんかじゃない 僕らは此処にいる

 

 

・LVE

 私が見てきたのはNEWSの15年の一部でしかないけれど、少なくとも私が見てきたあいだ、特に今、NEWSはNEWSのことが大好きなんだなって思う。
 NEWSを繋ぎ止めようとして小説を書いた加藤さん。当時の彼の思いは間に合わなかったけれど、4人になってからも「NEWSを知るきっかけになれたらいい」と書き続けてきた。小説が評価され、どんどん自信をもった顔つきになっていったこと、忘れられない。きっと、小説が評価されたことだけじゃなくて、NEWSに貢献できたことも自信につながったんだろうなって思う。
 NEWSを「NEWS」として続けるために奔走した小山さん。何度だって思うんだけれど、これからも続けていきたいという話をしに行ったときに「もうやめろ」って言われたときってどれほどの絶望なんだろう。それでも、4人の意思をまとめて、再スタートを切った。それに、4人になってからしばらくは、小山さんは他の3人の居心地のいい場所になるように動いていたように見える。今だって随所にそういうところが見られる。どれもこれも、NEWSに対する愛がなければできないことだったと思う。
 明るくて強気なエース・手越さん。最近は、コンサートでもたまに彼の涙を見ることがある。子供みたいな顔をして泣いているところを見ると、どれだけのものが彼の肩に乗っかっているのかなと思ってしまう。グループの中でも目立つ存在であることは、必ずしもいいことだけではない。なんていうか、彼はNEWSの盾なのかなと思う部分もある。でも人間なんだし傷つくことだって沢山あるだろう。NEWSのことが好きだからその役割を担えるんじゃないかなと思う。
 ひとつのツアーにつき1着ずつ、メンバーカラーの衣装を作っていた増田さん。そんなの、なんかもう、愛だよ。まだ15周年のお祝いのコンサートがあるかどうかなんてわからなかった頃から、それぞれの色の衣装を作っていたなんて。しかも、その人に一番似合う衣装に見えた。そもそも衣装を作ることだって、自分勝手に好きに作るんじゃなくてメンバーの意見も取り入れて作っていて、それって愛だなって思う。
 4人とも、NEWSのことを愛していて、揺るぎない希望をもって、NEWSの未来を見ている。すごく頼もしい。これからどんなことが待っているんだろうってわくわくする。
 私の好きな人たちが自分たちのことを好きでいてくれるのってすごく嬉しいことなんだね。

愛がなければ生きていけない
希望がなければ前へ進めない

 


・madoromi

 コンサートで「madoromi」を聴いたとき、NEWSは私のこと好きでいてくれてる、と思った。あまり大きな単位で語りたくないから「私」と言っているけれど、「私」という個についてではなく、この曲を聴いているファンのことを、遠くでNEWSを思っているファンのことも、好きでいてくれてると思う。でも実際コンサートにいると「私」が愛されていると感じるのも本当だから、言葉にするのはちょっと難しい。
 「愛してる」って思うことは私が「愛してる」って思えばそれで成立するから珍しいことではないと思うのだけれど、「愛されてる」って思うことは相手がこちらを愛していると伝わる言動や態度がないと実感できない。たとえば恋人や配偶者だったらすぐ近くにいることが多いので、言葉で「大好き」って伝え合うことができるけれど、アイドルやアーティストではそうはいかない。でも、私はNEWSに愛されているって思える。年に何度会えるかって感じなのに、愛されていると実感している。NEWSの歌う「君を好きなこと/また会えるまで 忘れないで」という歌詞は、そのままNEWSの気持ちとして私に届いている。
 でも、この歌詞はNEWSから私への気持ちというだけではなくて、私からNEWSへの気持ちでもあると思う。少なくとも私はそうだ。あなたのこと大好きだよ。会える機会は頻繁にはないけれど、それでもあなたのこと大好きだよ。会えないときもどうか忘れないでほしい。あなたが笑ったり、おいしいごはんを食べたり、友達と楽しく喋れたり、ゆっくり眠れたり、気持ちよく起きられたり、嬉しい出来事があったりしたらいいなぁと思っている人がいることを。あなたが幸せでいてくれるだけで嬉しいと感じる人がいることを。

君を好きなこと
また会えるまで 忘れないで

 


・U R not alone

 コンサートは、NEWSと一緒に見ている夢だから、こんなにきらきらしているんだと思う。NEWSのコンサートはすごく双方向というか、「届いた」って思える瞬間が何度もある。うちわなんか見てもらえない距離でも、天井にほど近い席でも、「届いた」って思える。
 たとえば、「U R not alone」。部分的にファンに「歌って!」って言う曲は他にもあるけれど、「一緒に歌う」というスタイルが確立したのはこの曲からだと認識している。「一緒に歌う」って、一人では絶対にできない。録音して重ねることはできるかもしれないけれど、それは誰かと一緒に歌っているわけではない。だから「一緒に歌う」という行為自体が「U R not alone」を表しているともいえる(こういう、意味に意味を重ねるようなメタなところもNEWSの好きなところのひとつだ)。
 私は、ファンが歌うパートがあるというのは信頼されているのと概ね同じことだと思っている。信頼のかたちにはいろいろあるけれど、そのひとつだと思う。というのもファンが歌ってくれると思えなかったら「歌って」とは言えないと思うからだ。私はその信頼に全力で応えたくて、NEWSが「歌って」って言ったら全力で歌う。
 歌うことというのは、「今ここにいること」を表す手段でもある。歌った声は、同じ場所にいる人たちに届く。ステージの上のNEWSにも届く。私がコンサートで「今ここにいる」と思える瞬間が大好きで、だから「歌って」と言われることが嬉しい。

 歌うことは、気持ちを伝える手段でもある。NEWSがそういう想いで歌っているから、NEVERLANDオーラスの「U R not alone」の合唱が起きたのだと思う。そこに乗っている気持ちにはいろんなものがあったと思う。私はNEWSが好きだよって気持ちを伝えたくて歌った。多分だけど、伝わったんじゃないかなぁと思っている。

例えばこの声が届くならば誰でもいい
聞こえますか 胸張ってさあ叫ぶんだ
全部詰め込んだこの宣誓を

 


・愛言葉

 NEWSのコンサートに行っているとき、あぁ私ここにいて良かったって心の底から思える。いろんなつらいことがあって、死にたかったことだって一度や二度じゃなくて、ろくに記憶がないくらいつらい時期もあって、でもそういったものを乗り越えて今ここにいて良かったって思う。毎回思う。
 なんていうか、「君が来てくれて良かった」って思われている気がする。ここでいう「君」は私個人ではなくて「ファン」に対するものだ。ファンという不特定多数だけど、でも1対1みたいな距離感で「君が来てくれて良かった」「君がここにいれくれて嬉しい」って感じが伝わってくる。NEWSが全力で歌うことや、ファンが歌うパートが沢山あること、そういったことから伝わってくる。
 初めてNEWSのコンサートに行ったときからずっと、愛されているなぁと感じている。天井にほど近い席のときも、アリーナのときも変わらない。NEWSから直接愛が届いて、そして愛を届けられる、そんな空間だと思う。沢山愛を届けてくれて、そして受け取ってくれて、ありがとう。

 勿論、そんなふうに思わない人だっている。みんながみんな同じように受け取るわけではないから、別にいいと思う。だけど、私がこう思っていることも否定されたくはない。私がこう思っているということは、私にとっては動かしようのない事実だから。届かない人がいるなら別にそれはそれでいい。私だって、他のアーティストがどれだけ思いをもって歌った曲やどれだけ伝えようとして言った言葉が届かないことだってあるから。でも少なくとも、私には、NEWSの言葉が届いている。

どんな時も たくさん伝えるよ 届けっ、愛の言葉

 

 

・HAPPY BIRTHDAY

 頭と心が死んでいたとき、私を救ってくれたのはNEWSだった。出会ったのはもっと前だったし、好きになったのももっと前だったけれど、私を生き返らせてくれたあのときのことは忘れられない。感謝しかない。ありがとうってたくさん伝えたい。
 小山さんが、加藤さんが、増田さんが、手越さんが、それぞれアイドルになってくれたこととアイドルでいてくれることにもありがとう。アイドルはアイドルとして生まれたわけではなく、沢山ある職業のうちのひとつでしかない。だから、辞めようと思ったら辞められる。辞められないわけじゃない。それでも、辞めないでいてくれてありがとう。いつかもし辞めるときがくるまで、沢山の大好きとありがとうを伝えたい。多分、辞める選択をしたと知ったとき、大好きもありがとうも伝えきれていないと思ってしまうのだろうけれど、それでも伝えたいって思う。
 NEWSのおかげで、ブログを始めた。いろんな人と知り合うことができた。めちゃくちゃ悩んでいるときに、その悩みを相談できる人もいる。NEWSが繋いでくれた出会いが沢山ある。それらについても、感謝の気持ちだらけだ。

 もしかしたら、何かのタイミングが違ったら、あのとき私を救ったのはNEWSではなくて他のグループだったかもしれないし、他のアーティストだったかもしれないし、音楽やアイドルじゃなかったかもしれない。でも、私にとってはNEWSだった。私が好きになったのはNEWSだった。
 誰かが誰かの大好きなものを大好きでいるように、私はNEWSのことを大好きでいる。「好き」なんてそこらじゅうにありふれていて、でもそのひとつひとつすべてが特別なものだ。
 誰かがくだらないと捨てたものは、別の誰かの宝物かもしれない。誰かが愛おしいと抱きしめたものは、別の誰かから見たらおぞましい何かかもしれない。誰の見方も正しくて、誰の見方も正しくない。「ありのままの真実」なんて、誰にも見えない。
 だから、誰かが大好きだと、大切だと思っているものがあるのなら、それは他者が勝手に蹂躙していいものではないし、できるものではないし、できないって思いたい。どれもすべて、ひとつのこらず、特別なものなのだから。
 これからも、このありふれた特別を大切にしていきたい。

 

 NEWS、15周年おめでとう!大好きだよ。
 これからも一緒に、たくさんの夢を見ようね。

 

生まれた事 出逢えた事
今 傍にいれる事 「ありがとう」

 

色々あったのにミツルに全部持っていかれる9話 #ゼロ一獲千金ゲーム

 とうとう9話まできてしまった。あと1話しかない。嘘でしょ。足りない。全然足りない。最終回のあとに劇場版のお知らせが来ないと困ります。
 だいぶ混乱しているけれど9話の感想です。

 

 

・宝探し

 標くんが4つのリングを手に入れ、ドリキンでのゲームは終わったかに見えた。が、在全の思いつきで20分延長されることとなる。そしてゼロ先生が選んだゲームは、前にチカラ氏が挑んで撃沈した「宝探し」のゲーム。
 このゲームでのゼロ先生が最高にかっこいい。ゲームに挑戦するために長蛇の列ができているのを見て、まずは並ぶより先にこのゲームに挑戦した人たちから情報を集める。まずここでその判断をしている時点でかっこいい。しかも全然焦ってない。きっとゼロ先生には自分が勝利する道筋が見えているのだろう。その後、情報を集めてから時間ギリギリで戻り、制限時間を考えて最後の一人として並んでいる男にリングを2つ渡して順番を譲らせる。男はもともと持っていた2つと合わせてリングを4つ獲得したことになるので挑戦する必要はなくなるし、ゼロ先生はリングが1つになってしまうものの、このゲームに挑戦してリングを3つゲットすることができれば4つになる。リングを手離すことでより多くのリングを獲得するチャンスを得るという駆け引き。痺れる。
 そしてゲームに挑戦するゼロ先生。黒服の男は説明を終え、ドアを閉めようとする。それを足で止めるゼロ先生(かっこいい)。今までに挑戦した者たちから得た情報と黒服の説明で、ゼロ先生はこの「宝探し」ゲームの仕掛けを見事に解いてしまう。なおも黒服はドアを閉めようとするが、それも手でかっこよく止める(かっこいい)。ドアを開けた状態で「今この部屋の中には確かにリングがある」って言って、ドアを閉めたら部屋の外側になるドアノブにリングが隠されているとか……そんな屁理屈みたいなずるい仕掛けにも気付いちゃうなんて……誰の命も背負わないゲームだからかめちゃくちゃ強いじゃん……
 個人的には9話まででゼロ先生が一番クールで恰好よかった場面がこの「宝探し」のゲーム。かっこいい。
 ちなみに、今までゼロ先生の姿がシルエットになってオープニング映像に入っていたのに、今回はゲームに挑戦するゼロ先生を見送る義賊たち3人だったのも熱い。

 

 

・標くんVSゼロ先生

 今回の目玉である決勝戦=標くんVSゼロ先生の「ブレイクダウン」。原作では指を切り落とすゲームだったが、ドラマではリングを叩き壊すゲームに変更されている。頑張って集めてきた4つのリングを使って、しかも叩き潰すゲームって。なかなか悪質である。さすが在全。
 ゼロ先生は自身が王となるというよりも標くんを止めたいという気持ちでリングを4つ集める。このまま標くんを王にしてしまえば、標くんが自分の命を賭けて世界を変える計画を実行してしまう。ゼロ先生はそれを止めることに重きを置いている。あと、「迷宮のトライアングル」で標くんとスナオ氏が同じチームだったことで、ゼロ先生以外にも標くんを心配する大人がいるという状況が良いなと思った。ゼロ先生が「標くんを止めるために標くんに勝つ」と言い出しても「何言ってんだよ」ではなくゼロ先生の意見を補強してくれる人がいることで印象が変わる。脚本ってすごいな……
 このゲームでの標くんとゼロ先生の駆け引きがまた面白い。最初にゼロ先生が4つガードを使ったことを即座に見抜いてしまう標くん。焦るゼロ先生。標くんはひとつしかガードを使っていないのに、そこに誘導されてしまうゼロ先生。攻守交代制なのでさくさく進むし、テンポがいい。見ていてずっとどきどきしてしまう。
 標くんはゼロ先生が4つガードを置いたのを見抜いた理由として「ゆらぎが見えなかった」と答える。きっと標くんは、他の人なら全く気付かないような小さな変化さえ見抜いてしまう力を持っているのだろう。しかしそれは武器であるかもしれないが彼の弱点でもある。自分を騙そうとする相手がいればすぐに気付いてしまう。決して幸せな人生を歩んできたわけではないことは、標くんの態度を見ていればなんとなくわかる。エピソードゼロ標編を作ってほしいくらい、標くんに一体何があってドリームキングダムに来たのかが知りたすぎる。今回でめちゃくちゃ標くんのこと好きになってしまったので……もっと標くんのことが知りたい……
 ゼロ先生は標くんに「周りの人を利用するのではなく、もっと信用してほしい」という旨を告げる。しかし、「ゆらぎ」が見えてしまう標くんにとって、人を信用することは簡単なことではない。なんとなくだけれど、今までも誰かを信用しては裏切られてきたのではないかと、そんな気がする。「信用できる大人なんていない」という標くんの言葉からは、そんな過去が感じられる。
 そんな標くんに対して、ゼロ先生は道徳的な話を続ける。前回「魔女の館」では数学の授業だったが、今回は標くんの心に訴えかける。どこまでも塾講師設定を活かしてくる脚本がもはや怖い。塾講師というか、教育者としての一面を見せるゼロ先生。少なくとも自分は標くんの倍近い年数生きていて、経験したことも多いからこそ語れること。人生の先輩として後輩を導くというか。正しいとは言えない道を進もうとするこどもを、力ではなく言葉と態度で説得する。標くんは私立中学に通っているということは、ゼロ先生が教える子供たちの未来ともいえる。大人と子供であり、教育者と被教育者であり、対等な関係でもある。ゼロ先生は、子供だからといって標くんのことを侮ったりしない。ひとりの人間とひとりの人間として、対等に接する。そのうえで、標くんより長く生きているから、伝えられること/伝えたいことがある。
 「世界を変えることは、誰かを守ることから始まるんじゃないかな」。ゼロ先生はこの言葉を実践してここまできた。そんなゼロが、標くんに「信用してほしい」と言う。信用されるにはどうしたらいいか。ゼロ先生の答えは、標くんを信じることだった。標くんの言葉を信じて彼がノーガードだと言う箱を叩く。箱は壊れ、リングは潰れる。
 第1話で、ゼロ先生は塾講師として問題の解答方法が理解できない生徒に対して授業を「落ち」て説明していた。わからない人を取りこぼさない姿勢に見えるけれど、実際のところは「わからない人を」ではなくて「はみ出してしまう人を」取りこぼさない姿勢なのだと、標くんへの態度を見ていてわかった。はみ出し方というのは2種類ある。授業でいえば、授業内容をわかりすぎてはみ出す人とわからなさすぎてはみ出す人。標くんは世界の「ゆらぎ」が見えすぎるためにはみ出してしまっていた。でも、ゼロ先生はそれを見逃さない。取りこぼさず、寄り添う姿勢を見せる。そうやって寄り添う姿勢を見せてくれることで、救われる人は確かにいる。
 去っていく標くんが「またいつか会いましょう」と丁寧な言葉づかいになっているところもよかった。ゼロ先生のことを認めたんだね。信用できる大人と出会えてよかったね標くん……!

 


・ゼロ先生の「信頼」

 なんていうか、9話まで見てやっと「この人、周りの人のこと信頼してたんだな」って思えるようになった。冷静すぎて「自分でやったほうが速い」ということに対しては自分でやってしまうせいだと思うけれど、「宝探し」についての情報を集めようとするところや8話の「魔女の館」を見て、義賊3人のこともユウキ・セイギのことも信頼してたんじゃん、と今更ながらに理解した。
 7話の感想で「ゼロ先生が信頼できるのは標くんだけでは」と思ったのだけれど、実際のところは逆だったのかもしれないと9話を見て思った。多分、私が思う「信頼」のかたちと、ゼロ先生の「信頼」のかたちが違ったんだと思う。
 私の思う「信頼」は、相手に全幅の信頼を寄せることだった。それはある意味で思考の放棄かもしれない。ゼロ先生の「信頼」は違って、その人ができることに対して「できる」と確信すること、その人ができそうもないことは決して望まないこと。ゼロ先生の「信頼」は、相手の負担にはならない程度の重さのように思える。けれど「できる」と思うことは頼む。8話で周囲の人たちに計算を任せたこと、9話で義賊たちに情報収集を手伝ってもらったこと。それは「信頼」の結果の行動だったように思える。過度な期待を寄せるのではなく、その人にできることを「できる」と信じること。それがゼロ先生の「信頼」だ。
 私の考える「信頼」は、「信仰」と言い換えても成立する。もしかしたら、「信仰」のことを「信頼」と呼んでいたのかもしれない。自分が言葉を取り違えていたことに気付けて良かった。

 


・ミツルの登場&次回予告

 で、だ。最後にほんの数分しか出ていないミツル。やばい。
 小山さんが「魔女の館」で出てこなかった時点で村上ではないならもうミツルしかないのでは?と思っていたらやっぱりミツルで、んで思った以上にやばいミツルとして出てくるので正直やばい。やばい以外に言葉が出てこない。ここから先は無理やりひねり出した言葉たちです。
 原作では、鉄球サークルで零をかばって怪我をして植物状態になった人物だ。しかし、ドラマでは車椅子姿での登場となった(脚が長い)。公式サイトの記事などから、ゼロとは「4年前まで大親友だった」ことが明かされている。
 今まで冷静な姿を見せていたゼロが、ミツルの姿を見たとたんに動揺を見せる。一瞬挟まれた回想の場面ではミツルに「俺の前から消えろ!」と言われるゼロの姿が。いやこんなの狂うでしょ。だってこの二人コヤシゲですよ?「二人になってもNEWSやろう」のコヤシゲですよ?夜会で泣いてたコヤシゲですよ?実際のところ大親友でソウルメイトなコヤシゲですよ?
 加藤さん主演ドラマの友情出演でメンバー全員出演が決まって、小山さんを一番最後までとっておいて3人の中で最も主人公との関係が深いキャラクターで出すなんて、日テレなんなの?最高なの?
 しかも公式サイトの次回予告を見ると、ミツルは後藤峰子の弟であり、4年前に行方不明ということになってからは在全グループに匿われており、峰子VSゼロの最終決戦にてゼロが勝てばミツルが死ぬことになる(ただしゼロは知らない)とかいう非道にもほどがある状況が書いてあって、こんなの狂わずにいられない。えっ無理じゃない?最高なんじゃない?早く日曜来て!
 しかも恐ろしいのが、ミツルの登場によってこれまでのゼロの言動や峰子・在全の言動について全然違う印象で見えてきてしまうということ。1話から見返したらしんどさが今までの3割増しいや5割増しくらいになってしまいそう。
 峰子がやたらとゼロを嫌っていたのは、弟の人生を潰した存在だから。そんな奴が在全グループの後継者になるなんて絶対に嫌だから。在全が峰子に「あの男(ゼロ)が怖いか?」とか言っていたのも、在全が峰子とミツルとゼロの関係性を知っていて言っているんだったらあんまりにもひどい台詞だ。ゼロをドリームキングダムに連れてきたのも、在全としては面白そうだったからかもしれないし、峰子としてはゼロに復讐できると思ったからかもしれない。
 そしてゼロの言動。あの正義感も、他者の命を守ろうとする責任感も、ミツルの存在が頭の中にあったから。「魔女の館」で間違った答えを送信してしまい呆然としていたのも、合っていると信じていた答えが間違っていたことにショックを受けたのでもなく間違えてしまったこと自体にショックを受けたのでもなく、自分が選択を誤ったことでミツルを失ったときのような恐怖を再び感じていたのかもしれない。ゼロの耳に聞こえていたのは、「リーダー失格!」という声ではなく「俺の前から消えろ!」と叫ぶミツルの声だったのかもしれない。いやそんなのしんどすぎる。しんどすぎるんですけど。
 しんどすぎるので「零」と「ミツル」=「充/満」という対比とか考えちゃって大変なんですけど。セイギが実は石田さんを助けちゃうくらい正義感のある人物であり、ユウキが実は垣根を外して石田さんを助けちゃうくらい勇気のある人物であることが描かれているので、もしかしたらゼロとミツルの名前にも意味を付与していたりしたら無理なんですけど。どれだけ考えてもミツルがどういった行動をとるのか、何を考えているのか、今の手持ちの情報じゃ全然わからなくて妄想の余地しかなくて困るんですけど!このまま日曜までおあずけなんて!無理!!!!!!!

 


 ていうか最後の数分しか出ていないにもかかわらずミツルに心を持っていかれすぎてやばい。なんでまだ日曜じゃないの!?こういうときこそ日曜もっと早く来るべきでしょ!?いつももっと早く来るくせに!ばか!日曜早く来て!

ドラマのオリジナルキャラに狂わされる8話 #ゼロ一獲千金ゲーム

 今回も最高すぎて困る。こんなに最高なのにあと2話しかないなんて……どうにかして2クールできませんかね……
 8話はテンポもよく、物語としてもよく、とにかくセイギとユウキがいい回だったのでそのあたりを中心にまとめようと思います。

 


・21人の命を背負うゼロ先生

 今回のゲームは「魔女の館」。21人集めないと挑戦できないゲームで、ゼロは最初はこのゲームに挑戦するつもりではなかった。末崎のせいで巻き込まれてしまっただけだ。ゼロがこのゲームに難色を示したのは当然で、21人の中で最も頭の回る者といったら迷うことなくゼロ先生ということになるだろう。「迷宮のトライアングル」では他のチームの柱時計役の人たちの、「ジ・アンカー」ではヒロシ氏とユウキの命を預かることとなり、大変な思いをしていた。それが今度は21人だなんて。
 それでも断ることができないゼロ先生(お人好しにもほどがある)。「何があっても従ってもらう」ということを条件に、21人でゲームに挑むことに。正直どう考えても話し合ってわかる人だけじゃないのに(第2話でリング強奪しようとする人がいたし、そういう人に「従ってくれ」って言っても聴いてくれないかもしれないじゃん……)、「従ってくれ」って言葉に一度でも頷いたらそれを信じちゃうんだろうな……カズヤの言っていた「根っこのところがおめでたい」部分が垣間見えた場面かもしれない。

 

・ゼロ先生の塾講師感

 今回もゼロ先生の塾講師感が爆発している。頭のいい高校生を大人に設定変更するための都合のいい言い訳ではなく、本当においしい設定だなと改めて思う。ちなみに、雑誌の情報によれば大手進学塾らしい。
 他の20人に対して「いいですか、」と言ってルート2の説明をし始めたところなんて特に塾講師!まぁ……私は聞いたところでいまいちわからなかったけれど……
 でもこれが塾だとして、あんまりにも問題児が多すぎる。最初からゼロ先生に従う気があるのはヒロシ氏・チカラ氏・スナオ氏の3人くらいしかいない。セイギとユウキはまだ不安材料だし、背の高い彼率いる語呂合わせチームは反乱を起こすし、あとの人たちはどっちつかずだ。どっちつかずな人たちは声の大きいほうへ流れる。こんなの上手くいくわけがない。学級崩壊必至です。

 

・セイギとユウキ

 で、そんな学級崩壊必至なゼロ先生受け持ちクラス(と話を聞かないモブたちにイライラが止まらない視聴者)を救うカギとなったのがセイギとユウキだ。それぞれがゼロに救われる5話と7話を経て彼らがどうなったのかがよくわかる回となっている。
 ゼロ先生が話す計算の法則について、理解していないせいで反発する語呂合わせ推しのチーム。理解できないものを信用できないのはわかるし、理解できないものを無為に信用してはいけないとも思う。けれど、計算の法則というのは絶対だし、ゼロ先生がそれを間違えるはずがない。しかしそれがわかるのは、私が視聴者としてこれまでの7話ぶんのゼロ先生の活躍を見てきたからだ。今まで特に絡んだこともなく、初めて会った相手に「これが正しいから信じろ」と言われたって、反発を覚えても仕方がない。たとえ信じるという約束だったとしても、実際に信じることができるとは限らない。視聴者として見ているとイライラする部分は大いにあったが、状況を考えると反発する者たちが出てくることは不思議ではない。
 この21人のなかで、ゼロの次に頭が回る者はきっとセイギとユウキだ。更に言えば、彼らは一度ゼロに助けられていて、ゼロの頭脳や性格についてある程度知っている。この場でゼロが有利になるように働きかけることが生存&リングゲットの確率を上げることとイコールであると知っているのだ。
 まず2人は、ゼロが話した計算の法則を全員に理解させるために自分たちで地道な計算をして法則の確からしさを検証してみせた。計算がある程度速く、かつ間違えないと自信があり、さらにゼロが話した法則が正しいと信じているからこそできることだ。計算を終えて全員が法則を信じるようになったところで見せた2人の表情がそれを物語っている。

 

・不正解

 計算を終え、ルート2の9桁目と10桁目が判明し、パネルに答えを入力するゼロ先生。そして不正解を告げる音。ここで動揺するゼロが、その動揺を口には出さないところがすごくいいなと思った。ここまでの過程で不吉な語呂合わせのことや「鏖」のことを黙っていたゼロ先生がまだ理性を保っていることがわかる。けれど、その後ゼロと対立している語呂合わせ推しのチームが次は自分たちが答えると言い張る。呆然としてしまい、何もできないゼロ先生。そりゃあ呆然としちゃうよな、と思う。だってこの直前に「その答えで21人の命を背負う覚悟はあるんですか」と語呂合わせ推しの男に言っているのだから。21人の命を背負う覚悟も責任もあって、それでいて間違えてしまったんだから、ゼロ先生にかかっている負担は相当なものだろう。
 セイギや義賊たちは正解パネルを守ろうとするなかで、ユウキは真顔で「何ぼんやりしてるの?」とゼロに話しかけ、思い切りビンタする。「君が解かなきゃ誰が解くって言うの?」冷静な言葉が、ゼロの心を呼び戻す。
 ここのユウキでめちゃくちゃいいなと思うのが、熱い言葉をぶつけるとかそういうやり方ではないところ。今までのユウキの(何考えてるかわかんないうえにちょっとやなやつ的な)キャラクターを保ったまま、それでもゼロの味方ともとれる行動をしているところがすごくいい。
 7話のユウキは終盤で自分にアンカー問題が回ってきたときに「任せて、解くよ」と言っていた。その問題を間違えればアンカーが台座に刺さってゲームが終わることを見抜いていたゼロ先生と、答えることに集中しようとしていたユウキの、思考の深さの差が浮き彫りになる場面でもあった。きっとこのとき、ユウキは他の誰よりもゼロの頭脳は信用できると踏んだのだろう。今回の問題は誰が答えてもいい、それなら誰よりも正解に近づける確率の高いゼロが答えるのが最も適任だ。冷静に考えて、そうなる。つまりゼロ先生が考えたってそうなるということ。ユウキの冷静な声とビンタは、それをゼロ先生に思い出させた。
 あとこのビンタ、いうても「言葉」とか「突き飛ばす」という手段で回答する権利を得ようとしていた語呂合わせ推しのチームと違ってめちゃくちゃ直接的で物理的なのがすごくいいっていうか……今自分が攻撃していたはずの相手を別の誰かが介入してより強い手段で攻撃したらそっちのほうに気を取られてしまうものだし……このビンタで語呂合わせ推しチームもびっくりするしゼロ先生も正気を取り戻すしいいことしかない。セイギたちと一緒になって回答パネルを守りに行くんじゃなくてビンタするのが頭の良さそうなユウキっていうのが……脚本が上手くできてる……

 

・第二の問題

 第一の問題を解いてゲームクリアと思いきや、まだゲームは続いている。
 この問題の21と24の関係性を他の参加者に示そうとするとき、ゼロ先生が図を書いて見せているのがさっきの「理解できないものは受け入れられない」から学んだのかなとちょっと思った。ゼロ先生なら頭の中で計算したり図を書いたりしただけでさくっとわかりそうなものだし、わざわざ視覚的に示したのはきっとみんなにわかるようにという意図もあるのだろう。
 そして24枚で垣根を築くも、第一の問題で怪我をした石田さんが取り残されていることに気づく。勿論、見捨てることなんてしないのがゼロ先生。「落ちます」の一言を残し、垣根を飛び越えて石田さんを助けにいく。しかし体の大きい石田さん(しかも怪我によって自力で動く力が失われている)をひとりで運ぶのは難しい。そんな場面で、セイギが助けにやってくる。ここ、めちゃくちゃやばいんですよ、わかります?散々偽善だのなんだのって言ってたくせに、ゼロ先生のこと溺れさせて殺しちゃおうとしてたくせに、セイギの実はいい人な部分が前面に出てきちゃってる。
 セイギがゼロへの見方を変えることになるのが5話で、4話から5話にかけて末崎兄弟の「誰がザリガニを殺したか?」という話が出てくる。末崎はセイギが水をいっぱいに入れたせいだと言っていて、セイギは違うと言い張る。ゼロはそこでザリガニは水をいっぱいに入れても溺れ死ぬわけではないという学術的根拠を用いてセイギの仕業であった可能性を否定した。このとき、私はセイギが「自分がザリガニを殺したと疑われていること」についてずっと引っかかっていたのだと思っていたのだけれど、実は「ザリガニを殺してしまったかもしれないこと」についても引っかかっていたのかもしれない。そういう優しさを持っているから、石田さんを助けにいったのだ。
 しかし、2人がかりで石田さんを運べても垣根を飛び越えることはできない。どこか一枚を外さなければというときに、義賊たちは周りの人たちを押さえるので手一杯になっている。そこで垣根を外したのはユウキだった。外した垣根を奪われないように身を呈して守っている。他人の命なんてどうでもいい、って言ってたのに実は全然そんなことないじゃん~~~!!!ユウキの実はいい人な部分も出てしまっている。
 全員垣根の中に入ってなんとかクリアする。立ち上がって喜ぶ参加者たちの中で、ほっとして立てていないユウキの姿。脚本にそうあるのか演出の方の意見なのかユウキ役の小関くんから出てきた案なのか、どれなのかはわからないけれど、この「ほっとしてしまって立てない」っていう描写がマジで最高なのでこれ考えた人には感謝してもしきれない。なんていうか、「迷宮のトライアングル」で標くんを殺そうとしたのが失敗して「あれウソだからね」と言い訳する小心者な感じがプラスの面に出ているというか……そんな感じがして最高……
 セイギもユウキも、それぞれのキャラからブレることなくゼロの味方になっているところがすごくいい。脚本上手いなって……視聴者のことを舐めることなく作ってくれていることが嬉しい……

 

・義賊たちも活躍

 忘れてはならないのが、義賊たち3人もこれまでのゲームを経て成長しているということ。そもそもこの3人はブラックバイト・パワハラ・借金を苦にして自殺しようとしていた。そんな彼らが、「ゼロを信じてください!」と声を上げたり、回答パネルを守ろうとしたりと必死に行動していた。最初からそうやって声を上げて自分の意見を主張したり、自主的に動くことができていたなら、彼らはブラックバイトやパワハラや借金に悩まされることになっていないだろう。ゼロに出会って、更にはゲームを乗り越えることで、彼らは成長したのだ。
 そんな彼らがリングを手にして「初リング記念日ですよ~!」と喜んでいる姿を見ると、なんだか一緒に嬉しくなってくる。人任せにしてただゼロに乗っかっていただけではなくて、彼ら自身が行動したからこそ、リングを手にした喜びも大きいのだろう。

 

 8話はとにかくセイギとユウキがやばかった……!狂わずにいられる?無理でしょこんなの!!!狂ってるうちにまた日曜が来てしまった……これ以上狂いたくないよ~~~!!!でもこの先にはまだ最終兵器小山慶一郎が待っているんだ……ミツル役、一体どうなるんだ~~~!!!楽しみにもほどがある!!!