頼りない夜に灯る、ひとつの光 ―『傘をもたない蟻たちは』感想―

 文庫版『傘をもたない蟻たちは』が発売されました。折に触れては収録作の話をしているように思いますが、一冊まとめて書いた記事はなかったので、改めて読み感じたことをまとめておこうかと思います。例によって主観でしかありません。ただの感想文です。 

 

傘をもたない蟻たちは (角川文庫)

傘をもたない蟻たちは (角川文庫)

 

 

・装丁

 表紙は単行本とは印象ががらりと変わって、写真を使ったものになっている。単行本の傘の中だけ雨が降っている様子も湿っぽくて余白の良さを感じてすごく好きだったのだが、新しい装丁ではなんとなく前向きな未来が見えてくるような印象がある。
 単行本発売当初の帯には「生きづらさを抱えた人々の痛みと希望を描く」と書いてあった。作品を読んでいて、「痛み」はわかるが「希望」はなかなかわかりづらく、何を意図してこの帯の文章がつけられたのだろうと考えていた。そしてひとつの答えとして、どんなに絶望しても登場人物たちが生きていることが希望とつながるのではないか、という考えに至った。この表紙を見て、それはあながち間違ってはいないような気がした。どれだけ土砂降りの雨だったとしても、いつかはきっと止んで、光が差す。

 

・「染色」

 個人的にはこの短編集の中で最も好きな作品。好きなところがたくさんあるので必然的にここだけ文字数が多くなるかもしれないけれどご容赦ください。
 不安定で儚げでどこか危うさのある女性・美優を「理想」「夢」「幻」、堅実的で地に足をつけて生きている女性・杏奈を「現実」を示すものとして用いているところがまず好き。たとえばそれぞれの肉体について、美優「肌は透けそうなほど薄かった。」と描写されているのに対し、杏奈は「太った」ということが繰り返し描写される。美優は肉体にも現実味が伴わないが、杏奈は質量をもっていることを強調されている。この差が、小説を構造的な視点から読み解くときにとても楽しい。美優は主人公の元から離れていき、彼女がもう自分の世界にはいないと痛感した主人公は杏奈に電話をかける。幻が醒めて現実に帰るラストも、とてもいい。
 小説を読むとき、物語を楽しむこともあれば読み解き方を楽しむこともあるが、この「染色」に関しては後者の割合のほうが大きい。知的好奇心が疼くというか、読んでいて脳が楽しくなってくる。私にとってそういった作品は多くはないので、「染色」のことをとても気に入っているという面もある。
 また、この作品は、単純に「美しい」と思う。静かで美しい映画を見ているかのよう。全国ロードショーではなく、都内でも数館でしか上映しないような、そんな映画。
 私は本を読んでもその内容を視覚的に思い浮かべることができないけれど、特にラストの主人公が美優の使っていた部屋を訪れる場面が映像として考えたときに美しくなるように描写されている、ということはわかる。美優の使っていた部屋が鍵もかけずに放置されていることや、電気は通っていなくても窓辺から射し込む月光で部屋の様子が大体把握できるということは、現実的ではない。現実的ではないけれど、とても美しい。実際に月光がどれほど室内を照らせるのかわからないが、少なくともその光景がとても美しいということはわかる。
 フィクション作品において(どんな作品を目指すかにもよるが)、「現実的である」という要素は必須要素ではない。作品によっては、それ以上に優先される要素がある。「染色」の場合は、「視覚的にとらえたときに美しい」ということが優先されているように感じられる。しかも、その美しさはただ美しいわけではなく、主人公の感情が露わにするという役割を担っている。射し込む月光が美しいほど、部屋に何も残されていないことが強調される。さらに月光は、主人公にも何も残されていないことを、それでいて美優と過ごした日々が深く刻み込まれていることを(しかしそれらの記憶は「現実」を生きるには邪魔にさえなりうるということを)照らし出す。
 初めて美優の部屋を訪れた日には朝日の描写が出てくるので、その対比としてもラストの月光は美しい。隅から隅まで美しさで満ちた短編だといえよう。

 

・「Undress」

 『チュベローズで待ってる』より前に週刊SPA!で短期連載された作品。サラリーマンを「脱ぐ」=脱サラに憧れ、理想の脱サラを実現しようとする男性を主人公としている。登場人物が全体的にギラギラしているのが特徴的で、誰もが自分の理想にまっすぐ突き進み、まっすぐすぎるがゆえに誰かを蹴落としたり誰かに蹴落とされたりしている。野心ってそこまで人を突き動かすものなのだろうか。
 「脱ぐ」という言葉は、主人公の中ではポジティブなものとして捉えられていたのに、最終的には「脱落」という言葉につながる。この作品は特にそういった言葉の使い方がとても上手くて、読んだ後にやられたと思わされる。


・「恋愛小説(仮)」

 徹底して主人公の閉じた世界で話が展開しているところがものすごく好き。決して広がっていかない。彼の中で始まり、彼の中で展開し、彼の中で終わる。
 なんていうか、他者の助けなんかなくても人間ってどうにかなるものなんだな、という気がしてくる。物理的には主人公は火事から助け出されているけれど、精神的にはひとりで問題に出会い、悩み、解決している。私にだってそういうことはあるし、世の中には表に現れずにひっそり解決されていった問題がたくさんあるのかもしれない。そう考えると、人間って強かだなぁ、と思う。
 久米島ユキエが叶えられなかった望みを叶えているつもりで人形遊びをしているだけだと気付くところが、誰が何を言ったわけでもないのに自分自身の考えで振り回されている感じがして、人間らしさってそういうことなのかもしれないなと思った。人の考え方を変えるのは、外から与えられた刺激だけではない。内側に持っている「思考」にも左右される。人間が考える葦であるなら、この「思考」は人間らしさのひとつなのかもしれない。

 

・「イガヌの雨」

 この作品の主人公や周りの人々の、本人は気付いていないエゴの部分がとても好きだ。とても人間らしくて、近未来の世界を舞台としたSFでありながらとてもリアルなものとして感じられる。
 祖父から厳しく禁止されていながらイガヌを食べてしまった主人公も、周囲にイガヌを食べることを禁止していた祖父も、隠れてイガヌを食べていた主人公の両親たちも、みんなみんな自分勝手。更に、祖父の葬式の精進落としにイガヌを食べる両親たちを糾弾する主人公も、またもや自分勝手。優しい人なら祖父の思いを知った彼女が考えを改めたと思うのかもしれないけれど、私にはその考えを改めるという行為も自分勝手なものに思える。でも、そんな自分勝手な人々だからこそ、リアルだと感じる。私もまた、そんな身勝手さを抱えて生きているからだ。私だけではなく、ほとんどの人々がそうだと思う。
 祖父の禁止していたイガヌを、祖父の生前には隠れて食べていたという主人公の両親たち。見方によっては、彼らは祖父の思いを汲んでイガヌを食べない姿を演じていたのだから、それもある種の優しさに思える。「優しい嘘」なんて言葉もあるくらいだから、こういったことは往々にしてあることなのだろう。そういうところにリアルを感じる。
 ちなみに、NEWSがさまざまな実験をする番組「変ラボ」でゲテモノを食べる企画をこなしていた加藤さんの食への興味関心が現れた作品でもある。


・「インターセプト

 とある男性が女性を口説き落とすというひとつの出来事を、男女それぞれの側面から描いた作品。「Undress」もそうだったが、「世にも奇妙な物語」で実写化されそうな雰囲気がある。
 後半(女性視点)の主人公である安未果は、テレビでたまたま見たアメフトの試合の観戦席に映っていた男性に一目惚れしてしまうという、ある種の狂気的な恋愛感情からアクティブすぎるほどアクティブに行動を起こし、度を超した「痛さ」で邁進していく。しかし、「テレビでたまたま見た人に対して強烈な執着を抱く」という点では、アイドルのファンと大した差異はないのではないかという気がしてくる。ゴミを漁ることはしなくとも、過去を知りたくて雑誌やDVDなどを集めたりする。ストーカー行為に発展しているか否か、相手が芸能人か一般人かという決定的な違いはあれど、抽象的に捉えれば安未果と私に大きな違いはない。何かのファンであることは狂気的な感情を伴っていることを忘れないでいたいな、と思った。


・「かみさまのいうとおり」

 文庫版のみ収録。テンポがよくて読みやすくて好きだったので、文庫版に収録されてよかった。
 移人称というスタイルで書かれている短編。ひとくちに移人称といっても様々なスタイルがあり、一人称と三人称の間を行き来するような作品もあるが、この作品では一人称内の移動という意味で使われている。地の文の「俺」が差す人物が、くるくると入れ替わるのだ。二人の「俺」が登場し、地の文では彼らが交互に喋っているようなかたちになっている。
 時代性を表すためにプレステ2や映画が持ち出されていて、自分が作品と同時代を生きていることを思わされる。最近読んでいる本が90年代の作品が多く、携帯電話が普及していない時代の恋人たちが描かれていたりしてカルチャーショックを受けたけれど、時代性を色濃く出そうとすると必然的にそうなるよなぁと思った。
 不勉強で筒井康隆作品は「時をかける少女」しか読んでいないので、『旅のラゴス』『残像に口紅を』あたりを読んでみたい。


・「にべもなく、よるべもなく」
 『傘をもたない蟻たちは』において、最もページ数が多い作品。単行本発売当時はこの作品だけが書き下ろしだった。
 思春期の少年たちの不安定な心を描いている作品。青春の手前というか、これが青春だと振り切ることができる前の鬱屈とした時期の精神状態、それを指して思春期と呼ぶのかもな、と思った。
 仲が良く、親友と呼べる間柄だったはずの友達が、一歩先に大人になってしまう。取り残される不安。自分にとっては唯一無二の大切な相手が、自分をそうは思っていなかったかもしれない恐怖。思春期の少年の焦りが、胸に迫る。その焦りはかつて私が見落としてきたものであり、私が経験してきたものでもある。
 心の中の順位の話だ。主人公・純にとっては、男性は恋愛の対象ではないので男性のなかでは「友達」の頂点に当たる「親友」が最高位で、ケイスケはそこにいる。ケイスケにとっても自分は最高位にいるはずだと思っていたのに、彼の恋愛対象が男性であるのならば、自分のいるところは最高位ではなくなる。あくまで恋愛を友情の上におくと仮定した場合だけれど、純の心の中ではそんなふうに思っていたのではないかと思う。全く同じ感情を抱いたことがあるわけではないけれど、友達に彼氏がいると知ったときの寂しさは自分が相手の心の中の最上位にはいないということに気付いたことによるものだったようにも思える。
 純は、ケイスケという他者を受容したい、受容しなければならない、という思いから自分を制御できなくなっていく。大事なものを守ろうとして、周りも自分も傷つけてしまう。他者を受け入れるなんて、決して簡単なことではない。そもそも、できることではないのかもしれない。できるのは、私が私であり、あなたがあなたであると、違ういきものであるということを、ただそのことを受け入れるということだけなのかもしれない。
 自分と同じではないものに、不寛容な人は多い。あなたと私は違うと、当たり前のことをまるでひどい悪のように言い、拒絶する人がいる。拒絶して、その結果誰も傷つけないなんてことはきっとない。私も知らない内に誰かを傷つけているのだろう。違うものであるということに、もっと寛容になっていけたらなと思った。

 

 

 以前書いた記事(あなたの味方かもしれない彼の話 ―小説家・加藤シゲアキ作品のススメ― - 来世はペンギンになりたい)では、『傘をもたない蟻たちは』の登場人物たちはみんな自分が一番可愛い、ということを書いた。自分が一番可愛いということは、自分のことを大切にしているということでもある。一番可愛がっているんだから、大切にしているのは自明と言っていいと思っている。自分を大切にしているから、自分がよりよく生きることができる道を模索して、迷って、見失って、右往左往している。雨に打たれ、列の乱れた蟻のように。
 選択肢がいくつかあれば、その中で自分が気持ちよくいられるものを選びたい。自分勝手な考えのように見えるけれど、困ったことばかりでもない。最近よく目にする「自分の機嫌は自分で取る」という言葉も、いくつかある選択肢の中から自分が気持ちよくいられるものを選んでいるということなのではないかと思う。
 自分勝手、というと言葉は悪いかもしれないが、誰かを糾弾する前に自分が身勝手であることに気付いていたい。誰かを押しのけてまで前に行きたくはないけれど、だからといって押しのけられてやる義理もない。今のところはそんなふうに思っている。

 

 文庫版の帯は「思い通りにいかなくても生きていかなきゃいけない。」という部分が強調されている。悩んでも、迷っても、苦しくても、悔しくても、生きていかなければならない。この作品に出てくる人々は、どうしようもない気持ちを抱えながらも生きている*1。人生ってそういうものだろと思っても、頭ではわかっていても納得がいかないこともある。そんなとき、この本のことを思い浮かべたら、少しは希望が見えてくるのかもしれない。
 文庫版で新たに加えられたあとがきの最後の一文は、ドラマ「傘をもたない蟻たちは」主題歌の「ヒカリノシズク」から引用するかたちになっている。ちょうど、今の心境とも重なって、あとがきの最後を読んで少し泣いてしまった。
 私にとっては加藤さんが、そしてNEWSが、頼りない夜に灯るひとつの光だ。仕事がつらくて、でも誰も私がつらいことに気付かないからきっとまだまだつらくないんだと思い込もうとしていたときのことを思い出す。そんなとき、QUARTETTOツアーで「ヒカリノシズク」を聴いて、私がつらいと感じているということに頷いてもらえた気がした。私のつらさは私にしかわからないのだから、周りのことは関係なく、私がつらいと思ったらそれは「つらい」でいいのだと、つらいと思っていることを認めてもらえた(あるいは認めることを自分に許せた)気がした。あのときのことを、思い出す。
 つらくてどうしようもなくても、明日は来る。いいことか悪いことかはわからないけれど、事実として来る。それでも、越えるのがつらい夜もある。そんなときに、NEWSはいつでも私の「ひとつの光」でいてくれる。余談だけれど、そんなふうに思ったりした。

 


 ちなみに加藤さんの最新作「ミアキス・シンフォニー」は雑誌an・anで不定期連載中です!

*1:作中で亡くなる人々もいるが、ほとんどは「生きづらさ」を抱えながらもそれと向き合っていた人々のように思える

NEWSのサッカー曲が超いいので紹介する

 NEWSには、他ではあまり見ない曲の括りがある。そう、ブラ曲サッカー曲のことです。前者はブラのCMに起用されていた曲たちで、後者はサッカーのテーマソングとして起用されていた曲たちのこと。ブラ曲はとりあえずおいといて、ワールドカップも始まるということで、サッカー曲を紹介させてほしい。

 

 ちなみに今年のワールドカップで流れているのは「BLUE」という曲です!6月27日発売です!

 

 

WORLD QUEST

 2012年FIFAクラブワールドカップテーマソング。記念すべき最初のサッカー曲。
 スタープレイヤーではなく普通の、しかし諦めることなくサッカーに熱意を注ぐ「僕」を主人公とした歌詞になっている。心が折れかける日々があったことも描き、サビでは「あの日泣いた自分にけりつけろ」と自身を鼓舞するように歌う。
 等身大で飾らない歌詞は、4人体制での活動をスタートしたばかりだったNEWSともリンクしているように感じられる。サッカーだけでなくどんな分野においても、活躍する人よりも目立たない人のほうが多い。そんな目立たない状態で続けていくことに何の意味があるのだろう。でもきっと、何か意味はある。己が信じる勝利を手にしようともがくことに、きっと意味はある。いつか何かにつながるかもしれない。そんなふうに、シンプルに励まされる。
 アルバム『NEWS』収録。「ONE -for the win-」初回盤Bには「WORLD QUEST [R-midwest Remix]」も収録。

 


・SEVEN COLORS

 2013年FIFAクラブワールドカップテーマソング。歌詞に出てくる七色とは黒・白・黄・緑・赤・青・橙で、出場したチームのユニフォームの色を表している。
 前作「WORLD QUEST」はサッカーの大会というよりもプレイする個に寄り添ったミクロな視点で描いていたが、「SEVEN COLORS」はそれぞれのチームの色を歌詞に採用したりと思いきり大会に寄り添った歌詞になっている。眩しくて前向きで華々しくありながら、歌詞に「あの日泣いた自分にけりつけろ」と出てくるところがずるい。
 曲調も明るく華やかで、ウォウウォウしている声もいっぱい入っていて賑やかで、聴いていて単純に元気が出る曲。手越さんの突き抜けるような歌声があまりにパワフルで気持ちがいい。高く済んだ青空が見えてきそうな歌声のおかげで自然と猫背が伸びそうな気がしてくる。
 「White」ツアーでは本編ラストに組み込まれていて、「White」のセトリの鮮やかさを知ってこの曲を聴くとさらにテンションブチ上げなので未見の方はDVD/Blu-rayで是非!
 アルバム『White』収録。

 


・ONE -for the win-

 2014年FIFAワールドカップ日テレ系テーマソング。ブラジル開催の大会だっただけにイントロからなんかブラジルっぽい。
 歌詞にワールドカップ出場国の名前がすべて入っている。サビに入りきらなかった国名は増田さんのめちゃくちゃかっこいいラップで補完。たぶん増田さんは世界で一番かっこよく国名を羅列する男だと思う。ていうか国名をあんなにかっこよく羅列できる人いる?って聴くたびにびっくりする。個人的には「ウルグアイ」の発音が最高。
 歌いだしの「世界のどこか太陽が目覚ますころ 天を仰いだ悲しみは眠りにつく」が日本とブラジルの昼夜が逆転する時差感を出しているところが好き。ここを聴くだけでなんとなくブラジル開催だったなと思い出すのに、サビで思い切り「Viva la vida! Brazil」って歌っちゃうところもいい。わかりやすいに越したことはない。
 初めから終わりまでほとんど隙間なく人の声(NEWSだけじゃなくコーラスの声も含めて)が入りまくっていてとにかく賑やか。間奏らしい間奏はなく、国名ラップの後は畳み掛けるようにサビがくるし、NEWSが声を伸ばしているあいだはコーラスの声が入っている。とにかく盛り上がり続ける感じも4年に1度のワールドカップというお祭り感を思わせる。きっとそういうことも計算して作られているんだろう。
 ワールドカップだと各テレビ局がそれぞれにテーマソングを掲げるが、「ONE -for the win-」はアイドルだからこそ歌える楽曲という色が強い気がする。国名の羅列なんて単純に考えたらダサいけれど(最初に「出場国名全部入ってます!」って聞いたときはびっくりしたけど)、アイドルの彼らはそれをかっこよくやれちゃう。そんなアイドルならではの楽曲。
 アルバム『White』収録。

 


・ANTHEM

 2015年・2016年FIFAクラブワールドカップテーマソング。一緒にウォウウォウできる曲。
 「ANTHEM」はプレイする個に寄せるでも大会に寄せるでもなく、サッカーそのものに寄せたような楽曲。汎用性の高さからか2年連続で起用されていた。サビ後のウォウウォウするところは誰が聴いてもわかりやすく、そして歌いやすい。タイトルが「ANTHEM」であるところからもそれが狙いなんだろうなと思うけれど大成功である。優勝したチームがトロフィーを受け取ったところでこの曲が流れてウォウウォウするところでめちゃくちゃ盛り上がっていた場面があったが、言葉じゃないからこそ伝わる熱気や歓喜みたいなものってあるんだなと実感する。
 賑やかではあるが、オケの「引き」がすごく活かされている。イントロは声だけとか、ラップの後にオケが静かになって手越さんの声が前面に出てくるところとか、終わり方の「引き」だとか、スタイリッシュでかっこいい。
 コンサートではファンも一緒に歌える曲で非常に盛り上がる。盛り上がっている様子はDVD/Blu-ray「QUARTETTO」でご覧ください。
 アルバム『QUARTETTO』収録。

 


・KINGDOM

 2017年FIFAクラブワールドカップテーマソング。建国した。
 今までのサッカー曲の集大成ともいえる、それまでの曲の歌詞やタイトルを織り込んだ歌詞が特徴的。「SEVEN COLORS」と書いて「ナナイロノマホウ」と読む。最高。過去のサッカー曲を踏まえつつも、これといってサッカー感を出しまくる歌詞ではないところもバランスがいい。今までの楽曲は「パス」「チームメイト」「ゴール」といったワードが散りばめられていたが、今回はない。それっぽいといえば「人生」と書いて「ゲーム」と読ませるあたりしかない。目指すものに辿りつくために前に進んでいく、未来に向かっていく力を歌った楽曲になっている。
 Aメロのシンプルなピアノの音色が心を揺さぶる。「SEVEN COLORS」「ONE -for the win-」は盛り上がり重視の楽曲だったし「ANTHEM」もどちらかというとそうだったが、「KINGDOM」は割と静かに燃える感じというか「WORLD QUEST」に近い感じになっていて(どちらもピアノが印象的ということもあるのかも)、歌詞は集大成でありアレンジは原点回帰感があってとにかく超いい。
 それと歌が上手い。アレンジがシンプルなので4人の声がしっかりしていないと曲の安定感が失われてしまうが、そんな心配はいらないくらいに上手い。手越さんの縦横無尽な歌声は勿論のこと、3人の歌声もすごくいい。
 アルバム『EPCOTIA』収録。

 


・BLUE

 2018年FIFAワールドカップ日テレ系テーマソング。6月27日発売です!
 4年前の「ONE -for the win-」は国名をたくさん盛り込んであったりとワールドカップ自体を盛り上げるような楽曲だったが、今回は「ニッポン」という歌詞が出てくるし日本代表のユニフォームの色である青をタイトルにもしているし、というド直球な日本代表の応援歌。
 サッカーではおなじみの「アイーダ」から始まる疾走感溢れる楽曲で、サビ前から入ってくる和楽器(琴かな)の音色は軽やかに踊っているみたいだし、NEWSの歌声と合わさりながら駆け抜けていく感じが超かっこいい。爽やかで力強くて、聴いているとすごくテンションが上がる一曲になっている。きっと今年のワールドカップでいっぱい聴けるはず!いっぱい見なくちゃ!CDは6月27日発売です!ジャケットもかっこいいよ!

 

 

BLUE(通常盤)

BLUE(通常盤)

 

 

 

 6曲のサッカー楽曲を紹介したけれど、どれもタイプが全然違う。歌詞を寄せる対象を変えたり、曲調を変えたり、さまざまに趣向を凝らしている。共通しているのは、どれも力強く、聴き手がまっすぐ前を見据えられるような、そんな力のある楽曲ということだ。

 私はサッカーについてちゃんと知っているわけではないけれど(漫画「ホイッスル!」をうっすら読んでいた程度の知識しかない)、それでもNEWSの曲がかかると思うと見ちゃうし、見てたらなんだか楽しくもなってくる。応援しているほうが勝ったら嬉しいし負けたら悔しいし、なんかすごいシュートが決まったらうおー!って思う。ワールドカップとクラブワールドカップって何が違うんだ?4年に1回なのでは?くらいの知識だったのに、好きなアイドルを追っていたらこんなふうにサッカーを見る日も来るんだなぁと感慨深い今日この頃。
 はちゃめちゃにかっこいい新曲「BLUE」は6月27日発売です!

 

踵の高い靴を履く

 普段はぺたんこのスニーカーしか履かないけれど、ここ数日は踵の高い靴を履いている。かわいいので履きたいのだけれど、足が痛くなるし上手く歩けないので、滅多に履かない靴。でも、これを履かなければ背筋が伸びないと思った。背筋を伸ばして、胸を張って、前を見て歩きたいのに。でも、私はどこか遠くを見るばかりで、ちゃんと前を向けなかった。慣れない靴を不安がり、足元ばかり見て歩いていた。

 感受性のかたまりみたいな私が、ここ数日は笑ったり泣いたり怒ったりすることができなかった。じゃあ呆れたり失望したりしたのかというと、そういうことでもない。ただただ心が凪いでいた。凪いだ広い海にただひとつ浮かんだ筏のように、行き場のない「好き」という気持ちだけがぽつんと取り残されていた。目的地を見失い、漂流する筏のようなその気持ちを、私は完全に持て余してしまっていた。行き先を示してやりたいのに、行き先を示すこと自体が間違いなのではないかと思って悩んだ。悲しんだり怒ったり呆れたりすれば、心に感情の風が吹き、筏の行き先を示してくれるはずだ。そうであればどれほどよかったか。でもそうはならなかった。言葉にできるならしたかった。でも、言葉で説明できる気持ちも私のなかにはなかった。ただ、「好き」としか思えなかった。だけどもだからも何もなく、ただ「好き」。私はもっと私の「好き」は理性的なもので、あるいは感情的だとしても説明のつくものだと思っていて、こんなにも説明のつかない気持ちが心にぽつんと置いてきぼりになったことはなかったので、非常に困った。凪いだ心に「好き」を漂わせたまま、数日を過ごしていた。
 そうやってまた、私は私の問題にしてしまう。何があったとかなかったとかそういうことすらもうどうでもよくて、これはただ私が私と向き合わなければならない、そうしないと解決しない問題だった。
 私は、この説明のつかない「好き」が怖かった。「好き」という気持ちがそこにあるだけで、他のどんな判断基準も役に立たなくなってしまう気がした。客観性を失い、昨日と今日あるいは今日と明日との時間的な連続からも離脱しているような、そんな「好き」を心のうちに宿していることが怖かった。そんな強力な気持ちをいつまでも持ち続けることなんてこの先できないんじゃないか、どこかで破綻するんじゃないか、と怯えていた。
 そう、過去形。
 なんか別にいいじゃんそれで、と思った。「好き」という気持ちだって、かたちを変えることはある。かつては説明のつくものだったかもしれない。それが今は違うかたちになった、ただそれだけのことだ。いつかまた説明のつくものに戻るかもしれないし、このままかもしれない。でもとにかく今はこういうかたちなんだからそれでいいじゃん、と思うことにした。
 だって好きなんだもん。他の誰かが好きだから悲しみ、好きだから怒り、好きだから呆れたように、私も彼らのことが好きだ。心が凪いでしまうくらいに、感情を生み出す器官の調子が悪くなってしまうくらいに、好き。彼らの顔を見て、ただただ「好き」と思った。それ以外の気持ちが何もない。それでいいじゃんもう。だって好きなんだもん。
 今日、彼らを好きな人たちと会って、彼らの好きなところをたくさん話した。同じ話を何回もして笑った。好きとしか思えなくたっていいんだ、と思った。それ以外の気持ちを抱くべきだと決めつけていたのは他でもない私で、私を苦しめていたのは私自身だった。他の誰でもなく、私だ。ということに安心した。よかった、他の誰かに傷つけられたんじゃなくて。私が私を勝手に傷つけていただけでよかった。相手が私なら対処法はいくらでもある。
 だから、まだ微風しか吹かなくてほとんど凪の状態の心だとしても、もう怖くない。凪から回復して、それでも筏の行き先が見つからなくても、それさえも怖くない。これもまた説明のつかない気持ちだが、大丈夫だと思える。そんな気持ちも自分のものだと、自分の一部なのだと、ちゃんと愛していける。説明はつかないが、確信している。少なくとも今この瞬間は。
 明日もまた踵の高い靴を履こう。背筋を伸ばして、胸を張って、前を見て歩こう。明日はきっとできる。今日よりもこの靴を履きこなせる。根拠はないけれど、そんな気がしている。

今この瞬間の幸せは、永遠 ―EPCOTIA宇宙旅行記―

 今年もツアー感想を書きました。相変わらず主観のみの感想文です。

 

00.OPENING

 セーフティガイドに続いて、4人がエプコティアライナーを発射させる映像。セーフティガイドが画面のなかを極力シンプルで想像力で見せるタイプなのに対して、なんらかの操作スイッチやレバーのあるコクピットがめちゃくちゃに作り込まれた映像。これから宇宙旅行へ行くんだ、という気分がめちゃくちゃ高まる。
 上のほうの席で見たとき、発射のカウントダウンに合わせて制御されたペンライトが光るのがすごくきれいだった。カウントがゼロになってエプコティアライナーが発射したあと、照明が消えて真っ暗な空間にセンターステージがきらきらと瞬いていて、宇宙に星が瞬くようで、宇宙に飛び出したんだ、と思わせてくれる。正直ここまででもう元は取れる。

 

01.EPCOTIA

 最初はNEWSがどこにいるのかわからなかったけれど、まさか上から吊られているとは。宇宙空間にいる、無重力であることの表現。エプコティアライナーは宇宙に飛び立って、私たちはいま宇宙にいるんだ、とNEWSがその身をもって教えてくれる。しかも加藤さんが完全に逆さまになっていて、その状態でもめちゃくちゃ声が出ていてすごいなと思った。頭の悪い感想しか出てこないけど、単純にすごいと思った。
 NEWSの下にはエプコティアライナー。どうなっているんだろうと思ったら、パーツごとに分かれていて間奏部分で中からJrが出てきてそれぞれのパーツを持っていた。Jrの衣装もエプコティアライナーの整備士とかかな?と思うようなものになっていてすごく可愛かった。曲の最後にはパーツの裏を向けて並べると「EPCOTIA」の文字が。
 NEWSの衣装は「銀河鉄道999」の車掌さんのような襟の高いコートで、小山さんの似合い具合が半端じゃなかった。小山さんの長身とあのコート、合いすぎ。

 

02.KINGDOM

 コートを脱ぐと、今度は赤い衣装。ほぼ赤一色とちょっと黒という色合いでスポーティな感じでとてもシンプルに見えたけれど、きらきらしているので地味ではない。
 グッズのコンパスとこの赤い衣装で10周年を思い出してしまって、なんだかもう胸がいっぱいになってしまった。あのときと同様に赤い衣装とはいえ似ているのは色合いくらいなのだけれど、己の視覚的記憶がしょぼいせいで「赤い衣装」というだけで涙が出てしまう。10周年のときは一曲目が「WORLD QUEST」で、NEWSのサッカー曲が「WORLD QUEST」から始まったことを今までのサッカー曲の歌詞が散りばめられている歌詞に想いながら、NEWSがここまで頑張ってきたことを感じたらなんかもう泣くしかなかった。
 「KINGDOM」の4人横並びで肩に手を置く振り付けも泣いちゃう。「チャンカパーナ」にもあり、その後も様々な曲に取り入れられていて、4人のNEWSを象徴する振り付けだと勝手に思っているので、ぐっときてしまっても仕方がないよね。

 

03.TWINKLE STAR

 赤い衣装のスポーティな感じが「KINGDOM」に合っているとしたら、きらきらした眩しいところはこの「TWINKLE STAR」のためのきらきらなんじゃないかと思う。
 もっと切ない曲だと思っていたけれど、手越さんがにこにこして歌うのでつられてにこにこしてしまう。最初に入った回は手越さん側で、手越さんがサビ終わりの「TWINKLE STAR」であまりにもにこにこしながらかわいく踊るので、すごくかわいい振り付けなんだなぁと思っていた。が、加藤さん側で入ったらめちゃくちゃかっこよく踊っていてびっくりした。
 間奏でひとりずつ踊るところ、それぞれのメンバーカラーの照明で照らされるのがすごくいいなと思った。

 

04.紅く燃ゆる太陽

 数ある「星」が出てくる曲のなかから「太陽」を選んできたか~!と思ってびっくりした。赤い衣装とも合っていたし、ステージの照明が一斉に赤くなるのもすごくよかったし、踊っているのもよかった。前回披露されたときは踊っていなかったはず。
 台詞のところは新しく録音し直して、全員で順番に言っているのかな?あんまりちゃんとわからなかったのでRepresent NEWS mixお願いします。

 

05.LIVE

 バンジーみたいにびょんびょん飛んで歌うNEWS。小山さんが「怖いよ~!」と言いながらもちゃんと飛んだり逆さまになったりしていて好き~!加藤さんは途中でぐるぐる回ったりもしていた。加藤さん、三半規管どうなってるんだろう……。
 照明がNEWSの4色になっていたのも良かった。照明が効果的に使われる場面が多くて、特にNEWSの4色を多用しているのを見ているとなんだか嬉しくなってしまう。
 加藤さんが「抱きしめてもいい?」でエアハグしまくっていたのが超超超かわいかった。加藤さんしか見てないみたいな感想になっちゃったけどだいたい加藤さんしか見えてません。
 昔、NEWSの曲を聴き始めたとき、「彼氏いない歴は一年超えました」の歌詞を見てNEWSが対象としている層はそういう人なのか……彼氏いない歴=年齢はお呼びじゃないのか……と思ったけどNEWSが彼氏だったんだねってファンになってわかりました。

 

XX.異星人パート

 「Let's go to the planet」が流れて出てくるタコみたいな異星人コタ、ハリセンボンみたいな異星人ボンセン、イカみたいな異星人カイの三人組。最初は戸惑ったけれど、繰り返し見ていると可愛く見えてくる。Eテレのごとき可愛さ。

 

06.LPS
07.NYARO

 異星人たちと歌っていたら鏡のような衣装のNEWSがフロートでスタンバっていた。フロートが4台並んでいたので2台ずつに分かれるのかなと思ったら4台固まって動いてて、これが私の好きなNEWSです!!!という気持ち。

 

08.恋する惑星

 振りがかわいい。鏡のような衣装のきらきら感と曲の持つポップな雰囲気がすごく合っている。小山さんの「機嫌を直してちょうだい」が可愛すぎて毎回脳が溶ける。 
 「一緒に踊ってね!」とNEWSが言う曲で、静岡ではMCで振り付け講座があった。手でハートを作って揺れているファンを見て増田さんが「かわいい」って言っていたのにどきどきしてしまった。小山さんや手越さんはファンに「かわいい」って言う印象があるけれど、増田さんはあんまりないからいつもどきっとしてしまう。思ったより言っているような気もするのに、増田さんの「かわいい」を聞くたびに狂う。

 

09.銀座ラプソディ(小山さんソロ)

 4人のソロのなかでは一番聴きこんでいたので、どんな演出かとても気になっていた。私が初めて見たNEWSのコンサート映像が「DIAMOND」だったこともあって、勝手な思い入れをいくらか乗せて楽しみにしていた。振り付けはあのままなのだろうかとか、あのままだとしたら指輪のところは、とか。
 想像していたよりもずっとセクシーだった。途中で挟まれる比喩でもほのめかしでもなんでもない映像も、個人的には嫌いではなかった(たぶん、いま私のなかで恋愛ブームがきているからこういうのも恥ずかしくなくなった、というところが非常に大きい)。
 で、映像が終わったところの小山さんがすごくて。まるで鳥籠のなかにいるみたいな演出が、この曲の「あなた」に囚われてしまっている「私」のようで、ぞっとするほど奇麗だった。
 ロメオや銀座ラプソディを音源としてこの世に出してくれただけでなく、新たな解釈を加えて見せてくれたことに感謝しかない。ありがとう、小山さん。

 

10.Sweet Martini

 少プレへのリクエストの多さからNEWSが需要に気付いてくれた曲。銀座ラプソディを引きずったまま、セクシーにシャツをはだけた姿で歌う小山さんがやばい。と思っていたら全員やばい。
 途中で小山さんが全員にコップを配り、バーでお酒を飲むみたいなオシャレな演出もあり、これが見たかったんだよ~!と心の中で快哉を叫んでいたら、加藤さんがカウンターに背を預けて座りながら歌い始めてもう駄目。優勝は加藤さんです。角度によっては加藤さんがいなくなってしまうのだけれど、いなくなってしまったとしてもあの演出を入れてくれたことのほうが私は嬉しい。

 

11.madoromi

 もしかしたらアイドルがアイドルでいる時間は「幻」かもしれない、だからこそ醒めてしまうまでの時間を大切にしていたい、なんて思って毎回号泣してしまった曲。これについては別記事でめちゃくちゃ語っているので、そちらをご覧ください。

また会えるまで忘れないで ー「madoromi」解釈・感想ー - 来世はペンギンになりたい

 

XX.ワープ中

 機長のご挨拶。確かここだったと思っているけれど、毎度号泣していたのであまりよく覚えていない……。

 

12.チャンカパーナ

 号泣しているあいだに上がるイントロが来るので情緒不安定になる。苦笑
 定番の曲でありながら、自撮りカメラを使った演出で新たな楽しみ方が生まれていて、一体どこでこんなアイディアが出てくるんだろう。

 

13.JUMP AROUND

 NEWSらしさが光る歌割り。少プレで見たときから楽しみで、アルバムでフルを聴いてまた楽しみになって、コンサートでのパフォーマンスを心待ちにしていた。だから小山さんの低音を活かせる曲って最高だって言ったじゃん、と騒ぎたくなるくらい良かった。特に最後の「今夜は離さない」の小山さんのびりびりするほどの低音がすごく良かった。

 

14.BLACKHOLE

 楽曲だけ聴いていたときはそんなにしっくりきていなかったけれど、ダンスが格好よくて圧倒された。
 加藤さんの「1,2,3」があんまりにも最高、端的に言って優勝。今回のコンサートは加藤さんのそういう見せ場的なものが今までよりも多かった気がして、映像として発売されたらきっといい感じに抜かれているはずだと楽しみにしている。

 

15.Thunder(増田さんソロ)

 音源の状態では、怖くて数回しか聴けなかった。「怒り」のエネルギーってすごくて、心をもっていかれてしまうからどうしても苦手だった。私は影響を受けやすい人間なので、なるべくそういった曲を聴かないようにと普段から気をつけている。それがまさか、増田さんのソロ曲だなんて。どうしよう、と思ったけれどやっぱり怖くて聴けなかった。その怒りは私の怒りではないし、私に向いている(少なくとも私個人だけに向いている)怒りでもない。頭ではそう思っていても、心が勝手に引きずられてしまうから。
 けれど、コンサートで聴いて、私が想像するほどの怖さではなかった、と思った。怖いことは確かだけれど、きっと増田さんも怖いのだと、私には思えた。何かを言うこと、何かを伝えようとすること、それってきっととても怖いことだと思う。言葉や表現の選択を間違えてしまうかもしれないし、上手く伝わらなくて誤解されてしまうかもしれない。でも、その恐怖を超えるほどに伝えたいことがあったのだ、きっと。だったら私はそれを受け取りたい。少なくとも、受け取る気のある人間でいたい。
 着飾るでもなく、踊るでもなく、剥き出しの自分に限りなく近い状態で歌う増田さん。言葉以上の何かが伝わってきて、二度目以降は泣いてしまっていた。全身全霊で、全力で歌っているのだから、届いてほしいと思った。そんな丁寧な言葉じゃなかったかもしれない。届けよと、そう思った。

 

16.氷温(加藤さんソロ)

 これも別記事に書いたのでそちらをご覧ください。

僕のなかの僕と僕 ーコンサート演出「氷温」感想・考察ー - 来世はペンギンになりたい

 

XX.ドッキングシークエンス

 SFが好きな人間としては、推しているアイドルが「ドッキングシークエンスに移行します」「アクセスコードが受理されました」と言ってくれるの、最高。

 

17.AVALON

 幻想的な桜ソング。ぶわーっと降ってくる桜の花びらが本当に奇麗。4人それぞれに個性がでていて、桜が舞うなかでくるくる回る増田さんは春の化身だった。春の喜びもきらめきも切なさも儚さも全部詰め込んだみたいに見えた。「Thunder」であれだけ生身の人間であることを認識したはずなのに、やっぱり増田さんは存在がSFというか、どこかスピリチュアルな存在なんじゃないかと思ってしまう。
 加藤さんが最後に桜をふっと吹いて舞い上がらせるのが最高だって話はみんなしているけどやっぱりします。最高。

 

18.IT'S YOU

 できればフルでほしかった……!サビの三声のハモりはどうなるのだろうかと思っていたけれど、残る一人が踊るスタイルになるとは。増田さんと手越さんのダンスの違いがよくわかるのも面白かった。そこまで身長には差がないはずなのに、踊りの大きさが全然違った。増田さんの神事みたいな体の動きも、手越さんの「ここ」というところにハマっている動きも、どちらも好きで選べません。

 

19.星に願いを

 しっとりとした曲のはずが、NEWSの可愛さがあふれる一曲に。あの回転するステージで4人でぎゅっと肩を寄せ合っている様子を見ると、私の好きなNEWSだなぁと思う。

 

20.プラトニック(手越さんソロ)

 地方公演ではどこから出てくるかわからないガチャ的な演出だったけれど、埼玉ではセンターステージで歌っていた。
 ただただ手越さんの歌が上手くて、シンプルに圧倒される。手越さんの声が何層にも重なっている曲だからどこを歌うのだろうと思っていたけれど、なるほどそこね、と思っていたら最後で高音部分になって、あれがファルセットじゃなく出る手越さんの声ってすごい。歌がうまい人を目の前にすると「歌がうまい」以外の感想が出てこなくなるけど、まさにそれ。

 

XX.異星人パート
XX.異星人とのコンタクトについて

 宇宙船に乗り込んでエプコティアライナーを追いかけたい異星人たち。かわいい。
 「異星人を発見された際には、お手元のペンライトを点灯させてください」というペンライトでのお遊びもあり。毎年何かしらあるけれど、制御機能がついているペンライトでこうやってファンの手で操作させてくれる場面があるのがすごく好き。特に今回のペンライトは某遊園地で売っているおみやげ感もあって、アトラクションみたいなやりとりができるのが余計に楽しい。

 

21.UFO

 加藤さんが髪型を変えてきていて、前髪を少し残しつつすっきりさせる感じだったけれど途中から全部上げる感じになっていて、加藤さんの男っぽいおでこがよく見えて心底最高だったことを書き残さねばならない。是非今後もあの髪型でコンサートをやってください。
 そんなめちゃくちゃかっこいい髪型の加藤さんだが、蛍光オレンジが印象的な衣装はどこかかわいい。しかも「UFO」のダンスはピンク・レディーリスペクトな感じで、ちょっと古くさいところもある(そこがめちゃくちゃいいんだけど)。このギャップが最高にいい。特に「そんな簡単にあげないよ」のところが……良い……でも「もっと俺が欲しいんだろ」の格好よさも良い……とにかく加藤さんが良くて加藤さんばっかり見ていたので加藤さん以外の記憶がほとんどない……
 個人的にはアルバムで一番好きな曲。ポルノグラフィティで育ったので、この「歌謡曲っぽい古くささ」が格好良いと知っているからだ。ダサかっこいいというかなんというか。「青春花道」「東京デスティニー」あたりのにおいがする名曲だと思う。

 

22.EMMA

 「UFO」のダサかっこよさは「EMMA」に通ずるものがある、と思っていたら次にきたので一人で「ほらね!」と思っていた。NEVERLANDのときはMVの衣装だったが、今回の蛍光オレンジの衣装も照明との合わせ技でクールな印象になるので、曲と合っていた。照明で印象をがらっと変えられる衣装ってすごい。さすが増田さん。

 

23.EROTICA

 アルバム発売前の情報で「ラテン」とあったので、私のなかに流れるJ-POPラテンの血が騒ぐかと思っていたがそっちのタイプではなかった。「Fiesta」的なやつだと思っていたので想像と違ったな~という気持ちが大きかったのだけれど、ダンスが良すぎてコンサートで一気に好きになった。
 絶対にマルチアングルをつけてくれないと困るくらい全員のダンスが見たい。個人的には小山さんのダンスがセクシーで一番好き。なんか社交ダンスの女の人の動きみたいなところがあった気がする。でも増田さんの神事みたいな、神に捧げる舞いみたいなダンスもいい……選べない……

 

24.メガロマニア

 映像が圧倒的エヴァ。加藤さんですよね。
 まさかやるとは思っていなかったので、個人的には大本命だった「星の旅人たち」が入っていなかったのはちょっと残念だったけれどこの曲でその残念に思った気持ちが吹っ飛ぶくらい満足した。
 ダンスが激しいのに生歌なのが本当にすごいと思う。この曲のダンスの動きには加藤さんのダンスの癖が合っている気がして、とにかく加藤さんがすごく良かった。

 

25.時空の歪みメドレー MR.WHITE~QUARTETTO~NEVERLAND~EPCOTIA

 過去のリード曲をやってくれるなんて夢みたい!時空歪んでくれてありがとう!

 

XX.時空の歪みパート

 たぶん、見る人が見たら「茶番」なのだろうけれど、楽しませようとする演者側の意図に能動的にのっかって楽しもうとする客席側、という構図がものすごく好き。勿論私も全力で楽しむ。
 「WHITE」ではNEWSがWEBLACKと戦う場面、「QUARTETTO」の愛言葉、「NEVERLAND」の「ポコポンペコーリャ」がこの時空の歪みパートに相当するものだと思っているのだけれど、できれば毎回これがあって欲しい。いつだって全力で楽しむ気でいます。

 

26.4+FAN

 時空の歪みパートのクラップから「4+FAN」。何度聴いても「僕らは勝ったんだ」って歌詞が最高。

 

27.D.T.F
28.weeeek

 「4+FAN」に引き続きフロートで外周を回る曲。「D.T.F」は新たに定番曲となるのだろうか。楽しいので毎回やってほしい。
 フロートにもディスプレイがついていて、10周年のときの記号がくるくる回っているような映像が流れていてすごく可愛かった。別になくてもいいのに、そういうところまで気が配られているところに愛を感じた。

 

29.U R not alone

 前回あれだけ感動的なものになってしまったから今回はやらないだろうと思っていたが、今回もおいしい位置に入っていた。前回よりは湿っぽくなく、しかし全力を込めて歌うNEWSのことが好きだなと改めて思った。
 手越さんが「超えた日々が僕らにはあるじゃないか」のところで客席と自分を交互に指さすところが好きだし、小山さんが優しい笑顔で客席を見ながら歌うのが好きだし、増田さんが元気な笑顔でぴょんぴょんと跳ねるように歌うのが好きだし、加藤さんが本当に全力を出しきって歌うのが好き。
 もはやほとんどファンも一緒に歌うパートになっていて、その一体感が好きだなと思った。普段生活をしていて協調性に欠けているという自覚はあるけれど、こういうときの「ひとつになる」ことの快感はそれとは全く別のものだと思う。自分を殺さなくても自分のままでひとつになれる場があるって、私にとっては驚きだった。どんな気持ちで歌っているのか、きっとそれはひとつではなくて、会場にいる人の数だけあって、でも表出している歌声はひとつになる。不思議。
 「たとえばこの声が届くならば誰でもいい」と歌詞にはあるけれど、私はやっぱり加藤さんに届いて欲しいと思ってしまう。オーラスで、上から五番目の席で、ほとんど見えない加藤さんの背中をそれでも見てしまいながら、そう思った。

 

30.イノセンス

 ゲームを一本終えたあとのエンディングテーマみたいな感じ。シャボン玉がふわふわと飛んでいて、夢みたいにあたたかい光景で、まるで宇宙旅行が夢だったんじゃないかって思えてくる。だけど胸が躍ったこの旅は夢じゃないんだと確信もしている。

 

XX.異星人パート

 終わりかな?と思ったらまた出てくる異星人たち。非常に個人的な事情なのだけれど、コンサートで「手をつなぐ」という行為があまり好きではないというか、どうしていいかわからなくなってしまう。照れくさいというか、隣の人に嫌がられたらどうしようという気持ちが強くて(たいていの場合一緒にきた友人が隣にいるんだからそんなあからさまに嫌がられることはないけれど、内心嫌だったら申し訳ないなと思ってしまう)。でも、極力「手をつなぐ」というワードを減らして「つながる」というちょっと曖昧な表現にしたんだろうなという感じがして、その気遣いがありがたいなと思った。オーラスでは全然手をつなげるようになっていたので慣れなのかもしれない。

 

31.HAPPY ENDING

 NEWSはちゃんと私たちを地球に帰してくれるし、一緒に帰ってきてくれる。でもやっぱり終わってしまうのが嫌でアルバムでもあまり聴けていなかった。だけどNEWSと一緒に歌ったらすごく楽しくて、翌日は声が枯れてしまうくらいに歌った。今この瞬間の私が幸せであることを届けたかったのかもしれない。
 
 オーラスではスタッフの方々が仕掛けてくれたサプライズがあって、ペンライトのオンオフで「NEWS」「HAPPY」「ENDING」「★★★★」の文字が客席に浮かび上がった。
 増田さんがそれを見て「文字を作れたらいいねって話してたんだよ」と言っていて、きっとそれを覚えていたスタッフの方がやってみようと言ってくれたんじゃないかなと思った。手越さんと小山さんは文字を見て泣いてしまって、増田さんも挨拶のときに泣いてしまっていた。加藤さんは泣いているメンバーを見て優しく笑っていて、強くなったんだなと感じた。少し寂しくて、少し嬉しい。今のNEWSは、泣ける強さをもつ人と泣かない強さをもつ人で構成されているんだなと思った。
 最後にはけていくとき、また泣いてしまっている手越さんの肩を加藤さんと小山さんが支えていて、そこに増田さんもくっついていって、4人でぎゅっと固まっていた。その背中が私の好きなNEWSすぎて、この人たちから離れたくないなぁと思った。

 

 


・担当、ということ

 どんなに遠くても、どうしても加藤さんの姿を目で追ってしまう。いろいろと考える出来事があって、担当という呼称を邪魔に感じることもあった。私が加藤さんを好きで、加藤シゲアキ担だと名乗ることで思うようにいかないことがあるのだとしたら、そんな肩書きはいらない。一旦保留にしようとも思っていた。
 でも結局、私は加藤さんを見てしまう。どうしても、どうしても応援していたい。邪魔はしたくないし、私の邪魔にもなってほしくないけれど、ちょうどいいところを模索しながら加藤さんのことを応援していたい。
 加藤さんのことを癒したり守ったり支えたりすることができる人がいたとして、少しだけその人たちのことを羨ましくも思った。でもたぶん、顔も名前もわからないファンだからこそ、いや私だからこそできる何かもあるような気が、まだしている。それはきっと加藤さんのためになることではなくて私のためにしかならないことだと思うし、加藤さんのためと思ってやるわけでもない。私は私のために、私のためだけに加藤さんのことを好きでいたいし応援していたい。


・一瞬と永遠

 未来に向けての漠然とした曖昧な約束なんて、私はいらないと思う。未来のことなんてわからないから、その言葉で未来永劫何かが保証されることなんてないと思っている。素直じゃないのかもしれない。でも、それでも、どうしても私にとっては未来は不確定なもので、確定したことなんて何もないと思う。変わらないことなんてないし、ましてや人間なんて変わっていくものだし。そんな曖昧で不安定な人間が発した言葉なんて、もっとずっと不安定なはずだと思うから。
 だって、今までだって誰かの言葉が(ときに私が信頼して愛した言葉が)、「嘘」になってしまったことなんて何度もある。だけどそれは裏切りとか嘘をついていたとかそういうことではないんだと、このツアーを通して思った。それを示すような言葉があったわけではなくて、ただただ私の内面の話なのだけれど、このツアーの感想として書き留めておきたい。
 加藤さんの「HAPPY ENDINGを歌ってるけど、ENDINGなんてないから、ずっとNEWSがそばにいるから!」という言葉が、本当に嬉しかった。
 たとえこの先この言葉が嘘になってしまったとしても、加藤さんがこう言いたかったときの気持ちを、私は信じていられる。だからこそ、この先この言葉が嘘になってしまったとしても、それでもいいと思う。この言葉を聞いて「嬉しい」と思った私の気持ちも、きっと加藤さんがこう言いたかったから言ったのだろうという気持ちも、この先何があったって消えたりしないと確信している。
 もしかしたら私が幸せだと思うことも、変わっていくかもしれない。NEWSのことを今のように愛せなくなるかもしれない。そういうことが起こりえないとは、私は言い切れない。きっと私も変わっていくから。この先、NEWSだってきっと変わっていく。変わっていくために何かを選び取るときに、過去の言葉に縛られないでほしいと、私は思う。とどまっていられるものなんてないということと、幸せだと思ったその瞬間の気持ちが永遠であるということは、同時に成り立つものだから。
 ポルノグラフィティの「グラヴィティ」という曲の歌詞に、「一秒と千年のあいだに違いはなくて」という部分がある。時間なんて関係ないくらい愛しているということかとも思ったけれど、そうではないのかなとこのツアーを通して思った。たとえ、この一瞬しか感じることのできない幸せだったとしても、そのときに「幸せ」と思った気持ちは決してなくなることはなく、誰かの言葉で揺らいでしまうこともなく、この先の私の変化や相手の変化とも全く関係がなく、ただただ永遠なのだ。だから、一秒と千年のあいだに違いはない。

 だから、奇跡なんだと思う。私が好きだと思うものとNEWSが作り出すものや存在そのものが一致していることが。変わっていく世界のなかで、それが一致しているなんて、きっと奇跡だと思う。この奇跡も、一瞬のものなのかもしれない。でもそういう一瞬があったという事実は永遠に変わらない。
 今この瞬間、好きでいることができて幸せ。未来も過去も関係なく、ただ「今」が幸せ。そう思ったこの気持ちを、大切にしていきたい。

 

 

お題「NEWS ARENA TOUR 2018 「EPCOTIA」宇宙旅行記」

 

 

僕のなかの僕と僕 ーコンサート演出「氷温」感想・考察ー

 コンサート全体の感想も書いていますが、この曲だけでだいぶ長くなってしまったのでひとつの記事としてまとめました。

 

 今回は、ひたすらに知的好奇心が刺激されるソロ曲だった。これは一体なんだろう。何を表しているんだろう。もっとわかりたい。いや、わからなくてもいい。私が納得して「これがいい」と選び取れるものがほしい。そのために沢山考えたい。これはきっとこういう意味だとか、ここにはこういう意図があるのではないかとか、そうやって考えることがとにかく楽しかった。
 そう、単純に楽しかった。楽しかったことが、嬉しかった。
 あれこれ考えたことを、メモとしてまとめておこうと思います。メモだし、いつも異常に圧倒的主観150%で。


※コンサート版「氷温」の登場人物を
 加藤さん:A
 新藤くん(ヘルメットとゴーグルの子):B
 ライトを持ったJr:C
 とします。誰が演じているかではなく、どのような役割を担っているかが重要だと思っているので、そこに焦点を当てるためです。

 

歌詞について

 基本的には以前ブログに書いた解釈の通りだと思っている。ざっくりまとめると、付き合っている「僕」と「君」がいて、「僕」は「君」に別れ話を切り出す。それでいて、「僕」はどこか「君」に対する未練を抱えているようにも思える。そんな身勝手な男の歌。
 あれこれ書いているので過去のブログをご参照ください。

溶ける氷と凍りゆく関係 ―「氷温」感想メモ― - 来世はペンギンになりたい

 

入れ替わり/成り代わり、アイテム

 今回のソロ曲では、サイドのウィングに座っているAとライトを持ったCたちに囲まれたBが、立ち位置もそれぞれのアイテム(Aの持っていたライトはBに、Bの履いていたハイヒールはAに)も含めて入れ替わる。
 おそらくこの「入れ替わり」あるいは「成り代わり」は、加藤さんの好きなギミックなのだろう、過去の作品にも使われている。『ピンクとグレー』ではりばちゃんがごっちを演じることで自分がどちらであるのかわからなくなるような描写がある(りばちゃんがごっちに「成り代わる」)。「ESCORT」のMVでは、ウェイターがステージ上に立つ白い衣装の男と出会い、最後は自身が白い帽子を被りステージに立つところで終わるが、これも「入れ替わり」あるいは「成り代わり」の一種であるように見える。
 また、加藤さんの描く「入れ替わり」「成り代わり」は、アイテムを伴いがちである。視覚的にわかりやすいということもあるし、単純に加藤さんがそういうのが好きなのではないかな……と勝手に思っている。『ピンクとグレー』ではごっちの持っていたデュポンのライターとりばちゃんの持っていたラブホのライターが入れ替わる。「ESCORT」MVでは、白い衣装の男が残した帽子を被り、白い衣装の男が立っていたステージに立つというように、衣装と立ち位置が白い衣装の男からウェイターへと渡っている。
 先述の通り、「氷温」はAとBの立ち位置もアイテムも入れ替わる。どういう意味があるのかは次の項で。

 

 

コンサート演出が示すもの

 サイドのウィングに座ったA、ステージの中央でライトを持ったCたちに囲まれるB。曲が進むにつれ、AとBが徐々に近づき、立ち位置が入れ替わる。Bは履いていたハイヒールを脱ぎ、Aに渡す。Bは最初にAがいたウィングへ去り、Aは中央に残りCたちに囲まれ、冒頭のBのようにCのうちのひとりを椅子にして座り、受け取ったハイヒールを履く。一連の流れを文字にすると、こんな感じか。
 初めて見たときから、これらのものが一体何を意味しているのか、考える頭が止まらなかった。氷?「僕」?「君」?ホテルの部屋?一体誰が何を表しているのだろう。考えてはいまいち納得できずにまた違うように考え、を繰り返し、ひとつの答えに至った。
 あのステージ上は、「氷温」で展開する物語の、「僕」の心の内。
 加藤さんの演じるAは、自分を愛する心=エゴ。新藤くんの演じるBは、「君」を愛していた恋心。つまりはどちらも「僕」である。「僕」の感情の擬人化といったところだろうか。
 心の真ん中には「君」を愛する心がいたのに、別れ話をすることによって彼のエゴが恋心を上回って立ち位置を逆転させてしまう。「僕」というひとりの男のなかで優先順位が入れ替わる。楽曲のもつ物語は歌詞にまかせ、コンサートの演出では「僕」の内面を、「僕」が別れ話をしている最中の心の動きを表しているのではないだろうか。
 そもそも、恋心(この場合は「君」を大切に思う心ともいえる)とエゴ(やさしく言うと自分を大切にする心)は同時に心の中に両立することはできないのか。本来ならできるものなのだろう。しかし、「君」を愛しているのに嘘を重ねるようになってしまった「僕」の心の中では、もうそのふたつは共に在ることはできないものとなってしまったのだ。ふたつの感情が共存できない時点で、もう「僕」のなかでは「君」との関係が破綻している。だから、「僕」は「君」に別れ話をする。

 

 順を追って読み解いていく。まず、Aがステージ上に一人で現れ、その後にBとCたちが現れる。Aは俯いたままウィングに向かって歩いていき、ステージ中央を振り返り、座り込む(このへんの流れは記憶が曖昧。ごめんなさい)。まだ曲が始まる前なので、この時点ではまだ別れ話はしていない。けれど、A=エゴは心の中心を見ている。自分がいるべき場所はあそこなのではないかと考えているかのように。きっと、「僕」の「君」への想いが揺らぎ始めた時点の描写なのではないかと思う。
 そして曲が始まる。A=エゴがウィングに、ステージ中央にB=恋心がいる。ステージの中央は心の中央、あるいは中心部といったところを表していて、そこにいるのはB=恋心。「僕」の心の主導権を握っているのは恋心ということになる。一方、A=エゴはウィングに座り込んでいる。心の隅、一人で明かりを灯している。このライト、そしてCが持っているライトは何を示しているのかというと、主導権を握ることができない感情たちではないだろうか。心の中央にいる恋心は、他のたくさんの感情を従えて中央に君臨している。しかし、エゴは一人きり孤独にライトを光らせている。このときの「僕」はまだ迷っているのだろう。「ほんの少し正気になって落ち込む」「時が止まればと心で願ってる」くらいだから、「君」に対する想いもないわけではない。まだ「僕」の心を支配しているのは「君」への恋心だ。
 その後、Aはステージの中央へと向かう。Bもまた、Aの方向へ向かう。しかし二人の動きはすれ違う。同じ動きをしているのにタイミングが異なる。一方が動けば一方は止まる。まるで、それぞれの力がせめぎ合っているかのように。ステージの中央で出会った二人。AがBを抱き上げてくるくると回る。抱き上げるほうと抱き上げられるほう、という関係性が生まれる。ここで、AがBを上回る。抱き上げるほうと抱き上げられるほうなら、抱き上げるほうが力が強いと言えよう。今までの力関係が逆転する。きっと、このときの「僕」は「君」に別れ話をしているところだ。そして、「君」はそれを受け入れようとしている。
 恋心は、エゴに心の主導権を奪われる。この主導権を表すアイテムがハイヒールだ。このステージで、彼だけが持っているもの。彼はそれを新たに「僕」の心の支配者となったAに渡し、自身はAがいたウィングへと向かう。「僕」が「君」に別れを告げたことで恋心は未練となり、心の中を自由に闊歩する靴を失い、心の奥にしまい込まれる。
 一方、Aは他のたくさんの感情たちを従えて、支配者の証である靴を履く。靴を履いている者は、周りの感情たちが照らしてくれるから自らライトを持つ必要もない。ただそこに君臨していればいい。もう「君」は「僕」の元から去っていったのだから。

 

 歌詞を見ていても、「君」が具体的に何をしたのかという描写は出てこない。「君」という言葉は何度か出てくるものの、動作の主体としての「君」ではない。どれも「僕」から見た、「僕」越しの「君」でしかない。「君」もそこにいるはずなのに、まるで「僕」ひとりで成り立ってしまうかのような歌詞だ、と思った。コンサートでの演出が「僕」の内面をステージの上に表したものだとしたら、そこに「君」はいない。歌詞から受ける印象とも合っている。
 また、この楽曲を作った加藤さんがエゴの側を演じていると思うと、あんまりにもぴったりすぎて楽しくなってきちゃう。この楽曲の、この演出の、すべての支配者は加藤さんであるはずだから、最後にステージを支配するのは彼でなければならない。というか、私は彼の描く人物像のなかでも身勝手な人たちがものすごく好きで、そんな身勝手な心=エゴを加藤さんが演じていたかと思うとめちゃくちゃ興奮する。勝手に創刊が得ているだけではあるけれど。
 私は加藤さんがサングラスをかけていた公演には入っていないのだけれど、ずっとかけていて最後の「氷温」で外すと聞いた。AもBも顔を隠した状態で曲が進み、最後の最後でAがサングラスを外して顔を見せるのも彼が支配者たることの現れなのではないかと思える。
 というように、コンサートの演出は、「僕」の内面の様子を描いたものだと考えると、私のなかでは非常に納得がいく。

 

あと最後に

 音源では女性コーラスで入っている「氷温」という声、曲全体の印象としてここだけ浮いていて、確かにこのぞわっとする感じがいいのかもしれないけれど、でもここも加藤さんの声だったらな……と思っていたのでコンサートでは加藤さんの声になっていて超嬉しかった。これはただの感想です。

 


 コンサートに行くまで、曲はあまり聴かないようにしていた。曲がすごく好きになって、コンサートでの演出と仲良くなれなかったら、それはとても悲しくなってしまうなぁと思ったから。毎年、私の趣味とは微妙に、しかし決定的に違うところがあるので、なかなかしっくりくることがなかった。あるいは、曲に気持ちを乗せすぎて冷静な心で見ることができなくなってしまっていた。今回はそのどちらでもない、知的好奇心を擽りアドレナリンがどばどば出る演出だった。
 こんな面白いものを作れる人のことを好きで、心底楽しい。来年は、というか15周年のコンサートでも何かやるのだろうか。楽しみで仕方がない。

 

お題「NEWS ARENA TOUR 2018 「EPCOTIA」宇宙旅行記」

 

マイお題「NEWS ARENA TOUR 2018 EPCOTIA 宇宙旅行記」を作りました

 

 EPCOTIAツアーお疲れ様でした!

 ということで、お題を作成しました。コンサートについての感想文をお書きの際は是非使ってみてください〜!私も書きます!

 

お題「NEWS ARENA TOUR 2018 「EPCOTIA」宇宙旅行記」

また会えるまで忘れないで ー「madoromi」解釈・感想ー

 単純に音源で聴いていた時点では、正直そこまで入れ込むほど好きな曲ではなかった。嫌いではないけれど、取り立てて好みではなかったというか。私は派手でうるさい曲が好きなので、この曲のシンプルなオケとシンプルな歌割(ユニゾンがない)の良さに気づいていなかった。でもコンサートで聴いて印象が一変した。こんなにも多様な解釈ができる歌詞だったのかと驚いた。短くて抽象的な歌詞に、こんなにも想いが詰まっているなんて。もちろん、私の勝手な勘違いのような解釈なのだけれど、曲は聴き手に渡ったらある種聴き手のものでもあると思っているので、主観100%で書いています。

 コンサートで初めて聴いたときの感想に、オーラス後の気持ちも付け加えて、メモとして残しておきます。

 

NEWS madoromi 歌詞 - 歌ネット

 

・歌詞の多様な解釈、そのいち

 歌詞には「君」と「僕」の関係を示す明確な言葉はなく、というか具体的な描写が全然なくて、多様な解釈が成立するようになっている。関係性はおろか、どういう状況なのかということも多様な解釈ができる。決して言葉数は多くないが、多くないからこそひとつの歌詞で様々な世界を表現することができる。歌詞ってすごい。
 単純に考えるともう二度と会えない別れを迎えた(おそらく死別)恋人同士といった関係性が妥当かなとも思うし、そうではない可能性だっていくらでもある。私は最初に聴いていたときはなんとなく、親子のような関係性を思い描いていた。去っていく親と、残される子。
 私は歌詞においては「僕」「君」といった人称代名詞はそこに性別は含まれないものとして考えていることが多く、これから語ろうとしていることについても「僕」が男だとは断定しない。私としては、「僕」はこの世界から去っていく親の心情であり、「君」は親のいなくなったこの世界に残される子どもなのではないかと思っている。親子の年齢層までは断定しない。それもまた、自由に幅を持って解釈できるものだと思う。
 なぜこの世界から去っていくという解釈になるのかというと、全体的に漂う「もう会えない」という雰囲気もそうだし、個人的には最初の「朝が迎えにきた/空に浮かべた 船に乗って」という部分により強くそう思う。「船」というのは、空に見える「月」をたとえているように思える。特に三日月なんて、船のかたちのようにも見える。太陽は文字通り「陽」であり、月は「陰」。ひっそりとした死のイメージをまとっている。夜のあいだに出ている月は、朝を迎えて明るくなっていくごとに見えなくなる。きっと「僕」も、朝を迎えてその命を終えるのではないかと、なんとなくそんな気がする。それと、余談ではあるがポルノグラフィティの楽曲「月飼い」も、月を船にたとえてそこに乗る「君」を見送るような歌詞になっている。その影響もあって、私のなかでは空に浮かぶ船といえば月で、月の船は亡くなった人を送るためのものだという解釈をしがちなところもあるかなとは思う。
 「幻が醒めてしまうまで/せめて グッバイ ah グッバイ ah」という歌詞。「幻」が醒めるまでのあいだなら、別れの挨拶を伝えることができるという意味のように感じられた。現実には言葉として伝えることができなかった別れを、夢の中では伝えることができるのではないだろうか。たとえその別れの言葉に「君」が涙を流しても、その涙は明日へとつながるものになる。
そしてなぜこの曲の「君」と「僕」が親子に思えるのかというと、「僕」が「君」へとても深く、そして恋ではない愛を向けているように思えたからだ。あるいは「僕」が不在の世界での「君」の幸せや成長を願っているようにも見えた。特に二番の「君と出会えた日は/いつになっても宝物さ」という歌詞。恋人になる相手との出会いの瞬間を宝物だと思う人も勿論いるだろうけれど、私にとっては「子どもが生まれた瞬間」のように感じられた。私はその瞬間を迎えたことがないけれど、もし子どもを生むことがあるとしたら、きっとその瞬間は忘れられないものになるだろうと予感している。それこそ、「宝物」と思えるほどの出会いになるだろうと思っている。どれほど時が経っても、この世界から去りゆく際であっても、「僕」にとってそれは変わらず「宝物」で蟻続けるのだ。
 そう考えたら、「君を好きなこと/また会えるまで 忘れないで」と歌うのも、親から子へ向けた愛のように見えてくる。たとえ誰が「君」を愛さなくても親である「僕」は「君」を愛している、と思いたいがゆえの解釈なのかもしれない。私は別に親に愛されなかったわけではないけれど、親の思う愛と私の思う愛が異なっているという場面には何度も遭遇した。だから余計に、私の親がこの曲のように深い愛をもって私を思ってくれていたらいいなという気持ちと、私にもし子どもができたらこの曲のような深い愛をもちたいと思う気持ちの表れなのかもしれない。でも無理のない解釈として成り立つし、こういう考え方もありなんじゃないかなぁと思う。

 

・歌詞の多様な解釈、そのに

 で。コンサートで聴いたときには上に書いたような解釈とはまた違ったように感じられた。私が入った席はこの曲を歌っているときにNEWSが目の前にいるブロックだったのも大きいが、コンサートで聴いた「madoromi」は、アイドルからファンへの思いのように感じられた。

 どんなアイドルも、アイドルでいる選択をしているから、アイドルとしてステージに立っているのだと、推していた女性アイドルが卒業するときに思った。選択肢は、決してひとつではない。いくつもの選択肢の中から、彼ら/彼女らは「アイドル」を選んでいる。「アイドルである」ということはいくつもある選択肢のひとつであって、決して絶対ではない。相対的なものだ。女性アイドルはいずれアイドルではなくなる(少なくともグループを去る)ことが一般的であることが多いが、男性アイドルだって例外ではない。例外ではないことを、考えたくはないと思ってしまうけれど。それは感情的な話であり、現実的で論理的な話ではない。

 この曲が歌われるとき、イントロで「madoromiだ」とは思ったけれどそのときにはまだそれ以上の感情はなかった。むしろどんな曲だったかうっすら忘れていたくらいだった。しかし、「君を好きなこと/また会えるまで 忘れないで」という歌詞を聴いて涙が溢れてしまった。小山さんの慈しむような歌声が心に刺さった。
 アイドルがファンを「好き」だと思っているなんて、きれいごとなのかもしれない。ファンだからそう思いたいだけなのかもしれない。でも私は、どのアイドルを好きでいたときも、この人たちは私に「好き」という感情を向けてくれていると感じていた。私という個人に対する「好き」ではなくても、それは確かに「好き」だった。どのアイドルからも、私は「好き」という気持ちを受け取っていた。歌だったり、言葉だったり、素晴らしいパフォーマンスだったり、一瞬の握手であったり、かたちは様々だけれど、そこにある思いは「好き」という気持ちだったと、私は思っている。次のコンサートで会えるときまで、「好き」だということを忘れないでねと、そう感じるくらいに「好き」という気持ちをたくさんもらっていた。少なくともそのときは、彼らが向ける「好き」という気持ちは確かなものだったと、たとえ勘違いでもそうだったんだと私は思っている。
 目の前でアイドルであるNEWSがこの曲を歌ったとき、彼らは私のことを「好き」なのだと思った。「好き」というのはなにも恋愛感情だけではない。アイドルとファンという関係性で、私はNEWSのことが好きだしNEWSも私のことを好きなのだと思う。これは特別で大切な感情だと思っているけれど、私とNEWSのあいだにだけあるものではなくて、どんなアイドルとどんなファンのあいだにもあるのではないかと思う。そのどれもが特別で大切なのだと思う。
 たとえ「アイドルである」という選択肢を選ばなくなっても、あのときに感じていた「好き」という気持ちは決して嘘ではなかったと、私は思う。私が「ファンである」という選択肢を選ばなくなっても、あのときに感じていた「好き」という気持ちに決して嘘ではなかったように。だから、小山さんの歌った「君を好きなこと/また会えるまで 忘れないで」という歌詞が胸に響いてしまった。
 アイドルが「アイドルである」という選択肢を選ばなくなったら、きっと私は泣くだろう。推していた女性アイドルが卒業したときも号泣だった。私はアイドルである彼女と出会い、アイドルである彼女を好きになったのだから。彼女はそれ以降も舞台上に立つ仕事をしているから、彼女の元気な姿を見ることはできる。でも、私が愛した「アイドルである彼女」はもうどこにもいない。それは間違いない事実だ。そう思うと、「アイドルである」という選択肢を彼ら/彼女らが選んでいるあいだの時間は「幻」なのかもしれない。リアルな感情を伴う「幻」。いつかくる、幻が醒めてしまうときまでの、さよならに向かっていくための時間。長い長い「幻」だったとしても、いつか醒めるときが来てしまう。それがどんなかたちかはわからないけれど。私がみているのは、そんな「幻」なのではないかと思う。そして、「幻」が醒めたあとも私はまだ生きているかもしれない。ぼろぼろに泣いたとしても、その涙にも意味があるのだと、アイドルがそう歌っているということに、私はさらに泣かずにいられなかった。

 

 私の人生は私のもので、私にしか責任を負えない。誰にも預けることはできない。アイドルのことがどれだけ好きでも私の人生を預けてしまうことはできない。この先、もし私の大好きなアイドルがいなくなったら。そんなことはないと思いたいけれど、理論的な可能性としてはゼロではない。それでも私はちゃんと私として生きていかなければならない。私の大好きなアイドルが、「僕が隣にいなくても きみはきみのままで」と歌っているから。いつか隣にいなくなってしまっても私が私でいられるように、そのぶんいま隣にいよう。

 私は、あまり未来のことを考えない。というか、未来のことを考えるのが下手なのだ。先の予定を立てることができない。だって未来のことなんてわからないから。私にとって確かなのはいまこの瞬間のことだけで、これより向こうのことなんてわからない。
 それでも、私は嬉しかった。コンサートの最後、加藤さんが「HAPPY ENDINGを歌ってるけど、ENDINGなんてねえから!」と言っていたことが。この先のことはわからないけれど、少なくともそう言った瞬間の加藤さんはそう思っていたんだろうと思う。たとえもし、いつかこの言葉が本当のことではなくなってしまう時がきたとしても、この言葉を聞いたときの嬉しさが消えるわけではない。あのとき確かに嬉しいと感じた私がそこにいたはずだ。私はそれを幸せと呼びたい。
 信じているとかいないとかではなくて、人は変わっていくいきものだから。私はそれを、加藤さんから痛いくらいに教えてもらった。いま言ったことと過去に言ったことが矛盾することはあるし、いま言ったことといつか言うことが矛盾することだってある。人は変わっていくいきものだから、未来のことはあまりあてにしていないし、過去のことは参考にするものだと思っている。私だって変わっていくから、いま大好きなアイドルからいつか離れてしまうことだってありうる。いま幸せだと思うことが、いつか不幸に変わるかもしれない。何を幸せと思うかだって、変わるかもしれない。それぐらい不確かな私だから、いまこの瞬間の幸せを大切にしていたい。

 

 きっとこういうふうに考えることは過大解釈なのだろうとも思ってしまうけれど、それでもそう思わずにはいられない。独りよがりで、痛々しい解釈なのかもしれない。でもこの曲で目が腫れてしまうくらい泣いて、たぶん私は、救われたのだと思う。行き場がなかった気持ちに、NEWSの歌うこの曲が、行き先を示してくれたように思えた。
 結局、行った公演すべてで泣いてしまった。手越さんや増田さんは、回を重ねるごとに感情が豊かになって、余計に心に訴えかけてくる歌声になった気がした。小山さんは、埼玉公演では疲れが出たのか歌いにくそうなところもあったけれど、伝えようという気持ちが伝わってきた。加藤さんはしっかりと落ち着いていて、歌のなかの僕でもきみでも誰でもなくただ加藤さんとしてそこにいた。あなたがいま、確かにそこにいることを、確かに愛して愛されていることを、とても幸せに思う。

 

 

EPCOTIA(通常盤)

EPCOTIA(通常盤)